被災地日記 4/25
陸前高田市に戻ってきた。
見渡す限り、ガレキと廃材の山。
「今度の現場は精神的にハードだぞ。」
そう上司に言われ到着した現場。
50名以上の自衛隊員、警視庁の警察官が遺体確認作業を行っている、その場所が今度の私たちの作業場であり、寝食を共にする幕営地だった。
測量作業のため、近くの急斜面に入る。
4階立てのアパートも完全に破壊した巨大津波は、この斜面の中程まで押し寄せていた。
雑木林の中を登っていく。
斜面の地表には、押し寄せられた家具や雑貨が無数にちらばっていた。
季節は春。
斜面には数多くの椿が、深紅の花で満開だった。
津波で押し寄せられ、無数にちらばる家具や雑貨と共に、紅い椿の花がこれまた無数にちらばっていた。
残酷な風景だ、と思った。
測量を終え、作業現場に戻る。
昼過ぎ、空は暗くなり、雷鳴がとどろいた。
海の方に、稲光が何度も光り、激しい雨。
震災ボランティアと異なり、請負作業のため、いかなる悪天でも私達の作業が止まることはない。
天候は雨から雹(ひょう)に変わった。
周りを取り囲む、うずたかく積まれたガレキと廃材。地面には無数のガラス片。
そして稲光と、雹(ひょう)。
オカルトマニアなら誰もが一読したことがあろう、人類終末の予言書といわれる新約聖書の「ヨハネの黙示録」を思い出す。
ラッパが吹き鳴らされ、血の混じった雹と火があらわれ、地上が焼けていく。
今、私は廃墟の中で、雹に打たれながら現場作業をしている。
ヨハネの黙示録を書いた人物も、こんな風景を見たのだろうか。
それから雑念は払いのけ、再び作業に没頭した。
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