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死さえ、彼等を分かつこと能わぬ。

あるケニア人の葬儀に二人のイギリス人が訪れ、地元の人々を驚かせました。

Kenya: Mountain Climbers' Friendship Not Even Death Could Conquer by All africa.com

News

以下記事引用開始
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ロバート・チェンバース74歳とデニス・ロトヴィッツ78歳がキソイ・ムンヤオの葬儀に出席するために来訪、彼らはユニークな一組で葬儀参列者の間でとても目立ちました。
彼らは、ムンヤオが独立旗を揚げるためにケニヤ山を登った、その歴史的な瞬間について魅力的なエピソードを明らかにしました。
ロバートとデニスとムンヤオは、ケニア山を登り、1963年12月12日に独立記念日祝賀のため国旗を揚げるのに選ばれたチームの一員でした。
彼らのうち、わずか3人だけがバティアン峰(山の最高地点)にたどり着きました。
勝利を収めた青年達は、当時は社会的な地位にほど遠い人々でした。
ロバートが政府機関で働き、デニスは王立カレッジ(後のナイロビ大学)の数学の講師でした。ムンヤオは有名な登山家アーサー・ファーミンの自宅のコックでした。アーサーはムンヤオをカメラマンとして訓練、雇用しました。

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以上引用おわり

Mtケニア山遠望

亡くなったキソイ・ムンヤオは記事にあるようにコックとして働いてしまたが、後にアフリカ人として初めてアフリカ三山に登頂、そしてケニア独立記念日にケニア山頂で国旗を掲げ、アフリカ登山史に残る人物となりました。
その後はきわめて「シンプルな」慎ましい人生を送っていた模様です。
その彼の葬儀に突然2名の外国人が訪れ、地元の人々が驚いたというところでしょう。

独立記念日に旗を掲げたバティアン峰は、日本から大勢のツアー客がくるレナナピークと異なりクライミングが要求されるルートです。しかもケニアの独立記念日のある12月は雨期にあたり、登山自体が困難を極めたと記事で紹介されています。
これらの登山を通じて、歳月を越えた厚い友情が育まれたものでしょう。
記事を読んでいて、私は映画「ビッグ・ウエンズディー」の友の墓前で語り合う場面を連想しました。

山は良き仲間に出会いたいものです。

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