
『Snow conditions bad stop advanced base abandoned yesterday stop awaiting improvement』(雪の状態悪く 昨日 前進ベースキャンプを放棄 回復待つのは止める)
1953年5月、エベレストがイギリス隊によって初登頂された日、The Times紙の特派員ジェームス・モリスが送ったエベレスト初登頂を知らせる通信文はこのような内容だった。まるで正反対の内容だが、いわゆる「暗号文」である。
本書『CORONATION EVEREST』は、エベレスト初登頂のスクープをイギリス本国に送るべく奮闘した新聞記者ジェームス・モリスの手記である。
ヘリコプターで次々と移動し、8000m峰14座スピード記録とやらがもてはやされる現代。1950年代、8000m峰初登頂時代の、しかも登頂したヒーローではなく、裏方で頑張った人の物語が読みたいなあ・・・と思って選んだのが本書。
1953年、著者ジェームス・モリスは登山経験もなく特派員として英国エベレスト登山隊に参加したが、特にインタビュー独占権など特権があるわけでもなかった。ガーディアン紙など同じイギリス他社の記者だけでなく、世界最高峰初登頂というスクープを狙い世界各地から新聞記者が集まり、初登頂の知らせを虎視眈々と狙っていた。
しかも今のように衛星電話やネットなどあるわけではない。近代的な通信手段である無線はナムチェバザールにある無線局経由でカトマンズへ、カトマンズ駐在のTimes記者からインドへ、インドからロンドンに伝えられるというシステムだった。
その間、エベレスト初登頂というスクープが外部に漏れる危険性は大いにある。
そこでジェームス・モリスは通信手段を考えた。伝書バト、通信文を瓶詰して激流の川に流す、果てはチベット仏教の僧侶にテレパシーで送ってもらう(当時は真剣に考えてたらしい)等々・・・
結局採用されたのは、エベレストベースキャンプからナムチェバザールまでメールランナーを走らせること。

1953年、登頂を果たした英国エベレスト登山隊(左から3人目がヒラリー、左から5人目がテンジン、右端が著者ジェームス・モリス)
さらに通信文は暗号で送ることになった。暗号として、次のように取り決められた。
意味・・・暗号
書き出し ・・・ 雪の状態悪し
エドモンド・ヒラリー ・・・ 前進ベースキャンプ放棄
ジョン・ハント(隊長) ・・・ 第五キャンプ放棄
ジョージ・ロウ ・・・ 第6キャンプ放棄
テンジン ・・・ 回復待つ
シェルパ ・・・ 酸素ボンベを待つ
これらを組み合わせて「エベレスト初登頂」を知らせた通信文が、本記事冒頭に記したモリスの通信文であった。
ジェームス・モリスは南京錠のかかるキャンバス製バッグに通信文を入れ、メールランナーにしつこいほど「途中で誰とも話しないこと、安全に、黙って行け」と繰り返し命じるところは、世紀のスクープをモノにした記者の緊張感が伝わる場面である。
登山活動中、隊長のジョン・ハントに「(女王の)戴冠式に間に合うかな」といわれる場面がある。
1953年のエリザベス女王戴冠式の日にエベレスト登頂のニュースがもたらされたというのはよく知られたエピソードである。
戴冠式の日に合わせるため、モリスが初登頂の情報を秘匿していたのではないかと後に疑惑がもたれるのだが、本書を読む限りでは、そんな余裕は全く無い。たしかに女王戴冠式を強く意識していたようだが、モリスは第2キャンプで初登頂を知り、その日のうちに僚友の協力を得て必死にベースキャンプまで下山、急ぎ通信文をまとめメールランナーに託したのだった。下山途中、知人のジャーナリストに出くわすが、英国隊の成功を誤魔化して別れる。嘘も方便、である。
さて、エリザベス女王戴冠式の日にエベレスト初登頂をイギリス本国に知らせた新聞記者の苦闘談、だけではない。
1950年代の古きネパール・カトマンズ、ヒマラヤ登山の様子もイキイキと描かれている。
後にインド隊が発見したと主張するヒマラヤ山中の湖について、「インド隊ではない、私とシェルパが見つけたのだ。エリザベス湖と命名した」と記す。未踏の地がゴロゴロしていた、なんとも素晴らしい描写ではないか。
ヒマラヤ登山が、エベレスト登山が男の夢だった時代のストーリー・・・といえば、今現在では「性差別」と言われるだろうか。
晩年のジャン(ジェームス)・モリス
著者のジェームス・モリスは後年、1964年に性転換手術を受け、名前もジャン・モリスとして女性として人生を生きる道を選んだ。
ジャーナリストとしての優れた記事の他、作家・文筆家として知られ、「戦艦大和」(未邦訳)を著し日本とも縁が深い。
1950年代、世界最高峰初登頂を人々に伝えるため苦心した人物の物語は、登山家のそれとは異なる視点で非常に興味深いものだった。
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