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如何にして8000m峰14座に登ったか オム・ホンギル物語

韓国には8000m峰14座全山登頂者が3名もいるというのに、日本の山岳メディアは明治維新の頃なみに欧米の方角しか向いてないので、彼らが何を考え、どんな思想で登ったのか、という最も関心ある情報が入ってこないのが実状です。ロクスノのば~か。

韓国ノーカットニュースに、まとまったオム・ホンギル氏の手記が掲載されていました。

オムホングギル 「8000mで希望を見た」 by ノーカットニュース3/12
以下引用開始
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私の青春はひたすら白いヒマラヤに捧げられた。
「世界最高峰エベレストに登れば、これ以上の目標はないだろう」と思った20代からヒマラヤ8千m峰14座登頂という新しい目標を果たすまで、ヒマラヤは私を教え育てた所だ。
私は無数の失敗と挫折を繰り返したし、多くの仲間たちを失わなければならなかった。生死の境を数十回越えたし負傷も何度も経験しなければならなかった。人生という登山で私が学んだことは、大自然の信義と摂理に対して敬意を抱かなければならないということだ。

私の人生の登頂は、何も分からなくて始めたエベレスト挑戦で始まった。
偶然に山で会った先輩の「エベレストに行って見ないか?」の豪儀な誘いに承諾したのがその理由だ。当時の私は海外遠征が何か,エベレストがどんな所かも知らない若い山岳人だった。
しかしエベレストは易しく屈服しなかった。特に冬季エベレストの天候はとても残酷だった。易しく思ったエベレスト挑戦は失敗で終わった。
二度目のエベレスト挑戦で私はヒマラヤの力の前に完全にひざまずいた。シェルパが足を踏みはずして命を失ったためだった。ヒマラヤ登山でそのシェルパは最初の犠牲者だった。彼は当時結婚して7ヶ月になったばかりの22歳の青年だった。
私は何も言えなかった。頂上が目前だったが、これ以上登ることができなかった。
私の目標を果たすのが無意味だと感じたのだ。私は初めて山に登ることを後悔したし「二度とヒマラヤを見たくない。ソウルに戻って平凡に暮らしたい」と思った。
しかし時間は行ってまた来るのだ。その時間の中で、万物は生命を開き人間の傷も癒されるのだ。私も仕方ない熱い熱情が胸の中に流れるのを宿命的に感じた。若さが作り上げるその渦を耐えることができなかった.また失敗しても良い.挑戦の欲求とその若さの渦が私をまた起こして立ててくれた。私のヒマラヤ遠征はそして始まった。

1998年、オリンピックを記念した3度目の挑戦で私はエベレストに登頂することができた。優れた隊員たちと共にした。私は故障した酸素マスクを投げつけ、よろけながらも結局頂上に登ることができた。そのように待ちこがれたエベレスト登頂を終わらせたが問題はその後だった。私には明らかな目標がなかったのだ。
私にはただ、8千メートル峰を登るという漠然たる目標だけがあった。それに社会の反応は期待したより冷ややかだった。遠征後援をもらいにくかった。私はお金を儲けながら山を登るという考えでネパールにゲストハウスを作った。事業は成功だったが、やはり心の中で叫ぶ声が私をじっとさせなかった。青春を安楽の中で流したくなかったのだ。

またヒマラヤを目指したが、私を待っていたのは試練だった。89年から93年まで、8千メートル峰に6回挑戦して6回失敗した。特にナンガバルパット遠征では強引に悪天下で行動し、凍傷で右足指を二本切断しなければならなかった。試練はまたもやってきた。93年チョオユー・シシャパンマを登る無謀な挑戦をしたのだ。ベースキャンプから登ろうとすると悪天がひどくなり、シェルパ達もあきらめる所から後輩二人共に3人で頂上を目指した。登頂を半ばであきらめ先に下山した後輩をあとに、頂上を往復した。
死がすれちがう奇蹟の中でベースに帰って来たが、先に下山した後輩は帰って来ることができなかった。撤収日になると私たちは写真を広げ、祭祀壇を作った。泣きながら「お前に会いにまた来るよ。その時まで眠っていなさい。」と語りかけた。私たちは何も言えず、ずいぶん長い間泣いた。
95年カトマンズの居酒屋で会った英雄的登山家カルソリオのおかげで、私は新しい目標を立てることができた.14座登頂を目前にしていたカルソリオは私に「8000m峰はいくつ登った?韓国で一番多く登った人は幾つ登頂した?」と言い、露骨に自尊心に触れた。
しかし私は4座しか登ることができなかったし、記録がないから語る言葉もなかった。8千メートル14座を登れば、後輩たちも私のような恥辱にあわないと思った。私が 8千メートル14座をやりこなしたら、それは私の喜びである前に韓国山岳人たちの光栄だろうと思った。「やりこなす。できる。14座登頂ができない理由がない。」と一人で拳を握った。

アンナプルナに登頂する際も、死の縁に行って来た。ホワイトアウトによる視界喪失,その中でシェルパ2名が滑落、ロープでお互いに繋がれた状態だから私も一緒に墜落しかねない状況だった。
思う間もなく私はロープを握り、苦痛に堪えて一緒に転んで落ちた。幸い私たちは命を拾ったが、私の足は足首が180度折れてしまった。動くことができなかったが何とかベースキャンプまで下った。すべての人々が私が生還したのを見て奇蹟だと言った。
医師は手術後にまともに歩けるまで一年かかると言い、登山してはいけないと言った。14座の夢が挫折した瞬間だった。 しかし松虫が松葉で暮らすように、山を離れては暮すことができないでいた。道峰山、北漢山から再起してロッキー山脈で登山に成功し、人々の憂慮を払拭させ、14座で残った4峰がその次の目標になった。

残り4座を目指しながらも、私は隊員達をたくさん失った。生放送の中継が進行したカンチェンジュンガ登山を共にしたKBSヒョン・ミョングン記者とハン・ドギュ隊員だ。彼らの死亡と隊員たちの負傷は撤収しようか登山を敢行するかの選択を強要した。私たちの登頂に対する執念は、誰も破ることができないものではあるが、結局頂上に至ることはできなかった。しかし2000年春にまたその山を尋ね、私はまた一人の友を失った。タマンという兄弟みたいだったシェルパが落石に頭に打たれ、結局起きることができなかったのだ。
ヒマラヤ登山を始めて既に8人の仲間が犠牲になったという事実に、私は自分が恐ろしかった。死を越えて遂に山に登らなければならないことか会議が押し寄せた.
しかし答は明確だ。「登らなければ行けない」 高所登山タブーの8000m以上でのビバークをしてまで執念を燃やした。8千5百メートルでビバークしながら死の影が私の体の深い所まで入って来たと感じるようになった。死を受け入れると心はむしろ楽になったし、その間暮して来た生が映画のように過ぎ去った。家族に聞こえない遺言を残した。
「シオンよ!ヒョンシックよ!遠い後日パパを理解してくれ。そしてあなた、二人の子供を屈せずに育ててくれるのを…。」
太陽はまた浮び、私たちはカンチェンジュンガの頂上に立つことができた。死んだ隊員たちの写真を埋め、涙を流して彼らの霊を慰めた。

14座を全て登り帰って来た日常は、虚脱感のみだった。「あまり早く目標を果たしたのではないか」「これ以上生き残っている意味はないのではないか」
死んだ仲間たちを思いながら泣く日常が続いてから、新しい目標を立てるようになった。それは世界で誰も成し遂げていないヒマラヤ 16座に挑戦することだ。

同僚隊員たちの死と多い挫折の中で、もうやめなさいといいながら繰り返えし失敗を押し付ける大自然に向かってまた新しい目標を作る。そうだ。挫折と苦痛が私に生きて行く意味と目標を作ってくれたのだ。私は私の命が切れるまで、山を登ってまた登るでしょう。何故ならば山がそこにあって、私を呼ぶからだ。私が山を登らなければならない運命に生れついたからだ。

Omuオム・ホンギル氏近影(月刊人と山より)

オム・ホンギル
韓国外国語大中国文学科卒業。1985年エベレスト南西壁登山を始まりに、1988年エベレスト登頂に成功。2000年7月31日K2に登って我が国とアジア初のヒマラヤ8000メートル峰14座登頂に成功。ここで留まらず、2004年には8505mのヤルンカンに登って世界初の15座登頂に成功、2007年4月には8000メートルを超える2座の衛星峰登頂に挑戦する。無惨な苦痛と負傷を不屈の意志で乗り越えた彼に2001年大韓民国山岳大賞が授与された。オムホンギルは「山はいつもそこに存在するが、登ってからはそこに存在しない。」と語る。
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以上記事引用おわり

メキシコの8000m峰14座登頂者カリソル・カルソリオがオム氏の目的意識に火をつけた、というのは登山史に埋もれた秘話というところです。また財政面を支えるためにネパールにゲストハウスを作ったという逸話も、オム氏がただピュアな人間ではなく、目標を実現するためにしたたかな面を持っていることを伺わせます。

8000m峰全山登頂を目指す或る登山家を「コレクターバカ」と評する方がいらっしゃいましたが、8000m峰14座を登るにはプータロークライマーとはまた異なり、その行為を支えるために生きるがための「戦術」だけではなく社会的な「戦略」も必要となります。それを理解せずにバカと評する誰かさんもよほどお馬鹿さんですね。
その意味で、日本からではなく韓国社会から先んじて14座登頂者が排出されたということは、山の「道具」や「ハウツー」などの小手先に詳しい日本の山岳メディア関係者には興味の対象外のようですが、私にとっては大変興味深い社会的現象です。

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