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クラウディオ・コルティ(Claudio Corti)逝く

 コルティという名前を覚えていたのは、その惨劇を記録した邦訳書名が『地獄への登攀』という強烈なものだったから、と思います。
 イタリアのクライマー、クラウディオ・コルティ(Claudio Corti)氏、2月4日に逝去。81歳でした。

Lutto nei Ragni: scomparso Claudio Corti by montagna.tv2/4

Claudiocorti_2 ←晩年のコルティ氏。
 1957年、イタリア隊(クラウディオ・コルティとステファノ・ロンギ)とドイツ隊(ギュンター・ノートドゥルフトとフランツ・マイヤー)がアイガー北壁にとりつき、イタリア隊は北壁上部で身動きがとれなくなります。
 山頂から約300mのロープを下ろすという、当時のアイガーでは画期的な手法で救助隊が到達しましたが、既にステファノ・ロンギは疲労凍死、ドイツ隊の2名は全く行方がわからなくなり、助かったのはコルティ氏のみという悲劇となります。
 この事故を巡り、生き残ったコルティ氏は行方不明になったドイツ隊の責任まで問われ、様々な批判中傷を受けることとなります。ちなみにコルティ氏批判の先鋒に立ったのは、あのハインリヒ・ハラー。

1957_2生還後、悲痛な表情でステファノ・ロンギの遺影を抱くコルティ氏。

Zeitungsbericht 救出直後のコルティ氏(当時の報道紙から)

この事故と救出、コルティ氏のその後の顛末については、ウェブサイトSwissinfoがよくまとまった記事を公開しています。

アイガー悲劇の記憶 by swissinfo.ch 07/9/22

E_2
コルティ氏の救出に関する邦訳書といえば、このジャック・オルセン著『地獄への登攀』でしょうかね。だいぶ昔高校生の頃読んだので中身は忘れてました。

 数々の悲劇を生んだアイガー北壁ですが、その苦しみは、生き残った者の人生にまでも大きな影がまとわりつくことになりました。
 コルティ氏の安らかなご冥福をお祈り致します。

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コメント

『地獄への登攀』は、今でも写真まで覚えてます。ウィンチでの救助活動が印象に残り、その後その方法を皆で研究・実践訓練したものでした。

「アイガーサンクション」の下敷きの一つになっているのは間違いないですね。

投稿: pfaelzerwein | 2010.02.07 15:54

re: pfaelzerwein様
 『地獄への登攀』ご存じでしたか。
 
<<「アイガーサンクション」の下敷きの一つになっているのは間違いないですね。

一人だけ生き残るという状況も含めて同感です。

 しかし、マエストリの例もそうですが、登山という行為の結果、一生重荷を背負っていく人生というのも、青二才の私には想像し難いものがあります。

 日本語に訳された登攀史の短い記述では汲み取れないドラマが隠されているのだろうな、と考えています。

投稿: 聖母峰 | 2010.02.07 21:06

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