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秋田市 勝月

初日から秋田の猛暑にやられっぱなし。

現場作業から帰り、宿でシャワー浴びてから近所の和菓子屋「勝月」へ突入~

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本日のチョイスは、

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笹でくるんだ季節限定「麩まんじゅう」(左)、塩大福を購入。

麩まんじゅうは、麩で餡を包んだまんじゅう。
勝月さんは「餡」が自慢だということですが・・・・
うう、どっちも私の苦手な「こし餡」でありました・・・・

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拝啓、出張の途上にて

さすらいの土木作業員、先週の盛岡に続き、今週は秋田市に滞在。
現場作業を終え、宿にチェックイン。
少し休んだ後、街を偵察。

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4車線の広い竿燈大通り、日銀もあるオフィス街ですが、時間に置き去りにされたような建物。
コンクリート造りの建物に挟まれた木造のそれは、お茶屋さんの建物でした。

まだ暑い秋田ですが、店から漂う焙じ茶の香りが良い感じ。

さらに歩くと、ビルとビルの間に小さいお社が。

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写真を撮るだけで通り過ぎるのもナニなので、参拝しようと近づいてみると、

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『昨年の招き猫をご奉納下さい。』と書かれた箱の隣に、本物の猫が寝そべってました。

猫を眺めながら、参拝。
今日も無事現場仕事が終わったことに感謝。

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壁ガール

韓国の山岳雑誌『山』より、女性二人でクライミングジムを開設した山岳部OBたちの物語です。

キム・インギョン、ムン・ジヨン氏、100坪規模のクライミングジム「マッドジム」開設 by 月刊山6月号

以下引用開始
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[話題] キム・インギョン、ムン・ジヨン氏、100坪規模のクライミングジム「マッドジム」開設
 徳星(トクソン)女子大山岳部OBがクライミングジムを作る

ソウル、衿川区(クムチョング)、禿山洞(トクサンドン)にクライミングジムが誕生した。

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「頭の中に描いた姿そのままのマッドジムが完成して、とてもうれしい」というキム・インギョン氏(後)とムン・ジヨン氏(前)

 5月13日クライマー達の祝福の中で開場したマッドジム(Mad Gym)がそれだ。 広さ303㎡(100坪)の室内空間に242㎡(約80坪)規模の人工壁が整備され、付属施設としてトレーニング室・男女シャワールーム・休憩室などが備えられている。
 このジム開設には、徳星女子大山岳部出身のキム・インギョン(35)、ムン・ジヨン(34)、徳星女子大山岳部の先輩・後輩の間柄の二人の女性クライマーが明け方から深夜12時近くまで一月間このジム開設に関わったが、構想は1年前にさかのぼる。

1年前から構想…一月間の工事で完成

 外壁工事に1枚当たり約1坪大(244×122cm)の合板170枚を用いたマッドジムの特徴は、断熱と換気のために建物の壁と70cmの空間を置いて人工壁を建設した。それぞれ40坪規模のボルダー壁と持久力向上および講習用スペースに分かれているという点だ。 5ブロックで構成されたボルダー壁は多様な角度と形の壁で構成されている。スポーツクライミングに入門したばかりの初級者用の95~110度の壁、カンテ、中級者用のルーフ、そして高水準のクライマーがトレーニングできる幅広いルーフも設けた。

 合板3枚をなめらかに連結して他の構造物を簡単に付けることができるルーフ壁はマッドジムが心血を注いだ壁だ。人工壁の床には30cm厚のマットの他に移動式の補助マットが敷かれているが、墜落の危険を考え、天井には人工ホールドは付けなかった。

 マッドジムが最も気を遣った空間は‘持久力向上および講習用スペース’だ。 95度の初級壁(4.5m),110~120度の中級壁(4.5m),145~160度の上級壁(4.5m),80~180度のルーフ(6m)で構成されたこの空間は、何より講習を目的とする。 教育中に他の会員に邪魔されないために入口も狭くさせておいた。

‘クライミングにハマった人々の人工壁(Mad for Climbing in Gymnasium)’という意味のマッドジムは韓国女性山岳会会長であるペ・ギョンミ(徳星女子大OB・アジア山岳連盟事務局長・大韓山岳連盟国際交流理事)氏が夫キム・テサム氏とともに武橋洞(ムギョドン)で運営したクライミングジムの名前だ。

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(左)マッドジム ボルダー壁. 他の人工構造物を付けられるようにルーフの作りを単純ながらも長くした。 (右)名称は大学の先輩が運営していたクライミングジムの名前をそのまま使った。

「私どもがいつも尊敬しておりましたペ・ギョンミ先輩にお願いしました。「マッドジム」の名前を使わせて下さいとお願いしたところ、快く許諾してくださいました。全国の色々なジムを直接視察してみて、また、ウェブサイトを通じて外国のクライミングジムも几帳面に調べました。 数百枚の写真をひろげて断面図と3D映像を比較しながら設計しました。 頭の中で構想した設計図面と同じクライミングジムが作られてとてもうれしいです。」

 開設を2日前に控えた真っ最中、電気工事中のマッドジムで会ったキム・インギョン氏とムン・ジヨン氏は“女二人で男たちを相手にしなければならないクライミングジム建設には苦労が多い”と話した。 ホールドを無償で提供するといってくれていた人が約束を破ったりとしたことが最もあきれたことだったし、大工をはじめとして男でさえ扱いにくい建築職人を相手にするのも非常に難しいことだった。

「多分女二人で80坪の室内にクライミングジムを作ったのは私たちが初めてでしょう。 初めには資金に合わせて60坪程度のジムを考えましたが、ある人がホールドを無償でくれるといってくれたので100坪に増やしたのです。 ところが突然申し訳ないという言葉もなしに約束を破られたせいで、あきれたし坪数を減らすか悩みもしました。 ところが‘金に悩まず堂々と進めなさい’と助けてくださる方々が周辺にたくさんおられました。儲かったら返してくれればよいとのことでした。設計から看板、電気工事に至るまで多くの部分を中東(チュンドン)高校OBの先輩らが助けてくださいました。 大韓山岳連盟イ・インジョン会長は「徳星女子大出身生は本当に過激だね」としながら封筒を渡したりもされましたし。 そのような良い先輩らのおかげで岩漿工事をしながら希望という言葉が頭の中にいつも浮び上がりました。」

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「マッドジムを最高のトレーニング場に作る」と抱負を語るキム・インギョン氏(右)とムン・ジヨン氏(左)

 キム・インギョン氏は女性クライマーとしては高齢といえる30代半ばで10代、20代の後輩らと技量を競い昨年アジアンチャンピオンシップで総合3位を占めたことがある。 当時「総合5位が目標だったので本当にトップに躍り出たような気持ちだった」というキム・インギョン氏は20代後半にスポーツクライミングに入門する前まではヒマラヤ高山登攀の夢を育んできた。 その夢が1997年大学山岳連盟ガッシャブルム2峰遠征で実現するかと思われたが、そこでは死の恐怖を体験しなければならなかった。

「クレバスを踏み抜いて15mも落ちましたが、運良くひっかかりました。ところで気がついてみるとだんだんずり落ちていくんです。生きのびなきゃと考えて壁をつかもうとしましたが、なめらかな氷壁が手でつかめるわけありません。爪でずっとひっかくばかりだったんですよ。 救助されるまで五時間はかかりましたか。日中転落して、真夜中に脱出できたからです。クレバスから抜け出した瞬間、そのまま失神しました。 疲れきっていたんでしょう。」

 そんなにすさまじい状況を体験したのに6年後の2003年、また再び高所登山に挑戦した。 今度は北米最高峰マッキンリーであった。 その登攀では、暴風雪のために撤収している間に後輩隊員が事故に遭い、登頂の夢は成し遂げられなかった。 帰国後キム・インギョン氏はスポーツクライミングに熱中した。 遠征トレーニングの一環として、平衡感覚を育てるために試みた人工壁でのクライミングに魅力を感じたためだ。

「本当に昼夜別なく狂ったように運動しました。 ネルソンスポーツに勤めていた時は夜明けに二時間ずつウェートトレーニングをして退社後夕方8時からジムが閉まる時まで運動をしました。 そこに飽き足りなくて会社を辞めておよそ1年間最初からスポーツクライミングだけに専念したんです。」

 キム・インギョンは学問に対する情熱も高く、大学専攻(会計学)と関係がない社会体育学を勉強するために延世大学社会体育学課に学士編入し、昨年は韓国体育大学で‘アルパインポールの使用が下肢モーメントに及ぼす影響’という論文で修士学位を受けることができた。
 キム・インギョンは体系的な訓練を通じて自分に足りない部分を補い、粘り強いクライミングコンペ参加を通じて自分の欠点を把握して訓練を重ね克服してきた現役スポーツクライマーでもある一方、スポーツクライミングの指導者としても活発に活動してきた。 コーロン登山学校実技講師、韓国登山支援センター諮問委員、大学山岳連盟スポーツクライミング委員、登山アカデミー代表講師などで活動しているキム・インギョン氏は慶煕(キョンヒ)大でスポーツクライミング講義を受け持っていて、時々高麗(コリョ)大でも講義する。

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快適な環境のシャワールーム内部. (右)80人が利用できるロッカー

 キム・インギョン氏は“人々に教え、彼らを通じてフィードバックを得て、また高年齢の方々が熱心に訓練する姿を見ながら生き方を学ぶ”として“教育を天職だと考える”と話した。 後輩で‘同僚’にしたムン・ジヨン氏は、マッドジムで運営と管理を主な業務とするが、教育に対する情熱はひけをとらない。 大学で数学を専攻して最近まで数学講師として生活してきたムン氏は大学2学年の時、山岳部を止めた後はハイキングだけ楽しんできた。

 そうするうちに先輩キム・インギョン氏が韓国体育大学大学院に通いながら、ムン氏はクライミングに興味を持った。当時、韓国体育大まで通おうとすればとても遠いため悩んでいる間、数学講師として生活している後輩ムン・ジヨン氏が学校近くに住むという事実にハッと思い浮かんだ。キム・インギョン氏がムン・ジヨン氏に掲げた条件が「居候として暮らす代わりにスポーツクライミングを教える」とのことだった。

 「数学の問題を解いて死ぬのが夢」と話す程に数学が好きだというムン・ジヨン氏は懸垂一つまともにできない体力だった。 だが、やればやるほど面白味が出てきた。 クライミングがあたかもパズル ゲームをする感じだったのだ。クライミングジムでムーブの課題が解けないで家に帰ってくると、天井にホールドを書いてイメージクライミングしたりした。 そのようにますますクライミングにハマる頃、キム・インギョン氏はまた他の提案を出した。 それがマッドジムだった。

 二人はそれぞれ違った分野でジムを運営する計画だ。 ムン・ジヨン氏が運営と管理の責任者、キム・インギョン氏は講習と広報を担当する。1週間に1回ずつ、運動を通じて体脂肪量を確認して能力をチェックした後に次の課題を提示する‘運動処方班’、1週間に2回ずつ運動を通じてストレッチング能力を向上させ腹部・臀部・下肢・脊椎起立筋で成り立ったパワーゾーンを強化させる‘ストレッチング・パワークライミング班’、クライミングに必要な筋力を鍛練させる‘体力トレーニング班’等の教育プログラムも作った。

最高のスポーツクライミング教育場を作るのが夢

 ソウルだけでなく安養(アンヤン)・水原(スウォン)・仁川(インチョン)からアプローチがやさしい電車1号線禿山(トクサン)駅から3分の距離に位置して多くの人が利用すると期待しているキム・インギョン氏とムン・ジヨン氏は「将来的にはプログラムもより一層多様に開発して、一般人のためのダイエット班、幼児班、中高校生のための特別活動班も作るつもり」としながら“マッドジムが最高の教育場にするのが最初の夢ならば、2号店、3号店と拡げるのが二番目の夢”と明らかにした。

 「スポーツクライミングをする青少年らがますます増える傾向です。 ところが全員が選手として成功するわけでは
ありません。全員が良い成績をおさめて大学に進学できるわけではありません。熱心にスポーツに励んできた後輩たちに働き口を与えたいんです。 自身が積み重ねたノウハウを土台に、マッドジムでトレーナーとして活動しますよ。」
 キム・インギョン氏は「すべてのことを生産的に考えて前進するのが、私どもを助けてくださった先輩方に報いる方法だと考えています」と覚悟を固めた。
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以上引用おわり

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banff mountain film festival in 朝日町

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山形県朝日町で開催されたバンフマウンテンフィルムフェスに行く。
(画像は会場間もない時間帯の様子。上映時は沢山の観衆が集まってました)
特別プログラムということで、上映された映画は旧作ぞろいだが、良い時間を過ごせました。

野外上映というものは初めてだったのですが、芝生に寝っ転がってクライマーどもがフォールする姿を眺めていられるなんてああ愉快愉快。

上映プログラム
・Ain't Got No Friends on a Powder Day
・Africa Revolutions tour
・Trial & Error
・Signatures
・The Sharp End(完全版)

地元朝日町のフツーのおじさんおばさん達も多数見に来ており、Africa Revolutions tourのハードなカヤックシーンやシャープエンドのクライミングの画像に度肝を抜かれていたようでした。
こういう映画が地方都市で上映されるのはいいですね。
個人的にはシャープエンドのエルベの砂岩のクライミングがとても印象に残りました。

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大韓山岳連盟、オ・ウンソン女史によるカンチ峰登頂の認定は困難と発表

 8月26日午後、大韓山岳連盟が女性初8000m14座登頂を果たしたとされるオ・ウンソン女史のカンチェンジュンガ登頂の事実認定は困難と発表。
 googleニュースの韓国版を閲覧すると、トップニュースで出てますね。もはや国民的なスキャンダルになっています。
 これは大韓国山岳連盟がカンチェンジュンガ峰登頂経験者6名と共に検討された結果だそうです。
 6名とは、
 オムホンギル(2000年登頂、8000m峰14座登頂)
 パク・ヨンソク(1999年登頂、8000m峰14座登頂)
 ハン・ワンヨン(2002年登頂、8000m峰14座登頂)
 キム・ウンシク(2001年登頂)
 キム・ジェス(2009年登頂、故ゴー・ミスンのクライミングパートナー)
 キム・チャンホ(2010年登頂)

 彼ら韓国を代表する高所クライマー6名と、キム・ジェボン山岳連盟専務取締役が参加し、『疑惑検証会議』を開き、このような声明を出したもの。

 ちょいと今現在出張先にてリンク先は記載しませんが、韓国の多数のメディアが報じています。
 連合ニュースのウェブサイトでは日本語版で読めますね。
 この大韓山岳連盟の声明に対し、オ・ウンソン女史はあくまで対向する姿勢を見せている模様。

 なんの拘束力も持たないとはいえ、大韓山岳連盟がこうした声明を出すに至って、オ・ウンソン女史のカンチ登頂疑惑問題はますます混迷するでしょうね。
 当ブログでは以前の記事でも主張しましたが、そもそも登頂したという事実証明を他者(シェルパ)にゆだねなければならなかった点にオ・ウンソン女史の責任が求められるでしょう。

 こういった話題とは別に、韓国隊の今夏の成果から目立つ話題を二つ。

 前述の検証会議に参加したキム・チャンホ氏は7月10日、釜山ダイナミック希望遠征隊メンバーとしてナンガ・パルバートのディアミール側から登頂。R・メスナーに続き世界で二人目のナンガ峰の南北両面の登頂者となる。

 先年、GIRIGIRI BOYS隊と同時期にスパンティーク峰を登攀したK2エクストリーム隊(キム・ヒョンイル隊長)は未踏のガッシャブルム5峰に最も困難と目される西壁から挑んだが、7月9日に6550mに到達、落氷やスノーシャワーなど厳しい壁のコンディションから断念を決定、退却した。 

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丸藤の黒糖餅

明日はタイトなスケジュールで土木作業のため、前夜に甘いモノでエネルギー補充。

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盛岡の丸藤の「黒糖餅」。
パッケージには「龍泉洞の水100%使用」とあり、裏の原材料欄にも「龍泉洞の水」としつこく(笑)書いてある。
龍泉洞の水って硬度が硬い(わずかに渋い)記憶があったんだけどな・・・

餅と名前がついてますが、黒糖を寒天で固めた和菓子。
食べてみると黒糖の味そのままに、水羊羹よりも寒天を硬く仕上げています。
画像には写りませんでしたが、パッケージ裏にはきなこがたっぷり入った小袋が付いてます。

今更ですが、黒砂糖にきなこ、という黄金コンビを考えた昔の日本人は偉い。

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盛岡市 NIRVANA(ニルヴァーナ)

さすらいの土木作業員、本日は盛岡へ。
相方と夕食は盛岡市のネパール・インド料理店NIRVANA(ニルヴァーナ)へ。

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ククリラムやチキンモモがメニューにあったりなかなか魅力的な内容でしたが、明日は激務のため、オーソドックスにダルカリとナン。
ここのナンはいろいろ種類があるが、バターナン。バターの香りがぷんぷん。
カレーは辛口を頼む。
辛口といいつつマイルドな辛さのインド料理店が多い中、この店の辛口はホントに辛口でした。

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本日をもちまして、パタゴニア日本支社を「カルト企業」と表記するのは止めにします。

Bks 映画『ザ・コーヴ』をみる前に、扶桑社刊 佐々木正明著『シー・シェパードの正体』を熟読。シー・シェパードならびにリーダーのポール・ワトソン、ならびに環境テロの現状と背景、そして映画『ザ・コーヴ』の背景を知る。

 この本には、私が当ブログでかつて話題にしたアウトドアメーカー「パタゴニア」によるシー・シェパード支援についても書かれている。

 『日本ではSSのスポンサー企業ということだけで不買運動が繰り広げられる。情報が錯綜し、間違った事実が一人歩きしている場合もある。(中略)
 日本企業がSSに寄付していたという情報は今のところない。』
として、本社・他国の支社がSSに寄付していたことにより日本支社が影響を受けていることを述べている。

 もっとも、アメリカの本社パタゴニアがシー・シェパードに対し計14000ドル助成したことは事実である。

 私はこの記事のタイトルに書名ではなく「パタゴニア日本支社を「カルト企業」と表記するのは止めにします」と書いた。
 もちろん、私、日本山岳ガイド協会ガイド大滝勝がパタゴニア社の製品を一切使用しないということに変わりはない。念のため書いておくが、私もかつてはパタゴニア社製品を使用しておりその快適さは知っている。

 『シー・シェパードの正体』を読み終え、環境テロリストに関する問題は文化の相違などとひとくくりにできない複雑な問題と感じた。
 どこぞの性格悪そうな雪氷学会員のブログと異なり論理を組み立てるのは苦手なもんで感情論しか書けないのだが、パタゴニア社をカルト呼ばわりしたところで、そこで私は思考停止してしまう。(もっとも、同書ではシー・シェパードのリーダーのポール・ワトソンをカルト扱いしているのだが)そのため、カルト企業と呼称するのは止めてみる。

 シー・シェパード、さらには犯罪者集団グリーンピース、そしてはっきり書いておくが日本熊森協会など、環境を名乗る過激な団体に関して従来の思考では打開策は見いだすことが出来ないだろう。

 なおカルト企業と呼称するのを止めたとはいえ、パタゴニア社ならびに日本支社への胡散臭さは変わらない。
 得意気にウェブサイトにパタゴニア社からスポンサードされていることを示しているガイド氏やパタゴニア製品の優秀性をうたう「山岳ライター氏」もおられるが、 無 知 蒙 昧 の 彼らに罪はない。
 
 環境テロリストとそれを取り巻く人々を描いたこの本、さらに別の面からみれば、反ダムに取り憑かれた人々とその周辺の事情を連想させる内容であった。
 環境問題で人が向き合わなければならないのは、自然や環境そのものではない。
 人間なのだということを教えてくれる本である。

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【映画】ザ・コーヴをみた。

※この記事にはネタバレが含まれます。

Co 明日から東日本巡業の旅が始まるのだが、家庭団欒は放り投げて映画『The Cove』をみた。

この映画に関する公開前からの様々な話題・騒動については省略する。

映画は、アメリカのTV映画『わんぱくフリッパー』の調教師だったリック・オバリーを中心に、海洋保全協会(Oceanic Preservation Society, OPS)なる団体の設立者でこの映画監督のルイ・シホヨス、各方面から集められた映画作成スタッフの動向、そして話題を呼んだ「盗撮」による映像で構成されている。

 私は政治志向としては保守的なスタンスにあり、環境保護の仮面を被った犯罪者集団グリーンピースやシーシェパード等の環境テロリストには批判的な考えを持つ。
 公開前からの「公開反対」という論調は全く理解できなかった。
 まず映画を見てみたい。議論と思考はそこから始まる。

 とはいえ、性格悪そうな雪氷学会員が書いているsnowなんとかいうブログと異なり、私は理路整然とした論理を記述する能力は欠落しているので、感情の赴くまま感想を書きたい。

 もう各所で語り尽くされている論調ではあるが、ドキュメンタリーの仮面を被ったプロパガンダである。
 皮肉なことに私はシーシェパードの「教祖」ポール・ワトソンと全く同様に、

『人間社会においてメディアに客観的報道など存在しない』
(※扶桑社刊『シー・シェパードの正体』より引用)

 と考えている。

 劇中、撮影隊に参加したフリーダイバーの女性がイルカ漁の現場を目の当たりにして涙ぐむ場面がある。そこで地元、太地町の漁師達の談笑の笑い声が強調される、巧妙な演出が加えられていることに気が付いた。
 日本のIWC代表、水産庁担当者が画面に現れるとコミカルな音楽が流れる。
 万事、そんな演出がなされている。
 もっとも、そんな映画手法に関することは本質的なことではない。

 映画を見終わり思ったこと。
 撮影隊は長い時間をかけて地元漁協のパトロール体制を下調べし、偵察を繰り返し、盗撮を敢行する。
 その手間の十分の一でも、イルカ漁にたずさわる人間へのインタビューに時間と手間をさけなかったのか?なぜ彼らはイルカにばかり目を向けて「人」を理解しようとしないのか?

 その答えは別エントリーで書くが、扶桑社刊『シー・シェパードの正体』に書いてある。
 結局、この映画に関わる人たちはイルカの声は聴けても、黄色いサルどもの声など聴く耳もたないということだろう。

 映画のクライマックス、「入り江」はイルカ漁で流された血で真っ赤に染まった海が幾度も映し出される。
 ヒーローをもり立てるBGMと共に、太地町のイルカ漁で鮮血に染まった海の映像を映し出している液晶モニターを身体に付けたリック・オバリーがIWC総会会場に乗り込み、英雄的な姿としてスクリーンに映し出される。

 事実誤認・詐称のツッコミどころはあれど、巧いプロパガンダ映画である。
 本日の私の目的は二つ。
 映画を見ること。
 もう一つはエンドロールを見ること。
 この映画の協賛企業、イコール環境テロリスト支援企業の名を知りたかったが、残念ながらエンドロールに流れていた(私が確認できた)のはほとんどが個人名または研究機関名であった。

 劇中、日本人への該当インタビュー場面があり、
 一般市民の回答「イルカ漁なんて知りません」
 ↓
 日本政府の隠蔽だ
 というお笑いな論理をリック・オバリーらは展開するわけだが、日本人の大部分が知らないのに「伝統・文化」といわれても困る、とは勝手に困ってろよ右翼の鈴木邦男。広く知られていない伝統・文化なんて日本にも海外にも、それこそ無数にあるはずなんですが。

 この映画は、あの鮮血に染まった海の場面が全てである。
 もしイルカの屠殺が牛のように電気ショックで行われるものであるならば、この映画は成り立たなかっただろう。
 この映画をみて「やはりイルカ漁は残虐だ、止めるべきだ」と思われた脳味噌が7月の飯豊連峰なみにお花畑な方々には、ぜひともドイツ映画『いのちの食べかた』をご覧になることを 強 く おすすめする。

 その他、この映画の問題点についてはウィキペディアでもご覧下さい。
 所詮はバカに付ける薬は無い毛唐どものプロパガンダ映画ですから、うそ・おおげさ・まぎらわしいは別に珍しくもないでしょう。

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季節の移ろいは、

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スーパーマーケットから、やって来る。

山形は今日も、暑い日でした。


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車窓の世界から

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かねてからの子供達の要望に応え、家族で山形新幹線に乗る。
山形~さくらんぼ東根を往復する、約20分程度のぷち新幹線トリップ。

以前は(今も)カネが無くて入場券で停車中の始発新幹線に乗り込み、自由席に息子を座らせて喜ばせていた(笑)

山形新幹線は山形盆地を北上。
車窓を眺めた息子が一言、
「たんぼがいっぱい。」

いつもの自動車とは違う風景は、子供達の記憶に残ってくれるだろうか。

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『僕は常にクライミングしていたい』

21日、土曜夜、金と色欲渦巻く大都会・仙台へ。
THE NORTH FACE 仙台店で開催される『athlete talk series』に参加。
講演者はGIRI GIRI BOYSの佐藤 裕介氏。

Imgp1353m講演冒頭の佐藤祐介氏

講演はスパンティーク北西壁とラトック1峰遠征について紹介された。
講演の概要は下記のとおり
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2009年スパンティーク北西壁について

 スパンティーク峰には特別な思い入れがあった。
 11年前、19歳の時にカラコルムに遠征、遠征自体は失敗に終わったが良い経験となった。それは間近でスパンティーク北西壁を見ることができたこと。

 19歳、冬山を始めて2年目、(スパンティーク北西壁のような)格好良くて大きな壁をシンプルに登りたいと思った。
 以来、自分のやりたいことを積み重ねてきた。その折々に北西壁が思い浮かんだ。

 メンバーは一村、佐藤、天野。
 隊荷はハイエース一台分。最終の村から雇ったポーターは20名位。
 
 高所順応中、大規模な雪崩に遭う。佐藤・天野は50m程流され一村は200~300m流された。
 雪崩に巻き込まれ膝を捻った。今まで骨折など大きな怪我の経験が無かったが深刻な痛みだったので登攀断念も考えた。帰国後の診断では内部の靱帯が断裂していた。
 (セラックの崩壊による雪煙がベースキャンプを襲う様子を動画で紹介)

 膝も良くなったので順応活動は再開。
 食糧は乾燥食中心、行動食はパワージェル、NatureValley中心。一日1000kcalで計算。
 持って行く装備は全て計量(バネばかりで計測している画像紹介)50g単位で3人で装備を分けた。
 ザックの重さは12kg。日々蓄積する疲労で、登攀後半はユマーリングはかなりハードだった。

Imgp1354m
「この中でアルパインクライミングの経験ある方、手を挙げて下さい?」と聴衆の登山経験を確認してから、登攀具の説明を行う佐藤氏

 当初予定のラインはセラック崩壊のため断念、北西壁初登ルートをトライ。ヘッドウォール基部まで8時間、一気に1000m稼いだ。岩質は大理石で見た目より節理が少ない。
 夜8時過ぎ、ビバーク体制に入り、腰掛けてのオープンビバーク。行動終了は22時、水作りから食事を終え、就寝は午前2時頃。気温はマイナス10℃位でシュラフに入らず一泊。なおツェルトは底がジッパーで開け閉めできるよう改造してある。

 翌日はひどいスノーシャワーに悩まされながらの登攀。(スノーシャワーの様子を動画で紹介)
 天候が悪化して敗退を話し合ったが、晴れたような気がして続行。幸運にも夕方は天候回復、テントも張ることができた。
 2晩め、夜中3時まで行動、あと2pで頂上台地かなというところでビバーク。明るくなるまで休もうという程度。
 意識朦朧の中で水を作っていたところコンロを落としてしまった。第一に考えなくてはならないのはベースに戻ること。壁を下降するのはもはや不可能なので頂上台地に到達したら頂上には行かずに下降しようと話した。

 頂上台地に付くと非常になだらかで、他の二人は登る気満々なので頂上へ。2、3分しか頂上には滞在しなかった。ここから気を引き締めて再スタートという感じで下降した。
 帰路ホワイトアウトとなり6900m地点でビバーク。100円ライターで水作りに挑んだが、5分くらいでライターが壊れていく。結局できたオチョコ2杯位の水で口を潤した。
 いろいろなミスがあったが、思い出深い登攀となった。

 自分が求めるものは単なる山頂ではない。
 何m登ったから良し、ではない。
 クライミングの過程が大事。
 良いクライミングをして帰ってくること。スパンティークは僕にとっていい山だった。それで目標達成というわけではない。日々登っていくこと。毎年遠征をしていくこと。それも僕にとっては「過程」の一つ。
 そこからラトックという山に発展した。


ラトック1峰遠征について
 写真や他の隊の記録をみて調べ、遠征ではスコープを使って壁を観察。
 最初に北壁をトライした。
 北壁の基部に到達し、北壁をみた第一印象は「かなり怖い壁だ」と思った。北壁なのに日が当たり落氷・落石が多い。常に落氷に襲われた。
 90度近いアイスクライミングで常に変な音(セラック崩壊など)を聞きながら気が休まらない。初日に18p、20時間以上行動したところでロープ1本を落としてしまい、ここからさらに困難な壁が続くため敗退となった。

 ベースで氷河用の古いロープを補充し再挑戦を計画。
 ベースでレスト中は氷河でボルダリングに興じた。このボルダーがとても楽しめた。
 16日間天候待ち、計画自体に無理があり食糧が不足、キッチンボーイに麓の村まで調達に行かせ食糧調達、北稜めざして再出発。
 自分たちは危険を求めているわけではない。登っているのが楽しい。
 北稜も落氷が非常に多く、稜線に出てみるとキノコ雪のナイフリッジ。支点が得られず100m以上続いているため敗退を決定した。
 登れると思って行っているわけではない。
 登れるかもしれない、と考えて行っているが、「敗退もクライマーを成長させるためにいい経験なんだろうな」と思った。

使用ギアについて
 ノースフェイスのアドバイザーをしている。
 (アドバイスして開発してもらった)胸まで覆うビブ。日本でもラッセルの多い時に重宝している。
 ジャケットのフードは大きめにしてもらい、ヘルメットの上から被れるようにしている。
 フリースのツナギを作ってもらった。

参加者との質疑応答
 Q.次に狙っている山、ルートはどこでしょうか?
 A.来年またパキスタンに行きたい。ウルタルを考えています。
 Q.日頃から行っているトレーニングは何ですか?
 A.特別なトレーニングはしていない。無雪期は仕事後、週2~3回はジムでクライミング。ランニングもやります。アルパインクライミングの場合、長時間、何日にもわたって行動することが特徴。冬季は土日は毎週冬山でクライミング。アラスカやヒマラヤに行って突然長時間の行動ができるわけではない。日本国内の登山でもそのくらいの行動時間で動く。一番長い時で28時間行動した。
 Q.お話の中で他の隊の話を聞くなどありましたが、登る山を決める時など普段読んでいる山岳雑誌、メディアがありましたらご紹介ください。
 A.不勉強でして、特に資料集めや過去の記録をたどったりなどはあまりしていません。ラトックでは一村・横山
の話を聞いていた。毎号読んでいるのはALPINIST誌。写真をよく見ています。
 
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講演後、司会の方から今後の展望をと言われて佐藤氏は開口一番、
「明日は安達太良山にボルダリングに行きます。」
と発言、会場の笑いを誘っていた。その後佐藤氏は

『僕は常にクライミングしていたい』

とおっしゃってました。佐藤氏の生き方・登山を表現する一言でしょう。
講演者の佐藤祐介氏、企画運営されたTHE NORTH FACE 仙台店スタッフの皆様に感謝申し上げます。

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読書

ロシアの某クライミングサイトに、ロシア北方・コラ半島のビッグウォールに挑んだペアの記録が掲載されてました。

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おおっ!大岩壁ですなあ。怖い怖い。

P2
これは掲示板に投稿されていた冬季登攀の画像ですが、右側のクラックに半端に打ち込まれたロシア版イボイノシシ『ニンジン』がハードなクライミングを思わせますな。

で、ビバークの様子ですが↓


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

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私が人生を知ったのは、人と接したからではなく、本と接したからである。 by アナトール・フランス

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The Expedition Day

当ブログをご覧の方ならおそらく既にご存じではありましょうが、東京にて次の催しが開催されます。

The Expedition Day

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The Expedition Day~エッジなクライマー+山岳スキーヤーによるトークライブ
「なぜあなたはextremeにチャレンジするのか」

みなさんは、extreme(エキストリーム)な世界にチャレンジし続けている人たちを知っていますか。
きっとどの世界にもそのようにエッジを行く人たちはいるはずです。
山の世界にもいます。
しかも、近年、世界的に大きな注目をされているエキストリーマーが、日本の山の世界には何人もいるのです。

過酷な自然環境のなかでリスクテイクしながらもなぜ彼らはextremeな世界にチャレンジし続けるのでしょうか。
9/11には、とびきりのクライマー、山岳スキーヤー、アドベンチャーレーサーなどが、集合します。
そして、extremeな世界にチャレンジし続けるそのモチベーションを語ってもらいます。

ぜひ多くの方々のご参加をお待ちしています。

【日時】
2010年9月11日(土曜日) 13:30~17:00

【場所】
国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区代々木神園町3-1)

【主催】
(社)日本山岳協会、(社)日本山岳会、毎日新聞社

【出演】
平出和也(クライマー)、谷口けい(クライマー)、佐々木大輔(山岳ガイド、ビッグマウンテンスキーヤー)、佐藤佳幸(映像カメラマン、アドベンチャーレーサー、山岳スキー競技選手)、
間瀬ちがや(トレイルランナー、山岳スキー競技選手)、中嶋徹(クライマー)
*出演者のプロフィールなど詳細は、今後アップするブログをご参照ください。

【会費】
500円(資料代・当日集金・おつりなきようお願いいたします)

【内容】
「なぜあなたはextremeにチャレンジするのか」をテーマに各出演者からのスライドや動画を使いながらこれまでの活動内容を話してもらい、その後、全出演者で座談会を行います。

【申し込み方法】
1)ハガキ 〒100-0003千代田区一ツ橋1-1-1毎日企画サービス「The Expedition Day」
2)Fax 03-3212-0405
3)インターネット (The Expedition Dayブログをご参考下さい)
上記のいずれかに、①お名前(ふりがな)②郵便番号③住所④電話番号⑤年齢⑥職業⑦参加人数⑧当日参加者に聞きたいこと(あれば)を明記のうえお申込みください。

【問い合わせ先】
1)参加に関する問い合わせ
毎日企画サービス「The Expedition Day」係 電話03-3212-2271

2)雑誌記載、取材など内容、出演者への質問に関する問い合わせ
The Expedition Day実行委員(柏 澄子) theexpeditionday@gmail.com 

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その他、詳細は The Expedition Day ブログをご参照下さい。

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無許可登山はいかんよ 【「対立の山」8/20改題および修正】

トルコ領内に位置するアララト山(標高5137m)。
「ノアの箱船」伝説で知られる山ですが、この山に登ったグループを巡ってトルコ・アルメニア両国のメディアで問題になっています。

Turks threaten to kill Armenian climbers on Ararat by NEWS.am2010.8.10
(トルコ人、アララト山のアルメニア人登山者を殺すと脅迫)

Ararat
アララト山頂上に立つチーム「Ararat11」の面々。
左がアルメニア国旗、右がナゴルノ・カラバフ国旗。
ナゴルノ・カラバフはもともとアゼルバイジャンの自治州でしたが、多数のアルメニア人が居住しています。

アララト山はトルコ領内に位置していますが、もともとはアルメニア人が多く居住していた地域で、隣接するアルメニア国民にとっても「心の山」となっています。

 歴史に詳しい方ならご存じかも知れませんが、20世紀初頭、オスマン・トルコがアルメニア人に対して加えた迫害・虐殺事件(トルコ側は公式には否定)がアルメニア人にとっての大問題として苦い記憶となっています。現実は苦い記憶どころではなく、この虐殺を発端に民族系テロ組織が幾つか誕生し、近年までトルコ政府の要人・外交官に対する暗殺・テロが起きていました。

 この問題の発端となった「Ararat11」は、アメリカ、カナダに住むアルメニア人グループです。
 トルコのメディアも検索してみましたが、トルコ側の報道では彼らが無許可登山であることを問題視しています。
 前述のリンク記事はアルメニア系メディアですが、アララト山山麓のAgri村の住人Mehmet Eratのコメントとして、事実関係を確認していないが、アルメニア人の二つの国の旗がアララト山頂上に立てられたことが発覚したならば、住人達が登山者を「山に埋めるだろう」と語っています。

 この件に関しては、アルメニア系のメディアに扇情的な記事が目立ちますが、トルコ・アルメニア間の感情対立が山頂に旗を立てるという行為を通じて浮き彫りになった出来事でしょう。

 英字メディアでは最近、パレスチナとイスラエルのクライマーが共にモンブランに登り、平和運動の象徴として取り上げられていましたが、現実にはアララト山のような例が存在する訳です。ま、中には「FREE TIBET」なんて旗上げられたらどうしよう、とばかりに山自体をシャットアウトする中華人民凶悪国みたいな例もあるわけですが。

8月。
日本では「戦争」「平和」とマスゴミと市民平和団体(笑)の皆さんがお元気な季節。
平和あっての登山と言う人は多いですが、その登山が民族対立の火種になっているという現実を、へーわな登山者の皆様はいかがお考えなんでしょうか。
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【追記】
 当ブログをご覧になった方からメールを頂戴いたしました。
 トルコ在住の経験を持つ方で、トルコ人のご友人にも確認していただいたとのこと。
 同国メディアでは今回のアルメニア系登山者に対する避難は無許可登山に対するものであり、トルコ当局は「登山者が記念写真を撮り、踊ったり歌を歌い、旗を立てたことを主に捜査したらしい」とのことです。
 またトルコのメディアにおいても、「旗を立てることはどの登山家も行うことで、旗を立てたからといって国を征服されたわけではない」としてトルコ国内でも議論になっているとのこと。
 長年テロやクルド問題を抱えているトルコで無許可登山に対して脅迫的な言葉が出たとは考えにくい、アルメニアのメディアが扇情的に騒ぎ立てているのでは、というご感想を頂戴いたしました。

 この件に関しては私も幾つかのメディアを検索しましたが、アルメニア系メディアがえらく「脅された」「脅迫された」と報道しているのに対し、トルコ側の報道では「無許可登山」が問題になっています。
 というわけで、当初のタイトル「対立の山」から「無許可登山はいかんよ」に改題し、内容も修正を加えました。

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5cmの向う岸

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会場のシャンデリアは眩しかった。
本日は中学校の同窓会。
今は下っ端土木作業員の私、中学時代は生徒会長などという身の程知らずの役職についていたため、一億万年経過した今でも会長職がまとわりついてくる。
開会の会長挨拶を終えた頃には、盆休みの疲れだろうか、ビール少し飲んでかなり酔った。

宴会もあと30分で終わろうとする頃、尿意を催してトイレに。
トイレでは、本当の同窓会発起人の実力者K君と連れションする。
しばらくお互い無言の後、K君が口を開く。

K君「しゃべってきた?」
私「いや。」
K「行ってきたほういいよー。」
私「60歳の同窓会に持ち越すはー。」

同窓会の打ち合わせを毎月一回、市内の飲み屋で行っていたのだが、毎回話題になるのは、「誰がどの女の子好きだったか」という話題。
前述の会話は、「おめ昔好きだった女の子と話ししてきたのかよ」の省略形である。

会場に戻り、ふと彼女のテーブルに目をむけるが、なにやら旧友の皆様と談笑中。
ブラックダイアモンドのマイクロストッパー#1並に小さい心臓の持ち主である私は、幹事席におとなしく座る。

時間。
中締めで会はおひらきとなり、私たち幹事は恩師の先生方のお見送り、会場の後かたづけなど手掛ける。
他の旧友と話を終え、会場外の様子を見ようと振り向いたトコに、彼女の姿。
わざわざお声掛けに来てくれたらしい。
「おつかれさまでしたー」
ほんの二言三言、お互いの今の境遇を語る。

今も昔も、彼女の方が背が高い。
ユーミンの歌と違い、10cmほど違うのだが。

お互い養うべき家庭を持ち、大変そうなのは変わらないみたい。
同窓会の精算を見届け、二次会には出ず、幹事数名で某有名中華料理屋で腹を満たし、素直に家に帰る。

君がいた夏は遠い夢の中
※筆者はホワイトベリーよりもJITTERIN'JINN好き。

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自宅の玄関の灯火に、現実へ。
いや、自分の前には現実しかありえない。
楽しかったひとときも、彼女の笑顔もちょいと封印。
明日から日常の現場仕事の日々に戻ります。

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アルファ米

韓国でお世話になっている方からアルファ米購入代行の依頼がきた。
そういえば、私が尊敬する某女性登山家も、韓国訪問の際に日本からの土産は何がいいかと聞いたところ、韓国の方からアルファ米を依頼されたとブログに書いてあった。今や世界各国に遠征隊を出している韓国の登山界であるが、「米」に関してはアルファ米のような高所で調理できるものは無いらしい。

 ちなみに依頼を受けたアルファ米、8000m2座連続登山に挑む登山隊で用いるというので、それなりのまとまった量。
 お世話になった方は既にアルファ米の割引販売をしている日本のウェブサイトを見つけており、私は注文・発送するだけなのだが、8000m峰2座分の登山活動で用いる量である。
 その方が8月上旬、北アルプス遠征目的で数日間にわたり日本に滞在するため、その日程に合わせ滞在先のホテルに販売店から発送してもらうよう発注。量が量だが時間も無いため、在庫確認する前に一か八かで発注をかけ代金を立て替えて送金、アルファ米の発送先を指示。
 後日、在庫はOK、商品到着日もOKの確認がとれたため、販売店から荷物を発送する旨のFAX、そして荷物が到着したかの確認TELをホテル宛、ぬかりなく行う。

 後日、韓国でお世話になっている方から携帯にTEL。ちょうど北アルプス山行を終え、名古屋方面に下山されたところであった。
 8月上旬の猛暑日、北アルプス方面は雷の心配をしていたのだが、話では大変な好天に恵まれ、北穂小屋から富士山が見えました、と大変喜ばれておられた。喜びの声の様子から安堵する。肝心のアルファ米も無事受け取り完了。まずは、登山隊の成功をお祈りしたい。

Korea8000
大韓山岳連盟 京畿道山岳連盟チョー・オユー&シシャパンマ登山隊壮行式パンフレット
シシャパンマは南西壁からの計画ですね。

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Ollie

41bhe0fhdbl__sl500_aa300__2『Ollie』
可愛らしい少年の顔が表紙に掲載されたこの本、著者はスティーブン・ベナブルズ(stephen venables)。真摯に山をやっている方ならご記憶であろう、あの名著「ヒマラヤ・アルパインスタイル」の共著者である。
 同書やイギリスのメディアではスティーブン・ベナブルズ氏はイギリス初のエベレスト無酸素登頂者として紹介されているが、私にとっては憧れのルート、チョモランマ東壁「カンシュンフェース」の登攀者の印象が強い。

 この本の題名『Ollie』とは、スティーブン・ベナブルズ氏の息子Oliverの愛称である。
 Ollieは2歳で自閉症と診断され、4歳で白血病を発病、闘病生活を続けながら12歳で脳腫瘍のため短い生涯を終えた。
 この本は、Ollieの短い人生と、それをとりまく家族の記録である。
 完全なプロ登山家・冒険家として名を成したベナブルズだけあって、本文中には幾つかクライングの描写もあるが、ほとんどは家族との生活の記録であり、収録された写真は全てOllieの姿を捉えている。
 
 人はとかく成果のみで判断される。特にクライマーとかいう性格悪そうな連中の中には、登ったグレードで人を評価する馬鹿者もいるようだが。
 スティーブン・ベナブルズという一線級の登山家が、家族との関わりを中心に据えた人生の記録を克明に本にまとめ上げたということに、まず驚かされる。
 日本には、ロクスノなどのメディアを通じて、細々と海外諸国の登山家達の動向が伝えられるわけだが、家庭での顔までは知る由もない。
 登山家である前に、人間であり、家庭がある。
 そんな当たり前のことを、あらためて同書をもって知る。
 
 小さい子供を抱えながらも登山活動を続け海外各国を飛び回るベナブルズの姿に、やはり登山で飯を喰っているプロなのだなと思わされる一方、自閉症・白血病との闘病のために様々な医療関係者と関わり、揺れ動く心の描写はやはり人の親なのだと考えさせられる。
 同じイギリスのアリソン・ハーグリーブス女史の遭難死が、スティーブン・ベナブルズ氏にも大きな衝撃を与えた様子が正直に述べられている。共に山に登ったこともある二人、ハーグリーブス遭難後、ベナブルズはハーグリーブスの旦那と子供をK2の見える場所まで連れて行くのだが、ハーグリーブスの幼い娘がK2を指さして「Is that Mummy?」と尋ねた時には、相当こたえたらしい。
 ベナブルズ自身が先年にヒマラヤ・パンチチュリ5峰で下降中に重傷を負いながらも生還できたこと、息子のOllieのことを思い、運命というものを考えさせられたと書いている。山で妻を亡くした家族を前に、息子が闘病生活を送り自分は奇跡の生還を果たしたベナブルズの想いは複雑の一言では表現できないものがあっただろう。

 闘病生活を続け、12歳というあまりに短い人生の後、Ollieは世を去る。
 この本の冒頭、そして自身のウェブサイトでOllieの人生をこう表現する。

 『Like the swallows he arrived in the spring and left in the autumn.』

 自分の息子そして自分自身を、これだけ冷静に見つめ記録できるからこそ、大物ぞろいのイギリスの登山界において、スティーブン・ベナブルズを今も第一人者たらしめているのだろう。
 普段の家庭を省みない自分を強く反省させられるが、「登山家である前に人間であること」を考えさせられる本である。

SvvenablesStephen venables 近影

参考ウェブサイト Stephen venables氏のウェブサイト

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せんせー、おやつは300円までですかぁ?

 ロシアを代表する高所クライマー、アレクセイ・ボロトフ(Алексей Болотов)氏が今夏2010年7月28日、ガッシャブルム1峰に登頂したときの画像がこちら↓

Pri
8000mでプリングルス・・・

ロシアの某クライミングサイトでこの画像を拝見して、てっきりプリングルスがスポンサーになっているものと思いきや、mountain.ruなどに掲載されているクライミングパートナー、カナダ人のドン・ボウイ(Don Bowie)氏の日記を拝読すると・・・

『(高所に)持って行ったのは紅茶、ドライフルーツ、プリングルス』
『プリングルスは我々の重要なエネルギー源』
『十分なプリングルスなしに登頂計画などできようか。心配無用、ベースキャンプにはたっぷりプリングルスを準備してある』

・・・おまえら、どんだけプリングルス好きなんだよ(笑)
値段高いのが玉にキズだけど、かくいう私もプリングルスは好きでございます。
栄養のバランスっつったって、長期の遠征登山では結局好きなモノが口に合うよな。

なおアレクセイ・ボロトフ氏は継続して8月5日、ガッシャブルム2峰に登頂、相棒のドン・ボウイ氏は肺を痛めてスカルドに降りたとのこと。

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「山ガール」という言葉以前

女性山岳ジャーナリスト柏澄子女史が「山ガール」の命名の由来について解説あそばされている。

「山ガール」という言葉 by 旅の空2010.8.2

 たしか柏女史はご自身のブログで「以前は「山女」と呼ばれていた」という意味の文章を書いていた。柏女史より年下の私も、学生の頃は「山女」という言葉が用いられていたと記憶している。

 で、実は「山ガール」と「山女」を結ぶミッシンク・リンクのような言葉が存在する(らしい)。
 私の手元にある日経ビジネスAssocie 2009年11月17日号16頁『三浦展の世相予想図』にこんな文章が掲載されている。

以下引用開始
------------------------------------------------------
 従来は男性的であると言われていた領域に、どんどん若い女性が進出している。例えば、いわゆる「鉄子」と呼ばれる鉄道マニア、「山岳女子」と呼ばれる山登り愛好家、(以下略)
------------------------------------------------------
以上引用おわり 強調文字筆者

・・・「山岳女子」。
 ネットで検索してもそのような言葉は検索にひっかからないので、三浦展氏の造語か、さほど使われずに消えた言葉であろう。
 三浦展氏については、その著作におけるデータの活用について賛否が分かれているので、前述の文章では「存在する(らしい)」と書いた。

 最近、JCASTとかいうピントはずれな記事が多いメディアで山ガール批判が展開されていましたが、読むだけ時間の無駄でしたね。
 メディアの
 
 山ガールという言葉をとりあげる
 ↓
 山ガールという存在を批判する

 というマッチポンプの典型を見る思いでした。JCASTをメディアと呼んでいいものかは又別問題ですが(冷笑)
 ネット上でも「山スカ」を議論の的に山ガール批判を展開しているヒマな方がいるようですが、ファッション先行がそんなにいけないんですかね?それとも批判されている方はそんなに高尚な理由で登山始めたんでしょうか。いやいやそういった偉い人には頭が上がりません(棒読み)

 ただ、せっかく女性の登山人口が増えるからには、その中からぜひ女性指導者や女性ガイドが出てきて欲しいと願っています。
 第三版を重ねたという『田部井淳子のはじめる!山ガール』 、今春の初版発売直後に速攻で購入して読んだ。
 同書が「山ガール」流行に便乗して続々出てきた他のムック本と一線を画すのは、その充実した内容の座談会記事なのだが、座談会のメンバーが田部井女史に平山越子女史という、十何年前のアウトドア雑誌とさほど変わらない顔ぶれ。
 この十年、偉そうな言動を吐く年寄りがうざうざいる登山界とやらは女性の育成に関してな~んもしてなかったんですね、という現実をよく曝しています。

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モスバーガーのラッシー

今日も暑い中、現場作業の一日が終わる。
会社を出て、まっすぐ自宅に帰らずモスバーガーに直行。
ナンを売り出し中の同店であるが、ラッシーも売ってるらしいので寄ってみる。

Pa0_0031
ラッシーMサイズを飲んでみた。
感想は、
     

17263_normal
だって、甘みばかり強くて酸味に欠けるんだもーん。
私、日本山岳ガイド協会の山岳ガイドが断言する。(梶原一騎風)
モスのラッシーはラッシーじゃないよー。

モスに寄ったのは他にも理由がありまして。
今夏予定の同窓会のパンフに掲載する挨拶文がどうしてもうまく書けない。
家に帰ると子供の相手をしなくてはならないため、モスで缶詰になって挨拶文を考えようという魂胆である。
旧友M君いわく、8年前に開催した同窓会では
「カミさんと二人で感心したよ~」
という文章を私が書いたらしいのだが、全く記憶にございません。
この俺がそんな印象に残るような文章書けるわけねーじゃん!
M君の言葉にプレッシャーを感じつつ、一時間ほどモスの禁煙席で片隅で「うー」「うー」と唸りながら文章を考える怪しい客でした。

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おもひで、ぽろぽろ。

 私の住む山形市の中心市街地は、蔵王連峰から流れる馬見ヶ崎(まみがさき)川が形成した、美しい扇状地の上に成り立っている。
 その馬見ヶ崎川にかかる馬見ヶ崎橋が、今年架け替えられることになった。

 私の生まれ育った実家。
 今住んでいる自宅。
 いずれも馬見ヶ崎橋の近所である。
 今も通勤時は馬見ヶ崎橋を渡り、月山・葉山方面の山並みを眺めるのが日課だ。

 馬見ヶ崎橋の掛け替え工事。
 建設会社勤務という職業柄、橋が架け替えられるという情報はかなり以前から知っていたのだが、迂回用の仮設橋工事が始まると、なんとなく本橋を画像に記録しておこうという気持ちが強くなった。
 短くはない土木作業員生活、様々な古くからの施設・社会資本が取り壊されていく姿を見てきた。一つの集落がダム工事で完全に移転し、消え去っていく姿も見てきた。
 山と渓谷誌あたりに駄文を書き散らしている「山岳ライター」と称する連中と異なり、私は社会資本が整備されていく途上で消え去るモノに郷愁など抱かない。
 そう思っていたのだが、自分が小さい頃から日常生活の一部だった馬見ヶ崎橋は、なんとなく画像に記録しておこうという気になった。

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 2010年8月8日、夕暮れの馬見ヶ崎橋

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 欄干を飾る灯籠は花崗岩製。夜間になると電灯が灯る。昭和八年十二月竣工と記されている。橋そのものは何度も改修されてきたが、橋を飾る灯籠や橋体の一部はそのまま残されてきた。

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 灯籠の左下隅にスプレーペンキで「K.B.M.」の文字が見える。建設関係者にはおなじみ、「仮ベンチマーク」で測量の際の仮の基点である。通常、恒久的な設置物に印を付けるわけで、過去の工事で誰かが記したものだろう。花崗岩製のこの灯籠も、もう取り壊される運命にある。

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 河川の堤防本体を取り崩す場面は、私も滅多に見たことがないのでレンズを向けてみました。堤体の中は玉石が積んであり、おそらく馬見ヶ崎川の河川敷から採取したものでしょう。
 ちなみに馬見ヶ崎川は歴史上、暴れ川として知られ、もともとは現在の堤防よりも幅が広い河川でした。旧堤防は現在の堤防より西側、山形北高~山形工業高校を結ぶ、周囲より一段高い車道が旧堤防です。今は民家密集地となっており、よく注意してみなければ、堤防とは気が付かないでしょう。


さて、この馬見ヶ崎橋、じつは日本全国の方がそれと知らずに目にしているはずです。
それはスタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』。
主人公のタエ子とトシオが(旧)山形駅で落ち合い、車で高瀬地区に移動する場面。
映画は車が通過する山寺街道をかなり忠実に描いています。

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映画『おもひでぽろぽろ』より、護国神社前交差点から望む馬見ヶ崎橋。

Ma2
映画『おもひでぽろぽろ』より、馬見ヶ崎橋下流方面の風景。右が村山葉山(実際より少しとんがって描かれている)、左が月山。私のいつもの通勤途上の風景。20代の頃は、この河川敷がランニングコース。ちょうどガイドの師匠が某8000m峰に遠征中、自分も同じ山に2年後遠征することが決まっていたため、「くそー登るのはこの俺だぁー!」と夜な夜な叫びながら走ってました。ダースベイダーと化すジェダイなみに暗黒な青春の日々(笑)

 自分の近所、日常の光景が定評あるスタジオジブリの映画に出てくるというのも、なんともいえない感じです。
ウィキペディアの映画評を拝読すると、『おもひでぽろぽろ』に関しては映画化する必要があったのか?という意見があったと記載されていますが、山形市民の一人として、私は映画化は必然だと思いますね。
 映画の中で描かれている山形市は1982年。1982年以来、山形市は各所で土地区画整理、車道拡幅・開発が進み、その姿を大きく変えてきました。映画『おもひでぽろぽろ』に描かれている山形の光景は、主人公タエ子の回想場面同様、山形市民にとってはもはや失われた、懐かしい光景になりつつあるのです。


おまけ

Ma3
映画『おもひでぽろぽろ』より、山形市風間(かざま)地区、通称「風間ガード」。
 この風間ガードも、現在は鉄橋が架け替えられ、車道もアンダーパス(半地下道)に改修されたため、現在はもう見ることが出来ません。
 風間ガードの鉄骨は、太平洋戦争時にアメリカ軍の空襲を受け、機銃掃射を浴びた銃弾の跡が残っていることが知られていました。
 この地区一帯は非常に豊富な地下水に恵まれた地区で、延命水という地区共同の簡易水道水源となっている井戸があり、夏場は洗い場にスイカがプカプカ浮いていたりしたものでした。
 そんな光景も、ここ10年で大きく変化しました。

 自分も子供を持つ身として、時々思います。
 子供達が大きくなった頃、自分そして子供達にとって、「生まれ育った風景」はどんなに変わっていくのだろうか、と。

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ペンタゴン、高山病治療薬開発に資金提供

アメリカ国防総省が高山病の治療薬開発のため、470万ドルの資金提供を行っているとのこと。

Пентагон выделил $4,7 млн на создание лекарства от высотной болезни by Rosbalt.ru2010.8.7

このネタを知ったのは上記のロシアのメディアですが、検索すれば英字メディアでも報じています。

Aiming High, DARPA Wants Inhalable Drugs to Counter Effects of Extreme Altitudes by Popular Science 2010.8.5

 ウェブサイトPopular Scienceによれば、アメリカ国防総省、正確には DARPA の名称で知られる米国防高等研究計画局が絡んでいるようです。
 資金提供を受けているのはオハイオ州のケース・ウェスタン・リザーブ大学。ノーベル生理学・医学賞受賞者を8名も輩出しているハイレベルな研究機関。提供されたといわれる470万ドルは日本円に換算して約4億円、新薬開発に必要とされる一般的なコストは200~300億円と言われていますが、もともと循環器系に関しては全米一といわれるケース・ウェスタン・リザーブ大学にとっては有益な援助でしょう。

 勘のいい方はおわかりのように、高所山岳地帯の多いアフガニスタンにおけるアメリカ軍の軍事活動に役立てることが新薬開発の背景にあります。報道によれば既に動物実験に入り、3年後には人体による試験を予定しているとのこと。将来的には民生用として登山などに利用されるだろうと記事は締めくくっています。

 あらためてテクノロジーの開発を促進するのは「戦争」である現実を知らされます。
 ま、労山あたりの「軍靴の音が聞こえる」とかいう耳の調子のおかしい方にとっては癪に触る話題でしょうが、登山用品の発達史をふりかえってみれば軍事技術の民間転用→登山用品という流れはありふれているのが現状ですね。
 金とヒマもてあました爺婆が8000m峰で使用している酸素ボンベ用具一式自体、ロシアのミグ戦闘機の技術が転用されているのはよく知られている事実です。

 高山病の画期的な治療薬なんてのが完成したら、アメリカ軍以上に欲しがるのはチェチェンはじめ多くの山岳戦闘地域を抱えるロシア、そしてカシミール紛争で昔から高度障害で何人もの兵士が命を落としているインド・パキスタンでしょう。
 民間利用が可能になったら、昔はダイアモックス、今はバイアグラが盛んに利用されている高所登山のマーケットに流れるんでしょうかね。メスナー爺さんが唱えた「フェアな登山」なんてのは、今後ますます遠ざかる予感がします。

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キャンプ生活

自然の家の夏季チャレンジキャンプ、登山の後は先生方・子供達みんなで月山山麓の水沢温泉で入浴する。
キャンプサイトに戻ると、女の子たちは風呂上がりということもあり何やらコスメの話題で盛り上がっている。
青年協力隊帰りのサポーター・ふうちゃんを中心に、小4~中2のお年頃の女の子が集まり、
「これお肌スベスベになる~」
とか聞こえてくる。
で、ふりかえってみると、

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女の子みんなでヘッドマッサージ(笑)

夕食まで間があったので、志津キャンプ場を散策。
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今年は例年になく、山葡萄のまだ青い実がたわわに実ってました。

夜のキャンプファイヤーでは不肖・私、DJに徹してCDデッキ操作に専念。
キャンプの裏方って、やってみたかったんだよね。

子供達のふりかえりの時間の頃合いをみて、夏季キャンプの支援をして下さった日本キャンプ協会の石井氏とともに皆とお別れ、月山を離れる。

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月山で一番熱い夏・2010

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8月4日夜、月山・志津キャンプ場へ移動。
皆が滞在している一番奥のキャンプサイトめざして、一人夜道を歩いていると、一匹の蛍が目の前を横切る。
数日前から気象情報を収集しつづけていたが、明日は午後から大気の状態が不安定。
蛍の淡い光に、明日の好天を祈る。
ほどなく、山形県朝日少年自然の家夏季チャレンジキャンプ(PDFファイル)に合流。
 残念ながら「ふりかえりの時間」は予定より早めに終わっており、子供達の様子を直接確認することはできなかったが、夜のスタッフミーティングで各班の面倒をみるサポーター(ボランティアスタッフ)から子供達の様子を聞く。
 キャンプも二日目になると、グループになじめない子供、行動に問題が目立つ子の存在もはっきりしてくる。そういった傾向を把握すべく、自然の家の夏季キャンプの登山は前夜のうちに合流しておくのが、私にとって大事。
 パッキングを終え、夜は自然の家所長と同じテントに泊めてもらう。
 眠りかけた頃、外で「すみません」と先生の声が聞こえる。
 テント泊まりでどうしても寝付けない子がおり、私たちのテントで眠ってもらうことになる。

8月5日
 月山の周囲には既にいやらしい積乱雲が見え隠れしているが、とりあえず晴天。
 志津キャンプ場で出発式。ここで私から子供達に月山登山について注意点をお話。

 暑い。
 姥ヶ岳の登りで、既に後ろを歩く女の子二人組は「つかれたー」「あついー」を連発。
 頂上までの往路、この女の子二人組のぼやきとつきあいながらの登山となる。
 本日は暑さとの勝負となる。
 雪渓は絶妙な位置まで融けていた。コースロープ外の数メートル向こうには冷たい雪の塊がある。
 子供達はそれを見て
 「暑いー!あそこまで行きたいー!」と騒ぐ。
 三年前の登山では、子供達に雪渓の上を歩いてもらえたのだが、昨年、今年は雪解けが速い。盛夏の今だからこそ、子供達に山の雪渓を体験してもらいたいのだが、いかんともしがたい。

 姥ヶ岳を越え、頂上までのルートが一望できる場所に来る。
 雲の影が山体を覆う姿を見て、
 「雲の影だ!」と子供達は感激の様子。普段何気なく見過ごしている光景に、子供達が感動している様子を見てあらためて考えさせられる。
 牛首で休憩。遅れた子供一名の様子をみるため、迎えに行く。
 しんがりを務める彦さん(昨年までの自然の家研修担当の先生)が付き添いで歩いてくれていた。後できけば、その子は長袖の体育着の下はランニングシャツだったため長袖を脱ぎたがらず、熱中症気味だったらしい。彦さんが持ち合わせていたTシャツを着せて、なんとか追いついてきた由。普段の中高年ツアーとはまた違った心配りが必要と痛感させられた。

 休憩後、月山登山のクライマックスである「月光坂」の登りにとりかかる。
 すぐ後ろを歩く女の子二人組は「つかれたー!」「もう休む!」とバテ気味。
 写真撮影になると笑顔でポーズをとるので、甘えているのかなと推察していたが、月光坂の登りは辛そうだ。
 「どこまで登ればいいのー?!」
 「どこ頂上なのー!?」
 という彼女たちの言葉に考える。
 彼女たち、子供達には明確に「目に見える」目標が必要なのだ。
 鍛冶小屋跡で小休止をとる。
 鍛冶小屋から頂上まで徒歩で10分もかからない程度の距離、休む必要もないのだが、子供達には「休憩」の欲求を満たすこと、そして「目に見える目標」が必要なのだ。私は内心で「ガス抜き休憩」と思った。
 月光坂の登りでは「あそこが頂上」といっても、ゆるやかな稜線のスカイラインが見えるだけなのだが、鍛冶小屋跡には石垣が見える。
 「みんな、あの石垣まで登れば休憩だよっ!!」と声をかける。
 その言葉につられて、子供達もパワーアップ。
 鍛冶小屋で小休止。
 ここで休憩をとるのは、子供達を休ませるという目的だけではない。遅れ気味の子も合流させ、みんな一緒に頂上に到着させたい、という私の狙いもある。

 頂上広場に到着。
 あれだけ疲労の色を見せていた子たちも、登頂という目標を果たしたことで、写真撮影では笑顔になる。
 ここで昼食。食事中、ずっと周囲の雲の様子を注視する。先生方と協議、予定より早めに下山開始。

 下山では子供達の脚に負担をかけさせないため、短時間毎に休憩を挟む。
 本日の往路はひたすら暑さとの闘いだった。稜線で少し風がふくと皆「すずしい~」と声をあげ、暑さとの闘いで皆の気持ちに余裕もなかったため、花の紹介も一切せず歩き続けた。

 朝日少年自然の家の活動に関わって今年で9年目。
 夏季キャンプの登山の引率を担当させていただくのは3回めになる。
 もっとも、引率といっても私は先頭を歩いてペース作りをするだけで、各班をまとめるサポーター、自然の家の先生方の尽力があってこその登山である。
 ふりかえると、どうしても安全管理の視点から私は子供達に注意してばかりに終始してしまうのだが、もっと山のおもしろさ、自然の妙を伝えることはできないだろうか、と毎年悩む。

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昨年に引き続き、今年もリフト下駅の水飲み場は大盛況。
子供達に水の美味しさを味わってもらえる場所。

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登山を終え、キャンプサイトに戻る子供達。
キャンプサイトに続くこの道を帰る時、私にとって登山引率の達成感が沸いてくる時でもある。

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続・全力疾走

8月1日
 日本赤十字の止血法も真っ青になるくらいの家族大出血サービスの日。
 義兄の息子、ウチの息子・娘、カミさんを連れて山形市内のプールへ連れて行く。
 昼過ぎまでプールで遊ばせた後、カミさんと子供達をカミさん実家に預け、夕方までの隙間時間を利用して山形県朝日少年自然の家へ。速攻で研修担当の先生にアポの電話を入れ、ナイト2000(古)なみのスピードで高速道をぶっ飛ばす。
 今週予定している、夏季チャレンジキャンプ(PDFファイル)の打ち合わせ。ありがたいことに、ここ数年、夏季キャンプの登山の引率依頼をいただいている。先生方への挨拶、そして参加者名簿が記載された「しおり」を事前にいただく。
 参加者名簿には、参加する子供達の特徴(食物アレルギー、性格上の特徴、持病など)が記載されている。あらかじめ子供達の特徴を把握しておくことが、私の安全管理のやり方だ。
 挨拶と打ち合わせを済ませ、またまた速攻でカミさん実家へ戻り、家族をピックアップ。
 それから山形市内の某ショッピングセンターで買い物。
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おうおう、そういや花笠祭り、夏ですな。

8月2日
 会社で宿直。

8月3日
 工場でまる一日、金属加工作業。
 サンダーやら番線カッターやらでひたすら金属棒を切断する作業。
 くそ暑い中、隣でアーク溶接をバシバシやっているため、腕まくり不可。
 午前と午後で作業服も下着も着替える。
 とにかく発汗量がひどく、疲労感が残る。
 夏バテ?
 立正大学体育会山岳部のターミネーターT800(自称)であるこの俺様が夏バテなんかしねーよ、と思いつつ、発汗量の多い日はビタミン・ミネラル系サプリメントを多めに取る。いいかげん歳なので、自分の身体をいたわる事にも気を付ける。

8月4日
 今日もひたすら金属加工。
 古ぼけた旋盤で穴を開け、ネジ切り作業。
 夕方、作業が終わり、会社を出る。
 自宅でシャワーを浴びた後、頭を切り換え、月山は志津キャンプ場へ車をぶっとばす。
 娘には「またおとうさんいないの?」と言われるが無視して車に乗り込む。
 え?
 家庭と山どっちが大切だって?
 もちろん山ですが、何か?(アラン・ラッドの早撃ちより速い即答)

8月5日
 山形県朝日少年自然の家、夏季チャレンジキャンプの月山登山引率。
 こちらに関しては別記事にて。

8月6日
 昨日までの山の世界とはさようなら、いつもの日常に戻る。
 36℃の猛暑の中、工事機材の洗浄作業。
 あまりの暑さ、いつも会話の99%はお叱りを受けている上司という名の親方からも「休み休み仕事しろ」と声をかけられる暑さ。
 作業の合間、ふと空を見上げると巨大な積乱雲。
 「あ~、あの子今日はちゃんとテントで眠れたかなー、あの子はちゃんとリーダーの言うこと聞いてたかな」と、子供達の事をつい考えてしまう。毎年、キャンプの登山の引率から帰った翌日は同じ事を考える。
 集中力を欠くとヤバイので、子供達の事は忘れるよう努力して、作業に戻る。
 会社が終わってから、今夏予定している同窓会の打ち合わせ。
 
 今週ずっと、自分の子供に関しては寝顔しか見てないような気がする。
 しょうがねえ、明日はまたまた家族サービスの日。

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