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越王山(こしおうやま) 幻の日本軍地下兵器工場の山を訪ねて

温泉と将棋の街、天童市。
天童には水晶山や雨呼山などハイキングに手ごろな山もあるが、さらに市街地のそばに舞鶴山、八幡山、越王山という低山がある。これら三山を「出羽の三森(みつもり)」と呼ぶ。

標高225m程の越王山(こしおうやま)は、南北に伸びた洋ナシ形の低山である。
この山は太平洋戦争末期、戦後確認されただけでも26箇所の横穴が東西から挟むように掘削され、山全体がいわば旧日本軍の地下兵器工場として建設が進められていた、「秘めた」歴史を持つ。

そんな歴史に魅かれて、越王山に登る機会を狙っていた。
夏季に一度アクセスしたが、取り付きがまったくわからず。地形図に記載されている北側の道は廃道になっているらしい。
晩秋、再び越王山を訪れることにした。

Imgp0751南麓の長龍寺から望む越王山

Imgp0739山麓の干布集落は静かな静かな農村。ずいぶんとアンティークな半鐘が立つ。

Imgp0740山麓の周囲は一面リンゴ畑。見事に実ったリンゴを眺めながら、入山口を探す。

Imgp0742リンゴ畑の細い農道を歩いて見つけた登山口。草ぼうぼうだが、白い看板(越王山の説明板)で登山口とわかる。

Imgp0749草が生い茂っているのは入り口だけで、登山道そのものは明瞭。徒歩数分で開けた場所、鳥居とお社がある場所に出る。
見渡す限り畑と集落。そんな人臭さが、低山・里山の魅力である。

Imgp0747頂上そのものは眺望に恵まれない、静かな神社。越王神社と古峰神社が併設されている。

Imgp0746頂上お社脇の三角点。登山口から頂上まで徒歩10分ほどだが、せっかくなのでここでコーヒータイム。

Kosimap_2天童市街および「出羽の三森」位置図。越王山の北側に至る道は現在は見当たらない。

 さて、この山の数奇な運命を紹介しよう。
 太平洋戦争末期の昭和19年12月、日本軍は仙台市に疎開しておいた東京陸軍造兵廠が米軍の空襲・艦砲射撃を受ける危険性があるとして、天童市の越王山の地下に工場を建設・再疎開するとして地元役場に協力要請という名の命令を下した。
 地下工事は東西からトンネルを掘削、さらに南北に拡幅して工場を建設するという計画であった。地下工場建設に併せ、天童駅から鉄道引き込み線を敷設するという大規模な計画である。この建設工事は当時の井上組、大林組が担当した。
 工事そのものは、最長100mの坑道を掘削したところで終戦を迎えた。そして日本軍の地下兵器工場は日の目を見ることなく、忘れ去られていったのである。

 この工事に関して重要な記録がある。
 『干布小学校百年史』から引用しよう。
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二〇年三月から奈良沢部落に朝鮮人労務者が数回に亘って入ってきた。五月末には奈良沢部落に労務者が充満した。世帯数にして五〇以上、人員にして約二五〇人位、部落内の小屋を借り、または小山の東に数棟の飯場を建設して生活した。
 (中略)
 戦後この労務者が村に後遺症として、いろいろの問題を村に残した。
 干布地区から労務者世帯が完全に退去したのは昭和四七年春である。

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(強調文字は筆者による)

この越王山の兵器工場について調べるため、『天童市史』や地元集落の歴史を詳細に記した『干布村史』をひもといてみた。鉄道線を引き込むほどの大規模な計画にもかかわらず、いずれもこの地下兵器工場についての記載は無く、無視されている。
『干布小学校百年史』に記録のある「後遺症」とは具体的に何を指すのか。郷土史編纂者も触れたくない何かがそこにあるのではないか?
一部の研究者は「強制連行」された朝鮮人労働者の現場として越王山を取り上げているが、「強制連行」されたはずの彼らは何ゆえ昭和47年まで、この地に滞在していたのか?
 干布地区では越王山の事実を語り継ぐべく「歴史を語りつぐ会」が作られたらしいのだが、ここでは朝鮮人労働者たちとは友好的な関係であったことが触れられている。
 少なくとも、「強制連行」「虐待」といった左翼関係研究者の振り撒くイメージとは離れた存在であることが伺えるのである。

 「田舎」である山形県は、「疎開先」として戦争の歴史をくぐりぬけてきた土地であるが、それだからこそ、はるか遠いドイツからUボートで運ばれた設計資料を元にメッサーシュミットのロケット戦闘機「秋水」が製作されるなど、田舎ゆえの「戦史」が影を落とす土地でもある。
 草に覆われ、今現在では掘削された横穴の多くが水没・埋没するなどして確認困難になっているが、我々現代人はこの越王山の歴史を忘れてはならない。

 登山アドバイス
 登山口は南麓にある長龍寺東脇の斜面から。
 駐車場は無い。筆者は休日の干布郵便局の駐車スペースを利用したが注意が必要。
 山そのものは安山岩質凝灰岩で、草が生い茂っている登山口以外は露岩の道を行く。雨天後などは滑りやすくなると予想される。
 登山口から頂上まで徒歩約10分ほど。登山に時間を要しないので、観光のついでに登ってみてはいかがだろうか。

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