被災地日記 4月20日
会社ではリストラ寸前不良社員、
ネ コ の 手 よ り 使 え な い
といわれる自分であるが、会社が派遣している被災地支援チームに加わることになる。
先発隊と三日間で入れ替わるローテーション。
行き先は、被害の甚大な陸前高田市。
震災ボランティアではなく、会社の業務として、対価をいただく仕事として、被災地の復興にたずさわる。
「ボランティアとか興味あるだろ?おまえも来いよ」
と、担当部長から声をかけていただく。
(しかし「ボランティアとか興味あるだろ」って、しっかり性格見抜かれてる。)
訪れた陸前高田市は、想像を超える被害だった。
道路上の瓦礫は除けられたとはいえ、まだまだ手つかずの瓦礫・廃材・車、船の残骸が果てしなく広がっている。
先発隊が作業している現場は、某公民館の前。
2階建ての公民館も津波に呑まれており廃墟同然、周囲も瓦礫の山だった。
現場の段取りが一区切りついたところで、胸の携帯が鳴る。
着信番号を見ると韓国からだった。
お世話になっている大韓山岳連盟の申さんから。
先日発送した郵便物が届いた事、震災が発生し連絡もせず失礼したと恐縮されていたが、私こそ北朝鮮の砲撃の後の様子伺いや、春節のメッセージなどすっぽかしていたので、無礼はむしろ私なのである。
電話での会話の内容はやはり震災の事になる。
山ひとつ隔てた山形は大丈夫、とは日本人ならわかるが、海外からみれば、同じ「東北」エリアである。
私、家族、自宅、山仲間は無事ということを伝える。
「大丈夫ですよ、大丈夫」
と、大丈夫ですを繰り返す私。
その私の周囲360°は、手つかずの瓦礫、流された車、廃材が積み重なっている。
そんな廃墟の真ん中で「大丈夫」を繰り返す私。
決して嘘をついているわけではないが、なんとなく違和感を覚える。
今は震災の被災地で工事の仕事してます、と言うと私の身の安全を案じてくださっていた。
会社ではゴミ扱いなのに、はるか遠く海外で私の身を案じてくれる人がいるというのは、心が折れそうな私にはささやかなカンフル剤である。
やはり話題は原発問題になる。
韓国でも学校が休校になったりとナーバスになっているが、原発に関してもだいぶ心配されていた。
現場の合間の、ありがたい電話。
夜間まで作業をし、夜は宿ではなく野営。
テントを調達してきていたが、現場の地表が荒れていること、24時間発電機回しっぱなしでうるさいこともあり、車中泊。
ブラックダイアモンドのLEDランタンを調達しておいたが、工事用の作業灯にはかなわない。
この明かりの下、レトルトの白飯とおかずで食事。
メンバーはめいめい車を選んで寝床にする。
私は小型ダンプ。
うっかりシュラフを遠方に停めてあるトレーラーに置いてきてしまった。
疲労とめんどくさいので取りに行く気力ゼロ。
こ ん な こ と も あ ろ う か と
ヘリテイジのライトウエイト羽毛服を着込み、モンベルのインナーシュラフに入り、ダンプのシートに横になる。
瓦礫に囲まれた現場、夜間は明かりもなく人気もなく、静かである。
こうして、被災地暮らしの最初の夜は更けていく。
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