パイオニアワークの具現者 サー・エドモンド・ヒラリー卿を悼む
エベレスト初登頂者、サー・エドモンド・ヒラリー卿が11日死去、88歳。
私は現場作業の休憩中に携帯サイトで報道を知り、会社から実家に立ち寄り、ヒラリー関連の書籍を取り出す。
なぜかウチの会社の図書室に、1959年版のヒラリー&フックス共著『南極横断』があるのでこれも確認。
ニュージーランドの一養蜂業者を世界的英雄として知らしめたのは、やはり人類初のエベレスト登頂である。
ヒラリー氏逝去を報じる世界各国の膨大な報道も、当然エベレストに焦点を当てている。
私の勝手な想像であるが、日本ではエリック・シプトンの信奉者が多い。(シプトン本の邦訳の多さがその根拠である。)
53年のエベレスト登頂について、ヒラリーといえば、私は幸運だけに恵まれた『トンビに油揚げ』というイメージを抱いていたのだが、もちろんこれは大きな誤りである。
ヒラリーはシプトンがエベレスト隊の指揮を執っていた頃からイギリス隊に関わっている。
53年のイギリス隊隊長の座を巡り、シプトン更迭の際にはヒラリー自らもエベレスト隊から離れる事を考えていた。(シプトンは更迭後もエベレスト隊に協力する姿勢を示し、これによりヒラリーも引き続きエベレスト隊に関わることになる。)
シプトンから軍人のジョン・ハントへ、隊長と体制が変わっても登山隊に関わり続けることができたのは、ヒラリーの人柄と登山家としての力量が認められたものであろう。
エベレスト登頂アタックから帰着後、友人に語った言葉。
"Well, George, we've knocked the bastard off,"
様々に訳されており、今回の死去の報道に際してはAFP通信社は
『ジョージ、われわれはやつを倒したよ』
『あいつを打ち負かしたよ』
いずれもAFP通信社訳
と報道されているが、やはり『ヒラリー自伝』の訳者で日本登山界の重鎮、故・吉沢一郎氏の訳
『やあ、奴を片づけてきたよ』
が、登山者ならば最もしっくり来る訳ではないだろうか。
ヒラリーのヒマラヤ登山はエベレスト以前、インドヒマラヤのムクト・パルバットに始まり、エベレスト以外にもチョーオユー、マカルー、タムセルク、アマダブラムに足跡を残している。
特にマカルー登山においては高所に通称「銀の小屋」と呼ばれる実験棟を建設、人体に及ぼす高所の影響を医学的に調査した。
地質学者フックスと組んだ南極横断旅行は、フックスが「ニュージーランド政財界の協力取り付け」を当てにしているとヒラリー自身は当初乗り気では無かったようだが、支援隊として南極点に到達。これは陸路からの南極点到達としては意外にもアムンゼン、スコットに続く第三番目の記録である。その後は南極が気に入ったのか、度々訪れている。
これらヒラリー氏の冒険・探検の数々は『ヒラリー自伝』に詳しい。
ナショナルジオグラフィック03年5月エベレスト・ヒラリー特集号も、写真の多くは同書から引用している。
さて、エベレスト登頂後もヒラリー氏が未知の領域を求め続けていたことに注目されたい。
他人を誹謗中傷することでは当ブログなど足下にも及ばない左翼偏向ジャーナリスト本多勝一は53年のエベレスト登頂をもってパイオニアワークは無くなったと吹聴しているが、ヒラリー卿の足跡を丹念にたどれば、本多の論調など戯れ言に等しいことがわかるだう。
(そもそも反米に凝り固まった本多勝一は、アポロ宇宙飛行士を管制官に操られた人形と酷評するが、ポーラーメソッドと物量作戦、軍人のハント隊長に率いられた53年のエベレスト隊とヒラリーを批判しないのはなぜなのか?)
ヒラリー卿の逝去に、初登頂時代の生き証人が去りゆく事とともに、あらためて山屋として未知の領域に挑む精神を忘れてはならないことを感じる。
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