連休前ですが

Mee
Model : Meesha Shafi (Pakistani actress, singer)

日々多くの方々にアクセスいただき、ありがとうこざいます。
現場仕事に会社行事の幹事やらで脳味噌死亡中のためブログ更新サボリです。

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コッペパン

ドーナツ一つパクついて虎ヶ岳から下りた後、光市のコッペパン専門店に直行。

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PANCOPPE (パンコッペ) 里の厨店を訪問。

季節商品の桜あんコッペが目の前でどんどん売れていましたが、コッペパンの王道ピーナツコッペを買おうと思いつつ、甘さの誘惑に勝てずベルギーチョココッペを購入。

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フワフワのコッペパンに濃厚なチョコクリーム。

今日は日曜ですが、午後から現場に入り、某県から転進してくる親方の出迎えです。
甘いモノ喰って仕事がんばります。

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乳観音 (山口県光市 小野)

光市の里山に、「乳観音」なるお社があるという。
休日、さっそく訪問してみる。

情報は観光サイトにも何もない。
看板も何もない。
文献資料の略図をもとに探し当てる。

ごくふつうの民家の裏、「え、こんなところ行くの」という細い道をたどると、そこに「乳観音」はありました。

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カメラが傾いたんじゃありません。
普通の民家裏をたどると、全体に傾いた、急な石段。
そこを登ると、

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乳観音にたどり着く。

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鳥居を構えた神社の左脇に、観音堂がある。

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石造りの観音像(右)と、壁に奉納された乳模型。

乳観音の建立時期ははっきりわかっていないが文献から江戸時代中期とされている。
乳の出が悪い人は一対の乳模型を奉納すると、乳の出が良くなるといわれ、願いがかなった人は母乳を奉納すると乳児が無事に成長するといわれている。

観光情報の類いには一切紹介されておらず、知る人ぞ知る、という乳観音。

カミさんの育児を傍からみてきてはいるが、やはり男にはわからない苦しみ・悩みがあるのだろう。
奉納された乳模型に、女性たちの切実な願いをひしひしと感じる。

話は変わるが、山形県の某所、地名を挙げれば山形の人間なら誰でも知っている場所なのだが、その集落の奥にお社がある。
たまたま現場関係の仕事でそのお社をみる機会があったのだが、中を覗いてびっくり。
お社の中には数百はあるだろう、大量の木製の「男根」が奉納されていた。
子孫繁栄、子宝に恵まれるように・・・という願掛けのお社だと思われるが、民俗関係の資料でも一切とりあげられていない。

「性」に関する祈願はタブー視されるということなのだろうか。
時代は変わろうと、子作り・出産・育児は太古からの人間の営みに変わりは無い。
なんの目印も看板もなく、ひっそりとたつ乳観音にそんなことを考えた。

参考文献 : 古川知明著『失われゆく民間信仰 山口県光市にみる日本の原風景 路傍の御仏』

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虎ヶ岳 (414m 山口県光市)

山口県光市の最高峰、虎ヶ岳(414m)を目指す。

東北でも人気の高い虎毛山の資料をあたっているときに知ったのだが、日本の山名で「虎」の字が用いられている山は少ないらしい。
また、山口県光市と下松市を隔てて300~400m級のピークが屏風のように連なっている。
この連嶺のピークとして、ぜひ虎ヶ岳を登ってみたくなった。

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本日は定光寺コースから虎ヶ岳をめざす。

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登山口には何かのおまじないか?積み石が沢山並んでいた。

沢沿いの細い登山道をたどり、やがて杉林の中へ。

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山城の跡か、耕作地の跡か。古びた石垣が幾つも並んでいました。

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道が沢筋から離れると、水の音が途絶え、静寂の世界。時折ウグイスの声が聞こえるだけの、杉林。

登山道として拓かれたのか、道はつづら折りではなく、ひたすら急登をたどります。

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やがて明るい稜線の道。

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陽光の下、新緑の中を進みます。

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虎ヶ岳山頂に至る稜線は幾つもの小ピークを越え、お手軽縦走気分。

登山口から30分程で山頂へ。
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ブログに載せてしまうと、これから登る人の楽しみを奪うような気がしてしまうのですが、標高414mにして山頂の眺めは素晴らしい!光市全域と瀬戸内海を望む。

広島県の山でも思いましたが、山陽地方の山の魅力って、山頂から「海が眺められる」ことではないかと思います。

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山頂にて。登山道のツツジはおわりかけでしたが、山頂のツツジは見事でした。

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また30分ほどかけて下山。
縦走コースとして親しまれているのでしょう、幾人かのハイカーとすれ違いました。

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虎ヶ岳山麓はケマンの花盛り。紫と黄色のケマンが彩っていました。

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おしごと日記 in 山口

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毎日毎日、殺風景な現場でお仕事。ふー。

4月×日、スーパーで買い物帰り、『菓子乃季』に立ち寄る。
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本日は「金魚最中」を購入。
粒餡原理主義、こしあんは死ね!な私には、歯ごたえある粒餡が美味美味。
金魚といっても出目金っぽいなあ。。。と思ったら、金魚は金魚でも山口の郷土玩具「金魚ちょうちん」をモチーフにした菓子だそうです。

4月×日、明日で仕事相方のK君が山形に帰る。
今日から移った宿の徒歩圏内に居酒屋があったので2人で突入。

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定番ですが「ふく」(ふぐ)の唐揚を喰う。

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ついついつられてプーチン大統領も飲んだ「東洋美人」を飲む。
Вкусный!

翌日↓
Drinker

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けんちょう

さすらいの現場作業員、本日より戊辰戦争の宿敵・山口県は光市に滞在。
しばらく安ホテル生活。

今夜のおかずは

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山口県の郷土料理「けんちょう」。
大根の薄切と豆腐、人参を油で炒めて醤油で煮た惣菜です。

名前の由来は税金泥棒が働く公官庁じゃなくて(僕なにか変なこと書きました?)、けんちん汁の名前の由来ともいわれる鎌倉の建長寺からきているらしい。

東北地方だったらガンガンにしょっぱく煮付けるところだけど、西日本らしい甘めの味付けです。
明日からコンビニ依存生活に突入~

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I saw her standing there

月山エコプロの白田さんにお声がけいただき、ありがたいことに今年も湯殿山ガイド山行の助っ人サブガイドとして参上。

 夏道が無く、積雪期しか頂上に立てない湯殿山(1500m)。
 エコプロの湯殿山ツアーは発表と同時に申し込みが殺到するプログラム。
 毎年、JMGAガイド3名体制での催行となる。

 一週間前から天気図を眺め、当日はうまく移動性高気圧の影響をうけるのか微妙な天候。

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集合場所の山形県自然博物園前にて、青空の下、山頂を現す湯殿山。

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森林限界を抜け、湯殿山南東稜にとりつく。風が強い。

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強風の中を登り、風も穏やかになった湯殿山山頂にて。
3年越しでようやく登頂を果たしたクライアントもいて、皆さん満足の表情。

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強風のため山頂では行動食のみの休憩とし、湯殿山から下りて山麓のブシ沼でランチ。
皆さん湯殿山方面を向いているのが微笑ましい。

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帰路はズズーッと尻セードで皆さん奇声をあげながらwブナの森を滑り降りていきます。
今シーズンも、月山エコプロ真鍋氏、伊藤氏のおかげで無事下山・解散となりました。

今回の参加者で、登山ガイド志望の若い女性の方が参加されていた。
2000年始め、東北でJMGAガイド団体が芽生えたときには、各地で活動しているオッサンばかりが集結していたものでしたが。。。。
彼女のような存在に、明らかに登山、そしてガイド業へのイメージの変化を感じる。

解散後、私のシークレットエリアを覗いてみると、
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ザゼンソウはまだ固いつぼみでした。

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国道112号線、だれも見向きもしない車道脇には、キクザキイチゲが白く彩っています。

所用のため月山から寄り道して山形県朝日少年自然の家を訪問。
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少年自然の家近くの耕作地にはツクシの群生。
春ですね。

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春 雨

月山のブナ林へ。

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今年の月山は例年どおりの残雪
(と申しましょうか、昨年が少雪でした)

自然界の出来事とはいえ尾籠な画像でなんですが、
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ヤドリギの種を含んだ鳥のフン。
巧く枝にくっつきました。

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年月が経過すると、こうなります。

でも広大なブナ林で、無数に産み出されるヤドリギの種は
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ほとんどが土に還るんでしょう。

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チンタラ登っていると、熊棚の中古物件を見つけました。
手の届くところで熊棚みられるのも、積雪期のブナ林の魅力です。

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熊の爪痕も、古びたものでした。

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目的の山の天候はご機嫌ななめ。
前線通過で荒れそうなので、とっとと下ります。

やがてアウターに雨粒がぶつかる音。
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しとしと雨が降る。
やはり山も春に向かっている。

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水面をあらわした沼は、まだ早春には程遠い様子。水芭蕉もまだ小さいです。

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本日は月山スキー場オープン日。
車道脇の雪壁はまたまだ高いけれど、フキノトウという忍び寄る春もある。

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東奔西走

平日に公休をとる。

平日の休み、野暮用がピラニアのように押し寄せる。

朝一で山形県総合交通安全センターに行く。
ここで殺しのライセンスもとい、国際運転免許証を取得。
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マッドマックスなみに運転できるよう、普通車から大型・牽引まで全部申請。

国際免許を取得後、すぐに近所の眼科医へ。
最近、近くの文字がてきめんに読めない。
カミさんの強い勧めで眼科で診察。

問診票に「眼鏡製作を希望」と書いておいたのだが、診察前の視力検査ですでに

あ、老眼ですね

とあっさりナースに言われ、

いえ、最近文字が読みにくいんです

いやいや老眼ってまだ診察してねーだろクソババア、と思いながらナースの指示に素直に従い視力検査。

続いて眼科医の診察。
医師から、
「ん~、特に病気はないけど、

Ro
と、ついに死刑宣告が下る。
え~!
俺これでも1970年代の生まれなのに!
学生時代は大型講堂での授業でも黒板の文字が読めて「視力はマサイ族並み」と言われてたのに!

つづいて、眼鏡を製作するために詳細な視力検査。
テスト用の眼鏡をかけ、しばらく周囲の風景を眺めて過ごしてくださいと言われ、待合室でKindleで読書。
たしかに眼鏡をかけた方が文字がはっきり読める。
裸眼では遠くの景色は普通に見えるのに・・・

眼科で診察中の私の心象風景↓
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えっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

眼科でのショックから立ち直れないまま、続いて山形市内の法務局に行き、野暮用を済ませる。
昼食を自宅でとり、それから午前中に診察を受けた眼科に、老母を連れて行く。
今日は、母のもう片方の眼の白内障手術。

手術の立ち会いと送迎を兼ね、待合室でひたすら待機。
その間、読書をすすめ、読書に飽きたところで4月以降の予定を調整。
公休とはいえ、会社行事のうすめんどくさい幹事を担っているため、携帯に電話もかかってくる。

実母の老いを実感しながら、自らの身体のこともあらためて考えさせられた1日。

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総 会

私が所属する 東北マウンテンガイドネットワーク の総会に出席。

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予算案をみんなで検討中

「会則○○ ×条が・・・」
「いや、それは△△で・・・」

という議論になると、つくづく 俺 っ て 組 織 に 向 か な い 人間だわさ~と痛感。

明日は所用を控えているため、ポレポレファームでの美味しい夕食も宴会も辞し、自宅に戻る。

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山はまだまだ雪山です。
国道112号沿いもフキノトウがチラホラみえる。
国道法面に生えていた福寿草のつぼみがまだ固い、4月初旬の月山山麓でした。

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ハブの話

 守秘義務もあり詳細を述べる訳にはいかないのですが、業務のため2か月以上にわたり「やんばるの森」に通っていました。
 3月に入り気温も上がったからでしょうか、遭遇回数が頻繁になったのが「ハブ」。
 今回私は3回ほど遭遇することになりました。

 沖縄の山を登る方もおられるかと思いますので、ハブの話題を少し。

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2回目に遭遇したハブ(ヒメハブ)。
前を歩いていた仕事仲間O君が全くハブに気づかないまま頭を踏みつけてしまい、半分死んだ状態になっていたところに後ろから歩いてきた私が遭遇W

 業務上、血清までは持ち歩きませんでしたが、ハブ毒のポイズンリムーバーは携帯を義務付けられました。

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名護市のホームセンターで購入したポイズンリムーバー。これで4000円近くします。

内容は、
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毒の吸出し器、吸出し器口元のアタッチメント各種、毛深い人のための安全カミソリ、アルコール消毒ペーパー、虫刺され薬ペーパー、カットバンが入ってます。

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3回目に遭遇したハブ。大型で体長1m以上はありそう。

 季節が早かったせいでしょうか、攻撃的といわれる割には遭遇したハブはいずれも動きは鈍く、遭遇場所は沢筋で2回、3回目は乾燥した山頂部と環境もバラバラでした。

山と渓谷社刊『沖縄県の山』にも2ページを割いてハブを取り上げていますが、必要以上におそれず、ただし油断はしない (どこにでも生息すると思ったほうがいい) ことが肝要のようです。
 沖縄の山を登るには、とにかく肌を露出した服装は避けたほうがいいと思います。

 ハブに対して殺傷能力のあるスプレーも販売されています。(1本3000円くらい) 沖縄の山域に入る方で心配な方は購入をおすすめします。
 私が住んでいた名護市内ではホームセンターではみあたらず、JAの資材店で販売されていました。農業用品を扱う店で取り扱っているようです。

 これからの季節、やんばるの森に入られる方、どうぞご注意を。

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サヨナラ、オキナワ

3月×日

 一緒に仕事している女の子(沖縄県人)から、「お彼岸近いんで、現場気をつけてくださいね」とお達し。
 現場帰り、いつものスーパーに寄ってみると

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お彼岸の菓子コーナーが特設されている。
沖縄のスーパー、旧正月に十六日、お彼岸と、旧暦行事が途切れることがない。

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試しにお彼岸菓子として並んでいる「くんぺん」食べてみました。
味はひたすら「落花生」。

3月×日
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沖縄のおにぎりは四角い。
全国チェーンのコンビニでも、沖縄仕様の四角いおにぎりが売っている。
玉子やツナマヨに、そして欠かさずランチョンミートが挟んである。
現場帰り、小腹が空いたときはよく食べる。
あー太りそう。

3月×日
なんぶトリムマラソン走った。
那覇で「じゅり馬」見た。
明日は祝日休で体休めよう・・・と思ったら、元請担当者様から「明日、現場お願いできますか?」と緊急メール。
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今宵は沖ハムのレトルト「中身汁」で体力回復。
こちら沖縄では、豚ホルモンの汁を「中身汁」と呼ぶらしい。

3月×日
仕事のため糸満市へ。
本日の作業で、長かった沖縄業務も終わり。
名護市に戻った後、仕事用の資材やウイークリーマンションの生活用具等々、数多くの荷物の発送作業に追われる。

沖縄滞在最後の夜。
ウィークリーマンションの灌木に、名護青少年の家でもらったナゴランの苗木を着生させる。
山形に持っていっても、東北の自然環境には耐えられないだろう。
いつか花咲きますように。

3月×日
山形に移動する日。

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今まで通勤を見守ってくれた、ウィークリーマンション玄関のシーサーに挨拶して出発。
沖縄での生活は終わり、また山形での日々が始まる。

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じゅり馬祭り ~女たちが支えた琉球文化~

沖縄の旧暦に関する行事を見てみたい。

よそ者の立場で、ようやくその機会を得たのが沖縄県那覇市・辻で開催される「じゅり馬祭り」である。

旧暦の1月20日、二十日正月(ハチカソーグヮチ)という正月の祝い納めとして開催される「じゅり馬祭り」。

現在は各種風俗産業が立ち並ぶ那覇市・辻地区。
その昔1672年、琉球王府によって辻遊郭が公設され、そこで働く遊女たちは「じゅり」と呼ばれていた。

遊郭といっても、江戸の吉原のような性風俗の街並みではなく、今の「芸妓」に近い存在といえようか。
こうして辻地区では「女たちの、女たちによる女たちだけの暮らし」(じゅり馬祭り実行委理事長の言葉)が存在していた。

 親兄弟・家族から離れて暮らす彼女たちが、年に一度だけ、一人前になった自分の姿を披露できる機会、それが「じゅり馬祭り」といわれ、多くの見物人に混じって「じゅり」達の家族が見守っていたと言われている。

 しかし「じゅり馬祭り」は「公娼制度を容認するもの」という某女性団体の抗議により、1989年から2000年にかけて中断する。
 自治体からの支援も絶たれ、「那覇三大祭りの一つ」といわれながら、公的な観光サイトには紹介されず、祭りの開催団体も地元の料亭那覇という民間企業にゆだねられている。
 関係者の尽力により、ようやく復活したという経緯がある。

 私が一番見学したかった、「じゅり」たちの神事は旧暦1月20日、新暦の2月16日に行われ、こちらは残念ながら仕事で見学できなかった。
 奉納舞踊である「じゅり馬」を見学すべく、なんぶトリムマラソンを走り終えてから那覇市・辻に直行。

 あいにくの雨、会場である通りに足を運ぶと、関係者らしき方から、「じゅり馬見学の方ですか?今回は料亭の中で行いますので、料亭に入って下さい」と促される。

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那覇市・辻の料亭那覇。私のような平民はこんな機会でなければ行けないだろうなあ。

広い宴会室に、見学者でぎゅうぎゅう詰めになりながら、「じゅり馬祭り」は始まる。
とりあえず、クライマックスである「豊年じゅり馬」(一部)の動画がこちらです。↓


唄の内容は、「京の小太郎が作たんばい、やんざい行者馬舞者、みーはーはーとぅー、しーちょんちょん、しだりかチョンチョン、やーチョンチョン、ゆいゆいゆいゆい」

女性たちの声がそろい、馬を操る「ゆいゆい」という掛け声がとても印象的である。

じゅり馬に関しては、日大大学院芸術学研究科出身の浅香玲子氏が研究を進められ、『じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 -本土(やまと)の春駒から沖縄のじゅり馬へ-』という論文集を発表している。
この論文集において、本土出身の浅香氏が辻という特殊な人間関係の中に飛び込んでいく中で拒絶され苦労された事がわずかに触れられている。

 苦労を重ねて人間関係を構築し、女性にしかできない、女性達で支えられた琉球文化を研究し保存につなげていった浅香氏のような人物こそ、現代の冒険家・探検家と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

2017年 じゅり馬祭り 冒頭の浅香玲子氏挨拶

2017年じゅり馬祭りの開催内容

2017年3月19日(日) 14:00~16:00(予定)
料亭那覇 三階にて開催(雨天のため)
次第
 理事長開会宣言
 理事長挨拶
 浅香玲子先生挨拶
 奉納舞踊
  弥勒節/マラヨウ節、四ツ竹(扇寿会)、貫花(玉扇会)、日舞(黒田節・料亭那覇)、谷茶前/チンボーラー(扇寿会)、黒島口説(料亭那覇)、金細工(玉扇会)、花(J-POPS舞踊 料亭那覇)、日舞(演歌「北の三代目」 料亭那覇)、加那ヨー天川(扇寿会)、稲しり(玉扇会)、古武道シリーズ(薙刀、櫓、ヌンチャク、トンファー、サイ、空手をとりいれた舞踊 料亭那覇)、民謡ショー(料亭那覇)、玻座間ショー、群舞あしびなー(料亭那覇)、じゅり馬の由来(しまくぅとばによる歌 西浜陽子)、豊年じゅり馬からじゅり馬(全員)
 16:20終了、解散

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第29回なんぶトリムマラソン出場

沖縄出張で甘いモノと脂っこいモノ喰いすぎたため、腹ごなしに第29回なんぶトリムマラソン10kmコースに出場。

ランネットでエントリーする際、「自己申告タイム」を記入する欄があったので、「あ、これってスタートラインの目安にするやつだよね」くらいの考えでテキトーに遅めに申告してエントリーしたのだが・・・しばらくして要綱を読んで初めて「トリムマラソン」の特徴に気が付いた大馬鹿野郎な私です。

トリムマラソンとは、通常のマラソン大会と異なり、あらかじめ申告していたタイムと差の無い時間でゴールした者が優勝というマラソン大会。レース中、腕時計はもちろん、携帯の類、時間がわかるギアを身に着けていると反則となる。

まあいいや、私が好んで出場する東北の小さい大会には無いレース形式だし、なんといっても会場である

糸満の青い海!

糸満の青い空!

その下で走れるなんて!

そしてレース当日の現実↓

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雨でございました。

10kmにエントリーしたランナー約1200人、メインのハーフマラソンにエントリーしたランナー約2200人、計約3300人が一斉にスタートする。

スタート合図の花火とともに、雨が止んだ。
おおっ、と感動したのもつかの間、なかなか前の群衆が進まない。
あれ?
もしかして俺5kmのランナーに並んでる?
すっごい気になって歩道に飛び出し、前に走ってみると、単なる渋滞でした。
数千人が一斉スタートする大きな大会は違いますな。

灰色の空の下、自分でも気になる程のゆっくりペース。
幅広い片側2車線の国道を完全封鎖して、車道を走る。
はるか彼方に続くランナー達。

ジョギングペースでレースは続く。
灰色の海、灰色の空を眺めながら走り続ける。
沖縄のレースの特徴だろうか、公設の他、私設の給水所もいくつかみられる。

おおっ!
給水ボランティアでしょうか、地元・海邦銀行の女性行員のお姉さんがすっげえ綺麗
見とれていて水もらうの忘れました。(実話)

邪念が頭に渦巻いたせいか、レース後半は再び雨に降られる。
気温も高いせいか体が濡れるのはいいが、頭や顔面から流れる雨水が汗まじりで、目に入ってとてもしみる。
トリムマラソンなので、通常のマラソン大会にある「ゴールまであと○km」という表示が5km地点以外に無い。
自分が何kmまで来ているのか、ゴールまであと何kmなのか感覚が掴みにくいため、通常のマラソン大会とは異なる苦しさ。

おそらく最後だろう、ゴール手前の給水所でもらった水で顔を洗い、カップの半分は口にふくみ、最後のスパート。
前半のスローペースと普段の不摂生のため、こっぱずかしいタイムで完走。

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受付会場兼控え室である体育館のにぎわい

体育館で休憩とストレッチ、水分補給した後、糸満市のケーキ屋フォーリーフハウスに直行。
10km走った後は風呂よりメシよりまずケーキ!

本日は、
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1日100個限定の「ほぼ北海道シュークリーム」を購入。
生クリームと小麦、てんさい糖に北海道産原料を使っていて毎日完売・購入は一人10個までというシュークリーム。
クリームはコクのある甘さでなく、さっぱりした感じの甘さ。
(甘さ控えめって表現、最近嫌いなんだよね)

シュークリームで体力回復した後、次の目的地・那覇に向かいます。

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【訃報】 ロイヤル・ロビンス逝去

既に世界各国のクライミングサイトが報じていますが、ロイヤル・ロビンス氏が3月14日、亡くなりました。
死因は明らかにされていませんが、長い闘病の末の逝去との報道です。82歳でした。

Rock climbing pioneer, Modesto’s Royal Robbins, dies at 82 by The modesto Bee 2017.3.14

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若き日のロイヤル・ロビンス

クライマーの皆様には今さら経歴を紹介するまでもありませんが、1957年ハーフドーム北西壁初登、1961年 エルキャピタン・サラテ初登、1962年 センチネルロック北壁初登 等々、ヨセミテのクライミング黄金時代を築いた一人。

筆者はどちらかというとロイヤル・ロビンスと激しく対立していたウォーレン・ハーディングの著書に惹かれていましたが、邦題 『ロイヤル・ロビンスのクリーンクライミング入門』 に影響を受けた方も多いかと思います。ロイヤル・ロビンスが提唱した「クリーン・クライミング」の概念はクライミング史において大きな潮流を巻き起こしたといえるでしょう。
クライミングの偉大な先達の逝去に、哀悼の意を表します。

あの人は今 ロイヤル・ロビンス (当ブログ2008.05.26 73歳当時のインタビュー記事)

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