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ゾ・ヒョンギュのリーダーシップ

長期間にわたり過酷な状況下で同じメンツと生活と苦楽を共にするヒマラヤ登山では、きったはったのトラブルは裏話としてよく知られていますが・・・
こういうリーダーシップが美談として語られる点に、やはり日本と韓国の違いを感じますなあ。

韓国最高の智将 ゾ・ヒョンギュ by 慶南新聞2/11
以下記事引用開始
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200802110101011800000102sゾ・ヒョンギュ氏近影

“目標がある人生は成功することができるし素晴らしい。 何でも挑戦し冒険するということは、危険と挫折が伴うが、この冒険と挑戦意識だけが人間を新しく生まれ変わるようにする。”
-ゾヒョングギュ慶南山岳連盟副会長

ヒマラヤの諸葛孔明、知恵と徳・体力をすべて取り揃えたヒマラヤの生きた戦略家、ヒマラヤで登頂不敗の成功神話等々…慶南山岳界を一番先に進み導いているゾ・ヒョンギュ副会長(60・咸安中央薬局代表)を指す言葉だ。
ゾ副会長は今年還暦を控えている。 しかしヒマラヤに対する彼の情熱はまだ20代だ。
しかし実際に彼を見れば171cm、63kgのか細い身で、果してヒマラヤ死の地帯 8000mを登山することができるか疑問に思う位だ。

◆ヒマラヤの戦略家として
ゾ副会長の登山経歴は華麗だ。 1988~1989年韓国冬季ヌプツェ北西壁(7745m) 隊長として冬季世界初、1992年ナンガパルバット(8125m) 韓国初、1995年エベレスト南西壁(8850m) 世界第7登、韓国初という輝かしい業績を成した。 特に 1995年エベレスト南西壁は韓国山岳界が 6度の挑戦に失敗したルートだった。
しかしゾ副会長は徹底的な事前準備と優秀な隊員選抜、完壁に近い食糧と装備を準備して、困難な登山を成功に導いた。
彼がどんなにエベレスト南西壁登山に先立ち満を持したのか示すエピソードがある。
1994年エベレスト登山の前、日本エベレスト遠征隊長と副隊長を馬山に招待して、隊員たちを対象で講演会を催した。この席で尾形好雄副隊長は「1994年エベレスト遠征の時、第5キャンプ(8358m)に使わないロシア製酸素 3本を埋めておいて来た」と冗談を言った。
ゾ隊長はこれを見逃さず、酸素を埋めた正確な位置を絵で描いてくれるよう頼み、尾形は特に考えなしに応じた。翌年の 1995年 8月 27日、エベレスト南西壁を登った慶南の登山家たちは、悪天候で登山が長期化、重い酸素と食糧などを輸送するのに大きな困難に直面し、登頂の可能性が稀薄になっていた。
しかしゾ隊長は日本遠征隊が保存しておいた酸素位置を隊員たちに知らせ、登頂を準備したパク・ゾンホンは海抜 8300mで ‘値千金の酸素’を発見、 頂上に登ることができた。
結局この登山は私たちの山岳人たちに登頂中心ではない登攀主義を実践した、とても意味ある登山として国内はもちろん世界山岳界に道しるべを立てた。

◆暮すも一緒、死ぬも一緒
ゾ副会長は 20年間ヒマラヤで隊長や時には純粋な登山隊員として参加し、登頂不敗神話を作った。しかしなによりも彼の名声を高めてきたのは、20年間近く幾多の登山をしながら、ただ一人の隊員も失わなかったことだ。
いくら優れた登山をしたと言っても、仲間が生きて帰ることができなかったら、その価値は小さくなる。その意味でゾ副会長の隊員を大事にする心は特別だ。
彼がどんなにチームワークを重視して隊員たちの命を惜しむのかを示す有名なエピソードがある。
1992年慶南山岳連盟パク・フィテク、ソン・ゼドック隊員が韓国人初のナンガパルバット登頂を果たした後、下山中にソン隊員が気力がつきて倒れ、パク隊員も疲労で一緒に山から下りることができない状況になった。
パク隊員一人で下るのか、でなければ一緒に死ぬかの岐路に立った。
パク隊員は状況を無線でゾ隊長に知らせた。無線から返ってきた答は
『フィテック、お前一人で下ったら連絡官が持っているライフルで殺す』
パク隊員はソン隊員とのロープを解かないで第4キャンプに無事に下り、数日後ベースキャンプに無事に帰還した。
ゾ副会長は「もし二名の隊員が登頂後一緒に死んだら仕方なかったが、もし一人だけ戻ってきたら私が多分殺したはずです」と当時を回想した。
彼は「死が交差するヒマラヤ遠征で、遠征隊長は永遠に責任を負わなければならないし、死亡者の家族が自立できるよう、細心な気配りをすることができる人だけが隊員たちを導き出すことができる」とリーダーの資質論を強調した。
2004年 4月、ヒマラヤ登山隊長を歴任して慶南山岳界発展に寄与したパク・ズファン専務理事が癌で亡くなると、ゾ副会長を含め登山家たちは募金運動をした。そして故パク・ズファン専務理事の娘が去年蔚山大学校に進学すると同時に、募金した1000万ウォンを慶南山岳連盟創立記念日に渡したりした。
慶南の登山家たちは、先に世を去った先輩の家族の責任負う、美しい姿を見せたりした。

◆携帯電話も自動車も兔許証もなくて
1999年、ゾ副会長は新しい挑戦に出た。当時 51歳だった彼は一般隊員としてパキスタンのガッシャブルム2峰(8035m) 頂上に挑戦した。
1999年 6月 17日ベースキャンプに到着したゾ副会長は他の隊員たちと同じく、直接荷物を背負い、ルート工作をして7月17日ガッシャブルム2峰頂上に立った。当時彼は国内最高齢8000m峰登頂記録を立てた。
そして 2004年、56歳の年に世界第4位のローツェを登るなど国内最高齢登頂を二度樹立した。
1949年咸安で生まれ、現在も地元で薬局を運営しているゾ副会長は、一日15時間以上働いて体力を鍛えている。彼は薬局運営で多くのお金を儲けたが、大部分は精神肢体障害者や貧しい人たちに投資している。
現在彼は携帯電話もなく自動車も持たない。
「山に登るとか約束している場合以外は薬局にいるから、携帯電話は必要ありません。携帯電話は拘束される傾向があって購入しませんでした。」と携帯電話不要論を展開する。
乗用車を持たないことについては「薬局を出ればあちこちにタクシーがあるのに、何故車が必要なのか? 山の関係者と会ってお酒を飲んだりすると、自動車はむしろ悩みのタネになる」と語る。
これから還暦を迎えるゾ副会長は「現在の韓国山岳界は登頂することのみに捕らわれて成果中心の遠征登山が繰り返されるのが現実。今からでも敢然と改善して行かなければならない。慶南山岳連盟は登攀中心の登山を推進してきたが、これからもっと多くの新しいルート開拓に力をつくさなければならない。」とコメントした。
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以上引用おわり

『フィテック、お前一人で下ったら連絡官が持っているライフルで殺す
いやあ~私なんか真っ先に撃ち殺されそうだ・・・
でも思わぬところで群馬岳連のボンベが役に立っていましたね。

『山の関係者と会ってお酒を飲んだりすると、自動車はむしろ悩みのタネになる』
日本の、派出所も無いようなイナカの酒飲み山岳会の皆さん、ちゃんと代行車を利用しましょーね。

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