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『剣岳 点の記』、韓国人の視点。

韓国の登山雑誌『山』9月号に日本で話題になった映画『剣岳 点の記』に関する論評が掲載されています。
最後の段落にご注目ください。

[チェ・ソンウンの地図の話]剣岳‘測量登山’を題材に山岳映画を制作 by 月刊『山』9月号

以下記事引用開始
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 去る7月、日本訪問の際に協力業者の社長と共に『剣岳 点の記』という山を舞台にした映画を見た。
 新田次郎による実話を土台にした映画で、一言でいえば地図製作のための測量登山の話だ。露日戦争に勝利した日本は、国家経略の手段として地図が必要不可欠のため、全国の地図完成を急いでいた。100年前、日本の地図製作は軍部が掌握しており、陸軍参謀本部傘下の陸地測量部で担当したが、最後の空白地域として残っていた剣岳周辺の地図製作のための三角点設置が念願の課題であった。

 当時、剣岳は地元住民らの間で「地獄の山」「針の山」と呼ばれ「登ってはいけない山」「登れば天罰を受ける山」とみなされ、誰も登ることが出来ない山として知られていた。
 このような山に三角点を設置するために陸地測量部は、柴崎芳太郎を担当官に任命する。命令を受けた測量隊は仕事を完成するという使命を帯びて、剣岳周辺の険しい山岳地27ヶ所に三角点を設置することになる。
 ここに登場するもう一つのグループは、登山記録がない剣岳登頂を目標にした日本山岳会メンバーらだ。このチームのリーダーは日本に登山を胎動させて1905年日本山岳会を設立した小島烏水であり、測量隊と初登を争う競争相手となる。

200日間も山だけで撮影した‘山岳映画’

 カメラマンを自称する老練な木村大作がメガホンを取ったおかげで、現地ロケを中心にした映像は剣岳の自然を遺憾なく展開し、あたかも長編の風景画を見るようだ。
 空中撮影やコンピュータグラフィックを使わず、撮影期間2年間で200日を山中で撮影したとのことで、山に登る場面をそのまま演出して臨場感が生々しい。
 特に日本山岳会メンバーらが当時ヨーロッパから持ってきた最新登山装備を整えた昔の登山スタイルを再現したが、小物の準備から時代考証に至るまで遜色がない。

 「測量登山」とは測量用語や登山用語にはない言葉だが、山岳地帯の地図製作のためには展望がひらけた場所に三角点を設置しなければならないから、測量隊が直接山に登らなくてはいけない。 このように測量のために山に登る行為を測量登山と呼ぶ。映画の題名のなった「点の記」も測量登山にともなう三角点設定の記録を指す言葉だ。
 三角点は三角測量によって、水平位置を求めた点から三角水準測量によって標高を測定して重要な地点に対して標石を設置する。測量基準によって1等三角点、2等三角点、3等三角点、4等三角点に区別される。
 (中略 以下三角測量に関する説明が続く)

2009091101228_0
▲剣岳周辺の1:50,000地形図。太線は1907年の柴崎測量隊が登ったルート。

100年前の剣岳測量登山の偉業を奉って

 現在、剣岳の一般的な登山ルートは剣岳南側の海抜2,400mの室堂ターミナルから始まり、新室堂乗越に登り、劒御前小屋を過ぎて劒山荘に到達する。ここから本格的な登山となり一服劒・2,618mと前劒・2,813mを過ぎて、最後に剣岳南面を登れば頂上に立つことになる。
 しかし測量登山当時は劒沢雪渓に降り立ち、長次郎谷を経由して登ったため険しい登山路を切り開くため標石を運搬できず、3等三角点に準ずる簡易票石だけを設置した。

 明治維新以後、日本は西欧列強の植民地帝国主義を標榜し、大陸進出を目標に日清戦争と露日戦争を相次いで起こし、朝鮮半島に対する地図製作の必要性を痛感することになった。
 1895年から陸地測量部によって密かに朝鮮半島の測量が進められ、1905年にすでに朝鮮半島全域の迅速図と呼ばれる1:50,000第一次地形図制作を完了した。
 以後、朝鮮半島の測量基準点を用意するために対馬の御岳と有明山の1等三角点から釜山、チェジュ島を連結する三角網を設置して、1908年から1911年まで三角測量によって正確度が向上した2次地形図を製作、1913年からは三角測量によって正式に地形図を製作し、1918年、朝鮮全域の1:50,000地形図722枚を完成した。

 2007年、剣岳測量100年となる年をむかえ、日本国土地理院は記念品を配布し、今年は映画が公開されて地図セットと各種記念品を作り、100年前の剣岳の測量登山を偉業として奉っている。
 しかし我が国の近代測量と地図製作は日帝によって進められたのであって、近代において測量・地図製作と剣岳のような測量登山の秘話は、残念なことに私たちの歴史にはない。

文 チェ・ソンウン韓国山岳会副会長・マッピングコリア代表
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以上引用おわり(最後の段落の文字強調は筆者による)

 映画『剣岳 点の記』に関して、同じアジアの中国と韓国では報道頻度は非常に対照的です。
 中国メディアが監督・俳優の動向から皇太子殿下が鑑賞されたことに至るまで、事細かに報道していたのに対し、登山が盛んであるはずの韓国のメディアではほとんど話題になっているのを見かけませんでした。約10年前の98年にようやく韓国国内において日本映画解禁という事情を汲んでも、実に対照的です。

 この記事の末尾のような想いを韓国人登山者全てが意識しているのかはわかりません。日本の左翼系「知識人」には喜ばれそうな論調ではありますが。
 私個人としては19世紀、朝鮮王朝が腐敗政治に陥る中、既に日本の幕府は伊能忠敬を支援して国内の地図整備に尽力していた歴史があること、この文を書いたチェ・ソンウン氏所属の韓国山岳会はかつて竹島(韓国名・独島)に領土を主張する標石を建てた事実があることなどを思い浮かべます。
 ただし、やはり自国の地図整備を他国の人間の手に委ねなければならなかったという事実は韓国の関係者には悔やまれる史実なのでしょう。

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コメント

「自国の地図整備を他国の人間の手に委ねなければならなかった」 - これは言い換えると客観的な「近代化」への時代背景を示していてとても興味深い視点ですね。

投稿: pfaelzerwein | 2009.09.20 14:39

re: pfaelzerwein様
 コメントありがとうございます。

 戦前の日本が朝鮮半島で果たしたインフラ整備か、はたまた搾取の先兵か、日本が整備した地図の評価は日韓で大きく分かれるところでしょう。(実際に、韓国が現在使用している地積公簿は20世紀初頭の「日帝」が作成したものが原本になっています)

 多くの日本人が映画「剣岳 点の記」に関してネット上で感想を表明していますが、日本人が意識することのない点について、韓国の方が指摘したことに印象深いものを感じ、ブログ記事にしてみた次第です。

地図製作には軍(国家)が関与していたことから、pfaelzerwein様ご指摘のとおり、制作者の意図しないところで、この映画は国家の近代化の一部を表現したといえるかもしれません。

投稿: 聖母峰 | 2009.09.21 20:25

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