【訃報】リノ・ラチェデリ(Lino Lacedelli)氏逝去
K2の初登頂者、リノ・ラチェデリ氏が11月20日、12月4日の誕生日を目前に自宅で心臓病のため亡くなりました。
享年83歳。
K2初登頂時、頂上に立つラチェデリ氏
2004年、K2登頂50周年を記念してK2峰BCを再訪した晩年のラチェデリ氏
Cortina, addio a Lino Lacedelli by Montagna.tv 11/20
登山専門サイトMontagna.tvはじめ、イタリアメディアの多くが彼の訃報を報じています。
リノ・ラチェデリ氏はコルチナ・ダンペッツォ出身のクライマー。
ドロミテ・クライマーには、たとえばチェザレ・マエストリなら「ドロミテの蜘蛛」などのあだ名がつくわけですが、ラチェデリらのグループは「コルチナのリス」(可愛らしい・・・)というあだ名で呼ばれていました。
今ではヨーロッパの山岳ガイドといえば日本ではやたら神格化されていますが、第二次世界大戦前後、当時のイタリアでは山岳ガイドといえば「思慮のない若者のやること」「職業ではない」と考えられていた時代でした。
そのころ、少年時代から山小屋で山の老人-数少ない山岳ガイドたち-の話を聞き入っていた子供達は、後に優れたクライマー、山岳ガイドへと成長していきます。リノ・ラチェデリはその一人でした。
西部アルプスで知られた、作家としても知られた有名山岳ガイド(筆者注・原典でも名は伏せられている)がラチェデリとお近づきになるため、コルチナ・ダンペッツォを訪れた時のこと。
コルチナの山に残置ハーケンが多すぎると勘違いした有名山岳ガイドがそのことについて公の場で言及、聴衆が黙っていた中でラチェデリは一人立ち上がり、
「これは役に立ちませんよ、ほんとにハーケンがありすぎますよ」
と、ポケットから新しいハーケンの束を取り出して言った。
ラチェデリは誰にも言わず、その有名ガイドが登った岩場を速攻で登り、ガイドが打ち込んだハーケンを抜いて持ち帰ってきていたという。
コルチナ・ダンペッツォの誇り高きクライマーとしてのエピソードが伝えられています。
(参照文献:マリオ・ファンテン編 ヒマラヤ巨峰初登頂記)
そのリノ・ラチェデリ氏は晩年は心臓を病み、5月に亡くなったK2初登頂を共にしたアキレ・コンパニョーニ氏の葬儀にも参加できませんでした。
K2初登頂という偉業を成し遂げた氏のご冥福をお祈り致します。
参考記事 【訃報】アキレ・コンパニョーニ氏 逝去 by 当ブログ5/13
無粋な話ではありますが、エベレスト初登頂者のヒラリー、テンジンの両氏が亡くなった時には日本でもメディアが取り上げ、ニュースの話題になったものですが、K2の初登頂者の逝去はいずれもイタリア国内メディアで取り上げられる程度です。
世界最高峰エベレストと、K2峰との、暗くて深い溝を感じずにはいられません。
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ステフ・デイビス


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