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誰も墜落を避けることができない ~韓国隊メルー峰北壁の記録~

今夏、韓国隊のめざましい成果のひとつに、インド・ガンゴトリ山群メルー北壁の完登が挙げられるでしょう。
この度の月刊誌「人と山」にその凄まじい記録概要が掲載されました。

空に通じる門、その終りに立つ by 月刊「人と山」
以下引用開始
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空に通じる門、その終りに立つ
メルー峰北壁初登
文・写真 キム・テマン

空が開かれた瞬間!
そこは風さえ凍りついていた。
死と共に壁で過ごした時間… その長うとも同じ時間が経った後、 私たちを待っているものは何もなかった。
ひたすら一つのラインを追う私たちのトレースと、誰も残すことができなかった白いトレース。
私たちが刻みこんだその長いラインだけが、そこに残されているだけだった.

200805082014213889韓国隊ルート図

蒸し暑いどころではないインド・デリーで私たちは遠征隊に必要な食糧と行政手続きを終わらせ、ヒンドゥ人たちの聖地であるガンジス河の源をめざす車に乗った。‘空に通じる門’という名前のメルー北壁はインド、ヒンドゥ人たちの最高聖地であるガンジス川の源と場所を一つにする。
タポバンの街ではメルーは見えず、シブリンとバギラティ 1、2、3峰だけが輝いていた。何も遮るもののない陽の光を受け、肌が真っ黒に焼ける。
この熱い日ざしを頂上めざした登山期間10日間、2時間しか見られないことが分かっていたら、もうちょっと草地に横になって日ざしを満喫したものを。
しかし私たちの中で誰も気象の変化に気づいた者はいなかった。ここからは神の領域だからだ。

200809_oversea01ベースキャンプの光景

6月7日、ABC設営と高所順応のために私とセジュン隊員、ジュンホ隊員、そして 5人のポーターたちと朝から急ぐ。タポバンから8キロメートルの尾根を迂回して氷河地帯のクレバス地帯を越え、5時間登る。そして氷河の上の岩場に石垣を積み、テント2張を設置してベースキャンプに帰って来た。
数日ベースで休んだ後、固定ロープ作業とC1~C2ルート工作のためにまたABCへ出発する。みんな高所順応がよくできて、5時間かかった行程が3時間で行けた。
C1(5570m)に上げる食糧と装備を整理していると、メルー峰が雲の間に、その燦爛たる壁をはにかむように現わした。胸が詰ったような思い。しばらくその姿を現わした岩壁は、しかしたちどころに雲の中に消えた。恥じらう処女のように。

200809_oversea02メルー北壁全景

6月12日、隊員同士のミーティングで、ポーター達の子供のために小さい「図書館」を作る事にした。
ヒョン・ウックイ隊員がポーターたちの夢を尋ねると、年長のポーター、バラとキルタンは子供達により良い教育を施したいと言う。年間収入が25万ウォン程度である彼らにとって、教育を後回しにして一日一日生きるために暮していることがわかっているから、少しでも手助けになるために下した決定だった。

14日、清々しい天気に雪が融けて雪崩が起きる。荷物を背負ってC1に出発する。私とセジュン隊員がC1からC2までロープをフィックスして、ジュンホ隊員が ABC(5000m)からC1(5570m)まで荷揚げを引き受けた。雪崩と落石の音が止まない。

15日、小川を渡り、膝まで沈む雪壁をラッセルしながら登っているのに暴風雪が吹き付ける。 降りしきる雪が強まる。400メートルのロープをフィックスしてC1に帰り、テントの中で濡れた服を乾かす。

17日、雪がずっと降る中、滑めらかな岩場150メートル3ピッチを登り、氷雪壁50メートルを登る間、東壁では氷と落石が無数に落ちている。東壁寄りに氷壁を100メートル登ったら、ポーターレッジと装備が氷漬けになっていた。この装備の主はどんなに熾烈な登山を行い、これらを置いて撤収したのだろうか? 東壁の落石と気象悪化であきらめただろうか? 知りたい。手 袋が濡れて手が冷えるうえに痛い。1000メートル、ロープをフィックスして、さらに少なくとも400メートル以上はフィックスしなければならないようだ。

18日、ベースキャンプでキムチジャンを作って食べ、久しぶりの余裕。
山羊が遊牧民に連れられてきた。「あれ一匹喰えば、一日で頂上まで行くことができるんじゃないですかね。」3週間近く肉を食べていないので力が足りない。
 ここガンゴトリとタポバンは、ガンジス河の源であると同時にヒンドゥ 4大聖地であるため、肉や卵はもちろん、タマネギやジャガイモみたいな食べ物も搬入しなければならないなど制約があまりにも多い。腹一杯食べても足りず、目の前を山羊たちが冷やかすように近付いてくる。

26日、C2(6150m)まで、残った100メートルのフィックス工作のため、食糧と装備を担いで1200メートルをユマーリングで登る。「今日運んで一日休んで個人装備だけ揃えて行こう。みんな力を出そう。」セジュン隊員が私たちを励ます。天気が良好なため、氷と岩が四方から降ってくる。デポ地点でフィックスロープを準備していると “ウルルン クァンクァン”(訳注・韓国語で雷の鳴る音) と聞こえる。壁では大きい岩が崩れ、雪崩を起こしながら落ちていく.

200809_oversea037月2日、ベースキャンプからABCに飛ぶように2時間で到着。ラーメンでお昼を食べてC1キャンプに出発。何日間か降った雪が雪崩になって墜ちる。C1は幸いに損害はなかった。

3日朝5時、アルファ米を食べて出発する際に手足に痛みが走る。デポさせておいた荷が雪崩で飛ばされていないか心配だ。固定ロープは雪に埋まっていて苦労する。ベースで養った体力がここで消費するかと思うと、惜しいことは言い尽くせない。
 氷と岩が飛び散る。大きい氷が轟音とともに崩れ、散弾のように割れて襲って来る。数えきれない落石の中を叫びながら登る。落石と落氷は登る私たちを終始脅かした。氷塊が爆弾のように弾け落ちる。壁はまだ50メートル以上残っているが、フィックスロープが足りない。ロープを担いでセジュン隊員の確保でアイスバイルを効かせて登る。スパッツの間から雪が入って靴が濡れ、足指には感覚がない。辛うじて身を支えることができる所で登山靴を脱いで揉んでみるが、効果は無い。手足が冷えて痛い。私の荷物はまだ100メートル下にあるのに、とても寒い。ジュンホ隊員が荷物をあげるまで震えていなければならないから、ミシンの速度よりもっと早い速度で震える。動くほどに寒くない。単純だが、これがヒマラヤで生きていく方法だ。

誰も墜落を避けることができない

5日、セジュン隊員のリードでいよいよメルー北壁の登攀が始まる。セジュン隊員が力強くハンマーを叩くと、ナイフハーケンがスルッと入って行く。触れるだけで壊れてしまう北壁は手始めから私たちのクライミングを拒否する。硬く見える壁なのにギアも設置できず狼狽する。岩をかきだしてリベットボルト二つを打ちこんだが、これ以上進むことはできない。陽が暮れて、ポーターレッジに帰って寝ることにした。

200809_oversea046日、今日中に脆い岩の区間を越えることができなければ、食糧が厳しい。午前5時から装備を付けたジュンホ隊員と私が30メートルをユマーリングで登る。雪はずっと降っていて、東壁では落石、落氷、スノーシャワーの音がうるさい。岩を取り除いてバードビークを打ちながら登る。脆い岩では打ち込んで支える方法しか無い。バードビークにラダーをかけて立ち上がった瞬間、バードビークが抜けて10メートル吹っ飛んで落ちた。確保ポイントはリベットボルトだ。脆い岩を取り除いて打ったリベットボルトは無事だったようだ。リベットボルトまで登って、バードビークを打ってまた登る。脆い岩にバードビークがまた抜けて、10メートル余り墜落してひっくりかえる。またリベットボルトに救われた。
 リベットが曲がっていて、ため息をつく。もう一度墜落すれば、抜ける。墜落した所にバードビークを二つ打ってイコライザーをかける。装備を回収する時には、抵抗なくスクスク抜ける。 リベットボルトは曲がって抜ける直前だ。30メートル登るのに、ぶっ通しで一日かかった。

7日、ナイフハーケンを落とす。100メートル下に落ちていく光景をぼうっとして見る。くそ、初心者的な間違いをするなんて。他の隊員に申し訳ない。5,6動作のハーケンとバードビーク区間を登って、カムNo.2を決めて果敢にラダーに立ち上がる瞬間、重力に引き寄せられるように10メートル墜落、ロープにぶらさがる。抱いて落ちた岩は100メートル下で雪崩を起こしていた。バードビークを打ちこんでフィフィを繰り上げる瞬間、また墜落する。理由が分からない。「大丈夫か? あれ!フィフィが折れた! ゆっくり急がずに、 ところで今日の内に終わるのか?」
ポーターレッジから顔を出しながらセジュン隊員が、忠告まじりのジョークをとばす。腹も立つが、すまなくもある。またいつ落ちるかな、と知りたかったりもする。

8日、脆い岩が崩壊してピンが抜け、セジュン隊員が7メートル落ちる。墜落は、私たちの誰も避けることができない。リベットボルトを打って越え、4ピッチを終了したところで10時間の登攀が終わる。

9日、陽がいつ照ったか記憶にない。ロープは凍りついて太い綱のようになった。ジュンホ隊員は指を痛めた。比較的良好なクラックをたどって登攀ははかどる。そういえば、韓国にいる兄さんの息子フィドの弟がまもなく産まれるようだ。
 60メートル5ピッチ終わった後、私が登ってホーリングしているとジュンホ隊員が「夜登をしてみようか。寒くていられないだろう」「どんなに登ってもホーリングしても、私も寒いですよ、 兄さん」原始的な本能だけが、私たちを動かす。

11日、雪がたくさん降って登山が不可能。ポーターレッジとハンモックに横になって、雪が止むことだけを待つ。腹がすいた。予想より登山期間が長くなって食べる物がない。

12日、30メートルを速攻で登ってバードビークを使用、20メートル登り、7ピッチを終了。セジュン隊員は目を痛め、35メートル登って雪の積もったテラスにボルトを打ち、寒さに震えながら下降。

13日、装備を回収してセジュン隊員がボルトを打ったテラスまで登った。ポーターレッジのフライを閉め、寒さに耐えていると、ジュンホ隊員が「 テマンよ、どうしようもない、とても寒くて手足が冷えて到底登れそうにない。少し解凍して行かなくちゃいけない。」という。三人が狭いポーターレッジにうずくまって息苦しい。
「ジュンホ兄、私が登りますよ」
装備を取りそろえ、ホーリングロープにぶら下がるや否や、右側10メートルほど振られる。ユマーリングでテラスに登り、数日間分の重たい大キジを撃ったら幾分楽になった。誰も立ち上がることができなかった所での「快便」だった。

20メートルさらに登り、8ピッチを終了したらガリーが見える。ホーリングはしなくても良いから4時までガリーに到達できれば、頂上に到逹することができる。クラックが結構良好で、2時間あれば到達できると思われた。バードビークを設置して5,6動作を登り、岩にカムNo.5を決めて立ち上がった瞬間、石を抱いて真っ逆さまに10メートルを飛んで腰に衝撃を受ける。
「落!」
石は 500メートル下に落ち、音だけが聞こえる。気力を振り絞ってまた登ったら、バードビークが残っているのが見えた。これが抜けたらどうだったろうかと考え、ゾッとした。
 これ以上遅くなれば登頂が大変になる。スノーシャワーが服に入り、全身はずぶ濡れだ。50メートル登り、9ピッチを終了したところで午後4時を過ぎていた。ガリーを小さな雪崩が落ちていく。氷壁区間を越え、セジュン隊員を確保していると無線で興奮した声が聞こえる。
「現在18時、頂上だ。寒いから早く登ってきて!」

ジュンホ隊員が、誰もくぐれなかった空に通じる門、メルーの頂上に立った。そして20分ほどおいて私とセジュン隊員が頂上に立つ。
去年、パキスタンのツイ・ゾム遠征失敗以後、苦労はあったが計画したメルー峰登山を私たちがやりこなした。遠征隊発起式の日、所感を問う人々に「一番完璧なメンバーたちと一番完璧なチームワークで行けるようになってあまりにも嬉しい」と言った兄さんの言葉がこんな良い結果になった。
しかし喜びもつかのま、そこには風が存在するだけだ。そして私たちは下山のことを心配する。腹もすいて体力は底を打っている。

今度の登山はそれこそ残っている最後の力を出し尽くした後、やっと空を見られた。メルーの意味がなぜ ‘空に通じる門’なのか分かるようだ。
ABCのウ・ヨン隊員とベースキャンプの連絡官に登頂を知らせてから日が暗くなる。テレイサガールが少し見えたら、ガスがひどく立ち込め、たちどころに消えた。とても寒く、早く下降したい。暗い中、ランプをつけての下降は大変だった。

14日、行動食が落ちて朝は飢えたまま。昨日装備を整理して9時から下降開始。C2まで下ったら3時だった。雪崩でフィックスロープはボロボロに切れていた。C1まで下る間、3箇所のロープが切れており、危険を冒してクライミングダウンをしなければならなかった。食べていないため、足に力が入らない。15日ぶりに地面に下ったら地形が変わっていて、ABCに到着したのは8時過ぎ。雨は降り続いている。兄さんたちが来るのを待って、ベースキャンプに下ったのは夜十二時に近かった。


ダスバ村に向かう道

‘空に通じる門’という意味のメルーは、今まで誰にも通るのを承諾しなかったのかをひしひしと感たし、私たちにその空を見せてくれた。
私たちはその登攀ルートの名前を ‘the sky was opened(空は開かれた)’と名付けた。
下山のキャラバンが終わってから、ヒョン・ウックイ隊員が半月かけて運んできた英語の本を持って、子供達が待つダスバ村に向かう。
メルー峰は長年の準備、すべてをかけた私たちの夢をつかむことができるようにしてくれた。私たちはその山裾に暮す子供達に夢を植えるために本を持って登る。
一冊の本は一つの夢を植えてくれると思う。
ベースキャンプから二日、車で二日、それからまた一日かかるダスバ村には、夜明けから前を見られない位の雨風が吹きつけていた。道が寸断されていたし、凍傷にかかった手と足を休ませることもないまま、壊れた橋を渡って山道を通り、村に到着した。

2008年7月、ガルワールヒマラヤで、誰も許さなかったメルーの空は開かれ、誰も関心を持たなかったダスダマウルで新しい空に向けた夢が始まった。
今もそこには、私たちの夢と子供達の夢が共存しているでしょう。
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以上引用おわり

文中の「兄」というのは韓国ならではの年長者への敬称ですね。
『誰も墜落を避けることができない』の一言が、今回の登攀のすさまじさを物語っています。
月刊「人と山」の記事では岩壁下部までの画像しか掲載されていませんが、メンバー全員が墜落を繰り返した上部岩壁のキレてる登攀の画像は、アメリカのClimbing誌サイトに掲載されています。

Koreans Climb Huge Himalayan Wall by Climbing誌

今回の登山の記事で最も印象に残ったのは、最後の一文、
『今もそこには、私たちの夢と子供達の夢が共存しているでしょう。』です。
この韓国メルー隊の余話については、別エントリーで。

参考情報 雪山大好きっ娘。クライミングニュース(2008/9/5)

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コメント

いつもお世話になっております。

素晴らしい記録ですね。翻訳も素晴らしい。現場の状況がよくわかります。これだけ落ちていてよく誰も致命的なけがをせずに済んだなぁというのが実感です。

当方の能力では中国語、韓国語の記事に関しては全く追えないために非常に参考になりました。


翻訳で何点か気になった箇所を書いてみました。

"バードピック"
似た単語から考えると "バードビーク"(メーカーによってはペッカー) になるのかなぁと思うのですが、このギアはあくまでも人工登攀用のギアでリス(クラックよりも細い岩の割れ目)に叩き込んで使う道具です。ただし、あくまでも前進用のギアで、確保支点としては向いていませんし、記事にあるほど多用するものでもありません。ただ壁の状況が本当に厳しく、ハーケンが打ち込めず、バードビーク連打をするしかなかったということも十分考えられはします。うーん、何か韓国独特のギアなんですかね。

ペッカー
http://www.lostarrow.co.jp/CGI/products/detail_view.cgi?act=000001&brand=000001&ctgr=000006&subctgr=000018&product=BD80232


"バードピックを二つ打ってイコライザーをかける"
"イコライザー" というポイントに引っかかりました。このギアも何を指すのかがわからないんですよね。ショックアブソーバーのことかなぁ? たぶん何か独特の言い回しな気もします。


何か重箱の隅をつつくようなつまらない指摘 & 長文で失礼いたしました。

投稿: えのきど。 | 2008.09.06 08:16

re:えのきど様
 いつも参考にさせていただいております。
 あれから幾つかクライミングの参考書を確認しましたが、「バードビーク」の方が通りが良いようですね。訂正したいと思います。ご指摘のように前進ギアのはずなのですが、原文中に頻繁にでてくるもので忠実に表記した次第でした。

イコライザーは原文の発音をそのまま表記しました。韓国のサイトを検索すると「ショックアブソーバー」(あの墜落時に縫い目がほどけて衝撃緩和するやつ)にあたるのですが、メトリウスの製品をさすのか、不明なままでしたので、そのままイコライザーと表記した次第です。

<<何か重箱の隅をつつくようなつまらない指摘 & 長文で失礼いたしました。
いえいえ、おそらくこういった記録を欲する方にとっては細かい部分が最も知りたいところと思いますので、今後ともご指摘ご意見いただければ幸いです。

投稿: 聖母峰 | 2008.09.08 10:20

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