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小林由佳は『宿敵』!韓国キム・ジャイン、学生生活を語る。

韓国の女子フリークライマーのホープ、キム・ジャインが学生生活を語ってます。

「蜘蛛少女」キム・ジャイン語る「大学生になったからもっと登ります」 by 東亜日報3/28

Kji
キム・ジャイン近影(ノースフェイスコリアより引用)

以下記事引用開始
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「大学でスポーツ関連の授業を聞くことが本当に面白いです。運動と勉強は両立し難いですが、熱心にしてますよ」
岩登りで卓越した技量を見せる「スパイダ」として知られるキム・ジャイン(19歳、高麗大)は 28日大学生になった所感を明らかにしながら笑った。
キム・ジャインは 2004年から昨年までアジア選手権大会で 3連覇を果たすなど国内はもちろん世界的に有名なスポーツクライミング選手だ。高校卒業後、今年3月高麗大体育教育科に入学、大学生で初めて参加した国際大会で優勝して健在を誇示した。
去る 24日、中国広東省で開かれた 2007テレコム招請国際クライミング大会の女性難易度競技で堂々 1位に輝いた。中国登山協会(CMA) の招請を受けた女性選手は 16人に過ぎなかったが、世界的水準の選手たちを追い抜いたという点で喜びが大きい。
2位にとどまった小林由佳(日本)は国際山岳連盟ワールドカップランキング 9位で、国際大会ではキム・ジャインの宿敵であった。銅メダルに輝いたミュヌエル・サルカーニ(ベルギー)もワールドカップ優勝経験 30回を超えるベテランだ。
(中略)
大学の新入生で盛んに遊びたい時だが、週に五日は学校を終えた後、人工壁で一日 4~5時間練習している。
小学校 6年生の時にスポーツクライミングを始めた彼女の今年の目標は 6月末から参加するワールドカップで 3位以内に入って入賞することだ。キムは技術と体力に優れるが身長は152㎝に過ぎず、外国選手たちよりホールドを取るのに不利である。
また、ワールドカップ大会の場合、スポーツクライミングが普遍化されたフランス,オーストリア,スペインなどヨーロッパで開催されるため、どうしても心理的負担が多く 10位圏内外にとどまっていた。
「大きい競技の経験が少なく、その間ワールドカップで入賞することはできなかった。負傷から回復したから熱心に練習する」と覚悟をかためている。
イ・ゼヨン(ノースフェースクライミングチーム)は 「ジャインが大学生になって心理的にも平衡感覚など技術もうんと成長した。今年ワールドカップでは 1~2位を視野に入れるほど良い成績が期待される」と語った。
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以上記事引用おわり

いやあ、さすが韓国マスゴミ、日本の小林由佳さんは 『 宿 敵 』 扱いですね。
フィギュアの金妍兒といい、水泳の朴泰桓といい、素のままで素晴らしいアスリートなのに、韓国マスゴミって必ず日本の誰かを比較対象にして持ち上げますね。
日本の保守派ブロガーの間ではいい加減にしろという声も上がってますが、この水戸黄門並みの黄金ワンパターンあってこその韓国メディアですよ、うふふ。

ところでこのキム・ジャインを紹介する記事、韓国では「東亜日報」「 スポーツトゥデー」「 スポーツ韓国」「中央日報」「スポーツソウル」などなど、中央日報などメジャー紙はもちろん、スポーツ各紙に配信されてます。
クライミング自体が所詮「マイノリティ」扱いの日本マスゴミとの差も感じますな。

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私の好きな『山の歌』

突然審理が動き出した光華寮問題。
温家宝の来日予定に何か匂うなぁ~。
日本のマスゴミは喜々として温家宝来日を報じているが、所詮はナンバー2だろうがよ。
胡錦濤自ら訪問しているアフリカの田舎より格下の扱いなんだがな。

唐突ですが、最近絶滅の危機に瀕している『山の歌』。
全てがそうだとはいいませんが、多くの歌が題材にしている「登山者の気取った雰囲気」が好きになれません。
強いて挙げるとすれば、芹洋子さんの「坊がつる賛歌」くらいかなあ・・・
山の歌としては、台湾の歌手の中で最も好きな張恵妹が歌う『站在高崗上』という歌が一番好きだったりする。

Amei
張恵妹(チャン・ホイ・メイ)近影

もともと台湾原住民に伝わる民謡をポップスにアレンジした曲で、台湾人なら誰でも知っている歌。
その魅力は歌詞にある。

站在高崗上 in Guiyang,張惠妹 by Youtube(クリックすると音が鳴るので注意)

連綿的青山百里長呀 (連綿と続く長大な青い山)
巍巍聳起像屏障呀喂 (高く大きくそびえてる)
青青的山嶺穿云霄呀 (青々とした山々は雲をつらぬき)
白云片片天蒼蒼呀喂 (白い雲が青い空に浮かんでる)

(中略)
我站在高崗上向下望 (私は高い山の上から下を望む)
那一片緑波海茫茫  (緑が一面、広大な海のよう)

(以下略・日本語訳筆者)

この歌詞、稜線から雲海の上を望んだときの感動が思い起こされるのが、好きな理由なのです。
実際に山の上で雲海を眺めたときも、頭の中に流れるのは日本の曲でなくてこの歌だったりする。
まあ「雪山賛歌」だって原曲は外国の曲だし、日本人の私が台湾の歌を気に入ってもいいでしょ。

前述のYoutubeの画像は中国・貴州省のライブであり、私が若かりし頃に雲南省の田舎を歩いていたときも、街角でこの曲のプロモが放映されていたことから、大陸の人々にも人気があると思われる。
私の好きな歌手である張恵妹・通称「阿妹」は、有名なエピソードであるが、2000年の台湾総統就任式で台湾国歌を歌ったため、中共政府に大陸でのCM放映禁止、コンサート禁止、CD発売禁止を喰らった。

張惠妹-國歌 by Youtube(問題となった2000年陳水扁総統就任式ライブ)(クリックすると音が鳴るので注意)

一曲の歌で一人の歌手を国家権力で翻弄する国は現在、スポーツと平和の祭典とやらに一生懸命のようだがな。
あ、本日のテーマは『山の歌』でしたね。

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中国共産党に頭が上がらない偏向放送局NHK

ビジネスホテルでBS視てて思ったのですが。
ネパール報道における、マスゴミ各社のマオイストの呼び方

産経新聞 旧反政府組織「ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)」
読売新聞 武装組織のネパール共産党毛沢東主義派
朝日新聞 共産党毛沢東主義派(毛派)
毎日新聞 ネパール共産党毛沢東主義派




NHK 武装勢力

ジャーナリストヅラしたNHKの皆様、今日も中共のご機嫌うるわしゅう。

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仕事してます。

昨日から北陸某県に出張。
リストラ寸前とはいえ、年がら年中ネットで山のニュースを検索してるわけではなく、仕事もする。(一応)

Yoru
仕事の相方と夜の街へ。
飲めない私であるが、会社モードに切り替え、ビールジョッキ2杯飲む。
その後、あんず酒を頼むが、これがまたカミさんのシャンプー臭い
あんず酒の質が低いな養老の瀧
もっとも、翌日の現場作業を思うと緊張してあまり酔えない。

翌朝、4tトラックの荷台には『衣服を着用していない巨乳のお姉ちゃん』写真入り広告カードが入れられていた。
さすが『日本海の玄関口』を自認する某県。
昼過ぎに現場作業を終え、クライアントを駅に送り、相方と別行動で山形に帰る。
試料を分析所に急ぎ運ばなくてはならない。
大型ワゴン車で高速を飛ばす。
ラジオからはリストのハンガリー狂詩曲が流れていた。
狂詩曲のサビの部分でETCレーンを通過する。

まだ雪に覆われた飯豊連峰を眺めながら、山形県に入る。
国道沿いでは、老夫婦が何やら山の恵みを採取している光景を幾度か目にする。
暖冬とはいえ、山形にもようやく春が来る。

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太っ腹!な、韓国道路公社

前々から、韓国のヒマラヤ登山に関するニュースを読んでて不思議でした。
登山隊を支援する『韓国道路公社』という存在。
公社が登山隊支援?
その内情が明らかに。

登山隊を積極的に後援する韓国道路公社ムン・ミョンフン労組委員長 by 月刊山
以下記事引用開始
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 韓国道路公社(社長ソン・ハックレ)は、今春エベレスト・ローツェ遠征隊を派遣する。登山隊を運営する韓国道路公社は 97年ナンガパルバット、99年カンチェンジュンガ、02年シシャパンマ、04年ナンガパルバットなど登山隊を派遣・後援している。
 「今年は会社の山岳チームが主軸になってエベレストとローツェ登頂を同時に目指す遠征隊を立ちあげました。他の遠征と意味が違います。世界最高峰頂上まで障害者とともにする登山です。」
 ムンミョンフン(文明訓) 労組委員長は「去年労組主導の下に、欠損家族助け合いとソウル駅ホームレス助け合い運動を広げた。この登山が障害者たちに夢を、経済的に苦しい国民に勇気を与えたらと思う」と語った。

韓国道路公社山岳チームが創立して今年 6年目を迎えている。(中略)このような過程を経験する間、人間の限界に挑む山岳人たちの挑戦精神を高く買う職員たちが多くなると、登山出身の職員たちの間で有名山岳人の職員迎入に関して議論された。IMF 余波で長年停滞するさなか、 2001年 3月、労使合意によってクライミングチーム結成が決まったのだ.
 韓国道路公社山岳チームはヒマラヤ高所登山で永遠に残るに値する登山をやりこなした。特に 2002年シシャパンマ(8,027m) 南壁に開拓した「コリアハイウェイルート」は韓国ヒマラヤ登山史上初の 8,000m級バリエーションルートだった。
 「登山家たちの挑戦精神は高速道路を新たに作り管理する韓国道路公社のイメージとぴったり合うと言えますね。今年は第2の創業ともいえる「長期持続可能な経営」宣言で道路サービス専門機関として、グローバル企業を宣言してこの間に企業イメージ統合作業を終えました。うちのレーバーユニオンは創立 20周年を迎えました。今度の遠征はこれを記念する登山隊です。」
(中略)
委員長は「新しい道を作るという点で国民生活に有益な事をしているにもかかわらず、道を作ることによって環境破壊をもたらしているというネガティブなイメージもある。こんな面でヒマラヤ登山を通じて、当社が自然に対して多いに関心を持っているし、公企業としてスポーツ分野で国威宣揚の手助けになるという点も、国民に知ってもらえたらと思う。」と語った。
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以上引用おわり

いや、スゲー。
注目のツボは、
『労使合意によってクライミングチーム結成』
というトコですよ。
今は廃刊となった山岳雑誌「山と仲間」があったら、編集部が泣いて喜ぶ状況ですな。
日本人労働者採用枠ないかな、韓国道路公社。

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ピート・タケダ、アメリカ政府の陰謀に挑む

ピート・タケダといえば、ビッグウォールに関心ある方なら知っているであろう、アメリカの「書けて登れる」秀でた日系人クライマーです。
そのピート・タケダ氏、かつてCIAがインドのナンダデビ峰を目指す登山隊に関与したといわれる「核兵器追尾装置設置」事件を追及すべく、2005年にナンダデビ峰をめざしたとのこと。
して、その結果は。

Proof of plutonium in climber's sample by Seattle Post-Intelligencer3/25
以下記事引用開始
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登山者の採取試料からプルトニウムの証明

ナンダデヴィ峰上の「失われた器材」から放射性物質の存在がリークされたことは、装置を設置した今も存命の登山家を驚愕させました。
同山を初めて訪れた8名のアメリカ登山隊のうち、4名は既に亡くなっています。しかし残るM.Sコーリ、ジム・マッカーシー、ロバート・シャラー達は世界の最も高い聖地にプルトニウムが残置されていることに懸念を表明しています。
米国政府は、その任務に関して公式に認めておりません。

コロラド州ボルダーの登山家、ピート・タケダ氏は、かつてのCIAの遠征隊を探るため、残置された装置を捜索すべく 2005年にナンダデヴィ峰に登ろうとしました。
 しかしながら、タケダ率いる登山隊はインド政府から登山許可を与えられませんでした。このため、隣接した山で装置のありそうな稜線をさぐることができるナンダコット峰を目指しました。
その遠征途上、タケダはリシ・ガンガとダウリ・ガンガ合流点上流で沈殿物のサンプリングを行いました。
(中略)
ボストン・ケミカル・データ社(マサチューセッツの民間の環境会社)はサンプルを分析、95%の確実性でプルトニウム239を見つけました。
(中略)
結果は濃縮したプルトニウムの源が山域に存在する可能性を示します。
「これは確実に何者かがプルトニウムを持ち込み登ったことを示します。」
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以上記事引用おわり

補足しますが、冷戦時代、中国の核実験を監視するため、CIAがナンダデビ登山隊に働きかけ、核兵器追尾装置と原子力電池を設置、その後雪崩で失われたとされています。
今回話題になっているプルトニウムは、その装置の一部と推測されます。
以前当ブログでも書きましたが、アメリカはピースコー(日本でいう海外青年協力隊)に諜報員を多数紛れ込ませ、アジア各地で情報収集しておりました。ヒマラヤを擁するインド・ネパールも例外ではありません。
冷戦時代の政府の陰謀を探ろうという、こういうのも現代の探検と呼ぶにふさわしいでしょう。

Petetakedaピート・タケダ氏近影

タケダ氏のサイトはここ→http://www.petetakeda.com/

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ウィル・ガッド、新作「YAMABUSHI」を登る

鬼畜新聞社アサヒとタッグを組み、反日記者オオニシ・ノリミツのトンデモ記事が保守派ブロガーをワクワクさせてくれるニューヨークタイムスですが、クライミング関連記事はなかなかです。

Injury Tests Climber’s Resolve High Above the Ground  by The NewYorkTimes 3/24

日本のアイスクライマーには特に知られたウィル・ガッド先生、ロッキーで岩の新ルート開拓、名前を「Yamabushi」と名付けたそうです。
山伏は「津波」みたいに世界的に知られた言葉なのか?
次はぜひとも「月山」とか「出羽三山」希望。
はさておき、記事によればウィル・ガッド先生は

1.右手が腱鞘炎である。
2.理学療法などいろいろ試した。
3.最近良いカイロプラクターに出会って治療中。
4.「Yamabushi」は再登できるか断言できない困難なルート。
だ、そうです。
クライマーだけでなく多くの登山者の方々も体に故障を抱えている方は多いと思いますが、ウィル・ガッド先生のように先鋭的なクライミングを繰り返している方ならなおさらなんでしょう。
皆様、体の故障とは仲良く付き合って、良い登山を。

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長谷川昌美女史、Sitara-i-Quaid-e-Azam賞受賞

パキスタン発で喜ばしいニュース。
日本の山岳ガイドの先駆者、故・長谷川恒男氏の奥様である長谷川昌美女史が、パキスタン政府からSitara-i-Quaid-e-Azam賞を授与されました。
長谷川恒男の遺志である、ハセガワ・メモリアル・カレッジによる教育的貢献が受賞の理由です。

Japanese philanthropist, academician receive Pakistan’s distinguished awards  by Associated Press of Pakistan 3/23
以下記事引用開始
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日本の慈善家と大学教授、パキスタンの賞を授与

パキスタン大統領は、長谷川昌美女史、加賀屋裕教授にSitara-i-Quaid-e-Azam賞を授与しました。
カムラン・ニアズ大使は大統領代理として、パキスタン大使館における式典で長谷川昌美夫人と加賀屋裕教授に授与しました。
日本人である長谷川昌美夫人は、パキスタンで教育と登山の促進において多大な寄与をしました。長谷川女史の夫、長谷川恒男氏は1991年10月、フンザのウルタル山で雪崩で亡くなりました。
登山、そしてパキスタンの山への愛情をもって、長谷川夫人は、カリマバードに学校を建設、さらに拡張されています。
2005年に『ハセガワ・メモリアル・カレッジ』(准医学部、准工学部)として開校、今日、およそ550人の学生が学んでいます。教育と登山におけるパキスタンへの顕著な貢献を認め、パキスタン大統領は、長谷川昌美夫人に賞を与えました。
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以上引用おわり

偶然ですが、先日NHKラジオで長谷川昌美夫人のインタビューを聴く機会がありました。
ハセガワ・メモリアル・カレッジについては「学校が建つ」程度の話題として知っていました。てっきり建物だけ建ててはいおしまい、というよくあるパターンかと思っていましたが、かなり充実した学校、教育内容です。
パキスタンでは異例の男女共学、英語による授業、パソコンも多数導入、教師はわざわざイギリスから招いての学校です。
昌美夫人曰く、「長谷川の遺志として開校するなら特に教育内容をトップレベルに充実させたかった」とのこと。開校にあたっては地元住民ともコミニュケーションを重ねての事業推進だったそうです。
インタビューを聴いていて、山で死んだ旦那の遺志を受け継ぐ、それだけの理由でこれだけの困難な事業がすすめられるものなのか・・・と、その偉業に感心させられました。

今回の賞授与の意義はパキスタンにおける教育貢献だけではなく、日パ友好に大きく寄与するものでしょう。
いみじくも故・広島三郎氏が著書でパキスタンに関する偏った報道ぶりを嘆いておられましたが、今回の受賞に関しても日本のマスゴミの大部分はスルーですね。
バラエティ番組でいまだに「○大陸最高峰最年少なんとか」とアルピニストもどきを出演させるなら、こういった方々をもっと取り上げるべきではないでしょうか。

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翁山 ~伝説の彼方に消えた街~

翁山。
山形・宮城県境に位置し、地形図では「翁峠」と表記されている。
標高1075m、とくに特徴もなく訪れる登山者も少ない山である。
この山に注目するきっかけは、山と渓谷誌99年2月号で岡田喜秋氏がとりあげていた記事だった。

現在、山麓には静かな農村が点在するだけの翁山であるが、地元に伝わる古文書「明光寺盛衰記」によれば、かつては「西の出羽三山、東の翁山」と称される信仰の山だったという。400軒もの「花町屋」が栄華を極めた門前町が栄えた、とその古文書には記されている。
今現在の翁山周辺からは 絶 対 に 想像できない光景である。
明光寺盛衰記の粗筋を記述するだけでも長くなるので割愛するが、出羽三山に対し、翁山一帯の門前町は時の権力者・足利幕府の認可を得ていなかったため、早い話が「出る杭は打たれる」の理由で取りつぶしとなり、400軒の街は焼き払われ、入山禁止となった・・・という言い伝えを書き記したものが「明光寺盛衰記」である。

前述の岡田喜秋氏は丹念に「明光寺盛衰記」をひもとき、地形図と照らし合わせながら、言い伝えの場所を確定しようと努力されていた。
しかし残念ながら、その記事をさかのぼる平成元年に発行された山形県総合学術調査報告書「御所山」によれば、約10部ほど現存する「明光寺盛衰記」を分析した結果、各地に共通して伝わるフィクションを繋ぎ合わせた民話と結論づけられている。(同学術報告書は「明光寺盛衰記」が成立した背景にスポットを照らしている)
もともと、翁山南部に位置する御所山自体、承久の乱で佐渡に流されたはずの順徳天皇が実は潜伏していた等の言い伝えがある土地柄である。

そんな伝奇に惹かれ、翁山を訪ねることにした。標高1075mといっても一山二山越えた奥に位置するため、積雪期はアプローチに時間がかかる。
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一山越えると、クルミ平という沼地に出る。登山者よりも山スキーヤーが時折訪れるだけの今は特に静かだ。
凍った沼地では野鳥の良い休憩場になっている。

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翁山小屋でゆっくりランチして今日はここまで。スノーシューでは雪がメチャメチャ重いんだよーんだ。
登山口から小屋まで、ずっと針葉樹の樹林帯が続く。雪解け水が枝からしたたる音がミチミチとにぎやかである。
春になり雪が消えた頃、伝説の香りを訪ねて再訪しよう。
帰路、翁山に幾度もツアーを出している登山用品店マウンテンゴリラに立ち寄り、店主の誉田さんから翁山に関する情報を収集。

ところで、翁山山麓近くの集落郵便局にこんな張り紙が。↓

070324_124901

「人を見たら凶悪殺人犯と思え」という大都会と違い、これが山形のイイとこです。
(田舎の郵便局員はそんなにヒマなのかという野暮な疑問は抱かないように)

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二氏を悼む

鴨志田 穣氏。
戦場カメラマンにして漫画家・西原理恵子女史の元旦那。
この方の青春記と鬱日記には、一番シンパシーを感じるものがありました。

城山三郎氏。
私にとっての代表作は『価格破壊』です。
不良リストラ寸前サラリーマンの私も、迷った時は幾度となく城山氏のエッセイ集を読みました。

合掌。

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お彼岸

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先週の悪天続きで、里山も冬景色に逆戻り。

とはいえ、春ですね。

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羽虫が仲良く交尾してやがりました。

運動にもならない里山歩きを終え、午前中は図書館で郷土資料を検索。
その後はジジババの待ちかまえる実家へ。

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お彼岸のぼた餅を食べて娘もご満悦。

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更新の季節

天災と木村総合保険の封筒は、忘れた頃にやってくる。

あう・・・今年も山岳保険更新の時期・・・
ガイドの傷害保険の料金も、 高みをめざして いるなあ・・・

皆さん、ちゃんと山岳保険入ってますか~?

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UCC、エベレストマウンテンブレンド発売

UCCがネパール産豆でコーヒー発売。
その名も「エベレストマウンテンブレンド」
パッケージはやはり南面(ネパール側)のようですな。

『UCC THE BLEND エベレストマウンテンブレンド』他新発売! by UCCウェブサイト

山の風景をデザインしたコーヒーといえばスタバのレーニア山も好きなんですが、
こっちはなんといっても8000m峰。
カップタイプは山行にも便利そうです。
おぢさん買いに行かなくちゃ!

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続・都合良く利用される「冒険家の生き方」

18日21時より中国の犬HKで放映された
『ラストメッセージ第4集 夢 果てしなく 冒険家 植村直己』
を視る。

070318_a_1

故・植村氏を取り上げる最近の風潮については、当ブログでも『都合良く利用される「冒険家の生き方」』として当ブログで書いた。
この日の放送も、植村氏賛美一色の、特に新鮮味の無い、踏み込みの浅い番組であった。
この程度の番組であれば、長尾三郎氏の『マッキンリーに死す』を熟読した方がよく、かつて90年代に放映された三宅祐司司会のバラエティ番組「驚きももの木20世紀」での取り上げ方の方が優れていた。
NHK制作番組の最後を締めた、植村氏のアウトワード・バウンド校における感動的な言葉は長尾氏の著書に収録されていたものであり、「驚き・・・」では北極探検を主眼に充てていたが、日大OBで現在イヌイットとして暮らす大島郁雄氏の「なぜ今更(冬の)マッキンリーなの?」という強烈なメッセージを放映していたからである。

『植村は、成功・失敗といった結果よりも、そこへ向かうプロセスこそが大切なのだと訴えている。』
これが制作側のNHKの主題である。
しかし、人間死んだらおしまいなのだ。
番組中に流された遭難後の奥様の言葉
「冒険とは生きて帰ることだと言ってたのに、ちょっとだらしがないんじゃないの」
に、植村氏の悲劇は全て集約される。

ある人は冬のマッキンリーを目指す植村氏に「今は運が無い。時を待て。」という趣旨の手紙を出したという。
人生に if は意味のないことであるが、植村氏に求められたのは冬のマッキンリー登頂ではなく、生きて帰ることだった。
それらの背景については只「プレッシャー」とだけ考察した、きわめて軽いNHKの番組だった。

とはいえ、私にとって偉大な登山家であることに変わりはない。
実家の私の部屋には、「北極犬橇」と書かれた植村氏直筆のサイン色紙を今も飾っている。

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冒険スキーのシルヴァン・ソーダン氏、カシミールで一時行方不明

気がかりなニュースがカシミールから。
カシミールでヘリスキーに出発したヨーロッパからのスキーヤーがヘリごと行方不明になった模様。

Europeans skiers lost in Kashmir  by BBCnews3/16
(ヨーロッパからのスキーヤー、カシミールで行方不明)

10 heliskiers rescued by Tribuneindia.com3/15
(10名のヘリスキーヤー救助)

情報が錯綜しているようですが、15日付けのインドの報道では、スキーヤー達は救助された模様です。
行方不明となったグループを率いていたのが、82年にガッシャブルム1峰をスキーで滑降した冒険スキーヤーのシルヴァン・ソーダン氏。
同氏は来日した折、無雪期の富士山をロックスキーで滑降したことを覚えています。
(今でこそ和田好正氏がロックスキーで名を馳せてますが)
記事によれば、ソーダン氏は現在、自身のヘリを所有するなどして紛争地カシミールでのへリスキーの開拓に力を注いでいたようです。
BBCの報道が遅れていたのか、ともかく全員の無事をお祈り致します。

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改めて言う。朝日新聞社は鬼畜新聞社。

朝日新聞2月15日夕刊「素粒子」欄
『人生の教訓』べからず集より

以下引用開始
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●山スキーツアーに行くときはガイドの判断をば信ずべからず。
●テレビは眉に唾塗って見よ。やたら番組内容を信ずべからず。
●おつきあいは大切なれど、近所だからといって信ずべからず。
●子が生まれて届けを出すときは役所の戸籍係を信ずべからず。
-------------------------------------------------
以上引用おわり

あってはならない事故が起き、人命が失われたのは事実です。
しかし、マス・メディアがこういう書き方していいワケ?
しかも発生原因も明確になっていない、事故の翌日にだ。
ガイドの倫理や雪崩のメカニズム、法的責任論に素晴らしい見解をご披露されているスキーガイドやクライミングガイドの先生方はなんとも思わないんですか?
日本山岳ガイド協会理事会の議事録や更新研修報告が時折送られてきます。
ご高名な理事の方や上級登攀ガイドのセンセイ方は「ガイド業務に誇りを持て」「兼業ガイドは研鑽が足りない、もっと自覚を持て」という意味の叱咤をしておきながら、こういう侮辱には何も意思表示しないんでしょうか?

仮に、百億歩譲ってだ。
「ガイドの判断をば信ずべからず」は御遺族の声を代弁したものだというならば、それこそ何様のつもりだですよ。
雪崩事故の原因・状況も明らかになっていない翌日の紙面で「マス・メディア」がこういう書き方をするのは。

ネット上に多くの「ガイド批判」の声があり、謙虚に耳を傾けなければならない、と私は思います。
しかし、誰にもガイドという職業を「否定」する権利は無いはずだ。
ガイドという職業に専業で就いている方も存在する日本社会において、今回の売国奴捏造新聞アサヒの表現が許されるんであれば、毎晩当ブログをご覧下さっている数百人の方々を不快にさせて申し訳ないと思いつつ、私は当ブログで正々堂々こう書きますよ。

鬼畜新聞社アサヒの記者は豆腐の角に頭ぶつけて死ね。

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国花、国鳥、そして『国山』

中国の共産主義者どものお祭り「全人代」が閉幕。
一件、興味深い報道がありました。
中国で国の山『国山』の制定議案が提出されたようです。

泰山命名為“国山”背后的利益冲動 by Hexun.com3/15
以下引用開始
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 開催中の全国人民代表大会会議上で、山東代表団は泰山を“国山”とする議案を提出しました。
(中略)
 “国山”、その山は国、民族文化の発祥地であり、中華民族の始祖と関係があるべきです。“国”と関係がある山、花、木のたぐい、1つの国家、民族の精神を体現していて、1国の民族的気骨を代表します。
 たとえば日本の富士山、桜、オランダのチューリップなどです。
 泰山はその基準にふさわしいのでしょうか?
(中略)
 これもまさに私の言いたい点ですが、「国山」を選定するに理由がないことを望まれますか?ただ泰山を「国山」として議案を提出されても問題があり、それらの理由は正式に提出なされていません。
 もし「国山」を評議して選出するとするならば、私達は昨年「国花」を評議したようにその理由を公表し、公然と公平な方式をもって選出すべきです。
  筆者の調査によれば、中華民国の時代、1936年泰安の学校校長、徐瑞祥は「国山として泰山を決める」とし、中国の国山に泰山の決議提出した。その後、泰山学院の王雷亭教授は提案を支持していますが、泰山は「国山」にはなっておらず、中国には今なお「国山」は存在しません。
 黄河は「母なる河」と称され、長城は民族の背中と称されています。しかし黄河の汚染に人々は心を痛め、長城の煉瓦は数少なくなり今や豚小屋に積まれています。そこで考えてみましょう、もし私達に「国山」があるのならば、「国山」が観光客に安易に踏みつけられることがあってよいものでしょうか?
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以上記事引用おわり

今回の件は、山東省の代表団が泰山を「国山」とする議案を提出しただけで、決定には至っていない・・・というより議論沸騰中のようです。
思えば、国花、国鳥、国蝶、国木、国魚があるのですから、「国山」があってもおかしくないわけですね。
いみじくも引用記事の中国人記者が書いていますが、法的に制定されているわけではないにせよ、日本を代表する山といえば「富士山」として誰も文句ないところでしょう。

調べてみると、意外なことに中華人民共和国はこれら国のシンボルたる花や木などが制定されておらず、2008年を目処に国花を制定する動きがでている最中です。
中国の国の花というのも、実は難問です。
歴史をひもとけば、清朝の頃に牡丹が国花として制定され、中華民国の時代には梅が国花だったようです。
牡丹も梅も、中国を代表するに素敵な花ですね。
土産物屋でみかける切紙細工「剪紙(せんし)」でも、梅や牡丹を題材にしたものをよく見かけます。

Kami
梅と牡丹どちらか選べというのは、父親と母親どちらか選べという質問に等しいのではないかと想像します。

山の話題に戻りますが、
Tai
泰山といえば美しい景色とともに、長大な階段が名物。
世界遺産にも登録されており、その歴史的背景からも中国を代表するといってもよいのですが、「国山」に制定となれば莫大な利益もおちる、もっと議論を尽くすべきではないか、と引用記事は訴えています。
ちなみに私が長いこと職場で一緒だった中国人は、名山として「黄山」をイチオシに挙げていました。
中国は様々な民族、文化圏を包容し、名山といえばヒマラヤから泰山、黄山に代表される歴史豊かな低山まで数多く存在するわけで、中国で「国山」制定するなどというのはチョモランマ無酸素で登るより困難な問題だと思います。

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逮捕しちゃうぞ

Taihosityauzo

ニュージーランドで違法山岳ガイドが 逮 捕 されたようです。

Aussie arrested for illegal guiding in Mt Aspiring by Stuff.co.nz 3/15
(アスパイアリング山を不法ガイドのオーストラリア人逮捕)

DoC cracks down on unauthorised guide by TV3 3/15
DOC、未許可ガイドを取り締まり(↑TVニュース動画あり)

以下、Stuff.co.nzより引用開始
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オーストラリアを本拠地とする山岳ガイドが認可なしでAspiring国立公園山で4人のパーティーをガイドした事が発覚、後に逮捕されたと、DOCが公表しました。
男は国立公園法により起訴されたと、DOCのワナカ地域担当官アネット・スミスが証言しました。
スミス氏によれば、男が数ヵ月前に公園内をガイドする認可をとりつけようとしましたが、彼の安全計画は審査を通りませんでしたので、DOCは彼の認可を取り下げました。
「残念なことに彼はそれを無視し、タスマン全域およびAspiring/Tititea山域に彼のグループを引率しました。」と、スミス氏は証言します。
彼らがワナカに戻った際、DOCスタッフは情報提供を受け、警察とともに男と彼のクライアントに面会、ガイドはそれから正式に警察署で取り調べを受け、起訴されました。
スミス氏によれば、同ガイドは認可無しでガイドしたため2005年末にも逮捕され、警告を受けているとのことです。
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以上引用おわり

記事中のDOCとは、Department of Conservation で、日本では自然保護・国土保全部とか自然保護局と訳されている、ニュージーランド政府の機関です。日本でいえば環境省でしょうか。
 ガイドの本場・ヨーロッパアルプスの例は浅学ながら知りませんが、ニュージーランドで不法山岳ガイドで逮捕されたのは今回が初めてのケースだそうです。
 山岳ガイドといっても、ニュージーランドにはトランピング(トレッキング)からクライミングまで様々な形態がありますが、上記リンクの動画ニュースによると雪山登攀を含むmountain guide のようです。
 当局によれば「安全面」を重視したための措置のようで、これだけの強い姿勢を示すことができる行政、山岳ガイドのシステムに注目しなくてはなりません。
 記事によれば、地元ではDOCの強い姿勢に支持の声が上がっているようです。

 今現在、東北某県でも町おこし村おこしの手段として独自に山案内人制度を立ち上げようとしている自治体がでてきましたが、安全という面をおろそかにしてはなりません。
 世界遺産で一儲けしたいっつー、そこのお役人とマスゴミはそんなの考えてないと思うけど。
 また私自身も改めて考えさせられる、ガイドにまつわる報道であります。

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荷物は控えめに。

山の装備は最低限のモノをとはいいますが。
そうはいかない人たちもいるようで。

Medical tests at the top of the world by BBCnews3/14
以下記事引用開始
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世界最高所の医学テスト

エベレスト山頂上は辺境の地かもしれませんが、ロンドン大学医学部チームにとっては理想的な研究の舞台です。チームは3月17日、世界で最も有名な山に向けて出発しました。
ベースキャンプ(5,300メートル)で200人以上のボランティアと様々な実験を行い、科学者の小チームは5月に登頂を目指します。そこで血液サンプルを採取し、試験を行います。
(中略)

物流係の挑戦

カトマンズでは、エベレストのベースに25トンの貨物を7箇所に輸送運搬するロジスティックスが必要となります。
12月から、器材専門チームは120,000アイテムを900個の容器に詰めることに日々費やしました。
準備は完璧です。
この膨大な業務の担当者であるマック・マッケニーはカトマンズからBBCに答えました。
「お世辞抜きに忙しいんです!」
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以上引用おわり

一昔前の登山隊の梱包とかって、経験者は知っていると思いますが、
賽 の 河 原 の 石 積 み のような作業ですよね、あれって。
(最終キャンプ、頂上アタックで使われる食料の梱包なんかはそれなりに感慨深いものがありますが)

超高所での医療テストって、いろいろ研究課題が多いんでしょうね。
私が持っているアメリカのエベレスト隊のビデオでは、各キャンプ~頂上において、BCにいる医師が無線機を通じて話すとおり、クライマーがオウム返しにしゃべるというテストが印象的でした。
だんだんエベレストの頂上に近づくにつれ、簡単な文言を繰り返し話すことができない・・・クライマー各氏が「あれ?あれ?」てな感じで無意識に舌がもつれている様子は、超高所の恐ろしさをまざまざと見せつけてくれるモノでした。

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超軽量・100グラムのハーネス

仏のkairn.comを見ていたら何やらスリムなハーネスが。
cilaoとかいうメーカーのハーネスです。

2_03

売り出し文句は「100グラム」(Mサイズで)のようですが・・・
んー、よく読んだら、推奨用途は山スキーorアドベンチャーレースでしたね。
最近ようやっと、用途別にハーネスそろえようか物色中の私でした。

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如何にして8000m峰14座に登ったか オム・ホンギル物語

韓国には8000m峰14座全山登頂者が3名もいるというのに、日本の山岳メディアは明治維新の頃なみに欧米の方角しか向いてないので、彼らが何を考え、どんな思想で登ったのか、という最も関心ある情報が入ってこないのが実状です。ロクスノのば~か。

韓国ノーカットニュースに、まとまったオム・ホンギル氏の手記が掲載されていました。

オムホングギル 「8000mで希望を見た」 by ノーカットニュース3/12
以下引用開始
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私の青春はひたすら白いヒマラヤに捧げられた。
「世界最高峰エベレストに登れば、これ以上の目標はないだろう」と思った20代からヒマラヤ8千m峰14座登頂という新しい目標を果たすまで、ヒマラヤは私を教え育てた所だ。
私は無数の失敗と挫折を繰り返したし、多くの仲間たちを失わなければならなかった。生死の境を数十回越えたし負傷も何度も経験しなければならなかった。人生という登山で私が学んだことは、大自然の信義と摂理に対して敬意を抱かなければならないということだ。

私の人生の登頂は、何も分からなくて始めたエベレスト挑戦で始まった。
偶然に山で会った先輩の「エベレストに行って見ないか?」の豪儀な誘いに承諾したのがその理由だ。当時の私は海外遠征が何か,エベレストがどんな所かも知らない若い山岳人だった。
しかしエベレストは易しく屈服しなかった。特に冬季エベレストの天候はとても残酷だった。易しく思ったエベレスト挑戦は失敗で終わった。
二度目のエベレスト挑戦で私はヒマラヤの力の前に完全にひざまずいた。シェルパが足を踏みはずして命を失ったためだった。ヒマラヤ登山でそのシェルパは最初の犠牲者だった。彼は当時結婚して7ヶ月になったばかりの22歳の青年だった。
私は何も言えなかった。頂上が目前だったが、これ以上登ることができなかった。
私の目標を果たすのが無意味だと感じたのだ。私は初めて山に登ることを後悔したし「二度とヒマラヤを見たくない。ソウルに戻って平凡に暮らしたい」と思った。
しかし時間は行ってまた来るのだ。その時間の中で、万物は生命を開き人間の傷も癒されるのだ。私も仕方ない熱い熱情が胸の中に流れるのを宿命的に感じた。若さが作り上げるその渦を耐えることができなかった.また失敗しても良い.挑戦の欲求とその若さの渦が私をまた起こして立ててくれた。私のヒマラヤ遠征はそして始まった。

1998年、オリンピックを記念した3度目の挑戦で私はエベレストに登頂することができた。優れた隊員たちと共にした。私は故障した酸素マスクを投げつけ、よろけながらも結局頂上に登ることができた。そのように待ちこがれたエベレスト登頂を終わらせたが問題はその後だった。私には明らかな目標がなかったのだ。
私にはただ、8千メートル峰を登るという漠然たる目標だけがあった。それに社会の反応は期待したより冷ややかだった。遠征後援をもらいにくかった。私はお金を儲けながら山を登るという考えでネパールにゲストハウスを作った。事業は成功だったが、やはり心の中で叫ぶ声が私をじっとさせなかった。青春を安楽の中で流したくなかったのだ。

またヒマラヤを目指したが、私を待っていたのは試練だった。89年から93年まで、8千メートル峰に6回挑戦して6回失敗した。特にナンガバルパット遠征では強引に悪天下で行動し、凍傷で右足指を二本切断しなければならなかった。試練はまたもやってきた。93年チョオユー・シシャパンマを登る無謀な挑戦をしたのだ。ベースキャンプから登ろうとすると悪天がひどくなり、シェルパ達もあきらめる所から後輩二人共に3人で頂上を目指した。登頂を半ばであきらめ先に下山した後輩をあとに、頂上を往復した。
死がすれちがう奇蹟の中でベースに帰って来たが、先に下山した後輩は帰って来ることができなかった。撤収日になると私たちは写真を広げ、祭祀壇を作った。泣きながら「お前に会いにまた来るよ。その時まで眠っていなさい。」と語りかけた。私たちは何も言えず、ずいぶん長い間泣いた。
95年カトマンズの居酒屋で会った英雄的登山家カルソリオのおかげで、私は新しい目標を立てることができた.14座登頂を目前にしていたカルソリオは私に「8000m峰はいくつ登った?韓国で一番多く登った人は幾つ登頂した?」と言い、露骨に自尊心に触れた。
しかし私は4座しか登ることができなかったし、記録がないから語る言葉もなかった。8千メートル14座を登れば、後輩たちも私のような恥辱にあわないと思った。私が 8千メートル14座をやりこなしたら、それは私の喜びである前に韓国山岳人たちの光栄だろうと思った。「やりこなす。できる。14座登頂ができない理由がない。」と一人で拳を握った。

アンナプルナに登頂する際も、死の縁に行って来た。ホワイトアウトによる視界喪失,その中でシェルパ2名が滑落、ロープでお互いに繋がれた状態だから私も一緒に墜落しかねない状況だった。
思う間もなく私はロープを握り、苦痛に堪えて一緒に転んで落ちた。幸い私たちは命を拾ったが、私の足は足首が180度折れてしまった。動くことができなかったが何とかベースキャンプまで下った。すべての人々が私が生還したのを見て奇蹟だと言った。
医師は手術後にまともに歩けるまで一年かかると言い、登山してはいけないと言った。14座の夢が挫折した瞬間だった。 しかし松虫が松葉で暮らすように、山を離れては暮すことができないでいた。道峰山、北漢山から再起してロッキー山脈で登山に成功し、人々の憂慮を払拭させ、14座で残った4峰がその次の目標になった。

残り4座を目指しながらも、私は隊員達をたくさん失った。生放送の中継が進行したカンチェンジュンガ登山を共にしたKBSヒョン・ミョングン記者とハン・ドギュ隊員だ。彼らの死亡と隊員たちの負傷は撤収しようか登山を敢行するかの選択を強要した。私たちの登頂に対する執念は、誰も破ることができないものではあるが、結局頂上に至ることはできなかった。しかし2000年春にまたその山を尋ね、私はまた一人の友を失った。タマンという兄弟みたいだったシェルパが落石に頭に打たれ、結局起きることができなかったのだ。
ヒマラヤ登山を始めて既に8人の仲間が犠牲になったという事実に、私は自分が恐ろしかった。死を越えて遂に山に登らなければならないことか会議が押し寄せた.
しかし答は明確だ。「登らなければ行けない」 高所登山タブーの8000m以上でのビバークをしてまで執念を燃やした。8千5百メートルでビバークしながら死の影が私の体の深い所まで入って来たと感じるようになった。死を受け入れると心はむしろ楽になったし、その間暮して来た生が映画のように過ぎ去った。家族に聞こえない遺言を残した。
「シオンよ!ヒョンシックよ!遠い後日パパを理解してくれ。そしてあなた、二人の子供を屈せずに育ててくれるのを…。」
太陽はまた浮び、私たちはカンチェンジュンガの頂上に立つことができた。死んだ隊員たちの写真を埋め、涙を流して彼らの霊を慰めた。

14座を全て登り帰って来た日常は、虚脱感のみだった。「あまり早く目標を果たしたのではないか」「これ以上生き残っている意味はないのではないか」
死んだ仲間たちを思いながら泣く日常が続いてから、新しい目標を立てるようになった。それは世界で誰も成し遂げていないヒマラヤ 16座に挑戦することだ。

同僚隊員たちの死と多い挫折の中で、もうやめなさいといいながら繰り返えし失敗を押し付ける大自然に向かってまた新しい目標を作る。そうだ。挫折と苦痛が私に生きて行く意味と目標を作ってくれたのだ。私は私の命が切れるまで、山を登ってまた登るでしょう。何故ならば山がそこにあって、私を呼ぶからだ。私が山を登らなければならない運命に生れついたからだ。

Omuオム・ホンギル氏近影(月刊人と山より)

オム・ホンギル
韓国外国語大中国文学科卒業。1985年エベレスト南西壁登山を始まりに、1988年エベレスト登頂に成功。2000年7月31日K2に登って我が国とアジア初のヒマラヤ8000メートル峰14座登頂に成功。ここで留まらず、2004年には8505mのヤルンカンに登って世界初の15座登頂に成功、2007年4月には8000メートルを超える2座の衛星峰登頂に挑戦する。無惨な苦痛と負傷を不屈の意志で乗り越えた彼に2001年大韓民国山岳大賞が授与された。オムホンギルは「山はいつもそこに存在するが、登ってからはそこに存在しない。」と語る。
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以上記事引用おわり

メキシコの8000m峰14座登頂者カリソル・カルソリオがオム氏の目的意識に火をつけた、というのは登山史に埋もれた秘話というところです。また財政面を支えるためにネパールにゲストハウスを作ったという逸話も、オム氏がただピュアな人間ではなく、目標を実現するためにしたたかな面を持っていることを伺わせます。

8000m峰全山登頂を目指す或る登山家を「コレクターバカ」と評する方がいらっしゃいましたが、8000m峰14座を登るにはプータロークライマーとはまた異なり、その行為を支えるために生きるがための「戦術」だけではなく社会的な「戦略」も必要となります。それを理解せずにバカと評する誰かさんもよほどお馬鹿さんですね。
その意味で、日本からではなく韓国社会から先んじて14座登頂者が排出されたということは、山の「道具」や「ハウツー」などの小手先に詳しい日本の山岳メディア関係者には興味の対象外のようですが、私にとっては大変興味深い社会的現象です。

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い・や・だ。

ネパール人からみれば私は外国人なので、
コトの是非を論じる立場には無いのは重々承知なんですが。
それでも反対です。

久々にネパール民主化運動のブログを拝見したら、
ネパール国旗のデザインを変更する動きがあるようです。

On the National Flag of Nepal by United We Blog! for a Democratic Nepal 3/2

早い話が、

National_flag_of_nepal
こちらが従来のネパール国旗。
記事によれば、青い縁取りは平和と調和を象徴、真紅の色はネパール人の勇敢な精神を示すナショナル・カラーだそうです。そして三角形のデザインは山ではなく、ネパールがヒンズー国家であることを示し、太陽と月はネパールが天体と同じくらい恒久に続くという象徴、太陽は激しい決意を象徴するのだそうです。

んで、新デザインとして挙げられているのがコレ↓
New_flag_for_nepalだっせぇー。

国旗変更賛成論者曰く、
 私たちは、国歌を変え、君主制を中断させました。 私たちは自国通貨のデザインをサガルマタで印刷しようとしています。私たちの正しい愛国心を象徴するためには、新しい民主ネパールの国旗を変えることも必要です。
だ、そうです。
ちなみに、国旗変更に関しては民主化運動ブログでも賛否両論で、コメント数も飛び抜けて多い。
わたしゃ外国人に該当しますが、従来の旗の方がいいけどなあー。

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あの人はいま ゴー・ミスン

ゴー・ミスンといえば、韓国のみならず世界でもトップレベルのフリーorコンペクライマーで、日本では男女の枠を越えてよく知られた韓国のクライマーではないでしょうか。

Komiyoung03_sゴー・ミスン近影(金竜基登山学校サイトより)

ここ最近はスポーツクライミングを離れ、高所登山に入れ込んでいるようです。
ちなみに2012年までに14座全山を目標にしているとか。

女性登山家ゴー・ミスンさん、エベレスト遠征へ by Stoo.com3/11
記事引用開始
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去る97年から大韓山岳連盟大会6連覇やアジア選手権大会優勝など、2004年まで人工壁のスポーツクライミングで独走状態だったゴー氏が 8000m峰に挑戦することは今度が三番目だ。ゴー・ミスンさんは「強い忍耐心が必要な高所登山は、スポーツクライミングとはまた他の魅力がある。新しい分野を始めて間もないし、自然が味方になってくれれば挑戦に成功することができるが、最善をつくす。」と語った。
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以上記事引用おわり

昨年のポストモンスーン期にチョーオユーとシシャパンマの連続登頂を目指しましたが、前者の登頂のみでおわったようです。今春は北稜からのチョモランマ登頂をめざすとのこと。

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戦争の残滓

レーニン峰はともかく「エリツィン峰」は格が落ちるよね、とどこかのウエブサイトで読んだ記憶がありますが、もっと凄い人名を冠した山がありました・・・「ヒトラー山」

Le «Mont Hitler» existe encore... pour Google by Technaute,com 3/9
(ヒトラー峰復活・・・グーグルアースで)

ロイターフランス発のニュースですが、要はグーグルアース上で何らかの手違いで、かつて第三帝国興りし頃に名付けられた「ヒトラー山」という地名(現在はもちろん改名)が記載されていたそーで。
記載されていたドイツのBad Toelzという小さな街の市長が激怒、グーグル側も即時撤回をコメントしたというお話。

ヨーロッパではやはりナチの悪名というものが後世までとどろいているモノだな、と思います。
 まあ日本でも鬼畜新聞アサヒが「吉田清治のインチキ本」に端を発して煽り立てた従軍慰安婦問題について、駐日大使のシーファーが過小評価すべきでないとほざいていますが、つくづく戦勝国と敗戦国の関係は未だに続いてることを思う今日この頃であります。

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乗っ取り

少雪暖冬の今年。
雪遊びが満足にできなかった4歳の娘を連れて、朝から月山の弓張平へ。
ふんだんにある雪に娘も大喜び。
ソリなど滑り系遊びに飽きたあとは、「おうち作りたい」と言い出した。
真っ平らな雪原で、まず垂直に掘り、それから横穴を掘る。
3月の重いザラメ雪をかき出し、お父さんヒーヒー言いながら雪洞完成。
その直後、娘曰く
「ここは私のおうちなのっ!お父さん出ていって!」

Fir_cお父さん、楽園追放。疲労度倍増。

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デロンギのエスプレッソマシン

本日は昼前出発で福島に日帰り出張。
会社を出る前に、とある用件をパタパタと終える。
社屋2階、以前私が在籍していた設計部門の部屋に行くと・・・・

Cof
新しいコーヒーメーカーがっ!
業務用とはいえデロンギのエスプレッソマシンっ!

さっそくコーヒー飲んで落ち着いてから出かけよう。
そう思いスイッチを押すと・・・

Rambo208
いきなりこれくらいのけたたましいドリップ音が。
静寂の中、CAD作業にいそしむ設計部の皆さんごめんなさい。
というか、そんなやかましいエスプレッソマシン置くな。
ちなみにウチの会社は代々、女の子がお茶くみするのは会長だけ。
お茶コーヒーは自分で入れろという風習の会社ではある。

飯豊の山並みを眺めながら山を越え、福島往復。
国道沿いは早春の雰囲気だが、昨日からの新雪で山並みの稜線は真っ白。
ニホンザルが国道沿いで新芽を囓っておりました。
あまりの暖冬でピンときませんが、春ですね。

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竹内洋岳君、8000m峰全座登頂プラン公表

だいぶ前の話になりますが、私の車にHAJ(現・日山協海外理事)の中川さんを乗っけた時の会話。

中川氏「竹内君って、8000m全山やるんかね?」
筆者「いやあ、彼はピークハンターじゃないし、性格からして、登っているうちに14座になっちゃったというパターンじゃないですか。」

と、私は予想していたのですが・・・
時は過ぎ、今や14座を明確にターゲットに据えたのですねえ。

日本人初の8千m峰完全制覇、竹内洋岳が登山計画発表 by 読売新聞3/8

しかしかつて遠征を共にしたワタクシとしては、

Takeuchi
竹内君の記事→スポーツ欄のエトセトラ

Matuzaka
松坂とかいう野球選手の記事→スポーツ欄の企画・連載>松坂大輔のコーナー

オイコラ!嫁売!
ウチの竹内は エ ト セ ト ラ 扱いか!

それでは竹内君、気をつけて行ってらっしゃい!

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コリン・ヘイリー S・ハウスも一目置くアルパインクライミング界のホープ

Top young mountaineer in peak condition  by Seattle Post-Intelligencer3/7
(今ノッてる若いクライマー)
以下記事引用開始
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ワシントン大学の学生コリン・ヘイリー(22)は、まもなくアラスカで春休みを過ごします。そして危険を冒してアンカレッジを囲むゴツゴツとした山の新ルートを捜すのです。氷壁を登ることがトレーニングです。
冬休みはパタゴニアで過ごしました。そこでヘイリーはセロトーレ ~登山家のために絵に描いたような、世界で最も挑戦的なピークの1つ~ に新ルートを開拓しました。
今夏は岩と氷の9,000フィート以上も垂直の岩峰の初登を果たすため、パキスタンで過ごす予定です。
それは、ヘイリーがその若さでトップクラスのクライマーと同列に評価されるようになった、冒険と挑戦です。

コリン・ヘイリーは、パタゴニアのセロトーレ(世界で最も難しい山のうちの1つ)の新ルート開拓で名声を高めました。
「自宅やオフィスは退屈な存在です。」「なぜ、あなたは現実の世界から出て行かないんですか?山が遠いから?」

「彼は本物です」と、ノースカスケードの開拓者でガイドの著作もあるフレッド・ベッキーは語ります。

(中略)ヘイリーが10歳であったときにはフッド山に登り、すぐにクライミングを始めました。4年後には、彼はパートナーを求めて二まわりも年齢が違うメンバーに電子メールを送っていました。
16歳には、彼は父親よりも優れたクライマーになり安全面のレクチャーをしていました。昨年、アメリカ山岳会は彼にロバート・ヒックス・ベイツ賞を与えました。それは彼をアメリカでも最高の若いクライマーの1人と認めたことになります。彼は最近マッグス・スタンプアワードを受賞、彼の提案したクライミングプランを支援するための補助金4,000ドルを得ました。

ヘイリーと仲間のジェド・ブラウンは、昨夏、アラスカの13,020フィートのモフィット山北面に新ルートを拓きました。
「彼らがしたことは、ここ最近でも重要なクライミングの1つです」と、スティーヴ・ハウス(プロの登山家)は語ります。彼は2005年にナンガパルバット(世界で9番目に高い山)をヘイリーと登るため許可を取得していました。
ハウスはそのような若い年齢で積み上げられたヘイリーの実績に驚嘆します。そして注意します。「私が25歳になるまで、私にとっての重要なルートは登っていませんでした。」
(中略)
先月、コリン・ヘイリーとパートナーは、Indexの壁に取り組みました。
ヘイリーは後援を受けた登山家またはクライミングガイドにはなりたくないと言います。
それは、どんなルートを登るべきか選択する自分のセンスを損なわれるのを感じるからです。一部プロ登山者のエゴイスティックかつ得意げなイメージも好きになれません。
ヘイリーは季節労働者に憧れてます。 ~アラスカの蟹漁船や山岳地の地質調査~ 彼は山にあっては自由でありたいようです。
(中略)
彼の両親は息子がアイビーリーグ校に通うことを望みました。しかしヘイリーはノースカスケードにとどまるため、わざと成績をワシントン大の合格ラインの1ポイント上までにとどめました。
「ノースカスケードが、私にふさわしい場所なんです」ヘイリーによれば、クライマーにとって、アラスカ、ヒマラヤ山脈またはパタゴニアに登ろうと挑戦する準備をするためにふさわしい、米国本土48州唯一の山脈だそうです。

Indexで濡れた岩場を苦労して進むこと1時間、ヘイリーは60フィート下の、彼の登っているパートナーを下で確認して、素晴らしかったことを彼に話すために振り向きました。
彼のパートナー、ロブ・スミス(24)は、熟練したクライマーで、レーニア山でガイドをしています。しかし、彼はこのの壁をよじ登ることに関心がありませんでした。スミスはすでに彼のブーツを雪まみれにして立っていました。彼はそのピッチを登るためヘイリーが1時間かかるならば、二倍の時間がかかるだろうとわかっていました。

「登ってから、回収もできるぅ?」と、スミスが後ろで叫びました。
「なにそれ?登んないの?」
「いや元気だけど。」
「おいおい」失望したヘイリーが言いました。
「そりゃ完璧ってもんだぜ。」
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以上引用おわり

あのスティーブ・ハウスも一目置く若きクライマー、コリン・ヘイリーの紹介記事です。

Colin
注目すべきは、彼が地元の山域ノースカスケードにこだわっていること。
シュイナード以来、「世界の大岩壁への途竜門」と論じられてきたヨセミテのヨの字も出ていません。
クライマーとして向上する可能性は、どこにでもあるということでしょうか。
彼の代表作・モフィットピークのエントロピーウォール登攀の様子はこちらのサイトで拝見できます。

The Entropy Wall (VI 5.9 A2 W4+) on the North Face of Moffit Peak

蛇足ながら、この紹介記事の最後かつヤマ場である登攀シーンの次の会話、うまくニュアンスがつかめません。

"You can go ahead and clean it on your way down," Smith yelled back.
"What? You're not going to climb it?"
"Yeah, I'm good."
"Oh, man," Haley said, disappointed. "It's perfect."

日本山岳会でデカい顔している頭のよろしい一流私大山岳部のおぼっちゃまの皆様方からでもご教示賜れればうれしいです。(ボク何か悪いこと書きました?)

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アメリカ登山界の女傑アリソン・レパイン、ウガンダ女性のために立ち上がる

近年、欧米のクライマーで山も仕事もバリバリな上に奉仕活動にも力を入れる方をよくみかけますが、
日本ではあまり知られてないアリソン・レパイン女史もその筆頭でしょう。

Levinea

以下引用開始
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Moving Mountains by Starbulletin.com3/6
(魅力的な山 筆者注・「山を動かす」の意もあるか?)

アフリカ登山において、アリソン・レヴァインは女性の権利向上を目指します。
(ハワイ・ホノルルにおけるアリソン・レパインの講演より)
2005年の西ウガンダ旅行に際して、彼女は村の女性達が労働の全てを任され、男の財産と考えられていることに気がつきました。登山ガイドまたはポーターとして働くことを生計を立てる唯一の方法として、レヴァインは女性ガイドを要請しました。彼女たちは強く見えました、そして、彼女は「やせっぽちの小さい男を望みませんでした。」
ウガンダの男達にとっては、数代にわたって、女性が山に入ることがタブーであったとレヴァイン — 2度の心臓手術にもかかわらず6大陸最高峰登頂 — に話しました。
アリソン・レヴァインは女性達をポーター・山岳ガイドとして養成するため、年2回ウガンダへ旅立ちます。

なぜ?誰も知らなかったのです。彼女は村長と交渉し、ポーターと山ガイドになることを学びたかった女性を訓練します。男達は肩をすくめます。「台所の外は女達の場所じゃないよ。」
レヴァインは、女性が14,000フィートまでの困難なコースを登るならば、雇い主が彼らを雇うと約束しなければならない、彼女らに男性に与えられる同じ賃金を支払わなければならないとしました。
数人の女性はうまくレヴァインの指導を受けました。重いザックを運び、長年のタブーに終止符を打ちました。現在、彼女らは山でグループを導き、財政的にも独立するようになっています。
「私は、そこに仕事の需要があるということを知りました。」レヴァイン(40)が彼女の努力を語ります。彼女はより多くの女性を訓練するため、ウガンダで非営利的団体を興しました。

講演は学生を奮起させます。ラ・ピエトラ女子学校が講演者アリソン・レヴァインをハワイに招聘しました。
彼女はジャスミン・キムラ(17)を奮起させました。
「彼女の旅行がとても不可能に思えるように、ウガンダの話題も思われました」とキムラが語ります。
(中略)
キムラは、話題を大学の授業と関連づけました。「それは本当に圧倒的で身近なことです。私は大きい目標を成し遂げるために小さなゴールを作らなければなりませんね。私にとってはとても非常に気持ちのよい講演です。」
---------------------------
以上引用おわり

アリソン・レパインについて少し補足します。
致命的な心臓病のため、2度にわたる心臓手術の後、山を登り始めました。ビジネススクールを出てウォール街で働きながら、6大陸最高峰登頂を果たしました。会社でも出世街道を走り続けながら2002年、アメリカ初の女性だけのエベレスト登山隊隊長を務めます。さらに北極圏の探検も果たしました
 仕事でも「才女」なアリソンはトゥデーショー、CNN、CNBC、フォックス、ABC News、CBS・Evening Newsと様々なメディアに登場、ナショナルジオグラフィック、Lifetime Magazine、スポーツイラストレイテッド、アウトサイド誌などの記事を飾りました。アリソンの「逆境を克服する」彼女の業績と彼女の能力に対して様々な栄誉も送られました。2003年にはアーノルド・シュワルツネッガーがカリフォルニア知事になる財政担当副ディレクターを務めました。
 そして現在、上記講演記事にあるように、戦争で疲弊したウガンダの女性地位向上のため、非営利的団体を設立すると同時に女性達のドキュメンタリー映画を製作中です。

・・・とまあ、ご立派な人生を送っている人をみるとたいてい、育児とローンに四苦八苦する自分を卑下してしまうのですが、アリソン・レパインみたいにあんまり凄い生き方になると「よし頑張らなくちゃ」と刺激を受けますなあ。

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死語にみるメディアの傲慢 

いつも拝読しているブログでネタになっていた話題。

昔々、DINKSという言葉がありました。

DINKS=Double income no kids、つまり夫婦共働きで子供作らず、老後は快適に過ごそうというライフスタイルでバブルの頃よく聞きましたね。
ネタ元の方は「子供がいないのがオシャレと煽っておきながら今さら出産・育児がオシャレってそりゃねーべ」と訴えているわけです。
私が付け加えるならば、「クロワッサン現象」なんてのもありましたね。
またバブル崩壊後も日テレあたりが「非婚」などをテーマにした月9ドラマ放映、併せて未婚のままてきとーな相手と子供作った女の子のドキュメンタリー番組を 肯 定 的 に流してましたが。
それからバブル絶頂→崩壊の時期に二十代を過ごした私としては、フリーターを散々持ち上げていたメディアの姿もしっかり記憶してるんですが。

結論として、人の生き方を流行として扱うメディアの傲慢さがすっごい嫌いな私である。
と、同様にだ、欧米の登山家がすることはなんでもマンセー!
その実態も知らずに少人数の登山隊がなんでも先鋭だと思いこんでいた「岩と雪」誌の醜態なんてのは、価値観というものは自分自身でしっかり確立しなければならない、という反面教師でしたね。

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韓国の国際ルートセッター、キム・ドンヒョン

懸垂一つできなかった手で壁を丸めこむ by 中央日報[日刊スポーツ] 3/1
以下記事引用開始
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私の中の山<18> キム・ドンヒョンと人工壁
国内唯一の国際ルートセッターとして活動、観客の拍手導き出す演出家を自負

「醜い木が山を守ると言います。私がそれですよ。才能がないので粘ってこの立場に到達したようなものです。」
キム・ドンヒョン(33)さんは国内唯一の国際ルートセッターだ。
ルートセッターというのは、スポーツクライミング大会でを新しく配置して一種の問題を出す人だ。解答を解こうとするクライマーたちの素敵な姿勢を導き出して、観客の拍手を作り出す演出家と言える。
懸垂一つできなかった彼が世界的ルートセッターになるまでどんなことがあったのか聞いて見るためにソウル永登浦区に行った。
彼が運営している室内壁クリンプ。クリンプというのは、ホールドをつねるように取る方法を言う。難しさを乗り越えて行くという彼の意志をうかがうことができる名前でもある。

彼が山と初対面したことは中学校 2年生の時。男親の下で育ちながら沢山喧嘩した。一度は家出して初めてバスと電車に乗って、何の考えもなく走った。そして窓の外で白い岩を見るようになった。.
「青くて尖っただけが山と思ったが、その岩を見て衝撃を受けました。」すぐ電車から降りたら道峰山駅。日暮れまで岩だけ眺めて家に帰って来た。「幼い時から壁を登ることが好きだったが、その岩は何か神聖な壁のように感じられたんです。」
(中略)

岩と縁を積みながら山を尋ね始めた。一度はインスボンの短いルートで登山訓練をした先輩が「遊びに来て見なさい」と言う言葉に訪れた人口壁。当時室内壁では唯一の所だった。
ところがそこで学んだことは自分が才能がないという事実だけ。3m 壁を上がるために必要な二つのホールドさえ取ることができなかった。「23歳まで懸垂一つできなかったから当たり前の事だったのかも分からないですね。」 月会費を出して一日通って、やめたのが 3ヶ月目。
「私には合わないという気がしたんです。ところが不思議にも家に帰ってもホールドが目の前に浮び上がるんです。」それで運動しないとしても見物するために出勤するように壁を捜した。それとともに徐々に実力もきちんきちんと積むことができた。
壁を捜してから 1年後の 91年から登山大会に参加したが結果はむちゃくちゃだった。しかし 93年夏、釜山で開かれた大会で優勝した。「一度優勝したら目標を忘れてしまったんです。私が 3年かかったことを2ヶ月でやりこなす後輩たちを見ながら恐ろしかったんです。」 しばらくスランプに陥ったが 1年後、また乗り越えた。
(中略)

ルートセッターとして

人工壁全国大会で頭角を見せながら 94年から 96年まで外国で開催されたワールドカップ大会にも出場した。97年には ACC(アジア登山競技委員会) ジャパンカップ大会ルートセッティングに初めて出た。ルートセッティングに関するセミナーとともに、ルートセッターの資質と能力を評価受ける機会だった。この大会で男子部決勝ルートをセッティングして、その競技の成績から好評を博した。それとともにアジアルートセッター資格を認められるようになった。
そして 4年が経ち、2001年オーストリアで国際ルートセッターとしての資格評価を受けるようになったが、当時書類を評価したルートセッターとの摩擦で脱落の危機に面した。しかし 98年から 2001年までアジアでの活動を認められ、国際ルートセッター資格を認められるようになった。現在アジア圏で活動している国際ルートセッターは日本に 2人、韓国に 1人だけだ。
彼が現在目標としていることはアジア国際大会を担当することは勿論、さらに大きい大会でチーフ(chief)として活動することだ。特にイタリアのアルコで開かれる世界的なロックマスター大会のルートをセッティングすることが夢だ。そうするために今年の4月にはアメリカのユタとコロラドで岩に登る計画だ。
5.14b (難易度を現わすヨセミテグレード。5.2から始めて現在 5.15aまで公認。非公認で 5.15cまである)の難しいルートを作るための経験を積むつもりだ。「直接登ることもできないのに問題を作るということは容認されないですね。選手たちはもちろん観客に認められたら、世界最高の舞台を演出する日が来ると信じます。」
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以上記事引用おわり

クライミング嫌いな私ですが、人口壁にとりつく時はもちろん、周りでホールドの付け替えをしたなんて話題を聞くたびに、尊敬の眼になってしまいます。
さて、注目すべきは記事中で国際ルートセッターは日本で二人となっていること。
私はクライミング嫌いなので、誰が5.15だか5.30だか登ろうが、どっかの岩場が地主に立ち入り禁止食らったとか、はっきり言って どうでもいいし関心ねえよ なんですが、ただ一点。

 理由はなんであれ、飯山健治さんという才能を事実上封殺した日本のクライミング界とやらは、やはり五輪競技などほど遠い未成熟な分野だと思います。

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韓国ソウルでSPOEX 2007開催

韓国ソウルで韓国最大規模のレジャースポーツ展示会「SPOEX 2007」が2/28~3/3の日程で開催されました。
エベレスト韓国隊登頂30周年記念展などがマスコミの話題になったようです。
もう一つは、SPOEX杯 2007 ディスカバリークライミングフェスティバルが併せて開催された模様。

SPOEX杯 2007 ディスカバリークライミングフェスティバル開催 by Ohmynews2/26
記事引用開始
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ディスカバリーボルダリングコンペでは、女 20人男 40人総 60人のスポーツクライミング同好人たちが参加する予定であり、アジアボルダリング大会では韓国男女選手それぞれ 12人ずつ参加しながら、日本、香港、シンガポールなどから来た総 12人の外国選手も一緒に参加して多くの人々の視線を集めると予想される。

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以上記事引用おわり
記事にあるようにアジア各国からボルダリングコンペに選手が集ったとのこと。
大韓山岳連盟の掲示板には、唯一の日本人選手として準決勝進出者名簿に尾川智子さんの名前があります。
結果は3位とのこと
最も、私の関心は同じ準決勝進出者女史名簿に「クラックスゾーン」という、私がお世話になった京機道山岳連盟理事の申氏運営のジム出身者が名前を連ねていたこと。
あー、申さんのあのジムからそんな強豪が輩出されているんだなあ・・・と思った次第でした。

しかし日本のアウトドア業界では業界人の自慰行為的な展示会ばかりじゃなくてこういう「開かれた」展示会ってできないんですかね?
韓国メーカーは着々と中国に手を伸ばしてるし、団塊の世代とやらの爺婆ばかりに目をむけているだけでは、幾年もたたないうちに中国にも追い抜かれると思います。

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熊肉

先日の炭焼研修のため、遠藤ケイ著「山に暮らす」岩波書店刊を読んだ。
 現場仕事で毎日ヒーヒー言ってる時期だったので、木炭に関する小難しい理論書や実用書は避けて遠藤ケイ氏の著書を選んだのだ。
 とはいっても、遠藤氏の著書は民俗学の資料として十分通用する内容を備えている。

 昨日の自然の家行事では、グッドタイミングで熊鍋をご馳走になった。
 「熊肉」とネットで検索すると、「臭い」「美味しい」と意見は両極端に分かれる。
 遠藤氏の前述の著書では、『山の味』という項目で熊肉はズバリ「非常に美味である」と断言している。
 私も同意見である。あえていうなら、私は脂身が美味しかった。
 今年は例年よりも熊出没件数が多く、山形県でも熊の殺処分が多数にのぼり、山形県のご意見・苦情コーナーは「自然愛好家」さん達で お祭り状態 になっている。
 殺処分の是非はさておいて、殺した熊は食う。それが最高の供養だと思う。
 遠藤氏の著書においても、「バラしても、捨てるところはクダ(腸)に詰まったウンコだけ」と紹介されるように、山の人々は熊を無駄なく、畏敬の念をこめて食べ、利用してきた。

 過去にも、ヒマラヤ遠征で鶏や山羊を潰して喰う機会はあったが、美味かった。
 大量生産で薬漬けの家畜肉にはない旨味がある、と私は思っている。
 自然の家の行事「ブナ林たんけん隊」の前夜は月山の風景のスライド上映会があるのだが、そこでウサギを食べる話題になり、小学生の女の子たちからは
 「かわいそうー」の声が次々に上がる。
 でも、いつかは気づいてもらいたい、と思う。
 普段、自分たちが食べているハンバーグもソーセージも、もとは家畜を殺した肉が原料になっていることを。
 
 話題は熊肉に戻る。
 自然の家の先生方と熊肉の話題になり、料理店で熊汁の料金の相場が千円らしい、という話題になった。
 あらためてネットで検索してみると、やはり「熊汁一杯1000円」とか「冷凍熊肉kg6000円」などみかける。
 私が以前出場した、山形県飯豊町の全国白川ダム湖畔マラソン大会の会場で、熊汁たしか300~500円で食べられた記憶がある。もしかして同マラソン大会は熊汁が食える穴場か?
 熊汁が食べたい方は飯豊白川ダム湖畔マラソン大会にGO!
 ただし、出場したのはもう5年前の話なので、今年も熊汁が振る舞われるかは主催者に確認してくださいね。

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入浴注意

1歳9ヶ月になる息子。
毎日、鼻水と食べたお菓子、ヨーグルトで顔が

6a00b8ea067f84dece00c2252161c9549d200piこれくらい 汚 れ て ま す

毎日風呂に入れるのは私の役目。
アンパンマンのスポンジで顔をゴシゴシ洗ってやる。
気に障ったのか、泣き出して浴槽にピンポンダッシュ。
洗面器とボディシャンプーを私が片づけている、ほんの一瞬でした。

うちの息子、浴槽に
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犬神家の一族状態でお湯の中にひっくりかえってるじゃあーりませんか。

あわてて湯の中から抱きかかえて引き上げる。
息子は水を飲んだ様子も無く、びっくりして泣き出したままで済みましたが。
いやー、ほんの一瞬目を離した隙に、子供って溺れる可能性があるんですね。
強く反省することしきりでした。

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ブナ林たんけん隊2007

山形県朝日少年自然の家、一泊二日の恒例行事「ぶな林たんけん隊」のため、3日昼から自然の家に入る。
初日はミツバチのみつ蝋を用いた蝋燭作りの後、雪灯籠作りのはず・・・が、敷地に雪が全く無い。
自然の家裏手の積雪から雪をコンテナで運ばせ、ささやかながら雪灯籠を子供達と作る。

S00

今日の夕食のスペシャルメニューは「熊鍋」。
S0

あえて何の肉か言わずに出したのだが、子供達の反応は
1.好奇心旺盛に食べる。
2.拒絶。
の二つに大きく分かれる。

最近の小学生って「頭でっかち」が多いような気がする。
もっと好奇心旺盛であっていいような気がするのだが。
話しを聞いていても、肉や食品に対する知識はたいしたものだが、お前、そこまで言うなら目の前の野菜ちゃんと残さず喰えよ、という感じ。

翌日は自然の家8時発で月山山麓の志津へ。
今年の参加者は例年より少なく14人の子供を引率。

S1_1
ブナ林案内担当は自然博物園館長の横山氏。
私は第3班をフォローすべくパーティーの中間を歩く。

S2_2
雪の中、北月山荘の導水管から流れる流水に子供達が群がる。
近くのヤドリギの実を食べさせるあたりから、子供達の表情も生き生きとしてくる。
今シーズンの月山はとにかく雪が少ない。しかも雪が腐って(ザラメ状)おり、例年の5月くらいの雰囲気である。
気温も高い。
今回の私の身支度、薄い登山用下着の上下に直接ホグロフスのアウターを着用する、保温性を考えず汗の発散性に重きをおいたレイヤーでやってきた。それでちょうどいいくらいの暖かさである。

S3_2
こんな少雪暖冬にもかかわらず、急斜面で間近に熊棚をみることができた。

今回の子供達はなかなか一筋縄ではいかない個性的な子が多い。
帰路、雪庇が少し発達している尾根状の斜面を下る箇所で、横山さんが「ここは一列になって来てね」と念を押す。
注意力散漫になって、人の話を聞いてない(聞けない)子もいる。ふらふらと谷側に近づく子がいた。
「一列になってあるけぇー!」
と一発怒鳴る。
子供に雪庇の怖さを説いても、彼らは瞬時に理解できない。怒鳴るに限る。
最近、子供達を笑顔で甘やかすだけのサポーター(ボランティアスタッフ)に疑問を抱くワタクシでした。

S4_1帰りのコース「沼渡り」。
暖冬といっても、やはり早春の月山は雪と氷の世界。
凍結した沼の上を歩いて縦断。ボリシェビキに追われるロマノフ王朝みたい(笑)

山を歩いていろんな風景や生き物の痕跡をみたり、急斜面の滑り台で遊ぶうちに、表情の硬い子も笑顔をみせるようになる。
そんなお手伝いをしている充実感は、クライミングと称して樹脂製のホールドを掴んで体クネクネしているよりよっぽどいい。
そんな自分の価値観を再認識した二日間でした。

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バカで結構。

筆者は日本のマスゴミによる山岳報道を叩いておりますが、海の向こうアメリカではもっと凄い訳でして。
私が好きなタイプの冒険家ロバート・ヤング・ペルトンの著書によれば、コロラドで遭難したスキー客に対して地元マスコミは「彼等の脳の容量は北極の苔並み」と書いたとか。うふふ。

で、昨年から連続したオレゴン州・フッド山の遭難に関して、アメリカのマスゴミは毒舌連発です。

Foolish climbers are not heroes by The kingman dailyminer.com 2/26
(バカな登山者は英雄にあらず)

When Idiots Go Climbing by Esquire 3/1
(バカが登山に行くとき)

かの高名なエスクワイア誌までが取り上げているところから、フッド山の遭難事故はアメリカではちょっとした社会問題になっているものと推察します。

Thirty-five climbers have died on Mt. Hood in the past 25 years. Haven't people gotten the hint yet?(エスクワイア誌)
 過去25年で35人が死に、まだ登山者はヒントを得られないのか?という問いは日本国内の山岳事故に重ねてみてもごもっともである。
 エスクワイア誌記事の最後はこう締めくくられる。

 The mountains will always be there. If the weather is crappy, go bowling. (エスクワイア誌)
 (山は常にそこにある。天気が悪けりゃボーリングに行け。)
 はい、ごもっともでございます。
 で、登山者がバカ呼ばわりされるのはどうでもいいんだけどさ、エスクワイア誌記事を飾る「もっこり」トランクスパンツ一丁に葉巻とシャンパン抱えた野郎、おまえにだけは言われたくない。

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ヒマラヤにキャニオニングの風

Tourism entrepreneurs highlight canyoning potentials of Nepal by Nepalnews.com3/2
(旅行業界関係者、ネパールにおけるキャニオニング発展の可能性を強調)

以下記事引用開始
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ネパールとフランスの観光企業家は、ネパールにおいてキャニオニングが魅力的な観光商品として発展する可能性に言及しました。
金曜日にカトマンズで開かれたネパール・キャニオニング協会(NCA)の記者会見において、フランス人使節マイケル・ジョビレは、ネパールでキャニオニングがスポーツ観光を促進する見込みがあると言明しました。
フランスはスポーツとして19世紀後半にキャニオニングが始まった世界的に有名な国の1つです。
NCAのティラク・ラマ社長はネパール・フランス共同探査チームで、マルシャンディ、カリガンダキ、スンコシ、ボーテコシ、およびランタン地域のおよそ40のキャニオニングサイトを特定しました。
国際市場でこの観光商品を推進するにはインフラ整備に2~3年かかるかもしれないとのことです。
-----------------------------------------------
以上記事引用おわり
キャニオニングとは、日本でも少しずつ始まっていますが、クライミング用具を用いて従来の沢登りと異なり、ナメで滑り落ちたり下降を楽しむレジャーの一つ。
記事の末尾には乾期の河川で楽しめるとあります。
記事中で紹介されているキャニオニングの場所は、ネパールにおいてラフティングやカヌーが盛んな河川。
筆者の推測では、カヌーやラフトの業者にキャニオニングを導入させようという腹なのでは・・・と思います。
まあたしかに、カトマンズからチベットに至る道程で沢登りするには命1万個あっても足りないような凄い渓谷をみてきましたが。
キャニオニングに先を越されたか!!
出でよ日本の沢ノボラー!
ネパールにも是非、東洋の登山形態である沢登りの伝道を!

※筆者は東北在住ですが、雪に埋まった赤木沢とか淡泊な沢歩きしか興味なし。

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お酒は二十歳から。キリマンジャロは十歳から。

一昨日書いた、中国の小学生によるキリマンジャロ世界最年少登頂
中国メディアでは、思わぬ事から話題にのぼっています。
筆者も知りませんでしたが、キリマンジャロ国立公園規則では10歳以下の子供の登山は禁止されているとのこと。
年齢詐称により登山したのではないか・・・として話題になっているようです。

高俊玲:虚報年齢登頂非洲最高峰并不栄光 by newssina.com2/28
以下記事引用
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今月22日、二人の北京の小学生は他の成人メンバーと共に、アフリカ最高峰キリマンジャロ峰に登りました。
現地国立公園管理センターでは、危険性があるため、10歳以下の子供が頂上に昇ることを禁止しています。
張牧遠、今年4月にやっと満10歳。夢を実現するためには、彼は年齢を偽って報告しなければなりません。
 9歳の張牧遠がアフリカ最高峰を勇気と精神力で征服するのは確かにとても素晴らしい。
しかし、現地公園管理センターは10歳以下の子供の登頂を禁止しています。
私はもし張牧遠が規則を尊重し、少し後に夢を実現するならばと思います。頂上に登ることより、アフリカの最高峰を更に尊重するべきです。
 私達は登山が危険性の高い活動で、たくさんの安全性に関する規則があることを知っています。
 キリマンジャロ国立公園管理センターの、10歳以下の子供の登頂禁止は明らかに1種の束縛ではあるが、しかし1種の保護、子供の健康な生命に対して責任を負っているのです。このような規則について、いかなる者もすべて十分に尊重し、そして意識的に守るべきです。
 (中略)
 ある人は、張牧遠が最年少でキリマンジャロを征服することは国民のために栄光を担うものと思うかもしれません。
 しかし私は、張牧遠について年齢を偽って報告し現地公園管理センターに背いたとするならば、これは一つの非常に恐ろしい行為です。冒険的な行為の結果、後悔することになったとしたら。
 同時に登頂した探検家によれば、“キリマンジャロの雪氷の滑落について、子供にとって確かに危険です”。
(中略)私は何が自慢に値するのか理解できません。
子供が年齢に達せず、規則を守って後に夢を実現するならば、彼らは尊重に値しませんか?
 もし張牧遠が規則を尊重するなら、年齢を偽って報告せず、登頂の成功はありえませんが、しかし更に多くの尊重を勝ち取ることがありえます。
 現在、9歳の張牧遠はキリマンジャロ峰登頂に成功して、そしてみごとに最年少記録をたてましたが、このような成功は恥ずかしいものです。
 それは中国人の“規則遵守の意識”の不十分なことを露見しました。
 このような成功は、誠実と信用の対する1種の失敗の選択であり、私達はこれを他山の石とすべきでしょう。
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以上記事引用おわり
上記記事は高俊玲という記者の論評ですが、かなり今回の記録樹立には批判的な内容です。
前記事で書いたように、過去にモンブランで最年少記録を樹立しようと子供を登山に連れていこうとしたポーランド人が警察に虐待容疑でパクられてますし、エベレストもネパール政府は(何歳だったか忘れたけど)年齢制限しています。
 競技者としての能力が十代でピークを迎える新体操とかと異なり、山は一生涯楽しめる行為です。(ウチの先輩の言葉の受け売り)。
 いいかげん最年少記録なんてやめましょーよ。
 特にセブンサミットとやらで騒ぐマスゴミの皆さん。

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ギャネンドラ国王、神々の座から降ろされる

高峰の頂という場所、時には政治的メッセージの場になります。
だいぶ昔、激変期のポーランド民主化を目指した「連帯」のメンバーがモンブラン頂上で「連帯」の旗を掲げている写真が山岳雑誌に載ったりしてました。
パミールの秀峰・レーニン峰頂上には山名のとおりレーニンのレリーフ像が据え付けられてます。
そして2007年、ああ珍しや、エベレストの頂上からネパール国王・ギャネンドラ国王の肖像が引きずり降ろされるようです。

'Democratic Everest Expedition' to remove king's photo from summit by IndianMuslims.info2/28
(”民主主義エベレスト登山隊”頂上から国王の写真を回収)

以下記事引用開始
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(~省略) 昨年、王制政府の追放・ネパールの民主主義の回復の後、現在、自由はヒマラヤ王国で例のない高所に達することになります。
 登山シーズンが始まる4月、6人の登山者が「民主主義エベレスト登山隊」メンバーとしてエベレスト山を登ります。
 チームを率いるのは「エベレストの伝説」アン・リタ・シェルパです。標高8848mの頂上を無酸素10回登頂し、その称賛としてスノーレオパルドと呼ばれています。アン・リタ・シェルパは再度頂上を見るために引退を返上しました。
 登山隊はギャネンドラ国王支配の間、反政府デモにおいて亡くなった12人の家族の福祉基金のため資金を集めようとしています。
 ネパール登山協会(NMA)当局者は、登山隊が頂上に置かれたギャネンドラ国王の写真を回収するよう依頼されていると言明しました。
 「反民主主義者の写真が頂上にあります。我々は登山隊にそれを回収するよう求めます」アン・カジ・シェルパ(NMA会計係)の証言がローカルメディアで報じられました。
(中略)
これは、エベレスト山(ネパールで最も愛される肖像)が国王を負かした第2の出来事です。
今年、ネパール新政府は通貨紙幣のデザインを国王の写真から変更することを決定しました。
月曜日に、500および1,000ネパールルピー紙幣の国王の顔を変更するために中央銀行に指示が下されました。王冠の画像は国花(ツツジ)と入れ替えられます。
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以上引用おわり

前記事で紹介したように、ネパール紙幣のデザイン変更でも「国王は退位させられる」とマスコミに形容されたギャネンドラ国王。
ミステリアスな前国王一家射殺以来、人気が無いと言われ続けていたギャネンドラ国王ですが、わざわざエベレスト頂上からも肖像が回収されるとは・・・
肖像回収もさることながら、このような行為を”英雄”アン・リタシェルパが率いる登山隊が担い、シェルパが「anti-democracy person」とマスコミで公言すること自体、王制崩壊の現実を如実に物語っているといえます。

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