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高桑信一氏、そして『山と渓谷』誌編集部の「社会人としての感性」を疑う。

以前当ブログで「便所紙にも使えない」と書いた『山と渓谷』誌であるが、昨秋から素直に心を入れ替え、図書館でここ数年のバックナンバーを 丹 念 に 読むようになった。
 ガイドとして、最近の登山者のトレンド、そして登山初心者の方々のとまどいや迷い、悩みといったものを探りたいというのが目的である。

 その中の一冊で、ある文章が目にとまった。
Y 山と渓谷誌2008年2月号p29、高桑信一氏による『雪-麗しく、かたくなな冬の意匠』という文章である。
 内容は雪国の「除雪」をテーマにした短文である。
 「除雪システムが雪国に与えた恩恵は大きい」として、雪国の暮らしが大きく変わったことを受け、高桑氏は文章の後半をこう締めくくる。
 以下引用開始
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 しかし、便利になった暮らしの負の遺産もまた、見逃すことはできない。
 雪が少なくなった近年、雪国の老人たちの挨拶が変わった。「(除雪の手間が省けて)いい塩梅だねえ」というのである。
 雪は両刃の刃だ。人々の暮らしを妨げる雪が山野を潤し、さまざまな恵みをもたらす。山菜などの山の恵みは雪なくしては語れない。雪が降らなくなってしまったら、森は滅びるのである。その因果を知り尽くしているはずの老人たちが、すでに山を見ようとはしない。雪国の人々の耐性は、除雪システムによって失われてしまったのだろうか。
 降るべきところに降り、降りすぎないことが、天の定めに従うしかない雪国の、あるべき姿である。

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 以上引用おわり

 一読して、私はこみ上げる怒りに似た感情を抑えることができない。

 いや、私が早とちりをしているのではないか。そう思い何度も読み返したが、やはり雪国の人間として、この単細胞的な文章には怒りを覚えざるをえない。

 まず、「便利になった暮らしの負の遺産」と書いてあるが、具体的に負の遺産とは何なのか、全く意味不明である。
 そして筆者・高桑信一氏の問いかけである「雪国の人々の耐性は、除雪システムによって失われてしまったのだろうか」に至っては理解不能である。
 老人達が山を見ようとしないことと、雪国に構築された除雪システムが、何の関わりがあるのか?
 何度も何度もこの文章を読み返したが、ついにわからなかった。

 この文の前段にはこういう一節がある。
 『雪を公害だといったのは、雪国新潟出身の宰相、田中角栄である。彼のおかげかは知らず、どんな豪雪であれ、近年では暮らしの営まれている公道までの除雪が約束されるようになった。』

 私に言わせれば、日本で初めて雪を「害」として言及した人物を挙げるならば山形県村山市出身の代議士、松岡俊三(1880~1955)を挙げなければ不正確であろう。
 田中角栄を引用したところに、土建業批判の匂いを感じざるを得ない。

 話題を戻して、仮に高桑氏が除雪システムによって「雪国の人々の耐性」が失われることを心配されておられるとするならば、そんなものは杞憂であろう。いや、杞憂である(断言)。
 私は、奥利根はじめ豪雪地の山岳地域のルートを開拓してきた登山家としての高桑氏を、また山の民俗を深く掘り下げた書籍を世に出している高桑氏を尊敬する。
 あれほど山の、雪国の民俗に通じた高桑氏であるならば、なんらかの根拠があって心配されておられるのであろう。
 だが私も、ある除雪システムの効果を金額化するという業務を通じて、東北各地の豪雪地の人々の生の声に触れてきた。また私自身が除雪システムに関わる企業に勤めているということもある。
 その経験から言う。
 日本の除雪システムは、雪国の人々の深刻な要望から産まれたものであり、高桑氏が恐れる「老人たちが、すでに山を見ようとはしない」こととは何も関連は無い。

 雪国にとって
 『降るべきところに降り、降りすぎないこと』
 などありえない。
 雪は容赦なく身近な家の周りに、人々の想いなど関係なく降り積もっていく。
 雪国の人々は、暖かい都会の人間と異なり、年間を通じれば膨大な時間を割いて、大雪の日にはそれこそ無限地獄とも思われる雪かきに汗をかき、体を痛めてきた。
 それが現実なのだ。

 高桑氏の文章に時折ステレオタイプな表現を見受けるが、氏は雪国に対してロマンチックな幻想を抱いておられるのではないか。
 そしてまた、このような文章を掲載する『山と渓谷』誌の編集者の方々にとっては、除雪に関する苦しみなど、遠い世界の物語なのだろう、と思うのである。

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コメント

禿同

投稿: 南陽ワイン | 2010.01.04 09:14

re:南陽ワイン様
 
<<禿同
 えっ?
 賛同と受け取ってよかですか?
 またコメントいただければ幸いです。

投稿: 聖母峰 | 2010.01.07 19:54

禿道!
雪山登山と雪国生活は似て(似てねーか)非なるものですから。

投稿: mmm | 2012.03.29 03:40

re:mmm様
コメントありがとうございます。

<<雪山登山と雪国生活は似て(似てねーか)非なるものですから。

 雪を相手にするという点では似ている一方、自発的な行為である登山と違い、雪国生活での除雪は否応なく迫られる生活の一部ですからね。

 2010年に書いた記事ですが、今冬などは除雪に伴う死傷者が全国で100名を超え、山形でも2月末の時点で死者17名を記録している現実をみますと、この記事を書いた憤りに近い感情はまだそのままなんです。

投稿: 聖母峰 | 2012.03.30 08:06

このライターの方、一昨年だったか三年前かに飯豊山で小屋番をしていたような気がします。
このライターの方が管理人様が仰るような言動をしているのなら、私はこのライターの方に、「お前は二度と飯豊に近寄るな」と申し上げたいです。
私も豪雪地帯にほど近いところに住み、山の恵みで農業を無事に営めている以上、このライターの方の豪雪地帯への冒涜は許せません。
このライターの方の本は数冊買いましたが今ではすべて古書店に消え去りました。
日本のマスコミにありがちな、典型的・紋切り型の批評しかできない方なのでしょうね。

投稿: ksagency | 2015.02.28 15:40

re: ksagency様

 頂戴したコメントの通り、高桑氏は飯豊で小屋番をされていました。

<<このライターの方の豪雪地帯への冒涜は許せません。
ksagency様も既に高桑氏の著書を読まれているとのこと、ご存じのように山岳文化にも詳しく、豪雪地帯の奥利根で名をはせた登山家・高桑氏がなぜこのような文章を書いたのか、未だに理解できません。

 私のつたない記事の書き方でksagency様に誤解を招いたかもしれませんが、豪雪地帯への冒涜というよりは、豪雪地帯の人々の生活を支える「除雪・排雪システム」に対する無知・偏見ともいえる文章に、私は自身の経験から怒りを覚えざるをえませんでした。

 また故人の名誉のために付け加えますが、田中角栄氏は演説の中で「新潟には雪がある。雪は水。」という有名なフレーズで「雪は資源」を説いた方であり、雪を公害などとは語っていません。

 繰り返しになりますが、山国・雪国の民俗・文化について幾つも書籍を著している高桑氏がなぜこのような文章を書いたのか。
 よりよき社会に、という願いが背景にあるのは理解しますが、浅い知識と偏見に満ちたコラムは、 ksagency様ご指摘の通り「典型的・紋切り型の批評」でしかないと思います。

投稿: 聖母峰 | 2015.03.01 11:44

便利さと引き換えに失うものの大きさを考えれば、目の前の便利さ、安易さに飛びつく老人たちをなげくのは当たり前のこと。多くの障害が多様な生活を実現していたこれまでの世界は、障害のない文明の到達とともに救いのない管理社会へと変わる。安易な暮らしは、生物としての人類を脆弱にする。高齢者が長くいきれば、それを支える側は、我慢を強いられて一生を終わる。物事には、本筋と枝葉末節があり、除雪が不要になって高齢者が助かるというのは枝葉末節でしかない。

投稿: るびりんぐ | 2017.07.22 19:17

るびりんぐ 様

 コメントありがとうございます。
 返信が遅れすみません。

 この記事で私が問題視したのは高桑氏による除雪システムへの「偏見」です。
 るびりんぐ様のご意見の前提として「便利さと引き換えに失うものの大きさを考えれば、」とありますが、除雪による労力の軽減が何かを「失う」ことになるとは雪国に生活する者として全く理解も想像もできません。

<<高齢者が長くいきれば、それを支える側は、我慢を強いられて一生を終わる。
私も興味がありまして、現代の日本社会において高齢者優遇の社会制度がいかに若い世代を窮地に陥れているかをテーマにした書籍で少し勉強させてもらいました。

 ただ、私も今は親の介護生活に足を踏み入れているため、我慢を強いられ一生を終わるという表現には感情的に賛同致しかねます。

<<物事には、本筋と枝葉末節があり、除雪が不要になって高齢者が助かるというのは枝葉末節でしかない。
 まだ私がデスクワークの世界で生きていた頃、豪雪地帯の除雪に関わる労力を社会学的手法で解析した経験がありますが、東北の雪国に生きる人々・高齢者にとっては、決して枝葉末節の現象ではありません。

るびりんぐ様のウェブサイトも拝読させていただきました。豪雪地帯の生活にも、ご理解賜れれば幸いです。

投稿: 聖母峰 | 2017.07.29 19:19

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