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『死者として残されて』

稀ではあるが、「自分にとって読むべき本を読んだ」と思う本がある。
私にとってこの本は、その稀な一冊となる。

『死者として残されて』
ベック・ウェザース、ステファン・ミショー共作
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1996年春のエベレスト大量遭難における、ロブ・ホール隊に参加したベック・ウェザース氏の、奇跡の生還とその人生を描いたノンフィクション。

この本は以前から読みたいと所望していた本だが、なかなか手が伸びなかった。
もう10年以上も前の出来事だというに、当時の自分と向かい合うことは、私には困難である。
ある登山隊のバックアップのため、幾つかのエベレスト隊報告書を読まざるをえなかったが、苦痛であった。
一度思いきってクラカワー氏の「空へ」を手にしたが、生々しくて読了することはできなかった。
(「空へ」以外のクラカワー氏の著作は好きだ)
私の心を深く捉えたのは、大量遭難時の記録よりも、家族を置き去りにして登山に打ち込むベック氏の過程、そして遭難後の家族の様子である。

ベック・ウェザース氏と私には、共通点がある。
一つめは96年春に世界最高峰を目指し、登頂を逃した事。
二つめは、鬱の苦しみを知っている事である。
この本を読んでみようと思ったのは、後者の理由による。

『私は自分に自信のない人間だ。人生の大半をそのことで悩みながら過ごしてきた。だが山をうろついているときだけは、そのことに直面せずにいられたのだ。』
この言葉に共感せずにいられない。
もっとも、登山を通じて鬱を克服したベック氏とは異なり、私はガイド協会の研修などでかなり鬱鬱になりますが。
ベック氏同様、昔の私もなりふりかまわず。
遠征と会社・家族を天秤にかけりゃ答えは当然「遠征」であり、「家族と絶縁別居してでも遠征に行く」と公言していた。

ベック氏の行動と共に、克明に記された妻の言葉。
いるべき時・場所に、子供達の傍に父親がいない現実。
登山者として身につまされるというよりも、山に向かう人間として受け止めなければならない言葉である。

この本が私にとって「稀な本」である理由とは。
それはベック氏へ共感を抱くだけではない。
ベック氏をとりまく家族の姿に、本来あるべき人生観・価値観について省みさせてくれる本だから。

一読後まず私がした事は、目の前で遊んでいる息子を抱きしめる事だった。

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山岳ガイドが読む本」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~
面白そうですね。
今度本屋に行った時に見てみます。

投稿: べねろっぷ | 2006.04.17 18:50

べねろっぷ様こんにちわ。
堅苦しい事抜きにすれば、エベレスト以外の公募登山のドタバタぶりは楽しく読める本でした。
大阪の街は電車の車窓から眺めたことしかありませんが・・・

投稿: 聖母峰 | 2006.04.17 19:36

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