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韓国の高所クライマーの現在・未来

 韓国の月刊誌「山」9月号に『ゴー・ミスンの死を契機に探る韓国山岳界の昨日,今日,明日』という座談会形式の記事が掲載されました。
 韓国登山界における高所登山のトップクライマーが一堂に会しての座談会です。
 それはそのまま韓国のヒマラヤ登山の現状をよく表している貴重な記事になっています。
 日本の志あるクライマーなら、国と文化の違いを超えて彼らの置かれた状況、そして目指すところが理解できるのではないかと思います。

ゴー・ミスンの死を契機に探る韓国山岳界の昨日,今日,明日 by 月刊「山」9月号

 以下記事引用開始
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ゴー・ミスンの死を契機に探る韓国山岳界の昨日,今日,明日

「登攀はパートナーを訪ねて行く過程」韓国の高所登山家らの虚心坦壊な対談
8月16日午後、ソウル・光化門の月刊「山」編集室に、ヒマラヤをはじめとする高峰とビッグウォールで情熱的にクライミングを展開している登山家らが集まった。彼らは自身が関心ないクライミング分野で活動する登山家らを理由なしに非難したり、さげすんではいけないということを同様に口にした。
座談会には女性登山家を代表するイ・ミョンヒ氏、最近パキスタンヒマラヤ・ ゴールデンピーク北壁に新ルートを開拓して帰国したキム・ヒョンイル氏、8,000m級9座無酸素登頂者のキム・チャンホ氏、8,000m峰14座登頂を目標とするキム・ミゴン氏が参加、岩・氷壁だけでなく高所のビッグウォールでも優れた技量を見せるチュ・ソンムン氏が少し遅れて参加した。 チュ・ソンムン氏とイ・ミョンヒ氏は山岳界によく知られたクライマー夫婦だ。

座談会はナンガパルバット登頂後の下山中、7月11日午後7時頃に滑落事故にあった故ゴー・ミスン氏に対する思い出話で始まった。

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▲テーマ討論に参加したキム・チャンホ、キム・ミコン、イ・ミョンヒ、キム・ヒョンイル(左側から)各氏が韓国のヒマラヤ登攀の将来について、笑顔で話を交わす。

◆ゴー・ミスンの事故を皆惜しんで

イ・ミョンヒ = 1996年、クムジョン(訳者注・韓国京畿道の地名)の人工壁で初めて出会いました。ミスン姉さんはスポーツクライミング分野では本当に独立独歩的な存在でした。 男女あわせても最も熱心にトレーニングしていました。目標量が満たされる前までは違うことを全くしなかったですから。 その一方で、苦労して習得したノウハウを後輩らにそっくり伝えていました。それでも追いかけることにはなりませんでしたが(笑).
 クライミングには「恨が多い」人でした。(訳者注・詳細は後述) 14座登頂を終わらせていたならば、明らかにビッグウォールをめざしたでしょう。 私にも必ず一緒に行こうといっていたからです。 高所のビッグウォールでマルチピッチのフリークライミングルートが誕生できたはずなのに、本当に惜しいです。

キム・ミコン = そのとおりですよ。ゴー・ミスンさんはヒマラヤのビッグウォールに関心が深かったです。 2005年のナンガパルバット峰ルパール壁登攀を終わらせて帰国した時、登攀の話を聞きたいといって隊員らを訪ねてきたからです。

キム・ヒョンイル = ミスンがアイスクライミングを学んでいる時期に、数年間一緒に登山をしました。 トップスポーツクライマーらしく、早くから感覚を身につけました。世界大会でも入賞するほど急成長したからです。 以前からは同年齢者のグループ「羊たちの沈黙」にも参加していました。 同じ「未」年(1967年)生まれの集まりです。

◆ 8,000m 14座症候群と、望ましいクライミング文化

キム・ミコン = まだ6座しか登っていません。ヒマラヤは好きですが、漠然と通うより何か目標を定めておいて通うのが良いと思って14座登頂をめざすことにしたのです。 14座登頂を夢見る他の人たちも同じでしょう。 ヒマラヤの高峰に一度でも登ってみた人ならば当然持つ夢ですから。

キム・チャンホ = 我が国からも数人輩出されていますが、ヒマラヤを登攀する時に出会う外国登山家の多くが14座登頂を夢見ています。 私もやはりその道をたどっています。多分エベレストが最後の目標になると思います。 その時はちょっと変わったルートで登攀してみたいです。
8,000m高所登山が1990年代に比べて,成功確率が高まったことだけは間違いない事実であるようです。 あるルートに多くの遠征隊が集まって容易になっているけれども、インターネットや衛星電話を通じて正確な天気データを得ることができるというのが決定的のようです。 以前の先輩方の登山を見れば、最後のキャンプまで登って降りてくることが多く、そのように何度も登ったり降りたりでは決定的な場面で力が抜けて、登れないことが多かったようです。今は違います。 天気予報に合わせて、一気に終わらせるからです。

キム・ヒョンイル = もう我が国のクライマーたちの登攀形態は非常に多様化しました。 スポーツクライミングに没頭する人も多く、5,000m峰の岩壁登攀を行うクライマーも多いです。 難しくないクライミングがどこにありますか。重要なことはお互いにさげすまないで、お互いを認めることをしなければならないという点です。 登山専門誌をはじめとして、メディアにも関心を持ってほしいと思います。

イ・ミョンヒ=そのとおりですよ。 互いに励ます雰囲気を作り出さなければならないと思います。みな自分が進むべき道があるでしょう。 惜しいのは、ヒマラヤ遠征には後援する企業もありますが、私のように小さい山や壁を目指す人々にとっては資金援助を受けるのは本当に難しいです。 分からないこともないのです。 どうしてもエベレストに行くと言えば、一般の人もすごいと考えますから。

◆ヒマラヤのビッグウォール登攀

キム・ヒョンイル=外国人も多くはありません。 エベレストは春のシーズンならばネパールでもチベットでも30,40隊が集まりますが、岩壁登攀は違います。 一つのチームに会っても幸運です。言葉がよく通じなくても非常にうれしいです。 今回成功したゴールデンピークのような壁は登攀ラインが単純です。 ところが登攀高度が4,000mにもなって難解なウルタルサール(7,388m・パキスタン フンザ)のような山は本当に難しいです。 ルートを探すのも難しく、日数や食糧計算するのも容易ではありません。 今回も壁の登攀より終盤の下山ルートがさらに難しかったです。 特にホワイトアウトにかかって困りきりました。

キム・チャンホ=ナンガパルバット ルパール壁登攀の時、終盤にさしかかってイ・ヒョンジョ(2007年春エベレスト南西壁登攀中に死亡)がともすると“兄はどんなふうにして、そんなにルートをよく探せますね”と尋ねられました。大学時代何十回も読んだラインホルト メスナーの「黒い孤独白い孤独」(訳者注・邦訳名「ナンガパルバート単独行」)に出てきたルパール壁の写真を持っていきましたよ。 その写真を財布に入れておいて、迷うたびに取り出してたんです(笑い).

キム・ミコン=尖鋭な速度登攀を広げる友人らは6mmロープ30m程度だけ持ってソロ登攀を行います。スイスのウェリ・シュテックはアルプス3大北壁を速攻で終えました。 アイガー北壁ヘクマイアールートを単独で3時間54分で登り、グランドジョラス北壁は2時間30分で登りました。2005年にはチョラツェ北壁単独登攀、タウチェ東壁単独登攀、アマダブラム北壁登攀でピオレ・ド・オールの2次審査にまで上がりましたが、「作為的な登攀」という評価のために落選しました。

キム・チャンホ=事実危険だけれど,そのような登攀が面白味はあります。 特にスピードクライミングする時の感じはすごいです。 7,000mの高所に順応した状態なのに息がはっはっとみなぎって,吐き気が常にします。ノーマルルートの登攀に比べて安全なこともあります。高所に滞在する時間がそれだけ短いですから。

キム・ミコン=ところがローツェ南壁のようなところはとても危険です。 1999年と2004年、2度登攀したがその時ごとに本当に緊張しました。 午前10時なら浴びるほど落石・落氷が降り注ぎ始めます。 映画の一場面のようです。 これはクライミングではないように思えました。私はそんなに危険なところよりは、私の意志や能力で登れるところで挑戦したいです。

◆生きて下山できるのが良いクライミング

キム・チャンホ=今春カザフスタンのセルゲイ・サモイロフがローツェからサウスコルを経てエベレストを登った後下山するという野心に満ちた計画をたてました。 惜しくもローツェで事故に遭って失敗に終わりましたが。 冒険的な登攀を追求するスイスのエアハルト・ロレタンは20年余り前にローツェシャール~ローツェ~エベレスト3峰の縦走登攀を試みたことがあります。 その結果はローツェシーャルも登れませんでした。

キム・ミコン=私たちに対しても、登頂主義から抜け出して登路主義(訳者注・韓国語では登頂第一とする「登頂主義」に対し、バリエーションルート登攀などを表現する「登路主義」という表現が用いられる)に行かなければならないのではないか、ロープなしでアルパインスタイルで登攀しなければならないのではないかなどの批判もしばしば聞きます。 だがそれは机上の空論です。特に能力の備わっていない人々に壁を登れというのは死地に追い込むことに違いありません。 ヒマラヤ登攀が命をかけた登攀でなくてはならないですか? 登攀もしなければならないが、楽しむ方法も知らなければならないということです。
 なぜノーマルルート登攀に対してそんなにさげすむ見方をするのか分からないです。 シーズンが変わった後に行けば、あらゆる事をしなければなりません。 また登路主義に立った登攀をするならば準備過程が長くなければなりません。 経費のバックアップもなければなりません。

キム・チャンホ=2003年パキスタンでグレッグ チャイルドの チームに会いました。 その時誰かがなぜロープを使って登攀するのかと尋ねたのです。 誰も明快に答えられなかったのでグレッグ チャイルド チームのコックがこのように話したのです。 アルパイン スタイルで登山して死ぬよりは生きて降りてくるのがより良い登山ではないかと。名答です。家族はもちろん、事故に遭い同僚を失ったパートナーがどれほど悲しいか。

キム・ヒョンイル=下山に対する準備を徹底的にしなければならないようです。 疲れた時の状況に備える賢さがなければならないと思ってます。 ゴールデンピーク北壁登攀に成功して下山ルートに悩まされました。装備と食糧など何の準備もない状態でビバークをしようとする自信はなかったです。 ゴールデンピーク登攀で出会った日本の登山家から本当に多くのことを学びました。昨年ピオレ・ド・オールを受けたクライマーらしく、本当に徹底してクライミングを行っていたのです。

キム・ヒョンイル=8,000m高峰を登るなら高所衰退と体力低下によって精神が朦朧としてきます。それで情報や資料を得ることも徹底しないまま遠征に赴いて勘違いすることもあるようです。シェルパが関係することもあります。 この程度なら登頂と認定するとして下山をそそのかすシェルパもいるからです。もちろん登山家自身が‘この程度なら’という場合もあるようですが・・・最も悪いのは行ってきたふりをして,みんなをだます人です。 さらに悪いことは最初から嘘をつくことです。 それはもう詐欺ですね。

キム・ミコン=登頂の是非は最後のキャンプ出発以後、写真五カットもあれば解決できそうです。この頃はアルプスのように8,000m高峰も頂上にトレースがあります。 それでもとってくれば疑い受ける必要ないんです。
 我が国に山岳評論文化がないのが惜しいです。 良くも悪くもこれは本当に立派な登攀だと、評価してくれるべきだと思います。 専門誌側でも同じことです。 登頂の是非とか酸素使用の有無のような問題も評論を通じて選り分けられるのではないかと思うんですよ。

キム・チャンホ=そういえば補助金を受けて遠征を行ってきたチームの中で、多くのチームが登攀報告どころか補助金使用に対する内訳も報告を怠るチームがあると聞きましたが。

イ・ミョンヒ=それはあまり少額の補助を与えるからそうなるのではありませんか?

◆ “登攀中、子供を思い出せばそれとなく降りて行きます”

イ・ミョンヒ=昨年パイネ中央峰を登攀中、強風の中で下山するのにクラックの外にはみだして出てきたものがあって、以前の隊のザイルがクラックに挟まって、切り出して残置されているザイルでした。 ちょうど私どものザイルもクラックに挟まった状態だったんですよ。引っ張る直前まで出てこなければどうするが本当に心配しました。 ますます力が抜けるのに子供のためにも生きのびなければならないように思えたんです。 主人のことを考えると、再婚させちゃいけないと思って歯をくいしばったんです(笑)。

キム・チャンホ=私は大学時代ネームレスタワーを登攀した時,最も危険な状況を体験しました。100mほど落ちました。 気がついてロープを調べたら外皮は完全にむけて内芯も十本中四本だけ残っている状態でした。その時ケガした肋骨は今でも外れています。 K2登頂後、下山する時はC3まで降りてきました。 ホワイトアウトですぐそばにいるパートナーも見えません。 うつ伏せになりました。 そして小便の跡を探しました。小便は色が並大抵ではなくて変わりませんからね。とにかく死を考えて登攀に立ち向かうクライマーはないでしょう。 死ぬという考えは少しもしないんです。 明かりに群がる蝶のようにね。

イ・ミョンヒ=今年アイガー北壁を登攀するのに先立って息子から電話が来ました。 普段電話がよく通じない地域なのに通じたんです。ママは僕に危ないことするなと言うのに、なぜママは危険な事をするんですかって。そんなことがあったからか、経験してみなかった状態の雪壁にでくわして自信がなかったです。私の能力外だ、この壁に対してそんな風に見えてあきらめました。 家に帰ってきて,夫にだいぶうっぷん晴らししましたが。歩いていけば良いといったのがなんでそんなに危険ですかって(イ・ミョンヒ氏の夫チュ・ソンムン氏は1998年アルプス3代北壁を完登したことがある).

キム・ミコン=男たちも同じことです。 登攀してそれとなく降りて行けば、たいてい妻や子供たち思い出してあきらめることだから。 表情が良くない隊員にどこか具合が悪いのか尋ねれば、子の顔が浮び上がったとか夢見が悪かったとか言います。 時々子供が私がどこへ行くと言えば空港行くのと違うの?と尋ねます。 遠征に行くんじゃないかというんです。 子供もヒマラヤ登攀が危険なことを知っていているようです。

◆ “登攀で最も重要なことはチームワーク”

キム・ヒョンイル=安全な登攀のために最も重要なことはチームワークです。 技術力は二番目です。 遠征計画段階から隊員とはいつも会わなければなりません。 訓練を通じて,難しい状況も体験してみて、酒の席で話もしばしば交わさなければなりません。 お互いの長所短所を把握してこそ、登攀中に理解できますから。対象となる山に対する勉強、特に下山ルートに対する勉強も重要です。主要な決定は多数の判断に従わなければなりません。 賢くて立派なリーダーでも、高所では時々判断力が薄れることがありうるからです。

イ・ミョンヒ=話が合います。 ご存知でしょう。 山一つ一つを行く毎に数多くの山の中で最も難しく感じられるのが「人の山」ということです。

キム・チャンホ=山も山だが,パートナーを知っていくのが登攀であるように見える時が多いです。 互いに肯定的に考えるのが良いと思います。 2001年マルチピーク遠征の時下山の途上で吹雪に会って慌てたことがあります。 ところがパートナーのソンムンが「登攀するならば雪が降る時もあって,雪崩に会うこともあるので何が心配か」と言いました。なので安心になりますよ。 もしソンムンが慌てたならば、私もやはり動揺したでしょう(席を移して,夕方食事をして話を交わしている間ちょうどチェ・ソンムン氏が参加となった。).

キム・ミコン=ソン・ヒョングン、ズ・ビョングのような先輩・後輩が私には最も適当なパートナーであることのようです。 私が降りて行くや、する前まで何も言わなくても待ってソン・ヒョングン、ズ・ビョングのような力は登攀に大きく助けてくれます。ソン・ヒョングン先輩は後始末がすっきりしています。 下山体制に入ればキャンプ整理はもちろん、適当な装備はみな取りまとめておいて降りてくるからです。

チュ・ソンムン=指向が全く同じではいけないです。 ルートに対する感覚、危機に対する反応などの色々な面で違ってこそ互いに補いあい、さらに熟慮して山登りをすることができます。 私とチャンホ兄のような場合、性格が全く違います。 そのため良いパートナー同士かも知れません。

キム・チャンホ=ラインホルト・メスナーは本当に独創的な登攀をたくさんしました。だがその自ら、失敗した登攀人生だと話したのではないですか。 それは一生を共にする良いパートナーを作ることができなかったためでしょう。 性格も性格だが、行き過ぎた競争心のためだと思います。

◆韓国山岳界を代表する登山家らの夢

イ・ミョンヒ=気の合うパートナーとトランゴタワーのようなところを登攀したいです。 事実優れた山登りをしようとするなら女同士は難しいです。 どうしても男性のパートナーが良いですね。多様なジャンルの山登りをしてみたいです。 夫がたくさん助言してくれます。 とにかくとても危険な登攀は別にしたくありません。 いつも子供が気がかりですから。

チュ・ソンムン=6,000~7,000m峰のミックスクライミングをしてみたいと考えています。どんな山でも面白くなるように楽しく登攀したいです。 ところが夫婦が一緒にする遠征は別に考えてません。 ひょっとしたらするかもしれませんが。

キム・ミコン=14座登頂を達成するか、挫折するかもしれませんが、機会があれば一昨年連続登頂したエベレストとローツェを連結する縦走登攀に挑戦してみたいです。 まだ成功した人はないが、その登攀に合う技術と体力を科学的なデータなどを組み合わせて鍛えれば可能だろうと考えます。

キム・チャンホ=今秋アンナプルナを登ります。そして10月末ぐらいにソンムンとと中国・四川省の6000m級3座のクライミングに行きます。そして来年春カンチェンジュンガ登攀を終えた後、夏にナンガパルバットのマゼノ山稜に挑戦しようかと思います。 ミレニアムをむかえて,解決しなければならない8,000m高峰での6大難題の中の一つに選ばれるリッジです。 7,000m級の高度で(リッジが)13Kmも続くからです。エスケープルートもありません。6,000~7,000m峰に新ルート開拓をして、いつかエベレスト南壁やK2西壁のような山に行くことになるかと思います。

キム・ヒョンイル=チャンホは行きたいところが私よりものすごく多いですね。 私はひとまず会社に通わなければならないからたくさんは行けそうにありません。今年の冬タウチェ北壁、来年3月にはチョーオユー南壁を登攀してみようかと思います。 そして再来年は会社創社40周年に合わせてK2新ルートに挑戦してみようかと思います。


2009091001132_1 イ・ミョンヒ(36)タイタン山岳会、ノースフェイスクライミングチーム
1999年ヨセミテ エルキャピタンノーズ、ゾディアック登攀
2001年カラコルム、ムーストゥーム・レディースフィンガー・カサブランカ登攀
2006年アルプス タキュル北壁・エギーユ・ディ・ミディ北壁・グランドジョラス北壁・モンブラン登攀
2008年パタゴニア パイネ中央峰 ウィルランス-ポニントン ルート登頂
2004~2007年エクストリームライダー人工登攀大会4連覇
2005年大山(テサン)氷壁選手権大会優勝
2007年大山(テサン)氷壁選手権大会優勝
2009年アルプス遠征


                                                                                                                                                        


2009091001132_2 キム・ミコン(37)西江(ソガン)情報大OB 道路公社山岳チーム、バーグハウス後援専業登山家
1998年アルプス3大北壁登攀
1998年マナスル登攀
1999年ローツェ南壁登攀
2000年マナスル登攀
2001年チョーオユー登攀
2002年シシャパンマ登攀
2004年ローツェ南壁登攀
2005年ナンガパルバット・ルパール壁登攀
2006年ガッシャブルム2峰登頂・1峰登攀
2007年ローツェ、エベレスト登頂
2008年カショブルム1峰・2峰登攀
2009年ダウラギリ登頂,アンナプルナ単独登攀


                                                                                                                   

2009091001132_3 キム・チャンホ(40)ソウル市立大山岳会会員・韓国大学山岳連盟理事
1993年パキスタン グレート トランゴタワー登攀
1996年パキスタン ガッシャブルム4峰同壁新ルート登攀
2000年パキスタン ヒンズークシ単独探査
2001年カラコラム カサブランカ(5,560m)世界初登頂ホルロボピーク(5,500m)新ルート登攀、シカリ(5,928m)新ルート登頂
2001~2002年カラコラム・ヒンズークシ山脈・氷河単独探査
2003年ティルリサンサルなど6,000m級4座初登頂
2004年ネパール ローツェ南壁新ルート登攀
2005年パキスタン ナンガパルバット ルパール壁第2登、ヨーロッパアルプス オートルート登攀・モンブラン登頂2006年パキスタン ガッシャブルム2峰・1峰連続登頂
2007年アルゼンチン アコンカグア登頂、チリ パイネ中央峰ウィルランス-ポニントンルート韓国人初登等、K2(8,611m・無酸素)・ブロードピーク(8,047m)連続登頂
2008年ネパール,マカルー(8,463m)無酸素登頂、ローツェ無酸素および最短時間登頂パキスタン バツーラ(7762
m)初登頂
2009年ネパール,マカルー(8,163m)・ダウラギリ(8,167)登頂
                     

                                                                   
2009091001132_4 キム・ヒョンイル(42)K2エクストリーム山岳会K2クライミングチーム チームリーダー
1999年カナディアンロッキー・バガブー登攀
2001年ローツェシャール、ローツェ登攀
2002年アルプス登攀
2003・2004年インド テレイサガール北壁登攀
2005年トランゴタワー新ルート開拓
2006年ローツェ南壁登攀
2008年カラコラム ヒマラヤ アディルピーク新ルート開拓
2009年鬱陵島キリボン北壁新ルート開拓
2009年パキスタン スパンティーク北壁新ルート開拓   


                                                                   

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以上引用おわり

訳者注:
 座談会の冒頭、イ・ミョンヒ氏がゴー・ミスン女史について『クライミングには「恨が多い」人でした。』と語っている。この場合の「恨」とは、日本語の「恨み」ではなく、「やり残した後悔が多い」に近いニュアンスとのことです。(ゴー・ミスン女史やこの座談会のメンバーと面識のある、韓国の山岳関係者である知人に確認)
 
 山岳ライターの柏澄子女史はブログ上において
 『ゴー・ミスンはかつてコンペクライマーであったが、近年の8000m峰14座への取り組みについては、その内部事情を聴くにつれ、本人の本心はわからないが、危うさやもろさを感じずにはいられなかった。』
 と記述しておられますが、私が韓国の関係者から伺った情報、また前述の座談会の記事でも伺えるように、ゴー・ミスンにとって真の目標はヒマラヤのビッグウォールクライミングであり、14座登頂はその実現のためのステップにすぎなかったようです。また14座登頂後も見据え、高所登山学校設立に向けて高所生理学を学び始めていた矢先、その道程半ばでの滑落死はやはり「悲劇」としか形容の他ありません。

 座談会の中で注目されるのは、韓国のビッグウォールクライミングの第一人者であり、韓国スパンティーク隊の隊長であるキム・ヒョンイル氏が日本のスパンティーク隊を高く評価されていることですね。
 またキム・ミゴン氏が「なぜノーマルルート登攀に対してそんなにさげすむ見方をするのか分からないです。」と発言しているのも一つの意見として注目されます。

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