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ちょいと

毎日、数多くの方々にアクセスいただき、ありがとうございます。
今滞在している土地は、
No
ネット環境から隔絶した施設なもんで、ブログ更新はてきとーになります。

 仕事の相棒がモバイルWiFiルータ持ってきてるので、お情けでアクセスさせてもらってますが、バリバリ重くて怪しげな海外登山サイトをそうそう見られそうにありませんので、しばらくローカルネタの予定。

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さすらい作業員、南へ

さすらいの土木作業員、日曜もお仕事に励み、夜、自宅に 一 時 帰 宅
リストラ寸前不良社員、休みも無く、翌日月曜から
Pa0_0014
茨城県某所にしばらく滞在しまーす。

一人、4t車を駆って高速道路をひたすら南へ。
温暖なイメージのある福島・いわきの山々も雪景色。
NHKFMでシューベルトの楽曲を聴きながら福島を縦横断、茨城に入ってからはAFN(米軍ラジオ放送)を聴きながら半日トラック野郎で過ごす。

茨城の目的地に着いた。
ETCの無いトラックなので、茨城某料金所の「一般」出口から出ようとすると・・

「雪どうでした?」
「どこまで積もってました?」

と、料金所のおじさんがやたらとフレンドリーに話しかけてくる。
私のトラックの後には後続車いっぱいいるんだけど(笑)
茨城いいトコだ。


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『岳人備忘録』が韓国人に与えた衝撃

Bi 既に多くのサイト、ブログで高い評価を受けている『岳人備忘録 登山界47人の「山」』ですが、韓国の山岳誌「人と山」誌上においても高い評価が与えられています。
 記事の執筆者は1977年韓国人初登を果たしたエベレスト韓国隊隊長のキム・ヨンド氏。氏は時折韓国の登山メディアに執筆されており、国家的偉業だった韓国エベレスト隊成功後は韓国の登山史を見つめてきた方でもあります。そのキム・ヨンド氏が『岳人備忘録』、特にそのインタビュー内容、編集方針に惜しみない賞賛を与え、日本の登山界を分析されていることは大変興味深いです。

登山家は備忘録を持とう by 月刊「人と山」2011年3月号

以下記事引用開始
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登山家は備忘録を持とう

キム・ヨンド(1977 エベレスト遠征隊)

 新年始め、月刊「人と山」のホン・ソクハ社長が日本を訪れ、風変わりな書籍を一冊送ってきた。
 『岳人備忘録』という本で、「登山界の47人」というサブタイトルが付いていた。
 備忘録は「忘れまいとして書き留めるノート」とされるが、ただ「メモ」と考えればよい。登山しながら、または旅行の際にその時々の考えを簡単に書いておけば、それで十分な備忘録だ。

 私はそれ以前にも、ホン社長から日本の優れたクライマーが書いた『垂直の記憶』という魅力的な登攀記をいただいたことがある。日本では広く知られた本なのに、私たちの登山界には読者は多いとは思われなかったが、今回の備忘録の冒頭がその人、山野井泰史だった。

 この本は昨年10月に出版され、日本の登山界の最近の動向が伺えて関心を惹かれた。活発だった日本の登山界が長い沈滞期に入り、その間はこれといった記録もなかったし、読むに値する山岳書も見あたらない昨今だった。

 日本は国民所得がアメリカを抜くほど経済大国になりながら、有名な日本アルプスに若者達の姿を見ることが難しいという話まで聞いた。我が国も生活がさらに楽になれば、このようになるのではないかと心配してしまう。
 ところでこの備忘録、読み始めて私の気持ちは複雑だった。これがありふれた本ではなかった。
 特に編集が優れていて、内容が斬新だった。登場人物47人は先鋭の現役クライマーと登山関連分野で仕事をしてきた人々だった。大きく1部、2部に分かれ、1部では発言と活動が注目される若いクライマー達の冒険思想と登山と生活、そして登山界への提言と批判などを30種のインタビューに集約したが、その質問が人毎に違っていた。一方、2部では登山界各分野で仕事をしてきて残したいエピソードを対談形式で記録している。
 このような編集の特色は、現在の登山界を牽引していく主役達の軌跡を具体的に追跡したところにあり、日本の登山文化史的な意義と価値がそのまま表現されているということだ。

 しかし私は、この本を読んで私たちの登山界の現実はどうなのか、という気がした。そして私たちもこういう本を構成することができるか少し疑問に思った。

 今日、私たちの登山界は飛躍的に発展している。これは事実だ。人々の山に対する認識が変わって登山人口が大きく膨らんだ。幸いなことだ。しかし、これをもって即、登山界の質的向上と見るのは難しい。
 派手な3大登山専門誌(訳者注、韓国の山岳雑誌『人と山』、『山』、『MOUNTAIN』を指すと思われる)には常に若いクライマーらの活躍が報道されているのに対し、私たちもクライマー達の意識と行為をより深く、登山と生活の文化的次元がどこまで到達したのか調べてみるとしよう。このとき、対象はどのように選び、インタビューと対談の内容をどのようにするかという問題が生じる。

 私は老いた元登山家として時折、執筆や対談の機会がある。そのたび感じるのは、質問がいつも一律的ということだ。そんなに尋ねることが無いのか?それは質問者が相手の世界をわからないためだ。ここに私たちの社会の知的水準が伺える。
 それだけでなく、並はずれて特異で重要な体験をしながら、クライマー達が登攀記をまともに出すことができないのも不幸なことだ。

 日本には、私たちが自慢するヒマラヤ8000m峰14座登頂などの記録は無いが、私は今回、彼らの備忘録を読んで骨にしみるほど感じた。彼らのアルピニズムの世界は私達とは違う。登山に対する意識と行為が違うのだ。

 岳人備忘録の最初のページ、初めての質問はこのようなものだ。
 「ギャチュンカン登攀後、人生観が変わったか?」
 日本のトップクライマー山野井泰史に問うた質問だ。
 彼の答えは、
 「何も。妻と共にただ指を失っただけ。とにかく生き延びたという思いだけ。来年になれば自分を取り戻すだろう」

 こういう質問もあった。「自分の弱点は何だと思うか」「ベースキャンプで聴く音楽は?」
 格別なことはない質問のようだが、それを通じて命を賭けて行く極限のクライマー達の自己認識と生活の情緒が伺える。また、「死ぬ時までしたい三つのことは」に対し、「エルキャプをフリーで。それが実現すれば残り二つは必要ない」
 あくまでも断固たるクライマー精神ではないかと感じ、非常にうらやましい気がした。
 他のクライマーに問うた質問「登山史上、心に触れる登山は」に対する返事は「ナンガパルバットであり、マンメリーとメスナーと登山精神と行為が私の心をとらえた」
 多様なクライミングの世界の流れの中で、このように指摘するクライマーの登山哲学が格別だと感じる人が、私達の周辺に何人いるだろうか。

 先鋭的な登山の世界から遠く離れ、過ぎた過去を思いながら今登山関連の活動を行っている年配者の声を聴く。それがこの「岳人備忘録」の二部だ。
 70年代後半、某氏は日本のマナスル初登(56年)に刺激されて登山を開始。主に放浪登山で自らの登山観と社会観を確立。山岳書を出版し、山岳会育成のために活動している。彼は大勢が行く登山は親睦に過ぎないとし、確固たる信念を持った幾人かが中心になる山岳会が最も望ましいと言った。そして「真剣さ、嘘を付かない、アルピニズム一辺倒が本当の山屋だ」と確固たる態度を示した。
 
 かつて登山界を往来して、既に社会の一部として柔軟に後半の人生を迎える彼らならできるのだろうが、「金儲けのための登山をするな」「良い登山をしようとするなら他人の話に耳を傾け、何よりも本を読め」と後輩に忠告する。

 若いクライマー達にとって先輩格の社会人の中でも、特に格調高い登山観が伺える方がいるが、彼は「登山はその人の作品のようなもの、その人の登山をみれば、彼の登山観が浮き上がる」とした。

 これら、先輩後輩の差をあえて指摘すれば、自分が影響された大先輩の有無ではないかと思う。たとえば、先輩らの時代には大島亮吉、深田久弥、串田孫一ら精神的リーダーと彼らの書籍があった。
 そのような時代は進むべき道が明らかだったが、今は思想性も薄い時代なので、若者達は各々が思索と経験を日常積んでいる。
 しかし日本の登山界は、かつて先進登山国の思想を受け、飛躍的な発展をしながらそれが土台となり今日に至った。それが、今回の「岳人備忘録」にそのまま反映されている。

 ここに「登山界47人」の代弁者格である遠藤由加という、現在の日本女性登山界の財産になっている女性の発言を引用しよう。
 「今のヒマラヤの状況をどのように見るか」に、
 「酸素、ガモフバック、携帯電話、無線などを持って行くところではない。安全性を追求して野生や本能を退化させている。そんなところには魅力がない。8000m峰のノーマルルートを登るつもりはない」と言い切るかと思えば、自身の長所短所という問いには、
 「逆境に強くて競争に弱い」
 と明瞭に答えた。

 500ページに達する日本の「岳人備忘録」を通読して、万一、私が残したいエピソードがあるならどんなものかとしばらく考えた。1977年、エベレストで「永遠 Eternity」を、1978年グリーンランドの大氷原で「無限 Immensity」を理解した。エベレストから帰国の際、西洋人から韓国の山は高いのかと聞かれたとき、2000mに満たないと答えたところ「それはMountainではなくHill」と言われ、山は低くても強風と大雪、酷寒が恐ろしく、私達はそこで育ったと答えたことを思い出す。

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以上引用終わり

 キム・ヨンド氏の文の中で、
『そのたび感じるのは、質問がいつも一律的ということだ。そんなに尋ねることが無いのか?それは質問者が相手の世界をわからないためだ。』
 という指摘は鋭いものがあります。
 編集者が「山の素人」を売りにしている某山岳雑誌などもありますが、耳を傾けるべきでしょう。傾けろよ、コラ。

 山岳ジャーナリスト柏澄子さんのブログを拝読していて、よく「優れた編集者」という存在が語られるのですが、キム・ヨンド氏の書評にあらためて編集という仕事の重要性を認識させられました。

 韓国の登山学校で学び、短いながら韓国の登山メディアをウォッチしてきた私の意見は、キム・ヨンド氏の意見とは少し異なります。先輩後輩の存在にスポットを当てるなら、組織に身を置く登山者がむしろ少数となりはてた日本に比べ、多数の「登山学校」「山岳部」を擁し、人と人とのつながりが生じる機会の多い韓国の登山界こそ、恵まれている環境でしょう。
 キム・ヨンド氏の記事を拝読し、ぜひ近い将来、韓国の「岳人備忘録」を読んでみたいと思う次第です。

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MADE IN CHINA

いやいやネット上では偽ペツルが話題ですなあ。
あーこんなときにわざとらしく、

Kailashax
中国メーカー製アイスアックスはいかがですかぁ?
ALPITEC CHINA 2011 というウインタースポーツをテーマとした北京開催の展示会に出品されたアックス。

このメーカーは中国の KAILAS という総合登山用品メーカー。ウェアの他、クライミングギアも多数出してます。
既に販売されているアックスとして
Kailashax2
「ENTHEOS」があります。
人と違ったギアを持ちたいひねくれた個性的なクライマーのあなたにぜひ!

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会津日記2/25

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風邪ひいた。

身体が資本の現場土木作業員、風邪ひこうが仕事は休めないので、出張生活で治すしかない。
こういうときのために、普段通っている心療内科で風邪の症状を緩和する医薬品や鎮痛剤を多めにもらい、出張用にストックしているのだが、いかんせん疲労が溜まっているので、長引きそう・・・
ヴィックスドロップなめなめ機械操作。

まる一日、外は冷たい雨。
夕方とっぷり日が暮れて現場から帰る頃、雨から白い雪がチラホラ落ちてきた。
晩冬の東北地方は、寒暖の差が激しいです。

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会津日記2/24

 現在滞在している宿は、ほぼ工事業者専門の民宿。
 おばちゃんいわく、「ここ(民宿)宿泊先と聞いてから出張に出る、ていう人もいるのよ~」というくらい、リピーターが多いらしい。
 この民宿の食堂、壁にでっかい『戊辰戦争で落城直後のボロボロの鶴ヶ城』の写真パネルが飾られている。その横には、白虎隊戦死者氏名が羅列されている手ぬぐいが貼り付けられている(^-^; 

 朝食は思いっきり簡素なのだが、夕食は美味しい。
 豪華というわけではないのだが、身近な郷土の食材をふんだんに使ってるので美味しいのだ。
 昨夜はラム肉の焼き肉だったが、付け合わせの野菜、でかいタマネギもキャベツも地元産。 
 このキャベツ、雪の下に貯蔵していたキャベツだそうで、メチャメチャ甘かった。あまりに美味しいキャベツなので、鉄板で焼かずに生で喰う。
 おかずの「玉こんにゃく」は宿のおばちゃんの好みで山形風の味付け。山形風、というのは、こんにゃくを醤油で煮込む時にスルメイカも一緒に入れダシを取る。
 いわゆる全国チェーンのビジネスホテルは当たりはずれが無いが、こういう地元の方が食べるような食事は、やはり民宿・旅館ならではである。

 本日は、朝・晩に「くじら汁」が出た。
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 みそ汁に浮いている、黒い皮の付いた短冊が鯨肉。鯨肉から出る脂が、みそ汁らしからぬ濃厚な味。
 会津地方でも、鯨を「くじら汁」として、冬季のスタミナ食として食べるらしい。

 そうそう、凶悪な犯罪者集団シーシェパードの暴力行為が功を奏して調査捕鯨中止が決まりましたが、キチガイ左翼集団グリーンピースや捕鯨反対を表明しているパタゴニア日本支社の皆さん、おめでとうございました(棒読み)
 捕鯨反対を唱える方の意見の1つに「現代では鯨の消費は少ない」というものがありますが、こうして東北の山奥では郷土料理として鯨は食べられているんですね。
 キチガイ犯罪者集団グリーンピースを支持する左翼がかった自然保護関係者の中には、「地産地消」とか「郷土料理」とか訳知り顔に語る連中もいますが、鯨料理はお嫌いなんでしょう。(冷笑)

 外にでると、ワゴン車の窓ガラスはバリバリに凍っている、ここ喜多方市の朝。
 今日も現場仕事に行ってきます。

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飯豊は会津側が美しい。

はあ~
え?
「登山」ってなに?中国語?
と現場作業の日々。

幸い、二日続けての好天。
朝は-9℃まで冷え込む、ここ喜多方市。

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青空の下、飯豊連峰が壁のように立ちふさがる。
私は山形県民だが、ここ会津地方に来るたび、飯豊の眺めは会津側が美しいと思う。

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用事で会津坂下町へ。
ここでようやく磐梯山の美しく尖った頂が見える。
ちょうど、福島の安部ガイドからメールを頂戴し、この景観は地元の方々にとってはやはり誇りだよなあと思う。

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今にも落ちそうな屋根雪。
しばらくして、大きな音と共に屋根から崩落。
会津の広大な耕作地は白く雪に覆われてますが、少しは春が近づいてますな。

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昨日は福島民報、今日は福島民友。
現場作業員としても、山岳ガイドとしても、ローカル情報の収集は欠かせません。
会津って独自の気風が強いので民報・民友って、どっちかは会津の新聞社かと思っていたら、単に民報=毎日新聞系列、民友=読売新聞系列らしい。うーむ。

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しばらく、

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福島県は喜多方に住み込みです。

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薄暗い蛍光灯、お湯のポットすら無い安民宿。
生活環境を整えていくのも、まあ出張生活の楽しみの1つ。

ラーメンよりも、福島の名山の眺めの方が楽しみです。

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【注意】中国国内における、PETZL社の偽造ギアの見分け方について

 既に多くのサイトで明らかにされていますが、ペツル社のクライミングギアの『偽造品』が流通しているとのこと。
 この件に関して、偽造品の製造元と考えられている中国国内のアウトドアサイトでは「偽造品の見分け方」が公開されています。
 なお中国戸外資料網の記事では、欧米や日本で注意喚起されている記事に掲載されていない、「偽造ソウンスリング」の存在も明らかになっているようです。(さすがにあの幼稚な縫製には???ですが・・・)

 なお当ブログのこの記事に関して次の点にご注意ください。

 引用記事・画像を掲載している中国のアウトドアサイト「中国戸外資料網」は不特定多数の執筆者が書き込んでるサイトです。
 この記事に掲載されているよりもさらに精巧な偽造品が存在する可能性は大いに考えられます。
 今回の偽造品に関しては、日本に入り込んでいる可能性は少ないと言われていますが、真偽の鑑定について気になる方はペツルのギア販売元であるアルテリアに直接問い合わせされることが確実です。
 
 繰り返しますが、「数多くの情報が確実」とは限らず、時には「情報に惑わせられる」ことも、ありうることです。
 万一、ご自分がお持ちのギアの真偽が心配な方は、販売元のアルテリア社にお問い合わせ下さい。


以下、中国戸外資料網の記事より引用
(訳者注 画像中にある「假的」は「偽造品」、「真的」は「本物」を指します)
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PETZL关于发现假货的重要通告及真伪辨别方法 by 中国戸外資料網 2011.2.18

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偽物はカラビナの刻印(フォント)が粗く雑に造られています。

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1.偽造品はカラビナ・ロック部分の穴内部が赤くペイントされていますが、本物は赤くありません。
2.偽造品はロック部分の根本が尖っています。本物は丸く加工されています。

P4
偽造品はロック部分の根本が加工されていませんが、本物は丸く円滑に加工されています。

P5
本物のロゴははっきりしていますが、偽造品のロゴは薄くなっています。

P7
本物には生産・出荷時の試験の痕跡がありますが、偽造品にはありません。

P9
本物には生産・出荷時の試験の痕跡がありますが、偽造品にはありません。

P10
本物には生産・出荷時の試験の痕跡がありますが、偽造品にはありません。

P11
偽造品のパッケージの印刷は粗雑になっています。

P12
偽造品のパッケージの印刷は粗雑になっています。

P17_4
本物の鋳造パーツは細かく磨かれ、偽造品は粗い仕上がりになっています。

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偽造品は添付マニュアルの印刷が汚く、本体表面の加工も粗くなっています。

P21
偽造品の鋳造パーツは粗く加工されています。

P23
画像上がフランス・ベアールの本物、画像下が偽造品

P24
フランス・ベアール社製本物のCE0120認証

P25
中国国内で製造された偽造品のCE0120認証
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(訳者注:ウェブサイトの画像とキャプションから真偽がわかりにくい・紛らわしい箇所は、割愛しました)

 繰り返しますが、当記事に掲載の画像につきましてはあくまでも参考とし、真偽の確認につきましては販売元のアルテリア社にお問い合わせください。

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山ガール入門講習会【福島】

 お世話になっているガイド仲間の佐藤ガイド主催山旅工房「とうほくトレッキング」とスーバースポーツゼビオの共催で福島県内で『山ガール入門講習会』が開催されます。

Img_0002m

開催日は、
 3/15 いわき市労働福祉会館
 3/16 郡山市労働福祉会館
 3/17 MAXふくしま4階AOZ

開催時間:18:30~20:30
内容:最新の山ファッション、女性のためのマル秘登山術など
参加資格:女性(年齢問わず)
申込:スーパースポーツゼビオ 福島県内各店のトレッキングコーナーにて、申し込み締め切りは3/13(日)まで

 関東圏では山ガール講習会もだいぶ盛況ですが、東北地方ではまだ数少ない機会ですね。
 女性登山者の皆様、どうぞお気軽にご参加ください。

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山形大学人文学部講演会「東アジアの言語の将来」

 日曜から、さすらいの土木作業員生活が始まることになり、今年受けようと狙っていたスキーのバッジテストの予定がパー。
 嗚呼、今年はみっちり力を蓄えよう。
 土曜日休みがとれたので、午前中はリクエストに応え娘と蔵王スキー場に。
 車道の積雪もザラメ雪になりつつあるが、スキー場のゲレンデはまだ冬。
 寒気が入り、冷たい空気の中、娘はボーゲンで、おとうさんは前回習ったことを復習しながら滑る。
 娘からは
 「一人で乗るっ!」
 と、ペアリフトで二人乗りするのを拒まれる。嗚呼。

 きっちり昼でスキー場を引きあげ、山形市内に戻る。
 自宅に娘を帰し、荷物も着替えもそのままに、山形大学へ直行。
Asi 19日13時より、台湾の成功大学、銘傳大学、中山大学、国内からは琉球大学から講師を招いて、台湾における中国語、台湾語、閩南語の講演会があるのだ。
 官民ともに大陸ベッタリな山形において、台湾の研究者の講演が聴ける機会など滅多にない。
 さすらいの土木作業員生活の合間にやりたい事はあるのだが、今日は山形大学の講演会を選ぶ。

 田舎大学の山形大学小白川キャンパスに開催時間ギリギリに到着。
 ホグロフスのマウンテンビブ、アウタージャケットという姿でナイロン地のシャカシャカいう音を響かせ、会場に突っ込むと、そこにはズラッとスーツ姿の人々。
 研究者だけでなく関連の学生らしい若い女の子も多数いたのだが、彼女たちも一人残らずキチッとしたスーツ姿。
 あいにく、こういった講演会では講師ステージの真ん前に座りたがる性格なもので、上下ホグロフス姿でズイズイとVシネマの竹内力なみのオーラを発しながら一番前の空いている席に座る。

 で、肝心の講演内容ですが、一番楽しみにしていた成功大学 台湾文学系 陳麗君 助理教授による『台湾における言語接触と文法化』。
 要は、従来の台湾語に中国語(北京語)が影響して言い回しが変化しつつあるという現状報告なのだが、日本では定評ある東京外語大の樋口靖氏『台湾語会話』の内容も俎上に(ほんのちょっとだけ、ワンセンテンスね)あげられ、文法が一部変化している報告がなされていたのは、ちょいと衝撃。
 言葉って生き物。テキストばかりでなく、「生きた」言い回しに常に接していることの重要性を考えさせられる。

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漢(おとこ)なら荒野をめざせ。 【映画】『转山』

 こういう映画を国内制作できるのは、やはりフィールドに恵まれた中国ならではでしょう。
 元・チャリダーとしてはむねわくわくするものがあるなあ。

 2008年秋、雲南省の麗江からチベットまで約2000kmを自転車で走破した台湾人、谢旺霖の手記を映画化したロードムービー『转山』です。

陈国富监制电影《转山》:讲述单车骑行故事 by 中国戸外資料網2011.2.17

まずは何より予告編が公開となりましたのでごらんくだされ↓

『ココシリ』の陳国富が制作、『梅蘭芳』のプロデューサー杜家毅が監督を務めています。
映画は原作に沿って麗江からチベットまでの美しい光景と苦労、苦痛、恐怖体験、そして原作が持つ「夢と不屈の精神」にあふれていると紹介されています。

さて、この映画の原作となった台湾の谢旺霖氏の著書はこちら↓
Photo
著書展示会での谢旺霖氏↓
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実際のおでかけスタイルの谢旺霖氏↓
Photo_2

 谢旺霖氏は1980年台湾出身、東吾大学で政治学・法学を学び、現在は台湾の精華大学・台湾文学研究所に学んでいます。ネット上では放浪旅人、放浪旅行作家などと呼ばれているようです。幼い頃に両親が離婚、少年期はかなり荒れていたようで、もともとあった放浪癖に失恋がさらに火を注いだようで、アメリカの砂漠で死にかけた等々、かなりの武勇伝の持ち主。
 台湾文学研究所で文学博士の学位取得を目指していますが、次の旅の目標は南米・インドに照準を合わせているそうです。
 
 あー、恋愛ものの韓ドラはもういいから、骨太な荒野のロードムービー見たい。
 80年代、中国大陸を走ろうとした日本人チャリダーは、或る者は違法に未解放地域を走ってはパクられ、或る者は高額の費用をはたいて全行程にわたり中国関係者の伴走付きで走ったりと苦労されていました。
 2011年の今、反共国家・台湾の若き冒険者の記録が、大陸資本でこうして映画化・公開、おそらくは大陸の多くの若者たちにサイクルツーリング、そして雲南・チベットの大地の魅力を知らしめることになろうとは、ほんの少し前までは、誰が想像したことでしょう。

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Inflatable snow-shoes

バックカントリーのボーダーの皆さんで、
「あ~、アプローチに使うスノーシューって、かさばるんだよな・・・」
という方に朗報!

1
『Inflatable snow-shoes』
インフレータブル・スノーシュー。

2
普段はポーチに収まっているのですが、エアバッグ形体の本体をふくらませると・・・

4
スノーシューになるのでありんす。

3
底面からのぞくと、こんな形状。

このネタ、中国のアウトドアサイトで見つけたのですが、製造メーカーが明記されてない。
検索を重ねてようやっと見つけたのが、ブルガリアの首都・ソフィアにオフィスを構えるメーカーですね。ウェブサイトやカタログも「Coming soon」となってます。

Smallfoot ウェブサイト

 アメリカやロシア、日本では飯豊朝日のサイトでスノーシューを自作された方の記事を拝読することはあるのですが、本体が「風船」タイプなのは画期的ではないでしょうか。

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愛だろ、愛。

さすらいの土木作業員生活再開。
本日は宮城県某所。
午前中めいっぱい作業して、遅いランチ。
近所の「カツ丼屋」に行く。

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カツ丼ラブheartを看板に出し、さらにオリジナルTシャツ(もちろん看板のロゴのやつ)を販売しているだけあって旨かったのですが、店内の雰囲気は、

Eg
今話題のエジプトの広場なみのような騒ぎ。
いやね、店流行ってるのはいいんだけどさ、厨房のおばちゃんたちの 怒 声 が 有線から流れる歌よりにぎやかなんですよ。
『○○さん、親子丼は二つなのよっ!』
『△△さん、速くしなきゃダメでしょっ!』
おばちゃん特有の最後の『っ』が凄かった・・・

ちなみに、カツ丼にみそ汁ではなくてカツオダシの効いた白石温麺が付いているのが宮城テイストでした。

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韓国 月刊「山」が総括するアイスクライミングW杯 青松大会

 去る2011年1月に韓国・青松郡で開催されたアイスクライミングW杯につきましては、参加された日本人選手・関係者のサイトで断片的な情報が流れていますが、韓国の月刊「山」2月号が総括的な記事を掲載しました。月刊「山」誌の記事が韓国関係者全ての総意とは思いませんが、やはりアジア初のアイスW杯開催として、地元韓国の方々の視点からの大会記事も欠かせないでしょう。

[話題]青松ワールドカップ氷壁大会 by 月刊「山」2011年2月号

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[話題]青松ワールドカップ氷壁大会
「ダヴァイ! ヴェンガ! がんば! 」青松に響いた各国語の「ファイティン」(訳者注・韓国語で頑張れの意)
25ヶ国、119人参加…パク・フィヨン、シン・ユンソンが並んで準優勝おさめる

 世界のクライマーにとって最高の冬祭り、アイスクライミング ワールドカップが1月8,9日青松で開かれた。 非ヨーロッパ圏域、それもアジアでアイスクライミング ワールドカップが開催されることは今回が初めて。 従来、アイスクライミング大会はヨーロッパ、イタリア・ティオネ、スイス・ザースフェー、ルーマニア・ブシュテニ、ロシア・キーロフなどで開催されてきた。そのため、今大会を誘致、開催した韓国山岳界の感激は格別だった。 身を切る猛烈な寒気が吹き荒れたが、主催の大韓山岳連盟関係者はもちろん、全国各地で多くのクライマーが二日間かけて観戦、大会の熱気が続いた。
 UIAA(国際山岳連盟)公認アイスクライミング ワールドカップ大会は毎年3~5回シリーズに開かれる。 青松大会はこのワールドカップ大会シリーズの2011年初めの大会として、選手たちは青松大会を含む各大会の順位を総合、ランキング何位かを決定する。

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▲アイスクライミング帝王マルクス・ベントレーが安定したフィギュア4スタイルでアイスキャンディ区間を登る。マルクスが優勝、アジア最強のパク・フィヨンが2位を占めた。

 大会は慶北(キョンブク)道、青松郡(チョンソングン)府東面(プドンミョン)来竜里、夏も寒く水が凍ると噂になった青松氷谷に建造された高さ22mの半円形鉄骨人工ルートが設けられた。自然状態と最大限似るように、水をかけて作られた人工氷壁、凹凸を持った岩壁突出部を設営、ルート長約20mの競技ルートがセッティングされた。
 アイスクライミング大会といえば氷壁を登る大会と思われるが、国際大会の場合、氷壁区間はきわめて一部であり、ほとんどドライツーリング大会に近い。ドライツーリングとは、氷壁登攀装備で氷がない岩壁や人工壁を登ることをいう。 人工構造物でルートを作って選手たちが登るようにしたのだ。 これは純粋な氷だけで登攀ルートを作るのには限界があり勝敗を決めづらい一方、天気に影響をあまり受けない安定した競技運営と水準の高いルートを任意に作りだし、選手たちの優れた技量を引き出すためだ。
 選手たちの世界ランキングはワールドカップ シリーズ成績をポイントで合算して付ける。我が国のパク・フィヨン(ノースペース クライミングチーム)とシン・ユンソン(ノースペース クライミングチーム)選手が男女部で各々1~2位を争うほど登攀能力を鍛えてきた。 大会は難易度(リード)と速度(スピード)部門に分かれるが、我が国ではリードに重点を置くことが一般的だ。 スピード競技はどうしても東洋人の体格では腕と脚が長い西洋人との対決は不利で、リード競技が真の登攀能力を競う真剣勝負の場だと考えられているためだ。

 零下14度、肉を切るような冷たい風が吹く渓谷で、25ヶ国90人の選手たちは7日夕方、青松君民会館で韓国側が主催した晩餐会と民俗公演観覧に続き、8日は予選競技が始まった。 関心を集めた登攀ルートは、イタリアから来た国際アイスクライミング公式ルートセッターらが、国内大会運営スタッフらの助けを受けて作った。

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▲スイスのフェラー・フェリシタス選手が下段アイスキャンディ区間を突破、渓谷の冷たい風の中で中段を越える。

ロシア選手たちがスピード部門を一気に制覇

 我が国のクライマー達の関心が低いスピード競技は8日、一日で予選と決勝が全て行われた。構造物の中に設けられた12mの氷壁をどれくらい速く登るか競うことで16強に上がった選手中、11人がロシア選手でロシア勢がその強さを見せた。これは他選手たちが12m壁を20~30秒かかって登るのに対し、8秒前後で登る怪力とスピードを示した。日没後に始まった男性8強トーナメントは、最初から8人全員がロシア選手であった。
 スピードトーナメント競技は左側と右側のルートを二人の選手が登り、氷壁の終了点にあるセンサーボールを先に打った者が勝つ競技だ。氷が溶けて凍ることを繰り返すため、両側の壁の難易度が全く同じにならない。そのため、両側を各々一回ずつ登った後、時間を合計して勝者を決定する。しかし勝敗を分けるセンサーボールが故障、誤作動で再競技が行われるなど、一部の選手たちは体力的に激しい消耗戦を繰り広げなければならなかった。
 大会運営関係者の話によれば「バイルで打った時にボールが大きく動けば作動するはずなのに作動しなかった。」と言う。誤作動のため大会の「玉のキズ」にされたセンサーは、清渓川(チョンゲチョン)の設備店で低価格で作ったものという。
 初日最後の競技、男性部門決勝はロシア選手同士の対決だった。 バトゥセブ・パベル選手が最初のトライで中間で墜落し競技を放棄、トミーロフ・マキシム選手が優勝した。 女性スピード部門3位、リード競技で優勝したロシアのマリア・トロコニナ選手にロシア勢の強さについて秘訣をたずねると「強い精神力と選手たちの団結力」と即答した。 あるロシア男性選手は「私が住む所の寒さに比べれば、そんなに寒くはない」と言い、寒さに対する耐性が良い成績を出すことができた要因の一つに挙げた。

 翌9日は、アイスクライミングの世界水準をそのまま見せた興味深い競技の連続だった。 競技方式はオンサイト リーディング。オンサイトとは、‘初見で登ること’で、ルートを選手たちに公開せず、競技直前に公開し、すぐ登攀する方式をいう。 リーディングはリードというが、主催者側が事前に安全のために中間支点に設置しておいたクィックドローにロープを通過させて登攀することをいう。 大会規定のとおり男性準決勝、決勝、女性準決勝、決勝はすべて異なったルートで進められた。 午前の準決勝が終わった選手たちも選手控室の外を出ることはできず、昼休みを利用して決勝のルートセッティングが行われた。

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▲ 1.ワールドカップ競技を見守る観衆と大会テント/2.スピード速度競技が開催された構造物中の氷壁。両側壁を登って時間を合計する。/3.フランスのステファニー・モーロー選手がフィギュア4スタイルで身体を引き寄せアイスキャンディを登る。

 最もよく設計されたルートは、決勝で完登者が1人出てくるルートとよく言われる。 あまりに難しくて完登者がいない場合、観衆らにとっては観戦する面白味がなく、とても簡単で完登者が多ければ勝負を決定するのが複雑になるためだ。 朝から開催されたリード男女準決勝ルートは、各々傾斜90度以上のオーバーハングで始まりオーバーハングで終わる難コースであった。 鉄骨構造物を柱として合板を連結し、ホールドを設置して選手たちがアイスパイルで登れるようにした。 今回の大会のホールドは青松・周王山(チュワンサン)の岩を加工して作って‘青松大会’の意味を強調している。競技ルート構造物を作るのに2億ウォン程の経費がかかったという。
 ルート各所には「トライアングル」と呼ばれる三角形に飛び出した構造物と、「アイスキャンディ」と呼ばれる細長いキャンディ形状に丸太を凍らせた構造物を配置、変化を与えた。 選手たちには障害物だが、観戦する人々には感心をかもし出すようにする区間だ。 こういう区間を通過するためには「フィギュア4」という手と足をより合わせた動作が不可欠で、優れた筋力と柔軟性なしでは不可能な動作のため、見る面白味を倍増させる。フィギュア4はそのスタイルが「4」の字に似ていることからできた用語だ。
 
 予選競技の結果、男性19人、女性18人が準決勝に進んで技量を競った。 世界水準の選手たちらしく、優れた技術と体力が発揮された。選手たちの動作一つ一つに観衆らは喜び、墜落する時は惜しんだ。 観衆の中でもクライマー達は「やはり世界的なレベルだ」という反応であったし、このような競技を初めて見る青松の住民たちは「なんで人間があんな風に登ることが出来るのか」と驚いた反応を示していた。
 今回の対戦には氷壁登攀の経験がないモンゴル選手たちが参加して注目された。彼らは登攀装備を借りて登攀を試みる情熱を見せた。 しかし参加選手の一部が離脱、行方不明になって大会関係者たちを困惑させた。
 
 国内で開催された競技らしく、最も大きい歓声を引き出したのは我が国の選手たちだった。 男女最強のパク・フィヨン、シン・ユンソンは身体が固いのではと思われるほど慎重な競技展開をした。 ささいな失敗もしないというように、2選手は普段のレベルに比べて慎重に慎重を期するクライミングを続け、パク・フィヨンは決勝進出8人中4位、シン・ユンソンは5位を記録した。 世界ランキング1位のマルクス・ベントレーは予選2位、準決勝1位という安定した成績で決勝に進出した。

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▲パク・フィヨン選手がアイスパイルに全神経を集中して壁を登る。/イタリアのアンゼリカ・レイノ選手が準決勝で最後のホールドをパイルで引っかけて登る。 完登して1位となり決勝に進出したが、クィックドローを通過する失敗を犯して失格となった。

アジアのダークホース ジョン・ウンファ、チョン・ウォンジュ大躍進

 午後の決勝戦は厳しい寒さをも溶かす火花の対決の場となった。決勝戦には1,000人余りの観衆が集まり選手たちの身振り一つ一つに呼吸を共にした。決勝戦で注目されたのは、パク・フィヨン、シン・ユンソンの他に、韓国選手らの大躍進だった。
 特にワールドカップ出場のチョン・ウォンジュ(ソウル山岳救助隊)選手はヨーロッパ選手に劣らない長い腕、脚をさっと伸ばし素早く登った。上段オーバーハングで構造物の横に越えるホールドを逃し墜落したが、世界的水準の技量としても不足はなく、韓国のアイスクライミング選手層が厚いことをヨーロッパ選手達、UIAA関係者に印象づけた。チョン・ウォンジョ選手は「決勝まですすめたことが個人的に光栄だ。力は残っていたがバランスを崩して墜落したのが悔しい」と感想を述べた。

 女性リード部門では昨年ヨーロッパ・ザースフエーのワールドカップ大会に参加、準優勝の成績を納めてアジアのダークホースに浮上したジョン・ウンファ(雪岳(ソラク)赤十字救助隊)選手の技量が花を咲かせた。ジョン選手は軽い身体と根性ある粘り強い登攀力でクィックドロー14本を通過、優勝に近づいた成績を残した。 ジョン・ウンファ選手は「決勝戦では心残りのない競技ができた。自分はやれる、とずっと自分に暗示をかけながら登った」と感想を述べた。

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▲アイスパイルをホールドに正確にかけて強い筋力でアイスキャンディを突破するシン・ユンソン選手. 僅差で準優勝となった。 /ウクライナのバレンティン・シパビン選手がパイルを口でくわえ、クィックドローにロープをかけるためにありったけの力をふりしぼっている。

 関心を集めたシン・ユンソン選手は準決勝の時とは違い、負担を払いのけた軽くて自由な動作を展開した。 中間で墜落しそうになったが、強い筋力で克服、制限時間1分を残した状況で終了点に近い最後のアイスキャンディに進入した。完登も可能な時間だったが、腕の力が抜けたようにクィックドローにロープをかけられず、時間超過で競技を終えた。 競技後シン・ユンソン選手は“最後まで腕力はあったけど、指が凍ってロープをかけることができませんでした。激しい風が吹き抜ける氷谷(オルムゴル)だと競技が大変です。」とコメントした。 その一方、「完登できたのに指が凍って完登を逃したのは悔しい」とした。 競技が終わった後、青松アイスクライミング ワールドカップ大会のスポンサーでありシン選手の後援ブランド、ノースフェイスのソン・キハク代表(ゴールウィンコリア)は「私たちの選手の登攀を終始見守り、ハラハラした。最善を尽くした競技でした」とシン選手の競技に対して満足していた。

 女性部門の優勝は、準決勝で完登、決勝に進んでシン・ユンソンよりクィクドロー一本をさらにかけていたロシアのマリア・トロコニナ選手となった。マリア選手は競技後インタビューで「最後の完登直前に腕に力が全て抜けきった。寒くて手に感覚がなく大変だった”と話した。

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▲決勝戦最後、クィックドローをかけ、拳を握って観衆らの拍手にう答えるパク・フィヨン選手. 時間超過で完登には失敗した。

パク・フィヨンとマルクス、最強対最強の対決

 男性部門では高水準の薄氷の勝負が続き、身を切る寒さの中でも屈せず観衆らと大会関係者たちにカタルシスを与えた。決選成績表だけみれば5人の選手が18個のクィックドローを通過して近接した成績だが、最後のホールド個数で差を見せた。予想通り「韓国のプライド」パク・フィヨンと「世界最強」マルクス・ベントレーの対決になったのだ。パク・フィヨンは固まったような動きの準決勝と違い、果敢な身振りだった。 他選手たちのムーブに比べ、重量感と安定感が感じられた。優れたバランス感覚でアイスキャンディ区間を簡単に通過、中段の鉄骨構造物に進入、早く突破するかと思われたが、クィックドローをかけるのに苦労して、観衆の心をハラハラさせた。

 パク・フィヨンは二番目のアイスキャンディを強力な筋力と安定したフィギュア4スタイルで通過、最終オーバーハング壁に近付いた。 最後の区間は王様のシンボルのような、黄金色のダイヤモンド構造物四個がX字に伸び、見るぶんには美しいが実際に登る選手たちにとっては天井に近いオーバーハングを飛び出す構造物を克服し通過しなければならない、苦難の地点である。普段のトレーニング量と精神力が完登の鍵であった。
 落ち着いてこの「王様のシンボル」に進入したパク・フィヨンは強力な筋力でオーバーハングを克服、最後のホールドにパイルをかけた。しかしたった数秒を残して時間終了、すぐ最後のクィックドローにロープをかけるのに失敗してしまった。 競技後パク・ヒヨンは「天候がとても寒くて手が凍って登攀するのにとても大変だった。墜落の危機を観衆らの応援で克服して登った。」「数秒差で完登にならず、とても悔しい。予想以上に難しかった。最高の難度だ。」とクライミングの感想を述べた。

 オーストリアのマルクスはランキング1位、ヨーロッパで今後5年以上は彼の時代になるという評価を受ける名実共に最強クライマーだ。 昨年、彼の連戦連勝を唯一破って優勝したクライマーがパク・フィヨンだ。 男性決選8人の選手中、7人の登攀が終わった後、1位はやはりパク・フィヨン、残ったクライマーはマルクスだった。彼の登攀で優勝者が決定する状況となった。マルクスは背が180cmは優に超え、ぜい肉のない素晴らしい身体に長い腕と脚を見ても、「クライミングのための体格」である。金髪に茶色のウェアを上下で着こなしていたのが印象的だ。

 マルクスの動作は水が流れるように自然な動きで、他の選手たちとホールドを利用する身振りがわずかだが違った。 自分だけの完璧で優雅な、その一方でルートを完登できるように先を読みこむ老練さを持ち合わせていた。ルートをすすむほど弾みをつけるるようだったが、二番目のアイスキャンディに阻まれた。鉄骨構造物に縛られていたキャンディが回りベントレーがバランスを失い、何度もトライを繰り返した。 一度クライミングに行き詰まると、慌てて自ら失敗を招いてしまっていた。
 悪戦苦闘を終え、難コースのアイスキャンディも突破、力が落ちかけたが素晴らしい体力で滑らかに「王様のシンボル」に飛び込んだ。
 彼も筋力が低下したのか、四個のダイヤモンド構造物の中でクライミングの速度が急激に落ちた。腕がパンプしたようで、ずっと腕をはたいて呼吸を整えた。 マルクスは老練さを発揮、最後のホールドをパイルでひっかけたが、パク・フィヨンと同じように完登を意味するクィックドロー通過ができず、彼と同率の結果を成し遂げた。
  しかし準決勝成績によってトップに立ち、2011年ワールドカップ初めての大会でありヨーロッパ圏以外で最初に開かれた青松大会の初代優勝者になった。優勝者マルクス・ベントレーの感想は、

「ラッキーだ。完登を逃したのは残念だが、優勝したと聞かされたときは幸せだった。二番目のアイスキャンディをやりそこなったのが惜しい。序盤は予想通り行ったが、中間区間は思うようにいかず、腹が立った。マインド コントロールをしながら登った。ルートはパーフェクト。決勝戦の難度としては最高だ。」

 結局、リード競技で韓国のパク・フィヨンとシン・ユンソンはいずれも惜しくも2位を占めた。
 ヨーロッパ圏外で初めて開かれた大会であり、大韓山岳連盟とUIAA,青松郡(チョンソングン)、スポンサーのノースペース関係者たちにとって全神経を使った大会であった。 全般的に初めての大会としては成功的という評価だった。 外国の参加選手たちはおおむね主催者側の運営を絶賛した。 ヨーロッパの大会は選手たちが自費で参加するが、韓国大会では空港からのピックアップを含む全ての国内交通経費を提供、5泊6日間の宿も提供した。 一方、男女のスピードおよびリード競技の優勝賞金は韓国ウォンで520万ウォンを越える、3,500ユーロとして、アイスワールドカップ大会史上、最高の金額である。

 アンドレイ・ペチャク審判委員長は「青松ワールドカップは今後も継続されるだろうと見ている」と期待を込めて語った。ノースフェイスの ソン・キハク会長はこのような期待に応える返事をするように「今後4年間、青松ワールドカップ大会を後援する」と明言、青松大会はUIAAと大韓山岳連盟、青松郡(チョンソングン)、ノースフェイス支援のもと、毎年韓国の冬を彩るものとみられる。
 
 大韓山岳連盟と慶北(キョンブク)山岳連盟、青松郡(チョンソングン)関係者たちは、国内初のワールドカップ大会として、隙の無い進行でUIAA関係者と観衆、選手たちに好評を受けた。 競技進行と世界的な登攀能力、ルート セッティング、観衆参加など全ての要素が重なり、迫力感あふれるアイスクライミング対決の場だった。 初めから最後まで大会場をほとんど離れないで見守った大韓山岳連盟、イ・インジョン会長は「小さい失敗はあったが、全体的には円滑で効率的な大会進行で、ヨーロッパのクライマーらを感心させた。度重なるほど、より一層立派な大会として発展するだろう」とコメントした。

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▲ 1.大会関係者たち.左側からチョン・サンウク ノースフェイス常務、ハン・ドンス青松郡郡長、キム・ジェボン大韓山岳連盟専務、アンドレイ・ペチャク審判委員長、ペ・キョンミUIAAアジア代表、ソン・キハク ゴールウィンコリア会長、イ・インジョン大韓山岳連盟会長、パヴェル・シャバリン アイスクライミング委員長/.2.女性リード部門授賞式.左側からシン・ユンソン、マリア・トロコニナ、ルーシー・ホルジョバ、ジョンウンファ選手。3.22m高さの半円形鉄骨構造物で作った競技場.

“とても高い水準の大会であった”

2011020801128_7 アンドレイ・ペチャク氏は今回の大会審判委員長で大会運営の総括責任者だ。チョン・ホジン大韓山岳連盟副会長はUIAAアイスクライミング委員として今大会誘致に格別に尽力し、国際山岳連盟と大韓山岳連盟の架け橋の役割をした。 チョン副会長は「アジアで最初に開かれた大会としてUIAAでも期待が大きい。期待に見合う大会を行うことができて幸運」と現地の雰囲気を伝えた。
 ヨーロッパから来た関係者は「このように大会が組織的に巧く開催されるとは思わなかった」と語り、競技場施設、観衆の盛り上がり、マスコミの反応、競技運営が初めての大会としては、模範的な大会と評価されるに至った。 またアジアの国々が参加者を増やし、冬季オリンピックでアイスクライミングが正式種目にのぼることができる新しいステップの契機になったと話した。

 ペチャク審判委員長は青松大会を一言で「とても高水準の大会」と評した。 主催側の積極的な協力の中に、すべての人々が大会が成功裏に行われるよう活動したのがその原動力だと評価した。 一方、大会運営のささいな失敗はどんな大会にもある問題と話した。

ワールドカップの人▲ノースフェイス ソン・キハク会長
彼らを愛さずにはいられない

2011020801128_8 今回の青松ワールドカップ大会は色々な登山家らの先入観が打ち壊された大会だった。
選手ではない、ノースフェイスのソン・キハク(63)会長に対する先入観だ。 ソン会長は大会開幕式から決勝まで、3日間休み無く姿を現わしただけでなく、最後の決勝戦が始まってから終るまで、ずっと観覧席で見守った。 特にノースフェイス所属のパク・フィヨンやシン・ユンソンが登攀する時はVIPルームを出て、冷たい風が吹きすさぶ氷壁直下で観戦、応援した。 このような思いがけない姿にソン会長はクライマー、一般人の「ただノースフェイスブランドの広報という目的でクライマーを後援している」という偏った先入観を破った。
 現在のノースフェイス所属クライマーは何と27人に達する。 恐らく国内では最も多いクライマーを後援するブランドであろう。 ソン会長は真に自社所属のクライマーらを愛していることを気兼ねなく明らかにする。

「ベストを尽くす姿は、とても感心します。 1等だろうが2等だろうが、私たちの選手が誇らしく愛しいんです。」

 ソン会長はソウル大学 貿易学科に在学中、山岳部に所属していた。 雪岳山西北稜登攀、冬季智異山(チリサン)縦走などの経験を回顧するソン会長の表情は、その瞬間青年のようになる。 その時抱いた「山屋」としての夢を。若いノースフェイスのクライマーらに投影しているということだろうか。

「もちろんノースフェイスの広報効果もありますよ。しかしそれはそんなにすごいことではありません。それよりは…。」

 ソン会長は優勝候補者パク・フィヨンの登攀が始まると、すぐに話をさえぎって素早く双眼鏡を構えた。

「私はあの若者たちの精神を愛します。彼らをいつも近くで見ている人なら、彼らを愛さずにはいられないでしょう?。」
 ソン会長の姿勢が代弁してた。

男性リード部門優勝者 マルクス、ベンドレー(26)一問一答

“世界1位を守るという心がけが登攀能力の秘訣”

2011020801128_9○主要登攀経歴は?
「11才でクライミングを始めた。15才まではロッククライミングを主に行い、8c級を登攀した。16才に初めてアイスを始め、翌年にアイスのコンペに出場、自分でも驚いたが世界選手権大会で7位になった。この時からアイスに没頭した。」

○自分だけの訓練方法は?
「ない。時間があればクライミングするのがトレーニングだ。夏には人工岩を設置する仕事をこなして、時折は岩場を探す。秋にはドライツーリングをしている。水が凍る時期になれば、アイスクライミングをする。さらに詳しいことは、秘密だ。」

○最も記憶に残る登攀は?
「登攀パートナーであり友人であったHari Bergerが死ぬのを見た時だ。オーバーハングした氷壁を登っていたが、途方もない天井が崩れた。崩壊することの予想できない壁が崩れ、友人はその下敷になった。現代最高のクライマーが消えた瞬間だったし、その悲しみは数年経った今も引きずっている。」

○世界ランキング1位を守る秘訣は?
「1位を守るという精神的な理由付け、動機だ。強い動機があれば熱心にすることができる。しかし他の選手たちはますます追いかけてきている。動機を失えば、いつでも1位を奪われることになる。とてもたくさんのトレーニングを積んできたし、多くのクライミングの経験と心がけが今の私を支えている。」

○弱点は?
「常に自分自身に100%の実力発揮を期待している。その期待と自信が弱点となることもある。少しでも登攀に行き詰まれば、心理的なプレッシャーを感じる。」

○岩壁と氷壁どれがより良いのか?
「比べられない。どれも楽しんでいる。ただし、コンペのためにアイスクライミングにさらに多くの準備を重ねている。」

○ビッグウォールやヒマラヤのクライミングにも関心があるのか?
「今は26才だ。まだクライミングがおもしろい。いつかはやりたいが、今ではない。そのようなチャレンジをするためには、今よりさらに体力も精神面もトレーニングして、さらに強くならなければならない。」

○ヨーロッパで開かれた大会に比べて韓国大会がどうだったか?
「ワールドカップであって、ヨーロッパカップではない。アイスクライミングはさらにグローバル化されなければならないだろう。比べることに無理がある。登攀ルートは完璧だったし、すべての条件が良かった。アジアでさらに多くの選手たちが参加したら素晴らしいだろう。」

記事:シン・ジュンボム記者 写真:ヨム・ドンウ記者
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以上引用おわり

日本から出場の関係者の皆様、お疲れ様でした。
また今後のアジアでのW杯発展を祈っています。

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『クライミングとは、夢。』 野口啓代 アスリートトークショー

庄内での現場仕事を終え、帰宅。
疲労のため仮眠をとった後、色と欲に彩られた大都市・仙台に移動。
ノースフェイス仙台で開催される、アスリートトークシリーズの野口啓代さんの講演を聴講。

 講演の内容は、2010年ボルダリングW杯の記録を中心に、野口さん本人の意向として、「小5から始めたクライミングの10年間」をふりかえるという内容でした。

以下に概要を記す。

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 ピンクも鮮やかなアウタージャケット姿で現れた野口さん、講演の冒頭に「クライミング未経験の方いらっしゃいますか?」と聴衆のクライミング経験を確認。未経験の方も会場に参加されてましたので、初めにクライミングの簡単な説明(外岩、人工壁、ボルダリング競技、リード競技など)から始まる。

○クライミングとの出会い
 家族旅行でグアムに行った際、グアムのゲームセンターにあった人工壁にとりついたのがきっかけ。
 父がやる気になり、クライミングジムに行くようになった。
 小6の頃から草コンペから始まり、クライミング競技の道へ。
 中学入学後、ジャパンツアーのリード競技で最下位。特に悔しくもなかった。
 このころ、父が自宅に人工壁を作ってくれた。(筆者注・スライドで映されたが、じゅうぶん民営のボルダリングジム程度の大規模な壁)
 中学に入ってクライミング以外にやりたいこと、楽しい事が増え、クライミングを辞めたくなった時期。
 父、弟、妹の自分の4人でクライミングを始めたが、父はケガ、弟・妹は部活などで辞め、結果的に自分一人で続けた状態。
 父からはクライミングについて「がんばれ」ともいわれず、大会の結果についても特に何もいわれなかった。自宅に大きな壁を作ってくれたので、何も言わないが期待してくれているんだなあと感じていた。このころ、自宅の人工壁に行くことが「すっごい嫌」だった。

○高校以後
 高校に入学、世界大会に出場できる年齢となった。
 高校生活をエンジョイしたかったが、世界大会にボルダリング、リード両部門にエントリー。
 課題が自分に合っていたのだろう、世界大会3位となった。→嬉しいを通り越してビックリした。このとき初めてクライミングを頑張ろうと思った。初めてクライミングが好きになった。
 
 世界大会3位以後は低迷。その後のコンペでは予選通過がやっと。趣味程度にクライミングを続けていた。

 2007年、友人に誘われエントリーしたボルダリング大会で2位。
 その後、また低迷するかと思ったが、3位、4位と続く。ボルダリングで優勝できるのでは?初めてクライミングに夢が持てるようになった。

○大学進学と退学
 高校卒業後、大学にかなり悩んだ結果、進学した。
 自分ではクライミングに専念するつもりでいた。父は大学に行かずクライミングに専念することを勧めてくれたが、母はクライミングをあまり知らず、将来を心配して大学進学を勧めてくれていた。母親に恩返ししたいという気持ちもあり、付属高校から大学に進学。半年ほど通って中退することになります。

○クライミングコンペ
 2008年7月フランスのボルダリング大会で優勝(初優勝)。
 それまでは毎回、特定の人物ではなく、それぞれ違う人に勝てなかった。メンタル的に問題があったかもしれない。
 一ヶ月後のワールドユースで年間チャンピオンを取って気が抜けた状態。
 この一年が追う立場ということもあり、一番楽しかった。

 加須W杯は日本国内でW杯開催ということで凄いプレッシャーがあった。

 2010年、V2は取りたいなと思っていたが、やり尽くした感じもあった。
 「勝ちたい」というよりも「負けたくない」。勝てなかったらどうなるのか、という気持ち。本当はそれではいけないのかもしれないが・・・一番つらい時期でした。

 2010年はメンタル的にもあまり良くないスタート。W杯の7戦中、次第にメンタルを立て直して最終戦のドイツ・ミュンヘン大会に持ち込んだ。

 今年(2011年)は2年に一回の世界選手権がある年。自分の中ではW杯より大きい。優勝したい。

○ドイツ・ミュンヘン大会
 (筆者注)ドイツ・ミュンヘン大会のナレーション付の記録映像を放映、それに合わせて野口さんが解説を入れる、という流れで講演が進んだ。複雑なボルダリング競技のルールをわかりやすく、野口さんが実際の映像を背景に説明。

ミュンヘン大会の映像放映後、話題は再び大学進学・退学の話題に。
大学入学してW杯優勝した後、母にもクライミングを理解してもらった。
半年で退学したが、大学に進学していなかったら「(大学に)行ってみたかった」と思っただろうし、大学に在学していれば、今の優勝は無かっただろう。自分としては(大学を中退したことは)一番良かったと思う。
(筆者注・大学進学に迷ったこと、進学を巡っての家庭内での話し合い・雰囲気など、野口さんはかなり言葉を選び、講演の中で時間を割いて進路に関する話題に言及されていた。御本人も当時は相当悩まれていたのではないかと推察)

○質疑応答

Q.野口さんにとってクライミングとは一言で言えば何ですか?また普段の食事で気を付けていることなどあればご紹介ください(筆者)
A.私にとってクライミングとは「夢」です。最初嫌だったけど、少しずつ楽しくなってきて、一生クライミングをやっていくと思います。一回優勝しても、二回、次の優勝、と終わりがない。新たな夢が見えてきます。クライミングはずばり「夢」、です。
 食事制限などは特にしていません。過去にそういったこともやりましたが、あまり成果は良くなかったです。高校時代は食事が「『じゃがりこ』とジュース」なんてときもありました。減量などもありますが、(クライミングでは)身体が軽ければいいというものでもないようなので、特に食事制限などはしていません。

Q.メンタル、モチベーションのコントロールなど、トップ選手の意見を聞かせてください。
A.皆さん考えている以上に私はしっかりしていません。登りたいときに登り、登りたくないときは休みます。三日間休んだ時もあれば、一週間続けて登ったりという時もありました。最近は巧く設定できるようになりましたが・・・自分はメンタルに左右されやすいです。かなり適当、気持ち次第です。

Q.トップアスリートからみて、先日に習志野で開催されたブラインド、パラクライミング(視力および各種障害者のクライミング)は、クライミングの世界の中でどう展開していくと思いますか?
A.12月にブラインド選手権大会を応援に行きました。近くの千葉で開催されると聞いて、何もわからない状態で行ったのですが、「面白い」。同じクライミングをしている人間として尊敬できるし、同じクライミング、同じ選手なんだな、近くで開催されるから行ったなんて失礼な話なんですが、見に行って良かったなと思います。
(私が言わせてもらっていいのか、とことわり)自分のW杯クライミングよりもブラインド、パラクライミングはメディアにも注目されており、「一般の」W杯クライミングよりもメディアが注目していくのではないでしょうか。凄い発展すると思います。

Q.最近の映画、本、曲で良かったものはなんですか?
A.海外に行くことが多いので、飛行機内で映画を見る機会は多いんですが、映画館ってここ数年行ってないんです。本は・・・東野圭吾はあと何冊かですべて読み終わるくらい読みました。映画は・・・「レオン」見ました。今は「あしたのジョー」みてみたいです。感動モノは好きなんですが、涙モロいのであまり見てない。ディズニーものとか泣けますよね。音楽はガガが好き。練習中は必ずバックにかけてます。難しいところ登るときに音楽のいいところが重なるようにかけたりしてます。
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 現代のクライミングを把握するためには競技クライミングのことも不可欠な世界。メディアからの知識だけでなく、実際に世界の舞台で活躍されている野口さんご自身の言葉でお話を聞き、大変参考になった。
 何が参考になったかといえば、クライミングコンペでの心理的な駆け引き、メンタル面の模様などである。やはり競技者本人から語られる世界は興味深かった。(特にW杯年間チャンピオンを争うアンナ・シュテールとの簡単な会話によるやりとりが、二人それぞれのクライミングに重圧を与えるエピソード)

 もちろん良い意味でマジメな話題ばかりではなく、あるパフォーマンスで野口さんがW杯出場二年間出場停止になりかけたエピソードなど、笑いどころもあります。(この内容は、これから東京、福岡、神戸で講演をお聞きになる方のお楽しみ。)

 御本人は質疑応答でメンタル・モチベーションに関して「かなり適当」と自分を診断していますが、講演中もご自身の口から「メンタル」という言葉は何度も用いられ、普段からかなりメンタル面が自分に及ぼす影響について意識されているのではと感じられます。
 放映されたミュンヘン大会のビデオでは(野口さんの)「タフネス」という言葉が用いられていますが、野口さんが語られるお話はとても自然体で、タフネスという言葉は適当ではないような気がします。あくまでも良い意味で 「 天 然 」 と形容するべきでしょうか。
 「クライミングは『夢』」と言い切る野口さんの、今後の活躍が気になりますし、また期待しております。

Akiyo_2
これがW杯V2を果たした手。
トークショー終了後、私の「す、す、すみません、手を撮影させてもらえますか?」という変質者っぽいお願いに快く応じてくれた野口さん、ありがとうございました。
またアスリートトークショーを企画・運営されたノースフェイス仙台スタッフの皆様に感謝申し上げます。

参考サイト

野口啓代ブログ

野口啓代ツイッター

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精力有り余っている中高年登山者の皆様へ

山形県大蔵村は、日本でも有数の豪雪地帯。
そこで、 「 地 面 が 出 る ま で 雪 を 掘 る 」 とゆー競技があります。

山形県肘折温泉 第2回 地面出し競争

Jimen

開催日の2月27日は私残念ながら土方仕事の予約が入って参加不能なのですが、4~6人のチームが組める、雪崩講習などでまだ雪が掘り足りないと嘆く、そこの社会人山岳会のアナタ!参加ご検討くださいませませ。
なお2月10日21時現在、肘折の積雪深は295cmとなっております。


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今夜のディナーは、

おしごとのため、秋田から庄内地方某所に移動。

本日は疲れたので、
Ho
メシ喰ってさっさと寝る。

世間サマは三連休でにぎわう明日、世のため人のため引き続き土方仕事に邁進予定。

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おまいら!山ガールの次は「山小屋ガール」か?

久々にイタリアのアウトドアサイト見ていたら、なにやら山の映画情報が・・・

“Chalet Girl”, una commedia romantica sulle Alpi by Montagna.tv2011.2.8

Chaletgirl_poster
映画『Chalet Girl』

 オーストリア・アルプスのスキー場にある山小屋(といってもかなりゴージャス・・・Chaletって別荘ってニュアンスだよな)を舞台にしたラブコメ映画で、主演は エド・ウェストウィック、フェリシティ・ジョーンズ。
 ストーリーは「Chalet」で働くフェリシティ・ジョーンズ演じる女の子キムがエド・ウェストウィックとイイ仲になるのだが、エドの彼女と母親が邪魔をする・・・というお話らしい。
 おっ、おい!あのブルック・シールズ様がもしかしてその意地悪かーちゃんなのか!?
 まずは予告編ご覧くだされ↓

なお映画制作に協力しているのは、フリースタイル・スノーボーダーチームTeam Roxies(Kjersti Buaas, Basa Stevolova, Margot Rozies, Aimee Fuller, Haul Bock)の面々。

そういや数年前に日本でも『銀色のナントカ』いうスキー映画があったようですが、はて、イギリス人味付けのスキー場のラブコメはどんなもんやら。

 

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ただいま、

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さすらいの土木作業員、秋田県某所に滞在中。
明日は山形県の海っぱたに移動。
来週も再来週も、さすらい生活の予定。

滞在先で、勤務先営業所の面々と酒宴。
営業所のお姉様がバリバリのランナーで、10kmレースの話題になる。
秋田でオススメのレースは田沢湖マラソンらしい・・・

営業所の若手エース社員N君はこれまたバリバリのバックカントリーボーダー。
私のようなリストラ寸前不良社員と違い、ここ数年、山から遠ざかっているらしい。
奥様が凄いスポーツウーマンなのだがウインタースポーツはやらないという。

「やっぱ、子供が小学校入るとスキー教室とかあるからさ、子供にひっかけてスキー場行くんだよね~」
と、悪魔のアドバイス( ̄ー ̄)ニヤリッ

明日もまた、土木作業に専念。
ブログ更新てきとーになります。

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歴史は冬つくられる

G2冬季登頂。

Vetta from Richelmo on Vimeo.


詳細はどうせロクソノ誌に載るでしょうから、動画をば。

素晴らしい。
カラコルムの冬季登頂はポーターおよび隊荷のロジスティック、マネジメントがキーポイントといわれた時代もありました(20世紀末、強力なポーランド隊の冬季登頂を阻んだのは、ポーター達の逃亡だったりしました)
こうしてクライマーとしての技量が、不可能を可能にするんですね。

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『チョコレートの真実』 それでも私はコンビニでチョコを買う。

Ck キャロル・オフ著 北村陽子訳 『チョコレートの真実』。
 あまりにも密度の濃い内容に、読むのに時間がかかる。
 チョコレートの原料となるカカオ。
 カカオ豆の人類との接点から、スペイン人の南米遠征によってヨーロッパにもたらされ、さらにアメリカに渡り製菓ビジネスにその価値が委ねられていく過程で、今現在もなお搾取されているカカオ生産現場の凄惨な状況を 冷 静 に 描いた本。
 素晴らしいのは、その情報量もさることながら、あくまでも冷静に、冷徹に壮大なカカオ豆と人間との関わりをレポートしていることだ。
 感情的・扇情的なNPOあたりのババアが書いたレポートとは雲泥の差である。

 カカオ豆の生産現場といえば、今流行の「フェアトレード」を思い浮かべる方もおられるだろう。
 同書では、巨大アグリビジネスに巻き込まれるフェアトレードの「現実」もあますことなく描いている。

 途中まで読み進めて気がついたのだが、これはカカオ豆の生産現場を訴えるだけの本ではない。
 カカオ豆という農産物に翻弄される、人間の姿を描いた第一級のルポルタージュである。

 20世紀初頭、アメリカでチョコレート王(同書での呼び名)、ミルトン・ハーシーはチョコレート他の製菓業を成功させ、企業城下町、その財力でもって従業員のために理想的な街ひとつを創り上げてしまう。しかし、労働組合設立という時流には勝てず、やがて街も従業員の結束も、無惨に崩壊していく。

 そう、この本はカカオ豆を通じて人間の姿を描いているのだ。
 あのアフリカ独立運動の父といわれるエンクルマも登場する。アグリビジネスに翻弄されるピエロとして。
 
 同書の後半はアフリカ、コートジボワールでの悲惨な現場の報告である。カカオを巡るシンジケートの前に、ジャーナリストの命すら簡単に消されてしまう現実。
 
 チョコレートという1つの食品に関わる本として、ぜひ老若男女問わずオススメしたい。

 さて、この本を読んだ方は読後、チョコを食べる気になるだろうか。

 私は表題のとおり、今までと変わらず、コンビニで、スーパーで、喰いたければチョコを買うだろう。(消耗の激しい現場で、たまにチョコ喰いたくなるのだ。)フェアトレードのチョコを買う余裕など、私には無い。
 
 こういう問題で始末におえないのは、東京電力から相応に電気の恩恵を受け取っておきながら原発反対とお気楽に叫んでいる某山岳ライターとか、中国と結びつきを強めている雑誌「ソトコト」読んでおきながら「中国産食品は・・・」とかロハスとか語る 偽 善 者 どもである。
 表面だけつくろってオナニーするのは、いかに楽ちんなことでしょう。

 以前読んだマリ・クレール誌で土屋アンナが「自分はエコのためにコンビニは利用しない」と公言していたが、そりゃ年収5000万を誇るモデル嬢なら可能でしょう。身の丈にあったエゴあいやエコとやらを実践する分には、どうぞ御勝手に。
 
 はっきり言って、貧乏な土木作業員の私としてはコンビニは有り難い施設であるし、子供を喜ばせるために自分の疲れをいやすために、チョコは遠慮無く買い求めますよ。
 しかし同書で突きつけられるあまりにも暗澹たる世界と現実。
 子供達には、いつか私も含めて自分たちが食べている食品を支えている世界のことを、 必 ず 話してあげたい、と考えます。
 そんなことを考えさせる本でありました。

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蔵王スキー修行日記2011.2.5

午前のみの短期集中でスキーレッスン受講。
初心忘れずと言いますが、相変わらずクラス分けでは初心者クラスにご案内_| ̄|○il|li

本日の先生は山口勝美先生。
山口先生はズバリ、

Kin8
金八先生タイプ。
とにかく語る。
目の前の雪を黒板代わりに、とにかく書く。

今日のクラスは、私含めて4人。
比較的ご高齢な方ばかりで、私が一番年下なためか、シュテムターンでの体重のかけ方など、ジェスチャー交えて解説する際は私がスケープゴー・・・もとい、見本のお手伝いをさせられる。(笑)

山口先生、とにかく語るのだが、その中でも光る名言は、

『頭ではわかっているんだけどできない、とおっしゃる方いますけど・・・それ実は、わかってないんです。わかってないからできないんです。』

教え方そのものは、少し離れたところから教習生の滑りを見て、一人一人にアドバイスしてくれる教え方。
「うん、大滝さんの課題が見えたっ!」
と突然先生が言うのでこっちはドキドキするんですが・・・

しかしレッスンを重ねれば重ねるほど、解決しなければならない課題が増えていくというのが自分のスキーだとわかった日でありました。あー、日暮れて道遠し。


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蔵王といえばモンスター

子供とカミさんがお出かけ、ようやく自分の時間ができた休日、蔵王でスキー修行。

蔵王といえばやっぱりモンスター。
これを見るために県外や海外から観光客が来るんですなぁ・・・
本日はガスガスで視界不良ながら、バッチリ携帯で写真が撮れました↓
                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                   
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
                                                                                                                                                                                                                     

                                                                                    
Pa0_0018
え?
これモンスターですよね?

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山岳スキー教程

Pa0_0015昨秋、北海道の滝川市に滞在した折、図書館で見つけた北海道山岳スキー同好会編著『山岳スキー教程』(2007年4月出版)。手元に置いておきたく、アマゾンで購入。

 若気の至りで年末年始の利尻に一人寂しくでかけ、成果もあがらず下山した際、登ってくる地元パーティーとすれ違いになった。そのとき地元の登山者の方に言われたのが、

 「内地の方も山スキーやられるんですか!?」

 内地の方、という呼ばれ方もさることながら、本州の人間は山スキーをあまりやらないと見られていることに、東北人の私としては凄いカルチャーショックだったのでした。
 以来、北海道の方の山スキーの知識、その蓄積ともいえるテキストがあれば・・・と思ってました。
 最新の山スキー・・・あーはいはい、今はバックカントリーって言うんですね(棒読み)の知識・装備、小技なんかは山岳雑誌で得られますが、基礎となる思想・知識を本という形で得たいと思い、今回購入。

 内容はカービングスキー出始めの頃で、記載されているビンディングも一昔前のタイプ、装備ではフリースの文字は無くウールだったりと古い箇所は目立ちますが、内容は「スキー運動のバイオメカニクス」から始まり装備、滑降技術、気象、雪崩、医療、栄養(食料)、ツアー計画、コースガイドと幅広い。
 
 内容で特筆すべきは、「山岳スキー技術講習」である。小項目として、

・受講者と指導者の関係
・学習と講習計画
・講習会及び講習環境
・講義及び屋内での実技
・実技
・講習の評価

など、講習会運営のための簡単なノウハウの記載がある。

 興味深いのは、あとがきである「編集をおえて」。
 この本の母体となったテキストは平成14年8月に完成されていた。
 当初は北海道新聞社に出版を依頼したが、「一般の人たちを対象とした書籍ではない」という理由で実現しなかったという。
 日本の地方紙では有数の左翼偏向で知られる北海道新聞社であるが、郷土出版物は素晴らしい本が多い。北海道に出かけた際はよく自分への土産に北海道新聞社の山岳書・民俗関係書を購入したものである。
 その北海道新聞社が山スキーの技術書を「一般の人たちを対象とした書籍ではない」と判断したという記載は、山スキーの社会的認知度を伺い知る上で興味深いと思う。

 同書は本州在住の人間にとっても、北海道の冬山・山スキーの世界を知る上で 手 頃 な 参考書になるだろう。

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モッタイナイ

いつも愛用してるトートバッグの取っ手部分が擦り切れた。
カミさんに頼んで布地ごと取り替えてもらう。
Pa0_0014
実は、取っ手を取り替えてもらうのはこれで2回目。
カミさんからは、
「いつも本何冊もいれて重たいモノ運んでるから切れちゃうんじゃない」
と言われる。
「でもよー、これトートバッグってもともと薪とか焚き木いれるんだよ。それにこれ買うとき店さがすのに苦労したんだよー」
「じゃあ二つ買ってくるべきでしたね」
( 会 話 終 了 )

はいはい、夫婦円満の秘訣は女の言うことを良く聞く事、を実感。(棒読み)

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大学生活

よく拝読しているツイッターのリツィートから、

『大学生活を勉学に費やした人は「もっと遊べばよかった」と言い、遊びに大学生活を費やした人は「もっと勉強すればよかった」と言う。そして両方をバランスよくやった人は「もっと1つのことに打ち込めばよかった」と言う。つまり、そうゆうことなのです。』

・・・・大学1年めは「優」「良」だけでしのぎ、3年までに卒論以外の単位は修得、自分の学科に飽きたらず経営学部の授業にモグリで出席して簿記の資格取得、史学科の授業に出席してシルクロードの第一人者・長澤和俊先生の授業で学んでいた俺って、

「もっと遊びしておけばよかった」と思うし、

就職活動もロクにせず海外登山のために学生生活を費やした俺って、

「もっと勉強すればよかった」と思うし、

別にバランスよくやったとは微塵も思わないが

「もっと1つのことに打ち込めばよかった」と思う。
もう大学山岳部も滅亡の時期だったからね。
他校の人間と交流したかったしね。
俺のダークな性格では無理か。

やはり、そうゆうことなのか、大学生活。

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