幸せな登山
遠征登山とは、仲間であるはずの人間の「側面」を嫌でも見なければならない事がある。
ヒマラヤ経験者の皆さん、帰国後は隊員同士いかがですか?
山岳人たちのオスカー’ピオレ・ド・オール賞' 審査委員イム・トックヨさん訪韓 by 朝鮮日報10/26
イム・トックヨ氏近影
以下記事引用開始
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51歳の男が帽子を深く目深にかぶって現われた。
イタリアで活動中の山岳人、イム・トックヨさんだ。
彼はアジア人として唯一 ‘黄金ピッケル’ (Piolet d’or)賞の審査委員を引き受けている。 フランスのモンターニュ誌が授与する、山岳人たちの世界で ‘オスカー’に該当する名声を持った賞だ。世界最高の山岳人を選ぶ審査委員に選ばれるほどイムさんの造詣は深い。
彼は1980年 24歳の年に韓国初のアルプス・グランドジョラス完登、1983年にはヒマラヤ・バインターブラック 2峰(6960m)を世界初登した一人だ。
彼は六歳の時のお父さんと一緒に白雲台に初めて登った。中学校の時は小遣いを惜しんで洗濯紐で体を縛ってインスボンの岩壁を登った。
仲の良い友達とたくらんでバリカンを一つ買った後、散髪代を ‘横領’して登山装備を一つ二つ買い揃えた。情熱という言葉でしか説明できない入れ込みようだった。1969年、ヒマラヤ遠征に備えて雪岳山で訓練した際、10人が雪崩で命を失った。イムさんは満 13歳だった。
彼は怖がるかわりにかえって好奇心に燃えた。「ヒマラヤへ行こうと訓練した人々なら凄い実力者たちでしょうに、どうして事故にあったのだろうか。 ヒマラヤは一体どんな所だからそのように行きたがっただろうか」
こんなに山に登った彼は、20代でヒマラヤで記録を立てて名声を享受した。しかし山岳人として栄誉の絶頂に上がった時、彼は突然他の道を選んだ。プロの登山家の道に行く代わりに、スポーツウェアデザイナーになるためにイタリアに留学したのだ。
「若くて苦労しました。'登頂記録’を立てる登山より、 ‘幸せな登山’に心が傾きました。 実は、大記録を立てた登山隊員たち同士は山から下った後 ‘宿敵’になる場合が多いです。極限状況でお互いの心をのぞき見たからですね。それで私は思ったんです。 ‘記録競争はそれだけしよう’で. 下りながら ‘次にまた一緒に登ろう’と確かめあえる登山隊が本当に勝利した登山隊です。」
(後略)
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以上引用おわり
難民を出してるくせして国民総幸福量とか言っている某国家じゃないけれど、これからの登山にも「幸せな登山」という尺度、いいんじゃないでしょうか。
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