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エベレストは『死の地帯』であり続けるか

先日、歯医者の待合室でぼーっとしていたら。
待合室のテレビのニュース番組でエベレストを映していました。
両足義足で登頂した英国人の話題。
ああ、感動の話題としてマスコミ受けするのかな程度にみていましたが・・・

しかし、美談は崩されました。

世界各国のウェブサイトも駆けめぐった「両足義足」エベレスト登頂の話題。
ニュージーランドでは、一気に批判論争になっています。
論争のタネは、義足クライマー、マーク・イングリスが遭難死した別の登山者を見殺しにしたのではないか、ということ。
マーク・イングリスを批判した人の名は、サー・エドモンド・ヒラリー卿です。

Wrong to let climber die, says Sir Edmund by Nzherald 5/24
クライマーを死なせた過ちについて、エドモンド卿語る

Sir Ed: 'I would have abandoned climb to save a life' by stuff 5/24
エド卿語る「私は生命を救うために登山を諦める」

マーク・イングリスの立場に近い記事として、登山家のグレアム・ディングルが取材を受けています。
Everest is a mess" - Graham Dingle by NZCityNews 5/24
messとは「混乱」とか「めちゃくちゃ」というニュアンスを含みます。
エベレストは混乱している・・・もう滅茶苦茶だ・・・といったところでしょうか。

英国人デビッド・シャープは酸素が尽き、頂上から300m地点で力尽きました。
今季のエベレストで7人目の死者です。
約40名の登山者が、彼の傍らを通過したとみられています。
その40名の中に、義足登山家マーク・イングルスも含まれています。
「今や人々の関心は登頂することだけに注がれています。」
「それはあらゆる人間の責任です。人の命は登頂よりも尊いのです。」
「彼らは安全圏に連れて行く努力ができたはずです。」
と、ヒラリー卿は今回のマーク・イングリスの登頂に厳しいコメント。
デビッド・シャープの遺族(母)は冷静なコメントを出しています。
"Your responsibility is to save yourself - not to try and save anybody else."
「他の誰かを救ったりしないのも-自分を守るのは自身の責任です。」

ヒラリー卿の批判に対して、関係者の発言は様々です。
現在のエベレストをmessと表現した登山家ディングルは
「登山において仲間を助ける慣習よりも野心が横行している。」
としながらも、今回の件は今のエベレストの現状を配慮しなくてはならない、としている。
ニュージーランドの登山安全協会マネージャーのポール・チャプローは、
「ニュージーランドの山で、私達は人々に救命技術を教えています。しかし、それはエベレストとは完全に異なる世界です」と語ります。
そしてマーク・イングルスの家族は、ヒラリー卿の批判に失望する旨の声明を発表しました。

以上がコトのあらまし。
「死の地帯」と呼ばれた8000m峰。
商業登山隊・公募登山隊の隆盛とともに、エベレストの登山形態は大きく変化しました。

「私は他のだれかが倒れていても決して助けません。そのかわり、私が倒れていても手をだす必要はありません。」
8000m峰における生死観を、武士の斬り合い、真剣の間合いに例え、K2登山隊で訓示したのは故・小西政継でした。
その8000m峰で顧客の生命の安全を確保するという、逆説的な行為でもあるのがガイド登山です。
逆説的と表現しましたが、とてつもなく困難であると言うこと。
私自身は、ヒマラヤのガイド登山は肯定します。
数多くの登山者を迎え、登る機会が多くなったと言われるエベレスト。
もはや武士の斬り合いに例えられた時代は過ぎ去ったのでしょうか。
否、やはり8000m峰の、その絶対的な危険性は変わらない、と私は考えます。
高所順応のメソッドや酸素ボンベその他の装備の発達をもってしても、高々度の危険性は変わらないと考えます。
普遍的になった8000m峰でレスキューの進歩もまた当然必要とされる事ですが、その危険性についてあまりに認識がおざなりになっているのではないでしょうか。

記事ではデビッド・シャープは救出可能であったという学者の見解も記載されていますが、類似の経験からいえば、現場を知らない者が口を挟むのは時には的はずれでさえあります。
ヒラリー卿の批判がマーク・イングルス個人に向けられたものであるならば、私個人としては的はずれであると感じています。
両足義足というハンディを負ったクライマーに、超高所でどのようなレスキューが可能だったのでしょう。
むしろ、ヒラリー卿の批判は「野心が全てを凌駕する」今のエベレストの現状に向けられたものと思います。

8000m峰の危険性を認識しないまま、数多くの登山者が物量や装備の優位性に頼ってエベレストに向かっているとするならば、96年春の惨劇が繰り返されるのも、そう遠くないことだと、私は思います。

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コメント

これがエベレストでなくとも。。。
山を真剣にやるとこういう問題ってありそう。

よく「山は逃げない」などといいますが。
どんな場面でも、もしかしたらその人にとってはワンチャンスかもしれない。
前髪にぶらさがる神様をのがさまいと必死で人生が大きく変わる。
しかし人道的にみたらどうなのだろう?

くだらないたられば論でこんな議論ふっかけられて
目の前に倒れている人がいたら
見ず知らずの人間だろうが山岳会の仲間だろうが
区別しない。
助けられる力が余力があるかは別
その場所で自分ができるベストは尽くす
見知らぬ人だから助けないでいられるほうが
私は不思議だと思う。
なーんていったことがあります。
怖いのは憎しみ恨みの気持ちをもつことだ、普段の生活を人間としての大切なことを忘れすぎる言動は要注意とも思うのです。

簡単に「親友、信頼、仲間」と口にしてしまうことの怖さをかんじたのですが。
生き方感じ方次第であり、他人を批判するのは簡単ですが
その他人の思いを知る量ることとは本当に難しいことだと思います。

ガイドだろうが自力だろうがどんなことであれ、
私たち一人で現在の生活もできなければ山にも登れない。
ウェアや道具や飛行機。それは一人一人の積み重ねによって与えられていると思ったら考え方変わると思うのですが
どんなもんなんでしょね?
当たり前に与えられた生活しか知らないとは
働いたりすることよりももっと深くものを見つめることも大切なのだなーと思います。

関東雷雨ですごい状態を切り抜けました。

聖母峰さん、いつも面白い内容ですね。
楽しませていただきます。

投稿: POP | 2006.05.24 23:16

pop様の投稿を読んで考えること一晩。
ブログに取り上げてはみたものの、今回のエベレストの件、私には生々しい出来事でした。
何か引き合いに出そうとすれば自分の実体験を引用せざるをえないし。以下、抽象的な返事ですみません。

実際その場にいた私も、餓えた餓鬼のように頂上以外は眼中に無かったと思います。
登山者である前に人間であれ、なんて綺麗な言葉は、後からしか思いつきませんでした。

でも、実際に倒れている遺体を目にしたとき思ったのは、「この人の家族は、今何をしているのかなあ」ということでした。

<<その他人の思いを知る量ることとは本当に難しいことだと思います。
 本当に、そうですね。
 難しいだけでなく、仲間だったはずの人たちが「離れていく」姿は、とても辛いものです。自分の価値観に忠実に、誠実であるというのは難しい。

<<楽しませていただきます。
大変恐縮です。たまに暴走してますが・・・ 

投稿: 聖母峰 | 2006.05.26 12:38

リンクも見せて頂ましたが、これは尾を引きそうです。似たケースはあると思いますが、今回は障害者の成功と言うイヴェントになってましたから、その発言や行動は問題になりますね。ベースのマネージャーが「判断」をしたと言うのも、注目されます。

酸素を吸引しながらの他の四十人(恐らく天候が安定していた)も自らのレジャーを優先させたのでしょう。酸素を与えれば無事に降ろせたとは思いませんが、本来なら全員で協力して降ろす行動を採るべきでしょう。目前で雪崩で流されたのや、骸が転がっているのとも状況が違う。

特に身障者の初登者は、自らの成果に健常者の道楽以上の価値を置くならば、違う行動をすべきでした。決して一人では出来ませんが、少なくとも予定時間内での行動ならば呼びかけるなりして、登頂よりも救助を優先させるべきでなかったのではないでしょうか。

酸素を使ったり如何なる方法でも登頂を目指すのは自由でありますが、ただ単に自己満足のためのレジャー登山と云う意識を確り持つのが重要かと思います。

半世紀前のように所詮登山と云う共通概念が存在しないので、ヒラリー卿には想像出来ない世界でしょう。だからこそ、登山者のモラルではなく人間としての行動が問われていると思います。

投稿: pfaelzerwein | 2006.05.26 17:15

あまり深く考えない私は思ったことをすぐいうすぐ書きます
一晩考えたりすることが余りありません。汗
どっちの立場も考えも=にはわからない
ましてや現地にいてみていたわけでない人がネットで批判してしまうのも「人道的ではない」と私は思います。

批判された彼はどう心を痛めるのだろうと思います。
見向きもせず登る人の気持ちも登山をかじり始めた私としても理解はできます。
批判はいつでもできる。
察してあげる余裕や時間をもつ、見守ってもいいんじゃないの?って思います。

批判した人間が故意に憎しみをもって攻撃したかったなら話は別で効果的といえるでしょうが。ま、ほめられたもんじゃありませんね。

その事実を事実のままにうけとることって難しい。
何かの意見や報道によって影響されちゃうみたいな自分のふらふら感をときどき危険だなと思います。

夢中でなにかに打ち込めることは幸せです
ふとふりかえったとき、家族や大切にすべきだったことをおろそかにしてしまうこと、気が付かずにすごした後悔の念を恐れるから踏みとどまるのは
弱さでもあり優しさでもあり強さでもある。

ただ色んなことを感じられるようになっただけ大人になったのかなあ。などと思います。


暴走も毒舌も好きですので楽しみにしています!笑
何せいつもは馬の耳に念仏のようにありがたいお説教をうなずいてきく苦痛に顔にはださず、影で毒を吐いている私です。苦笑

*先日 モスクワ放送交響楽団?の生演奏をききました。
ブログのようなさわやかな緑ではありませんだ。
森のイメージに一瞬つつまれました。
いいもんですね。たまにわーー

投稿: POP | 2006.05.26 21:43

re:pfaelzerwein様
現在すごい勢いで世界中のサイトで報道されているようです。
私がブログに書いた24日以後、新たな情報も報道され、日本でも一日遅れでベタ記事で配信され、ネットの某巨大掲示板で(無責任な)論争が拡がっています。
中国でも「世界登山界の恥」という見出しで各地に拡がっています。

私自身はあくまでも頂上アタッカーの責任-亡くなったデビッド氏は「酸素不足」と伝えられていますが、ボンベの運用管理はどうしていたのか-と考えています。マーク・イングリス氏にしても、ベースマネージャーの指示うんぬんには、なにをかいわんやです。自分で自分の行動を判断できない人間は8000mには行くべきでない、が私の持論です。
一方、pfaelzerwein様ご指摘のように、人間としての行動が問われているのも事実です。むしろ、今現在のエベレストでは問われるべきでしょう。
 これだけ一定シーズンにあまりにも多くの登山者が集中し、登山方法も確立されているエベレスト、いつまでも「倒れた者には手出ししない」自己責任論が通用していいものか。レスキュー面の発展も伴って然るべきでないのか。
 いや、そのような厳しい環境であるからこそヒマラヤ登山ではないのか。
 この面では、私自身納得のいく結論はでていません。

 それ以前に、これは私や知人の経験からですが「マスコミは事実は書くが真実を書くとはかぎらない」。
 マスコミの見出しをネタにブログ書いてるお前が言うなと言われてしまいそうですが・・・登山の遭難記事にはある程度バイアスがかかっているものと考えています。
 インターネットを通じて世界各地にこの件が広まった今、果たしてこの論争に冷静かつ今後につながる結論はでるのか・・・ただ単に関係者が傷ついて終わるだけではないか、それが気に掛かります。


re:pop様
<<どっちの立場も考えも=にはわからない
いえいえ、いいんです。
山の世界、第三者の冷静な意見も必要です。
モスクワ放送交響楽団の生演奏?
うらやましー。
ここ山形、たまに小さい喫茶店でバロックの演奏とか、お寺で胡弓の演奏とかあるのですが・・・ジジババに子供あずける根回しに大変です。

投稿: 聖母峰 | 2006.05.27 09:27

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海外ネタは扱うことをはばかってきた。相手が外国ではこのエントリーも読んでもらえないからだが、これは見過ごすことができなかった。 両足を切断したニュージーランドの登山家が、エベレストの登頂に成功したのは、今月15日のことだった。両足に義足をつけてのエベレスト登頂は世界初の快挙として全世界に発信された。 ところが、義足のヒーローから一転、山頂から300メートル下で倒れていた男性を救助することもなく、登山を続け、結果的に見殺しにしてしまったことから登山家としてのモラルが問われている。 元... [続きを読む]

受信: 2006.05.25 23:02

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