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南西壁再び 登山家パク・ヨンソクの『業』

8000m峰14座登頂を果たしたクライマーは、各々様々な道を歩んでいる。
14座全山登頂、南北両極踏破、セブンサミット登頂を果たした韓国のパク・ヨンソクは今秋、後輩を2名亡くしたエベレスト南西壁に再び赴く。
南西壁という『業』に憑かれた男は、何を目指すのだろうか。

それでもふらりと行くことができる私は自由人 by 朝鮮日報8/30
以下記事引用開始
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2008083000007_0 2007年エベレスト南西壁登攀で二人の後輩を失った登山家パク・ヨンソクは、南西壁再挑戦のため来月 2日出国予定だ。
「振り返れば、ずっと自分自身に挑戦して来たはずです。何かを達成すれば達成感で満足するのに、底の抜けたカップに水を注ぐ感じ・・・達成する程に空しい感じでした。」

登山家パク・ヨンソク(45)は来月2日、ヒマラヤのエベレスト峰(8848m)南西壁遠征に再び出発する。
彼に「欲望を止めることができると安全だ(知止不殆 筆者注・止まるを知れば殆うからず 老子の言葉)」と言うと、
「やめなさいという言葉は、私の生を、私の人生を止めろという言葉に聞こえます。登山行為が私の生の100%です。」と返ってきた。
「遠征を続けながら私の「人生」を感じて、登りながら私が生きているということを実感できて、登山は私が一番よくできる事です。しかし私が先頭に立って後輩を導くこともできず、逆に導かれていると感じれば止めるつもりです。」
彼は「ヒマラヤ 8000m峰14座の中に韓国人が作った登山ルートが一つもない。私は一番困難な南西壁に「コリアンルート」を作りたい」と言うが、この南西壁遠征は彼にとっても恐ろしいものかもしれない。

 昨年の南西壁遠征で、彼は血を分けた兄弟よりもっと大切だったオ・フィズン、イ・ヒョンジョ隊員を失った。彼のアパートで一緒に暮らしたこともあり、常に遠征のパートナーだった。この事故で彼はしばらく酒に浸って暮し、幻聴も聞こえたこともあり、髪を切り、登山を辞めることまで考えた。
そんな彼が再び 悪夢の道を歩もうとするのだ。今度の遠征隊にはよくある壮行式もない。
「人命在天、星回りとは思っても、私が引率する立場なのにあまり面倒をみてやれなかったという悔恨が残りました。当時オ・フィズンは非常勤として会社に就職し、「兄さん、もう私も税金収めてますよ」と言うのが好きだったが・・・それが胸に痛みます。彼等のためにも、行きます。」

彼の全盛期は 2005年『山岳グランドスラム』(ヒマラヤ 8000m峰14座登頂、世界7大陸最高峰登頂、南北両極点踏破)を果たした時だ。「あの時止めていたら、成功的な人生だったでしょうに」と言うと彼は「成功的な人生とは何ですか? やりたい事をするのが人生ではないですか?」と返ってきた。
「山岳グランドスラムをしたならこれ以上何をするのかと言われますが、私がやりたいことはあまりにも多いのです。私は1ヶ所に到逹すれば、もう次の行き先を考えています。」

-あなたには生と死の距離(隔たり)はあまり近くないんですか?
「誰が死のうと行きます。登る前ベースキャンプでプジャ(筆者注・ヒマラヤ登山前に行う安全祈願の儀礼)を執り行なう時、私は一回も成功するようにと願った事はないです。無事に下山できるようにと祈りますね。私は前世に犯した罪が多いようですね。」

―生と死の勝負をして来た人生で、一日一日組職に縛られて生活している私たちのような人間はどんな風に見えますか?
「誰も、自分のすべきことがあります。その仕事がやりたくて過ごす人生は、その人生がいずれにせよ, 幸せだと思います。しかし、やりたくもない仕事をして暮す人を見れば、可哀想だと思います。たとえ大統領といえどそうです。」

―したい仕事ばかりできる人は少数で、生活していこうとすれば、したくなくても仕方なく(仕事を)する人が多いですね。
「私も喰っていくためにトレッキング事業もしたし、商業登山もしました。そうするうちに登山用品メーカーと契約して月給をもらえるようになりました。登山がうんざりする時もあります。特に隊員が死んだ時は。しかし、私が一番うまくやっていけることがこれだったわけで・・・。」

―あなたはふらりと行くことができるが、大部分の人々は日常生活に縛られていますね。
「ふらりと行くことができるから、私は自由人だと思います。これは私の命を担保として今までして来たからか分からないですね。多い死を見聞きし、生死を越え、後輩たちを失って・・・もしかしたらこんな苦労を心に決めた時、ふらりと行くことができるのではないでしょうか。」

―高所登山が自分の生きる姿勢を変えたことはありますか?
「ヒマラヤの、5000mより上は草一本ありません。神様が住む場所です。その高さでは、人間のできる事は極めて限られています。その広大な山に人が登ることができるのは数本だけです。私たちは神さまが許してくれる時に、ちょっと登って来るんです。私があまりテレビにも出ず、人々の集まる席を避け、講演にも出ないことは神さまに対する謙遜だと思っています。数多い遠征で後輩たちを殺し、神さまが生かしてくれてここまで来られたというのに、どこに行って講演などできますか。」

―本当に神さまがいると信じるんですか?
「私は特定の宗教はもたないが、神は存在すると信じます。」

―とても遠い将来、生物学的寿命を終える日、墓碑銘にどう書かれるように願いますか?
「考えてもみませんでしたが、死後、生きている知人たちが感じたとおりの言葉を使います。」
それとともに加えた。
「私がその気になれば、ふらりと行くことができますが、、私の人生を振り返れば休んだ事がないんです。1997年には8000m峰7座を登りました。山でばかり生活していたんです。会社員の仕事でいえば、365日夜勤したのとまったく同じです。家にも入らずに・・・。」

―家族と離れて過ごすのは自慢には成らないように思いますが、幸せですか?

しばらく時間をあけて口を開いた。
「・・・そんな重い話は、自信がありません。」
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 このインタビューを読んで先ず思ったのは、植村直己が遺した言葉、『エベレストに登ったということは、人を幸福にするか』である。
 同じ14座全山登頂者で、韓国メディアでも特に露出の多いオム・ホンギルとは対照的に、ここ最近パク・ヨンソクの消息が途切れていたのは気になっていました。とはいえ、昨冬は中国・四川の未踏峰連続登頂に挑み、一勝一敗だったようですが。
 昨年の南西壁遠征ではテントごと隊員が転落、後輩2名が死亡したことはパク・ヨンソク本人にとっても大きな傷となっていたようです。
 文中にもあるように、エベレスト南西壁に向かう登山隊にもかかわらず壮行式もせず、このインタビュー記事自体が朝鮮日報関連の出版社で発行している「月刊山」の記事ではなく、一般記事の人物コラムとしてインタビューを受けているのも異色でしょう。インタビュアーの朝鮮日報社の社会部長も、なかなかパンチの効いた質問を繰り出しています。
 興味深いのは、この記事の末尾にある掲示板に書き込まれた一般市民の反応。
 パク・ヨンソクの生き方に賛同する意見と共に、
『そうふらりと行くことができて君は自由人になることができるから良いだろう。家族の生計は ?登って死亡する場合も多いその後の、残された家族は ?まったく理解することができないことが高い山を登る人だ。』
『エレベスト初、北極と南極の最初の探検みたいなことは意味がある。しかし特別な人だけが登る山登りが何か意味があることか ?登って死んだ後、残った家族は誰が責任を負うか。こんな無責任で無能な人々が現実逃避にしているのではないか ?』
 などなど、厳しい書き込みもみられます。

 ま、万人共通の「幸福」なんて無いんでしょうね。
 いや、個人にとっても、時の移ろいと共に幸福の価値観なんて変わるものです。(そうですよね、家庭とやらを持って遠征登山を諦めた皆さん?)
 このインタビューを読み、パク・ヨンソクにとっては南西壁すらも、人生の通過点に過ぎないのだろうなあ、と私は確信しています。おそらく、走り続ける人生を歩む人なのだろうなあ、と。

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