震災は、まだ終わらない。
ある登山関係者から、ショックな話を聞いた。
被災地から、山形の某山に泊まりがけで来た、おばさんパーティー。
彼女たちいわく、
「避難所生活は精神的におかしくなりそうだ」
「だから趣味の登山に出かけたかった」
「だが、周囲の雰囲気からとても登山とは言い出せなかった」
被災地から彼女たちは、おしのびで山形の山に登りに来ていたのだという。
彼女たちの言葉に込められた問題。
それは突き詰めると日本社会における余暇・遊びの社会的認知度まで問われることになるのだが、ここではそこまで追求するのは止めておく。
私がガイドとしてではなく、一登山者として考えさせられたのは、好きな登山をも行うことがはばかられる「空気」の存在、そして彼女たちのような被災者のメンタル面の問題である。
家庭、まして震災という異常下で無数の問題を抱える現状で、生活を切り盛りしていく中高年女性(むろん女性ばかりではないのだが)たちの気晴らしさえも、自由にならない現実。
ボランティアに関わる際、被災者それぞれの人生に深入りすることはできない、という意味のことを言われた。
しかし、自然の中で気分転換すらもままならない人々が、山を隔てた隣県にいるという現実。
このまま無力感にとらわれるだけでよいのか。
かといって、自分の家庭を養うことに精一杯の兼業ガイドに何ができるのか。
まだ結論は出ていない。
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