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韓国人からみた日本の岳人 ~植村直己と鳴海玄希~

故・植村直己氏の著書は世界各国で翻訳され、読まれています。
さて、お隣韓国ではどのように読まれているのでしょうか。
韓国山岳会大邱支部会会員、ホグン・グヨル氏がヨーロッパアルプスで植村氏の著書に触れ、そして日本の若い世代の岳人と触れ合った記録を月刊「山」に寄稿しています。

アルプスから来た手紙 by 月刊「山」5/4
以下記事引用開始
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アルプスから来た手紙

この間のことだった。
筆者が滞在しているシャモニ市立図書館に行った時、ちょうど展示会があった。
北極地方に対する文化と生態、極限状況に対峙する人間活動など、多様な写真と動画で分かりやすく説明しており、関連諸本も展示されていた。
断然筆者の目を引いたのは多くの冒険家の活躍の姿だった。マイク・ホーン(Mike Horn·1966~)から最高の冒険家植村直己(1941-1984)まで、彼らの本とともに紹介されていた。
ちょうど直巳の『妻よ、私は死にに行く』をこの前韓国から帰って来る時求めておいて読まないでいたため、突然直巳に対する関心が大きくなった。もちろん長らく前に彼の本『青春を山にかけて』、『あれがコツビュの明りだ』 などを読んで、それに対してうっすら憶えていたところにこの北極展示会を通じて、小さいが彼の足跡を感じた。グリーンランドの人々の生肉を食べて興味をひく場面や北極グマ等々すべての場面が植村直己といきいきと繋がったのだ。
シャモニと直巳の出会いは彼が25歳でモンブランを単独登頂した時であり、その後冬季グランドジョラス北壁を登るまでになった。不確実性に対する挑戦は、たぶん登山家・探険家たちが第一に追い求める価値でしょう。
一方、多くの優れた登山家たちが、後に自分の冒険性をより広げるために垂直の世界から水平の世界に進んで
探険家の道に立ち入るケースがみられる。彼らの中でただ一人だけ名前を挙げなさいといえば、断然植村直己を選ばなければならないようだ。

(中略)

3,000m以上のアルプスでは相変らず鋭い寒さがとどまっている3月末だった。
筆者はナオミの本『妻よ、私は死にに行く』をリュックに入れてTour氷河に向かった。
鳴海玄希はイタリアで開催されたワールドカップ氷壁大会に参加した後、アルプス登山を経験するためにシャモニに滞在している20代後半の日本の岳人だ。これから半年後にでも日本に帰るつもりであり、これもその時になったみないとわからないという鳴海は直巳の後輩で、直巳が20代にアルプスで過ごした放浪の道にそのまま従っているということだ。

(中略)

午後 5時を少し過ぎた時間だから日が暮れるまでは時間がある。リュックに入れて来た直巳の『妻よ,私は死にに行く』を開いたら喜んでいた。自分もこの本だけでなく直巳の他の二つの本も読んだと言う。
彼は直巳こそ多くの日本人たちが英雄視する人物として、彼と比べるに値する登山家・探険家は出なかったと言う。
 話を交わしている途中、本の中にいるハセガワがアルプス 3大北壁を冬に単独登攀した彼なのか問うた。そうだと言う鳴海は、直巳が活動した明治大学山岳部が現在三、四人だけ活動するほど、直巳やハセガワが活動していた当時とは違い、この頃の日本の若者達は大変な活動が嫌がっていると言った。こんな現象は、日本だけに限ろうか?
また自分はしばらくスポーツクライミングに専念している途中でアルプス登山にひかれて来ているのに、もう 20代後半の自分はもっと心を入れ替えなければならないじゃないかと愚痴をこぼした。
北海道で 4年制大学を出たが、専攻が人文学だから就職先は難しいというのに続いて、山に通うかどうか今度夏までヨーロッパにいて決めると言った。
筆者も 20代後半にその同じ悩みを持ったが、彼に対して役に立つ一言も言うことが出来ず、ただ笑ってみせるだけだ。

(中略)

彼の妻の言葉のように、冬季エベレスト、南極遠征と次々に失敗した自分を許すことができなかった結果、冬季マッキンリー遠征で永久に帰って来ることができなかったことに多く考えさせられる。
直巳のように誰もやりこなすことができなかった大冒険を成したい情熱はないとしても、常に山をやりたい欲心にいつそのような運命になるかも知れないと思えば、気が重い。

(中略)

直巳が冒険という泥沼の周辺をくるくる回わって火の中に飛び込む蛾のように自滅したといえども、彼の想いは誰より強烈ではなかったのか。
いや彼は火の中の蛾ではなく、より高くより広い世界を志向して限界を超越したい私たち人間の本性に、直巳は忠実に従ったのだ。
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以上記事引用おわり

ホグン・グヨル氏による、原文の大部分を占めるスキーの場面は割愛しました。
文中の「鳴海玄希」氏とは、アイスクライミングコンペで名を馳せた北海道のクライマー鳴海氏のことと思われます。
今回の記事で驚いたのは、植村氏の著書の題名が『妻よ、私は死にに行く』となっていること。
植村氏の命題「冒険とは生きて帰ること」と大きくかけ離れているこの本のタイトル、日本の原本はいったいなんなんでしょうね?

私個人の推測として、大学山岳部出身の植村氏の、目上の人をたてるお人柄は韓国の岳人にも受け入れられやすいものと思っています。
8000m峰全座登頂の話題になる度、韓国メディアでは「日本人は達成していない」と枕詞をつけますが、植村直己氏に関しては文句なく登山家・探検家として尊敬されていることが伺える記事であります。

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