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産経新聞大阪編集局次長 渡部裕明氏の曇りに曇った歴史観

私は産経新聞を愛読しているが、末端の山岳関係者としていささか看過できない記事発見。

【土・日曜日に書く】大阪編集局次長・渡部裕明 清貧の思想生んだ「山の宗教」 by 産経新聞4/19

産経新聞大阪支局の渡部裕明氏の筆によるコラムである。
内容は役小角(えんのおづぬ)を中心に論を展開し、

 『だが筆者は「山の宗教」こそが、日本人の精神の原点、背骨にあたるものを生んだと考えている。肉体と精神を厳しく鍛錬し、物質的豊かさや浪費をあえて拒否する、清貧の思想である。』

だ、そうだ。
渡部氏は山岳宗教が日本人の精神の原点にあり、清貧の思想を成すと説くが、果たしてそうだろうか?

たしかに日本全国各地に存在する「修験道の山」で修験者が厳しい修行を積み重ねたのは事実である。
その一方、それに追随して発展した一般民の山岳信仰によって、修験道の山の周辺に人・モノ・カネが集まることになった。
早い話が、修験道の山として数多くの人間が集まることにより莫大な経済効果が発生し、金と物資が流通していたのである。
 そんなことはちょっとした歴史書をひもとけば書いてあることだ。

渡部氏は山岳宗教に何らかのロマンを感じておられるのであろう。
日本の農村などでは、背後に見える山を敬う精神性は今もなお受け継がれており、山の宗教が日本人の精神のバックボーンにあるとする考え方には私も素直にうなずくものである。
しかし清貧の思想うんぬんは首をかしげざるをえない。
そこ(山)にヒト・モノ・カネが集まる限り、やはり俗世間と変わらない空間が存在し、欲と聖の表裏一体の世界だったというのが私の考えである。

神を敬い厳しい修行の傍ら、そんな欲の世界がある。
そしてそれはまた、私にとっての歴史というものの魅力でもある。

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