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韓国の学生隊、コングール峰に立つ

今夏、難峰として知られる中国のコングール峰に、韓国の学生3人組が登頂しました。
私の解説は後述するとして、月刊「人と山」に掲載された記事は下記のとおり。

釜山学生山岳連盟中国コングール登頂記 月刊「人と山」8月号
 
以下記事引用開始
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釜山の大学生3名、北面変形ルートで韓国人初登
文=ソ・ギソン、写真提供=登山隊

 釜山(プサン)学生山岳連盟(キム・キュテ遠征隊長)が、7月27日中国新彊ウイグル自治区コンロン山脈のコングール(Kongur・7719m)の登頂に成功した。
 韓国人初登を記録した今回の登攀は、2007年に続き再挑戦して成し遂げた快挙だ。1981年には英国のクリス・ポニントン率いる登山隊のピーター・ボードマンが落石に遭い失神するなど紆余曲折の末、初登頂した峰で、以後20年間、世界各国23の登山隊が登頂を試みたが、ロシア隊と日本隊だけが成功した険しい山だ。
 特に、大学に在学する学生であるソ・ギソン(24才)、オ・セジン(23才)、セオ・サンホ(20才)隊員が頂上に到達したことは格別の意義がある。この登攀記を本紙で独占掲載する。


7月23日
 「は~、は~、は~」
 寝ていても息が切れて、良く眠れない。
 午前5時、チュ・ヒョンチョル隊員が暖めたフルーツ缶詰とコーンスープを出す。朝食だ。高度7000メートルのキャンプ4、腹は減るが食欲がなく、やっとフルーツ缶詰一つを口の中に押込む。
 ソ・ギソン、オ・セジン、セオ・サンホ隊員が10m間隔でアンザイレンして出発する。 遠征登山の経験が初めての大学生3人の頂上アタックには充分自信がある。もちろん不安もなくはない。

 「セジン、君が先頭でラッセルしろ。」
 アタック組の一番年長のソ隊員の指示に、オ隊員がラッセルを引き受ける。 ところがオ隊員の調子が良くないため、続いてソ・隊員がラッセルをする。
 右側の岩稜が始まる所まで早く登る。険しい氷河区間だが、大きな問題にならず三人の隊員はよどみなく登る。岩稜入り口でベースキャンプに無線を送る。しばらくしてキム・キュテ隊長が指示を与える。
 「岩峰10時の方向にルートを確認して進みなさい。」

 広く緩やかに広がる氷河には途中に大小のクレバスが口を開いている。 左に大きく迂回する。セオ・サンホ隊員が先頭に立つ。
 「サンホ大丈夫かい? 私が先に行くか?」
 ソ隊員が出ようとするや「私が行きます。クレバス落下の制動(ブレーキ)はしっかりして歩いて下さい」と短く話す。
 ソ・隊員がクレバス間をよどみなく通過する。 険しい氷河区間の壁も越え、クレバス帯を抜け出してしばらく休んでいる間、ソ隊員がルート確認のためにベースキャンプに無線通信を試みるが、状態が良くなく、方向を幾度も変えて試してみる。
 「オ!? アッ~!」
 ソ隊員が氷河区間に滑落、急いでピッケルで制動(ブレーキ)をかけ、幸い止まってくれた。

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プラトーとロシアン・エクスプレス突破

7月24日
 C3を設置するためにプラトー氷河にのぼる隊員ら…. 昨日キム・ソクス登攀隊長が固定ロープを設置したところから20mほど崩れ落ちた区間に近寄る。 先にソ・ギソン、セオ・サンホ隊員が固定ロープを利用して、プラトー氷河を渡っていく。
 ソ隊員とセオ隊員が氷河の反対側に登り、チロリアンブリッジで荷物を渡す。7回に分けて荷物を運んだ後、オ・セジン、チュ・ヒョンチョル隊員、キム・ソクス登攀隊長が渡ってくる。何日か前にデポした荷物と今日C2に荷揚げした食糧をまとめ、五人で分けて登る。
 登攀隊長の指示でチュ隊員が先頭に出る。 周辺にC3を構築する場所を探して用心深く前進する。
セラックと落石の恐れがない所、傾斜が緩やかな所を探して、C3を設営した。 海抜6200メートル地点。3日間の食糧と最後の難コース、ロシアン・エクスプレスを登攀するための固定ロープと装備を整理して徐々に気を引き締める。

7月25日
 頂上稜線のためにまだ陽がささない時間、テントの外に出てきた隊員らがとりわけ寒い気温の中で手足をずっと動かす。
 ルート工作に必要な固定ロープのためにザックが重い。五人がアンザイレンして一歩一歩険しく立っている雪壁に近付き、登攀隊長がクレバス区間を巧く避ける。ザックを背負い6400mでラッセルをしようとすれば体力の負担は大きい。
 登攀隊長が険しい氷河の前で立ち止まる。 ソ隊員も400mの固定ロープを下ろして確保準備をする。クレバス上部の雪壁が崩落し、登るのが困難に見える。丈夫な部分を捜し出した登攀隊長が一気に登る。即座にロング・スナーグを一本設置する。
 支点を設置するやソ隊員が後に続く。再び急傾斜が続き、登攀隊長は雪崩の危険性のため、右側に大きく回って、岩にハーケン二つを打つ。下で待機していた隊員らが順に登る。岩と雪のミックス帯だ。登攀が容易ではない。用心深く岩を選び登るる。天候は良い。雲一つ無い好天だ。しばらく登った登攀隊長の姿が岩の向こう、視野から消える。続いてハーケンを打つ音が鳴り響く。
 ソ・ギソン、セオ・サンホ隊員が中間支点に達すると同時に登攀隊長から下山命令が下る。
 「今日はここに荷物をデポして明日、C4をたてよう。」
 「天候が良くて下山するのがちょっと惜しいのですが・・・もう少し行けばいいんじゃありませんか?」
 二人の隊員が欲を出してみる。
 「今高度6800メートルにならないから、まだ200メートル以上さらに登らなければならない。日が沈むから下山しよう。天候は明日もいい。」
 登攀隊長の指示でザックをぶら下げてデポして、下山する。 オ隊員とチュ隊員も下の確保地点に持ってきた荷物をデポした。
 「明日は一時間さらに早く出発して、C4を設営しよう。 あせらず、早く登ることができるはずだ。」

7月26日
 ザックが無い隊員達の身体は軽い。前日より一時間ほど短縮して、ロシアン・エクスプレスの急傾斜のガリーに到着する。
 「ギソン! 先に登って、固定ロープを設置しろ。」
 登攀隊長の指示通り、ソ隊員がロープ二袋を持って用心深く残りの区間を登る。30m程登り、登ってこいとのコールを送る。
 岩と雪のミックス帯を抜け出すと上部に長く伸びたガリーが見える。 クレバスがあるかもしれず、登攀隊長が先頭で行く。 100メートルほど上がった隊長が安全だと判断されたのか一名ずつ上がってこいという。
 150メートルほど登ると氷の区間が出てくる。 傾斜はきつくないが、滑落すれば大事故になる区間だ。
(中略)
 高く広がる氷河が目に映って頂上稜線が近くに見える。標高7000メートルにC4を設営する。 少し動いても息が切れるC4は狭くて氷が硬く危険なところだ。 夕食をとった後、ミーティングがあった。
 「明日は私(登攀隊長)は登らない。頂上アタックはソ・ギソン、オ・セジン、セオ・サンホの三人だけで行く。 アンザイレンして登り、途中で絶対に解くことはせず、降りてくる時までそのままで来い。下山する時、特に注意しろ…笑うのはベースキャンプで笑うことだ。分かったか?」


「笑うのはベースキャンプで笑うことだ」大学生達で頂上アタック

 ソ隊員が先に登る。クレバス帯を通過すると硬い氷壁が出てくる。 オ隊員が危険と判断、違ったルートを探してみようという。
 「氷壁だと危険だが、登ることができますか?」
 「登らなくちゃ。方法がないじゃない。」
 意見が分かれる。
 「登るのはどうにか登れますが、降りてくる時が危険です。下に降りて行って、右側をまわってみましょう。」
 ルートを確認して各自意見をいう。
 「右側にまわってもルートは良くないようだ。 時間もかかって同じことだ。サンホは登れるか?」
ソ隊員の言葉が終わるやいなや、サンホ隊員が氷壁区間を登る。
 「降りてくる時は君の話のように、右側の岩稜に沿って降りてこよう。」
 幸い、硬い氷壁は思ったより短かった。三人の隊員が交互にラッセル、一時間ぐらい登るといよいよ主稜線と広い雪原が現れる。 緩やかなところにピッケルをさして休んでいると、オ隊員がずっと咳をする。
 「さっき冷たい水飲んでから、ずっと咳してるんじゃないか?」
 「首は何日か前から痛かったんですが・・・異常ないから大丈夫です。」
 オ隊員は疲れているとみられるが、大きな問題もなく、ルートをさらに進む。退屈なほど長い氷河を歩いてソ隊員がベースキャンプに進行方向を確認する。無線を聞いて右側に修正して、前進する。
 徐々にガスが出て、風も強くなって雪が飛ぶ。
 7600mを越えると視界が効かなくなる。ソ隊員がGPSで方向を定める。オ隊員が嘔吐した。調子が良くないうえに高所順応がうまくないようだ。
 「行けるかい?」
 「ここで大丈夫でなくても仕方ないでしょ。行きましょう。」
 オ隊員が笑って答える。 隊員が三人だと途中一人で下山させることもできず、二人の隊員が残って一人だけ頂上に行かせることもできない状況だ。
 「もう少し行けばいいから頑張ろう。」

 頂上が目前だ。 100m残った地点であきらめて降りたい人はいないだろう。 左に断崖が現れて右側では急傾斜の雪面と大きな岩が目に映る。
 どれくらい登ったのだろうか?
 ゆるやかな雪面が続いてガスでよく見えないけれど、周辺を見ると現在立っている所より高いところがないようだ。セオ・サンホ隊員がGPSで確認する。
 「ここがピークと表示されてるんですが、GPSに間違いないか確認して下さい。」
 問題は隊員達にまだ平たい雪面が広がっていることだ。
 「隊長、ガスがひどく視界が効かないのですが、平たい稜線上です。GPSで頂上と一致しますが雪面がずっと続いています。 高度は7680メートルで頂上より少し足りなく表示されてます。」
 座標を呼称した。 しばらく後、隊長から無線がきた。
 「呼んでくれた座標が頂上と一致する。前方峰と後方峰、二つの峰が同一の頂上だ。君たちが立っている所は前方峰のようだ。」

 16時54分、登頂に成功した瞬間だ。11時間、クレバスと氷壁、悪天候を突破して大学生三人が皆コングール頂上に立った。

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ソ・ギソン、オ・セジン、セオ・サンホ登頂…下山中200メートル滑落

 記念写真を撮ってガスが消えると、南にゆるやかな峰がさらに見える。登攀隊長が話した後方峰だ。ちょうどキム・キュテ隊長から無線がくる。
 「ガスが晴れたようだから、もう少し進んで、後方峰でも写真を撮ることを望みます。」
 南に進む。
 強風が襲って吹雪となり、15分ほど進むと頂上だと思われる所が見える。
 ソ隊員が前の見えない吹雪の中を登り、GPSのボタンを押す。 ところでオ隊員が座り込むと再び咳と嘔吐を繰り返す。直ちにベースキャンプに戻ると知らせる。
 登ってきたルートを戻るが、登る時のトレースは無くなっている。
 無線で聞こえる隊長の指示どおり方向を定め、登ってくる際に問題になった氷壁が出てきた。氷壁はアイゼンが信頼できるほど打ち込めず、とても危険だ。
 左に回って降りて右側に行く。
 クレバスを無事に通過するとベースキャンプに初めて無線を送った岩稜入り口が現れる。
 ベースキャンプからも今からは確認できないから気を付けて下山しろとの連絡がきた。
 C4までは10分程の距離。下方にC4が見え始める。登攀隊長とチュ隊員がテントの外で待っている。
 しかし肉眼で誰なのか確認しようと手をあげて合図した途端、ソ・ギソン、オ・セジン隊員が氷壁で滑落した。制動を試みたが、アンザイレンに引かれ、隊員が後からはねるように滑って前の二人を引きずり、皆滑落してしまった。事故だ。

 登攀隊長が制動かけろ、と大声を張り上げる。 ピッケルでブレーキをかけてみるがあまりにも速度が速く制動がかからない。身体がひっくり返りアンザイレンがこんがらがり、身体をぐるぐる巻く。 ソ隊員は肩が脱臼してピッケルを失う。その間、ソ隊員がヒジで氷雪面を押して制動を試みる。200m程度滑落して、氷河が終わる地点の前でかろうじてブレーキがかかって止まった。

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 体の状態をチェックしてみるとオ隊員は特別な外傷はなく、慢性の脱臼があるソ隊員は急いで、肩を入れた。うつ伏せになっているサンホ隊員が心配だ。
 「サンホ、大丈夫か? 医薬品!」
 セオ隊員の左の手袋が破れて小指が裂け、血が流れている。 オ隊員が急ぎ手袋を手にはめて止血してみるが、手袋の間でずっと血が漏れる。 医薬品を持って来た登攀隊長がオーバーミトンを被せてくれる。
「立ち上がることができるか?」
 セオ隊員は足首まで怪我した状態だが、かろうじて起きあがる。C4に登り返すのをあきらめ、C3に降りることにする。日没で寒さと闇が襲う。C3をはやく探さなければならないのに、このような時に道に迷ってしまう。登攀隊長がGPSに記録されたキャンプ位置を確認して、ソ隊員に方向を指示してチュ隊員が降りて行く。
 いつのまにか氷河の末端部まで降りてきた。 途中GPSも失くして、今は感でキャンプを探さなければならない状況。隊員らも疲れ果てた。また数時間をさらにさまよっていたら、セオ隊員が危険だ。時計を見ると04:30。
 「二時間後ならば日が昇るはずだ、日が昇ってからテントを探すか? でなければずっと歩くか?」
 「日が昇ってから探すのがいいでしょう」
 セオ隊員は疲労し、休むことを願った。2時間ほど休むことに決める。手と足で雪洞とまではいえないが、休めるほどのサイトを作る。セオ隊員を中間に座らせ、両側にソ・ギソン、オ・セジン隊員が座る。寝てはいけないという登攀隊長の指示に、睡眠に打ち勝とうと努めるが少しずつ眠る。
どれくらい過ぎたのだろうか? 隊員らが手足をもぞもぞと動かし、日が昇ることだけを待つ。

 ついに日が昇り、登攀隊長が位置を確認するために外に出る。下に降りて行って来た隊長がテントを探しあてたという。テントは隊員らが休んだ所からわずか20分ほどの距離。
 テントに到着するやいなや、誰が先にということもなしで眠りにつく。
 幸いなことにセオ隊員の手は出血が止まり、凍傷にもかからなかった。
 登攀隊長が安堵の息を吐き出した。

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以上引用おわり

 このコングール登頂には次のような意義があります。
1.コングールの第3登(・・・私の記憶では・・・違ってたら誰かおせーて)
2.海外登山が初めての学生3名で、登頂を成功させたこと(登攀隊長、ベースからのGPSによる多大な支援などはありますが)

 今出張中の身で蔵書の資料を確認できないのですが、私の記憶ではコングール峰はムスターグアタやシシャパンマ等と異なり、80年の中国政府による外国人に対する中国登山解禁までその存在をほとんど知られておらず、登山解禁後の登頂成功率の低さは難峰と呼ぶにふさわしい山です。
 今現在のヒマラヤ登山の状況は不勉強で知りませんが、頂上の位置確定および登頂確認のためにGPSを多用している様子は興味深いものでした。
 コングールは頂上に二つのピークがそびえ、どれをもって登頂とするか、GPSなど無い時代に初登を果たした英国隊もかなり神経を使ったようで、その様子については先日当ブログにコメントをお寄せ下さった高田直樹氏のウェブサイトに興味深い記事が掲載されております。

コングール峰・戻らなかった三人とぼくの最後の遠征登山 by 高田直樹ドットコム

 前述の2に記しましたが、学生達が固定ロープを多用、多大に支援を受けていたとはいえ、このような難峰に登頂したという事実は特筆すべきものがあると思います。
 近年アジアにおいては中国の大学山岳部も盛んに国内登山として6000~7000m峰に登っていますが、まだ容易なルート・容易な山が中心です。
 ふりかえって日本の大学山岳部はその衰退ぶりが・・・といいたいところですが、ここではあえて、日本の大学山岳部の遠征隊が60~80年代において展開した遠征登山の結果、現在の欧米の先鋭的な登山家がアルパインスタイルで挑むための土台(研究資料)として今に引き継がれていることを強調したいと思います。

 今回のコングール登頂という成果により、大学山岳部という視点から、また韓国の登山界に興味が沸いてきたところです。

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