竹内洋岳君と山を語る 北日本海外登山研究会
娘のおゆうぎ会から気持ちを入れ替え、北日本海外登山研究会に参加すべく、高速道で郡山を目指す。
北日本海外登山研究会とは、東北+新潟の海外登山を志す人々が各県持ち回りで一泊二日で開催する情報交換の場である。
ご年配の方の自慢話・絡み酒に付き合うのがすっげえ嫌、さらにある御仁が「世界百名山」をめざす、と高らかに宣言されておられたので、私の目指す山との方向性とは 明 確 に 異なったと判断、過去五年間全く参加しなかった。
今回は、私がヒマラヤニストとして密かに慕う福島の保坂氏が主催、さらに講演講師が今や国際隊で活躍し、今年はシシャパンマ南西壁~北面トラバースを達成しビッグネームの竹内君。
昨日からひどい風邪と発熱なのだが、結婚式以来久々の竹内君の講演を聞きに行く。
道路渋滞で会場に到着した時には講演はおわっていたが、彼の好意により、宿泊部屋でマンツーマンでパソコンのパワーポイントに収められているスライドを見せてもらう。
私の目的は、彼の講演の他にもある。
以前からヒマラヤの日本隊は氷河歩行技術が劣るのではないか、と思っていた。
国際隊で活躍する竹内君に、今現在の氷河歩行時のロープワーク、氷壁の技術等レクチャーしてもらう。
その後、竹内君は酒宴という名の修羅場に引きづりこまれ、私は以前に企画のみ参画した登山隊の方々と旧交を温めた次第。
二日目は数々のカラコルム登山の経験者、飛田和夫氏を講師にキンヤンキッシュの講演を聴く。
帰路、竹内君を郡山駅に送る車中、このような登山研究会の意義について話し合う。
彼がしきりに口にしていたのは「私の講演で役に立つんでしょうか」ということ。これは彼の謙虚さが現れている一方、国際隊という、特に東北人にとってはかなり異質な登山形態を演題にしていいのかなという戸惑いがあったようだ。
このような会があることによって、実際に経験者に話を伺うのが大事なんじゃないかなと私が水を向けると、冷静な彼らしく、講演とは受け手によっては「エンターティメント」になるものであり、自分達の登山計画に有用な「情報」とは別物ではないか・・・と返ってきた。
東北地方。
一生に一度、ヒマラヤ登山に行ければ・・・と願う人間、旧態依然の登山にとらわれている人間が多いのは事実だ。
だからこそ、竹内君のようなクライマーが実践してきた登山を東北地方で講演してもらいたい、私自身そう思い、それゆえ保坂氏の企画に賛同したのだったが・・・。
今回の参加者は地元福島の人間で占められ、私が情報を把握している将来遠征予定の隊関係者が一人も来ていないのに、はっきり書けば「あ き れ ま し た 。」
現地事情に詳しく、かつ装備のプロ(竹内君はICI石井勤務)が近くに来ているというのに。
そんな疑問を口にする私に対して、竹内君は「今はインターネットで情報入りますからね」と返事。
近い将来、某峰の登山を計画している知り合いのTさん(現在進行形のプランなので仮名にさしてくれ)は昨晩の酒宴中も真剣に竹内君に状況や装備を相談していた。
Tさんは装備やプランニングに対して、自分で納得ゆくまで下調べをして合理的な決定を下すタイプである。その努力には頭が下がる。
他方、研究会で提供された「情報」・・・パキスタンの登山料値下げなど、実は数日前に既にインターネット経由でパキスタンのメディアで把握していた内容でもあった。
情報が多種多様な手段で得られる現在、このような研究会の意義は小さくなっている、と思う一方、Tさんのように直に人に会い、情報を得る必要性は、今後も決して変わらないと思う(当ブログお得意、玉虫色の結論。)
二日目の朝、竹内君のもとに若い参加者がやってきて、目を輝かせてヒマラヤ登山の事を質問していたのが印象的だった。
彼の講演が、東北から若い岳人を輩出するきっかけになってくれることを信じている。
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