【訃報】川喜田二郎氏逝去
大学の地理学科在籍の頃から氏の著作は読みあさりました。
今も幾つかは手元に置いてます。
その教えが今の自分の人生に反映されてないのはお恥ずかしい限りですが。
故人のご冥福をお祈り致します。
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大学の地理学科在籍の頃から氏の著作は読みあさりました。
今も幾つかは手元に置いてます。
その教えが今の自分の人生に反映されてないのはお恥ずかしい限りですが。
故人のご冥福をお祈り致します。
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出張先でウイグルの暴動を知る。
ちょっと中国の知識がある方なら、新疆で暴動が発生するなどというのは時間の問題、ということは予想していたはず。
日本のマスゴミの皆さん、何カマトトぶってんですかね?
こういうときこそ、親中の加藤紘一氏や社民党の皆さんにはズバッと中国に進言してほしいのになー(棒読み)
こんな100数十人死人が出る暴動がアメリカで発生したなら、平和人権団体の仮面を被った左翼のバカどもがこぞって「社会の不公平」だのなんだの騒ぎ出すのに1000万アフガニ。
しっかし、ウルムチでウイグル族に対抗するため手に武器を持った漢族市民のデモ。
売国偏向放送局NHKは「手に棒などを持った市民が・・・」と報じてましたが、どうみても「市民」が手にしていたのは中華包丁、牛刀なんですけど。
(しかもかなりでかい包丁を女性が手にしてうろついていた)
あの刃物は実に象徴的でしたね。
殺意の象徴、ひいては少数民族の人間性・人権、そして存在すらを否定する姿そのものですよ。
刃物を手に祖国統一ってか。
出張先の衛星放送ニュースで、実に愉快な映像を鑑賞させていただきました。
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ジョン・バーカーといえば日本のクライマーに多大な影響を与えた岩雪72号の方ですよね?
フリーソロ中になくなった模様。
現在出張中の身にて詳細割愛・くわしくは下記サイトご覧ください。
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本日は、幼稚園で息子の七夕発表会。
先日の運動会のダンスでは棒立ちだった息子も、本日はノリノリに踊っていて一安心。
現場仕事の日々で季節どころか曜日すら意識しない日々。
会場で頭上の七夕飾りを目にして、夏だなと思い起こす。

息子の出番が終わった後、所用のため私は中座。
幼稚園と自宅の間にある公園を歩いていると、頭上のケヤキからは今年初めてのアブラゼミの声。
季節の移ろいは頭上からやってくる。

実家に立ち寄り、サクランボをもらう。
冷蔵していた「ナポレオン」(サクランボの品種の一つ)、酸味は消え、甘みだけが残る。
今シーズン最後のサクランボ。
今年も沢山食べました。
高級料亭で桐箱入りサクランボ食べてる代議士連中と違い、我々山形県人は丼に盛ったサクランボを豪快に食べるのだ。

カミさん実家からもらった、唐辛子を効かせたミズナの醤油漬。大変美味でした。
外の風景も、食卓も、初夏から真夏に変わっていきますね。
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韓国の登山雑誌「山」にパク・ヨンソク率いるエベレスト南西壁隊の記録が公開されました。
月刊「山」が後援していたらしく、頂上に立つパク・ヨンソク氏の姿が月刊「山」の表紙を飾っておりました。
以下記事引用開始
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2009年5月20日午後3時(韓国時間午後6時15分)、ついにパク・ヨンソク エベレスト南西壁遠征隊が南西壁新ルートを経てエベレスト頂上に登った。
2007年春と2008年秋に続き三回目の挑戦。パク・ヨンソク隊長とチン・ジェチャン副隊長、シン・ドンミン、カン・キソク、イ・ヒョンモら5人のメンバーと7人のシェルパが南西壁登攀を目指した。
少ないメンバーだが、皆昨秋の遠征を共にしたし、パク・ヨンソク隊長と私は三回目の登攀だ。

▲南西壁を背景に。 左側からイ・ヒョンモ隊員、パク・ヨンソク隊長、カン・キソク隊員、チン・ジェチャン副隊長、シン・ドンミン隊員。
日照で氷無く、確保に困難をきわめる
遠征隊は4月18日から本格的な登攀を始めた。 冬季間、強い日差しと強風に苦しめられた南西壁には雪を探すのが困難なほど岩が露出していた。 20日から始まった南西壁ルート作業に色々な困難が現れた。雪と氷が無く支点確保が困難(スノーバーとスクリューの使用が困難)で、落石の危険の中かろうじて前進、二日ぶりにC3(7,350m)までルート作業を終えたが、強風が続きキャンプ設営が遅れた。
24日。パク・ヨンソク隊長とチン・ジェチャン副隊長、二人のシェルパがかろうじてキャンプ地に到達、岩場を削って3時間ほどの作業を終えてやっとC3を構築した後、800mのロープ設置作業を終えて降りてきた。 その後27日カン・キソク隊員とシェルパらがC4までのルート作業を終えて7,800m地点にC4を設営した。

▲頂上直下の「セカンド ステップ」地帯を登攀中である隊員ら。C3とC4は雪が不足して岩を削ってハーケンとロープで固定させなければならなかったし、C3のテントが落石に遭い穴があくなど不安だったのだが、私たちの意志で作り上げたこのキャンプは登攀が終る時まで私たちの安全を守ってくれた。
バトンを繋いで受けたシン・ドンミン隊員と私はC5設営のために28日C4に到達、29日ルート作業に出発したが、私は不調のため8,050mで下山しなければならなかった。 だがシン・ドンミン隊員と2人のシェルパが昨秋の最終到達地点から200m程度さらに進み、高度8,350m地点の良好なキャンプサイトまでルートを切り開いた。

▲ C4で登攀中のカン・キソク隊員。
ここは1982年ロシア登山隊が南西壁を経て登攀したルートと接する地点で、登山隊が使った酸素ボンベとテントの残骸などを発見することができた。パク・ヨンソク隊長の綿密な隊員の采配、シェルパらの献身的な助けでついにエベレスト南西壁にコリアン新ルートを切り開いたのだ。
もう新ルート開拓の意義を高め、行動を共にした隊員らを賛えるためには南西壁を越え、西稜を越えて頂上に登る仕事だけが残っていた。西稜登攀に成功した隊は1979年ユーゴチームの初登、1982年南西壁を経て西稜登攀に成功したロシア隊以後一度もなかった。 ユーゴチームは下山途中頂上を上がった隊員全員が死亡する悲劇を体験したし (訳者注) 以後多くの登山隊の試みが皆失敗した悪名高い稜線だ。 それでも私たちは険しい南西壁に登った後、西稜を突破しなければならない。

▲海抜7,800mの壁に飛び出してきたテラスにきわどく設置されたC4。
4月30日、皆BCで下山して休息を取り頂上攻撃の意思を確かめ合った。遠征隊長のク・チャジュン隊長(LIG損害保険会長)がBCに訪ねてきて激励、六日後の5月6日、計画のとおり1次アタックのためにBCを出発したが天候悪化によって失敗した。
BCに戻った遠征隊は韓国気象庁から天気情報を受け、他のサイトの天気情報と他遠征隊の頂上アタック例を土台に5月19日を再アタック日に定め、鬱陶しい休息に入った。

▲パク・ヨンソク遠征隊が3度の挑戦の結果、新ルート登攀に成功したエベレスト南西壁全景。
頂上アタックメンバーはパク・ヨンソク隊長と実直に登攀を支えたチン・ジェチャン副隊長、上に登るほど怪力を発揮するシン・ドンミン隊員、登攀に対する意志と哲学が格別なカン・キソク隊員とサンゲプリ・シェルパに決定した。パク隊長はルート開拓の際に足を負傷したが、不屈の闘志で登攀に臨んでいた。 調子が良くない私はBCに残って支援任務を引き受けた。
17日、隊員らは南西壁へ向かった。キャンプが狭いからシン・ドンミン、カン・キソク隊員とサンゲプリ・シェルパはC2(6,500m)からC4に移動、パク・ヨンソク隊長とチン・ジェチャン副隊長はC3に移動した。 その間二人のシェルパはC5(8,350m)で荷物を輸送してC2には二人のシェルパが緊急事態に備えて待機していた。
隊荷輸送にトラブルがあり計画を修正、20日に頂上アタック日を修正、18日シン・ドンミン隊員とシェルパがC5を設営してC3にあったパク隊長と副隊長はC4に進み、カン・キソク隊員と合流した。

▲海抜8,350m地点で発見した1982年ロシア登山隊の酸素ボンベとキャンプ跡。
19日、C5のシン・ドンミン隊員はシェルパとともに西稜に250m程ルートを切り開き、シェルパは不調のため下山した。 この時C4にいた隊員らはC5に移動、酸素とロープなどを荷揚げした。頂上アタックのために皆受け持った任務に最善を尽くしていた。
午後5時、頂上アタック隊員4人がC5に集まった。思ったより西稜は険しくて長い。岩も不安定で落石も頻繁だ。だが頂上へ向かう彼らの意志は折れなかった。
“ア~,ベース,ベース.”

▲海抜8,600mの「ファーストステップ」を過ぎて、登攀中の隊員たち。パク・ヨンソク隊長の後にチン・ジェチャン副隊長が登攀中だ。
夜12時49分、頂上アタックに出発するという無線が入った。4名の隊員が吐き出す情熱が胸に渦巻いた。シン・ドンミン隊員が前日設置したロープに沿って用心深く登った。
総数10本の酸素ボンベと500mロープと意志。これが彼らが携帯したすべての装備であった。
アタック隊員らは闇の中で道を探すため、動きが鈍くならざるをえず、さらに落石のために動きが遅くなった。空が明るくなる頃、イエローバンドが終わる8,600m地点の「ファースト ステップ」に到達した。

▲ C5から出発して頂上アタック中の隊員らが海抜8,500mのイエローバンド付近を通過中。
明け方3時50分、まだ時間は充分だがロープが不足して壁がとても険しく、左に迂回して用心深く移動した。シン・ドンミン隊員を先頭にパク隊長が後から支えた。
孤軍奮闘の末、ファーストステップを越えたのが朝8時30分。身体は疲れたが照らす日差しに、お互いを眺める暖かい目つきに頑張った。西稜は思ったより遠く険しかった。 8,700mのセカンドステップに到着するとロープもすっかりなくなった。しかたなくアンザイレンして登り、さらに速度は遅くなった。すでに時間は12時をまわった。

▲頂上に立つ隊員たち。左側からカン・キソク隊員、パク・ヨンソク隊長、チン・ジェチャン副隊長。撮影シン・ドンミン隊員。登山家らの安全を祈るルンタが頂上を飾っている。
BCに滞在していた私は心配になる心を押さえ込み、拳をぎゅっと握った。
12時39分、もう1時間半程度なら頂上に立つという無線を最後に連絡がなかった。これ以上遅れてはいけないのに、頂上を覆ったガスが悔しい。
ある瞬間、岩稜が終わって傾斜が緩やかになりながら雪が現れた。遠くに五色ルンタがはためいていた。
頂上だ。
シン・ドンミン隊員を先頭にカン・キソク隊員、副隊長、パク隊長が頂上に登った。誰が何ということもなしに互いに抱き合って泣いた。現地時刻、午後3時であった。

▲去る93年と07年の南西壁登攀中の事故で亡くなった故・アン・ジンソプ、ナム・ウォンウ、オ・ヒジュン、イ・ヒョンジョ隊員の写真を頂上に埋めるパク・ヨンソク隊長。
パク・ヨンソク隊長はふところ深く大事に保管してきた1993年、2007年の南西壁登攀中の事故で死亡した隊員らの写真を取り出した。 故アン・ジンソプ、ナム・ウォンウ、オ・ヒジュン、イ・ヒョンジョ4名の隊員がパク隊長をはじめとする4名と一緒に魔の南西壁と西稜を経て頂上に登ったのではないだろうか。パク・ヨンソク隊長はただ有難い、という言葉を繰り返した。
BCにいた私は、やはり頂上を登ったような気持ちだった。このように素敵な遠征隊と行動をともにするということに、彼らの意志と情熱に・・・
南西壁。その険しい道に登ろうとした多くの人々が彼らを見守っていた。午後3時35分、下山を始めた隊員らは21日C2に降り立った後、22日BCに無事到着した。

右より、赤のラインが82年の旧ソ連隊、青のラインが韓国隊、緑のラインが初登の英国隊ルート
文 イ・ヒョンモ
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訳者注:
79年のユーゴスラビア西稜隊ではシェルパのアン・プーが滑落死、他の隊員は生還している。88年秋、エベレスト南西壁を初のアルパインスタイルで完登したチェコスロバキア隊の4名全員が登頂後行方不明となっており、手記を書いたイ・ヒョンモ氏はこのチェコ隊と混同していると思われる。
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カタロニアの登山家、ザビ・アリアス氏のローツェ登山時のベースキャンプなんですが・・・

バールーム(笑)

ミニシアター(笑)
Una visita al lujo en el campo base del Everest by Desnivel
こーゆー画像を見ると、未だに海外登山計画で食料のカロリー計算とかマジメにやってる人たちが可哀想ですね(笑)
ちなみに記事を読むとラルフ、ガリンダ、タケウチ・ヒロタカとローツェで行動を共にしたと書いてありますが、竹内君のブログにこんなの出てなかったぞ!
(ミニシアターの装飾は彼の趣味に合わない気がしないでもない)
もー、エベレストBCにキャバクラでもできるのは時間の問題か?
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元ネタは、さすがビール消費量世界一の中国の登山サイトから。
登山用の水筒に「プラティパス」のようなパウチ(袋)を愛用されている方も多いと思います。(私も)
ビール用パウチ発見!

Well It's About Freaking Time: Beer Pouches
この製品のウリは、「ビールの風味を変えない容器」だそうです。
いやいや、これでアル中爺山岳会の皆様も大喜びですね(棒読み)
ちなみにお隣韓国ではピールはペットボトル入りで販売されていてびっくりでした。
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ドイツの登山用品メーカーVAUDE(ファウデ)がド派手な広告を出してますな。

ボーイング機の翼。
いきなりアイスクライミングのイラストですね。
いいかげん、登山者のイラストといえばチロルハットにニッカボッカという時代錯誤なイラストがまかりとおっている日本の広告業界も見習ってほしいですな。
しかしよくよく考えてみれば旅客機の機体・翼という広告媒体に、今まで大手アウトドアメーカーが手を出してなかったというのは不思議ですな。
VAUDEというメーカー、最近は日本でも販売されるようになってきましたが、私が強烈に覚えているのは、VAUDEのウェブサイト。
たいていの欧米メーカーのウェブサイトは英語の他、ヨーロッパ各国の言語、たまーに親切なメーカーでアジア言語では日本語・韓国語のページが公開されているわけですが、VAUDEのサイトはいきなり中国語サイトのみ、という作りになってました。
(現在このサイトは修正されたらしく、検索しても見あたりません)
いかにヨーロッパのアウトドアメーカーが中国市場を重視しているか、痛感した次第でした。
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仕事帰り、山形県立図書館へ。
韓国の知人(恩人)の依頼でとある資料を検索、コピー。
その恩人より情報。
スパンティーク韓国隊は7月1日、ベースへ退却。8日、再アタックの予定とのこと。
現地での日韓登山隊の交流は韓国隊を後援している中央日報(日本語版)でも取り上げられています。
ヒマラヤゴールデンピーク遠征隊-韓日間の善意の競争 by 中央日報(日本語版)
ギリギリボーイズのメンバーは、我々下々の者から見れば十分「プロ」クライマーにみえるのですが、韓国メディアは「アマチュアイズム」に焦点をあてています。
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アクアスロンなんて疲れる事した後は甘いモノでしょ!?
レース後、酒田の和菓子店、『小松屋』に向かう。
歴史に詳しい方ならご存じのように、酒田は「北前船」による京都・関西の文化が流れているところ。
雛菓子で有名なお店です。
表通りから少し離れた、静かな場所に店を構えてました。

本日買い求めたのは、左から「山居草子」「本女鶴の雫餅」「呉竹最中」。
特筆すべきは、「山居草子」「呉竹最中」でしょうかね。
ほのかに海苔の風味がする甘い和菓子です。
あー、海っぱたの街で買ったお菓子だなー、という感じ。

「呉竹最中」は「呉竹羊羹」と並んで小松屋の名物のようですが、真ん中の膨らみがリアルに本物の竹を思わせます。
で中身ですが・・・
緑も鮮やかな、海苔風味の餡。
あまりに鮮やかな緑なのでパッケージを確認すると、着色料をふんだんに使ってますな。
「色も味わう」と思うか、「着色料使ってんのか」と思うか、評価が分かれるところかもしれません。
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山岳ガイドは体力が命。
つーわけで、日曜日、第24回みなと酒田トライアスロンおしんレースのアクアスロン部門に参戦。
アクアスロンとは、スイム+ランの2種目で構成されたレース。
バイク(自転車)レースの交通規制が困難な東京近辺では盛んに開催されているが、東北で開催されるのは珍しい。長い開催歴を誇るおしんレースでもアクアスロンは今年初開催。栄えある第一回のレースにエントリーしていた。
自転車が無いので一見楽に思われるかもしれないが、私の予想では水分補給がキーポイントになると考えていた。通常のトライアスロンならバイクパートで車載したボトルからの水分補給が可能であるが、水泳を終えた後、すぐにランニングになるアクアスロン。この予想が、実に悪い形で現実になる。
アクアスロンは11時30分スタートなので、朝5時に山形市の自宅を出る。
途中の月山越えではワイパーを最速にしなければならないほどの豪雨。
気温も低く、念のためランシャツ・ランパンとは別にトライアスロン用ウェアも持ってきていた。もとより保温性など期待できるウェアではないが、露出度の高いランシャツよりマシであろう。
会場の酒田北港に到着。
トライアスロンは8時30分スタート。
トップ選手の走りを見学しつつ、緊張感をふりはらいながらレースの準備をする。
雨雲もいつのまにか消え、雄大な残雪の鳥海山がクッキリ見えてきた。(携帯で撮った画像には残念ながら写ってない)
こんな鳥海山をバックにレースができてシアワセ。
と、思っていたのもつかのま、やがて日差しは強烈に強くなり、汗ばむほどになってきた。
受付でレースナンバーを書いてもらう。
10時45分、スイム会場にて競技説明。
アクアスロン・個人の部参加者は12名。
ええ゛~俺ビリに決まったじゃんじゃかじゃ~ん。
あまりに少ない参加者に、かえって仲間意識を持つ。
ウエットスーツを着込み、入水チェックを控えてストレッチしている頃には、強い日差しで汗がどっと噴き出てくる。
トライアスロン部門は、トップ選手が既にゴールし始めており、人数の少ないアクアスロン部門のスタートは応援者もまばらな、静かな会場。
水温20度。
皆でスタートラインの海中に入る。
「スタート3分前」のコールがかかる。
えー、こんな冷たい海水にあと3分も入ってんのかよ・・・とテンションは上がらない。
そしてスタートのサイレンが鳴る。
酒田北港の防波堤内に張られたワイヤーに沿って、250m往復の計500m泳ぐ。
呼吸の吐く方を強く意識して、ひたすら泳ぐ。
「もう折り返し近いよな」
と思い、ヘッドアップ(トライアスロン特有の、泳ぎながら頭を上げて周囲を確認すること)してみると、折り返し点のブイは遙か彼方。
気力が萎えそうなので、もうヘッドアップせずひたすら泳ぐ。
500mを示す三角ブイに到着。
少し泳ぎ、もう泳ぐくらいなら歩いた方がはえーよ。と思い立ち上がる。
毎度のことながら、スイムの後は身体に大リーグ養成ギブスを付けるとこうなるのではないか、というくらいに身体が重い。
ウェットスーツを脱ぎながらトランジションに走る。
おおかたの参加者は既にランに出た後。
ソックスを履くのもめんどくせえ、と感じるが、ここで慌てると後で泣きを見る、と自分に言い聞かせる。
ソックスを履き、ランシューズを履き、ヴァームを飲み、ゼッケンベルトを付け、走り出す。
なんとなくふがいない自分にいらだち、
「あ゛ーっ!!」
と叫んでみる。
・・・と、格好付けるのも一瞬で、またたくまに身体は重くなり、走りもマイペースになる。
とにかく日差しが強い。舗装道路の照り返しも強い。
レース前には考えられないほど、暑さとの戦いとなる。
ランパートは5km。
たった5kmなのに、折り返し点は遙か彼方にみえる。
(おしんレースはランコースが枝状になっているため、折り返し点が3~4箇所存在する)
あれ?
先行してるアクアスロン部門の選手が向こうから逆走してくる。
もしかして、今走ってるトコも往復すんの~?
競技説明書に書いてある地図をしっかり頭にたたき込んだつもりだったが、一本往復するルートを失念していた(笑)
あーダメだ。暑い。
この時の私の頭の中身↓

棄権。棄権。棄権。(エヴァンゲリオン風字幕。)
途中歩き出すが、気を取り直して再び走る。
給水所では必ず立ち寄り水分補給、スポンジを受け取り頭から水を被り、出発。
どうにかこうにか、ゴール。
気力も尽きかけたのに、何故再び走り出せたのか、走り抜くことができたのか、正直わからない。
こういう苦しいとき、家族の姿なんぞ思い浮かばない。
「じぶんに負けないっ!」
と、体育系クラブ活動の中学生みたいな台詞は、何度も言い聞かせていた。
まあ普段おとなしく「いい人」ぶってる自分には、こういう闘争心をかき立てる機会も、必要だ。
トライアスロンはチームやクラブ単位で活動されている方が多い。
私のように一人で活動している人間は、むしろ少ないのではないだろうか。
心細いとは思わないが、周囲で団体さんがゴール後盛り上がっているとやはり寂しい。
いや、受け身じゃダメだよな。
アクアスロン最終走者が走ってきたので、スタッフに混じりゴール前にて拍手で迎える。
アクアスロンには障害者団体の方が一名参加しており、とてもフレンドリーな方でした。
聾唖の方でしたが、レース会場各所で会う度、身振り手振りで「会話」していました。
レース後、トランジションに残していたウェットスーツを片づけながら、「海水飲んで喉痛かったね」と、他愛もない話題なのですが。
トランジションに残していた私物を片づけ、車でゴール会場に戻っている途中(おしんレースはスイム会場とゴール会場がえらく離れている)、ウェットスーツを抱えながら歩いている方発見。最終走者の方でした。
暑い中大変なので、車に乗っていきませんか、と誘う。
車の中でレース会場の感想など語り合う。
もう出会える機会も滅多にないでしょうが、同じレースを走り抜いた方との交流は楽しい。
アクアスロン部門の選手の皆様、大会スタッフの皆様、お世話になりました。
そして、良い休日をありがとうございました。
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今夏スパンティーク北西壁をめざす韓国隊隊長キム・ヒョンイル氏については、当ブログでも過去にちょろっと取り上げました(最近は自分のブログ読み返すのもめんどくさい)
氏の近況が月刊「山」にとりあげられました。
[ピープル]光る壁スパンティーク北西壁に挑戦するK2エクストリームチーム キム・ヒョンイル隊長「極限の登攀から最高の達成感を感じたい」 by 月刊「山」6月号
以下記事引用開始
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キム・ヒョンイル氏(41歳、ソウル市山岳連盟理事・教育技術委員会副委員長)が再び高所のビッグウォール新ルートに挑戦する。キム氏は4名の後輩クライマーとともにパキスタンのスパンティーク(7,027m・別名ゴールデンピーク)北西壁にコリアン ルートを開拓する野心に満ちた計画で6月2日出国する。スパンティク北西壁は標高差2,100mのミックス壁だ。
キム氏は90年代末以降、韓国を代表するビッグウォール登攀を実践してきた。1999年エクストリームライダー(訳者注・韓国の登山学校)講師らと共に、火谷山(コクサン)採石場に人工登攀ルートを8本開拓したのに続き、2004年千等山(チョンドゥンサン)にA3級の人工登攀ルートを開拓した。彼がやり遂げた人工登攀の頂点は、2005年パキスタンの大岩塔ネームレスタワー・クラックスゾーン新ルート登攀だった。
その登攀の価値を認められ、2006年大韓民国山岳賞・開拓賞を受賞した彼は、以後新しいスタイルの登攀を試みた。 多くの装備を利用する人工登攀に代わり、できるだけ装備を減らし速い速度で登攀を行うアルパインスタイルの登山家に変身したことだ。 昨年成功したカラコルムヒマラヤのアディルピーク(5,300m)新ルート‘父のために(For Our Farthers,Ⅵ・5.11a・M7)’は彼の変身を見せた登攀だった。
彼はアルパインスタイル登攀のためにしっかりと準備をした。 心肺機能と筋持久力強化のために山岳マラソンを日常化し、雪と氷・岩と入り乱れたヒマラヤの壁の状況に合う訓練のためにミックス登攀に力を注いだ。彼はアルパインスタイル登攀の魅力を、極限の登攀から来る最高の達成感だという。
キム・ヒョンイル氏は一時期本人の名前よりは‘ヒョンジンの兄’と呼ばれたりしていた。 キム・ヒョンジュンは90年代を代表するビッグウォール・クライマーとして活躍、98年9月チェ・スンチョルらと共にインド ヒマラヤのテレイサガール北壁登攀中、頂上直下の雪壁で原因不明の事故で墜落死した登山家だ。キム・ヒョンイル氏は弟が事故に遭った後、テレイサガール北壁に二度挑戦した。
「最近は夢に現れる回数が減りました。 それでも浮び上がるときはとても見たいですね。テレイサガールは機会が与えられるならば、もう一度登攀したいです。 適当な高さ、難度の高い氷雪壁など色々な面で登山家にとって良い試練を与える舞台ですね。」
キム・ヒョンイル氏は昨年8月、韓国を代表する登山用品製造・輸入・販売業者のK2に電撃スカウトされた。
彼が引き受けたことはクライミングチームの支援および体系的な運営だ。キム氏は会社のために商業的なマネジメントにもウエイトを置くが、登山文化発展にも役に立ちたいと話す。同時に高所のビッグウォールに対する絶え間ない夢を明らかにした。
「来年にはチベットの7,000m級の未踏壁に挑戦したいです。もうやめなければならないのではないかとも言われますが、クライミングは私にとって生きていく過程と同様です。中毒したようですね。」
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以上記事引用おわり
今夏、スパンティーク北西壁をめざす方々のご活躍と無事下山をお祈り致します。
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キチガイ国家ミャンマー政府軍がKNU(カレン民族同盟)の拠点の大部分を制圧した模様。
ミャンマー:武装組織の拠点制圧 政府軍、「国民和解」演出か by 毎日新聞6/19
ま、あいかわらずカレン民族同盟を巡る報道は日本国内では紙面の片隅・ベタ記事扱い。
欧米では多数のメディアが報じているのですが。
日本人ジャーナリスト射殺事件の際にはあれだけ騒いだ日本のマスゴミも、最近はとんとお静かですね。
ミャンマーが位置する東南アジアで、一国の政府軍が少数民族を堂々と軍事力で弾圧・虐殺しているのですが、遙か遠いイラクやらなんやらで平和と愛を叫ぶ市民活動家のみなさんもミャンマー問題にはだんまりですね。
これだけ日本のメディアがミャンマーの少数民族問題に沈黙を守るというのも、単に無知無教養なだけか、なんらかの圧力があるのではと勘ぐってしまいます。おそらく前者でしょうけど(笑)
もっとも、自民党の議員連中はミャンマー現政権とズブズブの関係ですし、日本の巨大産業たるト★タ自動車が事実上ミャンマー政府軍に車両輸出している現状では、とうていまともな報道など期待できませんが。
憂うべきは腰の引けたメディアの惨状よりも、カレン族の今後とKNUの行く末でしょう。
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