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チェザリーノ・ファバ逝く

チェザリーノ・ファバ。
パタゴニアのビッグウォールに関心のある方ならご存じかも知れません。

1812
セロ・トーレ初登を狙ったマエストリ、エッガー組を待ち、惨劇の後、半狂乱になっていたといわれるマエストリを出迎えたクライマー。
そのチェザリーノ・ファバ氏が88歳で亡くなりました。
この訃報記事を取り上げているのはイタリアの一部メディアだけですので、ひっそりとした逝去といえるかもしれません。

1959年、パタゴニアのセロ・トーレ初登をめざしアタックをかけたイタリアのチェザレ・マエストリ、オーストリアのトニー・エッガーは「登頂に成功」、下山途上、雪と氷のブロックがエッガーを叩き落とし、マエストリのみ生還。
ファバはその6日前に2人と別れ、ベースで2人の帰りを待ち続けていました。
この登山については登頂の信憑性が疑われ、不幸にもカメラを持っていたのは墜死したエッガーで証明するものはマエストリの不確かな証言のみ。
この惨劇は後のマエストリの「コンプレッサー事件」に影響を及ぼしたと考えるのは容易でありましょう。

そのファバ氏は職業を転々とし、軍国主義とファシストを嫌い若くしてアルゼンチンに移住。
アルゼンチン山岳会の礎を築き、アコンカグアでは他の登山者を救うために凍傷で両足切断という不幸に見舞われます。
しかし山への情熱は消えず、前述のセロ・トーレ、後年はイタリアに戻り、ドロミテのカンパニール・バッソなどで活躍した模様です。
セロ・トーレの悲劇は日本でもよく知られていますが、関係者の後年はほとんど知られていないのではないでしょうか。
あの登頂の信憑性の疑義というセンセーショナルな騒動~不幸といいかえてもいい~を乗り越え、マエストリも、ファバも、登山を続けていたということに、私は感動を覚えます。
氏のご冥福をお祈りいたします。
300_maestri_und_fava_biwakierendビバーク中のファバとマエストリ。

Maestri_fava_01_p2晩年のファバ(左)とマエストリ(右)

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