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2011年1月15日、韓国トワンソンにおける遭難事故

3月某日、震災下、あまりにヒマなのでやむを得ず、仕方なく、カルト雑誌ロクソノ51号を読む。
ロクソノ誌に掲載された、谷口けい女史の筆による韓国ウインタークライマースミーティング(以下、KWCMと略)の報告を読む。

 これで『岳人』、『山と渓谷』、『ROCK&SNOW』3誌に掲載されたKWCMの報告を読んだ。

 注意深い方なら既にお気づきだろうが、KWCMの日程中にトワンソンで遭難事故が発生、谷口けい女史の報告やその後のプログラムが中止となったとされている。
 各誌の報告ではトワンソンの事故に関する具体的な記述はなく、事故については単に韓国人クライマーの精神性に言及されているのみで、谷口けい女史が事故について若干の考察をROCK&SNOW誌で披露されているだけである。

 この「トワンソンで発生した遭難事故」に関しては、韓国国内においては月刊『山』2月号がその遭難状況を記事として掲載、公表している。
 谷口けい女史はROCK&SNOW誌上において「韓国登山メディア関係者がこの遭難事故をどう受け止めるのか興味がある」趣旨の意見を記述しているが、この月刊『山』の報道が、その回答の一つになるであろう。

[フォーカス]不確実なロープを用いたビレイが事故の起因となった釜山市の某クライマー、トワンソン上段壁に13時間宙づりになって死亡 月刊『山』2011年2月号

以下記事引用開始
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[フォーカス]不確実なロープを用いたビレイが事故を呼び起こした釜山市の某クライマー、トワンソン上段に13時間宙づりになって死亡
 イ・ドンギュ ソラクチーム隊長、「自分のスリングで確保していれば事故は起きなかった」

 国内最大の氷壁、雪岳山のトワンソン滝で死亡事故が起きた。 1月15日午後4時40分頃、釜山(プサン)のクライマーA某(46)氏は、120mの高さの上段氷壁終了地点から60m下に墜落、垂直の氷壁に宙づりになった状態で救助を待った。 墜落から13時間が過ぎた翌日16日朝6時頃、救助隊員カン・テウン氏(赤十字救助隊員)が到達した時には、すでに亡くなっていた。

 この事故は、上段壁終了地点の松の木に張られたPPロープにリードクライマーが確保スリングをかけたのが原因と推定されている。 A氏が確保用スリングをかけておいた、松の木に縛られていたPPロープは、誰がいつ設置したものか分からないロープだった。

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[写真キャプション]事故当日、午後12時20分頃の下段壁終了地点から撮影したトワンソン滝上段壁  /切れたPPロープに結わえられた遭難者の確保スリング  /写真 雪岳山国立公園事務所提供

  事故直前、A氏は上段壁を登った後、B某(58)氏のビレイをしていた最中だった。 下降中に事故を目撃したソウル市の某クライマーの談話によれば、B氏が滑落、滑落直後に上から落ちた氷塊がぶつかり気絶してしまった。 氷塊が当たったヘルメットは壊れ、滝下に落ちる程大きい衝撃だった。

 B氏はしばらくして意識を取り戻したが、A氏の様態は深刻だった。 A氏は墜落の衝撃に耐えることができず、セルフビレイ用スリングをかけておいたPPロープが切れ、60m下の通称‘テラス’付近の氷壁まで墜落、アイススクリューにひっかかったが、片方のアイゼンが外れたままぶら下がっている状況だった。

 B氏は意識が回復するとすぐにまた登り始めたが、A氏がロープにぶらさがったまま下に吊り下がった姿を確認、アイススクリューを打ち込んでセルフビレイをとった後、A氏に向かって大声で叫んだ。しかしA氏はあたかも後輩に話すように「オイお前、早く登ってこないで何してる!」と大声を張り上げた。 まもなくA氏は意識を取り戻し、B氏と大声で会話ができたが、時間が経つほどうめき声だけになり、深夜12時を過ぎるとそのうめき声も聞こえなくなった。

 雪岳洞(ソラクドン)で墜落事故の連絡を受けた同僚クライマー、救助隊員達は、午後5時30分頃に出動して午後8時頃、下段壁の取り付き地点に到着したが、遭難者に接近することは困難だった。 別名Y渓谷と呼ばれる谷間に続く箇所は岩がオーバーハングして登ることはできない状況であり、下段壁右側には雪が全くついておらず、登攀するにも困難だった。氷壁は数日間持続した厳しい寒さで丈夫だったが、不良な状態で凍っているところに、今年に入って最も寒いという厳しい寒さと強風のため、登攀はスムーズにいかなかった。

 救助隊が上段壁取り付きにいるB氏に到着したのが翌日16日明け方1時頃。上段氷壁の取り付き地点で約6m上側に打ち込んでおいたスクリューにぶら下がっていたB氏はアイゼンで氷壁を蹴り崩して作ったスタンスに立っていたので寒さにある程度耐えられ、健康状態も良好だった。 しかしロープにぶらさがったまま軽量の登攀ウェア姿に寒さと強風をそのまま受けていたA氏は耐え難い状況だった。 B氏を下段壁の下へ搬送した後、出動した救助隊員がA氏に近付いた時には、すでに息が絶えていた。

 雪岳山国立公園管理所「ソラクチーム」 イ・ドンギュ 隊長は、今回の事故の原因は何よりもセルフビレイを徹底しなかった点を挙げる。イ隊長は「松の木にかけられていたPPロープではなくクライマーが手持ちのスリングを松の木で確保していたなら、このような悲劇は起きなかった」と振り返った。

文・写真シン・ソクハン記者
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以上引用おわり

 この記事に補足する。
 韓国メディアでは、遭難報道は著名な登山家以外は匿名報道が通例であり、引用記事のA、Bという匿名は原文に従った。またフィックスロープについて「PPロープ」という表記も原文に従った。

 筆者は2007年秋、大韓山岳連盟の知人に機会を与えて頂き、無雪期のトワンソン滝を訪れた。トワンソン滝はクライマーの皆様ならご存じのように、上段壁・下段壁に分かれるが、その間にある大きなテラスに至るフィックスロープがある。
 これは筆者の推察ではあるが、トワンソン滝の上部にもこのようなフィックスロープが張ってあり、今回の事故者はこのロープにスリングをかけていたのではないかと考えられる。

 韓国の山岳雑誌『山』が雪岳山現地救助隊員の言葉を引用して総括しているように、事故の遠因は強度の不確実なフィックスロープにセルフビレイをとってしまったことにあると考えられる。
 かつて日本の某登攀ガイド氏が韓国現地でペツルのミニトラクションでセカンドをビレイするクライマーの画像を例にして「郷に入れば郷に従えではない、きちんと安全を説かなければならない」という趣旨の発言をされていたが、安全という面について、国は異なれど真剣に考えなければならないだろう。その代償は人間の命なのであるから。

 なお韓国人クライマーの名誉のために書いておくが、自国のクライマーの安全面を憂い、真剣に対策に取り組んでいる韓国のクライマーがいることも強調しておきたい。
 今回の事故で亡くなったクライマーのご冥福を祈るとともに、この事故によってクライマースミーティングの開催が危ぶまれることがあってはならない。今後も日韓のクライマーによる様々な交流が進められるべきだろう。

 さて話題はKWCMに戻すが、この事故によって中止となった谷口けい女史の報告。
 いみじくも恩田真砂美女史は御自身のブログで谷口女史が韓国人クライマーに何を伝えるのか(発表の機会が失われて)、非常に残念と表現されている。谷口女史の発表の機会が失われたことを惜しむ気持ちは、韓国の山岳メディア関係者も同じ、もしくはそれ以上であっただろう。
 韓国の3大山岳誌のうち、『山』誌はKWCMについて長文の記事を掲載、その半分は谷口けい女史の紹介で占められている。『人と山』誌は個別に谷口けい女史 だ け を 取り上げたページを組み掲載していることを明記しておきたい。

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