【役人メシ】山形市役所 食堂

1月24日、月曜。

平日休みをもらい、山形市役所へ。

昼、山形市役所食堂に突入。

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食券制ですが、右のカウンターで食券を見せると、食券をもって中の厨房に渡すよう指示されました。

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広く、テーブルも工夫して斜めにセットしてあり、ソーシャルディスタンスに配慮。

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本日のチョイスのは「生姜焼き定食」¥680。

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肉がでかい!スマホ大の肉が3枚添えられています。チェーン店定食屋の「生姜焼き定食」だと小間切れ肉だったりするのですが、山形市役所の生姜焼き定食の肉はでかかった。一緒に添えてあるリンゴ片が好感度UPです。

 新卒で今の会社に入社した頃は地質調査部門に在籍し、官公庁相手に仕事していた。山形市役所にも度々訪れていたのだが、コミュニケーション下手な私は緊張してしまうのだった。

 ある日、一緒に業務報告に行った上司のHさんと山形市役所食堂でラーメンを食べたが、緊張のあまりゲロ吐きそうな記憶しか残っていない。Hさんに「仕事で役所行くと緊張するんです」と正直に打ち明けたが、肝の据わったHさんは「そうかい、僕は全然緊張しないよ。」と慰めにならない言葉をかけてもらっただけだった。そのHさんも亡くなってこの世にはいない。

 帰りがけ、食券のカウンターを見ると「本日の特別メニュー トルコライス 日替わりランチ」とある。

 しまったー! トルコライス食ってみたかったー! 緊張していて見落としたー!

 プライベートで役所に来ても緊張する私、やはり人前に出るのは向いてないんだな。

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バス停で出会った2人

以前掲載した、ヤンヤ・ガンブレットの家族の報道でとりあげられていた、ティヤサ・スレメンシュクとの友情を、スロベニアの報道web・Siol NETが詳細に伝えています。

バス停で出会った2人が紡いだ友情物語です。

Zgodba o prijateljstvu z avtobusne postaje, kakršnega bi si vsi želeli by Siol.NET 2021.12.26

以下記事引用開始

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ヤンヤ・ガンブレットとティヤサ・スレメンシュク
誰もが羨む、バス停からの友情物語  執筆:Alenka Teran Košir

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22歳のクライマー、ヤンヤ・ガンブレットとティヤサ・スレメンシュクは、人生の半分以上を共に過ごした親友である。

 友の苦しみに同情することは誰にでもできるが、友の成功に共感できるのは偉大な人物だけだ、とアイルランドの劇作家オスカー・ワイルドは書いている。スポーツクライミングのオリンピックチャンピオン、ヤンヤ・ガンブレットと、同期で13年来の仲であるティヤサ・スレメンシュクには、きっと友情についての格言があるに違いない。小学3年生から始まった2人の友情は昨年、太陽と月をあしらった、お揃いのタトゥーで表現された。「私たちは、常に"ワンパッケージ"でやってきました」とヤンヤは冗談を言う。

 シュマルトノ出身とヴェレニエ出身の2人が出会ったのは2008年、ヤンヤ・ガンブレットがヴェレニエで華麗なクライミングの物語をスタートさせたときだった。彼女達は9歳だった。

「スロベニア・グラデツでコーチがいなくなったので、ヴェレニエでトレーニングをするようになったんです。東部地域のコンペで知り合った私たちの母親が、ティヤサがヴェレニエのバス停で私と合流して一緒にトレーニングに行くことを約束しました。それがきっかけでした」とヤンヤは振り返る。

「そうやって、毎日バス停で彼女を待っていたんです」と微笑むのは、スポーツクライミングのオリンピックチャンピオンの人生において、大きな支えとなっていたティヤサ・スレメンシュク。「そう、彼女は6年間もバス停で待っていてくれたんです」とヤンヤは冗談めかして言う。「運転免許試験に合格するまでは」と付け加える。

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二人の友情はヴェレニエのバスターミナルで始まった。写真:Grega Valančič

早めのバスで時間を稼ぐ

ティヤサは「私たちはすぐに意気投合しました」と言い、二人の友情は週ごとに深まっていった。

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2010年、イタリアのクライミング・キャンプでヤンヤとティヤサ。クライミング界のレジェンド、クリス・シャーマと一緒に写真に収まる。

 ヤンヤはヴェレニエに行き、現在スポーツクライミング・スロベニア代表チームのコーチ兼選考委員であるゴラズド・フレンに見守られながら、早くからトレーニングを積んだ。

「今でも覚えています。16時8分のバスには乗らず、15時33分にヴェレニエに向けて出発してました。そうすれば話をする時間も増えるし、時には遊びに行くこともありました。 時々、いえ、いつも、靴や上着や帽子を取り替えてました。」

「ヤンヤは私の靴を履き、私は彼女の靴を履くというように、時々靴を履き替えました。ウィンドブレーカーと帽子も入れ替えました(笑)」「なぜかわかりませんが、そうしてました」とヤンヤは明かす。「何をしたいかよくわからないけど、でも、やってたんです。」

二人の会話はクライミングの話だけでなく、さまざまなことに及んだ。

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「ティヤサは朝型人間で、私はそうじゃありません。それが私たちの唯一の違いです」とヤンヤは言う。

 性格もよく似ているという。「私たちの唯一の違いは、ティヤサは朝型人間で、私はそうじゃないことです」とヤンヤ。「他の点では、私たちはほとんど同じです。それ以外は、いつも一緒です。例えばサッカーのチームを選ぶときも、私たちは一緒に来ているので、離れることはできないと常に明言していました。」

トレーニングもいつも同じように熱心に取り組んだ。「ゴラズドがウォーミングアップのトレーニングを示したときは、誰が一番早くボルダーを登れるか、みんなで競い合ったんです。いつもどちらが先に登るかで議論していました」とティヤサは振り返り、ヤンヤは「東部地域のコンペで撮った、2人が一緒に表彰台に上がっている写真が家に何枚かあるんです」とすぐに付け加えた。

幼い頃から、他人から見れば信じられないような動きを披露していました

 ヤンヤがコンペで目立ち始めたのはいつ頃ですか?「でも、すでに東部地域のコンペでは、私たちから見るとちょっとおかしいと思うような動きをしていたんです。でも、キャンプでクライミングを始めたら、ヤンヤは難しいルートでもすぐに登ってしまうんです」ティヤサは、幼い頃から親友を見守り続けてきたことを振り返る。

学校でも二人は切っても切れない仲だった。ヴェレニエ・スクールセンター・スポーツ部門に通うようになってからは、ほぼ毎日一緒に過ごすようになった。「まず、午前中は学校で、午後はトレーニングで一緒になりました。確かに、お互いにイライラする日もありましたが、それは理解できます」とティヤサは言う。

ヤンヤ・ガンブレット:親友は一人しかいない

「私たちの関係は何年もかけて変化してきましたが、親友であることは変わりません。丸々1カ月間、話をしないこともありますが、連絡を取ると以前と同じようになります。話していても、何か大事なことがあるとすぐに電話する。まだ怒ってるんだけど、あれこれ言わないといけないから」と笑う彼女は、スロベニア・スポーツ・ジャーナリスト協会のメンバーから3度目となる「スロベニア・スポーツウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

「親友は何人いてもいいと言う人もいますが、私はそうは思いません。親友は一人しかいないと思う。何でも話せるもの」とヤンヤは言う。「そして、必要なときには夜中の3時に電話すればいいのです」と、ティヤサは付け加えます。

互いを気に掛ける

また、試合前にはお互いの意見を聞き合います。「"他の人 "ではなく、私にとって一番大切なのはティヤサの意見を聴くことです。私が万が一、自分自身を疑ってしまったときに、彼女が何か言ってくれるのをわかっているからです。」

クライミング競技の観戦は、二人にとって特別な時間だ。「ティヤサが出場するときは、いつもとても緊張するんです。見ていて本当に辛いというか、全く見ていられない。緊張しすぎです。」

「同じです」とティヤサは言う。「オリンピックは家で見るしかない、どこにも行きたくないと思っていたのですが、Bolder Stageでパブリック・ビューイングで観戦していました。少しも疑ってはいませんでしたが、やはり家で観戦したかったです。ヤンヤがスピードで滑ってしまったこと、その後、ありがたいことにすべてがうまくいったことを今でも覚えています。」

普段、お互いの関係の主導権を握っているのはどちらでしょうか? 「それが何かによるます」とティヤサは答えた。

「ティヤサはどちらかというとクリエイティブなタイプなんです。彼女は素晴らしいアイデアを持っていて、自分を整理する術も、イニシアチブをとる術も心得ています。学校の授業で、プラ板でアニメを作ることになったのを覚えています。フィギュアを作って、それを動かしながら塗装して、それを映像にするというものでした。まあ、ティヤサは本当によくやってくれましたよ。」

「彼女は虫とリンゴを作り、虫がリンゴを食べるという物語を作りました。そんなこと、覚えてもいないし、思い出せるわけがない。まあ、最後にハイタッチしてもらったんですけどね、大して役に立ってないのに」とヤンヤは笑う。

一方が何かを必要とするとき、もう一方がすぐに助けに来る

 そしてティヤサは親友のことをどう思っているのでしょうか?「ヤンヤはとても粘り強い性格で、完璧主義者なんです。ミスがあると、彼女の気が散ってしまう。学校でもそうでしたね。ノートに間違ったことを書くと、そのページを丸ごと破ってしまう。家でも、すべてのものがいつも定位置にある。私が好きなのは、彼女は自分のしていることにとても集中することです。その瞬間は、世界中の何ものも彼女を邪魔することはできないでしょう。そして彼女は、たとえ100件の用事を抱えていても、いつでも助けてくれる。」

「その点では、私たちは同じですね」と、ヤンヤが口を挟む。「片方が「欲しい」と言えば、もう片方もすぐに飛びつく。最後にお願いしたことは何でしたっけ?ファクスの充電コードを持っていったこと? ええ、とにかく、彼女を助けるためなら全てを投げ出します。ティヤサも同じです。」

「そういえば、ヴェレニエまでの交通手段がないときに、ヤンヤがスロヴェニ・グラデツからリュブリャナまで車で送ってくれたことがありました。リュブリャナではどんな約束をしているのかと聞くと、何もない、リュブリャナに来たばかりだという。スロヴェニ・グラデツからリュブリャナですよ! (訳者注 スロヴェニ・グラデツからリュブリャナまで、最短でも約100kmの道のりである) クレイジー!」ティヤサは今でも驚いています。「友達ってそういうものでしょ」とヤンヤは言う。

昨年の夏、二人の友情は特別な形で結ばれた。お揃いのタトゥーで。

「昨年、ティヤサがタトゥーを入れるというアイデアを思いつきました。モチーフのアイデアも提案してくれて、すぐに気に入りました。」

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「私たちがお互いを補うように、お互い支えあうものをと考えたのです。太陽と月を選びました」とティヤサは説明する。

片方には月が、もう片方には太陽が描かれています。

 面白いことに、彼女たちの母親も、彼女たちを自分の子供として受け入れていた。「ティヤサのお母さんロマーナにランチに誘われたけど、ティヤサは留守でした。面白いでしょう?」

「ヤンヤの家にいると、いつも落ち着くんです」とティヤサは言う。「ヤンヤのお母さんと私は海辺に遊びに行ったりしてました」

彼らはそのような友情の価値に気づいているのだろうか?

「そう、「プライスレス」なんです。また、お互いを大切に思っているところがいいです。ヤンヤが悲しいと私も機嫌が悪くなるし、その逆もあります」とティヤサは言う。

「彼女は私が何か言う前に、すでに私の機嫌が悪いことが分かるんです。学校でティヤサが「ねえ、どうして・・」と聞くので、「ああ、NLPリーグ(訳者注 スロベニアのクライミングコンペ)がなぜ土曜日にあるのかわかんないわよ」と言うと、ティヤサは「どうして私がそう言うとわかったの?」と言ったのを覚えています。

「そうですね、私たちはよくお互いに言葉を言いかけて、それで彼女が私の心を読んでいるように感じることがよくあります」とティヤサは言う。「"おかしい "と思われるかもしれませんが、本当です。私が話し始めかけた言葉を彼女が続けたとき、文字通り衝撃を受けた瞬間が何度もありました。」

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2人はまだまだ現役の競技クライマー、ティヤサ・スレメンシュクもスロベニア代表のクライマーです。支えあう2人のクライマーは、将来のパリ五輪をはじめ、これからどんなパフォーマンスをみせてくれるのでしょうか。

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Annette McGivney著『Pure Land』

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2006年5月、グランドキャニオン国立公園で日本人女性の他殺体が発見された。

被害者は花牟礼智美(はなむれ ともみ)さん、当時34歳。首と頭部を刃物で29箇所刺されるという残忍な手口で、数十年にわたりロサンゼルスで傷害・殺人事件に関わる捜査関係者も衝撃を受けるほどの、凄惨な遺体だったという。

犯人はネイティブアメリカン・ハバスパイ族の若者、ランディ・ワスコゲム(Randy Wescogame)、18歳。薬物中毒者で家庭内暴力を受けて育った過去を持つ。

本書『Pure Land』は、被害者、加害者の辿ってきた人生、自身が家庭内暴力を受けて育った経験を持つ著者の人生を絡めたルポルタージュである。

本書タイトルのPure Land は、仏教用語の「浄土」を意味する英語。

著者アネット・マクギブニーは花牟礼さんが英語で遺した日記を通じ、彼女の足跡を辿る。

被害者の花牟礼さんは、旅を通じてネイティブアメリカンの文化に魅せられ、彼らの伝統的な住居に住み込み、伝統工芸のバスケット製作を学んでいく。30歳を過ぎて結婚せず、旅に出かけられるように「身軽な」派遣社員として旅行資金を稼ぐ生活。アネット・マクギブニーは日本での取材を通じて、日本社会における女性の待遇も理解し、花牟礼さんの自由な生き方を記録する。

事件後、著者は花牟礼さんの故郷・鹿児島を取材で訪れる。ご家族や関係者の方々に歓待され、九州の豊かな大自然を巡り、批判でも疑問でもなく「彼女は故郷の山々を歩くことなく、アメリカの大自然に魅かれていた」と書いている。おそらく彼女にとっては、アメリカの雄大な景色が全てであり、日本社会の息苦しさを振り向くことは無かったのではないだろうか。

一方、本書は加害者であるランディ・ワスコゲムのたどってきた人生を記録すると同時に、ネイティブアメリカンが歩んだ抑圧された歴史にも踏み込む。それまでの大自然での生活から、ある日突然、保留地という名の狭い土地に押し込められた人々。グランドキャニオン「国立公園」でさえも、実はネイティブアメリカンの血と汗で築き上げられた「公園」であることが明らかにされる。

被害者と加害者、2人の人生が少しずつ近寄っていき、「殺人現場」で2人がクロスする瞬間。読んでいて胸が苦しくなる思いである。

事件後はFBIが捜査に介入、犯罪率の高い保留地(それはアメリカの社会問題でもある)で前科のある者をマークしていき、ランディ・ワスコゲムをマーク。心理カウンセラーの支援を受け、徐々に自白へ追い込む。

本書で強烈に印象に残ったのは、著者と捜査関係者らが一旦仕事を離れ、酒席でビールを傾けながら交わされた会話である。この殺人事件においては、動機が明瞭ではなかった。なぜランディは29箇所も刺すという残忍な犯行に及んだのか。フランクな酒席の中で、著者はそこにこだわり、犯人逮捕に活躍したFBIのリントナー捜査官に質問を重ねる。加害者と被害者は面識も無い。怨恨も無い。動機は何なのか、と。

 リントナー捜査官はビールを飲み終え、シンプルに答える。ランディはソシオパス(社会病質者)、それだけのことだ、と。

花牟礼智美の人生を追跡し、加害者ランディ・ワスコゲムの足跡を追い、著者自身の体験を本書で明らかにすることが、著者にとってある種の救済ではなかったのだろうか。著者アネット・マクギブニーは現在、家庭内暴力を受けた子供達をアウトドア活動を通じて支援していく活動を展開している。

 アネット・マクギブニーは本事件についてBackPacker Magazineに記事を書いた後、深い関心を抱き取材を進め、本書を書き上げた。私自身は、本書に出てくる鹿児島県出水市で数か月住み込みで働いた経験があること、花牟礼さんがアメリカで輝いていた2000年代初めにわずかな時間ではあるが、本書の舞台となったラピッドシティーを本拠地にサウスダコタ州を巡った経験があることから、共感とともに本書を読み進めた。

 Pureland(浄土)。美しい言葉であるが、花牟礼さんにとって、犯人のランディにとって、そして著者アネットにとって浄土は何だったのだろう。本書を読んだ私には、被害者家族の悲しみ、加害者を取り巻くネイティブアメリカンの閉塞感と歴史への憤りという人間の「業」を感じざるを得ない。

 本書を読み進めていた年末年始、建設会社のドタバタに加え、世間では大阪の病院放火事件、東大での受験生傷害事件など、無差別に被害者を狙った犯罪が話題になっていた。これらの犯罪は、背景にある社会が問題なのか? 加害者個人の問題・資質なのか?

 ランディ・ワスコゲムの犯した凶悪犯罪は、ネイティブアメリカンが辿った不幸な歴史・社会背景に責任を負わせて然るべきものなのか?

 本書は私にとって、解答の無い疑問を投げかける一冊となった。

著者アネット・マクギブニーの個人サイト

アネット・マクギブニーが主催する家庭内暴力被害者支援団体のサイト

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スノーシュー物語

登山用品店やオシャレなロッジの壁で、たまに見かける木製のスノーシュー。

もう過去の遺物かと思いきや、当のアメリカではまだまだ現役で作られ、使い続けられています。

ジュラルミンと樹脂で作られた現代のスノーシュー全盛の今、まだ作り続けられている理由が、この報道で明らかにされています。

Why you may want to ditch your fancy snowshoes for wooden ones by FOX23 2022.1.3

以下記事引用開始

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木製スノーシューを選ぶ理由

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手作りの木製スノーシューで雪上を歩くフォートケント市のブライアン・テリオー(右)と父親のエドモンド・テリオー (Credit: Courtesy of Brian Theriault)

 木製スノーシューは北東部を象徴する骨董品で、暖炉の上に飾られ、伝統的な職人技、この地域の長く雪深い冬への思いを表現している。
 しかしメイン州の多くの住民にとっては、曲がった木のフレーム、編み込まれた生皮のデッキは、単なる過去の遺物ではない。

 州内の数少ない企業によって作られた木製のスノーシューは、さまざまなアウトドア愛好家に使われ続けている。プラスチックや金属製の近代的なスノーシューよりも、昔ながらのデザインと天然素材のスノーシューが好まれるのだ。

 フォートケント市のブライアン・テリオーは、約40年前に父親エドモンド・テリオーとともに木製スノーシューの製造・販売を始めた。「私たちの伝統的なスノーシューは、深雪のために作られています」「人々は品質の良さ、違いを知っています。」「私たちのスノーシューがあれば、森の中のどこにでも行くことができます。雪の上を歩くことができるのです。」

 Theriault Snowshoesは、メイン州でも有名な木製スノーシューメーカーの一つだ。伝統を守るために活動する企業はいくつもある。プレザント・リッジ・プランテーションで営業するメイン・ガイド・スノーシューは、伝統的なデザインと素材を使ったスノーシューを製造している。また生皮の手入れが面倒な人向けに、耐久性のあるコードデッキを使用した木製スノーシューも人気シリーズである。

 メイン州で最も有名なアウトドア用品メーカーL.L.Bean社は、「100年前にメイン州の森の人々が、厳しい冬の環境の中で罠の手入れや他の仕事をするときに履いたものとほぼ同じ」デザインの木製と生皮製のスノーシューズを販売している。

スノーシュー概略史

 スノーシューは、何らかの形で数千年前から存在していた。研究者たちは放射性炭素年代測定法を用い、イタリア・アルプスで発見されたスノーシューの遺物が紀元前約3,800年までさかのぼることを突き止めた。

 北米では、伝統的なスノーシューのデザインは、その地域の先住民族が冬の狩猟や採集のために自然素材を使ったスノーシューを作っていたことにまで遡ることができる。このスノーシューのデザインは地域によって大きく異なる。

 メイン州の先住民が作ったスノーシューは、長さが幅の約3倍もあり、他の北極圏周辺のスノーシューのスタイルと異なり、メイン州のスノーシューのつま先は上を向いていない。また、メイン州の先住民が作った900以上の生活用具を収蔵するメイン大学ハドソン博物館によれば、左右一対のものもなかったという。

 1600年代にヨーロッパ人がこの地を植民地化し、交易を始めると、メイン・インディアン部族が作ったスノーシューは、その高品質と耐久性が評価され、すぐに注目の商品となった。

 ハドソン博物館によれば、1850年代から1940年代にかけ、メイン州は北東部のスノーシュー生産の中心地であった。この間、スノーシューはメイン州のインディアンや、ネイティブアメリカンの伝統的なデザインや製造技術を取り入れた入植者たちによって作られた。

 ブライアン・テリオーは、「かつてメイン州には、信じられないほど多くのスノーシューメーカーがありました」と語る。「しかし木製や生皮製のスノーシューの品質が悪くなり、他のものに取って代わられるようになったのだと思います。」

現在では、ほとんどの人が、Tubbs、Atlas、MSR、Chinookなど、大手アウトドアブランドから販売されているプラスチックやアルミニウムでできたスノーシューを購入している。しかしメイン州や、ミシガン州などの特に雪が多い地域では、「新しい」ことが必ずしも良いとは限らない、と考える数人の職人のおかげで、伝統的な木製のスノーシューが生き続けている。

木製のスノーシューは静かだ

 ボブ・ハウは20年ほど前、25年間勤めた製紙工場の閉鎖に伴い、メインガイドスノーシューを買収した。同じ頃、ビンガム近くのパイングローブロッジ&キャビンも購入し、さらにこの州のアウトドアの伝統を継承することに力を注いでいる。

ハウは、自分の家族がメインガイド・スノーシューを所有する4代目だと考えている。地元住民によると、メインガイド・スノーシューは1950年代から始まり、同じくビンガムとフォークの地域に住む熱心なアウトドアマン、ウォルター・ヨークが始めたものだという。

彼は、スノーシューのフレームは金属製より木製が優れていると確信している。

「アルミニウムのスノーシューは、カチャカチャと大きな音がします。木製のスノーシューは静かなんです。狩猟家や写真家が森の中を歩くなら、静かなほうがいいんです。」

 最近のスノーシューのもう一つの欠点は、固いデッキで、雪が上に乗ってしまい、スノーシューが浮くどころか、重くなることだとハウは言う。また、ソリッドデッキは歩くたびに背中に雪を跳ね上げてしまう。一方、伝統的なスノーシューのデッキはレース状になっており、生皮が網目状になっているため、雪が簡単に通り抜けることができる。

ハウは生皮のウェビングを使ったスノーシューを制作しているが、より安価で耐久性があり、メンテナンスの必要がないロープウェビングを使ったスノーシューも制作している。

「私たちが作るスノーシューは、少なくとも3世代は使えるものです。孫の代まで履ける。家宝になる品質ですよ」。

それでも、伝統的な生皮を用いた製品を好む人もいる。

「伝統的なものを好む人もいますよ。1組はブリティッシュコロンビアに、2組はミシガンに送りました。」

現在、ハウのビジネスでは、年間800から1,000組のスノーシューを販売している。スノーシューの多くを自分で作る一方、地元住民や、チャールストンの矯正施設の服役囚、オーガスタのトーガスVAメディカルセンターの退役軍人も多く雇用している。またスノーシューのパーツも人気商品で、登り坂を歩くためのクリートシステムも販売している。

州内の狩猟監視員や野生生物学者は、メインガイドスノーシューを履いているという。顧客には、林業従事者、測量士、野生動物写真家、ハンターもいる。冬の間は毎週日曜日にパイングローブロッジ&キャビンを訪れ、無料でスノーシューを試せるように営業している。

消えていくのを見たくない

11人兄弟の3番目に生まれたブライアン・テリオーは、父のエドモンド・テリオーが、雪の多い北メイン州の長い冬に外で遊べるようにと、家族用にスノーシューを作り始めたという。ネイティブアメリカンの祖先のデザインを研究し、最初から最後までスノーシューを作り続けた。具体的には、道具の製作、アッシュ材の採取と曲げ加工、牛皮の削り出しによる生皮の編み込み、特殊な方法でデッキの編み込みなどを行った。

「私の曾祖母は居留地の出身です。そして、いつも三方編みでした。100年前も、もっと昔も、そうでした。それが、すべてを一つにまとめています」。

テリオー親子は早い段階で、人々はより複雑な編み方を好むが、実はスノーシューはあまり複雑に編まれていない生皮のほうがより機能的であることに気づいた。

「穴がもう少し大きければ、雪が溜まることが無い。雪は通り抜けてしまうのです。そうすれば、足を上げるときに雪をずっと抱えている必要はなくなるのです」と、ブライアン・テリオーは語る。

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自社製品とブライアン・テリオー

ブライアン・テリオーは何年もかけて、父親からこの技術を学んだ。二人はデザイン、製造方法、材料を試し、工程と製品を改善し、Theriaultのスノーシューはメイン州だけでなく世界中から求められるようになった。

「私たちは、人々の体重やフレーム、皮革の品質に合わせて進化してきました」「今では、2トンのジャッキで皮革を伸ばしています。歩いたときの反発力が違いますし、雪も滑り落ちますから」「以前より大きなブーツや足を使うようになったので、クロスピース (訳者注 : スノーシューのブーツと本体を繋ぐヒンジ部分) をより遠くに移動しました」「過去のスノーシューは進化していなかったので、人々はクロスピースを踏みつけて壊していたのです」。

セリオ―によれば、従来の皮革を用いたスノーシューは、時折メンテナンスを行い、適切に保管する必要があるという。様々な動物が皮を食べるので、スノーシューはネズミなどの害獣や犬などのペットがいない場所に保管する必要がある。それができない場合は、動物が近づけないように紐でスノーシューを吊るしておくことを勧めている。さらに従来のスノーシューは、湿気や乾燥、高温になりすぎない場所に保管する必要がある。

「薪ストーブのそばに出しっ放しはダメですよ。熱を帯びると皮が破れてしまいます。」

そして、年に1、2回、軽くやすりをかけて、木と皮革をポリウレタンでコーティングすると、スノーシューの寿命が延びる。また、自然のものにこだわる人は、スノーシューを桐油、亜麻仁油、キャンデリラワックスで処理した方が良い。

 伝統を守るため、親子は2014年に「Leaving Tracks」という本を共著で出版し、伝統的なスノーシューの作り方を幅広く紹介している。彼らの作品はメイン州芸術委員会から表彰されており、ブライアン・テリオーは現在、ワークショップや自身の執筆、教則DVDなどを通じて、できるだけ多くの人に自分の技術を教えることに注力している。

「牛革を削るのは誰でもいいというわけではありません」「でも、せっかく作ったものだから、このまま消えてしまうのはもったいない。」「父と一緒に仕事をしていた頃は、何もありませんでした」「発明して、創造して、常識にとらわれず考えて試行錯誤を繰り返してきました。だから私と父にとって貴重なものなのです。私たち家族の一部なのです。このまま消えていくのを見たくないんです。スノーシューを作りたい人がいれば、その人たちに教えてあげられるよう、努力しています」。

 彼の努力は、決して無駄にはならないだろう。伝統的な木製のスノーシューは何千年も前から重宝され、この先もそうなるだろう。

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以上引用おわり

ブライアン・テリオー氏の会社 Theriault Snowshoes のサイトは こちら 。

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【スタミナ】田楽茶屋【冷奴】

あまりにも反省の多い岩手山山行。

今日は盛岡のお菓子屋もパン屋もよらずに山形帰ろう・・・と国道を走っていると、電光掲示板で

『スタミナ冷奴』という文字が目に入る。

冷奴でスタミナ!?

どういう料理なんだ?

あまりにも気になって仕方がない、滝沢インターの料金所手前でグイッとUターン、先ほどの店に直行。

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やってきました、田楽茶屋

中に入ると豆腐屋さんかと思いきや、店舗の奥が食堂になっています。

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『スタミナ冷奴定食』がすんげー気になっていたんですが、結局注文したのは『生ゆば刺し定食』¥980。

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生湯葉をとろっとしたオリジナルのショウガ入りタレで食します。

行動食のエナジーゼリー、菓子パンに口飽きしたところにさっぱりした湯葉、豆腐料理は激ウマでした。

味噌汁は厚揚げたっぷり、小皿はおからのマヨネーズ和えです。小鉢のなまりと大根煮は冷え冷えだったのが減点対象ですw

結構な人気店で、食堂だけでなく豆腐・揚げ物・総菜を買い求めるお客様も結構来店していました。

植物性蛋白質を補給して、明日からの会社業務に備えます。(一応)

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岩手山、冬

夜行日帰りで岩手山へ。

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夜明け前から行動開始。

日の出と共に、樹林体の木々が輝きだす。

低温のため、空は快晴にも関わらず、六角形をした雪の結晶がクルクル回りながら落ちてくるのが、歩いていても見える。

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何度訪れても、また来てみたいと思わせる。

岩手山は不思議な山だ。

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スキー合宿

世間では三連休らしい。

休みは高校山岳部のスキー合宿のため、息子の運転手として蔵王温泉に送迎。

私が現役の頃は冬山ヤッケ姿でガンガン滑りまくっていたのだが、息子に渡された要項には服装に関する連絡が無い。

スキーウェアが必要なのか?

普段雪山で着用しているモンベルのアウターでいいのか?(いや、それじゃスキー靴履いた時に裾どうすんの?)

服装の連絡が無いこと、息子が全く先輩にも仲間にも問い合わせ・確認していないことに私がブチ切れ「部の仲間だろうが!確認とってみろ!」

しかし私の怒りも不完全燃焼に終わり、息子はスキーウェアで蔵王温泉に乗り込み。

息子を蔵王温泉に放りだしてから西蔵王高原を一人ドライブ。

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西蔵王高原特産の「凍み大根」作りが真っ盛り。

翌日、スキー合宿を終えた息子を迎えに行く。

某スキーハウスの玄関を開け、「ごめんくださーい」と言うが、御主人と思しき年配の男性は知人と談笑中、反応なし。

さらに中に歩みを進めて「ごめんくださーい、魁男塾山形分校 山岳部の保護者ですが、まだ生徒帰ってきてないですか?」

そこでようやく「ああ、まだ帰ってきてないよ」と答えが返ってくる。

訪問客に対して「いらっしゃいませ」も「こんにちわ」も無い、接客態度。

蔵王温泉の殿様商売は21世紀も健在也。(若い方たちはいろいろ頑張っているのに)

静かな唐松駐車場で車中の読書で時間を潰し、息子をピックアップ。

蔵王のお土産は、やっぱり

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「稲花餅の里」一択です。

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2022年始動

1月4日、会社の仕事始め。

会社を退出し、山形市内の某公設室内プールに直行、ひと泳ぎ。

室内プールも4日の今日が最初の営業日。

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山形は雪国なので、冬季はジョガーにとっては道路事情が最悪である。

そこで目を付けたのが、公設の室内プール。

ガイドとしての体力作りというよりは、「健康維持」が目的である。

私が立正大学体育会山岳部の大先輩から戴いた教えの一つが、『登山は生涯楽しめるスポーツ』

しかし現実には、山岳部の先輩方は膝、腰、足を痛めている方も多いし、非常に山好きなお客様も、ガイド仲間も、足腰を酷使するため故障を抱えている方は多い。

『登山は生涯楽しめるスポーツ』を体現するために、まずは自分から足腰をいたわり長く登山を続けられるようにする。そう考えた私は、関節などに負担の少ない水中運動、水泳を取り入れることにした。

もともと20~30代にトライアスロンやアクアスロンのトレーニングとして室内プールに通っていたので、今はその延長上にある。ただし出張の多いさすらいの現場作業員、時折通う程度だが、今年は「健康維持」に力を入れてみたい。

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ヒマラヤ小鉢

1月2日、カミさん実家にて正月の挨拶。

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 私の母はもう作らなくなってしまったが、義母はまだ達者なので料理も現役バリバリ。山形の郷土料理「ひょう干し」。雑草といわれるスベリヒユを干して煮付けた料理である。個人的に、スベリヒユの料理は味からしてこれが一番だと思う。

 義母から「大事にとってあるよ」と見せてもらったのが、

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義母いわく「ヒマラヤの小鉢」。

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小鉢の底には、私がチョモランマ北稜のイエローバンドで採取した砂質石灰岩が埋め込まれている。

 

カミさんと結婚した時、出席者に渡す引き出物として、「ヒマラヤの石で作った小鉢」を思いついた。

もともとは、故・植村直己氏が五大陸最高峰の山頂の石を砕いて「ぐい呑み」を作り、お世話になった方に配った、というエピソードからヒントを得たものだ。

イエローバンドの石灰岩を携えて製作をお願いしたのは、地元・山形市平清水地区の 七右エ門窯

御主人に「石を砕いて混ぜた粘土で小鉢を作ってほしいんですが」とお願いしたところ、「それじゃ、せっかくの石が入っているかわかんないでしょ、埋め込む形にしたら?」と逆提案を受けた。

そこで石を埋め込む形で話が進みかけたのだが、

「石、何個か分けてくれる?試験焼きしたいんだけど。」

「試験焼き、ですか?」

「その石が焼き窯の高熱に耐えられるか、実際に焼いてみないとわかんないのよ。熱で溶ける場合もあるのよ。」

早速に試験焼きを依頼。ドキドキする日数を過ごし、イエローバンドの石灰岩は七右エ門窯の高熱に耐えてくれた。御主人から「石、大丈夫だったよ」とOKが出てから、製作を依頼。

小鉢のうわぐすりは何色か選べたのだが、即答で群青色を指定した。標高8000mで見た、思わずサングラスを外して肉眼で見た濃い青空をイメージしてお願いしたのでした。

 

小鉢を作ったのは覚えているけど、現物はしまい込んで忘れてました。

正月、義母のおかげで久しぶりに現物を手にする。

「高所遠足」大いに結構。遠足には思い出が必要です。

今はサミットプッシュの日に何百人もの登山者がエベレスト/チョモランマ山頂に集中する時代。倫理観に鋭い方からは石を持ち帰ってくるなんて、と怒られそうだ。 1シーズン、1ルートに登山隊は1隊、なんてネパール政府のレギュレーションがあった時代は、もう昔話である。

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尾花沢雅楽 【山形県尾花沢市 諏訪神社】

12月31日、年越し蕎麦を食ってから警報級の大雪の中、尾花沢市に移動。

尾花沢市 諏訪神社で行われる尾花沢雅楽の演奏を見学・撮影。

午後11時15分、宮司さんの許可をいただき、社殿の中に入る。

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社殿の中で演奏者の皆さんが衣装の着付け、楽器の調整を行っていた。

「これ、こう着るんだっけ?」という声も聞こえる中、衣装をまとい、皆さん席に着く。

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今夜は気温マイナス7度、猛吹雪。登山用ではなく会社で支給されている極寒地用の分厚いジャケット、ズボンを用意してきたものの、社殿の中はストーブも完備されているのでユニクロダウン姿で来てみたが、演奏直前には社殿のガラス戸が全て外される。

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 令和4年1月1日0時、演奏開始。初めに『君が代』、それから『越天楽』。背後が賑やかになったと思って後ろを振り向いたら、それまで人の気配もない社殿前には参拝者が続々と詰掛けている。

 お賽銭の音が続き、破魔矢や奉納品を納める人が続々と現れ、宮司さんも巫女さんや奥様を相手に「破魔矢はそこにしまってある」「こちらの相手をお願い」と大忙しとなる。

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雅楽の演奏を挟んで巫女舞が行われる。巫女舞は3度、奉納された。

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演奏が終わり、0時37分、演奏者の皆様が社殿に並び、神事が行われる。

玉串奉納の後、演奏者の皆さんはその場で私服に着替えて行事終了となる。演奏者の皆さんは社殿で巫女さんから御神酒と御護符をいただき、解散。

 演奏者の方から、「見学してどうでしたか」と話しかけていただいた。私から色々質問させていただいたが、演奏の皆さんは全員尾花沢市在住の地元の方。

 尾花沢雅楽は尾花沢雅楽保存会「尾花楽人会」によって継続されている。

 尾花沢雅楽の起源は古文書によれば1791年、京都東本願寺の宗徒だった方が京都で聴いた雅楽を尾花沢でも演奏しようとしたのが始まりとされ、一時期途絶の危機に瀕したが、昭和30年代に地元関係者皆様の多大な尽力により、楽譜、楽器の調達から復活した芸能である。

 江戸時代以前は中央政権と「蝦夷」に代表される反政権勢力との境界であった山形も、江戸時代後期には都(みやこ)の文化が伝わり、21世紀の今に残っているのだ。その文化をもたらした伝搬ルートである最上川や各街道の存在意義を、あらためて思い知る。 

 宮司さんからもわざわざ山形市から来たということでお声をかけていただき、御護符を頂戴する。演奏の運営と大勢の参拝客の相手と大変慌ただしい中、お邪魔したことに私も申し訳なく、これもご縁と思い、小さい破魔矢を宮司さんから求め、挨拶して退出。

 やはり整った「民俗芸能大会」よりも、こうした地元行事の方が関係者の皆様と触れ合える機会があり、勉強になる。

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低温、吹雪の中、午前1時を過ぎているけど、雪深い諏訪神社に、参拝客が続々訪れる。

尾花沢市を離れ、猛吹雪で視界の効かない国道13号線を走る。元日、いつもなら大型トラックが走っている時間帯だが、国道を走るのは国交省の大型除雪グレーダーだけだった。

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諏訪神社の宮司さんから頂戴した御護符。紅白の落雁でした。

家族、仕事仲間、ガイド仲間、山仲間、そして当ブログご覧の皆様にとって、良い年でありますように。

記録した動画はこちらです。

尾花沢市 諏訪神社 平成4年1月1日 歳旦祭 タイムライン
12月31日23時~演奏者、社殿中で着替・楽器準備
 23時50分 音合わせ
 23時59分 宮司より「1分前」の合図
1月1日0時0分 『君が代』演奏
 0時3分 『越天楽』演奏
 0時10分 巫女舞 1回目
      雅楽演奏
 0時18分 巫女舞 2回目
 0時30分 巫女舞 3回目
 0時37分 演奏者神事
 0時42分 宮司挨拶
 0時46分 行事終了

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謹賀新年 2022年

Tibi

明けましておめでとうございます。

コロナ禍はまだまだ続きますが、今年も皆様にとって安全に自然を楽しめる年でありますように。

 

 当ブログは基本おちゃらけ路線の、山岳部OBに酒席で語るようなネタ満載のブログです。今年も相変わらず書き綴っていきます。

 昨年最後の記事はポップなボビー・マクファーリンの楽曲を紹介しましたが、普段はトランスやエピックというジャンルの曲を通勤で聴います。

 今年最初の曲は、エピックミュージックの雄、Two Steps From Hell の『Growing Old Together』を掲載して2022年最初の記事とします。

 みんな、一緒に新たな年を迎え、1年1年着実に過ごしていきましょう。

 

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さよなら2021年

マスゴミが「アスリートの皆さんに元気と感動をもらいました」と感動の押し売りをしている最中、私は現場作業に専念していた。

今年は息子と娘の進学、そしてカミさんの入院・退院と、コロナ以前に自分の家族をふりかえる、よい機会でした。

ある作業現場に向かう途中、ラジオから流れた曲に、背中を押されました。

もらいものの「元気」と「感動」より、背中を押してくれる楽曲の方が正直ありがたい。

私の背中を押してくれた曲を以下に紹介して、今年最後のブログ記事にします。

継続して当ブログを閲覧してくださった方、たまたま検索で訪れた方、クレームつける気満々でご覧になった方も皆さん良い年末年始をお迎えください。

 

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【Bonatti】みんな誤解してました【Bonaiti】

イタリアのMontagna.tv に興味深い記事が掲載されました。

イタリアでよく引用される山の格言、

『高く登る者は遠くを見、遠くを見る者ほど長く夢を見る』(Chi più in alto sale, più lontano vede; chi più lontano vede, più a lungo sogna.)

イタリアではワルテル・ボナッティの言葉として様々に引用されているのですが、実はこれ、クライミングギアメーカーのフェリチ・ボナイティ(Felice Bonaiti)の言葉。

フェリチ・ボナイティは、リカルド・カシンと組んで登山用カラビナを研究し、世界で初めて非対称形のD型カラビナを製品化した人物。

記事執筆者であるGian Luca Gasca氏は、ボナッティの著書、執筆記事が掲載されていた『エポカ』、さらには私信まで調査・検証を行い、ワルテル・ボナッティが前述の格言を書いた・発言した痕跡が無いこと、誤解の原因を究明しています。

“Chi più in alto sale, più lontano vede” cit. Bonatti o Bonaiti?  by Montagna.tv 2021.12.28

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皆様ご存じ、ワルテル・ボナッティ(Walter Bonatti)

以下記事引用開始

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 では、その誤解は何に由来するのでしょう?ワルテル・ボナッティは優れた講演者でした。「登山の夕べ」での発言でしょうか?あるいは、山に行ったとき、避難小屋で出会ったとき、友人に送ったハガキの文面。

 確かなことは、それがボナッティの言葉として、彼の哲学やスタイルにぴったりと当てはまるということだ。このため、これまで引用の由来が問われることがなかったのも事実である。

フェリチ・ボナイティ
 ボナッティはさておき、フェリチ・ボナイティについて調べてみると、全く新しい世界が開けてきた。第二次世界大戦後、登山用に特別に設計されたカラビナが山にもたらされた時代にさかのぼる。レッコの2人のクライマー、リカルド・カシンとフェリチ・ボナイティが発案し、製品化したのだ。彼らはカラビナの物理的な特性を初めて研究し、操作時にカラビナにかかる負荷を調べた。これらの研究により、非対称のD型カラビナが誕生した。1950年代、カロルツィオコルテにあるフェリチの工場「ジュゼッペ・エ・フラテッリ・ボナイティ」で生産が開始された。この製品はすぐに成功を収め、70年代には生産部門を拡大するため、レッコに移転することを決めたほどだった。

 1977年、ボナイティ家は、今日私たちが知っている「コング」ブランドを創設した。「社名の変更にはさまざまな理由があるが、なによりも国際的な認知度を高めるため」と説明される。しかし、それだけではない。また、ボナイティとボナッティは「どちらもこの地域の歴史的な名字であり、常に混同されてきた」という類似性から、新名称が誕生した。偉大なるワルテル・ボナッティが亡くなった時も、多くの追悼のメッセージが寄せられた」と同社は語る。そのほとんどが、日本やアメリカなど海外から届いた。

しかし、このことが言葉の引用とどう関係するのだろうか。もう少しの辛抱下さい。

 1968年にフェリチの息子であるマルコ・ボナイティが経営者となり、1977年に「ジュゼッペ・エ・フラテッリ・ボナイティ」と改名した。(当時流行していた「キングコング」にちなんだもの。この名前も、生産地に関する混乱を招いたが、それはまた別の話である)そしてコング社のカタログに、「高く登る者は遠くを見、遠くを見る者は、長く夢を見る」というフレーズが初めて登場する。社長の直筆でデザインされたこの社訓は、数年間にわたりカタログの冒頭に使用された。このフレーズには、社長のサインが添えられています。

なぜ、ワルテル・ボナッティなのか?
 まず、ボナッティとボナイティという苗字が似ていることから、誤植と考える人が多かったのだろう。そして2人のサインを見ると、それほど違いはなく、一見した際にはワルテル・ボナッティを思い浮かべることができます。最後に、前述した哲学とスタイルの問題だが、これはボナッティの考え方と非常によく似ている。要するに、誤解を招くような要素の組み合わせだったのだ。

 この調査は、歴史的なレベルで何かが変わるものではなく、ボナッティの記憶を損なうものでもない。私たちはただ、このフレーズの裏に何が隠されているのか知りたいという好奇心に動かされただけなのだ。一時代を築いた偉大な登山家の物語に、新たな逸話が加わった。

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KONG社社長、マルコ・ボナイティ(Marco Bonaiti)氏。KONG社カタログに先代の言葉を掲載した。

 イタリアはもちろん、日本のウェブサイトを検索しても、 Bonaiti のカラビナを「ワルテル・ボナッティの・・・」と誤解されている方が結構見受けられます。まあ、私も若かりし頃は「ボナッティのカラビナなんだー」と誤解してましたw

 文中にもありますが、ボナッティ逝去時にKONG社に追悼メッセージが「日本から」多く届いたとのいうのは、日本におけるボナッティ信奉者の多さを物語るエピソードです。

 ま、この記事を読んで、地元イタリアでも Bonaiti と Bonatti を勘違いしている人は多かったんだ、となぜかほっとする記事でした。

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筆者所有のKONG ロボット。え?私はハイカーなんで使ってませんよ。

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12月下旬の日記

12月×日

今年お世話になった方に山形名産を発送すべく、盆と年末に通う山形県物産館

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米沢牛をうたう琥珀堂のコロッケを食す。

帰路、一泊二日の冬山合宿を終えた息子を迎えに行く。

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通学で使っているノースフェイスのリュック、冬山で使ったカリマーのザックで玄関はいっぱいになる。

私達が現役の頃は、蔵王スキー場ゲレンデから少し離れた湿地の平地にカマボコテント(死語)、ウインバーテント(死語)を設営、4泊5日でスキーを滑りまくる一方、夜は降雪に備えて定時に起床して交代制で除雪と、大学山岳部に通じる冬山生活を学んだ。

今は笹谷峠で避難小屋泊まりで一泊二日が冬山合宿。

1月にやはり一泊二日でスキー合宿、3月には伊豆の某島で遠征合宿(!)を予定しているそうな。

私達の頃のように積雪期の北雁戸山に登ったりするのではなく、かなり安全路線を進んでいる様子。

今は時代が違う。伊豆の合宿も、息子には日本の色んな自然に目を向けてもらおう、と前向きに考えることにしよう。

 

12月×日

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日本列島に大寒波襲来の日、所用で大石田町へ。

地吹雪で何も見えず。

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「二十六夜」といって、十五夜と関連した暦を祝う日のはずなのだが、石碑は深く雪に埋もれたまま。

 

12月×日

 会社の仕事納めの日。 

 大掃除を終え、若手社員・女子社員・営業部員の皆様による餅、蕎麦を食す。

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鴨南蛮蕎麦ごちそうさまでしたー

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コロナ禍もあり、今年の餅は「ずんだ」「白ごま」「黒ごま」「くるみ」「粒あん」「納豆」の6種類にタッパーに入れられ、バイキング方式で食す。

 今年も無事おわる・・といいたいところだが、私が所属する現場作業部隊は福島方面で今日・明日も稼働。

 皆が無事に山形に戻れますように。

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ヘッドランプ四方山話

【ヘッドランプを発明したのは誰か】

ヘッドランプは誰が作り上げたのか。

現場作業員の私は漠然と、「鉱山技術者が発明したんじゃね?」と思っていましたが・・・

Qui a inventé la lampe frontale ? by Le JMED

現在の製品のような「バッテリー駆動式ヘッドランプ」は1883年、フランスの発明家ギュスターブ・トルヴェ(Gustave Trouvé 1839~1902)が、耳鼻咽喉科の医師ポール・ヘロットの依頼により発明したのが最初といわれています。

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ギュスターブ・トルヴェ(Gustave Trouvé)

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ギュスターブ・トルヴェが発明したヘッドランプ

この発明「ヘッドランプ」は当然のごとく、鉱山労働者、救助隊、洞窟探検家に利用されることになります。

それから約90年後、フランスの洞窟探検家であるフェルナン・ぺツル(Fernand Petzl 1913~2003)が「圧電点火」方式のヘッドランプを発明、さらに進化させていくことになります。

ご存じのように、このフェルナン・ぺツル氏がクライミングをはじめとする各種ギアメーカー、ぺツルの創始者。

Peフェルナン・ペツル氏近影

創設期のぺツル社は数台の旋盤機しか持ち合わせていない、小さな会社から始まりました。現在のぺツル社の規模は皆様ご存じの通りです。

 

【ヘッドランプの思い出】

高校山岳部の頃は、よく線が切れる豆電球を用いたヘッドランプでしたが、大学山岳部に入り、遠征登山用にハロゲンランプを用いたパナソニックのヘッドランプを使いました。(歳が知れますな・・・)

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 以前に過去記事にも書いたのですが、某8000m峰のサミットプッシュに失敗、このランプの灯りを頼りにヨレヨレになって下山。

 8200mの最終キャンプのテントにたどり着いた瞬間にバッテリー寿命が切れる、という命の恩人ならぬ恩ランプ。

 自分の高所登山のセンスの無さを自覚し、下山後は装備のほとんどをシェルパに譲ったのですが、このランプは大事に持ち帰りました。

 そして2011年3月、東日本大震災。

 さすらいの現場作業員の私は、震災の時は秋田県に出張中で留守にしていました。

 留守宅で震災に遭遇したカミさんは、真っ先に私の登山用ザックを探り、停電の日々をこの2灯式ヘッドランプで凌いだのでした。

 遠征登山、東日本大震災で私と家族を守ってくれたパナソニックの2灯式ヘッドランプ。もうバンドのゴムもへたっていますが、手放すことができません。

 

【今使用中は、】

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今はブラックダイアモンドのCOSMOを使用。ガイド山行ではぺツルのe-LITEを予備として2つ携帯してます。

現場作業ではヘッドランプはラフに使うので、消耗品と割り切りホームセンターで売っている安価な製品を使い倒してます。

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