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8000m峰14座登頂を支えた男達 ザックメーカー「サミット」の場合

韓国のザックメーカー「サミット」の社長が、8000m峰14座登頂と交差する自らのビジネスを語りました。

登山業界のトップに聞く チャン・チェスン サミット・リュックサック社長 by 月刊山8/14

以下記事引用開始
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「欲張らず、リュックサック単品に集中したのが、生き残ることができた秘訣」とチャン・チェスン(54歳) 社長は語る。
「何年か前まではしばらく衣類も手がけてましたが、モデル一つ毎に心をこめて製品を出すのが身についた私としては、サイズ別に大量生産しなければならない衣類は体質に合わなかったんですね。」
単一品目で外国製品と立ち並ぶ競争力を見せている国産ブランドは、現在サミットリュックサックが唯一だ。総合商社製品と言っても外国製品との競争に耐えている韓国ブランドは極少数に過ぎないという点でサミットの存在は際だつ。

オム・ホンギル 8,000m峰登頂の度にサミットを愛用

2007081400449_1オム・ホンギルと共に一番多く8000m峰を登ったデナリエクスペディション

 国内の登山愛好家にも人気があるサミット25年の歴史をふり返れば、たとえ単一品目とはいえ、サミットは市場原則によって動いて来た。おかげで今のようなブランドとしての価値を享受するようになったことが分かる。
 まずチャン社長はスター的存在の登山家を通じて、效果的な宣伝效果を得ることに成功した。
「有名タレントが使う化粧品こそ、女性たちも買って使う」と言う消費者心理の基本を彼は本能的に悟っていた。しかし有名人をモデルに動員する資金力がなかった彼は、有名人たちが使うしかない製品を作って彼らにそのまま提供した。オムホングギル、パク・ヨンソク、 ハン・ワンヨンなど韓国の8,000m峰登山家たちだ。(訳者注・いずれも韓国が輩出した8000m14座登頂者)

 化粧品ではないリュックサックは, 特に高所登山ではその機能によって命が左右されることもある重要な装備だ。例えば、ザックのチャックの歯が小さすぎることによって凍結したり、あるいは濡れた手袋を換えなければならないのにザックの奥底に入れていて取り出しにくければ、すなわち深刻な危機となる。
 高所登山家たちは重量を減らすことに神経を使う。「靴下一足、あるいはチョコ一切れを入れるかどうか」考える。 チャン社長はこのような重量, 構造, 機能などが高所登山にふさわしいサックを作ってオム・ホンギル、パク・ヨンソクらに使って見なさいと与えた。

「オム・ホンギルが使うザックを作る時は特に背当てとショルダーベルトに気を使いました。 西欧人に比べて体格が比較的小さい韓国人にとって、ヨーロッパやアメリカの製品は背当てがとても長いんです。 特にホンギルは身長168cmで小さい方だから、ヨーロッパブランドのザックでは尻の下に重心がきて具合が悪かったんです。それで背当ての長さやストラップの長さをうまく調節することができる構造に作りました。」
以後、オム・ホンギルは彼の遠征スポンサーがどこであっても、8,000m峰登山にはほとんどサミットのザックを自ら要望して使った。

 しかし周辺の評価を探れば、チャン社長はそんなに用意周到な人ではない。
 チャン社長がオム・ホングギルのザックを作った最初の動機は、何より巨峰山岳会の後輩だったからだ。社長とオム・ホンギルは 80年に巨峰山岳会を一緒に創立するほどに親密な関係だ。「ひたすらオム・ホンギルの成功のために作ったし、それを彼が使っただけ」と社長は語る。そのザックはしかし、登山愛好者に広く知られ、多くの人が猫も杓子も捜すザックになった。

2007081400449_2職員とザックについて話を交わすチャン社長
「この小型ザック・ナルシソスはデザインや機能があまりに先行して売れていない製品中の一つ」と語る。
「パク・ヨンソクもノースフェイス専属になるまでは、サミットのザックを担いで登っています。ハン・ワンヨンも三座で私たちのザックを使っています。その外にも、93年光州全南連盟チーム朴憲裁隊員がエベレスト登頂の際に時担いだザックは山岳博物館に所蔵されています」
サミットリュックサックの中で 8,000m峰最多登頂のリュックサックは 2000年から市場に出たデナリエクスペディション(58リットル)だ。オム・ホンギルと8座に登った。

2007081400449_3サミットのザックを担いでヒマラヤを眺めるオム・ホンギルの写真で作った広告.
「アタック型サックは深く内部に入れた物品を取り出そうとすれば、上蓋をまず開いて上の絞り紐をゆるめて、上の装備を先に取り出さなければならないでしょう。デナリエクスペディションはザック裏側に開閉することができる構造を作り、リュックサック下半部を簡単に利用することができるようにしました。ザックの重さは 2kg 以下に減らしたんです。」

 オム・ホンギルと親しかったスペインのバスク隊もこのザックを好み、史上6番目の8000m峰14座登頂者であるファニート・オヤルサバル(スペイン)の場合、マカルーとローツェにこのザックを担いで登った。このザックはその後韓国山岳界で高所登頂用に位置づけされ、幾多の遠征隊がこのデナリエクスペディションを持って行った。現在、釜山山岳連盟の K2 遠征隊もこのザックを使っていると言う。
 このザックの便利さは国内の登山愛好家の間でもロングセラーとなった。90年代に大ヒットした小型サックST908以後、サミットリュックサックの中で一番多く販売されたザックで、現在も一月に 100個以上売れていると言う。

2007081400449_4 8,000m峰頂上に登ったサックたちを前に置いて座ったチャン・チェスン社長
単一ブランドのリュックサックが8,000m峰16座(訳者注・14座+ヤルンカン、ローツェシャール)を登った記録をギネスブックに申請すると言う。オム・ホンギルが今回ローツェシャール登頂時に使ったサミット・バタフライ(58リットル)はデナリエクスペデションを一段階進化させた製品だと誇る。このザックは背当フレームに既存品より軽く強い素材を使い、58リットルザックでは軽い1,850gに重量を軽減した。

しかし、社長はオム・ホンギルが帰国すると同時にこのザックを全てリコールした。通風性を高めるためのパーツに弱い部分が登山中に発見されたからだ。
自動車ならともかく、ザックのリコールは国内ではたぶん初めではないかと思う。販売の繁忙期にもかかわらずリコールを強行し、自負心をもって彼はリュックサックを作って来たし、今後もそんな方針だと語る。
チャン社長は新製品が出れば必ず直接そのリュックサックを担いで近くの南漢山城の 4時間コースを歩いてみる。その後いくつものフィールドテストを通じて短所改善を繰り返す。サミットのヒット作にはこのような長年のノウハウが集約されている。
 サミットがその間に市販したザックの種類はおよそ500種。なかでも最初の大ヒット作は90年のST908型だ。その頃国立公園内での炊事・野営禁止制が施行され、日帰り山行が流行りはじめ、サミットの20リットル小型ザックST908型は飛ぶように売れた。

 90年代中盤まで、リュックサック市場はサミットの独り舞台だったと言える. しかし近年は新しいブランドの国産リュックサックたちが台頭、有名外国ブランドリュックサックたちが輸入され、サミットの売上げは減少状態だ。何より地方の取引先販売店が有名ブランドの代理店となり、打撃を受けた。だからチャン社長は「近頃は緊張している」と言う。

「有名ブランド製品も中国で製造、安い価格で流入してきています。彼らと競争しようとすれば、品質には自信がありますからデザインで先に進まなければなりません。 これからはデザインに特に力を入れて高級ブランド化する予定です。」

 彼は高校時代から岩壁登山をした山岳人だ. 彼は 91年出した ST917を思い浮かべる. このリュックサックは当時としてはヨーロッパ有名ブランドリュックサックとほぼ同価格である 17万ウォンで発売したが大人気を呼んだ. デザインから裁断、縫製まで心をこめて作ったという広告を通じて広く知らせた。
 すべての長所は、他人に知らせなければ分からないものだ。
チャン社長はサミットのザックの特長を山岳メディアの広告を通じて知らせることにも特に力を注いだ。ST917型の場合、「このザック一つ作るために20個の試作品を製作しました」というコピーを雑誌広告に出し、ザック自体が山岳人の間に話題になった。
 その他、フォルクスワーゲン自動車の広告をもじった「小さな部分を見て下さい」というコピーで、小さなパーツをポツンと見せて、このパーツの角度がザックに重い荷物を入れても快適な構造であることを知らせたりする、ザックの各部分にどれほど真心をこめたのか広く知らせる広告を掲載した。
その広告シリーズが特に功を奏したと彼は振り返る。結局は韓国消費者に一番相応しい製品を作って效率的に広報するという、市場の基本に忠実だったわけだ。

 チャン社長は高校在学時代から山登りを手始め, 同窓生たちと YCS(Young Climbers Society)というクラブを作って仁寿峰の岩壁を登った。ソウル山岳遭難救助隊の諮問委員で活動した期間も長い。
 彼は高校卒業後、親から受け継いだ家業の家具業を捨てて80年からミシン二台でリュックサック製造業を始めた。83年からトンジンレジャーのリュックサックを下請生産する片手間に、サミットという商標で製品を生産し始め、90年代初めに多くのモデルがヒットしてサミット製品だけに賭るに至った。
「指紋が擦れるほどに熱心にリュックサックを作った」と彼は振り返える。
 彼は山岳人出身という自負心を失わないため, そして登山用品メーカー業者らしい登山経歴を積むために登山にも熱中, 92年 38歳の時に北米最高峰マッキンリーを登頂したりした。93年にはオム・ホンギルとともに遠征、8,000m峰の一つのシシャパンマ登頂を狙ったが、第3キャンプ(7,300m)で退却した。 下山中にクレバスに落ちたが、腰が引っかかり九死に一生を得た。
「私には運もあり, 何より人徳があります。もう再跳躍を始めたから見守ってください。国産装備の中でリュックサックだけは世界的に信頼受けるブランドが一つ出ると思う。」
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以上引用おわり

 以前当ブログで紹介したトレックスタ(TREKSTA)もそうですが、8000m峰14座を目指す岳人の活躍に伴って、韓国国内の登山用品メーカーが非常に影響を受けているということがわかります。
 かつて日本の登山雑誌でよく見られた「○○遠征隊が使った」という類の宣伝と提灯記事については、故・小西政継氏が著書の中で散々に喝破していますが、韓国では大きく消費者に支持されているようです。
 今回のサミット社長もそうですが、トンジンレジャー(コーロンスポーツ)社長といい、クライマーであり登山用品メーカーとしての「経歴」を積むために自ら8000m峰に赴くというのも特徴的ですね。
 日本ではクライマー出身→メーカー社長という経歴の方は幾人かおられますが、企業のトップに就いてからも自ら遠征登山に行くという方は少ないのではないでしょうか?(思い当たるのはマジックマウンテンとかロストアローとか・・・かな)

 なおザックメーカー・サミットのウエブサイトはこちら→ SUMMIT

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