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二流の山岳小説 『遙かなる未踏峰』【12/29補足】

※以下の記事にはネタバレが含まれます。

M1
 ジェフリー・アーチャー作、戸田裕之訳の『遙かなる未踏峰』(原題「Paths of Glory」)を読了。
 長期出張が終わったばかりで自宅では子供が常にまとわりつくので、ネットカフェに引きこもり&深夜子供が寝静まった時間を利用して気合いで読了。

 日本でも知られるイギリスの作家、ジェフリー・アーチャー氏が取材を重ね、1924年チョモランマに消えたマロリーについて、その生涯を描いた「小説」である。
 表紙を開き、第1ページから

『「この前、スパイクを着けてボルダリングに行ったら滑落してしまってね」と、コンラッドが言った。』

 と、いう書き出し、もう気分は「今夜は、えへへへheart01」というところで「今、生理中なの。」と言われた気分。(大人ネタですんません。)
 この一文に関しては、ブログ「雪山大好きっ娘。」えのきど。さんもツイッターで嘆かれています。
 まあ原文が「hobnail」では、訳者の戸田氏もチンプンカンプンだったことでしょう。コンラッドとはコンラッド・アンカー氏で、マロリーorアーヴィンの遺体を見つけたときの暗号ということになっているのですが、いやはや。

 この作品に関しては、ジェフリー・アーチャー氏が取材活動を行っている段階から英字メディアでは結構話題になっており、2009年2月の時点で、当ブログでもマロリーのライバル、ジョージ・フィンチに関する記事を取り上げています。
 
 奪われた栄光 ~1924年 英国エベレスト隊の闇~ by 当ブログ2009年2月21日

 さて『遙かなる未踏峰』の内容は、早い話が上流階級のボンボン息子ジョージ・マロリーが恵まれた環境でその天賦の才能を発揮、20世紀初頭イギリスのそうそうたるメンバーの中で頭角を現し、チョモランマを目指すというお話です。
 ちなみに、前記リンクの記事でも書いたように、岩雪誌で池田常道氏が「マロリーがアーヴィンをパートナーに選んだのは酸素ボンベの取り扱いに慣れていたから」と、来日したノエル・E・オデル氏の言葉を引用して解説していましたが、ジェフリー・アーチャー氏もその説を裏付けるようなストーリー展開となっています。

 ま、山岳書の翻訳本では毎度のことながら、日本語訳がいやはやなんとも。
 高度順化が「馴致」などと、ずいぶん小難しい言葉に訳されている。で、地名は北壁が「ノース・フェイス」そのまんま。おおーっ、登山用品メーカーかと一瞬思ったぜ(嘘)。

 関心あって、翻訳業界の本とか読むことあるけど、ずいぶん「翻訳者は調査能力が必要」とか偉そうに書いてあるけど、現実の出版物と開きがあるんでないかい?

 翻訳の質は本質的でないものとして、内容は表題のとおり二流である。
 なぜか?
 以下、マロリーと同じチョモランマ北面からトライした者として、書く。

 マロリー達の登山描写に大きな違和感を持つ。
 それは、登山時の自然の描写が極端に少ない(というか、ほとんど無い)ことである。
 あの高度に到達したとき、まず周囲のチベットの神々しいまでの光景に目を奪われるはずである。(少なくとも私の場合は登っていてそうだった)
 ところが、この小説の登山シーンでは人物の行動と内面描写が中心で、チベットやヒマラヤの光景が描かれている場面が皆無に近い。
 あー、ジェフリー・アーチャーは取材を積み重ねたとはいえ、やっぱり「山」を知らないで書いているんだな、とありありと想像できてしまう。
 数少ない共感できる場面は、マロリーがパン・ラ(峠)からチョモランマを眺めて感激するくだりなのだが(筆者も、パン・ラから眺めるチョモランマが最高に美しいと思う)、実はそれはマロリーの手紙の一文であって、アーチャー氏オリジナルの文ではない可能性大。

 そして、ジェフリー・アーチャーは「マロリーとアーヴィンがチョモランマ初登頂」説を支持しているが(詳細は本書をお読みくだされ)、私は過去に当ブログでも何度も書いているが、登山経験に基づく信念として、マロリーとアーヴィンの初登頂という説は、確実な証拠が無い限り 絶 対 に 認 め な い 。
 チョモランマ(エベレスト)の初登頂の栄誉は、生還したヒラリーとテンジンに与えられるべきである。

 最近は私も性格丸くなってきたので、一応オススメな点を挙げる。
 それはマロリーと妻ルースの交流である。
 たまたま偶然ながら、最近になって植村直己氏の奥様への書簡集を読む機会があったのだが、やはり手紙というものは人のナマの感情を記録している。
 空想たくましくジェフリー・アーチャー氏が創り上げたマロリー像ながら、妻ルースとの交流場面はさもありなん、と思わされる。
 エピローグの最後の段落、マロリーの妻ルースの姿は泣かせます。 

 この小説、アルパインクライマーの爺の書評よりは、女性の視点からの書評をぜひ拝見したいと思います。

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2010.12.29補足

 小説の最後には、登場人物たちの「一九二四年以降」について、その生涯が簡単に記されています。
 当ブログをご覧になる方は山をやっている方が多いようですので、登山史に関心がある者として、次の人物について補足します。(ジェフリー・アーチャーが原文に書かなかったのか、翻訳で削除されたかは不明)

 チャールズ・ブルース
 小説の中ではマロリーを手足の如くコキつかう偉ぶった将軍として描かれていますが、史実では1907年の英国初のチョモランマ登山計画で、ロングスタッフらとともにチベット側からの登頂をねらうものの、計画は政情不安で中止、隊はトリスル(7120m)に向かい、世界初の7000m峰登頂を果たします。登山家・探検家として相当のキャリアを積んだ人物であります。

 ジョン・ノエル
 小説の中ではオーストラリア出身のフィンチが無断で講演活動を行なった問題人物、一方ジョン・ノエルは優秀な映像カメラマン、撮影した記録映画がヒットして登山隊資金捻出に貢献した人物として描かれています。しかし史実では、ジョン・ノエルはチベット僧をヨーロッパに呼び寄せ講演活動を行ったことが外交問題に発展した、いわゆる問題人物であります。この件については金子民雄著『ヤングハズバンド伝』に詳しいです。
 二人のノエル 【書評】ヤングハズバンド伝 当ブログ2009年1月12日

 こうした登場人物の一方的な描き方からしても、小説『遙かなる未踏峰』はあくまでもフィクションとして読むべきものでしょう。

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