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稜線は秋色

村山葉山の稜線にある神社『奥の院』で昼食。
本日は気分転換目的の山行なり。

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山麓はそれほどでもないが、稜線は見事に紅葉真っ盛り。
全ての植物が枯れ果てた池塘が過ぎ去った夏を思わせ、池塘の向こうに映える紅葉が印象に残る。

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やはりいた、ウエツキブナハムシ。
昨年あたりから、朝日連峰、月山エリアで大発生している甲虫の幼虫。
(スケール代わりのペットボトル蓋から大きさをイメージくだされ)
ブナの葉を食い荒らし、紅葉シーズン前から葉枯れで黄色くなってしまっている。
月山の隣、ここ葉山でもブナの葉のあちこちに黒い幼虫が取り付いている。
(奥の院手前、標高1300mにて撮影)

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山麓の林道では、やはりウルシが真っ先に見事な「赤」に色づいている。

 ちょうど今現在、韓国の知人が来日・北アルプスに入山しているのだが、週末or月曜の休みがとれず、送迎にも行けず。
 渡韓の度にお世話になり、韓国の登山記事でわからない語句があると教えて頂いたりしているのだが、当方は山形から身動きできず、断腸の想いである。
 韓国でお世話になった方は数多いのだが、私が今お返しできることは恥ずかしながら何もない。
 日本の左翼系知識人にみられる盲目的な礼賛は論外だが、韓国という国をよく知ろうとする事は、そんな私にとって義務である。
 薄曇りの空に、北アルプスの天候も良好であることをひたすら祈る。

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少しはクライミングもおべんきょうしよう。

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韓国の高所クライマーの現在・未来

 韓国の月刊誌「山」9月号に『ゴー・ミスンの死を契機に探る韓国山岳界の昨日,今日,明日』という座談会形式の記事が掲載されました。
 韓国登山界における高所登山のトップクライマーが一堂に会しての座談会です。
 それはそのまま韓国のヒマラヤ登山の現状をよく表している貴重な記事になっています。
 日本の志あるクライマーなら、国と文化の違いを超えて彼らの置かれた状況、そして目指すところが理解できるのではないかと思います。

ゴー・ミスンの死を契機に探る韓国山岳界の昨日,今日,明日 by 月刊「山」9月号

 以下記事引用開始
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ゴー・ミスンの死を契機に探る韓国山岳界の昨日,今日,明日

「登攀はパートナーを訪ねて行く過程」韓国の高所登山家らの虚心坦壊な対談
8月16日午後、ソウル・光化門の月刊「山」編集室に、ヒマラヤをはじめとする高峰とビッグウォールで情熱的にクライミングを展開している登山家らが集まった。彼らは自身が関心ないクライミング分野で活動する登山家らを理由なしに非難したり、さげすんではいけないということを同様に口にした。
座談会には女性登山家を代表するイ・ミョンヒ氏、最近パキスタンヒマラヤ・ ゴールデンピーク北壁に新ルートを開拓して帰国したキム・ヒョンイル氏、8,000m級9座無酸素登頂者のキム・チャンホ氏、8,000m峰14座登頂を目標とするキム・ミゴン氏が参加、岩・氷壁だけでなく高所のビッグウォールでも優れた技量を見せるチュ・ソンムン氏が少し遅れて参加した。 チュ・ソンムン氏とイ・ミョンヒ氏は山岳界によく知られたクライマー夫婦だ。

座談会はナンガパルバット登頂後の下山中、7月11日午後7時頃に滑落事故にあった故ゴー・ミスン氏に対する思い出話で始まった。

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▲テーマ討論に参加したキム・チャンホ、キム・ミコン、イ・ミョンヒ、キム・ヒョンイル(左側から)各氏が韓国のヒマラヤ登攀の将来について、笑顔で話を交わす。

◆ゴー・ミスンの事故を皆惜しんで

イ・ミョンヒ = 1996年、クムジョン(訳者注・韓国京畿道の地名)の人工壁で初めて出会いました。ミスン姉さんはスポーツクライミング分野では本当に独立独歩的な存在でした。 男女あわせても最も熱心にトレーニングしていました。目標量が満たされる前までは違うことを全くしなかったですから。 その一方で、苦労して習得したノウハウを後輩らにそっくり伝えていました。それでも追いかけることにはなりませんでしたが(笑).
 クライミングには「恨が多い」人でした。(訳者注・詳細は後述) 14座登頂を終わらせていたならば、明らかにビッグウォールをめざしたでしょう。 私にも必ず一緒に行こうといっていたからです。 高所のビッグウォールでマルチピッチのフリークライミングルートが誕生できたはずなのに、本当に惜しいです。

キム・ミコン = そのとおりですよ。ゴー・ミスンさんはヒマラヤのビッグウォールに関心が深かったです。 2005年のナンガパルバット峰ルパール壁登攀を終わらせて帰国した時、登攀の話を聞きたいといって隊員らを訪ねてきたからです。

キム・ヒョンイル = ミスンがアイスクライミングを学んでいる時期に、数年間一緒に登山をしました。 トップスポーツクライマーらしく、早くから感覚を身につけました。世界大会でも入賞するほど急成長したからです。 以前からは同年齢者のグループ「羊たちの沈黙」にも参加していました。 同じ「未」年(1967年)生まれの集まりです。

◆ 8,000m 14座症候群と、望ましいクライミング文化

キム・ミコン = まだ6座しか登っていません。ヒマラヤは好きですが、漠然と通うより何か目標を定めておいて通うのが良いと思って14座登頂をめざすことにしたのです。 14座登頂を夢見る他の人たちも同じでしょう。 ヒマラヤの高峰に一度でも登ってみた人ならば当然持つ夢ですから。

キム・チャンホ = 我が国からも数人輩出されていますが、ヒマラヤを登攀する時に出会う外国登山家の多くが14座登頂を夢見ています。 私もやはりその道をたどっています。多分エベレストが最後の目標になると思います。 その時はちょっと変わったルートで登攀してみたいです。
8,000m高所登山が1990年代に比べて,成功確率が高まったことだけは間違いない事実であるようです。 あるルートに多くの遠征隊が集まって容易になっているけれども、インターネットや衛星電話を通じて正確な天気データを得ることができるというのが決定的のようです。 以前の先輩方の登山を見れば、最後のキャンプまで登って降りてくることが多く、そのように何度も登ったり降りたりでは決定的な場面で力が抜けて、登れないことが多かったようです。今は違います。 天気予報に合わせて、一気に終わらせるからです。

キム・ヒョンイル = もう我が国のクライマーたちの登攀形態は非常に多様化しました。 スポーツクライミングに没頭する人も多く、5,000m峰の岩壁登攀を行うクライマーも多いです。 難しくないクライミングがどこにありますか。重要なことはお互いにさげすまないで、お互いを認めることをしなければならないという点です。 登山専門誌をはじめとして、メディアにも関心を持ってほしいと思います。

イ・ミョンヒ=そのとおりですよ。 互いに励ます雰囲気を作り出さなければならないと思います。みな自分が進むべき道があるでしょう。 惜しいのは、ヒマラヤ遠征には後援する企業もありますが、私のように小さい山や壁を目指す人々にとっては資金援助を受けるのは本当に難しいです。 分からないこともないのです。 どうしてもエベレストに行くと言えば、一般の人もすごいと考えますから。

◆ヒマラヤのビッグウォール登攀

キム・ヒョンイル=外国人も多くはありません。 エベレストは春のシーズンならばネパールでもチベットでも30,40隊が集まりますが、岩壁登攀は違います。 一つのチームに会っても幸運です。言葉がよく通じなくても非常にうれしいです。 今回成功したゴールデンピークのような壁は登攀ラインが単純です。 ところが登攀高度が4,000mにもなって難解なウルタルサール(7,388m・パキスタン フンザ)のような山は本当に難しいです。 ルートを探すのも難しく、日数や食糧計算するのも容易ではありません。 今回も壁の登攀より終盤の下山ルートがさらに難しかったです。 特にホワイトアウトにかかって困りきりました。

キム・チャンホ=ナンガパルバット ルパール壁登攀の時、終盤にさしかかってイ・ヒョンジョ(2007年春エベレスト南西壁登攀中に死亡)がともすると“兄はどんなふうにして、そんなにルートをよく探せますね”と尋ねられました。大学時代何十回も読んだラインホルト メスナーの「黒い孤独白い孤独」(訳者注・邦訳名「ナンガパルバート単独行」)に出てきたルパール壁の写真を持っていきましたよ。 その写真を財布に入れておいて、迷うたびに取り出してたんです(笑い).

キム・ミコン=尖鋭な速度登攀を広げる友人らは6mmロープ30m程度だけ持ってソロ登攀を行います。スイスのウェリ・シュテックはアルプス3大北壁を速攻で終えました。 アイガー北壁ヘクマイアールートを単独で3時間54分で登り、グランドジョラス北壁は2時間30分で登りました。2005年にはチョラツェ北壁単独登攀、タウチェ東壁単独登攀、アマダブラム北壁登攀でピオレ・ド・オールの2次審査にまで上がりましたが、「作為的な登攀」という評価のために落選しました。

キム・チャンホ=事実危険だけれど,そのような登攀が面白味はあります。 特にスピードクライミングする時の感じはすごいです。 7,000mの高所に順応した状態なのに息がはっはっとみなぎって,吐き気が常にします。ノーマルルートの登攀に比べて安全なこともあります。高所に滞在する時間がそれだけ短いですから。

キム・ミコン=ところがローツェ南壁のようなところはとても危険です。 1999年と2004年、2度登攀したがその時ごとに本当に緊張しました。 午前10時なら浴びるほど落石・落氷が降り注ぎ始めます。 映画の一場面のようです。 これはクライミングではないように思えました。私はそんなに危険なところよりは、私の意志や能力で登れるところで挑戦したいです。

◆生きて下山できるのが良いクライミング

キム・チャンホ=今春カザフスタンのセルゲイ・サモイロフがローツェからサウスコルを経てエベレストを登った後下山するという野心に満ちた計画をたてました。 惜しくもローツェで事故に遭って失敗に終わりましたが。 冒険的な登攀を追求するスイスのエアハルト・ロレタンは20年余り前にローツェシャール~ローツェ~エベレスト3峰の縦走登攀を試みたことがあります。 その結果はローツェシーャルも登れませんでした。

キム・ミコン=私たちに対しても、登頂主義から抜け出して登路主義(訳者注・韓国語では登頂第一とする「登頂主義」に対し、バリエーションルート登攀などを表現する「登路主義」という表現が用いられる)に行かなければならないのではないか、ロープなしでアルパインスタイルで登攀しなければならないのではないかなどの批判もしばしば聞きます。 だがそれは机上の空論です。特に能力の備わっていない人々に壁を登れというのは死地に追い込むことに違いありません。 ヒマラヤ登攀が命をかけた登攀でなくてはならないですか? 登攀もしなければならないが、楽しむ方法も知らなければならないということです。
 なぜノーマルルート登攀に対してそんなにさげすむ見方をするのか分からないです。 シーズンが変わった後に行けば、あらゆる事をしなければなりません。 また登路主義に立った登攀をするならば準備過程が長くなければなりません。 経費のバックアップもなければなりません。

キム・チャンホ=2003年パキスタンでグレッグ チャイルドの チームに会いました。 その時誰かがなぜロープを使って登攀するのかと尋ねたのです。 誰も明快に答えられなかったのでグレッグ チャイルド チームのコックがこのように話したのです。 アルパイン スタイルで登山して死ぬよりは生きて降りてくるのがより良い登山ではないかと。名答です。家族はもちろん、事故に遭い同僚を失ったパートナーがどれほど悲しいか。

キム・ヒョンイル=下山に対する準備を徹底的にしなければならないようです。 疲れた時の状況に備える賢さがなければならないと思ってます。 ゴールデンピーク北壁登攀に成功して下山ルートに悩まされました。装備と食糧など何の準備もない状態でビバークをしようとする自信はなかったです。 ゴールデンピーク登攀で出会った日本の登山家から本当に多くのことを学びました。昨年ピオレ・ド・オールを受けたクライマーらしく、本当に徹底してクライミングを行っていたのです。

キム・ヒョンイル=8,000m高峰を登るなら高所衰退と体力低下によって精神が朦朧としてきます。それで情報や資料を得ることも徹底しないまま遠征に赴いて勘違いすることもあるようです。シェルパが関係することもあります。 この程度なら登頂と認定するとして下山をそそのかすシェルパもいるからです。もちろん登山家自身が‘この程度なら’という場合もあるようですが・・・最も悪いのは行ってきたふりをして,みんなをだます人です。 さらに悪いことは最初から嘘をつくことです。 それはもう詐欺ですね。

キム・ミコン=登頂の是非は最後のキャンプ出発以後、写真五カットもあれば解決できそうです。この頃はアルプスのように8,000m高峰も頂上にトレースがあります。 それでもとってくれば疑い受ける必要ないんです。
 我が国に山岳評論文化がないのが惜しいです。 良くも悪くもこれは本当に立派な登攀だと、評価してくれるべきだと思います。 専門誌側でも同じことです。 登頂の是非とか酸素使用の有無のような問題も評論を通じて選り分けられるのではないかと思うんですよ。

キム・チャンホ=そういえば補助金を受けて遠征を行ってきたチームの中で、多くのチームが登攀報告どころか補助金使用に対する内訳も報告を怠るチームがあると聞きましたが。

イ・ミョンヒ=それはあまり少額の補助を与えるからそうなるのではありませんか?

◆ “登攀中、子供を思い出せばそれとなく降りて行きます”

イ・ミョンヒ=昨年パイネ中央峰を登攀中、強風の中で下山するのにクラックの外にはみだして出てきたものがあって、以前の隊のザイルがクラックに挟まって、切り出して残置されているザイルでした。 ちょうど私どものザイルもクラックに挟まった状態だったんですよ。引っ張る直前まで出てこなければどうするが本当に心配しました。 ますます力が抜けるのに子供のためにも生きのびなければならないように思えたんです。 主人のことを考えると、再婚させちゃいけないと思って歯をくいしばったんです(笑)。

キム・チャンホ=私は大学時代ネームレスタワーを登攀した時,最も危険な状況を体験しました。100mほど落ちました。 気がついてロープを調べたら外皮は完全にむけて内芯も十本中四本だけ残っている状態でした。その時ケガした肋骨は今でも外れています。 K2登頂後、下山する時はC3まで降りてきました。 ホワイトアウトですぐそばにいるパートナーも見えません。 うつ伏せになりました。 そして小便の跡を探しました。小便は色が並大抵ではなくて変わりませんからね。とにかく死を考えて登攀に立ち向かうクライマーはないでしょう。 死ぬという考えは少しもしないんです。 明かりに群がる蝶のようにね。

イ・ミョンヒ=今年アイガー北壁を登攀するのに先立って息子から電話が来ました。 普段電話がよく通じない地域なのに通じたんです。ママは僕に危ないことするなと言うのに、なぜママは危険な事をするんですかって。そんなことがあったからか、経験してみなかった状態の雪壁にでくわして自信がなかったです。私の能力外だ、この壁に対してそんな風に見えてあきらめました。 家に帰ってきて,夫にだいぶうっぷん晴らししましたが。歩いていけば良いといったのがなんでそんなに危険ですかって(イ・ミョンヒ氏の夫チュ・ソンムン氏は1998年アルプス3代北壁を完登したことがある).

キム・ミコン=男たちも同じことです。 登攀してそれとなく降りて行けば、たいてい妻や子供たち思い出してあきらめることだから。 表情が良くない隊員にどこか具合が悪いのか尋ねれば、子の顔が浮び上がったとか夢見が悪かったとか言います。 時々子供が私がどこへ行くと言えば空港行くのと違うの?と尋ねます。 遠征に行くんじゃないかというんです。 子供もヒマラヤ登攀が危険なことを知っていているようです。

◆ “登攀で最も重要なことはチームワーク”

キム・ヒョンイル=安全な登攀のために最も重要なことはチームワークです。 技術力は二番目です。 遠征計画段階から隊員とはいつも会わなければなりません。 訓練を通じて,難しい状況も体験してみて、酒の席で話もしばしば交わさなければなりません。 お互いの長所短所を把握してこそ、登攀中に理解できますから。対象となる山に対する勉強、特に下山ルートに対する勉強も重要です。主要な決定は多数の判断に従わなければなりません。 賢くて立派なリーダーでも、高所では時々判断力が薄れることがありうるからです。

イ・ミョンヒ=話が合います。 ご存知でしょう。 山一つ一つを行く毎に数多くの山の中で最も難しく感じられるのが「人の山」ということです。

キム・チャンホ=山も山だが,パートナーを知っていくのが登攀であるように見える時が多いです。 互いに肯定的に考えるのが良いと思います。 2001年マルチピーク遠征の時下山の途上で吹雪に会って慌てたことがあります。 ところがパートナーのソンムンが「登攀するならば雪が降る時もあって,雪崩に会うこともあるので何が心配か」と言いました。なので安心になりますよ。 もしソンムンが慌てたならば、私もやはり動揺したでしょう(席を移して,夕方食事をして話を交わしている間ちょうどチェ・ソンムン氏が参加となった。).

キム・ミコン=ソン・ヒョングン、ズ・ビョングのような先輩・後輩が私には最も適当なパートナーであることのようです。 私が降りて行くや、する前まで何も言わなくても待ってソン・ヒョングン、ズ・ビョングのような力は登攀に大きく助けてくれます。ソン・ヒョングン先輩は後始末がすっきりしています。 下山体制に入ればキャンプ整理はもちろん、適当な装備はみな取りまとめておいて降りてくるからです。

チュ・ソンムン=指向が全く同じではいけないです。 ルートに対する感覚、危機に対する反応などの色々な面で違ってこそ互いに補いあい、さらに熟慮して山登りをすることができます。 私とチャンホ兄のような場合、性格が全く違います。 そのため良いパートナー同士かも知れません。

キム・チャンホ=ラインホルト・メスナーは本当に独創的な登攀をたくさんしました。だがその自ら、失敗した登攀人生だと話したのではないですか。 それは一生を共にする良いパートナーを作ることができなかったためでしょう。 性格も性格だが、行き過ぎた競争心のためだと思います。

◆韓国山岳界を代表する登山家らの夢

イ・ミョンヒ=気の合うパートナーとトランゴタワーのようなところを登攀したいです。 事実優れた山登りをしようとするなら女同士は難しいです。 どうしても男性のパートナーが良いですね。多様なジャンルの山登りをしてみたいです。 夫がたくさん助言してくれます。 とにかくとても危険な登攀は別にしたくありません。 いつも子供が気がかりですから。

チュ・ソンムン=6,000~7,000m峰のミックスクライミングをしてみたいと考えています。どんな山でも面白くなるように楽しく登攀したいです。 ところが夫婦が一緒にする遠征は別に考えてません。 ひょっとしたらするかもしれませんが。

キム・ミコン=14座登頂を達成するか、挫折するかもしれませんが、機会があれば一昨年連続登頂したエベレストとローツェを連結する縦走登攀に挑戦してみたいです。 まだ成功した人はないが、その登攀に合う技術と体力を科学的なデータなどを組み合わせて鍛えれば可能だろうと考えます。

キム・チャンホ=今秋アンナプルナを登ります。そして10月末ぐらいにソンムンとと中国・四川省の6000m級3座のクライミングに行きます。そして来年春カンチェンジュンガ登攀を終えた後、夏にナンガパルバットのマゼノ山稜に挑戦しようかと思います。 ミレニアムをむかえて,解決しなければならない8,000m高峰での6大難題の中の一つに選ばれるリッジです。 7,000m級の高度で(リッジが)13Kmも続くからです。エスケープルートもありません。6,000~7,000m峰に新ルート開拓をして、いつかエベレスト南壁やK2西壁のような山に行くことになるかと思います。

キム・ヒョンイル=チャンホは行きたいところが私よりものすごく多いですね。 私はひとまず会社に通わなければならないからたくさんは行けそうにありません。今年の冬タウチェ北壁、来年3月にはチョーオユー南壁を登攀してみようかと思います。 そして再来年は会社創社40周年に合わせてK2新ルートに挑戦してみようかと思います。


2009091001132_1 イ・ミョンヒ(36)タイタン山岳会、ノースフェイスクライミングチーム
1999年ヨセミテ エルキャピタンノーズ、ゾディアック登攀
2001年カラコルム、ムーストゥーム・レディースフィンガー・カサブランカ登攀
2006年アルプス タキュル北壁・エギーユ・ディ・ミディ北壁・グランドジョラス北壁・モンブラン登攀
2008年パタゴニア パイネ中央峰 ウィルランス-ポニントン ルート登頂
2004~2007年エクストリームライダー人工登攀大会4連覇
2005年大山(テサン)氷壁選手権大会優勝
2007年大山(テサン)氷壁選手権大会優勝
2009年アルプス遠征


                                                                                                                                                        


2009091001132_2 キム・ミコン(37)西江(ソガン)情報大OB 道路公社山岳チーム、バーグハウス後援専業登山家
1998年アルプス3大北壁登攀
1998年マナスル登攀
1999年ローツェ南壁登攀
2000年マナスル登攀
2001年チョーオユー登攀
2002年シシャパンマ登攀
2004年ローツェ南壁登攀
2005年ナンガパルバット・ルパール壁登攀
2006年ガッシャブルム2峰登頂・1峰登攀
2007年ローツェ、エベレスト登頂
2008年カショブルム1峰・2峰登攀
2009年ダウラギリ登頂,アンナプルナ単独登攀


                                                                                                                   

2009091001132_3 キム・チャンホ(40)ソウル市立大山岳会会員・韓国大学山岳連盟理事
1993年パキスタン グレート トランゴタワー登攀
1996年パキスタン ガッシャブルム4峰同壁新ルート登攀
2000年パキスタン ヒンズークシ単独探査
2001年カラコラム カサブランカ(5,560m)世界初登頂ホルロボピーク(5,500m)新ルート登攀、シカリ(5,928m)新ルート登頂
2001~2002年カラコラム・ヒンズークシ山脈・氷河単独探査
2003年ティルリサンサルなど6,000m級4座初登頂
2004年ネパール ローツェ南壁新ルート登攀
2005年パキスタン ナンガパルバット ルパール壁第2登、ヨーロッパアルプス オートルート登攀・モンブラン登頂2006年パキスタン ガッシャブルム2峰・1峰連続登頂
2007年アルゼンチン アコンカグア登頂、チリ パイネ中央峰ウィルランス-ポニントンルート韓国人初登等、K2(8,611m・無酸素)・ブロードピーク(8,047m)連続登頂
2008年ネパール,マカルー(8,463m)無酸素登頂、ローツェ無酸素および最短時間登頂パキスタン バツーラ(7762
m)初登頂
2009年ネパール,マカルー(8,163m)・ダウラギリ(8,167)登頂
                     

                                                                   
2009091001132_4 キム・ヒョンイル(42)K2エクストリーム山岳会K2クライミングチーム チームリーダー
1999年カナディアンロッキー・バガブー登攀
2001年ローツェシャール、ローツェ登攀
2002年アルプス登攀
2003・2004年インド テレイサガール北壁登攀
2005年トランゴタワー新ルート開拓
2006年ローツェ南壁登攀
2008年カラコラム ヒマラヤ アディルピーク新ルート開拓
2009年鬱陵島キリボン北壁新ルート開拓
2009年パキスタン スパンティーク北壁新ルート開拓   


                                                                   

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以上引用おわり

訳者注:
 座談会の冒頭、イ・ミョンヒ氏がゴー・ミスン女史について『クライミングには「恨が多い」人でした。』と語っている。この場合の「恨」とは、日本語の「恨み」ではなく、「やり残した後悔が多い」に近いニュアンスとのことです。(ゴー・ミスン女史やこの座談会のメンバーと面識のある、韓国の山岳関係者である知人に確認)
 
 山岳ライターの柏澄子女史はブログ上において
 『ゴー・ミスンはかつてコンペクライマーであったが、近年の8000m峰14座への取り組みについては、その内部事情を聴くにつれ、本人の本心はわからないが、危うさやもろさを感じずにはいられなかった。』
 と記述しておられますが、私が韓国の関係者から伺った情報、また前述の座談会の記事でも伺えるように、ゴー・ミスンにとって真の目標はヒマラヤのビッグウォールクライミングであり、14座登頂はその実現のためのステップにすぎなかったようです。また14座登頂後も見据え、高所登山学校設立に向けて高所生理学を学び始めていた矢先、その道程半ばでの滑落死はやはり「悲劇」としか形容の他ありません。

 座談会の中で注目されるのは、韓国のビッグウォールクライミングの第一人者であり、韓国スパンティーク隊の隊長であるキム・ヒョンイル氏が日本のスパンティーク隊を高く評価されていることですね。
 またキム・ミゴン氏が「なぜノーマルルート登攀に対してそんなにさげすむ見方をするのか分からないです。」と発言しているのも一つの意見として注目されます。

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『剣岳 点の記』、韓国人の視点。

韓国の登山雑誌『山』9月号に日本で話題になった映画『剣岳 点の記』に関する論評が掲載されています。
最後の段落にご注目ください。

[チェ・ソンウンの地図の話]剣岳‘測量登山’を題材に山岳映画を制作 by 月刊『山』9月号

以下記事引用開始
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 去る7月、日本訪問の際に協力業者の社長と共に『剣岳 点の記』という山を舞台にした映画を見た。
 新田次郎による実話を土台にした映画で、一言でいえば地図製作のための測量登山の話だ。露日戦争に勝利した日本は、国家経略の手段として地図が必要不可欠のため、全国の地図完成を急いでいた。100年前、日本の地図製作は軍部が掌握しており、陸軍参謀本部傘下の陸地測量部で担当したが、最後の空白地域として残っていた剣岳周辺の地図製作のための三角点設置が念願の課題であった。

 当時、剣岳は地元住民らの間で「地獄の山」「針の山」と呼ばれ「登ってはいけない山」「登れば天罰を受ける山」とみなされ、誰も登ることが出来ない山として知られていた。
 このような山に三角点を設置するために陸地測量部は、柴崎芳太郎を担当官に任命する。命令を受けた測量隊は仕事を完成するという使命を帯びて、剣岳周辺の険しい山岳地27ヶ所に三角点を設置することになる。
 ここに登場するもう一つのグループは、登山記録がない剣岳登頂を目標にした日本山岳会メンバーらだ。このチームのリーダーは日本に登山を胎動させて1905年日本山岳会を設立した小島烏水であり、測量隊と初登を争う競争相手となる。

200日間も山だけで撮影した‘山岳映画’

 カメラマンを自称する老練な木村大作がメガホンを取ったおかげで、現地ロケを中心にした映像は剣岳の自然を遺憾なく展開し、あたかも長編の風景画を見るようだ。
 空中撮影やコンピュータグラフィックを使わず、撮影期間2年間で200日を山中で撮影したとのことで、山に登る場面をそのまま演出して臨場感が生々しい。
 特に日本山岳会メンバーらが当時ヨーロッパから持ってきた最新登山装備を整えた昔の登山スタイルを再現したが、小物の準備から時代考証に至るまで遜色がない。

 「測量登山」とは測量用語や登山用語にはない言葉だが、山岳地帯の地図製作のためには展望がひらけた場所に三角点を設置しなければならないから、測量隊が直接山に登らなくてはいけない。 このように測量のために山に登る行為を測量登山と呼ぶ。映画の題名のなった「点の記」も測量登山にともなう三角点設定の記録を指す言葉だ。
 三角点は三角測量によって、水平位置を求めた点から三角水準測量によって標高を測定して重要な地点に対して標石を設置する。測量基準によって1等三角点、2等三角点、3等三角点、4等三角点に区別される。
 (中略 以下三角測量に関する説明が続く)

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▲剣岳周辺の1:50,000地形図。太線は1907年の柴崎測量隊が登ったルート。

100年前の剣岳測量登山の偉業を奉って

 現在、剣岳の一般的な登山ルートは剣岳南側の海抜2,400mの室堂ターミナルから始まり、新室堂乗越に登り、劒御前小屋を過ぎて劒山荘に到達する。ここから本格的な登山となり一服劒・2,618mと前劒・2,813mを過ぎて、最後に剣岳南面を登れば頂上に立つことになる。
 しかし測量登山当時は劒沢雪渓に降り立ち、長次郎谷を経由して登ったため険しい登山路を切り開くため標石を運搬できず、3等三角点に準ずる簡易票石だけを設置した。

 明治維新以後、日本は西欧列強の植民地帝国主義を標榜し、大陸進出を目標に日清戦争と露日戦争を相次いで起こし、朝鮮半島に対する地図製作の必要性を痛感することになった。
 1895年から陸地測量部によって密かに朝鮮半島の測量が進められ、1905年にすでに朝鮮半島全域の迅速図と呼ばれる1:50,000第一次地形図制作を完了した。
 以後、朝鮮半島の測量基準点を用意するために対馬の御岳と有明山の1等三角点から釜山、チェジュ島を連結する三角網を設置して、1908年から1911年まで三角測量によって正確度が向上した2次地形図を製作、1913年からは三角測量によって正式に地形図を製作し、1918年、朝鮮全域の1:50,000地形図722枚を完成した。

 2007年、剣岳測量100年となる年をむかえ、日本国土地理院は記念品を配布し、今年は映画が公開されて地図セットと各種記念品を作り、100年前の剣岳の測量登山を偉業として奉っている。
 しかし我が国の近代測量と地図製作は日帝によって進められたのであって、近代において測量・地図製作と剣岳のような測量登山の秘話は、残念なことに私たちの歴史にはない。

文 チェ・ソンウン韓国山岳会副会長・マッピングコリア代表
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以上引用おわり(最後の段落の文字強調は筆者による)

 映画『剣岳 点の記』に関して、同じアジアの中国と韓国では報道頻度は非常に対照的です。
 中国メディアが監督・俳優の動向から皇太子殿下が鑑賞されたことに至るまで、事細かに報道していたのに対し、登山が盛んであるはずの韓国のメディアではほとんど話題になっているのを見かけませんでした。約10年前の98年にようやく韓国国内において日本映画解禁という事情を汲んでも、実に対照的です。

 この記事の末尾のような想いを韓国人登山者全てが意識しているのかはわかりません。日本の左翼系「知識人」には喜ばれそうな論調ではありますが。
 私個人としては19世紀、朝鮮王朝が腐敗政治に陥る中、既に日本の幕府は伊能忠敬を支援して国内の地図整備に尽力していた歴史があること、この文を書いたチェ・ソンウン氏所属の韓国山岳会はかつて竹島(韓国名・独島)に領土を主張する標石を建てた事実があることなどを思い浮かべます。
 ただし、やはり自国の地図整備を他国の人間の手に委ねなければならなかったという事実は韓国の関係者には悔やまれる史実なのでしょう。

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流れ流れて

世間サマではシルバーウィークだそうですが、本日も業務。
さすらいの土木作業員、本日で山口県を離れ、出張チームのメンバーらと共に北陸某県へ車で移動。
連休、そして週末の高速道割引による渋滞を避けるため山陽道ではなく中国道をひたすら東へ。

中国自動車道は延々と山中を貫く高速道路。
ときおり車窓から望む農村は、きちんと納屋がある昔ながらの立派な農家が多い。
見かける川も透明度の高い清流が多い。
廃校となったらしい平屋建ての木造校舎も見えるが、高速道を移動ゆえ、すぐに視界から消えていく。

移動の車中では、昨夜BOOkOFFで仕入れた陳舜臣『唐代伝奇』、訳注付『枕草子』、お口直しに『魁!!男塾』大威震八連制覇の巻を読む。
たまには中国古典もいい。京都の山を眺めながらの枕草子もいい。『魁!!男塾』は漢のバイブルです(断言)。

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舞鶴若狭道・西紀サービスエリアの名物、『踊りたこ焼き』
たこ焼き一つ一つにイイダコが一匹まるごと入って形状はイソギンチャク状態。
8個入り500円。

明日は久しぶりに家族の顔が見られそうです。

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アイガー北壁『ジャパニーズ・ディレティシマ』フリー化

ロシアの某クライミングサイトを閲覧していたら、キリル文字の中に「Japanese route」の文字発見。
改めて検索してみると、アイガー北壁、あの『ジャパニーズ・ディレティシマ』のフリー化成功の記事でした。
詳細に関してはPlanetmountainが英文記事を配信しています。

Eiger North Face, Japanese Diretissima freed by Jasper and Schäli by Planetmountain9/17

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 このフリー化を成功させたのはドイツのRobert JasperとスイスのRoger Schäliで、 8月28~31日にかけて行われ、8a, M5というグレードが付けられました。
 Japanese Diretissimaとして知られる同ルートは、1969年に加藤滝男・保男兄弟、今井通子ら6名によって開拓された直登ルートで、中高年のアルパインクライマーなら知らない方はいないはず。
 私が小学生の頃読んだ、学研が出版した冒険・登山の本でも多くのページを割いてこの登攀の記録を子供向けに掲載していた程です。

 今回成功したドイツのRobert Jasperは1991年に最初にトライしたものの落石のため退却、その後2003年にRoger SchäliとSimon Anthamattenペアが試みましたが、1000m程登った地点でやはり落石のため断念。
 今回の登攀も落石に悩まされながらの成功で、6年かけたプロジェクトだったそうです。
 これだけトライされているということは、やはり69年の日本隊のルートは現地ヨーロッパのクライマーにとっても魅力的なラインだったということでしょうか。

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フリー化に成功したRobert JasperとRoger Schäli

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学校給食とエベレスト・サミッターの素敵な関係

 国連世界食糧計画(WFP)が最近盛んに展開している、「世界の貧しい子供達に給食を」というキャンペーンをメディア上でご覧になった方も多いかと思います。
 アメリカのウェブサイトでは、『雪豹と、雪男と、エベレストに登った女の子』という童話仕立てで運動が展開されています。その内容やいかに。
 
 Free coloring book tells tale of school lunch adventure to help end world hunger by Examiner.com9/6

 この童話『雪豹と、雪男と、エベレストに登った女の子』(原題:Snow Leopard, the Yeti and the Girl who climbed Mount Everest)は、ぬり絵としても使えるように線画で構成された童話で、マウント聖ジョセフ大学の芸術学科の卒業生、アンジー・エスペラージが創作しました。

Nim2
Snow Leopard, the Yeti and the Girl who climbed Mount Everestの一部分

 物語は、国連からの贈り物(給食)を持ってきた雪男が、雪豹にお腹を空かせて困窮しているネパールの学校の子供達のお話を語りかける形式で展開します。
 雪男がもたらした給食で元気に通学した女の子ニムドマ・シェルパが、英雄的なエベレスト登頂を果たす・・・というのが簡単なあらすじです。童話の絵ではニムドマ・シェルパの登山スタイルは極地探検家のようですが、それは全く本質的なことではありません。
 この童話はPDF形式でネットからダウンロードできるようになっています。ダウンロードサイトはこちら
 平易な英文と絵で構成されていますので、学校の先生方、教材にいかがでしょうか。

 Wfp170512 ちなみに童話に登場するニムドマ・シェルパ(Nimdoma Sherpa)は実在の女性で、2008年春の全ネパール女性エベレスト登山隊で女性最年少登頂(17歳)を果たしています。彼女は実際に国連援助による学校給食の恩恵を受けた一人として、WFPのキャンペーンにも一役買っています。
                         


                                

キャンペーンフラッグをエベレスト頂上で掲げた08年登頂当時の様子はこちら↓
Nimdoma

 エベレスト登頂を目指す者には、どんな方にも人それぞれの「想い」というものがあります。(経験者語る)
 はっきり申し上げて上部キャンプでカラオケや流しソーメンをやってギネス申請しようという方よりも、こういった社会運動に関わり自分の受けた恩恵を自分のできる方法で返そうとするという姿に私は感動を覚えます。

参考サイト:国連世界食糧計画・学校給食プログラム

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きょうの和菓子 松琴堂 ゆき花

土木作業を終え、今日もヨレヨレになって宿に戻る。
本日冷蔵庫から取り出したのは・・・

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下関の老舗・松琴堂の銘菓「ゆき花」。
これは松琴堂の名物「阿わ雪」の一口サイズ。あの伊藤博文が好んだお菓子だそうな。
あわ雪の詳細な解説も掲載されたウェブサイトはこちら→ 松琴堂

多くの有名人が好んだらしい、卵白と砂糖いわゆるメレンゲを寒天で固めたシンプルな和菓子。
舌触りもサクッとでもない、プルッとでもない、不思議な感じの食感。
味は単調な感じで私としては正直、一つ喰ったらもういいや、という感想でしたが・・・凡人には偉人文人のような味覚が理解できないのか?洋菓子に毒されすぎたのか?

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きょうの和菓子 梅寿軒「梅最中」

今日も土木作業の一日が終わる。
ようやく韓国コングール隊の邦訳も終わる。
下関で仕入れてきた和菓子を宿の冷蔵庫から・・・

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本日の和菓子は下関の梅寿軒の「梅最中」でございます。
ま、普通のモナカですが、疲れた身体には美味でした。

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韓国の学生隊、コングール峰に立つ

今夏、難峰として知られる中国のコングール峰に、韓国の学生3人組が登頂しました。
私の解説は後述するとして、月刊「人と山」に掲載された記事は下記のとおり。

釜山学生山岳連盟中国コングール登頂記 月刊「人と山」8月号
 
以下記事引用開始
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釜山の大学生3名、北面変形ルートで韓国人初登
文=ソ・ギソン、写真提供=登山隊

 釜山(プサン)学生山岳連盟(キム・キュテ遠征隊長)が、7月27日中国新彊ウイグル自治区コンロン山脈のコングール(Kongur・7719m)の登頂に成功した。
 韓国人初登を記録した今回の登攀は、2007年に続き再挑戦して成し遂げた快挙だ。1981年には英国のクリス・ポニントン率いる登山隊のピーター・ボードマンが落石に遭い失神するなど紆余曲折の末、初登頂した峰で、以後20年間、世界各国23の登山隊が登頂を試みたが、ロシア隊と日本隊だけが成功した険しい山だ。
 特に、大学に在学する学生であるソ・ギソン(24才)、オ・セジン(23才)、セオ・サンホ(20才)隊員が頂上に到達したことは格別の意義がある。この登攀記を本紙で独占掲載する。


7月23日
 「は~、は~、は~」
 寝ていても息が切れて、良く眠れない。
 午前5時、チュ・ヒョンチョル隊員が暖めたフルーツ缶詰とコーンスープを出す。朝食だ。高度7000メートルのキャンプ4、腹は減るが食欲がなく、やっとフルーツ缶詰一つを口の中に押込む。
 ソ・ギソン、オ・セジン、セオ・サンホ隊員が10m間隔でアンザイレンして出発する。 遠征登山の経験が初めての大学生3人の頂上アタックには充分自信がある。もちろん不安もなくはない。

 「セジン、君が先頭でラッセルしろ。」
 アタック組の一番年長のソ隊員の指示に、オ隊員がラッセルを引き受ける。 ところがオ隊員の調子が良くないため、続いてソ・隊員がラッセルをする。
 右側の岩稜が始まる所まで早く登る。険しい氷河区間だが、大きな問題にならず三人の隊員はよどみなく登る。岩稜入り口でベースキャンプに無線を送る。しばらくしてキム・キュテ隊長が指示を与える。
 「岩峰10時の方向にルートを確認して進みなさい。」

 広く緩やかに広がる氷河には途中に大小のクレバスが口を開いている。 左に大きく迂回する。セオ・サンホ隊員が先頭に立つ。
 「サンホ大丈夫かい? 私が先に行くか?」
 ソ隊員が出ようとするや「私が行きます。クレバス落下の制動(ブレーキ)はしっかりして歩いて下さい」と短く話す。
 ソ・隊員がクレバス間をよどみなく通過する。 険しい氷河区間の壁も越え、クレバス帯を抜け出してしばらく休んでいる間、ソ隊員がルート確認のためにベースキャンプに無線通信を試みるが、状態が良くなく、方向を幾度も変えて試してみる。
 「オ!? アッ~!」
 ソ隊員が氷河区間に滑落、急いでピッケルで制動(ブレーキ)をかけ、幸い止まってくれた。

200909_oversea_02


プラトーとロシアン・エクスプレス突破

7月24日
 C3を設置するためにプラトー氷河にのぼる隊員ら…. 昨日キム・ソクス登攀隊長が固定ロープを設置したところから20mほど崩れ落ちた区間に近寄る。 先にソ・ギソン、セオ・サンホ隊員が固定ロープを利用して、プラトー氷河を渡っていく。
 ソ隊員とセオ隊員が氷河の反対側に登り、チロリアンブリッジで荷物を渡す。7回に分けて荷物を運んだ後、オ・セジン、チュ・ヒョンチョル隊員、キム・ソクス登攀隊長が渡ってくる。何日か前にデポした荷物と今日C2に荷揚げした食糧をまとめ、五人で分けて登る。
 登攀隊長の指示でチュ隊員が先頭に出る。 周辺にC3を構築する場所を探して用心深く前進する。
セラックと落石の恐れがない所、傾斜が緩やかな所を探して、C3を設営した。 海抜6200メートル地点。3日間の食糧と最後の難コース、ロシアン・エクスプレスを登攀するための固定ロープと装備を整理して徐々に気を引き締める。

7月25日
 頂上稜線のためにまだ陽がささない時間、テントの外に出てきた隊員らがとりわけ寒い気温の中で手足をずっと動かす。
 ルート工作に必要な固定ロープのためにザックが重い。五人がアンザイレンして一歩一歩険しく立っている雪壁に近付き、登攀隊長がクレバス区間を巧く避ける。ザックを背負い6400mでラッセルをしようとすれば体力の負担は大きい。
 登攀隊長が険しい氷河の前で立ち止まる。 ソ隊員も400mの固定ロープを下ろして確保準備をする。クレバス上部の雪壁が崩落し、登るのが困難に見える。丈夫な部分を捜し出した登攀隊長が一気に登る。即座にロング・スナーグを一本設置する。
 支点を設置するやソ隊員が後に続く。再び急傾斜が続き、登攀隊長は雪崩の危険性のため、右側に大きく回って、岩にハーケン二つを打つ。下で待機していた隊員らが順に登る。岩と雪のミックス帯だ。登攀が容易ではない。用心深く岩を選び登るる。天候は良い。雲一つ無い好天だ。しばらく登った登攀隊長の姿が岩の向こう、視野から消える。続いてハーケンを打つ音が鳴り響く。
 ソ・ギソン、セオ・サンホ隊員が中間支点に達すると同時に登攀隊長から下山命令が下る。
 「今日はここに荷物をデポして明日、C4をたてよう。」
 「天候が良くて下山するのがちょっと惜しいのですが・・・もう少し行けばいいんじゃありませんか?」
 二人の隊員が欲を出してみる。
 「今高度6800メートルにならないから、まだ200メートル以上さらに登らなければならない。日が沈むから下山しよう。天候は明日もいい。」
 登攀隊長の指示でザックをぶら下げてデポして、下山する。 オ隊員とチュ隊員も下の確保地点に持ってきた荷物をデポした。
 「明日は一時間さらに早く出発して、C4を設営しよう。 あせらず、早く登ることができるはずだ。」

7月26日
 ザックが無い隊員達の身体は軽い。前日より一時間ほど短縮して、ロシアン・エクスプレスの急傾斜のガリーに到着する。
 「ギソン! 先に登って、固定ロープを設置しろ。」
 登攀隊長の指示通り、ソ隊員がロープ二袋を持って用心深く残りの区間を登る。30m程登り、登ってこいとのコールを送る。
 岩と雪のミックス帯を抜け出すと上部に長く伸びたガリーが見える。 クレバスがあるかもしれず、登攀隊長が先頭で行く。 100メートルほど上がった隊長が安全だと判断されたのか一名ずつ上がってこいという。
 150メートルほど登ると氷の区間が出てくる。 傾斜はきつくないが、滑落すれば大事故になる区間だ。
(中略)
 高く広がる氷河が目に映って頂上稜線が近くに見える。標高7000メートルにC4を設営する。 少し動いても息が切れるC4は狭くて氷が硬く危険なところだ。 夕食をとった後、ミーティングがあった。
 「明日は私(登攀隊長)は登らない。頂上アタックはソ・ギソン、オ・セジン、セオ・サンホの三人だけで行く。 アンザイレンして登り、途中で絶対に解くことはせず、降りてくる時までそのままで来い。下山する時、特に注意しろ…笑うのはベースキャンプで笑うことだ。分かったか?」


「笑うのはベースキャンプで笑うことだ」大学生達で頂上アタック

 ソ隊員が先に登る。クレバス帯を通過すると硬い氷壁が出てくる。 オ隊員が危険と判断、違ったルートを探してみようという。
 「氷壁だと危険だが、登ることができますか?」
 「登らなくちゃ。方法がないじゃない。」
 意見が分かれる。
 「登るのはどうにか登れますが、降りてくる時が危険です。下に降りて行って、右側をまわってみましょう。」
 ルートを確認して各自意見をいう。
 「右側にまわってもルートは良くないようだ。 時間もかかって同じことだ。サンホは登れるか?」
ソ隊員の言葉が終わるやいなや、サンホ隊員が氷壁区間を登る。
 「降りてくる時は君の話のように、右側の岩稜に沿って降りてこよう。」
 幸い、硬い氷壁は思ったより短かった。三人の隊員が交互にラッセル、一時間ぐらい登るといよいよ主稜線と広い雪原が現れる。 緩やかなところにピッケルをさして休んでいると、オ隊員がずっと咳をする。
 「さっき冷たい水飲んでから、ずっと咳してるんじゃないか?」
 「首は何日か前から痛かったんですが・・・異常ないから大丈夫です。」
 オ隊員は疲れているとみられるが、大きな問題もなく、ルートをさらに進む。退屈なほど長い氷河を歩いてソ隊員がベースキャンプに進行方向を確認する。無線を聞いて右側に修正して、前進する。
 徐々にガスが出て、風も強くなって雪が飛ぶ。
 7600mを越えると視界が効かなくなる。ソ隊員がGPSで方向を定める。オ隊員が嘔吐した。調子が良くないうえに高所順応がうまくないようだ。
 「行けるかい?」
 「ここで大丈夫でなくても仕方ないでしょ。行きましょう。」
 オ隊員が笑って答える。 隊員が三人だと途中一人で下山させることもできず、二人の隊員が残って一人だけ頂上に行かせることもできない状況だ。
 「もう少し行けばいいから頑張ろう。」

 頂上が目前だ。 100m残った地点であきらめて降りたい人はいないだろう。 左に断崖が現れて右側では急傾斜の雪面と大きな岩が目に映る。
 どれくらい登ったのだろうか?
 ゆるやかな雪面が続いてガスでよく見えないけれど、周辺を見ると現在立っている所より高いところがないようだ。セオ・サンホ隊員がGPSで確認する。
 「ここがピークと表示されてるんですが、GPSに間違いないか確認して下さい。」
 問題は隊員達にまだ平たい雪面が広がっていることだ。
 「隊長、ガスがひどく視界が効かないのですが、平たい稜線上です。GPSで頂上と一致しますが雪面がずっと続いています。 高度は7680メートルで頂上より少し足りなく表示されてます。」
 座標を呼称した。 しばらく後、隊長から無線がきた。
 「呼んでくれた座標が頂上と一致する。前方峰と後方峰、二つの峰が同一の頂上だ。君たちが立っている所は前方峰のようだ。」

 16時54分、登頂に成功した瞬間だ。11時間、クレバスと氷壁、悪天候を突破して大学生三人が皆コングール頂上に立った。

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ソ・ギソン、オ・セジン、セオ・サンホ登頂…下山中200メートル滑落

 記念写真を撮ってガスが消えると、南にゆるやかな峰がさらに見える。登攀隊長が話した後方峰だ。ちょうどキム・キュテ隊長から無線がくる。
 「ガスが晴れたようだから、もう少し進んで、後方峰でも写真を撮ることを望みます。」
 南に進む。
 強風が襲って吹雪となり、15分ほど進むと頂上だと思われる所が見える。
 ソ隊員が前の見えない吹雪の中を登り、GPSのボタンを押す。 ところでオ隊員が座り込むと再び咳と嘔吐を繰り返す。直ちにベースキャンプに戻ると知らせる。
 登ってきたルートを戻るが、登る時のトレースは無くなっている。
 無線で聞こえる隊長の指示どおり方向を定め、登ってくる際に問題になった氷壁が出てきた。氷壁はアイゼンが信頼できるほど打ち込めず、とても危険だ。
 左に回って降りて右側に行く。
 クレバスを無事に通過するとベースキャンプに初めて無線を送った岩稜入り口が現れる。
 ベースキャンプからも今からは確認できないから気を付けて下山しろとの連絡がきた。
 C4までは10分程の距離。下方にC4が見え始める。登攀隊長とチュ隊員がテントの外で待っている。
 しかし肉眼で誰なのか確認しようと手をあげて合図した途端、ソ・ギソン、オ・セジン隊員が氷壁で滑落した。制動を試みたが、アンザイレンに引かれ、隊員が後からはねるように滑って前の二人を引きずり、皆滑落してしまった。事故だ。

 登攀隊長が制動かけろ、と大声を張り上げる。 ピッケルでブレーキをかけてみるがあまりにも速度が速く制動がかからない。身体がひっくり返りアンザイレンがこんがらがり、身体をぐるぐる巻く。 ソ隊員は肩が脱臼してピッケルを失う。その間、ソ隊員がヒジで氷雪面を押して制動を試みる。200m程度滑落して、氷河が終わる地点の前でかろうじてブレーキがかかって止まった。

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 体の状態をチェックしてみるとオ隊員は特別な外傷はなく、慢性の脱臼があるソ隊員は急いで、肩を入れた。うつ伏せになっているサンホ隊員が心配だ。
 「サンホ、大丈夫か? 医薬品!」
 セオ隊員の左の手袋が破れて小指が裂け、血が流れている。 オ隊員が急ぎ手袋を手にはめて止血してみるが、手袋の間でずっと血が漏れる。 医薬品を持って来た登攀隊長がオーバーミトンを被せてくれる。
「立ち上がることができるか?」
 セオ隊員は足首まで怪我した状態だが、かろうじて起きあがる。C4に登り返すのをあきらめ、C3に降りることにする。日没で寒さと闇が襲う。C3をはやく探さなければならないのに、このような時に道に迷ってしまう。登攀隊長がGPSに記録されたキャンプ位置を確認して、ソ隊員に方向を指示してチュ隊員が降りて行く。
 いつのまにか氷河の末端部まで降りてきた。 途中GPSも失くして、今は感でキャンプを探さなければならない状況。隊員らも疲れ果てた。また数時間をさらにさまよっていたら、セオ隊員が危険だ。時計を見ると04:30。
 「二時間後ならば日が昇るはずだ、日が昇ってからテントを探すか? でなければずっと歩くか?」
 「日が昇ってから探すのがいいでしょう」
 セオ隊員は疲労し、休むことを願った。2時間ほど休むことに決める。手と足で雪洞とまではいえないが、休めるほどのサイトを作る。セオ隊員を中間に座らせ、両側にソ・ギソン、オ・セジン隊員が座る。寝てはいけないという登攀隊長の指示に、睡眠に打ち勝とうと努めるが少しずつ眠る。
どれくらい過ぎたのだろうか? 隊員らが手足をもぞもぞと動かし、日が昇ることだけを待つ。

 ついに日が昇り、登攀隊長が位置を確認するために外に出る。下に降りて行って来た隊長がテントを探しあてたという。テントは隊員らが休んだ所からわずか20分ほどの距離。
 テントに到着するやいなや、誰が先にということもなしで眠りにつく。
 幸いなことにセオ隊員の手は出血が止まり、凍傷にもかからなかった。
 登攀隊長が安堵の息を吐き出した。

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以上引用おわり

 このコングール登頂には次のような意義があります。
1.コングールの第3登(・・・私の記憶では・・・違ってたら誰かおせーて)
2.海外登山が初めての学生3名で、登頂を成功させたこと(登攀隊長、ベースからのGPSによる多大な支援などはありますが)

 今出張中の身で蔵書の資料を確認できないのですが、私の記憶ではコングール峰はムスターグアタやシシャパンマ等と異なり、80年の中国政府による外国人に対する中国登山解禁までその存在をほとんど知られておらず、登山解禁後の登頂成功率の低さは難峰と呼ぶにふさわしい山です。
 今現在のヒマラヤ登山の状況は不勉強で知りませんが、頂上の位置確定および登頂確認のためにGPSを多用している様子は興味深いものでした。
 コングールは頂上に二つのピークがそびえ、どれをもって登頂とするか、GPSなど無い時代に初登を果たした英国隊もかなり神経を使ったようで、その様子については先日当ブログにコメントをお寄せ下さった高田直樹氏のウェブサイトに興味深い記事が掲載されております。

コングール峰・戻らなかった三人とぼくの最後の遠征登山 by 高田直樹ドットコム

 前述の2に記しましたが、学生達が固定ロープを多用、多大に支援を受けていたとはいえ、このような難峰に登頂したという事実は特筆すべきものがあると思います。
 近年アジアにおいては中国の大学山岳部も盛んに国内登山として6000~7000m峰に登っていますが、まだ容易なルート・容易な山が中心です。
 ふりかえって日本の大学山岳部はその衰退ぶりが・・・といいたいところですが、ここではあえて、日本の大学山岳部の遠征隊が60~80年代において展開した遠征登山の結果、現在の欧米の先鋭的な登山家がアルパインスタイルで挑むための土台(研究資料)として今に引き継がれていることを強調したいと思います。

 今回のコングール登頂という成果により、大学山岳部という視点から、また韓国の登山界に興味が沸いてきたところです。

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陶ヶ岳(すえがたけ)

日曜日。
今春の佐賀県鳥栖市の岩場「四阿屋(あずまや)」訪問に続き、ライトフットワーク枝村氏の講習会にお世話になり、山口県を代表する岩場、陶ヶ岳へ。

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標高250mにもかかわらず堂々とした岩山の陶ヶ岳。
陶ヶ岳は幾つかのピークが連なる連山で、画像は本日登る岩場のある亀山。

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午前中はス・ラ・ブheart01
韓国のグォンギョル登山学校卒業生の血が燃えるぜ!

といいつつ、あいかわらずの
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腕力にモノを言わせたクライミングでございます。

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午後からはクラック。

腕力にモノを言わせたクライミングでは、
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しっかりと痛い目に遭うのでございます。

陶ヶ岳、うしろを振り返れば瀬戸内海でロケーションは抜群。
嗚呼、あの海のように私のクライミングは日暮れて道遠し。

ま、そこは腐っても山形県自然博物園のブナ林ガイド。訪れた山の植生が気になります。
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クライミングを終え下山中、夕映えの陶ヶ岳連山の岩場を望む。シダが生い茂っているのは西日本の山らしいですね。

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駐車場近くの登山道には沢山のアケビの実。
けれども誰も見向きもしない・・・皆さんクライマーですなあ。

フェイス、スラブ、クラックと多様な岩場、初心者向けグレードのルートが揃った好岩場でした。
ライトフットワーク枝村氏はじめ講習生の皆様、良い時間を過ごせてありがとうございました。

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登山用品店スクラム&山岳誌『ゆうゆう』

今滞在してるところはJR新下関駅の近く。

どうも新幹線のために作られた駅で新興開発地らしく、宿のまわりは夜になると漆黒の世界(笑)

え?
下関?
フグ?
海原雄山じゃあるめーし、毎日夜食はスーパーのタイムサービス半額「助六寿司」だっちゅーの。
今夜も上司に飲まされルンルンと閉店間際のスーパーに歩いていく途中、「アウトドア」と書かれた看板を偶然発見!

翌日仕事が終わった後、上司に飲まされる前に速攻でその店を訪れる。

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登山用品店「スクラム」

店内は、はっきり申し上げて登山用品の品数はあまりありません。
フェアトレード商品と、いくつかの登山・キャンプ用品。
私が持っていた某社のトートバッグに目を付けられ、ご主人からいろいろ話しかけられました。
営業は登山靴修理をメインに、ツアーガイドもなさっているとのこと。
どうもこの地域のアウトドア愛好者の良き情報交換の場になっているお店のようです。

店を訪問するに際して一番興味を抱いていたのは、山口県の山に関する資料。
(ここ新下関駅の近くには、公立図書館が存在せずえらい不便)
いやいや、掘り出し物がありましたよ。

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季刊誌「ゆうゆう」

九州・中国・四国地方のガイドブックを出版されている土井茂則氏が編集・発行している、山口県に根ざした山の機関誌。
私はちょっと昔ワケありで身近な山だった「(島根県の)三瓶山」特集号を買い求める。
土井茂則氏が書いた大山のバリエーションルートに関する分厚い本も店頭にあり、その本を欲しそうに眺めていたら

「あ、それは私の本で非売品です」

とご主人に先手を打たれる(笑)

この「ゆうゆう」、土井茂則氏という個人の尽力によるところが大きいのだが、九州の「グリーンウォーク」誌といい、地方に根ざした山の定期刊行物があるのは素晴らしいことです。
(蛇足ながら、かつて北海道で出版されていた『RISE』誌は山と渓谷社のアウトドア誌が束になってもかなわない質の高い刊行物だったと確信している。)

こうしてみると、素晴らしいフィールドに恵まれながら東北地方の人間は口も筆も重いなあと考えさせられます。

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夢を信じて

17時過ぎまで現場仕事。
その後、出張チームと別れ、荷物満載の車を駆って一人さびしく山口県へ移動。
後日、各地方から出張チームが集結する現場の事前作業のため前乗り込み。
さすらいの土木作業員たる私、次の現場の切り込み隊長・・・隊長という程仕事はできませんので、暴力団用語における「鉄砲玉」ですね。

九州の高速道路、快晴の下にそびえる豊満山、福知山、北九州の山々の光景が緊張をほぐしてくれる。
カーステのFMラジオから、


MISIAの『忘れない日々』が。
車窓には夕映えの北九州の街並。
あ~、助手席に年上のお姉様(カミさん除く)でも乗っていればなあ。

そして車は、
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さよなら、九州。

関門海峡を渡っているとFMラジオからは

徳永英明の『夢を信じて』が。

「いくつの街を越えていくのだろう」
というフレーズとともに下関に入る。

先の北海道大量遭難事故を受けて、どっかの遭難専門ブログみたいにガイド制度やガイドをただ叩いている方はらくちんでいいですねえ。(棒読み)

夢と目標があってこその、兼業山岳ガイドでございます。
明日もまた、会社の仕事がんばろうっと。

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天拝山に登る。

日曜日。
福岡県には、実に魅力的な山が多い。
しかし昨日までの多量の発汗を伴う現場作業で疲労が溜まり、本日は休養を優先。

とはいえ、身体も軽く動かすことも必要だ。
早朝、宿の近くにそびえている天拝山を訪れることにする。
天拝山は標高258m、山と言うよりは丘陵といった山容の風化花崗岩の山である。
この山を巡る歴史は非常に古く、かの菅原道真が自らの無実を天に訴えるため登ったといわれる山だ。

5時15分、夜明け前に宿を出る。
徒歩15分ほどして登山道に入る。
登山道といっても未舗装の車道(車両は進入禁止)である。
ところどころに短歌が記された立派な石碑が建っている。
緩やかな車道を20分ほど歩くと、材木を模したコンクリートで土留めされた300段ほどの階段が続く。
その階段を登り終えたところが頂上だ。

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天拝山の山頂。

山頂からは、下界の筑紫野、太宰府の眺めが見事。
時間は朝6時前、まだ街灯の光が輝いている。
今、私が眺めている光景は多くの人々が住む街並だが、菅原道真の時代はどんな光景が広がっていたのだろう。

下山にとりかかると、沢山の早朝登山の人々とすれ違う。
50人以上の人々とすれ違ったが、ザックを背負っていたのは私を含めて3人。
みんな空身で、登山と言うよりは朝の散策、といった雰囲気だ。
私の価値観における「名山」とは、山容や標高に左右されるのではなく、地元の人々に愛されていること。
この点で、天拝山は名山と呼ぶにふさわしい。

夜が明け、周囲の風景や植生もよく見えるようになった。
周囲の景観や植生を楽しみながらのんびり下る。

帰路、山腹に位置する荒穂神社に立ち寄る。
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この荒穂神社の祭神は新羅から種子を持ち帰り、この種子が日本全国に広がって日本は緑の国土になったという伝説がある。
韓国の保守論客が狂喜乱舞しそうな伝説だが、それはさておき、境内は綺麗に掃き清められて地元の人に大事にされていることがよくわかる。
この荒穂神社から、向かいの山から昇ったばかりの日輪がくっきりと見える。
神社と朝日の両方に手を合わせる。

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ブナ科のアカガシの葉。
常緑広葉樹らしく光沢のある葉が茂る。
ここは九州・福岡、照葉樹林帯の土地だ。

標高258mの天拝山、早朝登山にはとても素敵な山でした。

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きょうのはっけん ゴミ袋

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コンビニのゴミ袋売り場にて。
筑紫野市のゴミ袋はカラフル。陳列にもセンスを感じますな。

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【映画】非常完美

章子怡(チャン・ツィイー)と範氷氷(ファン・ビンビン)が主演のラブコメ映画、『非常完美』。
大陸では8月から公開され、すでに3000万元(約4億5000万円)の興行収入をあげている。
日本のCMでもおなじみのチャン・ツィイーがプロデュース、主演も兼ね、共演のファン・ビンビンと不仲説が流れていることもあり、日本のメディアでも話題になっている様子。

ストーリーはツィイー演じる漫画家と、ファン・ビンビン演じる美人女優が、ピーター・ホー(何潤東)の愛を求めて激突するというもの。
中国迷な日本の方々ですでにご覧になっている方もいるようですが、詳細なストーリーはこちらのブログで紹介されています。

「非常完美」 ブログ「深セン便り」

で、劇中で二人がクライミング勝負する場面があります。

章子怡范冰冰拍《非常完美》中攀壁斗勇 by 新浪娯楽9/4

1
結婚目前にして愛する人を奪われる漫画家役のツィイー。
ああっ!
ツィイーのビレイ俺にさせてくれ~!

2
不敵な表情のファン・ビンビン。

3
で、二人がクライミングを競います。
やはり中国得意(笑)のスピードクライミングか?

様々な中国メディアでは、「二人ともクライミングは初めて」とか、「半日講習受けてからクライミングの撮影に入った」などと報じられていますが、私の記憶するところでは確かチャン・ツィイーはプライベートでも人工壁のクライミングに親しみ、目撃談では旦那より上手いと言われていたはず。チャン・ツィイーなかなかタヌキですな・・・

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【二日市温泉】 町家カフェ「茶の子」

サタデーナイト。
今週もダイハードな土木作業員生活が終わる。

Pa0_0794 私が滞在しているビジネスホテルの近くに二日市温泉がある。
この温泉、万葉集にも歌われた1300年以上の歴史を持つ温泉。
ただし、山形の銀山温泉や肘折のような湯治場のような雰囲気は全くなく、静かな住宅街に公共浴場と旅館がある程度。街並に点在する、和歌を記した石碑が歴史を感じさせる。
温泉の数は九州地方は日本有数と認識していたのだが、約100年前までは、この二日市温泉が福岡県唯一の温泉だったという。

Pa0_0786 昨日訪れた筑紫野市の博物館でも展示室一室が二日市温泉の歴史展示に設けられている。
画像は展示室の休憩スペースにさりげなく飾られていた、昭和初期の木製の手水(ちょうず)桶。
桶本体と一体となった脚の曲線に、日本人の様式美を感じる。

ハードな土木作業の後に立ち寄るのは、公衆温泉浴場「御前湯」。
入湯料200円と、山形のそれよりも安い。
土曜の夕方、脱衣所も洗い場も浴槽も大混雑。
よくよく見ると、孫を連れた老人や小さい子供をつれた親子連れが多い。圧倒的に地元の人々でにぎわっている。
私にとって、某国某山を登る事以外の夢といえば、幼い息子と温泉に入ること。
うちの息子、人ごみが嫌いなのと大浴場が苦手なので、未だその目標は果たせず。
目の前の浴槽で戯れる小さな子供と父親の姿に、我が家のチビ助に想いをはせる。
嗚呼、私も歳をとってしまったものだ。

さて風呂上り。
Pa0_0790 御前湯の隣にあるカフェ「茶の子」に直行。
都会のOLどもと違って、わたしゃ肉体労働してんだぜ!?
疲れてるときは甘いものだろ!?
というわけで、デザートセット700円を注文。
今冬と来シーズンの山行計画について少し詰める。
え?
会社の仕事?
人間、気分転換が必要だってば~
というところに、デザートセット到着。

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茶碗に入ったコーヒー、シャーベット、抹茶ケーキ、そして右手前のサイコロ大のお菓子。
このサイコロ、チョコソースがかけてあるが、舌触りはゼリーともプリンとも違うチョコ菓子。

山行計画を紙にまとめていた私にマスターがお茶を注ぎにきたのでたずねる。
このチョコ菓子、わらび餅をチョコで味付けしたものだという。
え~、こんなの初めてだ。もちろん美味しいです。
せっかくのデザートセット、各々の菓子の紹介もしてくれればな。
と、一言も二言も足りないと仕事の世界で責められている私は思うのでありました。

地元密着型のカフェ「茶の子」については下記ブログをどうぞ。
町家カフェ 一軒露地 「茶の子」

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きょうのはっけん 鯖茶漬け

 本日は諸事情により早めに業務終了。
 連日のあまりの暑さに出張チーム全員バテ気味。
 夕食は皆そろって居酒屋で酒盛りなのだが、本日は皆バテてるので、「各自自由行動」となる。

 部屋でシャワーを浴び休憩後、近所の筑紫野市歴史博物館を訪れる。
 大宰府に近いこともあって、古代遺跡の発掘物がメインであるが、目をひいたのは入り口に展示してあった筑紫野市に昔から伝わる夏の郷土料理のレプリカ。その他、ここで筑紫野地方の山に関する歴史資料のパンフをいくつか入手。 
 それから筑紫野市民図書館を訪問、郷土資料と山の本の検索。ここの図書館は金・土は午後8時まで開館という太っ腹な図書館。山形の図書館も見習ってほしいものである。

 帰りがけ、地元のスーパーに立ち寄る。
 やはり今春滞在した北九州市同様、鮮魚コーナーは充実してますなあ。
 ・・・と、目に付いたのが、

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『さば茶漬け用さば』。

へえ~
「さばの生き腐れ」というように、山国の山形では考えられませんなあ~
(私はサバは大好きなのだが、周囲にはサバにあたったという人は結構いる)
ネットで検索してみると、「さば茶漬け」は新鮮な魚が手に入る九州の郷土料理という記事もある。

今夜はバテバテで軽い夕食ですが、どこかでサバ茶漬け食べてみたいものです。

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南無妙法蓮華経。

雪山大好きっ娘。さんのブログのTwitterで紹介されていますが、スペイン人ペアがA6+というグレードのエイドクライミングを展開した模様。

雪山大好きっ娘。さんいわく『全部フックによるビレー点は狂気の沙汰にしか見えない。』と述べておられますが・・・ロシアの某クライミングサイトでその写真を発見。

これがA6+人工登攀の様子でごじゃりまする。↓

A6

嗚呼、フック、フック、フック・・・

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当ブログを好き好んでお読みくださっている皆様、いつもご覧いただきありがとうございます。
現在滞在している宿のネット環境が貧弱なため、海外の登山ネタはしばらく先送りいたします。
韓国・釜山の大学生が達成したすんごい遠征登山の記録とか、ネタは仕込んでいるのですが・・・

残暑厳しい福岡で日々脱水症状になりながら、家族を養うべく土木作業員として業務に励んでおりますため、しばらくは携帯からの更新になります。ご了承ください。

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きょうのはっけん 自販機

きょうのはっけん 自販機
ちかっぱ???

山形県人にはわからんと。

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再訪

再訪
今春に続き、またまた福岡県某所にやってきました。さすらいの土木作業員生活はじまりはじまり。

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西へ

西へ
新幹線で東京を素通り、西へ移動中。楽しみにしていた富士山は厚い曇の中。秋の風味満載の駅弁食べてます。

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【あの人は今】 レイトン・コア(Layton Kor)

アメリカのAbout.comのクライミングサイトは、日本版の貧弱なAll・About.comとは大きく異なり非常に興味深い記事が多くて時折目を通すのですが、今回はあのレイトン・コア(コー)の現況に関する記事が掲載されています。

New Website to Help Iconic American Climber Layton Kor by About.com/climbing8/31

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レイトン・コア。
あのジョン・ハーリンが墜落死を遂げた英米合同隊による冬季アイガー北壁新ルート開拓に参加(登攀成功時はボニントンらのサポートに廻っている)、ヨセミテ・エルキャプのサラテ第2登、ウエストバットレス初登、コロラドのロングスピーク東壁第2登(新ルートから)等々、北米のビッグウォールだけでなく、数々の岩塔の初登を果たし、クライミング史を輝かしく飾る人物。
しかしながら晩年は「宗教に走り、周囲の人間を勧誘して閉口させている」などと日本のクライミング雑誌で触れられる程度でした。
(画像は最近のレイトン・コアとリン・ヒルのツーショット)

現在70歳、腎臓病を患い、人工透析を受ける身体だそうです。
治療費に困窮する彼を援助するため、ROCK&ICE誌、ステフ・デイビスら実力派クライマーらが中心となり、レイトン・コアを支援するサイトが立ち上げられました。
一口25ドルの募金を募っています。募金はレイトン・コアの人工透析に必要な医療費に使われるとのこと。

http://laytonkorclimbing.com/

Laytonkor また、1963年におけるキャニオンランズ国立公園のMonster Tower初登時の署名入り写真(左画像)が販売されているそうです。

懐に余裕のある方、どうぞ往年の名クライマーに愛の手を。

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