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有朋自遠方来不亦楽乎

台風が温帯低気圧に変わったとはいえ、グズグズ天気の日曜。
南蔵王の某登山道が新たに整備されたという情報をキャッチ。
左肩胛骨の痛みは残るが、鎮痛剤を服用、整備された登山道を確認すべく、高速道で蔵王連峰を越え宮城側へ。
宮城に抜けしばらくしたところで、携帯が鳴る。
ああ~ん?
性格極悪で携帯でおしゃべりするような友達もいない私、悪い知らせに違いないと車を停め、携帯をひらいたところ、韓国でお世話になっている申さんから。
「オレガンマニムニダ~」
時間はあるかと聞かれたので、ありますよと答えると、あと2時間後、11時着の新幹線で山形駅に到着されるという。

このときの私の心象風景↓
Coffee
『探偵物語』で珈琲ブワッな優作ちゃん

本日の予定はすべて変更、山に行く格好のまま、山形駅へ向かう。
入場券で新幹線ホームに立つ。
11時山形着の新幹線が到着。
車体から一斉に降りてくる多くの人の中で、頭一つ抜けて背の高い人物が見える。
大韓山岳連盟・京機道山岳連盟理事の申さんだ。
見覚えのある笑顔に、ほっとする。

 申さんは製造関係のビジネスに関わり頻繁に日本に出張されているのだが、出張先は東京・名古屋など大都市方面と伺っていた。
 聞けば、私に会うためわざわざ東京から山形を訪れてくれたという。
 台風も前後する悪天の中、大変恐縮する。

 とりあえず落ち着ける、食事できる場所へ向かう。
 申さんはラーメン・うどんが好みだというが、最近山形に乱立している讃岐うどんの店はいささかチープすぎる。山形市内の本格韓国料理店は知っているが、いざ韓国の方をお連れする自信は無い。「山形はラーメン有名ですか?」と聞かれる。たしかに山形はラーメンで売り出しているが、当たりはずれが大きいのでこれまたリスキーである。
 結局、以前に私が会社の会長に連れて行ってもらった高級トンカツ屋にお連れする。

 車の移動や食事しながら、話題は韓国の登山界から幅広く韓国のスポーツ事情まで。
 ちょっと意外だったのは、韓国のクライミング競技人口は層が薄い、とおっしゃっていた。
 日本のクライマーならご存じ、キム・ジャインやソン・サンウォンら上位陣が圧倒的な強さを誇っていることは、底辺拡大にはつながっていないという。申さんは日本のコンペクライマーの名前を挙げ、層の厚さを指摘されていた。申さんは私の当ブログも時折ご覧になっており、先日紹介したハン・スランさんの父上は申さんの後輩にあたるという。どうも、山の世界は狭いものである。

 子供の玩具・本であまりに散らかった惨状に呆れられながらも、私の自宅で珈琲を飲み休憩。
 壁に貼ってあった幼稚園の行事予定表から、教育の話題に話しが飛ぶ。

 申さんとの出会いは、私が無謀にも韓国語もろくに話せぬまま、ソウルのグォンギョル登山学校に押しかけ入校したことがきっかけ。初めての韓国訪問の日、申さんのご自宅に泊めていただいたり、登山学校で重要な講習の日には通訳していただいたりした。そのとき小さかった娘さんも、今は中学生だという。

 晴れていれば車をすっ飛ばして近くの山に向かいたいのだが、あいにく台風接近中。
 山形市内にあるクライミングジム「デッドポイント」に一緒に行く。
 倉庫を改装したジムの駐車場に入ると、申さんの眼はもう輝いている。
 「いや~、こういう建物が理想なんですよ~」
 
 申さんは韓国の水原(スウォン)でクライミングジム『Cruxzone』を運営している。
Crux
 クライミングジム「Cruxzone」の様子

初めて出会ったときから「日本のPUMPみたいなジムが目標です」と熱く語っておられた。
 いろんなクライミングジムをまわってきているが、倉庫を改装したタイプのジムを視察するのは初めてだという。
 「アメリカ風のジムですね」と、ジムの広い空間、人工壁を熱心にご覧になっていた。
 帰り際も、壁の裏側の構造を熱心に観察している。韓国では溶接で鉄骨を組み合わせるため、結構人工壁の設営は大変らしい。

 ああ、こんなに喜ばれるのであれば、はじめからデッドポイントに寄ればよかった。
 グォンギョル登山学校の経験を経て、インスボン、雪岳山を登るために幾度か渡韓したが、いずれも申さんと山行を共にしていただいた。一時期はクライミングジムの運営を専業とされていたが、その後、今の会社に再就職されている。その辺の事情は、私もちょっと遠慮して聞くことが出来ない。近年はなかなかお会いする機会が無かったのだが、故・ゴー・ミスンの事故やオ・ウンソン女史の件、その他韓国の登山事情について、ときおりメールで情報をやりとりしていただいている。

 山形市内を車で走っている途中、
 「いつかはPUMPみたいなジムに、大きなジムにしたいですね」
 と語る。
 ああ、申さんは出会った頃と変わらないなあ。
 韓国人ということを意識する前に、クライミングジム運営という目標に向かっている姿が私にとって何より尊敬できるのだった。

 「いや大滝さんに会えればいいんですよ」
 と、申さんは15時前の新幹線臨時便で再び東京へと戻られた。
 日本のビールは韓国のそれよりも美味しいらしい。
 「缶ビール飲みながら、帰ります」

 海外の方も認めるジムが地元にありながら、ちっともトレーニングしない自分に反省。
 雪岳山のリッジクライミングで、申さんと共に見晴らしの良い岩場でビールを飲んだ日を思い起こしながら、笑顔でホームへと去っていく申さんを見送った。

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嗚呼ストレッチ・・・

土曜日。
台風接近のため、現場作業休止でお休み。

晴耕雨読を決め込もうかと思っていたが、朝、目覚めたら左の肩胛骨が異様なまでに痛い。
上体をかがんだり、首を曲げたりすると背中全体に鈍痛が走る。

現場作業中は、百数十個の重い薬剤ポリタンクを持ち運びする。
だが、今年はいろいろ思うところあり、ストレッチングに目覚め、作業の合間にもこまめにストレッチングをしていたのに。

あ~あ、と思うが、とにかく痛みがある以上、改善せねばならない。
土木作業員も、山岳ガイドも、身体が資本。
異状があればすぐに医者に診察を受けることにしている。

過去にも診察を受けたゆうき整形外科に予約を入れ、診察。女子バレーチーム・パイオニアレッドウイングスのチームドクターというだけでなく、待合室で日本ヒマラヤ協会の機関誌「HIMALAYA」読むのが楽しみだったりする。

レントゲンの結果を受け、結城正明医師より詳しい説明。
頸椎などには特に異状はないが、背骨全体がやや左に傾き気味。
なんらかの緊張により背中がこわばり、神経に悪さしてるのではないかという趣旨の説明。
リハビリルームで電気治療、温熱治療の後、理学療法士にマッサージを受ける。
毎月施術してもらっているリラクゼーション系のマッサージと違い、「徹底的にほぐしてやるぜえっ」という気合いこもるマッサージ。その後、ストレッチの指導。肩胛骨の動きについて、ためになるアドバイスを受ける。

歳ですかね。
ダメダメな身体ですが、ストレッチングについてちょっと勉強する予定。
Pa0_0008
鎮痛剤いっぱいもらって帰宅。こうして休日がおわる。

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六本木 御膳房

Three
「イタリアではボルジア家三十年の血の圧政の下に、ミケランジェロ、ダヴィンチそしてルネッサンスを生んだ。中国4千年の歴史と共産主義は何を生んだ。中華料理さ!」

あ、なんか違いましたっけ?

先週、映画『断崖のふたり(NANGA PARBAT)』を見に行った日の昼。
せっかく六本木に来たことだし、ランチは豪勢にいくべく、中国・雲南料理の御膳房へ。

本日は一人飲茶。
ウェイトレスに言われる前に、お茶はプーアル茶を指定。炒飯は五目炒飯、デザートは杏仁豆腐を指定。(私、ココナツミルクが苦手である)

Pa0_0005
落ち着いた雰囲気であんまり画像撮影するのもナニなのだが、花の浮いたプーアル茶は初めてだったので思わずカシャッと。(これでも昔、渋谷の華泰茶荘でしごいてもらい、中国茶アドバイザー3級取得しておりますが)

私、以前はプーアル茶はカビくさいティーバッグのものをよく飲んでました。
空腹時に飲むとヤバいと言われる程刺激が強いとされてますが、会社で昔いた部署で残業続きの日々、空腹時にガブガブ飲んでたりしてました。はははは。

本日のプーアル茶はそんな刺激もなく、優しい味わい。
御膳房のランチ飲茶のメニューは

中国茶(プーアル茶orジャスミン茶or烏龍茶)

エビ入り揚げ湯葉巻き

トウモロコシのパンケーキ

スープ入り翡翠餃子(ほうれん草の緑色餃子)

点心(小龍包、キノコ饅頭、シューマイ)

五目炒飯

デザート(杏仁豆腐orタピオカミルクココナッツ)

という組み合わせ。
最も気に入ったのは、トウモロコシのパンケーキ。トウモロコシの粒も残った、甘みも十分しっとりタイプのパンケーキ。日本人向けにアレンジしているんでしょうね。吉林省の奥地で食べたそれとは、似て非なるものでした。

ウエイトレスの接客態度も丁寧で、値段相応に満足。

あーあ、やっぱこーゆー店は
Sk
小林聡美みたいな年上のお姉様と行きたいなー。

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情報リテラシー

女性山屋某氏のツイッターを拝読していたところ、

Yski

東北の山屋にはおなじみの『東北山スキー100コース』が東京都内はもちろんAmazanでも新刊本は入手困難らしい。
東北各地、けっこーな田舎の公立図書館でも、この本はしっかり収められていることが多い。

先日の東京訪問で、やはり情報・モノに触れる機会は東京に敵わないと感じてきましたが、要は考え方次第ですな。

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Chalk&Chocolate

前々から思うのですが、クライミングのビデオって洋楽がうるさいよね~。
この前見たバンフ映画祭でも、BCスキーの映画はBGMうるさいし、イカレた観客は奇声あげるし・・・
(ああ何度でも書いてやるぜ、イカレた観客ってなぁぁぁぁ)

晩秋の夜長、台風でお外に出られない休日、こんな動画はいかがでせうか。

Chalk&Chocolate with Natalija Gros Trailer from Jure Breceljnik on Vimeo.

スロベニアのクライマー、ナタリヤ・グロス( Natalija Gros )のドキュメンタリー映画『Chalk&Chocolate』のTrailerです。
ピアノを主体としたしっとり系の音楽が流れ、ナタリヤ・グロスの流れるようなクライミングがこれまたマッチしておりますです。

Cc
この『Chalk&Chocolate』、スロベニア・リュブリャナで2009年に開催された国際山岳映画祭でクライミング・ベストムービー、観衆の投票で選ばれる観客賞の二つの賞に輝いています。

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で、ここからは好色エロ坊主なクライマーの皆様へ。
ナタリヤ・グロスはスロベニア編集版のプレイボーイ誌(←あっ、18歳未満はクリックしちゃいやん。あまり衣服を付けてない女の人の画像あり)にも掲載されているんですなあ。
これがそのときの掲載写真↓
Natalijaplayboy

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男の目線。

 いつも拝読しているえのきど。さんのツイッターで取り上げられていた、世界一高い人工壁『エクスカリバー』。オランダにあるそうです。

T1

 えのきど。さんのツイッターでは下降方法について疑問が出されていましたが、あれ?この建造物どっかで見た覚えあるなーと思ったら、よく閲覧しているロシアの某サイトに掲載されてました。終了点で下降準備しているの図。

T3
屋上の二つの柱が下降用の支点みたいですが、やはり長~いロープ使うみたいですね。

ちなみにロシアの某サイト、掲示板形式になっているのですが、
「この人工壁は建築学的に興味深い!」という意見もあれば・・・

T2
「4番目の画像の女の子のバストのサイズはなんぼですか?
という書き込み発見。

おおっ!
ロシアの同志よ!!

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峠は、

今日もよく働いたなー。(自己申告)

日も暮れた帰り、いつものように高速道で笹谷峠から蔵王連峰を越えて山形に帰ろうとすると・・・

1web
峠はもう雪が降ってました。

山に行く人は気をつけましょうね。

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またまた

 いやもう、せっかく六本木まで行ってきたんでおいしいグルメネタとか用意してるんですが、あいにくまたまた月曜から下っ端土木作業員の生活が始まるわけでして。
 毎日たくさんの方々にアクセスいただき、ありがとうございます。
 しばらく平日はてきとー更新になりますのでご了解ください。

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【映画】NANGA PARBAT (邦題「断崖のふたり」)

 はじめに、当ブログにもコメントを頂戴いたしましたが、映画「NANGA PARBAT」日本上映に尽力いただいた関係者の皆様に、一登山者として深く感謝の意を表します。
 ※当記事には映画のネタバレが含まれます。
 
Nanga_parbat

夜行バスで上京。
第23回東京国際映画祭で上映される映画『NANGA PARBAT』(邦題「断崖のふたり」)を鑑賞するため、シネマート六本木に行く。
どうしても見てみたい。
高校山岳部で「いても、いなくても、どうでもよい」存在だった私にとって、周囲の人間が成し遂げていない8000m峰登山を実現させることが夢であり野望であった私にとって、図書館で手にした『ナンガパルバート単独行』は眩しすぎる本であった。
21歳で初めての8000m峰を経験できた私にとって、「組織と個人」という相対するテーマを内在したメスナーのナンガパルバットの「事件」については関心は消えることはなかった。
そのエピソードが映像となる。
どうしても見てみたい。

63517819 夜行バスで上京し、午前中に八重洲ブックセンターで、メスナーの筆によるナンガパルバット横断の顛末を描いた新刊本『裸の山』(原著Der nackte Berg.Nanga Parbat 、平井吉夫訳)を購入し、速攻で読み、上映前の予習。

映画は、メスナー兄弟の幼い頃の生い立ちから始まる。
遠征後の報告会において、プレゼン中のヘルリヒコッファーに松葉杖姿のメスナーが食って掛かり、二人の相前後する遠征の回想で映画全編は進行する。(動画予告編の二人の言い争いのシーンは、クライマックスではなく、映画冒頭の場面である。)

細かなストーリーまで、映画はメスナー著『裸の山』に実に忠実だ。
幼いメスナーと厳格な父親との確執、弟ギュンターが、クリスマスツリーに飾られたヘルリヒコッファーからの遠征隊への招聘状を手にする場面、ベースキャンプで隊員達がスポンサーのために食料品の撮影に興じているところ等々・・・

そして登山史を知る者ならご存じであろう、ナンガパルバート・ルパール壁での「信号弾」、単身登頂を目指したラインホルトを追い、軽装で頂上に向かってしまうギュンター、メルクル・リンネでのメスナーとフェリックス・クーエンとの叫び声でのやりとり。それらを挙げるのは、煩瑣でしかない。

一人生き残ったメスナーは山麓の住民に助けられ、ヘルリヒコッファーたちと奇跡的に合流する。
教会でのギュンターの葬儀、そしてヘルリヒコッファー、二次隊で登頂したクーエンとショルツのその後がテロップで流れ、再現シーンも含めてメスナーのナンガ単独登頂の登頂カットで映画は幕を閉じる。


この映画に関しては今現在、鑑賞した日本人は少ないが、よくブログを拝見させていただいているドイツ在住のpfaelzerwein氏が充実した評論を書かれている。

参考記事
ブログWein, Weib und Gesang 『環境、ただそこにエゴがあるだけ』

私の感想は氏の冷静な評論とは異なり、やはり自分の経験と照らし合わせずにはいられなかった。
登頂後、高所衰退の影響で朦朧となりながら未知のディアミール側を下降する二人、特にギュンターの姿に、某山で何度もしゃがみ込みながら、夜間の降雪の中、一人で8200mのテントまで、固定ロープも見失い勘を頼りにさまよった自分の姿を、どうしても思い起こしてしまうのだった。

『裸の山』には一切の描写はないが、映画において、メスナー兄弟の母親の描き方が深く印象に残る。
台詞も少なく、その表情が兄弟を案じるだけでなく、兄弟の行く末までをも見抜いているかのような、深い愛情を感じさせるのだ。
そこでもまた、某8000m峰で遭難報道の渦中の人となり、帰国した夜、自宅に帰って玄関をあけ、最初にみた自分の母親の顔を思い浮かべた。あの憔悴しきった表情を。

この映画では、見るべきものはメスナー兄弟の運命だけではない。
前述のpfaelzerwein氏も言及しているが、ヘルリヒコッファーの姿がむしろメスナー兄弟を「喰っている」といえよう。時には威厳をもち、時には小心者として、時には過去を振り返り「使命感」(何の使命感かは、映画と『裸の山』を参照いただきたい)に酔い、そして哲学的な言葉でヒマラヤ登山を総括する。
超人・鉄人と呼ばれるメスナーよりも、人間・ヘルリヒコッファーの姿に私は感銘を受けた。

映画『アイガー北壁』のオフィシャルサイトでは、登山業界の人間がこぞって「表現がリアル」「情景がリアル」とリアルさに酔いしれていたが、クライミングのリアルさにこだわるならば、自分で近くの岩場に行けばいい。山の風景にリアルさを求めるならば、山岳写真家の撮影した、修正に修正を重ねて美しく撮られた山の写真集でオナニーでもしていればよい。
私がこの映画に求めたのは、山に登ろう関わろうとする人間の姿である。
その意味では、メスナー兄弟だけではなく、ヘルリヒコッファーの姿は遠征登山を経験した者として、実に人間臭く描かれていて好感すら覚える。

邦題「断崖のふたり」には、最初正直萎えてしまったが、映画を見て少し納得した。
冒頭、幼いメスナー兄弟が墓地の石垣を登り切る場面がある。登り切ったところで、神父に見つかり咎められてしまう。
映画のおわり、その神父がギュンターの葬儀で神の救いを説く。
あの石垣をよじ登ったように、ルパール壁へと二人の兄弟は赴いた。
そしてラインホルトだけが生き残ったのだ。


 国際映画祭ということもあり、またタイトルがNANGA PARBATではなく「断崖のふたり」だったこともあり、山岳関係者にはあまり知られていなかったのか?会場は映画愛好者と思われる方が多く、空席も目立っていた。
 チケット売り場ではミニスカートに黒いタイツの若い女の子三人組が「断崖のふたり、(席が)だいじょうぶみたい」とチケットを購入しており、待合いベンチでは「なんかねぇ、めすなーっていう人がねぇ、山登る映画みたいなんだけどぉ」と今風の若い女の子のおしゃべりが聞こえてきた。

 映画が終わり、会場を出て階段を下りていると、
 「よくわからない」
 「山は怖いよねえ」
 「ああしなければ(ディアミール側に下降したこと)、助からなかったのよね」
 という、あまり山は知らなさそうな若い女の子たちの会話が聞こえてきた。

映画『NANGA PARBAT』は来春、日本でも公開予定らしい。
登山史マニアのJACの爺さんどもから、山ガールの皆様まで、受け取り方は様々であろう。
メスナー兄弟の単なる冒険談・英雄談とは受け取られたくない。
メスナーの視点から描かれたものとはいえ、できれば『裸の山』ご一読の上、鑑賞すると映画細部の背景がよく御理解できるであろう。

映画NANGA PARBAT 予告編

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六本木

六本木
夜行バスで上京、セックスと暴力、薬物汚染に彩られた街、六本木に参上。目的は…後日UP。

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第5回ピオレドール・アジアに岡田・横山氏、功労賞に故・長谷川恒男氏

 10月21~24日に韓国で開催される大規模な山岳イベント「Mountain Korea」に併せて行われるビオレドール・アジア賞において、ローガン南壁に新ルートを開拓した岡田・横山氏に決定した模様。

 Korea news: Piolet d’Or Asia winners unveiled  by Explorersweb.com2010.10.22

 今年から設けられたビオレドール・アジア功労賞は、アジアのアルピニズム発展に貢献した人物に与えられる賞(韓国の月刊「人と山」より)ですが、第一回功労賞は故・長谷川恒男氏に決定。

 「ゴールデン・クライミングシューズ」賞にはキム・ジャイン、「シルバー・シューズ」にはアイスクライマーのパク・フィヨンに決定。

 なお今年のビオレドール・アジアには、スークーニャン南壁に新ルートを開拓した中国人ペアもノミネートされていたことを付け加えておきます。

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鬱につき

Hang_2
鬱のため更新停止です。

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雪が降る。

東北の山はそろそろ、
Snow
雪でござんす。

東北の山の初冠雪は、次の通りです。
(左より山名、平年の初冠雪日、昨年2009年の初冠雪日)

八甲田山、10月16日、11月2日
岩木山、10月15日、 11月4日
太平山、10月31日、 11月2日
岩手山、10月13日、10月10日
月山、10月15日、 11月4日
大朝日岳、10月19日、11月4日
雁戸山、10月28日、11月2日
龍山(蔵王)、 10月30日、 11月2日
泉が岳、11月6日、 11月3日
蔵王山、10月23日、 11月3日
吾妻山、10月21日、 11月3日
(以上、仙台管区気象台発表)

なお2009年で初冠雪の観測を打ち切った鳥海・磐梯・飯豊の昨年の初冠雪日は以下のとおり。

鳥海山 2009年10月10日(酒田測候所)
磐梯山 2009年11月3日( 福島地方気象台)
飯豊山 2009年11月4日(〃)

紅葉、晩秋の山を楽しもうと計画されている皆様、どうぞ防寒対策はしっかりとしてお出かけください。

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或る『ツアー登山』の遭難死

思うところあり、昨年のトムラウシ遭難関連の記事を改めて読解中。

 本質的な問題ではないのだが、トムラウシ遭難事故を巡るいくつかの記事・レポートにおいて、「ツアー登山は日本独自の登山形態」という趣旨の文章が見かけられる。
 山の法律学で知られる溝手弁護士しかり、山岳ライターの羽田氏しかりである。(羽田氏の場合、「日本のツアー登山のような形態の山登りも一部の国を除いてほとんど無いそうだ」という表現を用いている。)
 
 だが実際は異なる。
 今夏、中国・北朝鮮国境の山・白頭山(長白山)で発生した、韓国のツアー登山事故を紹介しておきたい。

[遭難詳報] 死を案内したHツアーの白頭山登山 by 月刊「山」2010年9月号

以下記事引用開始
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8月8日、中年女性死亡…悪天候の中、お粗末なガイドで全滅寸前
国内旅行会社らの無責任な低価格競争、事故の要因は残ったまま

 白頭山(ペクトゥサン)登山中の韓国人女性キム某さん(51歳)が死亡した。 中国現地病院での診察結果、死因は心不全とされた。しかしキムさんと登山を共にした一行は、低体温症が死因だと主張した。 遺族側は「大手旅行会社のHツアーを通じて参加したし、普段は心臓疾患どころか病院に行くこともなかった人がなぜ遺体になって帰ってくるのか」と号泣した。

 キムさんはどのようにして亡くなり、大手旅行会社の白頭山(ペクトゥサン)登山の陰に隠された真実は何か、調べてみた。以下はHツアーを通じて登山に参加した山岳会会長K氏と、登山を斡旋した旅行会社代理店社長H氏の話を総合した内容だ。


 A高校同窓山岳会34人は、8月7日朝、仁川空港を出発して延吉空港に到着した。延吉で観光をした彼らは白頭山近隣の観光ホテルで一泊した。翌朝縦走するためにジープに乗って天文峰山麓の駐車場に到着、時刻は午前8時10分だった。 同窓山岳会会長K氏は「山岳会で普段から登山に慣れた者だけ参加申請するようにして34人が集まった」とする。 旅行会社に白頭山、宗主山(チョンジュサン)登山ができるようオーダーし、Hツアー側はこれを受け入れた。 旅行会社を通じて登山ガイドが同行して説明をして引率すると期待したがそうでなかったという。

 K氏は「旅行会社を通して会員たち全員に一日かけて白頭山、宗主山登山をするということだけ知っていただけで、詳細な内容は分からなかった」とする。 しかも地図一枚与えてくれなかったし空港から一行を導いた女性ガイドは普段着でジープに乗って上がってきて、登山が始まるとすぐに帰ってしまった。 旅行会社代理店社長H氏が同行していたが、彼もHツアー本社を通じて顧客斡旋だけしただけで、白頭山は初めて、登山経歴もなかった。H氏は「私も白頭山登山は初めてであったし、コースを辿るのにHツアーに依頼したのだ」と伝えた。

 白頭山観光規定によれば、登山者20人当りに一人の中国人現地ガイドを雇用するようになっている。 34人だったから2人の案内人が同行したが、通訳がいないため意志疎通が全くできなかった。それでもここまできて行かないはずもない立場であるから、登山は始まった。当時の白頭山は厚い雲で覆われ雨が降った。 しかし登山をするのに支障をきたす程ではなかったという。

 鉄壁峰から天池に降りた一行は、龍門峰を登って登山を継続した。 白雲峰を通過して白雲峰と青石峰の間の渓谷に到着した時間がおよそ午後1時30分だった。 ここで彼らは食事をした。
 しかし8月の夏山を想定して準備した彼らにとって白頭山の寒い風雨は予想外であり、話が通じる登山ガイドがいないため、どれだけ歩いてきたのか、どこまで行かなければならないのか、が分からなかった。ここで先頭グループは食事をせず、すぐに青石峰を登って駐車場へ向かった。

 食事を終えた午後2時頃、青石峰に向かって登る頃には強風と激しい雨が吹き付けた。K氏の話によれば「韓国国内でいくつもの山を登ってきたが、本当にこのように強い風雨は初めてだった」という。女性たちは二人ずつ腕を組んで飛ばされないよう努力しなければならなかったという。代理店社長H氏は「70kgを越える成人男子が風に飛ばされるほどだった」とする。 青石峰を登って強い風雨と寒さに皆完全に疲労した状態であった。 がっしりした男性たちも、このあたりでは脚がふらつくほどだった。夏ということで防寒服を準備せず、Tシャツにウインドブレーカー、登山用雨具を着ている程度であった。「7~8時間は雨に降られ服はすべて濡れていた」という。

 中国人ガイドは先頭と最後尾に位置して人々を案内した。 先頭のガイドは食事もせずに長時間行動していたため、一行を案内する者は最後尾のガイド一人だけだった。 結局、最後尾のガイドが先に立って道のりを追った。
 しかし風雨はより一層強まって霧は濃厚になり、視界は4~5mしか効かなかったという。青石峰を出発後、一行の後方を歩いていた9人は先頭を見失ってしまった。9人の中には旅行会社代理店社長H氏が一緒にいた。彼は「4人ほどが一人では歩くことができない状態になり、行動食を食べさせていたら先頭の人々と離れた」と証言する。

 そのような渦中に摩天峰付近で鉄柵が現れ、慌てて道に戻った。この時、時刻は午後3時20分だった。30分の間歩き回ったが、戻ってきたところは同じ場所であった。リング・ワンデリングに陥ったのだ。ここで4人は歩く力を失い、倒れた。周辺に何かを覆っておいたビニールがあり、それを持ってきて分けて被った。2人は道を探し、残り3人は倒れた4人をマッサージしたり頬を打って彼らを起こさなければならなかった。
 
 この時、4人の状態は深刻だったというのがH社長の話だ。
 「幻聴が聞こえて、うわごとを言って、眠ろうとしていた」と、当時の深刻な状況を伝えた。彼も「私はここで死ぬんだな」と考えたという。代理店社長が携帯電話で数十回も通話を試みたが通じなかったという。
 人々が倒れてから2時間後、午後6時頃、なんとしても降りなければならないと考えた彼らは倒れた人を背負って引っ張ってして玉柱峰の下に下山したという。この時、キムさんは意識を失った状態にあり、二人が一番後尾で彼女を引っ張るようにして来る状況だった。

 後ろのガイドと同行したチームに山岳会長K氏がおり、彼らは午後5時頃、駐車場に到着した。30分経過しても後方の9人が到着しないため、長白山管理事務所の所長とガイドが登り、午後6時過ぎ、がすぎて結局遭難した山岳会員たちに会った。この時、駐車場管理事務所と電話を通じて彼らを救助するため何人か人員が必要なことがわかったが、救助隊を呼ぶには2時間待たなければならなかった。山岳会長K氏が男性会員たちと現地に向かおうとしたが、現地管理所から悪天候が激しくて行けないと出発を止められた。結局、現地ガイド6人を雇い、救助に向かうと、玉柱峰をすぎた地点でキムさんを除いた8人が震えていたという。

 K氏の話によれば「縮こまるように座ってふるえながら‘助けてくれ’と話した」という。女性2人、男性1人は低体温症でとても危険な状況にあり、残りの人々も当時の状況については一部しか記憶がないという。山岳会会長K氏がキムさんのいる所にたどり着いた時には、先に登ってきたガイドが彼女のそばにいたという。 キムさんは呼吸をせず、人工呼吸と心臓マッサージをしたが、回復しなかったという。

 疲れきったキムさんは三時間近くの間、強風と雨の中、服がすべてぬれたままで倒れていた。 同行した彼らは、キムさんが普段、国内の山では先頭グループを歩くほど体力があったし、心臓関連の病気は全くなかったとし、低体温症が死因だと確信した。 H氏は「4人が危篤な状況にあり、30分遅れていたら死亡者はさらに増えていた」と当時深刻だった状況を話した。
 山岳会会長K氏は「現地ガイドと言葉が通じず、どうにもできなかった。地図一枚も与えず登山に関する情報も一言もないなんてことがあるのか」と悔しさを炸裂させた。

今後も事故発生の可能性は非常に高い

 延辺で白頭山登山専門ガイドとして16年間勤めたL部長は、この件に関して「低価格競争が産んだ、予想された事故」と明らかにした。
「韓国人らを相手に白頭山観光を案内する旅行会社が15社あります。 この中でロープ、コッヘル、バーナー、非常用医薬品を50リットル以上のザックに入れ、安全に案内できる山岳ガイドがいる業者は、2社ほどだけです。」

 L氏は白頭山登山をしようとする人々が色々な旅行会社に見積もりを出し、少しでもさらに安いところを選ぶ状況から低価格競争が激しくなり、国内旅行会社でも韓国人ガイドが同行せず、現地旅行会社で朝鮮族ガイドが1人同行することになったと話した。この現地旅行会社も低価格競争によって専門的な登山能力を持ったガイドはほとんどおらず、買い物に誘導して売り上げを上げることにだけ汲々とするという。

 今回のA高校同窓山岳会のように、朝鮮族現地ガイドのうち半分程度は登山経験が無く、中国人ガイド二人だけ同行させて送りだすという。 今回の場合のように緊急事態が発生した場合、全く意志疎通にならない問題点がある。

 それでも韓国人らの事故が比較的に少なかったのは、山岳会で参加者を募集してくる場合が多く、韓国人の山岳会のリーダーが先頭に立って案内していたためだという。 L部長は「現地ガイドらのリュックサックを見れば、ヘッドランプ一つすらなく、何の登山能力もない人が多い」「顧客を募集して送りだす韓国の旅行会社社長たちも、大部分は白頭山を訪れたことすらなく、何の対策もなしに客を送りこんでいる」として旅行業界の安全に対する「不感症」を指摘した。 また彼は「ジープであっという間に高度を上げて登山するため、高度障害が現れる場合もある。非常時の対処能力がある山岳専門ガイドが要領よく顧客を導くのが重要だ」と話す。

 一方、遺族側は「普段持病はないのに心臓病と診断されたのが納得できず、解剖検査を依頼した」と明らかにした。また、Hツアー社側の誠意ある謝罪を期待したが「遺体運搬用棺が数千万ウォンがかかる」として「遺体運搬用棺を貸す」という返事がきたという。これに対してHツアー社広報部 チョン・キユン 部長は8月20日「現在、状況把握中のため、公式的なコメントは表明しにくい」とした。

 事故発生時の中国側の管理体制が整っていないことも問題だ。 中国人ガイドが体力低下した人の世話もせず、先立って降りて行ったことは誤りである。一番後ろでガイドの役割を務めなければならないガイドが自分の任務を果たせないのだ。中国側の受け入れ体制も粗末であることは明らかだ。

 白頭山の天池一帯は樹木もなく、晴天の日は視野が広々と開けている。しかし登山道が整っておらず、道標もなく、悪天候時には道を探すのが容易ではない。国内1位の旅行会社Hツアー社で34人もなる団体顧客をこういう危険な状況において、事故発生10日を越えても謝罪や立場表明もなく、遺族が本社を訪ねるとすぐに「遺体運搬用棺を貸す」と一見道義的であるが側面では正しくないという世論の見方だ。

 調べれば、これは低価格競争が呼び起こした予想された事故であった。 消費者の立場としては、どうせならさらに安い旅行会社を探すのは当然だ。 問題は、大小の旅行会社が増えて過度な競争に生き残るために基本を守らないことが一般化してしまったことだ。
 ショッピングを取り込んだ不快な低価格観光ツアーはここ1~2年だけの話ではない。 旅行業界自ら自浄できるラインを越えた。制度を整え、基本的な安全を無視して利益だけをあげようとする業界の競争に線を引かなければならない。

 キムさんは1男1女を苦労して育て、余裕ができたために初めて海外登山に参加したという。普段から登山を好み、初めての海外登山は民族の霊山・白頭山だった。大手旅行会社を信じて出発したキムさんは、残念なことに天池で遺体となって帰ってきた。

 旅行と登山は違うということを、一部の旅行会社は全く知らないようだ。登山には危険が従い、山で他人の安全の責任を負うということがどれくらい困難であるか。

シン・ジュンボム記者
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以上引用おわり

 テキストだけでは状況がわかりにくいので、以下に白頭山の地図を掲載します。
Hkmt
(図に縮尺の記載が無いので距離感がつかみにくいですが、図の天池の直径(東西方向)は約3.4km)

 亡くなったキムさん達が発見されたのは、出発した駐車場とは逆方向の玉柱峰であり、視界不良によって道に迷ったことがさらに一行の体力を奪ったものと推察されます。


 さて当記事の冒頭に述べたように、「ツアー登山は日本独自の登山形態」と考えている方がおられるが、それは誤りである。
 韓国の山岳雑誌ウェブサイトの広告欄には「ツアー登山」の広告が掲載されている。特徴的なのは、登山の対象は韓国最高峰のチェジュ島・ハンラ山、そして韓国の人々にとって民族の霊山・白頭山(長白山)のツアーが圧倒的に多い。そして最近は日本の「北アルプス」ツアーも目立つ。

 前述の記事を読んでいて、意思疎通のできない外国人(ここでは中国人)ガイドが引率という状況とはいえ、多くの方は昨年のトムラウシ事故との類似点にお気づきだろう。
 ツアー、ガイド、顧客、そして旅行社の体制に関しては昨年のトムラウシの事故に伴い様々な論議がなされているので、その議論はここでは割愛する。

 筆者が思うこと。
 現在、日本の地方自治体が韓国の登山熱に注目して盛んに登山ツアー誘致を行う動きを見せているが、こうした外国人による「ツアー登山」には、日本人によるそれとは異なるリスク、また日本におけるツアー登山同様のリスクいずれもが潜んでいることは、十分に考慮しなければならないであろう。
 そしてもっとも気になるのは、韓国の背後にある今や経済大国となった「発展途上国」中華人民共和国の存在である。中国は中国登山協会を中心に、国家が「登山管理法」の下にアウトドア・登山の指導者管理制度を作り、一部の中国人指導者はフランスのENSAにも派遣されている。しかしそれ以前に、無数の旅行社が登山ツアーを催行しつつある。
 はたして、経済発展著しい中国において、利益を求める旅行社が登山をツアーとして催行することと、中国国内における一般市民への登山の啓蒙が行き渡るのと、どちらが先であろうか。

 私個人は当ブログで前々から主張しているように、ツアー登山は今や登山の一形態であり、組織に関わらない一般市民を登山の世界に受け入れる、受け皿として存在すべきであると肯定的に考えている。
 今回の記事を読み、あらためて「ガイドの使命とはなにか」を考えざるを得ない。

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で、韓国のアイス・ワールド杯はどうなった?

 西洋偏重のロクソノ誌ではその動向が聞こえてきませんが、韓国の山岳雑誌では着々と開催予定のアイスクライミング・ワールド杯のネタが聞こえてきます。
 
 今回、スポーツクライミング大会におけるスイスチームのコーチとして、UIAAアイスクライミング委員会副会長であるウルス・シュトッカー(Urs Stöcker、33歳)氏が韓国を訪問、山岳雑誌「山」のインタビューを受けました。

[ピープル] UIAA アイスクライミング委員会副会長ウルス・シュトッカー
「韓国は世界のアイスクライミングをリードしている水準です」 by 月刊「山」2010年10月号

以下記事引用開始
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2010092901702_0 ウルス・シュトッカー(Urs Stöcker、33歳)は、国際山岳連盟(UIAA) アイスクライミング委員会副会長である。若くして副会長を務めるのは、彼の経歴が大きい。2000年、トランゴタワー(6,285m)を最年少で登攀、世界的な登山家クリス・ボニントンがもっとも困難な登山としたパキスタンのオーガ(訳者注・バインターブラック、7,280m)を 1977年以後 24年ぶり 2001年に登頂した。
 
 以後、チューリヒ工科大学で筋肉の研究で博士号を取得、運動生理学の専門家だ。2006年にはスイスのアイスクライミング・ナショナルチームの公式トレーナーに就任、UIAA アイスクライミング委員会の副会長に就任するに至った。すなわち強靭な登攀能力と明晰な頭脳取り揃えた人物であり、若くして国際山岳連盟の幹事役員になることができた。
 これについて彼は『元々はスイスのアイスクライミング・ナショナルチームの選手兼トレーナーだったが、国際山岳連盟アイスクライミング委員会の一員になった』と背景を説明した。我が国を訪問したのはIFSC スポーツクライミング・ワールドカップ大会にスイスチームのコーチとして参加したためである。

 来年 1月、我が国では初めてアイスクライミング・ワールドカップ大会が慶尚北道青松郡で開催される。開催地選定にあたってはアイスクライミング委員会が大きな役割を果たした。彼は韓国で開催されるワールドカップ大会が重要だと強調する。

『国際山岳連盟は、スポーツクライミングよりもアイスクライミングがオリンピック正式種目の登録にさらに可能性があると考えています。そんな事情もあって、韓国大会が重要です。アイスクライミングがヨーロッパだけではなく、世界的な種目であることをアピールすることができるからです。』

 最近のワールドカップ競技が純粋な氷壁より、ドライツーリングの比重が高くなっていることに対して彼は『元々は氷で競技をするのが原則だが、自然氷でルートを作るには限界がある』と話す。
 たとえばオーバーハング区間でも、少し複雑な構造物に氷を氷らせるのが現実的に難しいため、ドライツーリング区間が増えたという。しかし彼は『ドライツーリングが競技の中心となるようにするつもりはない』と付け加えて言った。 『韓国で冬期オリンピック(平昌)が開催され、これに合わせてアイスクライミングが正式種目に採択されるように願っている』
 青松郡でのワールドカップ大会を成功をおさめるための条件として、彼は通訳の問題を指摘した。シュトッカーは春川で開催されたクライミング・ワールドカップ大会に参加した際、『施設はすばらしいのに、意志の疎通に問題があった』天候と通訳に恵まれれば、大会は成功すると見込んでいる。

 韓国のアイスクライミング水準に対しては『シン・ユンソン、パク・フィヨンはよく知られている。ほぼ世界のアイスクライミングをリードしている水準』と高く評価した。実は数年前までは韓国の選手たちはどのくらい上達するのだろうと思っていたが、今このような結果に驚いているという。しかし、選手たちがもっと発展するためにはナショナルチームを作って支援することができる体制がなければならない、と指摘した。

文シン・ジュンボム記者/写真ヨム・ドンウ記者
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以上引用おわり

 いやいや、「あいすくらいみんぐ」なんておっかねえことはオラわかんねえだが、スイス人にも韓国語は難しいんですね、ということがよくわかる記事でした。

※Urs Stöcker氏の日本語表記については、ROCK&SNOW14号収録のバインターブラック登攀記録より、恩田真砂美氏邦訳の「シュトッカー」にならいました。

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ポスト=キム・ジャイン、ハン・スラン

キム・ジャインに続く韓国の女性クライマーとして、10代のハン・スランが注目されています。

以下引用開始
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限界!それを楽しめれば最高になる by 月刊 人と山2010年10月号

韓国スポーツクライミング界を導く次世代女性クライマー

H1

 韓国 の「少女時代」「KARA」たちのパワーが恐ろしい。
 10代のファンは無論、中年男性の支持を受けて音楽チャートを席巻したにも飽きたらず、海の向こうの日本人ファンの心を一瞬にしてとらえたからだ。彼女たちの影響力がいかに大きいか示す例が、保守的に有名な NHKの看板ニュース「News Watch 9」が『第2の韓流ブーム』というタイトルで彼女らの活動状況を 7分間報道したのだ。
 朝日新聞もこんな韓国女性グループの爆発的人気の秘訣を、実力を基本とした多様性、パワフルでエネルギーにあふれるパフォーマンスと説明した。

 韓国の10代達の善戦は今日だけの事ではない。去るバンクーバー冬季五輪を通じて、楽しむ者の強靭さを強く印象づけたG世代(1988年ソウルオリンピック前後に生まれた、グローバル世代)のパワーを、私たちははっきり見守ったからだ。

 こんな視点で見れば、韓国スポーツクライミング界も同様だ。代表的な例が、去る春川ワールドカップリード部門で優勝を占め、今後数年間は敵なしといわれるキム・ジャイン選手だ。そしてその後にひかえる一人の10代のクライマーがいる。ハン・スラン(19歳,崇実大学校)だ。

H2

無心になると遠いホールドが掴めた

「こんにちは、スランです。」
9月 8日、短いスカート姿にリュック代わりにタイヤがついた旅行用ケースをひいて現われた彼女に鷹峰山岩壁登山公園で会った。
 そんなハン・スランがクライマーに変身したのはトイレで服を着替えた後だった。そして舞台に上がる前の歌手が首をリラックスさせるようにストレッチを終えた彼女は、人がいないルートを選んでクライミングを始めた。
 軽快なダンスをするような彼女のムーブは、愉快なダンス歌手の律動のようにさわやかだった。しかしこのために彼女の流した汗は、言葉では表現することができない。その過去の物語のスタートは今から 5年前である。

 ハン・スランは幼い頃から自由な精神とハートを持った子供だった。彼女の自由奔放でまっすぐな性格は安定した水平の世界よりも垂直の壁を登るのに適していた。これを裏付けるエピソードがある。
 小学校にちょうど入学した頃、スランはイベントに参加して人工壁に初めて触れた。一番高く登った参加者が景品をもらうイベントだったが、彼女はこの時頑張って人工壁を登りきった。景品に目がくらんだわけでもなく、高さと墜落に対する恐ろしさがなくもなかった。ただ競争相手である兄よりもっと高く登りたいという意欲がすべてをさしおいてクライミングに集中したのだ。

 このように生まれつきの垂直志向を示した彼女の性格は、イベント行事という気軽さの陰に忘れ去られるところだった。しかし、水面下で眠っていたクライミングの本能が眠りを覚ましたのは 2005年、高校山岳部出身である父親とともに水原クライミングセンターをたずねてからだ。この時からスランはクライマーの卵として楽しい遊びのようなクライミングを栄養にして、すくすくと成長した。

 水を得た魚となった彼女は、クライミングの実力が伸びるとすぐに親善ボルダリングコンペに出場、好成績をおさめ、クライミング全国大会を見学しながら、選手として出場する夢をいつしか育てていった。 そんなある日、「クライミングコンペに一度出てみては?」彼女のずばぬけた実力を見抜いたチョ・ギョンア氏の提案に、彼女の返事は“Yes!”であった。 そのように始めた選手生活が今ちょうど5年目をむかえた。

「 2005年秋、安養で開催されたスポーツクライミング大会中等部に初出場して以来、私より年少の大邱のカン・ボラにスーパーファイナルで毎回負けてました。理由を考えてみたら、ボラが私より果敢でもっとパワーがあったんです。それで手足がもっと長かったらホールドを易しく取ることができるのにって思ったんです(笑)。でも他に方法ないでしょ。能力不足を満たすためにはクライミングをもっと楽しむしかありません。」

 そして中学校 3年生になったスランは、優勝圏内にいるものの一度も表彰台の一番高い場所に上がることができなかった。優勝に対する望みを抱いてその年秋のソウル市大会に参加した。しかし今回も優勝を目指す状況にはなかった。何故ならば指の負傷にあう前まで中等部最強といわれたハンナ・ソン選手が 1年ぶりにこの大会で復帰、毎度自分を破っていたカン・ボラさんも並大抵の強さではなかった。
 
 しかし気後れして解決される問題ではない。かといって前向きに力んでも結果がみえないその瞬間、スランは ‘ユーレカ(わかった)’を叫んだ。
「落ちてもいいんじゃない。気負わず楽しみながらやってみよう。」

 無心の境地に立ったのだ。すると緊張された筋肉はほぐれ、今まで弱点として指摘されていた遠いホールドにも手が届き始めた.
「あまりにも不思議でした。つかめなかったホールドが手につかめる感覚は…,何とも言葉で表現しにくい位だったからです。」

 このように堰を切って水が落ちるように彼女は2006年の各種大会中等部の優勝をほとんど総なめにしたのに次いで、2007年高等部優勝にまでつながった。この時彼女のクライミングに最大の影響を与えた人が、ソン・サンウォンの後を引き継ぐといわれるまでに急成長したミン・ヒョンビン選手だ。
「クライミングチームのお兄さんたちと一緒に登ってましたが、特にヒョンビン兄さんに多くの手助けを受けました。弾力を利用したクライミングが私に必要だったようです。そして無理やり登るより楽しみながらすることが大きく役に立ったんです。」

H3

一般部優勝をかちとる

 2008年はハン・スランの年だった。第7回アジアユースクライミングチャンピオンシップで 2位、ソウル市大会では一般部に参加して優勝、キム・ジャインに続く次世代女性クライマーに急成長した。しかし彼女にとってジャインは相変らず大きい壁であると同時に「手本」でもあった。
 実力が及ばないことはわかっていながらも、ジャインが登攀したルートは 10回も 100回も挑戦してとうとうムーブを解くと気が済んだ。
「クライミング意欲は私の方がちょっと多いように思います。段階を踏まなければならないということは分かってますけど、目標が決まらないとムーブがわかりませんから。」
 そのためだろう、クライミングの力は急上昇し、機会ある度に一般部競技に参加、優勝圏に入り「新しい強者」という印象を人々に刻んだ。

 しかし成長期にあった彼女の身体に無理が来た。2008年冬、新しいステップを目指して高強度のトレーニング中に中指を負傷する。これにより翌年シーズン初めの大会を逃した彼女は、気を取り直して光州で開かれた「全国スポーツクライミング大会」女性一般部難易度 3位に輝いたことを皮切りに 2009年春川で開かれた「第18回アジアチャンピオンシップ」 リード競技部門で 2位に上がった。.
 その年の冬、トレーニング中に再び肩を負傷、6ヶ月間リハビリ治療に専念するしかなかった。これが終りではなかった。肩がほとんど完治する頃、ボルダリングをしている最中にまた足を負傷したのだ。泣き面に蜂だった.
「あまりにも激しく痛みました。他の友達が体を動かしているのを見ていて涙が出ました。私もあれをしていなければならないという思いで。悪い事がどうして私にだけ重なって来るのか理解ができなかったんです。」

 この時期スランは待つことを学んだと言う。難しい試練と思い、この峠さえ突破すれば新しい世界が開かれると信じて待った。幸いに身体は急速に回復し、8ヶ月ぶりにまたホールドを手にすることができた。
 
 こんなハン・スランが、去る 9月 11~12日に開催されたソウル市大会で完璧な復活を遂げた。世界最強の地位を固めたキム・ジャインとスーパーファイナルまで行く闘いを展開、惜しくも 2位となったのだ.
「リハビリはとてもうんざりしましたが、実際に決勝戦でジャイン姉さんと一緒に登って二位だからとても気持ちが良かったです。それまでの不運がいっぺんに吹き飛んだようです。」

 半日のクライミングを終えた彼女が、短いワンピースに着替えて現われた。クライミングの本質に対する質問を投げかけた。
「今年がクライミングを始めてから 5年目です。クライミングは大変だけど面白いです。まだクライミングの深い意味は分からないけど、10年くらいたつと分かることができるのではと思います。その時なら、ジャイン姉さんのように世界の頂点に立つ自信もあります。」

「努力ばかりする者は、楽しむ者には歯が立たない」
面白く楽しんで、自分の力量を上げていくというハン・スランは、韓国女性歌手グループの日本での活躍のように世界に向けた彼女の活躍はこれからが始まりだ。

 しかしそんなスランが不安に思うこともある。
 それは恐ろしい勢いで追いかけてくる後輩たちだ。
「サ・ソルが密かに気になります。私より手足が長 くて遠いホールドをよく取るんですよ(笑)。でも私も一生懸命やってますから、楽しく競おうと思います。」

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以上引用おわり

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積み木式クライミングウォール

台湾の『台北国際発明技術展示会』において「積み木式クライミングウォール」が出品されたそうです。

積木式攀岩牆首次在發明展曝光 by 中時電子報 2010/9/30

百聞は一見に如かずで、まずは下記動画をご覧あれ。

 人工壁に積み木方式を採用することにより、屋内・屋外いずれでも設営・移動可能、そして従来の人工壁設営に比較して簡単かつコスト低減がメリットだそうです。ブロックを構成する六面体は、六面すべてが接合可能になっているとのこと。『台北国際発明技術展示会』でもっとも人が集まるコーナーになっているそうです。

 大人で体格いいクライマーがランジなんかしちゃったりすると全体がひっくり返るような気がするのですが、子供むけにはいいかもしれませんね。

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先週の和菓子

先週食べた和菓子をまとめてアップ。

Pa0_0000

壷屋の季節限定商品、栗金時。
サツマイモを模した菓子で、芋と栗の餡が入ってる。
北海道って、こういう他の食材を模した菓子が多いような気がする・・・わかさ芋とか・・・
休日の、袋地沼のほとりで缶コーヒーとともに食べました。
いや、美味しいんですけどね。私の場合、肉桂の香りが苦手だったりする。


Pa0_0014
北菓楼の『夢開拓草饅頭』。
店頭の見本の「粒あん」に惚れて買ったのだが、これが激ウマ。
大量のヨモギを用いて作ってるらしいのですが、饅頭の皮が凄い鮮やかな緑色で、思わず「着色料使ってんじゃねえか?」と包装を見直したくらいの緑色。包装紙には着色料の記載は無いのだが・・
香りからしていかにも「草饅頭っ!!」という主張の強い饅頭でした。
ネーミングはどっかの三流政治家のスローガンみたいな名前ですが、オススメ饅頭です。

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石狩川のほとり、袋地沼。

里山歩きを早々に終え、次の目的地を目指す。
山あいを抜け、広い農地が延々と続く石狩川沿いを車で走る。

目の前に石狩川の堤防が続く。
開拓民にとって、その歴史は氾濫する石狩川との闘いでもある。
 
この石狩川、地形図をみていただければ一目瞭然だが、『三日月湖』が多い。
蛇行する河川が何らかの影響により流路が変化した際、河道がとりのこされ、その形から『三日月湖』と呼ばれる地形である。
立正大学で地理学・地形学を学んで知識としては知っていたが、実物を間近でぜひ見てみたかった。

車は新十津川町に入り、広大な農地を走る。

Pa0_0008
まばらに存在する農家の敷地に、鉄製のコンテナがいくつも積まれている。
中身は・・・ストーブの薪かな????

Pa0_0007
よくよくみれば、収穫されたタマネギでした。新十津川町の産品だそうです。秋ですね。

さて、車は石狩川最大の三日月湖、『袋地沼』の東端に到着。
この袋地沼、面積は約45.7万平方m、札幌ドーム8基ぶんの広さ。白鳥の飛来地として知られています。
私が訪れたときも、なにやら水鳥の群れが数多く羽を休めてました。
Pa0_0005

 この袋地沼、昭和16年から26年にかけて施工された石狩川河川改修工事で河道が直線化、この工事によって袋地沼が誕生したという経緯があります。
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 地形図をごらんいただきたいのですが、石狩川右岸(図では石狩川の左側)は新十津川町の行政区域。
 ところが、沼に囲まれた「袋地」地区は飛び地のように石狩川左岸(図では石狩川の右側)に位置する砂川市の行政域になっています。タマネギ農家など22世帯が生活。
 逆の左岸には新十津川町の行政域があったりで、非常に蛇行した河川流路で行政区域も複雑になっています。
 (参考資料:プレス空知2010年10月2日発刊号)

 沼のほとりから水底を観察すると、沼といっても泥・湿地ではなく、旧河道らしく円礫・亜円礫がみられます。
 また沼に隣接して砂利採取場があり、今は広大な農地も、かつては石狩川の氾濫原であることが容易に推察できます。

 山だけではなく、もっといろんな自然も、どん欲に見ていきたいです。

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足跡

日曜、休日。
天気予報では早々に雨とのことだったが、朝から薄曇り。
車で近くの里山を目指す。
里山といっても、人家もまばらな北海道、山奥深い。

『夫婦山』という名前が気に入り、そこを目指すが林道はすぐに密な笹藪で覆われていた。
少し丘を越えた隣の林道からアプローチしてみる。

大雨のせいだろうか、やたら転圧の緩い砕石敷きの林道を奥へと歩く。

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ぬかるんだ林道の泥にくっきりと足跡。エゾシカかな。

足跡はずっと奥まで、林道沿いに続いていました。

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夏の名残が二匹。

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マタンゴの頭みたいに怪しげな実をつけた、マムシグサ。

林道奥はやはり濃い笹藪で覆われていた。
今回は出張中の身、最低限の装備しかありませんので迷うことなく引き返す。

ただの林道歩きも、殺風景な現場風景しか見ていない自分には新鮮な時間です。

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新生活。

今日から短期間ですが、北海道の住人になります。
ウイークリーマンションに移り、たのしいたのしい一人暮らし。

Pa0_0009
今回の部屋は北海道らしくガスストーブ付き、冷房無し。
ついでに家具も無い(白テーブルは持ち込んだもの)

またまたフランス映画みたいなシュールな生活空間です。

スーパーマーケットには、

Pa0_0005
コマイ(氷下魚、カンカイ 名前の由来についてはこちら参照)が置いてあるのは、やはり北海道。
若かりし頃、冬の北海道の山に敗退続きの頃、親父が好物だったので帰りはいつも氷下魚を買ってました。

嗚呼、これから毎日、左翼がかった北海道新聞でも読むか・・・と思ったら、コンビニで超ローカル紙を見つけ買う。

Pa0_0008
超ローカル紙、『本日の紙面』タイトルの見出しには堂々と、

『 天 然 マ イ タ ケ を 発 見 』

マイタケ同様、いい味だしてる新聞でした。

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