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【映画】アイガー北壁

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月曜日。
冷たい雨にうたれながら、まる一日、現場仕事。
全身ずぶぬれになりながら、機械を操作する。
それが私の仕事だ。

火曜日。
現場作業を終え、着替えもそこそこにバスと電車を乗り継ぎ、仙台へ。
映画『アイガー北壁』を視た。


私は名誉欲にとらわれて、山に登ったことがある。
どうしても、なんとしてでも、その頂きに立ちたかった。

朝二人で出発し、頂きに立つことなく、夜、独りで最終キャンプにたどり着いた。

私が還ってきたことを知った仲間たちの歓声を、無線機の小さいスピーカーで聴いたとき、名誉欲に囚われていた自分が馬鹿だったということを知った。

映画のオフィシャルサイトで提灯記事を書いている有名な方々は、みな映像がリアルだという。

だが私にとっては、栄誉と名声にとらわれてアイガー山麓にテントを張る男達の心情の方が手に取るようによくわかった。

「山と純愛とはお似合いだなと、改めてそう思った。」とおっしゃる岩崎元郎大先生のコメントをぶった斬ってさしあげようと思いましたが、いままさに最期を迎えんとする主人公に語りかけるヒロインを見てなぜか思いましたね。
かくいう私の場合、暗闇の8000mのガレ場で、自分に降り積もる雪を眺めながら

「あれ、あの女の子の名前が思い出せねー」(ボンベの酸素が切れていたので低酸素状態になっていた)

「ここで死んだら、会社の女子社員ちゃんと葬式に来てくれるかなー」

と考えていた 下 心 あ り あ り だ っ た 自分のことを。

映画そのものは退屈だった。
ドイツ映画祭でとりあげられた頃から当ブログでこの映画については騒いでいたけど、だってもう絶望的な敗退劇は退屈だったんだもーん。

その「退屈」の原因は明らかだ。
少し厳しい山をやった方なら誰もが経験するだろう。
本当に厳しい場面では、時間などあっという間に飛ぶようにすぎていくことを。

だが映画は違う。
第三者として、神の視点でクライマー達の労苦を見続けることになる。
当事者であれば無我夢中ですぎていく時間が、観客の立場では延々と感じられるのだ。

高級ホテルの滞在場面と、クライマーたちのテント生活・ビバーク場面が交互に映される、陳腐な演出。
北壁からの敗退場面以後、いつまでこの残酷な殺人ショーを見せつけられるのだろう。
一度、映画館の暗闇の中で腕時計のライトを照らし、時刻を確認した。
そう感じるのは私だけではなかったようだ。
二席離れた隣の中年男性も、腕時計を一度光らせているのが見えた。

映画館を出ると、外は冷たい雨。
あいにく傘は持っていない。

主人公たち4人のクライマーは死んだが、私はリストラ寸前不良社員とはいえ、会社員としてまだ生きている。
居酒屋から聞こえる鳥羽一郎の「兄弟船」を心地よく聴きながら、帰りの電車に乗った。

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