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「キム・ジャインの兄」という存在

申さんお元気ですか。
ボルダリングW杯、キム・ジャインちゃん惜しかったですね~
日本でもキム・ジャインちゃんは人気ありますよ~

本日の記事は韓国を代表するコンペクライマー、キム・ジャインちゃんの兄、キム・ジャヒさんの物語です。

二つの極端の間に存在する、数多くの頂上が私の目標だ by 月刊人と山2010年6月号

以下記事引用開始
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K.

 2002年、韓国W杯サッカー代表チームが常勝疾走していた時、私も「赤い悪魔」になって、街頭応援に行きました。家と岩場だけ行き来していた私にとって、街頭応援は風変わりな経験でした。 あたかも別世界を見るようでした。 そのためでしょうか、突然つらい運動がしたくなくなったし、クライミングに対する疑念を抱きました。そんな考えがしばらく続き、深刻に悩んだ末にクライミングを止めることを決意しました。

 今でも思い出します。クライミングをこれ以上しないと話した日、激怒した母の顔が…。
 当時、母とはいろいろ話をしましたが、その趣旨は勉強して一等になる自信があるならばクライミングを止めろということでした。 その時私は一度に悟りました。

 私が世の中で最もうまくできること、また、最も好きなことが何なのかを・・・そして他の分野で一等になることがどれくらい大変かということも・・・

 世の中には、本当に多くの名前が存在してその意味も多様だ。 キム・ジャヒ(24才)の名前は‘ザイル+ビナ(カラビナの俗語)’の頭文字から名付けられた。山を好むご両親が名付けたのだ。
 彼は名前のとおり成長し、韓国クライミング界発展のために自分自身をより高めた。

 「こんにちは。 キム・ジャヒです。」
 ツツジが満開となって生気あふれる春の道峰山(トボンサン)登山口で挨拶を交わした。ぜい肉一つない身体だだとほめると、すぐに「軍隊やせ」ではないかと明るく笑う彼。

 軍役2年間の空白を埋めるため身体作りに入ったジャヒは、最近は外岩のクライミングにどっぷり浸かっている。 入隊前まではスポーツクライミングにだけ集中していたが、除隊後はクライミングの幅を広げることを決めたためだ。その目標になったルートが、名前からして平凡でない道峰山(トボンサン)の‘強敵クラック(5.12c)’だ。

 1988年11月、蟻山岳会のキム・ユヒョン氏がマスタースタイルで完登したこのルート、説明の必要がない韓国最高難度のクラックルートの一つだ。 まだ再登した韓国人はいないといわれる。
 20分程の短いアプローチで岩場に到着。 装備を身につけた彼がクラックをしばらく見回す。 そして上手な手さばきで指にジャミング用のテープを巻いた。

 準備を終えるとハン・ジョンヒ(29才、ノースフェイス)氏がビレイヤーとなった。力強い気合いで集中したキム・ジャヒがクラックに取り付いた。最初のムーブから侮れない。指をクラックに入れて強く捻って支持力を得た後、バランスを取って立ち上がった。

 「フフッ~!」
 うめき声を吐き出す彼のゆがんだ顔が、難易度を代弁するようだ。 しかし彼の動きは止まらなかった。あたかも幼虫が木を這い上がるように、少しずつ前に進む。みなぎる緊張感がロープを伝わってくる。しかし….

 「ウアアク~!」
 全力を尽くしてクラックに向かって手を伸ばした彼が空を舞った。だが、初めての試みに完登直前まで行ったことはすごいことだ。 ジャヒには確信があるのか、完登することができるという強い自信を表わす。 墜落はしたが登攀ムーブを全て解明したためだ。
 平らな岩に座ってしばらく休息を取ったキム・ジャヒが時間の中の記憶を引き出した。

 彼が初めてホールドを手にするきっかけは、登山が好きな父に連れられてチョ・キュボク氏が運営するクライミングジムを訪れてからだ。だが彼にとっては趣味の程度であった。
 2年後、状況は変わった。 中学生になったジャヒは京畿道支社杯に出場した兄、キム・ジャハを応援するために安養(アンヤン)総合運動場を訪れた。当時ご両親はジャヒがスポーツクライミング選手として出場することは考えていませんでした。なぜならば、スポーツクライミングがどれくらい大変なスポーツなのか、兄のジャハを通じてよく知っていたためです。
 だがその日、ご両親はうらやましそうな視線で競技を観戦したジャヒに「おまえも次の大会出てみるか?」と尋ねた。そのようにして始めたスポーツクライミングだった。

 デビュー戦は1999年のソウル市大会だった。この大会でジャヒは皆の予想を裏切って波乱を起こし、中等部2位に上がった。メディアは1位に輝いたキム・ジャハとともに「韓国スポーツクライミングの次世代ランナー」というタイトルで記事を書いた。

 「初めての大会で入賞したのも嬉しかったんですが、私が「上手くできること」に出会えた感じでした。 今考えてみれば、その時クライミングをしていなかったとすれば平凡に生きていたでしょうね。」

 以後、頂点へ向かう彼の疾走はよどみなかった。 特に2002年「アジアユース チャンピオンシップ」に優勝してから始まった彼の前進は驚くべきだった。 高校生で参加した「第2回ノースフェイスクライミング競技大会」で一般部の選手たちをはねのけて優勝する波乱を起こすと、「第85回全国体育大会」では最強者といわれたソン・サン・ウォンを抜いて金メダルに輝いた。全てのものが思いのままに実現し、成功街道を走り始めた。
  だが好事魔多しといったところか。そのようにうまくいったクライミングが2005年からは下降傾向をむかえた。 2006年には「キム・ジャヒは終わったよ!」という話がささやかれるくらいに状態は深刻だった。

 「運動量を少なくしたのでもなく、努力を怠ったのでもなかったんですが・・・私にも理由は分かりませんでした。」

 変化が必要だった。 そして考えたのが「兵役」であった。 再充電時間を設けたかったが、いつかは行かなければならない軍隊。早く行ってくるべきだ、との考えからだ。

(中略)
 光る5月の太陽が頭上にあふれている。もう終わらせなければならない時間だ。ハン・ジョンヒ氏は再びクライミングの準備をするジャヒに注意しなければならない箇所とクラック突破法を詳しく説明する。 それは「林の中で森を見ることができない」後輩のための、先輩の配慮であった。

 クラックを捉えた彼の目が光った。 完登しようという意志が顔に現れていた。 「チュルバル!(出発)」力強く彼がクラックに再び取り付いた。 序盤部の動作が滑らかにつながる。彼のクライミングは途中まで水が流れるようになめらかだった。 だが、上段部のジャミングする箇所に登り詰めたジャヒは緊張しているようだった。手が折れるほどジャミングを試みていたが力が及ばなかった。

 2番目の試みも完登直前で失敗すると、彼の何かが爆発した。感覚を高めるためにジャミング用テープを全部解き、素手で再びクラックに取り付いた。墜落すれば大きい傷を負うことは明らかだった。 だが登るという情熱が全身を取り巻いた彼の目には何も入らなかった。
 
 中間部でまた墜落したジャヒの手には鮮血が流れた。今日、これ以上のクライミングは難しく見えた。 だが、彼は最後にもう一度試みると言い、しばらく平らな岩の上で休息を取った。

「おまえはゴミだ。 妹は世界チャンピオンで、兄は国内チャンピオン、おまえは何をしていたのか?」
 
 ジャヒが空輸部隊に入隊すると、すぐに彼を調べた上官達は敏感な部分に触れた。初めには屈辱に歯ぎしりしたが、精神力を育てるためという先輩らの意図の下、彼は日が経つにつれ強くなった。 兵役期間中、クライミングはできなかったが、基礎体力と精神力を育てるために毎日10キロメートルを越える山道を走った。 それも不足だと感じれば、タイヤを後に引っ張って走った。

 すると精神が「澄んだ」。入隊前、迷っていたことが明確になったし、またやってみようという自信がわいた。

 「今度は旨くやってみよう」
 応援を背に彼が最後の試みに挑んだ。傷ついた手のためにジャミングは易しくはなかった。 そのような状況下、歯をくいしばった彼が下段部を登り切り、上段部に到達した。
 「行け! ジャヒ!」ジョンヒの叫びと同時に、彼が灼熱する太陽の下、また空中に舞った。

 「難しいですね。 悔しいですが、来週に終わらせなければならないようですね。」また出血した手を眺めながら、再挑戦の意思を表して明るく笑った。

 マザー・テレサは神聖な行為で人類を感動させた。
 マドンナは官能の偶像として大衆のスターになった。
 しかし本来私たちの視線が向かわなければならない所は、この二極端のイメージの間に存在する数多くの「頂上」なのだ。
 2年の空白を越えて再起を準備するキム・ジャヒ。彼が立ちたいところは、ある先端の終わりでなく、それぞれ違った頂上だ。それが今日クライミングを行った「強敵クラック」であるし、クライミングコンペの一位の表彰台でもある。執着を捨てた彼の明るい表情に、8年前、クライミングを止めるという分別がない息子をまたクライミングに引き戻したイ・スンヒョンさんの顔がオーバーラップされる。※

※訳者注・・・イ・スンヒョンさんはキム・ジャイン、キム・ジャハ、キム・ジャヒ三兄妹の母。大韓山岳連盟のクライミング競技の公式審判でもある。
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以上引用おわり


「おまえはゴミだ。 妹は世界チャンピオンで、兄は国内チャンピオン、おまえは何をしていたのか?」
・・・いやいや、凄い言われようですね。韓国の兵役、軍隊生活は厳しいとは聞いていますが。
以前に当ブログでキム・ジャイン三兄妹を取り上げたときはちょうど兵役の入隊直前でしたが、再びクライミングを再開したキム・ジャヒ氏の活躍を期待します。

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