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そして、花は咲く。

 マイクロバスから降りると、あたりには油の臭いが漂っていた。

 近くの畑には、ピアノが地面に突き刺さっている。
 オモチャではない、本物のピアノだ。

 「倒れている」「転がっている」ではない。
 地面に突き刺さっていた。

 「ここをお願いします。」
 その住宅の家人に案内された裏庭には、高級セダンが斜めに転がっている。
 私達6名のボランティアは、お互い初対面、全員が今日初めての震災ボランティアということもあり、誰も言葉を発することなく、転がっているゴミや漂流物、藁くずを黙々と片づけ続けた。

 宮城県岩沼市。
 震災ボランティアとして、私は日曜の一日を過ごす。
 
 昨年のガイド活動で、宮城の方々を数多くガイドする機会に恵まれた。
 別にボランティアという活動に、私は崇高な使命感や価値観など持ち合わせていない。
 ただ、自分の時間と体力を、お世話になった多くの方々が住む土地の復興に微力ながら費やしたい。
 昨年春、仙台市郊外に住み込んでいたとき、この地域の「イグネ」の美しさが印象に残っていたことも、大きな理由だ。震災を経て、あの美しい風景がどうなったのか、見届けたい。
 震災ボランティアとして、被害の甚大な三陸や石巻方面に多くの人々がボランティア活動を展開している。
 ボランティア参加に際して、交通機関や宿などの生活環境をしつこいまでにネット掲示板で問い合わせている方もおられるが、そこまでお膳立てされなければ動けないのか?よく理解できない。
 私は、どうせ活動に入るならネットやメディアにおいて、より情報の少ないエリアに入りたかった。
 それが岩沼市である。
 津波によって100名以上の死者が確認されながら、大手新聞の一面を飾る「主な被害状況図」に掲載すらされていない。

 震災ボランティアは5~6名の小グループに分けられ、マイクロバスに乗り込む。その後を、スコップや一輪車など資機材を載せたトラックが伴走する。バスは要望のある住宅を巡回し、ボランティア達を下ろしていくシステム。

 作業時間は午前、午後で各2時間、一時間毎に休憩と決められている。ボランティア参加者に体力的負担をあまり与えないようにという配慮なのだろう。
 私たちは黙々と作業を続け、最初の一時間で案内された庭を片づけた。
 この住宅は津波で水を被り、家財道具を一家総出で外に出していた。
 残りの時間で、もう使えない不要品を後日に重機で片づけられるよう、庭の外に持ち出す作業を行う。
 それもおわり、後に残った泥をスコップですくいだすことになった。
 泥をどこに捨てるか。
 家のおばさんに捨てる場所をたずねると、目の前の耕作地らしき場所を指さし、こう言った。
 「そこに出してもらっていいです。どうせあと何十年も田んぼはできないんだから。
 海水の塩分、そして工場地帯から流出してきた油、ドラム缶。
 田んぼはできないんだから、という一言に、地元の方々の深い絶望感を知る。

 作業時間2時間をめどに、マイクロバスがまた巡回してきてボランティアグループを迎えに来る。
 バスが来るまでの約20分ほど、この住宅のおばさんの話を聴く。
 国、自治体、行政に対する不満と怒り、そして生々しい津波からの生還劇を、笑いながら話す。
 私達はただただ、おばさんの話しの聞き役となる。
 岩沼市も甚大な被害を被りながらあまりメディアに取り上げられないこと、そのためか避難所にはあまり物資も行き渡らなかったこと、近所の住民はさっさと避難してしまい、町内会も組織として全く機能せず、会費ばかりとられて何だったの?と人間不信に陥っているとのこと、などなど。

 メディアでは快適な都会に暮らす大学のセンセイが、避難や仮設住宅は地域コミュニティを分離しないように、などと決まった解釈を訳知り顔で吐いているが、津波を受けて被災した段階から、既に人々の心に亀裂が生じているケースもあることを思い知らされる。

 午前の作業を終え、震災ボランティアの拠点となる岩沼ボランティアセンターにバスで戻る。
 ここで午前のグループは解散。
 午後も活動したい人は、またセンター内の事務局前に行列で並び、日雇い労働者のように先着順でグループ分け・作業を割り当てられる。

 午後、「全壊」した家に行くことになる。
 午後の部で一緒のボランティアは一名を除き経験者ばかりだったが、「全壊」の家は初めてだという。
 
 バスでその家に到着。
 そこは砂浜から約200mほど離れた、海縁の「家」。
 津波で構造物は押し流され、土台だけが残っている「家」。
 本職は大工だという老人が一人、その土台だけの家に小さな小屋を建てていた。

 震災ボランティアといえば「泥のかきだし」と思っていたが、ここは違う。
 この大工の老人の依頼は、津波で被った大量の砂をかきだしてほしい、ということだった。
 午後はひたすら、砂をかきだし、一輪車で道路脇に捨てる作業。これが延々と続く。
 ボランティアグループに二人の仲良し男子高校生がおり、砂をスコップですくうスピードの速いこと。若さを見せつけられる。
 休憩時間、老人から身の上話を聞く。場所が場所だけに、老人もまた劇的な生還を果たしていた。
 それだけでなく、震災から二日後に目の前の小さな小屋を建てたということで、スポニチ紙のカメラマンの目にとまり、記事になったらしい。その新聞を私達にみせてくれた。

 休憩後、再び砂を堀り、運ぶ作業。
 作業時間もおわり、迎えのバスが来るまで少し時間が空いたので、ボランティアグループの皆で海を見に行く。
 高さ十メートルはあろうかという松林。津波はこの松の高さを超えていたという。
 松林はその木の柔軟性で大津波を耐え抜いたが、砂浜に構築されていた、巨大なコンクリートの堤防はバラバラになっていた。
 
 波の音。
 雲一つ無い、快晴。
 ラジオから流れる小野リサの歌声。
 それらを背景に、土台だけ残った家で、大工の老人は再起をめざし、ノコギリで木材を切っている。

 迎えのバスが来た。
 老人は目に涙を浮かべながら感謝の言葉を口にし、私達を見送ってくれた。
 岩沼ボランティアセンターに帰着し、全員解散。
 こうして震災ボランティアの一日は終わる。

 天童市での、アウトドア義援隊の活動。
 今日経験した、震災ボランティアの活動。

 もっと被害の甚大な三陸方面では、クライマー達が中心に団体を組み、ボランティア活動を展開しているようだ。その情熱と行動力に深い敬意を抱く。
 その一方で、午後の活動でみた、土台だけ残った家で、ひたすら自分の仕事を続ける大工の老人の姿に、深く心を打たれた。

 自分の本来の仕事、会社の業務、山岳ガイド活動、いつもの日常の仕事に専念することもまた、震災復興の一つの方向性ではないのか。
 登山シーズンを迎え、ガイド活動~度重なる地震により、登山道の状況確認を早急に行いたい~も私にとっては必要なことだ。
 震災ボランティア活動に今後も関わり続けるのか、私はまだ決めかねている。
 ただ言えることは、困っている人々を前に傍観者でいることはできない、ということだろうか。

 結局この日、被災地の崩れた家、道路に積み上げられた瓦礫に向かって、携帯のカメラを向けることはできなかった。
 どうしても撮りたかったのはこの一枚。
  
Pa0_0010
あの大工の老人宅のそば、海岸から200m程離れたところに咲いた黄色い水仙。
巨大なコンクリート堤防も、民家も車も押し流した大津波に蹂躙されたはずの砂浜に咲いた、黄色い水仙。

お涙頂戴の記事が好きなメディアと違い、別にこの花に象徴的なものを感じたわけではない。
何もかも破壊し尽くした津波の後に、こんな花が咲く。
自然の妙に、素直に心奪われただけである。

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コメント

ありがとうございました。

投稿: は。 | 2011.04.12 20:06

re:は。様

<<ありがとうございました。

 いえいえ、そのお言葉は大変恐縮です。
 ボランティアが使う資機材の整備スタッフ、ボランティア達が乗るバスの運転手、ボランティアコーディネーター、受付の可愛いお姉さんたちなどなど、ボランティアをさらに支えている多くの方々の存在も強く意識いたしました。
 ホントにお手伝い「させていただいている」と思いながらスコップふるう一日でした。

投稿: 聖母峰 | 2011.04.16 00:34

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