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大日岳遭難事故裁判・和解について思う

雪庇崩壊による大日岳遭難事故について、和解が成立した模様です。

この裁判については当ブログでもとりあげ、登山と法の問題について追及している宗宮誠祐氏にも取り上げていただき、さらに関心を深めることとなりました。

「岳人」と「山と渓谷」の7月号へのBlogの反応 Blog大日岳事故とその法的責任を考える

当ブログで、私は国と文科省の「無策」について書きましたが、文科省が御遺族への謝罪に動くようです。
それが和解の条項に入っていない、というところに役人根性が垣間見える気がしますが。

さて、和解が成された今、このブログで明らかにしますが、私はご遺族原告とは対をなすといえる、大日岳遭難事件山本・高村救出作戦 に微力ながら活動に賛同して支援しておりました。
もちろん、ご遺族の方々の長年にわたる裁判をめぐる活動には、心より深く敬意を表します。

山形という地方都市で20代の頃から8000m峰を狙っていた私にとって、大日岳裁判の渦中にある当時の担当講師、高村真司という人間は到達かつ越えるべき目標でした。
必要なことは糾弾することではない、などと言葉を弄びつつ当時の講師を「不適切な語り部」と形容してコメントもTBも受け付けないブログで糾弾に熱心な方もいましたが、高村山本両氏を葬り去ろうという動きには断固抵抗する、というのが私のスタンスです。

事故以後(以前もですが)、高村氏は地域の登山指導・雪崩啓蒙活動に力を注いでいます。
ネット上の記事だけで熱心に糾弾する、人を見下した遭難専門ブログの筆者さんはその現状を知りもしないでしょうが。
私にとって、地域にとってなくてはならない人物、だからこそ私は高村山本救出作戦支援に賛同してまいりました。
引率された二人の学生が亡くなったことは事実・現実です。
過去に当ブログでも触れたように、二名の死者を出したという現実の前に引率した者はいかなる弁解も不能です。
しかし、私がみる限りネット上でも誰も言及しませんが、過去に過ちを犯した登山指導者には、再起の道は開かれていないんでしょうか?

高村山本救出作戦を支援した立場である一方、私の想いは、・・・それは私だけでなくご遺族、裁判を見守る数多くの登山者も同様だと確信していますが、後に続く私たちに必要とされることは、
「真実を知りたい」「知る努力を怠ってはならない」ことと考えています。

それはなぜか。
この事故の後に続く私たちは、同じ轍を踏んではいけない。
だからこそ、事故の究明が求められるわけです。
文科省の作成した報告書、そしてそれに寄せられる数多くの疑問。
あふれる情報から、私たちは賢明な取捨選択をしなければなりません。

一部の登山者が言うような「講師のなり手がいなくなる」という意見は、もはや些末な問題だと考えます。
いまだに「受講生も初心者でないのだから」などと責任の所在ばかりにとらわれている方もあるようです。
この事故が起き、長期の裁判を経て和解という結論が成され、引率者責任という判例が形成された現在、考え方や立場の違いはあれど、皆が願っているのは「安全な登山」のはずです。
私のような末端の登山者、兼業ガイドにとっては、粛々と日々の山行を安全なものにするべく、研鑽を積む以外に、道はありません。

匿名のTBも受け付けない関係者糾弾ブログが「詳しい」「参考になる」とネット上で持ち上げられている一方、「文科省登山研修所講師」を看板に掲げている登攀ガイドのセンセイ方にも、ぜひ何か見解を披露してもらいたいものです。
普段ビレイや支点にうるさいわりに、沈黙を守るのはいかがなものでしょうか?
自分達が世話になっている組織の危機に、一言もコメントも発しない。
股の間にぶら下げてるのは風鈴か何かですか?

この文章を終えるにあたり、亡くなられたお二人、そしてご遺族の方々にとって安らかなる日々が来ることを、心よりお祈り致します。

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