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栗駒へ

G.W.の休みに突入。
Lo
とゆーわけで、

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栗駒山の頂上にて、本日は周囲の山々のパノラマを眺めながら『手包みクレープ チョコバナナ』を食す。

 いわかがみ平への車道はまだ交通規制(時間規制)がかかっており、入山者たちの登頂もだいたい同じ時間帯に集中。

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 ちょうど11時頃、数十名の登頂ラッシュ。
 この日は東北山岳ガイド協会の和田さん率いるM-freeのツアーの皆様も笑顔で頂上へ。

 本日の私の目的は栗駒方面のアプローチの地震の影響の確認、そして超ウルトラスーパー久々の山スキー修行。
 本日の入山者がそろって頂上に到着した頃、ヘタクソな滑りをみられるのも恥ずかしいので、一番乗りにさっさと下降。同じザラメ雪でも、数日前降ったらしいザラメ雪が交互に出てきて雪質が微妙に違い、スキーの滑りが異なる。うーむ、ザラメ雪も奥が深い。

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1時間半かけて登った道のりも、下山はスキーでわずか20分。山スキーは刹那的とはよく言ったモノよ。
いわかがみ平駐車場まで雪は続いており、車の手前数メートルまでスキーで滑り降りる。
いや極楽極楽。

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栗駒の頂上はまだまだ冬芽のままでしたが、

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いこいの村栗駒、ハイルザーム栗駒(休業中)手前の道路脇はミズバショウの大群落。
ひっきりなしに聞こえる幾匹ものウグイスの声がよいBGMでした。

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山岳ガイドのワンポイントアドバイス

 東北自動車道 若柳金成ICから、いわかがみ平までの県道・国道は度重なる地震の影響で荒れております。一部、マンホール部分が盛り上がったりしているところもあります。遠方から夜行、夜間運転でいらっしゃる方は運転にご注意下さい。
 なお度重なる地震で毎回大震度の揺れに遭遇した栗原市ですが、いわかがみ平までに至る街ではスーパー、GS、コンビニ、問題なく通常通り営業しています。

 2011年4月30日現在、いこいの村栗駒~いわかがみ平の間は道路規制(時間規制)が行われています。開通時間は9:00開通17:00閉鎖。しばらくの間とのことで、いつまで時間規制されているかは不明。

 後述の新湯温泉くりこま荘のご主人から聞いたネタですが、今年2011年の栗駒山の山開きは5月15日に決定したとのことです。


おまけ
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 帰りに立ち寄った新湯温泉 くりこま荘の玄関に展示してある、グッサリと穴空いている配管用の黒ポリパイプ。ご主人いわく、よく熊に囓られるそうな。
 この黒ポリパイプ、仕事でもよく使うんだけど、我々業者が切るときは専用のパイプカッターが必要なくらい硬いんですけど・・・熊の噛む力はもの凄い・・・

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【速報】【訃報】エアハルト・ロレタン死去

1チョモランマ北壁のアルパインスタイル、8000m14座を全て無酸素で登頂したことで知られるスイスのエアハルト・ロレタン (Erhard Loretan) が4月28日、スイスのベルン・アルプスにてクライアントをガイド中に事故に遭い、転落死しました。奇しくも52歳の誕生日での悲劇でした。
 
 エアハルト・ロレタン氏死去 スイスの登山家 by 東京新聞 2011.4.29

 その他欧米では多数のメディアがロレタンの死を報じています。
 日本ではクライミングジャーナル誌で取り上げられた後の消息は知られていませんでした。

 海外の報道では、彼の登山キャリアに影を落とす出来事として、2001年、泣き止ませようと揺さぶったために子供が死に至ったことから、2003年、過失致死のために執行猶予付き懲役4ヶ月の判決が下されていたことに触れています。また、この事故がきっかけでいわゆる乳児の「揺さぶり症候群」の研究が進められたことにも言及されています。

 家具作りの職人であったロレタンのクライマーとしての経歴には今更触れるまでもありませんが、86年にジャン・トロワイエとペアを組み約40時間ぶっつづけでチョモランマ北壁をアルパインスタイルで完登、尻セード(!)で下降という成果は記憶に残るところです。
 その経歴から、あまりにも惜しまれる死であります。
 あらためて故人のご冥福をお祈りします。

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【訃報】ナワン・ゴンブ(Nawang gombu)氏 逝去

3063724月25日、チベット出身のシェルパ、ナワン・ゴンブ(Nawan gombu)氏がインド・ダージリンにて逝去。1936年生まれの75歳でした。
 ナワン・ゴンブ氏は1953年のエベレスト初登頂を果たしたイギリス隊の最も若い隊員ということで英米メディアでは取り上げられていますが、なんといっても1963年にアメリカ隊の一員として、今やアメリカ登山界の重鎮であるジム・ウイティッカーとエベレスト登頂、さらに1965年にインド隊の一員として再度エベレスト登頂を果たし、世界初のエベレスト二度登頂者であったことが知られています。インド系の英字メディアでは、インド人初のナンダ・デビ登頂者としても強調されています。

 本人はネパールのクムジュン出身と主張していたようですが、everestnews他多数のメディアで明らかにされていますが実際はチベットで、チベット僧ナワン・ギャルツェン、元尼僧のラム・キパとの間に生まれました。
 シェルパと関わり登山を経験してきた身としては不勉強で申し訳ないのですが、このあたりの出生の事情に諸説あるところは、チベット、インド、ネパールの複雑な政治状況、シェルパ達のコミュニティの問題があるのではないかと推察します。
 注目すべきは母親であるラム・キパは、エベレスト登頂を果たしたテンジン・ノルゲイの長姉であり、ナワン・ゴンブ氏にとってテンジンは叔父にあたります。実際にヒマラヤ登山を経験された方はご存じかと思いますが、シェルパ達はチームを組むにあたって血縁関係を重視します。エベレスト登山華やかなりし60年代に二度登頂の機会に恵まれたのは、こうした血縁関係と無関係ではないでしょう。

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右からテンジン・ノルゲイ、エドモンド・ヒラリー、ナワン・ゴンブの各氏。

 ナワン氏はその経歴により、シェルパの名誉称号であるタイガーメダル、エリザベス女王、ナショナルジオグラフイック社からの叙勲・受賞、ケネディ大統領からホワイトハウスへの招待等々、数々の名誉に輝きましたが、それ以上に多数のシェルパ達の指導・育成にあたった功績が評価されるべきでしょう。インド登山隊の隊長コーリ氏も、「インド登山界をさらにステップさせる役割を果たした」と証言しています。
 インド系メディアによれば、亡くなる直前にはそれまでの生涯、登山を本にまとめたいとの意欲を示していたと報道されていますが、それはかないませんでした。また一人、ヒマラヤ登山の貴重な証言者を失ったことになります。あらためて故人のご冥福を祈ります。

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イ ス

「なんでもいいから、必要と思った物は買ってこい」
会社の上司から、私にそう指示が下された。

会社が私に求めているのは作業員としてのスキルではなく、アウトドアの経験。
そう理解した私は、最初の陸前高田滞在から、もう購入するものを決めていた。

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それはイスである。

 会社で現場も何も知らない方々は、私を飯炊き係にしたがっていたと人づてに聞いた。
 しかし現場には大型の工事用発電機がある。電気ポットも使えれば電子レンジも使えるのだ。
 若手社員が大量に食料品を買い込み、朝昼晩、各自が好きなモノを喰え、というスタイルで正解だった。
 被災地のガレキの中の作業で、食事は数少ない楽しみであり、ストレスから解放される時間である。
 特定の人間がメニューを決めるより、自分の喰いたいモノを喰うことが一番なのだ。

 被災地チームに加わり気にかけていたのは、みんな立って休憩をとったり食事をとったりしていたことだ。
 私が所属している部署は、土建業の中でもやや特殊な業種であり、職人気質が強く残る、上下関係が厳しい雰囲気の職場だ。年長者が立っていれば、若手社員はまず腰掛けることなどしない。
 前回の陸前高田行きから戻った後、短い休みの合間にキャンピング用イスを調達した。

 あらためてキャンプ用品のイスを物色すると、いわゆるディレクターチェア、カップホルダーがついたり快適な背もたれがついたりと便利なのだが、これがえらいかさばるのだ。
 私達が現場作業に用いるトラック、ダンプの荷台は工事機材がきっちり詰められてあるし、わずかに残ったスペースは食料品のボックスで占められている。残る荷物のスペースは、トラックの座席裏くらいだ。
 さらに私達の部署の人間は大柄な人が多く、小型サイズの折りたたみイスでは耐えられない。
 我々作業員の体格、車両の積み込みスペース等々を考慮し、CAPTAIN STAGのCSレジャーチェアを選択、購入。

 私にイスの重要性を教えてくれたのは、山岳部の後輩ながら海外登山のキャリアは遥かに長い この人。
 あるヒマラヤ登山を共にしたとき、準備作業で「ヒマラヤの長いベース生活では、絶対にイスが必要なんですよ」と強調していたのを、今でも思い出す。聡明な彼のこと、イスはあくまでもたとえで、ベースキャンプで快適に過ごすことの重要性を訴えていたのだろう。

 作業も終わった被災地の現場。
 全て破壊しつくされ、私達のキャンプサイト以外は完全な暗闇。
 工事用ライトの下で食事を取り、イスに座ってリラックスしている他のメンバーを眺めながら、あらためて彼の言葉をかみしめた。

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被災地日記 4/26、4/27

朝、テントを撤収し、朝食。
長い一日が始まる。

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幸い、日中は晴れ。
朝の7時から夜の19時まで、突貫作業。
引き続きの遺体確認作業なのだろう。
近くの河川上空を、自衛隊のヘリが超低空飛行でホバリングしている。

作業をしていて、いやおうなく、ガレキや地面に埋もれている遺失物が目につく。
印鑑、教科書、居酒屋のメニュー、病院のレントゲンのネガフィルム。
もっとも悲しくなるのは、写真だ。
見合い写真か成人式の写真かわからぬが、着物姿の若い女の子のスタジオ写真が落ちていた。
写真を回収する「思い出ボランティア」もあるらしいが、もう一ヶ月以上風雨にさらされて、私達が目にする写真(プリント)の多くはもう溶けかかっていた。

そういったものに一つ一つ気にかけていたのでは、こちらもおかしくなりそうだ。
もっとも私の場合、心療内科に通っているのでこれ以上悪くなりようもないのだが。
ボランティアに来ているのではない。(注:この表現は「無償行為でやっているのではない」の意であり、ボランティア行為をおとしめる意図は無い)
自分は対価をいただいて仕事を請け負う作業員なのだ、と割り切って遺失物は無視して、作業を進める。

夕食を済ませ、明日の雨天を見越して、本日は車中泊。

夜、4tトラックのシート裏のスペースで横になる。
会社の上司の意向では、作業員がゆっくり休めるようにとの計らいでテントを用意させたわけだが、現場にいる私に言わせれば、やはり一人になる時間は大切だ。

中国製の安価なデジタルプレイヤーでベット・ミトラーの『ローズ』を聴きながら、疲労で眠り込んだ。

翌朝、全ての機材が雨に濡れている。
今日も作業の一日が始まる。

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被災地日記 4/25

陸前高田市に戻ってきた。
見渡す限り、ガレキと廃材の山。

「今度の現場は精神的にハードだぞ。」
そう上司に言われ到着した現場。
50名以上の自衛隊員、警視庁の警察官が遺体確認作業を行っている、その場所が今度の私たちの作業場であり、寝食を共にする幕営地だった。

測量作業のため、近くの急斜面に入る。
4階立てのアパートも完全に破壊した巨大津波は、この斜面の中程まで押し寄せていた。
雑木林の中を登っていく。
斜面の地表には、押し寄せられた家具や雑貨が無数にちらばっていた。

季節は春。
斜面には数多くの椿が、深紅の花で満開だった。
津波で押し寄せられ、無数にちらばる家具や雑貨と共に、紅い椿の花がこれまた無数にちらばっていた。

残酷な風景だ、と思った。

測量を終え、作業現場に戻る。
昼過ぎ、空は暗くなり、雷鳴がとどろいた。
海の方に、稲光が何度も光り、激しい雨。

震災ボランティアと異なり、請負作業のため、いかなる悪天でも私達の作業が止まることはない。
天候は雨から雹(ひょう)に変わった。

周りを取り囲む、うずたかく積まれたガレキと廃材。地面には無数のガラス片。
そして稲光と、雹(ひょう)。

 オカルトマニアなら誰もが一読したことがあろう、人類終末の予言書といわれる新約聖書の「ヨハネの黙示録」を思い出す。
 ラッパが吹き鳴らされ、血の混じった雹と火があらわれ、地上が焼けていく。

 今、私は廃墟の中で、雹に打たれながら現場作業をしている。
 ヨハネの黙示録を書いた人物も、こんな風景を見たのだろうか。
 それから雑念は払いのけ、再び作業に没頭した。

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つかの間の休日

金曜の深夜、被災地支援チームの別のグループと交代した私達は一時帰宅。

土曜日。
午前10時から、日曜出発予定の被災地支援チーム出張の準備。
タイトなスケジュールだが、朝8時半から娘の授業参観に出る。
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にぎやかな小学校。
ついつい、先日まで滞在していた被災地の小学校と比べてしまう。
出張の多い身分ゆえ、隙間時間も活用して子供の成長は見届けたい。
9時半まで、授業を受ける娘の姿を見届け、工場に出勤。昼まで作業。

午後は身体を休めるため少し睡眠をとる。
夕方、被災地出張でちょいと必要なキャンプ用具の買い出しに行く。

日曜日。
予定が変わり、被災地出張は月曜に変更。
午前中は出勤、工事資機材の準備。
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いつのまにか、山形の桜は満開。
貴重な晴れ間、被災地に持ち込んでいたシュラフ、テントを乾かす。

若手社員のH君、「あと仕舞っておきますので、明日のために休んでくださいはー」
とのお言葉に甘え、昼前に帰宅。
工場から帰る間際、ふと外を見ると、H君は干しているシュラフにせっせと消臭剤などを散布している。
その気の遣いように、頭の下がる思い。
工場を出ると、周囲の小川、畑には菜の花が咲き始め、いかにも春の装い。
近所にある、伏流水をくみ上げているセリ畑には緑があふれている。

春の雰囲気を味わうのもそこそこに、月曜からまた被災地に行って参ります。

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CAMPのPhotonカラビナ、リコール ~クライミングギア輸入業者の姿勢を問う~ 【2011年5月22日訂正】

アメリカにおいて、カンプのカラビナとクイックドローがリコールの対象となりました。

Recall news by AP通信2011.4.23

リコールの対象となったのは、CAMP USAが輸入した、 中 華 人 民 共 和 国 で 製 造 の

カラビナ Photon
クイックドロー Photon および Mach Express

リコール理由は、荷重をかけた際にゲートが開き重大な事故に至る可能性があるとのこと。
なお現在まで事故事例は報告されていませんが、AP通信の報道では約15500の製品が流通しているとのこと。

このリコール問題については、私が情報を得る前に、既に えのきど。さんがツイッターで公表されておられます。

えのきど。 @U_ki_Yama

えのきど。さんのツイッターにリンクされている Urbanclimbermagazine には、リコール対象となったカラビナ、クイックドローの画像が掲載されておりますので、ぜひご確認ください。
クライミングギアの流通などに関しては当方知識不足にて、えのきど。さんの知識と人脈にはかないません。私が知りたかった点、該当カラビナは日本国内でも販売されているとのことです。(該当文取り消し・詳細は後述)

この問題に関してCAMP USAのウェブサイトを確認すると、アメリカの独立政府機関CPSC(consumer product safety commision、米国消費者製品安全委員会)の4月21日付けの文書が公開・リンクされています。

CAMP USA ウェブサイト

NEWS FROM CPSC Photon Climbing Carabiners and Quickdraws Recalled Due toRisk of Injuly(PDFファイル)

 リコールの発端となった元々の問題発覚の時期は不明ですが、政府機関とUSAにおける輸入業者の情報公開の対応の素早さ、政府機関が(日本においては)遊びの一つとされているクライミングの道具の問題にこのように取り組んでいる姿勢は、考えさせられるものがあります。

 えのきど。さんも指摘されておられますが、日本においてCAMPギアの輸入元であるキャラバンのウェブサイトでは4月23日現在、何も情報は掲載されていません。
 輸入業者よりも、-えのきど。さんはクライミング情報専業の業務をされていますが-私のような一消費者がネットで業者よりも早くリコールのような重大問題を知る。
 このような情報伝達形体は、クライミングの将来を考えるに当たって健全と言えるのでしょうか?

 
 先日話題になった、ペツルの中国製偽造品問題においても、日本のアルテリア社の情報公開の遅いことが気になります。

 こういったクライミングギア輸入業者の、情報に対する緩慢な動きは、それこそ福島第一原発の東電の姿勢と何ら変わりないものですよ。
 反原発でいきりたっているアウトドアライターと称する売文の輩は、それこそ自分たちのメシの種であり、人命が直接かかっているクライミングギアの安全性を巡る情報について、何をやっておられるんでしょうか?

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【2011年5月22日 訂正・加筆】

 当該記事に関しまして、えのきど。様より、カンプのPhotonカラビナにつきましては日本に輸入前のリコールであったため、日本ではまだ未販売との情報を頂戴しました。
 よって該当の文章に取り消し線を引いております。

 また併せてえのきど。様より「代理店から登山用品店には、リコール等の情報はあらかじめ連絡が行ってることが多いようです。」旨コメントを頂戴しました。
 なお筆者の日本の輸入代理店に対する根本的な考えは変わりませんので、この点についても取消線を引いて原文はそのまま残しておきます。

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やきもちは愛のしるし

 被災地でシリアスなことばっか考えてると頭が脳みそマヒ起こしそうなんで、帰りの長者原SAでは甘い物タイム!
 本日のチョイスは、

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もちでん の『やきもちは愛のしるし

 コンビニやスーパーで売ってる大福ってさ、あんこばっかり多くてアンバランスな気がするんだけど、これは皮の餅とあんの分量のバランスがGoodなのだ。
 長者原SAの売店は和菓子が充実しているので、日本全国甘い物好きな登山者の皆様、東北遠征の際には要チェックです。


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被災地日記 4月22日

陸前高田に来て三日目。
小学校の現場を撤収。
その次は、学校から眼下に広がっていた、津波で全滅した谷間。

その谷には巨大な水産加工場、冷凍倉庫があった(過去形)。
何万もの水産物が谷間に沿って津波に流され、1km以上にわたってガレキと廃材に混じり、恐ろしいまでの悪臭を放っている。

まさにその腐った魚が散乱した谷間が、次の作業現場。
作業自体は三日ぶりに戻ってきた次の作業班が担当するのだが、機械や資機材設営は私達の作業班と合同で行う。

資機材を積んだトラックで谷間に降りる。
腐った荒巻鮭、腐った無数のサンマが足の踏み場も無いほどに泥に埋もれている。
ちょうど機械を下ろしたところになにやら塊がある。
腐った筋子の山だった。

ひどい悪臭とともに、それら水産物を空から狙うウミネコの大群が空を舞い、ミャアミャアと耳障り。
天候は小雨。
頻繁に使うべき言葉ではないが、「地獄」という言葉を思い浮かべる。

先週、政府の復興会議に登用された赤坂憲雄氏の言葉を山形新聞で読んだ。
既に退職されたが、長いこと山形の東北芸工大で活動していることもあるのだろう、山形新聞では赤坂氏の言動にウエイトを置いて報道している。

「格好のいい言葉は誰でも言える。復興に必要なのは、泥と汗にまみれて現場作業する人間。」

報道される赤坂氏のコメントに対し、私はそう思っていた。

ひととおり現場の段取りが進み、私達の作業班はいったん山形に戻ることになった。
荷物をまとめるため、現場から道路向かいの駐車帯にわたろうとした時、私は見た。

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もう日も暮れた夕刻。
大量の魚の死骸にまみれた谷筋の国道に、ウミネコの死骸。
近づいてみる。
車にでもぶつかったのだろう、口から真っ赤な鮮血を吐いて死んでいた。

大量の腐った水産物、路上のウミネコ、そしてここでは、未だに行方不明の人間も数多い。
あまりにも死に満ちた世界。

無力感とともに感じた事。
やはり、メディアが報じるようなヒーローは、被災地には要らない。
人がそれぞれの立場で、やれることをやるしかない。
赤坂氏のような研究者は、研究者の立場で。
私のような役立たず社員は、それなりに。

今生きている我々も、目の前のウミネコや腐った魚のように、いつかは死んで朽ちていく、小さすぎる存在なのだから。

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被災地日記 4月21日

朝、目覚めてみると、そこは瓦礫と廃材の山。

被災地の人々は、24時間、いや何ヶ月、この荒れ果てた光景を見続けなければならないのだろう。

早朝に一仕事終え、作業場は某地区の小学校に移動。
その小学校は避難所として使われていた。
自転車置き場の洗濯物、入り口の給水タンク、そしてグランドいっぱいにひろがる仮設住宅の木杭。

ちょうど今日は、小学校の入学式だった。
申し合わせにより、入学式のある10時から10時半までは現場作業中止となる。

10時。
全ての作業を中止、グランドには手持ちぶさたの現場作業員たちの談笑が聞こえる。
そんな中、校舎から校歌らしき歌が漏れ聞こえる。

校庭の桜はまだ固いつぼみ。
校舎一階は被災者の生活エリアとして利用されている。
眼下の谷には、津波で全滅した集落、港が見える。
その谷は水産加工場があった。何万もの加工途中の魚がちらばり、もの凄い悪臭が時折風にのって臭ってくる。

そんな中での入学式。
親御さんたち、先生方にとってどんな想いだろうか。

校舎から静かに漏れ聞こえる歌に耳を傾ける。
定刻の10時半、仮設住宅の木杭を打つ重機のかん高い音が、静寂を破って響き渡った。
あまりに定刻きっかりの作業再開、仕事仲間からも
「子供達にはちょっとなあ・・・」
と声があがる。

木杭打ち込みに続いて次々と他の業者も続く。
「俺たちもやるかぁ」
私達も作業再開。
これが現実なのだ。
子供達にとって、今日の入学式はどんな風に記憶に残ってくれるのだろう。
すぐに感傷的なことは封印して、現場作業にとりかかる。

今夜は校庭に野営。
滞在二日目、足を伸ばして寝たいのと、着替えもしたいこともあり、グランドの隅にテントを設営。

Sch
避難所として利用されている校舎一階は、夜も明かりが灯っている。

人々が自分たちの家庭に戻れる日がいつになるのか、誰もわからない。

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被災地日記 4月20日

 会社ではリストラ寸前不良社員、
 Cathand
 ネ コ の 手 よ り 使 え な い
 といわれる自分であるが、会社が派遣している被災地支援チームに加わることになる。
 先発隊と三日間で入れ替わるローテーション。
 行き先は、被害の甚大な陸前高田市。

 震災ボランティアではなく、会社の業務として、対価をいただく仕事として、被災地の復興にたずさわる。
 「ボランティアとか興味あるだろ?おまえも来いよ」
 と、担当部長から声をかけていただく。
 (しかし「ボランティアとか興味あるだろ」って、しっかり性格見抜かれてる。)

 訪れた陸前高田市は、想像を超える被害だった。
 道路上の瓦礫は除けられたとはいえ、まだまだ手つかずの瓦礫・廃材・車、船の残骸が果てしなく広がっている。

 先発隊が作業している現場は、某公民館の前。
 2階建ての公民館も津波に呑まれており廃墟同然、周囲も瓦礫の山だった。

 現場の段取りが一区切りついたところで、胸の携帯が鳴る。
 着信番号を見ると韓国からだった。
 お世話になっている大韓山岳連盟の申さんから。
 先日発送した郵便物が届いた事、震災が発生し連絡もせず失礼したと恐縮されていたが、私こそ北朝鮮の砲撃の後の様子伺いや、春節のメッセージなどすっぽかしていたので、無礼はむしろ私なのである。

 電話での会話の内容はやはり震災の事になる。
 山ひとつ隔てた山形は大丈夫、とは日本人ならわかるが、海外からみれば、同じ「東北」エリアである。
 私、家族、自宅、山仲間は無事ということを伝える。
 「大丈夫ですよ、大丈夫」
 と、大丈夫ですを繰り返す私。
 その私の周囲360°は、手つかずの瓦礫、流された車、廃材が積み重なっている。
 そんな廃墟の真ん中で「大丈夫」を繰り返す私。
 決して嘘をついているわけではないが、なんとなく違和感を覚える。
 今は震災の被災地で工事の仕事してます、と言うと私の身の安全を案じてくださっていた。
 会社ではゴミ扱いなのに、はるか遠く海外で私の身を案じてくれる人がいるというのは、心が折れそうな私にはささやかなカンフル剤である。
 やはり話題は原発問題になる。
 韓国でも学校が休校になったりとナーバスになっているが、原発に関してもだいぶ心配されていた。
 現場の合間の、ありがたい電話。

 夜間まで作業をし、夜は宿ではなく野営。
 テントを調達してきていたが、現場の地表が荒れていること、24時間発電機回しっぱなしでうるさいこともあり、車中泊。
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 ブラックダイアモンドのLEDランタンを調達しておいたが、工事用の作業灯にはかなわない。
 この明かりの下、レトルトの白飯とおかずで食事。

 メンバーはめいめい車を選んで寝床にする。
 私は小型ダンプ。
 うっかりシュラフを遠方に停めてあるトレーラーに置いてきてしまった。
 疲労とめんどくさいので取りに行く気力ゼロ。
 
Sanada
こ ん な こ と も あ ろ う か と
ヘリテイジのライトウエイト羽毛服を着込み、モンベルのインナーシュラフに入り、ダンプのシートに横になる。
瓦礫に囲まれた現場、夜間は明かりもなく人気もなく、静かである。
こうして、被災地暮らしの最初の夜は更けていく。


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2011年春季 東北山スキー情報

東北マウンテンガイドネットワークのブログに、表題の記事をアップいたしました。
内容は、月山スキー場オープン、蔵王エコーライン開通、蔵王刈田岳リフト(無雪期のトレッキング用リフト)運休、栗駒山アプローチ情報、岩木山春スキーバス運行予定に関しての情報です。

同方面にお出かけ予定の方、ご参考までに。

2011年春季 山スキー情報 東北マウンテンガイドネットワークBlog

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光の天使

社内失業から一転、今週はハードな現場仕事。
勤務先にて、被災地支援部隊が使うテントをこのリストラ寸前社員の私が調達せよとの指示。

とはいってもそこは兼業ガイドの悲しさ、あいにくクレーン作業中の真っ最中、集中力途切れると冗談抜きで生命の危険があるため、休憩の合間や現場から帰った夕方、お世話になってる登山用品店に在庫確認したりする。ふー。
今週は疲れたよパトラッシュ・・・状態。

震災ボラの皆様へ、本日は謹んで「光の天使」を送ります。
オイラもさっさと寝て明日に備えよう。

『In years to come

We'll build a world where love is all around』

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幻の『参加』賞

帰宅すると、分厚い封筒が届いていた。

東日本大震災のため、開催中止となった第26回温海さくらマラソンの事務局から。

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内容は、中止に至った経緯の挨拶文と、参加賞のTシャツ、エントリー費からの返金1000円分の定額小為替。(ちなみにエントリー費は3500円。)

 さくらマラソンの参加賞Tシャツは桜のピンクを基調にした控えめデザインで、参加ランナーにも評判がいいのだが、今年は鶴岡市・旧温海町の位置を記した地図をマラソンのロゴとともにデザインしたもの。

 東日本大震災により、日本各地で軒並みマラソン大会が中止となった。ブログを検索すると、各地で残念な想いを記しているランナーの方々も多いようだ。
 また、大会によっては参加費はそっくりそのまま震災への義捐金へ、という大会も多い。

 私は日本赤十字はじめ既存の募金を募る団体に対しては 懐 疑 的 な の で (どらえもん募金など論外)、さくらマラソン事務局の経費差し引き返金という対応には納得している。

 旧温海町のさくらマラソンについては当ブログで何度も書いているが、町の人々の歓迎する雰囲気も良いし、ちょうど桜の咲く頃のマラソンでロケーションは最高、また私にとってはお菓子喰いすぎた身体に喝を入れる儀式でもあるのだが、今年は中止。
 自粛ムードを覆すイベントがあちこちで増えてきているが、多数のスタッフや車両・資機材を必要とするスポーツイベント、一参加者の立場でうんぬん意見するつもりは無い。
 無理して開催するよりは、来年盛り上がって開催できるよう、これから一年の復興に期待したい。

 あ。
 それ以前に走り込んで、お菓子喰いすぎの身体を少し鍛えなければ・・・。

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そして、花は咲く。

 マイクロバスから降りると、あたりには油の臭いが漂っていた。

 近くの畑には、ピアノが地面に突き刺さっている。
 オモチャではない、本物のピアノだ。

 「倒れている」「転がっている」ではない。
 地面に突き刺さっていた。

 「ここをお願いします。」
 その住宅の家人に案内された裏庭には、高級セダンが斜めに転がっている。
 私達6名のボランティアは、お互い初対面、全員が今日初めての震災ボランティアということもあり、誰も言葉を発することなく、転がっているゴミや漂流物、藁くずを黙々と片づけ続けた。

 宮城県岩沼市。
 震災ボランティアとして、私は日曜の一日を過ごす。
 
 昨年のガイド活動で、宮城の方々を数多くガイドする機会に恵まれた。
 別にボランティアという活動に、私は崇高な使命感や価値観など持ち合わせていない。
 ただ、自分の時間と体力を、お世話になった多くの方々が住む土地の復興に微力ながら費やしたい。
 昨年春、仙台市郊外に住み込んでいたとき、この地域の「イグネ」の美しさが印象に残っていたことも、大きな理由だ。震災を経て、あの美しい風景がどうなったのか、見届けたい。
 震災ボランティアとして、被害の甚大な三陸や石巻方面に多くの人々がボランティア活動を展開している。
 ボランティア参加に際して、交通機関や宿などの生活環境をしつこいまでにネット掲示板で問い合わせている方もおられるが、そこまでお膳立てされなければ動けないのか?よく理解できない。
 私は、どうせ活動に入るならネットやメディアにおいて、より情報の少ないエリアに入りたかった。
 それが岩沼市である。
 津波によって100名以上の死者が確認されながら、大手新聞の一面を飾る「主な被害状況図」に掲載すらされていない。

 震災ボランティアは5~6名の小グループに分けられ、マイクロバスに乗り込む。その後を、スコップや一輪車など資機材を載せたトラックが伴走する。バスは要望のある住宅を巡回し、ボランティア達を下ろしていくシステム。

 作業時間は午前、午後で各2時間、一時間毎に休憩と決められている。ボランティア参加者に体力的負担をあまり与えないようにという配慮なのだろう。
 私たちは黙々と作業を続け、最初の一時間で案内された庭を片づけた。
 この住宅は津波で水を被り、家財道具を一家総出で外に出していた。
 残りの時間で、もう使えない不要品を後日に重機で片づけられるよう、庭の外に持ち出す作業を行う。
 それもおわり、後に残った泥をスコップですくいだすことになった。
 泥をどこに捨てるか。
 家のおばさんに捨てる場所をたずねると、目の前の耕作地らしき場所を指さし、こう言った。
 「そこに出してもらっていいです。どうせあと何十年も田んぼはできないんだから。
 海水の塩分、そして工場地帯から流出してきた油、ドラム缶。
 田んぼはできないんだから、という一言に、地元の方々の深い絶望感を知る。

 作業時間2時間をめどに、マイクロバスがまた巡回してきてボランティアグループを迎えに来る。
 バスが来るまでの約20分ほど、この住宅のおばさんの話を聴く。
 国、自治体、行政に対する不満と怒り、そして生々しい津波からの生還劇を、笑いながら話す。
 私達はただただ、おばさんの話しの聞き役となる。
 岩沼市も甚大な被害を被りながらあまりメディアに取り上げられないこと、そのためか避難所にはあまり物資も行き渡らなかったこと、近所の住民はさっさと避難してしまい、町内会も組織として全く機能せず、会費ばかりとられて何だったの?と人間不信に陥っているとのこと、などなど。

 メディアでは快適な都会に暮らす大学のセンセイが、避難や仮設住宅は地域コミュニティを分離しないように、などと決まった解釈を訳知り顔で吐いているが、津波を受けて被災した段階から、既に人々の心に亀裂が生じているケースもあることを思い知らされる。

 午前の作業を終え、震災ボランティアの拠点となる岩沼ボランティアセンターにバスで戻る。
 ここで午前のグループは解散。
 午後も活動したい人は、またセンター内の事務局前に行列で並び、日雇い労働者のように先着順でグループ分け・作業を割り当てられる。

 午後、「全壊」した家に行くことになる。
 午後の部で一緒のボランティアは一名を除き経験者ばかりだったが、「全壊」の家は初めてだという。
 
 バスでその家に到着。
 そこは砂浜から約200mほど離れた、海縁の「家」。
 津波で構造物は押し流され、土台だけが残っている「家」。
 本職は大工だという老人が一人、その土台だけの家に小さな小屋を建てていた。

 震災ボランティアといえば「泥のかきだし」と思っていたが、ここは違う。
 この大工の老人の依頼は、津波で被った大量の砂をかきだしてほしい、ということだった。
 午後はひたすら、砂をかきだし、一輪車で道路脇に捨てる作業。これが延々と続く。
 ボランティアグループに二人の仲良し男子高校生がおり、砂をスコップですくうスピードの速いこと。若さを見せつけられる。
 休憩時間、老人から身の上話を聞く。場所が場所だけに、老人もまた劇的な生還を果たしていた。
 それだけでなく、震災から二日後に目の前の小さな小屋を建てたということで、スポニチ紙のカメラマンの目にとまり、記事になったらしい。その新聞を私達にみせてくれた。

 休憩後、再び砂を堀り、運ぶ作業。
 作業時間もおわり、迎えのバスが来るまで少し時間が空いたので、ボランティアグループの皆で海を見に行く。
 高さ十メートルはあろうかという松林。津波はこの松の高さを超えていたという。
 松林はその木の柔軟性で大津波を耐え抜いたが、砂浜に構築されていた、巨大なコンクリートの堤防はバラバラになっていた。
 
 波の音。
 雲一つ無い、快晴。
 ラジオから流れる小野リサの歌声。
 それらを背景に、土台だけ残った家で、大工の老人は再起をめざし、ノコギリで木材を切っている。

 迎えのバスが来た。
 老人は目に涙を浮かべながら感謝の言葉を口にし、私達を見送ってくれた。
 岩沼ボランティアセンターに帰着し、全員解散。
 こうして震災ボランティアの一日は終わる。

 天童市での、アウトドア義援隊の活動。
 今日経験した、震災ボランティアの活動。

 もっと被害の甚大な三陸方面では、クライマー達が中心に団体を組み、ボランティア活動を展開しているようだ。その情熱と行動力に深い敬意を抱く。
 その一方で、午後の活動でみた、土台だけ残った家で、ひたすら自分の仕事を続ける大工の老人の姿に、深く心を打たれた。

 自分の本来の仕事、会社の業務、山岳ガイド活動、いつもの日常の仕事に専念することもまた、震災復興の一つの方向性ではないのか。
 登山シーズンを迎え、ガイド活動~度重なる地震により、登山道の状況確認を早急に行いたい~も私にとっては必要なことだ。
 震災ボランティア活動に今後も関わり続けるのか、私はまだ決めかねている。
 ただ言えることは、困っている人々を前に傍観者でいることはできない、ということだろうか。

 結局この日、被災地の崩れた家、道路に積み上げられた瓦礫に向かって、携帯のカメラを向けることはできなかった。
 どうしても撮りたかったのはこの一枚。
  
Pa0_0010
あの大工の老人宅のそば、海岸から200m程離れたところに咲いた黄色い水仙。
巨大なコンクリート堤防も、民家も車も押し流した大津波に蹂躙されたはずの砂浜に咲いた、黄色い水仙。

お涙頂戴の記事が好きなメディアと違い、別にこの花に象徴的なものを感じたわけではない。
何もかも破壊し尽くした津波の後に、こんな花が咲く。
自然の妙に、素直に心奪われただけである。

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月山、蔵王の道路開通情報 【2011年4月9日現在】

 月山スキー場オープンを楽しみにされている方も多いことと思います。
 今年は震災によるガソリン不足等の諸事情により、スキー場(姥沢)までの道路開通が例年より遅れます。
 現在の時点で、4月23日(土曜日)スキー場オープンを予定とのこと。

月山エコプロお知らせ 月山スキー場オープンについて 2011年4月5日

 なお上記日程はあくまでも予定ですので、開通日は西川町、または月山観光開発にてご確認下さい。

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 蔵王連峰を横断する山岳観光道路、蔵王エコーラインは、宮城県側で道路の擁壁が一部崩壊、さらに震災によるガソリン不足により除雪が例年より遅れ、連休前の4月28日(木曜日)開通を目指しているとのこと。
 なお山形県側の道路には目立った被害は無く、山形・宮城両県側が日程を合わせて開通の予定。積雪量は約7mと例年より2~3割多め。(河北新報4月8日版より)

 以上のように、今シーズンは震災の影響による燃料不足により除雪の遅れが発生しているようです。
 東北各地の山開き・山岳道路開通日程については、地元自治体・観光協会等に確認の上、最新の情報を得るようにしてください。

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女性のチカラ

 休暇が取れたので、朝からアウトドア義援隊の仕分け作業のため天童へ。
 昨夜の激しい地震のため、灯らない信号が連なる国道13号線を慎重に走り抜ける。

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作業場となるミツミ電機の桜。
山形の桜の蕾はまだ固い。

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本日の作業場の様子。
前回訪れた時とは被災地のニーズも、義援隊の仕分け作業も大きく異なっていた。

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量も種類も増え続ける物資に対応するため、付箋とボードを利用して物資の位置図が設けられている。
その他、作業手順のチャート図などが新たに設けられていた。


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作業場の奥で、ひときわ目を引いたのは、女性達が細かく仕分けしていた「女性用グッズ」。
化粧水や洗面具、クリーム、コスメ類をポーチに分けているのだ。

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仕分けられた「女性用グッズ」の一例。

こういう作業はオッサンにはとてもできない、と話になる。
女性のお肌のケア、身体のケアなど、いざ相手の立場になって考えろといわれても、やはり男にはピンと来ないのだ。
善意で届けられた物資の仕分け作業においても、

え?
生理用品?
ナプキンとナイト用シートって違うの????
(作業場には、生理用品でもその種類によって細かく分別されている)

 被災地支援といっても、現場で力仕事をするだけではない。
 被災地でのニーズをくみ取り、それに対応するための物資の仕分け等々、女性でなければできない事も多いのだ、と改めて思わされる。

 昼食。
 コーヒーと弁当はもちろん持ってきているのだが、長らく泊まり込みで作業しているスタッフの皆様の昼食のおすそわけを頂戴する。
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 甘いニンジンと甘い白菜の芯も柔らかく煮込んだホワイトシチュー、それからフルーツ缶詰が良いアクセントのヨーグルトをいただく。
 女性ボランティアスタッフの皆様、ごちそうさまでした。

 様々な細かい女性用グッズがまとめられたポーチにならい、「子供用お楽しみ袋」を作ることになった。
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 月山エコプロの白田さん、ベアフットユースホステルの仙道さん、そしてリストラ寸前不良社員の私のJMGAガイド3人組で、物資から子供用文具・菓子などを集め、ちょうど今日大量に届いた布製バッグに子供用グッズをまとめていく。
 現在、このアウトドア義援隊でボランティアのコーディネーターをしている八木さんも、元教師として被災地の子供達に想うところがあるのだろう、「このお菓子も」「これもぜひ入れてあげてください」と様々な物資を持ち込んでいただいた。

 私は15時の休憩を機に、作業場を退出させてもらう。
 自宅に一時帰宅。
 依頼されていた情報を、私が管理している某山岳団体ブログにアップする作業を済ませ、たまった書類、書籍、お泊まり道具をまとめ、会社に出勤。本日は宿直当番。

 誰もいなくなった会社の図書室で中華人民凶悪国関連の書籍を読み、会社でとっている人民日報日本語版で中国情報をチェック。携帯のワンセグで予約録画しているNHK語学講座の聴講で夜を過ごす。

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誰かが風の中で

 下記動画をもって、志ある震災ボランティア、都会でチャリティーイベントを興してくださっている皆様への応援歌とします。


上条恒彦 『誰かが風の中で』

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医療関係者におすすめシュラフ

山小屋常駐の医療関係者の皆様、こんなシュラフはいかがでせうか。

大胆设计 让你会做噩梦的睡袋 by 中国戸外資料網2011.2.15

Sleep1
人体模型シュラフ


ちなみに、


Sleep2
こんな素敵なデザインの枕付きです。

 このシュラフ、中国のサイトで紹介されてるので、てっきり中国製の中国デザインかと思いきや、よくよく記事よみゃ日本でデザインされたシュラフとある。
 気に入った方、アマゾンでも扱ってます。定価6090円也。
Sleep3

 ところで、この製品に対する中華人民凶悪国のアウトドア愛好家皆様の声を、前述記事の掲示板から拾ってみました。以下、引用開始↓
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 本当に変態です。

 間違いなく小日本のやつらの製品です。

 小日本のやつらは一日中何を考えてるかわからん。

 小日本のやつらは変態
 
 小日本のやつらは変態ではない。小日本のやつらは人じゃないんです。授業中に解剖した動物を見てるみたい。

 小日本は市ね。

 小日本のやつらは無敵の変態だ。

 日本人はホントに変態。

 吐いた。

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はいはい、日中友好、日中友好(棒読み)

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【注意】東北自動車道、山形自動車道を利用される方へ【2011年4月5日現在】

 震災ボランティアを志して東北自動車道を利用して東北に向かう方。
 今春、月山・鳥海山の山スキーを目的に山形に起こしになる方へ。

 ○東北自動車道 那須塩原 以北
 ○山形自動車道の宮城県側

 上記エリアの高速道路面は、2011年4月5日現在、地震の影響で非常に荒れています。
 具体的には、車道と橋梁の境目には段差が生じています。
 またボックスカルバート(高速道下に設けられた水路、歩道、車道などに用いられているコンクリ製トンネル)部分が路面に対して盛り上がり、凹凸が激しくなっています。

 凹凸の程度は、普通に高速走行していると、蓋の開いた缶コーヒー・ジュースの類なら確実に中身が吹きこぼれる程度の衝撃があります。
 応急措置工事がなされている箇所も多数ありますが、前述のトンネル部分が盛り上がった場所などは数も多く、修復にまだ日数を要するものと思われます。

 これら段差・凹凸箇所には看板、安全灯がおいてありますが、なにぶん箇所が多く、目印も立てられていない段差・凹凸も多数あります。

 前夜発での夜間走行、雨天時の走行で東北にお越しの皆様、特に安全運転に留意してお越しください。

 なお福島、宮城県内のサービスエリアの売店・コンビニは菓子・タバコの類はまだ品薄です。
 あ、土産物の菓子は十分在庫がありますので、東北地方の経済を潤すために皆さん買ってくださいね~。

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埼玉は青かった(ガガーリン風)

おおっ!

月山エコプロが!

IDEHAの石沢さんが!

東北復興を旗印にガイド活動を高らかに宣言!

その一方、下っ端現場作業員のおいらは、ふつーに経済活動という名のお仕事です・・・
ボランティア活動を志して活動している関東関西の皆さん、がんばってくださいね。
わたしゃふつーの生活を保つことで東北という社会の一端を担ってます・・・たぶん・・・

本日は相棒とともに、所用のため4tトラックで山形・埼玉県某所を日帰りで往復。
山形自動車道、東北自動車道の荒れ具合に、改めて震災の爪あとを実感する。

Pa0_0026
ちょうど高気圧が日本列島を覆った日、埼玉の空は青かった。

車道脇の桜は七分咲き。
紅梅も満開、歩道を歩いていたおばさんが見事に咲いた紅梅を振り返り見ている姿を、トラックの車窓から眺めた。

埼玉某所からの帰路は開通したばかりの北関東道路にルートをとり、群馬、栃木をまわって東北自動車道に抜ける。

群馬・栃木の田園風景もすばらしかった。
懐かしき秩父の山々のシルエット、そして彼方に見える谷川、奥利根の白い山々。
今は山の姿を眺められるだけで、幸せだ。
高速道から見える町並みは今風の住宅ばかりだが、時間に忘れられたように、かつての養蚕産業の名残を残す古い民家を見かける。

耕作地で老人が畑仕事をし、その傍らで木登りに興じる、孫らしき幼い兄妹らの姿。

やがて日が暮れる頃、私たちは再び路面の荒れた東北自動車道に戻っていった。

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2011年1月15日、韓国トワンソンにおける遭難事故

3月某日、震災下、あまりにヒマなのでやむを得ず、仕方なく、カルト雑誌ロクソノ51号を読む。
ロクソノ誌に掲載された、谷口けい女史の筆による韓国ウインタークライマースミーティング(以下、KWCMと略)の報告を読む。

 これで『岳人』、『山と渓谷』、『ROCK&SNOW』3誌に掲載されたKWCMの報告を読んだ。

 注意深い方なら既にお気づきだろうが、KWCMの日程中にトワンソンで遭難事故が発生、谷口けい女史の報告やその後のプログラムが中止となったとされている。
 各誌の報告ではトワンソンの事故に関する具体的な記述はなく、事故については単に韓国人クライマーの精神性に言及されているのみで、谷口けい女史が事故について若干の考察をROCK&SNOW誌で披露されているだけである。

 この「トワンソンで発生した遭難事故」に関しては、韓国国内においては月刊『山』2月号がその遭難状況を記事として掲載、公表している。
 谷口けい女史はROCK&SNOW誌上において「韓国登山メディア関係者がこの遭難事故をどう受け止めるのか興味がある」趣旨の意見を記述しているが、この月刊『山』の報道が、その回答の一つになるであろう。

[フォーカス]不確実なロープを用いたビレイが事故の起因となった釜山市の某クライマー、トワンソン上段壁に13時間宙づりになって死亡 月刊『山』2011年2月号

以下記事引用開始
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[フォーカス]不確実なロープを用いたビレイが事故を呼び起こした釜山市の某クライマー、トワンソン上段に13時間宙づりになって死亡
 イ・ドンギュ ソラクチーム隊長、「自分のスリングで確保していれば事故は起きなかった」

 国内最大の氷壁、雪岳山のトワンソン滝で死亡事故が起きた。 1月15日午後4時40分頃、釜山(プサン)のクライマーA某(46)氏は、120mの高さの上段氷壁終了地点から60m下に墜落、垂直の氷壁に宙づりになった状態で救助を待った。 墜落から13時間が過ぎた翌日16日朝6時頃、救助隊員カン・テウン氏(赤十字救助隊員)が到達した時には、すでに亡くなっていた。

 この事故は、上段壁終了地点の松の木に張られたPPロープにリードクライマーが確保スリングをかけたのが原因と推定されている。 A氏が確保用スリングをかけておいた、松の木に縛られていたPPロープは、誰がいつ設置したものか分からないロープだった。

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[写真キャプション]事故当日、午後12時20分頃の下段壁終了地点から撮影したトワンソン滝上段壁  /切れたPPロープに結わえられた遭難者の確保スリング  /写真 雪岳山国立公園事務所提供

  事故直前、A氏は上段壁を登った後、B某(58)氏のビレイをしていた最中だった。 下降中に事故を目撃したソウル市の某クライマーの談話によれば、B氏が滑落、滑落直後に上から落ちた氷塊がぶつかり気絶してしまった。 氷塊が当たったヘルメットは壊れ、滝下に落ちる程大きい衝撃だった。

 B氏はしばらくして意識を取り戻したが、A氏の様態は深刻だった。 A氏は墜落の衝撃に耐えることができず、セルフビレイ用スリングをかけておいたPPロープが切れ、60m下の通称‘テラス’付近の氷壁まで墜落、アイススクリューにひっかかったが、片方のアイゼンが外れたままぶら下がっている状況だった。

 B氏は意識が回復するとすぐにまた登り始めたが、A氏がロープにぶらさがったまま下に吊り下がった姿を確認、アイススクリューを打ち込んでセルフビレイをとった後、A氏に向かって大声で叫んだ。しかしA氏はあたかも後輩に話すように「オイお前、早く登ってこないで何してる!」と大声を張り上げた。 まもなくA氏は意識を取り戻し、B氏と大声で会話ができたが、時間が経つほどうめき声だけになり、深夜12時を過ぎるとそのうめき声も聞こえなくなった。

 雪岳洞(ソラクドン)で墜落事故の連絡を受けた同僚クライマー、救助隊員達は、午後5時30分頃に出動して午後8時頃、下段壁の取り付き地点に到着したが、遭難者に接近することは困難だった。 別名Y渓谷と呼ばれる谷間に続く箇所は岩がオーバーハングして登ることはできない状況であり、下段壁右側には雪が全くついておらず、登攀するにも困難だった。氷壁は数日間持続した厳しい寒さで丈夫だったが、不良な状態で凍っているところに、今年に入って最も寒いという厳しい寒さと強風のため、登攀はスムーズにいかなかった。

 救助隊が上段壁取り付きにいるB氏に到着したのが翌日16日明け方1時頃。上段氷壁の取り付き地点で約6m上側に打ち込んでおいたスクリューにぶら下がっていたB氏はアイゼンで氷壁を蹴り崩して作ったスタンスに立っていたので寒さにある程度耐えられ、健康状態も良好だった。 しかしロープにぶらさがったまま軽量の登攀ウェア姿に寒さと強風をそのまま受けていたA氏は耐え難い状況だった。 B氏を下段壁の下へ搬送した後、出動した救助隊員がA氏に近付いた時には、すでに息が絶えていた。

 雪岳山国立公園管理所「ソラクチーム」 イ・ドンギュ 隊長は、今回の事故の原因は何よりもセルフビレイを徹底しなかった点を挙げる。イ隊長は「松の木にかけられていたPPロープではなくクライマーが手持ちのスリングを松の木で確保していたなら、このような悲劇は起きなかった」と振り返った。

文・写真シン・ソクハン記者
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以上引用おわり

 この記事に補足する。
 韓国メディアでは、遭難報道は著名な登山家以外は匿名報道が通例であり、引用記事のA、Bという匿名は原文に従った。またフィックスロープについて「PPロープ」という表記も原文に従った。

 筆者は2007年秋、大韓山岳連盟の知人に機会を与えて頂き、無雪期のトワンソン滝を訪れた。トワンソン滝はクライマーの皆様ならご存じのように、上段壁・下段壁に分かれるが、その間にある大きなテラスに至るフィックスロープがある。
 これは筆者の推察ではあるが、トワンソン滝の上部にもこのようなフィックスロープが張ってあり、今回の事故者はこのロープにスリングをかけていたのではないかと考えられる。

 韓国の山岳雑誌『山』が雪岳山現地救助隊員の言葉を引用して総括しているように、事故の遠因は強度の不確実なフィックスロープにセルフビレイをとってしまったことにあると考えられる。
 かつて日本の某登攀ガイド氏が韓国現地でペツルのミニトラクションでセカンドをビレイするクライマーの画像を例にして「郷に入れば郷に従えではない、きちんと安全を説かなければならない」という趣旨の発言をされていたが、安全という面について、国は異なれど真剣に考えなければならないだろう。その代償は人間の命なのであるから。

 なお韓国人クライマーの名誉のために書いておくが、自国のクライマーの安全面を憂い、真剣に対策に取り組んでいる韓国のクライマーがいることも強調しておきたい。
 今回の事故で亡くなったクライマーのご冥福を祈るとともに、この事故によってクライマースミーティングの開催が危ぶまれることがあってはならない。今後も日韓のクライマーによる様々な交流が進められるべきだろう。

 さて話題はKWCMに戻すが、この事故によって中止となった谷口けい女史の報告。
 いみじくも恩田真砂美女史は御自身のブログで谷口女史が韓国人クライマーに何を伝えるのか(発表の機会が失われて)、非常に残念と表現されている。谷口女史の発表の機会が失われたことを惜しむ気持ちは、韓国の山岳メディア関係者も同じ、もしくはそれ以上であっただろう。
 韓国の3大山岳誌のうち、『山』誌はKWCMについて長文の記事を掲載、その半分は谷口けい女史の紹介で占められている。『人と山』誌は個別に谷口けい女史 だ け を 取り上げたページを組み掲載していることを明記しておきたい。

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莫文蔚&伍佰 『堅強的理由』

台灣和大陸的朋友、大家好!!

唱莫文蔚、
『我現在需要 安静的角落 我再也没有 堅強的理由』

一人的人弱的存在
可是日本人必定從大震災復興。

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この曲は大昔、台北に滞在していた時に台湾MTVで何度も聴いたお気に入り。
当時テレビで放映されていたMVは上記動画の映像とは異なりカレン・モク(莫文蔚)とウーパイ(伍佰)老師のライブ映像で構成され、曲を聴いて涙ぐんでいる観客の女の子のアップ映像が印象的でした。

タイトルは『堅強的理由』ですが、詩は「愛する人と別れてもう強くいられる理由はない」という意味合いです。

ちまたでは「がんばろう」が連呼されてますが、鬱々な私にはもうこれ以上どう頑張ればいいの?というのが正直なところ。

人間は、弱いものですよ。

東北の人間は、静かに地道に、立ち上がるのだと思う。

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