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翁山 ~伝説の彼方に消えた街~

翁山。
山形・宮城県境に位置し、地形図では「翁峠」と表記されている。
標高1075m、とくに特徴もなく訪れる登山者も少ない山である。
この山に注目するきっかけは、山と渓谷誌99年2月号で岡田喜秋氏がとりあげていた記事だった。

現在、山麓には静かな農村が点在するだけの翁山であるが、地元に伝わる古文書「明光寺盛衰記」によれば、かつては「西の出羽三山、東の翁山」と称される信仰の山だったという。400軒もの「花町屋」が栄華を極めた門前町が栄えた、とその古文書には記されている。
今現在の翁山周辺からは 絶 対 に 想像できない光景である。
明光寺盛衰記の粗筋を記述するだけでも長くなるので割愛するが、出羽三山に対し、翁山一帯の門前町は時の権力者・足利幕府の認可を得ていなかったため、早い話が「出る杭は打たれる」の理由で取りつぶしとなり、400軒の街は焼き払われ、入山禁止となった・・・という言い伝えを書き記したものが「明光寺盛衰記」である。

前述の岡田喜秋氏は丹念に「明光寺盛衰記」をひもとき、地形図と照らし合わせながら、言い伝えの場所を確定しようと努力されていた。
しかし残念ながら、その記事をさかのぼる平成元年に発行された山形県総合学術調査報告書「御所山」によれば、約10部ほど現存する「明光寺盛衰記」を分析した結果、各地に共通して伝わるフィクションを繋ぎ合わせた民話と結論づけられている。(同学術報告書は「明光寺盛衰記」が成立した背景にスポットを照らしている)
もともと、翁山南部に位置する御所山自体、承久の乱で佐渡に流されたはずの順徳天皇が実は潜伏していた等の言い伝えがある土地柄である。

そんな伝奇に惹かれ、翁山を訪ねることにした。標高1075mといっても一山二山越えた奥に位置するため、積雪期はアプローチに時間がかかる。
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一山越えると、クルミ平という沼地に出る。登山者よりも山スキーヤーが時折訪れるだけの今は特に静かだ。
凍った沼地では野鳥の良い休憩場になっている。

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翁山小屋でゆっくりランチして今日はここまで。スノーシューでは雪がメチャメチャ重いんだよーんだ。
登山口から小屋まで、ずっと針葉樹の樹林帯が続く。雪解け水が枝からしたたる音がミチミチとにぎやかである。
春になり雪が消えた頃、伝説の香りを訪ねて再訪しよう。
帰路、翁山に幾度もツアーを出している登山用品店マウンテンゴリラに立ち寄り、店主の誉田さんから翁山に関する情報を収集。

ところで、翁山山麓近くの集落郵便局にこんな張り紙が。↓

070324_124901

「人を見たら凶悪殺人犯と思え」という大都会と違い、これが山形のイイとこです。
(田舎の郵便局員はそんなにヒマなのかという野暮な疑問は抱かないように)

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コメント

 無人駅前のただ一つの緑電話が壊れていて、郵便局の人に私物の携帯を貸してもらったことがあります。大変助かりました。山形県の人は良い人だ。(v^-^) 感謝!
 消えた集落の話は山里のあちこちで聞きました。とくに長野県や岐阜県の険しい山間部、山津波だの山が崩れただので、数ヶ村が一気に消えたとか。実際に南アルプスで山が丸ごと崩れてなくなり、登山道が通行不能、というか道がない状態。2つ山越えた別の村(人家は数軒)まで1日半かかったことがありました。伝説の飛騨の帰雲城は瓦が見つかったというから、本当のようです。

投稿: かもめ | 2007.03.25 11:22

<<山形県の人は良い人だ。(v^-^) 感謝!
わぁ~県民として嬉しい~!
そうでない偏屈者も多いけど(笑)

<<消えた集落の話は山里のあちこちで聞きました。
帰雲城の話題はいろんなサイトがあってにぎやかですね。
山形周辺では、過去に藩主が変わった際に相当な数の金山銀山が閉鎖、それに伴って相当な数の『口封じ』が行われたとか・・・
歴史に埋もれた大事件や大災害というのは沢山ありそうですね。

投稿: 聖母峰 | 2007.03.26 12:26

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