アルメニア大地震で活躍したクライマー達

 東日本大震災で様々な山岳会はじめクライマー達が自主的にボランティアを組織・活躍していたことはご承知の事と思います。

 大災害時にクライマー達が立ち上がるのは、なにも日本だけではありません。
 ロシアのクライミングサイトに、『30年前、アルメニア』と題して、1988年に発生したアルメニア大地震で自主的に集い、救助活動にあたったクライマーたちの記録画像が掲載されています。

 この記事に際しましては、元記事の投稿者であるミハイル・シートニク氏(ロシア・スポーツマスター)から転載の許可を快諾いただきました。Большое спасибо! Михаил Ситник!

以下引用開始
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 1988年12月7日、アルメニアで現地時間11時41分に地震が発生した。
 そしてソ連全土から自発的に、自らの意志で登山者が救助に駆けつけました。

 オデッサ山岳会の自主的に集まったクライマー達が、地震発生当日にアルメニアに行くことを決めました。当局と交渉の後、私たち救助チームは軍用輸送機によってレニナカン(訳注1)に運ばれた。我々の前には、ユーゴスラビアの救助チームを載せた飛行機が墜落していた。

 夜、夕暮れ、暗闇、そして棺、棺、棺。
 最初の2日間、私たちはほとんど睡眠をとることなく作業を続けていました。その後、徐々に私たちはスケジュールを調整していきました。2交代制に分け、交互に救助作業を続けてました。
 私たちのグループは溶接技師、クレーンオペレーター、医師など様々な民間人技術者であるクライマーが集まっていました。少しずつトラッククレーンなどの機材も集められ、新年まで作業が続きました。

 私は当時の自分たちのグループを誇りに思っています。レニナカン(Leninakan)とスピタク(Spitak 訳注2)には、ソ連全土からのクライマーが集まりました。友人達よ、記憶して下さい。

以下は、救助チームの一員、スポーツマスターであるパベル・セレレンコフによる写真です。

※訳注1 レニナカンとは、アルメニア北西部にある都市である現・ギュムリの旧名。アルメニア大地震で死者17000人といわれ、特に顕著な被害が生じたことで知られる。
※※訳注2 スピタクとは、アルメニア大地震の震源地として知られる都市で甚大な被害を被った。

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以上引用おわり

 画像を拝見するに、非常に絶望的なまでに崩壊した建築物のまっただ中で、民間人として専門技術を持つクライマー達が危険な状態ながら解体・救助作業に奔走していたことがうかがえます。

 国は違えども被災地で活躍したクライマー達に敬意を。
 大地震で亡くなった方々、被害を被った方々に哀悼の意を表します。

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アメリカ日記2018 観光もお仕事よ編

ラスベガスでの展示会視察翌日。
真夜中の午前2時出発で、アンテロープ・キャニオンツアーのため旅行社の車でラスベガスを発つ。

上司は岩手大の地質出身、私は立正大の地理学部で自然地理学専攻。
「地質巡検」ということで、今回上司が選んだのがアンテロープキャニオン。

ツアーといっても客は私たち3人に、ツアーガイドの小野さん、ドライバーの小川さんという総勢5人。車はバスではなく大型ワンボックスカーなので、ハイウェイを凄いスピードでぶっとばしアンテロープ渓谷を目指す。

まず訪れたのはロウワー・アンテロープ。
ここはナバホ族居留地にある聖地で、管理もガイドもナバホ族が管理運営している。

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所定の人数(15名)が集まるとツアーが出発。私たち以外はほぼ韓国人観光客でした。
アンテロープキャニオンの入り口はこんな平坦な砂漠。

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突然現れる割れ目から急な階段を下ってくと、こんな光景が広がる。
アンテロープキャニオンとは、砂岩(ナバホ砂岩層)が水や風で浸食されて形成された割れ目。
その岩肌に光が差し込むと、とても幻想的な光景がひろがるわけです。

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ガイドを務めるケビン君。
アンテロープキャニオンでは、砂岩層を傷つけたりするのを防止するため、携行品がカメラ・水筒ボトルなどに限られています。撮影も動画は禁止。

そのかわり、ガイドがデジカメやスマホの撮影方法に熟知しており、最適なシャッターモードに調整してくれ、多くの場合はガイド自らシャッターを押してくれます。スマホもアンドロイド、iPhone両方熟知しており、凄い腕前。

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特に、iPhoneの「パノラマ機能」を自在に駆使して素晴らしい画像を何枚も撮ってくれます。

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光の加減で砂岩層の縞々が美しい。

それから最近になって「第3のアンテロープ」といわれる「キャニオンX(エックス)」に移動。

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キャニオンXの入り口。
こちらは最奥が行き止まりになっている2本の谷を往復する。

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キャニオンXの特徴は、ロウワー・アンテロープに比べて標高差があり深いこと。

Pp7
深い分、頭上からの光が幻想的です。

しかし、こちらキャニオンXの若いガイドは、ロウワー・アンテロープのケビン君とは異なり、ポケットに手を突っ込んだまま早口の英語でまくしたて、行程中はもっぱらブルガリア人の若い女の子2人組とおしゃべりに興じてました。

日本のガイドブックでは「第3のアンテロープ」として売り出し中のようですが、ガイドとしてのホスタビリティはロウワー・アンテロープのケビン君の方が断然良いものでした。私もガイドの端くれとして他山の石にしたいところです。

12月に訪れる方へ
 今回訪問時は雪がぱらつき寒い日でした。12月はネックウォーマー、かさばらないコンパクトなダウンジャケットは必携です。 夏は暑くてしんどいそうです。
 機会があればぜひお立ち寄りください。

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アメリカ日記2018 仕事は本番編

ヒューストンでの企業視察を終え、空路ラスベガスに移動。

ラスベガスで開催される、建設関係資機材の全米規模の展示会を視察。

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最新技術がいっぱいの中で、そこは私も山岳ガイド。
アメリカっぽいアウトドア文化を発見。

各出展ブースでは、参加者に配布する宣伝用グッズが置いてあるのですが、
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工事看板メーカーのブースに置いてあった、トレイル関連のミニ看板。これも配布用の宣伝グッズ。
プラスチック製で、下に置いてある15cmスケールで大きさをイメージしてください。
左から「リスに注意」、「トレッカー」、「野外生物の足跡のミニ図鑑」です。

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フライフィッシャーならたまらない、毛針(フライ)作成コーナーがなぜか設けられている。

ちなみにこれらはアウトドアレジャーとは関係無い、建設関連資機材の展示会です。
はい、頭切り替えて日本のサラリーマンとして視察、視察。

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アメリカ日記 2018 出発~到着編

リストラ寸前不良社員の私、なぜかアメリカ視察出張の一員に社長からご指名をいただく。

12月1日。
雨の中、ヘドロにまみれながら、厄介な現場を完全撤収。
工場に帰ってみると、親方や同僚の皆様方から
「明日からアメリカだろ!?もう帰れ!」
「アメリカ行きの準備してくださいよ!」
と定刻より早めに退出させてもらう。
皆さんすみません。涙うるうる。

これに先立ち、アメリカ出張の告知を受けた翌日、部長からは
Bucho
と言い渡される。

Newtype
私の行動パターンが完全に読まれている・・・・

12月2日。
長いフライトを経てアメリカはテキサス州・ヒューストンに到着。
12月3日。
ヒューストンにて、工事機械関連の企業を視察して廻る。
日中は時差ボケとの闘いながら、ちゃんと視察してます。

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視察先の企業の植栽に、ヤドリギと鳥の巣発見。
あー山行きたい。

夕方、後発の社長と合流。
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晩飯はヒューストン一と名高いステーキハウス「Papas Bros.」。

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こんな風に並べられた肉を自分で選ぶのですが・・・

下っ端現場作業員の私は選択の余地は無く、
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社長から「40オンスだよな」と言われ、一緒に視察出張に来ている職場のリーダーKさんと共にロースとフィレが付いている骨付肉「PorterHouse」に決定。約1.1kgでござんす。

もちろんサラリーマンの宿命、社長の命令は絶対なので完食です。
今夜はキャベジン飲んでさっさと寝ます。

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ピオレドールロシア2018 ノミネート

ロシア山岳連盟が選定する『ピオレドール・ロシア』。
今年2018年の候補として、最終的に次の4隊がノミネートされました。

Шорт-лист премии "Золотой ледоруб России" by Alpfederation.ru 2018.11.17

コティン峰(Шайтанхана峰)4521m北西壁中央バットレス初登 6A 1300m
イワン・テメレフ、イゴール・スザルトセフ、アントン・カシェフニク、ティムール・アルディン・ケーレル
2018年7月22~25日
1

キルギスタン キジル・アスケル南東壁新ルート 
エジゲニー・ムリン、イラ・ペニャエフ
2018年7月24~8月1日
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イネス・パペート、ルーク・リンデックが開拓したルートの左に該当します。

2
きわどい場所でビバークしながらの登攀だったようです

4810m,峰(オデッサ峰) カペイカ・ルート開拓 6B 1000m
イワン・テメレフ、イゴール・スザルトセフ、アントン・カシェフニク、ティムール・アルディン・ケーレル
2018年7月29日~8月4日
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11ピッチめ登攀の模様

キジル・アスケル主峰中央バットレス 第2登 6B 1500m
ナガーエフ・R、マティニャン・A、トリコゾフ・M
2018年7月25日~8月3日
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16ピッチめ登攀の模様

当初はアバラコフ峰や劇的な救出作業が行われたラトックⅠ峰などの高所登山も含む13隊がノミネートされていましたが、今年はビッグウォールの4隊に絞られました。

毎年指摘していますが、ピオレドールロシアに関して日本はじめ西側諸国の山岳メディアはなぜかスルーしていますが、mountain.ruの該当記事をご覧いただければおわかりのように、ノミネートされたクライミングの詳細な報告・トポが共通した書式でPDFファイルで公開され、審査過程がなかなか表に出ない他のピオレドールと異なり、後進のクライマー達にとって参考になるシステムになっています。(隊によってはPDFファイル12MBとか巨大なので注意)
ピオレドールは競争ではないとか御託を並べる前に、こういった点は関係者に見習ってほしいものです。

2018年ピオレドール・ロシアの選定結果発表は12月1日の予定です。

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追悼 生亀知侑先生

Koutou
11月15日。
山形県立山形南高元教諭、山形県山岳連盟顧問の生亀知侑(いけがめ ともゆき)先生の訃報が、後輩から届く。

 私は山形南高校山岳部から登山を始めたが、体力の無い私は周囲に対して非常にネガティブな思いを抱くことになる。
 あえて書くが、生亀先生は尊敬の対象ではなく、むしろ反発と憎しみに近い感情を抱いていた。

 高校山岳部在籍当時、体力もなく、合宿でも常にバテていた私は、生亀先生にとって取るに足らぬ存在だったのだ。

 先生が先頭に立って国体・インターハイ登山競技出場の同期生を率いてランニングに出ている間、相手にもされなかった私はバーベルの重りや古テントを詰めたザックを背負い、学校近所の千歳山に1人で登っていた。近くの女子高運動部の生徒に嘲笑されながら。

 それにもめげず、なんとか食らいつこうと、生亀先生が提案した休日返上のトレーニングに参加してみた。社会人のランニング愛好会に混じり、山岳部同期の仲間と共に羽前山辺駅から山形市内の霞城公園までランニングするというトレーニングだったが、私はやはり皆に追いつくこともできず、大恥をかくことになる。

 山岳部同期や先輩に相手にされていなかった私は、非常にネガティブな思いを抱くことになる。
 「いつかこの俺が、OBも顧問も誰も成し遂げてない8000m峰に立つ。」、と。

 そのネガティブな思いを解消してくれたのは、立正大学体育会山岳部でやり直した「登山」なのだが、その顛末はここでは割愛する。

 そんな訳で、山岳部の顧問と生徒という関係でありながら、ついに私は先生に対して尊敬の念も親しみも感じることは一切無かった。故人に対して甚だ失礼ではあるが、はっきり書く。一切、である。

 生亀先生は社会科の教師であり、私は現代社会を学んだ。
 先生の授業は教科書とも受験とも関係の無い左翼がかった話に終始するため、一応進学校だった山形南高の生徒には不評であった。
 だが、私の考え方に影響を与えた、授業中の一言を今でも覚えている。

「本当の冒険家っていうのはね、山響を創設した村川千秋みたいなのを言うんだよ」

 村川千秋とは、やはり山形南高出身、山形はもとより東北初となるプロオーケストラ「山形交響楽団」を1972年に設立したオーケストラ指揮者である。
 音楽に詳しくない方でも、閉鎖的な地方都市・山形で、東北初となる交響楽団を設立するということの困難さはご理解いただけるだろう。

 先生の訃報を受け、高校山岳部の同期であり、日本山岳ガイド協会認定ガイドである吉田岳君とコンタクトをとった。
 私と吉田君の共通認識は、「高校時代に雪山登山を体験できたのはよかったね」ということだった。

 高校時代に雪山登山の基礎を学べた、というのは、他ならぬ生亀先生の存在のおかげである。
 当時は既に文部省から「高校生は冬山・岩登り禁止」の通達が出ていたはずなのだが、先生はかまわず私たちを本格的な冬山に連れ出してくれた。

 ストック2本を用いての深雪のラッセル、交代制で深夜に起床しカマボコテントの除雪。
 大学山岳部に通じる冬山での生活技術も、先生から学んだ。
 「冒険」という概念に関して、社会的意義を意識するようになったのも、先生の影響である。
 思い出したようにマラソン大会に出場するのも、実は先生のトレーニング方法の影響でもある。

 そうなのだ。
 かつて相手にもされずネガティブな感情を抱いていた私ではあるが、現在の私のベースになった体験には、先生の存在があったのだ。

 吉田君からの短い携帯メールを幾度も読み返し、それから私は弔電手配を始めた。

 不肖の生徒ながら、生亀知侑先生のご冥福をお祈り致します。

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帰ってきたファイブ・テン

全国代表者会議の目玉の一つは、なんといっても全国のガイドを相手にした販売ブース。

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今回はファイブテンの軽量シューズ「アッセント」をガイド向け価格でゲット。

かつて愛用していたガイドテニー、ソールが剥がれて以来、なかなか入手する機会が無かったのですが、今回再びファイブテンのシューズを入手。
東北は雪のシーズンを迎えますが、少雪地域の里山や来季はこれでバリバリ歩きたいと思います。

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八幡平・安比高原自然ふれあい集会2018

 八幡平・安比高原自然ふれあい集会2018、日本山岳ガイド協会の全国代表者会議を、今年は私の所属する東北マウンテンガイドネットワーク主管として取り仕切ることになった。

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東 北 黒 社 会 ではなく、黒のスタッフウェアで揃えた東北マウンテンガイドネットワークの面々。

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スタッフウェア調達に尽力いただいた石井スポーツ荒川社長、秋田の後藤ガイド、ありがとうございます!

 所属会の理事会では「勤務のため・・」 「長期出張で・・・」とサボっている私、今回は兵隊として頑張ろうと前日・第1日目の準備にまわる。

 私に与えられたミッションは、北は北海道から南は九州まで、日本全国から盛岡駅にお越し下さった参加者をホテル安比グランドのバスに誘導、会場へ送り出すこと。
 打ち合わせで、バス利用者は約80名、大型バス2台を送り出さなければならないことを知る。

 山形の田中ガイドと前日から打ち合わせし、当日は月山エコプロの真鍋ガイド、宮城の半田ガイドらと共に盛岡駅でお出迎え。

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 約80名もバス利用者がいると、「飛行機が遅れた」 「参加日を取り違えていた」などなど様々な事情の方もおられる訳で・・・
 責任者を任された割に優柔不断な私ですが、バリバリ爆進する田中ガイドが組んでくれたおかげで、どーにかこーにか参加者皆様をホテル安比グランドにお送りする。
 当日参加されたガイドの皆様、パタリロみたいな顔でウロウロしてたのが私です。盛岡の寒空の下、お待たせしましてどうもすみません。

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自車で集合したガイド含め、約260名のガイドの皆様が参加してくださいました。

翌日はどうしても外せない仕事があり、私と福島の安部ガイドは夕食兼懇親会を前に退出。
我らが東北マウンテンガイドネットワークのスタッフの皆様、おつかれさまでした。

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メルケル首相が飲むワインは、

 今秋ドイツにおいて、「ワインがいかに外交と政治史に影響を与えたか」をテーマにした本『Mit Wein Staat machen』が出版されました。

Was Wein und Politik miteinander zu tun haben by BR24 2018.10.20

Wi
1951年10月、カールスルーエで開催されたCDU(ドイツキリスト教民主同盟)会議でワインと共にジャーナリストと語るアデナウアー首相

 記事は「なぜアデナウアー(筆者注:西ドイツの初代首相でソ連との国交を開いた)はソ連にワインを送ったのか?」という興味をそそるタイトルで始まります。
 アデナウアー首相は意図的に各種ワインを食事会の演出に用い、歴史的なソ連訪問時では大量の各種ワインを持ち込み、ソ連側から大歓迎されたとのこと。
 ソ連側もグルジア(現ジョージア)産ワインで歓迎し、その見返りとしてドイツ大使から外交上のアドバイスを受けるなど、まさに「酒は人間関係の潤滑油」とはよく言ったものです。

 著者のKnut Bergmann氏は連邦大統領府に勤務、その経験を生かして今回の著書が世に送り出されました。

 ちなみに記事でも紹介されてますが、現メルケル首相は親しいラインホルト・メスナーとの夕食で赤ワインを好むとか。
 日本のメディアでは選挙の惨敗続きで苦境が伝えられ、メルケル首相の暗い表情ばかりが報道されていますが、心から美酒を楽しめる穏やかな日はいつになるのでしょうか。

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トレーラー日和

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11月3日、祝日なれど休日出勤。
職場の若い仲間達の依頼で、工事機械搬出のため1人でトレーラーを運転して山形から岩手往復。

快晴の東北自動車道を北上。
蔵王連峰を越え、泉ヶ岳、栗駒、焼石、早池峰、そして岩手山。
うっすら雪化粧した東北の名峰が眺め放題。(もちろん安全運転です)

次回はプライベートで岩手山を望もう。


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中国人ペア、ミニヤコンカ峰に新ルートから登頂か

 去る10月18日16時45分、難峰として知られるミニヤコンカ主峰(7556m)に中国人の李宗利(Li Zongli 39歳)、童海軍(Tong Hijun 23歳)のペアが登頂に成功しました。
 ミニヤコンカ峰登頂としては昨年のチェコ隊に続き通算で第10登、中国人としては61年ぶりの第2登となります。

 蜀山之巅,蜀人来了! by 人民網2018.10.18

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登高中の李宗利

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下山を果たした、顔面の凍傷の生々しい李宗利(左)、童海軍(右)

2人は10月12日に成都を出発、14日に標高4000mのBC入り、17日には6700mのC3に到達、18日午前5時20分にC3を出て登頂に至ったものです。
下山途上、高度障害のせいか李宗利が突然失明状態に陥るアクシデントを乗り越え、生還しました。

彼らの申告では、登頂ルートは「北壁~北東稜」をアルパインスタイルで登攀したとのことで、詳細な報告が待たれます。彼らが携帯したスマホでは7495.9mまで記録されており、その後スマホが故障したとのこと。四川省登山協会では彼らの登頂を認定する方向で動いているようです。

今回登頂に成功した李宗利は四川省運動技術学院でレスリングを学び、そこから登山に転進した変わり種ですが、中国登山協会が招いたフランス人コーチの指導を受け、中国登山界における山岳ガイドの先駆け的存在です。
2016年に仲間2名と共にミニヤコンカ北東稜に挑んでいますが、この年は6700mで敗退。今回は8月にボゴダ山群で高所順応を済ませてのトライでした。

中国マネーにモノを言わせた、商業登山隊利用の8000m峰14座登頂者を続々輩出している中国登山界ですが、久々に中国人アルパインクライマーの実力を感じさせる報道です。

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子供達と化石を掘る2018

山形県朝日少年自然の家 『ヤマガタダイカイギュウと化石掘り』 にボランティアスタッフとして参加。

天候は朝から雲一つ無い快晴。
「大滝さん、この天気で山行きたかったんじゃないのー!?」
と言われるが、そもそも化石掘り企画の手伝いがしたくて少年自然の家のボランティアスタッフを始めた私。
子供達と一緒に化石掘りできることで十分満足です。

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ヤマガタダイカイギュウ発見の地で、山形県立博物館の石黒先生の解説を聞く。
今回参加の子供達、小学校低学年の子が多かったが、化石に興味津々、石黒先生も苦笑いするほど子供達からツッコミが入る。

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化石採掘地にほど近いところで、珪化木(木の化石)に触れる子供達。

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さっそく、化石発掘開始。
なかなかめぼしいモノは見つかりませんでしたが、時間の経過とともに「みつけた!」 「貝だっ!」と声が聞こえる。

「大滝さん、レア物期待してます。」
「いや、サメの歯みつけて運勢使い果たしました。」
こんな会話を2度繰り返す。

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今年の私の成果は、シラトリガイのちょうつがい部(左)と稚貝(右)。
掘り出していて一部が露出した化石は、なかなか見つけられない子供に譲ってあげる。

楽しい時間はあっとい間に過ぎ、女性職員Tさんの「発掘終了でーす」の声が響く。
そして昼食。

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眺望が素晴らしい一本松公園でお弁当をひろげる親子参加の皆さん。

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快晴の日差しを受けて輝く最上川、リンゴ畑、棚田。
山形で子供達と化石掘りが体験できる、その環境に感謝の念を抱く。

参加者の皆様、少年自然の家スタッフの皆様、おつかれさまでした。

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朝日町はリンゴの名産地。
帰路、産直で「紅玉」6個入り280円で購入。
亡父が好きだった紅玉、仏壇にあげた後はもちろん生食です。

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ショパンとブナの実

月曜、公休。
晩秋の月山へ。

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早発ちしたこともあり、静かな山。

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紅葉したチングルマが草原のアクセントになってます。

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四ッ谷沢ルートから直上すると、牛首を過ぎたところで視界が開ける。
秋の澄んだ空気をおかげで、庄内平野、鳥海山、日本海の眺めがよい。

そこへ御夫婦らしい2人組が登ってきた。
汗だくのおばさん、鳥海山を眺めて
「元気がでるわあ~」

鳥海山は山形県人にとってそんな山なのだ。

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頂上直下の登り坂「鍛冶月光」の途中で、登山者を慰めるかのように一輪だけ咲いていたハクサンイチゲ。

せっかくの平日休み。
銀行に用事があったので、11時には下山して昼過ぎに帰宅。
しかし銀行に事前に電話してみると、窓口よりもネットで用事が済むことが判明。

9月中旬から、ブログを書く気力が萎えるほど現場作業に忙殺された。
午後はのんびり過ごすことにする。

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月山山麓で拾い集めたブナの実。

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ショパンを聴きながら、約1時間かけて皮を剥く。
カラッとローストしたブナの実が食べたいので、私はいつも全部皮を剥いてからフライパンで炒ります。

ショパンの曲は結構「自然」を描写した曲があるので、実の皮を剥きながら聴くと落ち着く。
普段の現場作業を完全に忘れ、のんびり過ごす月曜の午後。

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今回はあまり塩をふらず、実そのものの風味を楽しみます。
山の恵み、いただきます。

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【訃報】韓国のキム・チャンホ遭難死

まことに残念な報道です。

アジア人初の8000m峰14座無酸素登頂はじめ、ピオレドールアジア他、素晴らしい登攀を重ねてきた韓国のキム・チャンホが、グルジャヒマール山麓にて、雪崩およびその爆風と思われる災害で亡くなりました。49歳でした。

Kim
韓国の『哲人』、キム・チャンホ

김창호 히말라야 원정대 9명 시신 발견... 돌풍·눈사태에 추락 by 朝鮮日報2018.10.13

在ネパール韓国大使館の情報によれば、10月12日、グルジャヒマール峰3500m地点のベースキャンプが雪崩とその爆風に襲われ、翌13日、韓国人5名、ネパール人スタッフ4名の遺体が発見されたとのこと。その中にキム・チャンホ氏が含まれていました。爆風は立木も吹き飛ばす凄まじいものだったようです。

キム・チャンホ氏は以前から立ち上げていた「ヒマラヤ・コリアンウェイプロジェクト」の一環として、ヒマラヤのマイナーな山の壁に新ルートを開拓してきました。今回もグルジャヒマール南壁に新ルートを開拓すべく入山、事故に遭遇したものです。

キム・チャンホ氏はタイトル狙いのクライマーとは一線を画し、自身が持つ独特の哲学~山を愛し、人を愛す~に従い、ヒマラヤの困難な壁を陥してきました。

マスコミ受けしないその登山人生は、韓国の山岳雑誌でも長らくとりあげられることはありませんでした。

韓国の哲人、キム・チャンホ 当ブログ2013.1.3

もう書斎には行かない 8000m峰14座無酸素登頂 キム・チャンホ ロングインタビュー 当ブログ2013.6.19

キム・チャンホの死はゴ・ミスンのそれと同様、アジアのみならず世界的な損失といえるでしょう。
彼が蓄積してきた膨大なヒマラヤ・カラコルムに関する情報量、そして実践。
まだまだヒマラヤ登山の可能性を示してくれるクライマーの一人でした。

まことに残念ながら、私が知らない間に韓国メディアの取材で冬の山形県・月山を訪れたこともありました。
そのときはスノーシューツアーでホットワインを楽しんでいたとのことでした。

韓国の偉大なクライマーの死に哀悼の意を表します。

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韓国・小白山国立公園が弁当配達サービス開始

予約していた弁当を登山口で受け取り、食べ終えた弁当は下山口で返却。
韓国の小白山(ソベクサン)国立公園事務所が、韓国国内で初めて弁当配達サービス運営を開始しました。

やすくおいしく... 小白山、お弁当の配達サービスを開始 by 韓国SBS 2018.9.28

ニュースの内容は以下の通り
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<キャスター>

 秋に入り、登山を計画される方も多いと思いますが、小白山国立公園事務所が全国の国立公園で初めてお弁当の配達サービスを開始しました。

イ・テヒョン記者です。

<記者>

おいしそうに包装されたお弁当が配達されると、登山客が弁当を受けとり登山を開始します。

全国の国立公園の中で初めて、小白山国立公園事務所がお弁当の配達サービスを開始しました。

早朝からおかずを準備する必要がなくなった登山客たちの足は、一様に軽くみえます。

[チョン・ナンキョ/登山客 : (弁当の準備に)常に早起きしているから疲れました。(お弁当サービスが)あるから、そんなことがないんです。]

大変な登山の後に森の中で食べる昼食は、まさに蜜の味。

メニューは、丹陽で生産されたニンニクで味付けされ、地域特産物のPRにもなっています。

[ギム・ヒョンミ/登山客 : 私もお弁当を作って通っていましたが、それよりもずっとおいしく丹陽の味を感じることができました。]

お弁当の容器はリサイクル可能なステンレス製で、下山時に空の容器を回収箱に入れれば良く、最近問題となっている使い捨てゴミ削減に大きな効果が期待されています。

[キム・サンボム/小白山国立公園の北部事務所 : ハイキングコースのゴミの80%以上は使い捨て用品です。お弁当サービスを介して、大幅に改善されるものと期待しています。]

ハイカーたちの利便性を高め、環境保護と地域経済の活性化まで、国立公園のお弁当配達サービスが1石3鳥の効果を狙っています。       
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以上引用おわり

あらためて説明しますと、
P1
国立公園3箇所にある登山口で弁当を受け取り、

P2
山の上で楽しくランチ。

P4
下山口に設けられたケースに弁当箱は返却、という仕組みです。

筆者がさらに調べたところでは、
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弁当は御飯1、おかず2の計3パックで構成され、料金は8000ウォン(日本円で約800円)。
カカオトーク(韓国のLINEに似た通信アプリ)でも予約可能。

たしか韓国の他の山域でも弁当配達サービス(こちらは個人営業の弁当屋)があったと筆者は記憶してます。
今回のニュースの注目点は、行政である国立公園事務所が環境保護を主目的に弁当サービスを展開していることですね。

P3
よくよくみれば、タッパーもケースもリラックマのキャラクターグッズ。
旭日旗は嫌われてますがリラックマの人気は韓国でも高いですね。

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