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冬休みは家族でK2登山な。

今年の冬休みは、家族みんなでK2登山はいかがでしょうか?

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ボードゲーム『K2』

な、なんと、K2登山がボードゲーム化!!

小学生の頃、ボードゲーム(シミュレーション・ウォーゲーム)をやっていた私にはたまらん話題ですなあ。
このゲームに関しては、独の登山サイトBerglebenで話題になっていたのですが、

Spielvorstellung: K2 - Herausforderung am Lambha Pahar by Bergleben2011.11.16

さらに調べたら、ポーランドのゲームメーカーREBEL社が開発したようですね。
宣伝動画(ポーランド語)はこちら↓

ゲーム内容ですが、
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 おなじみのK2南東面のイラスト地図を舞台に、プレイヤーは2名の登山者からなるパーティーを率いて、18日間の遠征期間で登頂をめざすというもの。(18日間ってのはゲームだから突っ込みは無しよ)
 ゲームでは3日先までの気象予報が提供され、テントを設営し天候とルートを観察することがキーポイントになるとか。

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クライマーのシチュエーションを表したカード

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プレイヤーは1~5人、ゲーム時間は30~60分、対象年齢は8歳から。
Amazon.deでは32ユーロで販売中。

なお、ポーランドのREBEL社サイトをのぞくと・・・
このゲーム『K2』拡張版として、
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ゲーム『ブロードピーク』も発売中!
しかも解説によれば、クシストフ・ビエリツキが初登した「ビエリツキ・ルート」(REBEL社解説より)がゲームの舞台になっている。
マニアックすぎる~
ポーランドのガキんちょは、こんなゲームで遊んでるんでしょうか。

 ただ見方を変えれば、自国の登山家たちの足跡が子供達の玩具にもしっかり反映されるほど、登山という行為が認知されていることと捉えることもできるでしょう。

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愛する夫、その名はワルテル・ボナッティ

 今年9月13日に亡くなった、イタリアの登山家ワルテル・ボナッティ氏。

 逝去された当時、当ブログでは若かりし頃の動画を紹介するにとどめました。
 ボナッティ氏の足跡はむしろ諸先輩方が熟知されておりますゆえ、私はむしろ奥様のロッサナ・ポデスタさんのインタビューをひたすら待ち続けていました。結婚し家庭を持つ者として、夫婦としてのボナッティ像を知りたかったためです。

 このたびスペインの登山サイトDesnivelにて、ようやくボナッティ氏死去に関するロッサナ・ポデスタさんのコメントが掲載されました。

 Bonatti and Rossana, a love of film by Desnivel.com2011.11.18

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書店にて、ボナッティ氏と妻ロッサナ・ポデスタさん Photo by Darío Rodríguez / Desnivel.com

 当ブログをご覧の方の中には、ボナッティ氏を尊敬してやまないクライマーの方々がおられるようですが、残念な情報です。

 ボナッティ氏は膵臓ガンであることを知り、自ら尊厳死を選び、私立の宗教系病院に入院していました。
 ボナッティ氏とロッサナ・ポデスタさんはいわゆる事実婚であり、役所で正式に婚姻届を出していない関係でした。
 このことから、ロッサナ・ポデスタさんはボナッティ氏の最期の瞬間を看取ること、立ち会うことができなかったそうです。

 今回Desnivelに掲載されたのは、最期の瞬間に立ち会えなかったロッサナ・ポデスタさんが地元イタリアの La Repubblica紙に憤りの気持ちを吐露したこと、ボナッティ夫婦と良き友人であったAlvaro Sebastianが披露した二人のエピソードについてまとめられています。

 かつてソフィア・ローレン、クラウディア・カルデナーレ、ジーナ・ロロブリジーダと並ぶイタリアの女優ロッサナ・ポデスタさんが「無人島に行くなら誰と一緒に行きたいですか?」とインタビューされ、躊躇なく「ワルテル・ボナッティ。」と即答したことは知られています。
 
 Desnivelでは、このインタビューの後の顛末について、友人Alvaro Sebastianがボナッティ夫妻と夕食を共にしながらリラックスした雰囲気の中、ご本人から聞いたエピソードを紹介しています。

 以下引用開始
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 ボナッティが内気だったにもかかわらず、友人は何があったのか彼に知らせました。
 そこでボナッティは電話をかけました。
  「ロッサナ、私はワルテルです。 あなたが私についてコメントしてくれたことについて感謝します。もし半年以内にローマに来られるようであれば、お会いしたいのですが・・・」
 
 隣でロッサナが微笑んでいました。
 「変な人、半年以内なんて。」

 すぐに、電話が再び鳴りました。
「ワルテルです、よろしければ来月お会いしたいのですが・・・」
 数分後、ワルテルのそれまでの冒険を果たした強烈な個性と決意が表れたのか、最後の電話がありました。
「ロッサナ、ワルテルです。ローマで今日会いましょう。」
 それから30年以上、ワルテルとロッサナは、医者がその最後を看取る権利を否定した9月13日まで、別れることはありませんでした。
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 以上引用おわり

 さすがイタリア男児!
 独身気取ってる日本の山屋も少し見習え!
 あ、私は見合い結婚で(以下省略)

 自ら膵臓ガンであることを知りながら延命処置を望まず、尊厳死を選んだところにボナッティの生き方を感じます。
 婚姻届という書類は存在しないものの、ボナッティ氏とロッサナ・ポデスタさんは夫婦として強い絆で結ばれていたのでしょう。
 死が訪れる瞬間、愛する妻が傍らにいなかったとしても、ワルテル・ボナッティは良き思い出、良き人生とともに世を去っていったのだと私は信じます。

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キム・ジャインちゃんがスマフォのTVCMモデルに!【2011.11.19追記】

日本全国8千万キム・ジャインちゃんファンの皆様、スマフォのテレビCMにキム・ジャインちゃんが起用されます!

あ、これ韓国での話な。

サムスン、女性攻略ギャラクシーS2「ピンク」モデル発売 by 韓国経済新聞2011.11.09

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以下記事引用開始
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 三星(サムスン)電子が、女性と新世代の消費者をターゲットとした『ギャラクシーS2』 ピンクモデルを9日発表した。 同社関係者は「スマートホン初となる、ボディにすべてピンクを採用した」とし、「既存のブラック、ホワイトにピンクを追加することで、消費者の選択肢が更に広くなった」と説明する。
 サムスン電子は、6ヶ月ぶりに累積販売 400万台を突破したギャラクシー S2の販売がピンクモデルの発売によってさらに加速化されると見込んでいる。
 一方、同社はギャラクシーS2ピンクの宣伝として、ファッションモデルのガン・スンヒョン、ミュージカル俳優のイム・ヘヨン、クライマーのキム・ジャイン3人が、自分だけの"ピンクパワー "でスマートな人生を送る女性像を提示する、新しい広告を公開する予定だ。

クォン・ミンギョン記者
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以上引用おわり

 これが11月9日付けの報道なのですが、公開されたCMはこちらですheart

 CMの背景に流れるのはフェイ・ウォンの『夢中人』、上記記事のように自分の「パワー」でスマートな人生を送るという姿勢を強調しているようです。
 当ブログでは以前にも掲載しましたように、韓国社会では、テレビCMやドラマにおいてクライミングは既に市民権を得ているわけですが、スマフォのCMで、

 ファッションモデル = ミュージカル俳優 = クライマー

 という扱いをされているところに、韓国におけるクライミングの社会的認知度の大きさを感じますなあ。

 また一方で、「スマートな人生を送る女性像」にクライマーを加えたあたり、サムスン電子(もしくは広告代理店)のセンスを伺うことができます。

Smsn韓国の登山・クライミング史を理解するために、どうしても韓国経済について知る必要に迫られるのですが、その途上で読んだ本が『おそるべし韓国企業 日本がサムスンに勝てない理由 (扶桑社新書) 』 韓国の大企業の光と闇を克明に記した本。なるほど、これだけの「激しさ」で世界を席巻する企業ならば、クライマーとして光を放つキム・ジャインに敏感に目を付け、宣伝に採用するのも頷けるところです。

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2011.11.19追記

 えのきど。様のツイッターを拝読したところ、別バージョンのCMもありました。
 キム・ジャインちゃん だ け ご覧になりたい方はこちらをどうぞ↓

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健脚祈願

出張生活が一区切りつき、ようやく自宅で夕食。
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近所に住む韓国人の奥様からの頂き物のキムチ。
日本製の甘めのキムチと違い、胡麻油が効いてました。

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所用で実家に立ち寄り、「珍しい菓子がある」ともらったのが、山形県村山市の菓子店「菓子の吉藤」で製造している焼き菓子『浅草寺奉納大わらじ』。
 東京・浅草の浅草寺に奉納されている巨大わらじ(長さ4.5m、重量は片方で500kg)、実は山形県村山市楯岡の町内会の皆さんが10年おきに制作・奉納しているもの。
 中身はわらじを模した平べったい白餡まんじゅうといったところですが、パッケージ左下隅に書いてある 『 健 脚 祈 願 』 の文字が気に入った!

 あ、もう歳なんで体力脚力も神頼みでございます。

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俺にもセッターやらせろ!

と、思ったインドネシアのクライミング競技の写真↓                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

                                                                                                                                                                                                                          

                                                                                                                                                                                                                          


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Indonesia rules by The jakarta post 2011.11.14

 念のため書いときますが、インドネシアって一時期リード競技でもいい成績納めてた時期ありましたよね。
 この画像拝見して、ハシゴ登りと変わらないと思うのは私だけでせうか。
 クライミングのスピード競技って、大得意な中国の国内メディアなんか「世界記録!」とか勝手に盛り上がっているんですけど、将来どうなるのかなあ。

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先人たちのクライミングシューズ

 前々から不思議だったのですが、旧ソ連のクライミングの資料・写真を見ていると、

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 クライミングシューズ、たいていシューズの紐を足の甲から土踏まずにくくりつけているんですね。

 これって、登山靴の紐が長かったり、ちょっと外に出るときに、簡易的に足首に靴紐を巻き付けたりする人をたまに見かけますが、あんな感じでやってるのかなぁ・・・と長いこと思っていました。

 今回たまたまモスクワ山岳協会の「懐かしのギア」みたいな記事を読んでいたら、その理由が判明しました。

 旧ソ連では、クライミングシューズとしてゴム製のкалоше(英訳するとgaloshes)、雨天用のゴム製オーバーシューズを流用していたんですね。雨の中、濡れた道でも滑りにくいゴム靴にクライマー達が目を付けたのも当然でしょう。

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калоше(galoshes)近影

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旧ソ連のgaloshesの広告ポスター

 旧ソ連では1950~60年代から、このゴム製オーバーシューズが登山で用いられていたそうです。
 このゴム靴は長いことソ連のクライマーに使われ、86年、シュテファン・グロバッツが使っていたスポルティバの「メガ」がソ連に入ってきたことは画期的な出来事だったそうです。

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ビクトル・マルケロフ、1971年ソ連クライミング選手権大会優勝者
(galoshesを靴紐でガッチリ足に縛り付けているのがよくわかる画像です)

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レオニード・トロシュチネンコ (82年のソ連初のヒマラヤ遠征・エベレスト南西壁隊のメンバー、後に故・ユーリー・モイセーエフらとカンチェンジュンガ主峰登頂)、ゲオルギー・シチェドリン(旧ソ連登山競技チャンピオンを3度獲得)のクライミングの様子 二人とも90年、レーニン峰で雪崩に遭い死去。

これら画像のように、旧ソ連のトップクライマーも皆、ゴム靴 galoshesを履いてクライミングしていたんですね。
この靴、早い話がデザインは普通の革靴みたいなデザインですから、クライミング中に脱げないようにきっちり紐で縛り付けておく必要があったわけです。

 大昔、クリミア半島で国際的な「岩登り競技会」が開催され、日本からも選手は坂下直枝氏とゆーメンツで出場してました。現在のような人工壁が出現する以前、当時は会場は外岩、ルールはスピード競技で、ソ連勢が圧勝していたと記憶してます。
 その後のクライミング史は皆様ご存じ、ラバーソールのクライミングシューズに人工壁の登場、西ヨーロッパ勢の台頭で旧ソ連のクライマーは遅れをとるわけですが。

 このクライミングシューズの代用ゴム靴を「時代の流れ」と片づけるのは簡単です。
 鉄のカーテンに閉ざされた政治体制の中で、雨天用のオーバーシューズで代用してまで、自分の限界に挑戦し、困難に挑んでいった旧ソ連のクライマーの事情を想うとき、先人たちのクライミングへの情熱をひしひしと感じるのです。

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ノセタラダマスの大予言 『山岳ガイドの地位確立は、日本より中国が早く実現する。』

久々にネタっぽいタイトルを付けましたが、まずは下記の記事をごらんいただきたい。
中国・四川省の四姑娘山(スークーニャン)山麓で高所協力員(原文では高山協力員となっていますが、従来日本の登山界で用いられてきた高所協力員という名称にします)の活動および収益に関するレポートです。

高所協力員は4ヶ月で最高2万元稼ぎ、困難なリスクを管理監督します by 四川新聞網2011.11.13

以下記事引用開始
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 今回「アウトドア愛好家が行方不明」事件の中で(訳者注:最近四姑娘山で14名の中国人アウトドア愛好家が遭難、一時行方不明となった事件を指したもの)、高所協力員の存在が公衆の視野に入りました。
 これはどんな業界でしょうか?四姑娘山の高所協力員という職業はいつ始まったのでしょうか?協力員の仕事の内容は?収入は?

  昨日、四姑娘山観光地区のベテラン高所協力員、唐陽華が「天府早报」記者に対して、高所協力員という知る人も希な職業について語ってくれました。

  由来はアウトドアスポーツに起因

  唐陽華は今年48歳、小金県日隆月城鎮の金峯村の住人で、家には年老いた母、2人の娘がいる。妻と離婚して14年になる。
 「この仕事(高所協力員)をする前は農民でした。」
 唐陽華は、1994年に四姑娘山が「国家旅行名勝」に選定されてから、観光客が次第に増えたと言います。日隆月城鎮で生まれ、その地で育った彼は、農業に従事しながら観光客のためにガイドをして、だんだん一定の評価を得てきました。

  1998年、阿バ州観光局と小金県観光局の組織の下、彼と一部のアマチュアガイドは職業ガイドとしての育成訓練に参加、内容は日隆月城鎮の三大観光地区(双橋溝、四姑娘山、海子溝)の名所の知識とアクシデントの処理などを含みます。彼は正式に職業ガイドとなりました。

  2004年まで四姑娘山はすでに人気がある観光地区になり、、旅行企画は日に日に増加、アウトドア、登山、クライミング、キャンプなどの活動が盛んになり始めました。
 「普通のツアーガイドは沢山いるが、高所協力員はほとんどいない。」こんな理由から、唐陽華は次第に高所協力員へと業務内容を変化していきました。

  2004年、四川省登山協会は日隆月城鎮でアウトドアガイドを育成訓練、厳格な審査の結果、唐陽華や日隆月城鎮の村長をつとめる宋昌軍らが第1期の高所協力員の証明書を得ました。

  職責は「後方勤務に安全確保、時には医者」となる

  唐陽華によれば、高所協力員とは「後方勤務に安全確保、時には医者」であると語ります。

  まず観光客を四姑娘山アウトドア管理センターに登録のため連れていきます。続いて協力員は、観光客の安全と責任、装備に関する誓約書にサインさせ、観光客に協力を求めます。
 「クライミング、登山、キャンプなど、装備はすべて異なります。必要な装備が無ければとても危険です。」
 同時に、観光客にとって行動ルートやキャンプ地、登山場所、クライミングの場所を設定します。

  アウトドアスポーツが始まってからは、高所協力員たちの作業は客のための「後方勤務」となります。食品を背負い、湯や食事を用意し、火を燃やし、テントを設営します。
 「最も重要なのは一緒に彼らに安全に注意するように気づかせることで、彼らに正しいルートを進ませ、最終的に客を目的地に連れていきます。通常、私達は客のために薬品をいくつか持って行きます。」
 宋昌軍によれば、「最低限でも風邪薬を持ち歩きます。高所での風邪はとても危険で、肺水腫、脳水腫を招く可能性が高いんです。」

  収入・一家を扶養することができます

  「高所協力員はハイリスクな職業で、予想外に遭遇する危険があります。だから料金徴収も観光地区で解説する普通の観光ガイドより少し高額です。」
 唐陽華は、料金基準は人数割ではなく日割計算で、「始めの頃は日100元、今は日150元から200元としています。」

 安全のため、1人の高所協力員は通常7~8人の観光客を引率することしかできず、時間も3~5日に制限されています。今度、唐陽華は10数人を連れ、もっとも長期の8日間の計画があり、毎日150元、彼は1200元の料金を徴収します。

  四姑娘山は一年の内、約4ヶ月間だけアウトドア活動を行うことができます。その間、高所協力員は1年いくらを儲けることができますか?
 唐陽華いわく、「一番良いときで年間2万元稼ぎ、最低でも7~8千元稼ぐことができました。」
 ここ2年間でアウトドアスポーツを目的とした客が増加、彼らの収入も上がってきました。
 「一家4人、母は76歳、2人の娘は今年の夏ちょうど学校を卒業します。この収入に加え、私はふだん民間薬の薬草を栽培して、彼女たちを養い、娘たちを卒業させることができます。」

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以上引用おわり

 さて、年間最高で2万元、低くても7~8千元の収入があるということはどういうことか?
 2011年10月18日、中国国家統計局が発表した2011年9月の経済統計データによれば、中国の都市部家庭1人あたり平均収入は、1万7886元(約22万円)、農村部住民の現金所得は平均で5875元(約7万円)。

 記事でとりあげられている唐陽華氏の場合、バツイチながら、老いた母と二人の娘を養い、娘たちを卒業させることができています。四川省の農村の住民であることも考慮にいれれば、高所協力員として得られる収入は高額なものと言えるでしょう。

 さて、ネタっぽいタイトルに『山岳ガイドの地位確立は、日本より中国が早く実現する。』と書きました。

 日本では資格制度が(とりあえずは)進んでいながら、一部の定評ある山岳ガイドの先生方を除けば専業でガイド業をやっていくこと、経済的に自立していくことがいかに困難か、ちょいと社会人生活している方ならご理解いただけるでしょう。(たまに兼業ガイドなど失格だ、と当ブログに噛みついてくる田舎山岳会の爺もおられるようですが)

 一方、ガイド制度もあまり整備されておらず(ただし登山・アウトドア活動そのものは国家の組織により統制されている)、登山もまだまだ高所得層のレジャーである中華人民共和国では、ガイドでメシを喰っていける、家族を養っていけているという現実。

 この山岳ガイドに対する社会的認知度、経済的自立度の違いが、数年後、十年後、さらにその後にはどんな違いになって現れるのでしょうか?
 当記事に掲げたネタっぽいタイトルを、私は一つの予想として記しておくことにしましょう。

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J'attendrai

土曜日、作業が終わり、山形市内に戻る。
滞在している某漁村から、月山を越えて山形へ向かう。

もう紅葉の時期は過ぎ去った。
月山の木々は葉を落とし、ヤドリギが目立つ。
白い雪が覆っているはずの月山山頂付近は、重い灰色の雲に覆われ見えない。
来週の気象予報では、平地でも雪が予想されている。

自宅に戻る前に、実家に所用のため立ち寄る。
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今滞在している漁村もそうでしたが、山形各地の民家の軒先には吊し柿。
明るい橙色で、まだ干し始めですね。

Pa0_0002
温暖な関東の方には見慣れないかもしれませんが、寒冷地ではおなじみの石油ストーブ『サロンヒーター』。
煮炊きができるようにゴトクが付いた円形のストーブです。
停電でもガスが止まっても灯油があれば煮炊きできる、ということで東日本大震災で活躍した道具の一つ。
震災の影響で、山形では品薄で入手しにくくなっていると聞きます。
ちなみに実家では一年中、居間に置いてあります。

帰宅してみれば、キム・ヒョンイル氏の遭難記事。

月山を越える車中で頭の中でリフレインしていたのが、なぜかシャンソンの『J'attendrai』

ドイツ映画『Das Boot』(邦題「Uボート」)の中で流れておりました。

J'attendrai
Le jour et la nuit, j'attendrai toujours
Ton retour
J'attendrai
Car l'oiseau qui s'enfuit vient chercher l'oubli
Dans son nid
Le temps passe et court
En battant tristement
Dans mon cœur si lourd
Et pourtant, j'attendrai
Ton retour

待ちましょう
昼も夜も いつまでも待ちましょう
あなたが戻ってくるのを
待ちましょう
飛び去った小鳥も忘れたはずの過去を懐かしみ
いつか巣に戻ってくるから
重く沈んだ心を悲しくゆらしながら
時は急ぎ足に過ぎ去ってゆく
それでも 待ちましょう
あなたが戻ってくるのを

まもなく来たる冬。
冬を、雪を楽しもうという多くの野外活動従事者と少し異なり、土木工事に関わり、かつ東北人の私にとっては、厳しい冬であることが現実です。

『J'attendrai』、邦題は「待ちましょう」。
山から帰らぬ人もいるというのに。

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【訃報】キム・ヒョンイル氏、チョラツェにて墜死

先日のパク・ヨンソク氏の行方不明に続き、衝撃のニュース。

 韓国を代表するビッグウォールクライマーであり、GIRIGIRI-BOYSと同時期にスパンティークでクライミングを展開、来日されたこともあるキム・ヒョンイル氏が11月11日午後4時(現地時間)、チョラツェ峰登攀中にパートナーのジャン・ジミョン隊員と共に墜落死しました。

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キム・ヒョンイル氏らの遭難を伝えるKBSニュース画面(左がキム・ヒョンイル氏、右がジャン・ジミョン氏)

嗚呼、またヒマラヤの悲劇、2名転落死 KBSニュース2011.11.12(動画有り)

 キム・ヒョンイル氏は登山用品メーカーがバックアップする『K2エクストリームチーム』として数々のビッグウォールに挑み、今回はチョラツェ北壁に新ルート開拓、36時間で登攀・下降するという意欲的な計画でした。

 先日のパク・ヨンソク氏遭難では現場にて捜索活動を行い、メディアではかなり体力を消耗していると伝えられていました。
 断片的な報道ですが、脱水症状を訴える無線通信の後に事故が発生しており、予期せぬ捜索活動が体力面でかなり影響していたのではないかと推測されます。

 当ブログでは2006年からキム・ヒョンイル氏の存在に注目しておりました。関連記事を以下に記します。

自分を受け止めるということ。 2006.02.13

スパンティーク韓国隊隊長 キム・ヒョンイル 2009.06.20

韓国の高所クライマーの現在・未来 2009.09.27

テレイサガール北壁で弟を亡くし、会社を辞め人生を賭け自らテレイサガール北壁に遠征。
その際の言葉、

「もし失敗しても、これ以上テレイ・サガールには登りません。自分の能力と限界を受け入れるつもりです」

そのキム・ヒョンイル氏に何が起きたのか。
ビッグウォールクライマーとして、あまりに早すぎる死といえましょう。

あらためてお二人のご冥福を祈ります。

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8の次は9。

「エイト環」といえば、かつてはビレイにもよく使われた下降器。
あ・・・蔵書の古いガイドブックで鈴★昇★氏が、岩稜帯でセカンドをエイト環で支点ビレイしてる写真が載ってるのは『時代』ですなあ。

いまやビレイデバイス花盛りで何がなんだか訳わからん私ではありますが、今度は「9」が登場したようですな。

Le9
『Le 9』

紹介動画はこちら↓

9spirit from Groupe-el on Vimeo.

メーカーはこちら↓
http://9spirit.com

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第6回ピオレドールアジア受賞者はデニス・ウルブコ

表題のとおり。
2011年の第6回ピオレドールアジアは、デニス・ウルブコが受賞した模様です。

Victory. Победа. by Denis Urubko Blog 2011.11.4

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2011年 第6回ピオレドールアジア 最終候補チーム

2011年、今年で第6回となるピオレドールアジアの最終候補チームが発表されました。
今週は週末も土木作業のためブログ更新お休みになりますが、この記事が皆様の目に入る頃には、ピオレドールアジア2011受賞者が決定しているでしょう。
ピオレドールアジアを主催する韓国の月刊『人と山』誌から引用します。

Preview PD & GS Award by 月刊『人と山』2011年11月号

以下引用開始
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 ピオレドールアジアが今年で6回目を迎えた。この賞は過去五年間、アジアのクライミング発展の原動力を提供し、未来志向的な方向性を提示した。自然保護と純粋性を土台にしたピオレドールアジアの基本方針は、「新しく」「困難な」試みで代弁される。
 すなわち、固定ロープと酸素、シェルパ等の助けを排除して山と登山家が交わす率直な対話のようなクライミングに高い価値を与えた。
 本誌は、今年このような基本方針を実践したチームをアジア山岳連盟加盟国と各国のクライミング専門誌に推薦を受けた後、厳正な審査を経て最終候補3チームを選定した。
 これと共に今年で2回目を迎えた第二回ピオレドールアジア功労賞受賞者と、アジア最高のクライマーを選ぶ「第三回ゴールデンクライミングシューズ賞」最終候補者も共に紹介する。

 文・イム・ソンムク記者

Mt.Hunter(4441m) Moon flower butress Korea team
K
 2011ハンター北壁遠征隊が去る5月15日、ハンター北壁を突破して北峰を韓国人初登した。韓国を代表するビッグウォールクライマー、チェ・スンムン隊長の他パク・フィヨン、パク・ジョンイル隊員はハンター北壁のムーンフラワーバットレスを3日で登攀して軽量速攻クライミングの神髄を見せた。ムーンフラワーバットレスはアラスカはもちろん、北米でももっとも困難なアルパインルートだ。彼らは他にミニ・ムーンフラワーバットレス(3230m)、Frances(3185m)西稜を登攀した。本チームはクリーンクライミングとしても高評価を受けた。3本のルートを登攀し、プロテクションを一つも残さず登攀と下降を終えたためである。

Kaz
Prjevalsky(6240m) and Pobeda(7439m)New route Kazakhstan team
 プルジェワルスキー(6240m)ポベーダ(7439m)新ルート カザフスタンチーム
 カザフスタンのデニス・ウルブコが天山山脈で困難なクライミングを展開した。ボリス・デデシュコと共に7月、キルギスタン中央天山山脈のプルジェワルスキー(6240m)西壁に新ルートを開拓した。難度はロシアングレードで6A M4である。この登攀後、ウルブコはゲンナジ・デュロフと共にポベーダ北壁にトライ、やはり新ルートを開拓して頂上に立った。彼らは8月10日登攀を開始、6日間かけて登攀した。難度は5.9 M5級だった。

Gi
Daddmain(6380m) New route on East Face Japan team
 日本のクライミングをリードするギリギリボーイズの一村文隆、増本亮、長門敬明が中国のミニヤコンカ山群にあるダッドメイン東壁に新ルートを開拓した。4月20日に登攀を始めた彼らは6日間かけて同壁中央から上段壁に進入、垂直の壁を突破して登頂に成功した。登攀距離は1900m。

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以上引用おわり

 なおピオレドール功労賞は先日当ブログでお知らせしたように、山野井泰史氏の受賞が決定している模様です。
 今年の「ゴールデンクライミングシューズ賞」には、ソン・サンウォンの後継者と目されるミン・ヒョンビン(記事中では、W杯決勝進出とみられていた安間佐千選手を抑えてというところが強調されています)、
Min
ミン・ヒョンビン

 アイスW杯でアジア勢として初の総合優勝に輝いたパク・フィヨンの両選手が最終候補に選考されています。
Pak
パク・フィヨン

 さて、ネット上で誰も話題にしませんが、ピオレドールアジアも、そろそろ受賞者・候補者の顔ぶれが固定化されてきてマンネリ化していると思うのは私だけではないはず。
 現状で、アジア地域で登山・クライミングが発展してきている日本、韓国、そして高所クライマーの活動地に恵まれたカザフに集中するのは当然といったところでしょう。
 
 私が・・いや、東北の片田舎に住む私でなくとも、誰もが予想していることでしょう。
 あと5年、もしかしたらもっと早く、四川やチベットの5000~6000m峰で経験を積み重ねている中国のアルパインクライマー、現在急速に競技人口が増加している中国のスポーツクライマーが台頭してくるのは時間の問題でしょう。

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登山用集水器Succulent

 彼の地、中国だか台湾では、キャンプした際、生活用水を集めるためビニールシートで夜露・朝露を集めるらしいのですが、そのビニールシートが棄てられて環境問題になっているとか。

 そこで考案されたのが、
B3
登山用集水器『Succulent』。

B1
上部に植え付けられている草状のビラビラで夜露・朝露を集め、ボディ内部の瓶に水が貯まる仕組みです。

B2
使用例。本体の底はザックに下げられるようになっています。

この『Succulent』、台湾国立大学のYu-ru Chen氏がデザインした製品で、台湾で開催されるエコライフを推進する道具のデザインコンペ「2011 Lite-On Award」の特別賞を受賞したものです。

 大昔、南アルプスで道に迷い2日間にわたり藪こぎ生活、山岳部の先輩とツェルトの表面に貯まった朝露で水分補給した経験を持つ私には、この「Succulent」(英語で多肉植物、サボテン等をさす)は実用・非実用をうんぬんする前に、ずいぶん洒落たデザインに見えますなあ。

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LOU WHITTAKER Memoirs of a Mountain Guide

Louwhittaker Lou WhittakerとAndrea Gabbard共著による『LOU WHITTAKER Memoirs of a Mountain Guide』を読む。

 日本では山岳ガイドの本場といえばなぜか「おフランス」らしい。私の場合はアメリカである。山を始めた頃から「バックパッキング」に代表されるアウトドア・アクティビティ大国としてアメリカに憧れていたし、ガイドなりたての頃、実際のガイドクライミングを体験するべく、渡米してガイドと共にクライミングしたことも理由の一つである。
 
 今年は英語に慣れるべく月一冊の洋書読書を目標にしていたが、どうしても読みたかったのは、アメリカの山岳ガイドの本だった。そこで選んだのが同書である。
 アメリカ登山界の重鎮、LOU WHITTAKERの自伝である。
 内容はその生い立ちから、登山に親しみ、やがてレーニア山のガイド組織、今やアメリカでもガイド組織の老舗となった『RMI』を立ち上げガイド活動について述べている。
 このRMI(Rainier Mountaineering, Inc)は結果的に優れたクライマーたちを輩出することになり、イギリスの「ボニントン一家」ならぬ「ウィテッカー一家」のようなコミュニティとなる。アメリカ初の8000m14座登頂者である高所クライマー、エド・ビスチャーズもMRIでガイドの経験を積んだ。
 このことからウィテッカーは、アメリカの大きなヒマラヤ登山隊にも当然関わっていくことになる。この本には75年のK2、82年のチョモランマ北稜、84年の米中チョモランマ合同、89年のカンチェンジュンガ北面の遠征記録が収録されている。

 長年の登山活動・RMIのマネジメントを通じて名士となったウィテッカーは政界にも顔が利き、テッド・ケネディ上院議員(ケネディ兄弟の末っ子)の口利きでヒマラヤ登山の許可をモノにする様子が描かれている。
 興味深いのは、ウィテッカーも当時未踏だったナムチャバルワを虎視眈々と狙っていたことだ。さすがのウィテッカーも高額な登山料、タフネゴシエイターの中国当局には手を焼き、結局許可は日中合同隊として日本に下りた。
 「歴史的なジャパニーズ・エンペラー(天皇陛下)の訪中直前に彼らは(ナムチャバルワ)に成功した」と書いている。(かなり悔しかったのか?エリザベス女王戴冠式前のエベレスト登頂にひっかけた表現なのか?)
 80年代初期、中国の対外開放に合わせてヒマラヤの中国サイドに遠征していることからもわかるように、ウィテッカー自身は政治家のコネを最大限に利用して大きな遠征に赴いた。その一方で、75年のK2遠征後にパキスタンのブット大統領(ズルフィカール・アリー・ブット、後に暗殺されるベナジル・ブットの父)がクーデターで絞首刑に、83年にカンチ峰の登山許可を取得する際、ケネディ上院議員を通じて登山許可を依頼する手紙を送っていたインディラ・ガンジー首相は翌年暗殺。ウィテッカー曰く、

『Politics is a very dangerous sport - in many ways,more dangerous than mountaineering』

と述べている。「平和あってこその登山」とか頭がお花畑な日本勤労者山岳連盟のエラい人には理解不能な世界であろう。あ、政治がらみなら日本山岳会のお爺さま方ならよく知ってますよねー(棒読み)

 時折出てくる「いやあ、RMIってこんなに素晴らしい人材出してるんだよねー」と自慢話満載なのはまあ地元の名士の書いた本ですからスルーするとして、50~70年代のアメリカの、climbingではなくmountaineeringに関する様子が写真入りで記録されていて興味深い。アメリカの登山史をひもとく上でも、良き資料となる本であろう。

Out なおアメリカ流のリーダーシップ、チームメイキング等を知りたい方には、同じThe Mountaineers出版社が出しているJohn Graham著『Outdoor Leadership: Technique, Common Sense & Self-confidence』がお薦めである(ルー・ウィテッカー、息子のピーターはじめ、アメリカ各地で活躍するクライマー、野外活動指導者の体験談・解説が掲載されている。)

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