真夏の果実
一週間前から天気図をにらみ、当日は太平洋側の熱帯低気圧、そして日本海西側の停滞前線の末端の影響で、登山当日は月山も雲の多い天候不順を予想。
実際には、雲が多いものの日差しもあり、ときおり涼しい風が吹く、登山には最適の日となった。
児童29名、先生方・ボランティアスタッフ14名を引率して姥沢から月山を往復。
ほんの数メートルだが、姥ヶ岳~牛首の稜線に残っていた残雪に子供達は大喜び。
安全対策もさることながら、8月に雪に触れさせたい。そんな事を考えていた。
震災の影響で宮城県の花山自然の家が使用不能となっているためだろうか、今年は宮城県から参加の児童も多かった。
何度も何度も繰り返しメディアで報じられる震災の悲惨な映像。
震災が「人間の驕りへの自然の仕返し」だと戯言を吐く評論家たち。
そんな今だからこそ、登山を通じて子供達に自然に触れてほしい。
恐ろしいだけではなく、美しい、人間に水と緑という恩恵を与えてくれる自然に。
月山登山の日の朝は、毎年定番のハンバーガー。
「キュウリはどんな風に切ればいいのかな?」
「パンにはさめるように切らなくちゃだめだよ」
と、ハンバーガーにはさむキュウリ切るのもワイワイにぎやか。
月山登山を終え、リフト下駅に到着して子供達がとびつくのは冷たい雪解水を導水した水飲み場。
「水って美味しいんだね」
子供達のそんな声を聞くとき、山に連れて行って良かったと思うとき。
月山から下山後、携帯のメールで会社の部長に下山報告。
なんといっても、本日の山行は会社の業務扱い。
カミさんより先に部長に連絡。
山から下りたことを会社に報告というのも、リストラ寸前不良社員の私にとっては何とも奇異な感覚である。
月山登山の間、キャンプ場で豚汁を仕込んでくださった山形県朝日少年自然の家職員の皆様。
大鍋一杯の豚汁も、お腹を空かせた子供達の食欲で空となる。
夜、ボンファイヤーにてスイカ割り。
月山登山を無事終えた子供達は緊張から解放されたのか、かなり気分が高揚し、明日の活動が心配になる程のハイ状態。スイカ割りもかなりの盛り上がり。
上手く割れたスイカを、包丁で人数分切るのは養護教員のT先生と私の役割。
ボンファイヤーの間、T先生、そして今回のチャレンジキャンプの責任者であるN先生とともに、夜空を眺めていた。月山・志津のキャンプ場は標高が高く、街から離れていることもあり、空気が澄み、星空が美しい。天の川までうっすらと見える星空だ。
人工衛星の光りが音も無く視界を移動していく。
思えば、月山でも、冬の北アルプスでも、冬の日高や知床でも、地球で一番高いところでも、インドシナ半島の片隅でも、美しい光景を一人だけで眺め続けてきた。
(残念ながらウチのカミさんとは価値観が違うので、自然の中で美しい光景を共有したことはない。)
そろそろ娘や息子、多くの子供達に、私が見続けてきた美しい光景を見せてあげたい。
そんなことを考えるのも、私が歳を取ってしまったせいだろうか。
ボンファイヤーの子供達が星空観察のため、別のテントサイトに移動したのを機に高橋所長とN先生に挨拶、T先生とともにキャンプ場を去る。
深夜の国道を、張學友の『毎天愛你多一些』を聴きながら帰宅。
翌日。
私はいつものように、現場作業員に戻る。
さらに蒸す殺人的な暑さの中、私達作業員の間でもハードなため嫌がられている鉄骨解体作業に従事。
あまりの暑さに皆短気になり、親方のHさんの罵声・怒声も飛び交う。
私は地味な土工作業。乾燥して硬くなった泥をスコップで掘り出す。
一日がおわり、エアコンを全開にしたダンプに乗り込み、会社に戻る。
信号待ちで少し気分が落ち着いた頃、
「ああ、ちょっとホームシック気味のあの子、なにしてるだろう」
そんなことを思うのだった。
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