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さよなら2011年

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 車の窓が美しく凍り付いていました。
 山形は寒い日が続きます。

 2011年も今日で終わり。
 当ブログをご覧くださっている方、たまたま検索でご覧くださった方、アクセスいただきありがとうございました。
 お体に気を付けて、よい年末年始をお過ごしください。


 提言 『東日本大震災にのみ、とらわれてはならない。』

 去る2011年3月11日に発生した東日本大震災。
 社会・人心に甚大な被害を及ぼした震災に際して、あらためて犠牲者ならびに行方不明の方々のご冥福をお祈り致します。
 そして被災された皆様にとって、来年が良い年になりますように、お祈り致します。

 あえて提言します。
 我々は東日本大震災にのみ、とらわれてはならない。

 東日本大震災は、私たちの価値観・生活観を覆すほどの甚大な災害でした。
 それをうけて、一部の人間は「お金が幸福ではない」「モノがあることが幸福ではない」「便利になることが幸福ではない」などと、声高らかに価値観の変化を呼びかけているようです。

 現実から、眼をそらしてはならない。
 2012年、私たちにとって経済問題はますます重要・重大となることでしょう。
 国内では消費税増税が間近にせまり、国外からはギリシャに発するEUの経済不安が忍び寄ってきます。 

 大震災以前から、日本は厳しい経済問題を抱えています。
 それは今現在を、そして未来を支える若い世代に、容赦なくのしかかる問題です。
 震災を受け、頭の中がお花畑な人々のように、経済活動を半ば否定するような態度と考えをとってはならない。
 
 そもそも、医療にも、教育にも、食べていくためにも、お金は必要なんですよ。


 「幸せの経済学」という名の、偽りの経済学

 先日、左翼偏向のTBSが制作した一年をふりかえる番組を視聴しました。
 この番組の中で、ドキュメンタリー映画『幸せの経済学』を引用、インド・ラダック地方の事例を紹介し、グローバリズムへの批判を展開していました。
 いわく、ラダック地方では道路が切り開かれたことにより、外界の消費文化が入り込み、地域文化が破壊された、と。

 仕事として道路関連のインフラ整備に関わっている者として、断固反論します。
 現代日本において、道路は生活を支える要(かなめ)である、と。 
 そして、日本の大都会に安穏と住んでいる人間にはわからないかもしれませんが、いまだ日本の各地域には、道路の新規建設が待たれている場所が幾つも存在するということを。

 筆者は残念ながらいまだ映画『幸せの経済学』を観ておりませんし、映画のオフィシャルサイトを確認すると、当分観る機会もなさそうなので映画そのものについて突っ込んだ論評はできません。
 それをふまえて発言しますが、インド・ラダック地方の人間には、いわゆる第三世界、途上国の人間には、消費社会そして情報社会に足を踏み入れる権利は無いのでしょうか?
 新規道路の建設により、入り込むのは「消費」「情報」「グローバリズム」だけではなく、医療や教育も進出するのではないでしょうか? 

 先頃のブータン国王来日に伴い、再びブータンの「国民総幸福量」がメディアや「識者」のスポットライトを浴びているようですが、私は言う。
 多数の避難民を国外に出している国家から、幸福の指数など言われる筋合いは無い、と。

 それでも価値観・生活観を変える必要があると思う方々は多いでしょう。
 言葉をもてあそぶつもりはありませんが、私もそう思います。
 しかし一部の左翼論者のように、従来の日本が築き上げてきた産業、社会を否定することまでは反対です。

 重ねて言います。
 2012年は、日本社会にとって経済がさらに重要なキーワードになるでしょう。
 頭の中がお花畑な一部の市民団体や環境保護団体の人間が訴えているような理想郷とはほど遠い現実を、さらに突きつけられる年になるでしょう。

 そんな年に、山岳ガイドとしてまたまた社会の片隅で、世間を見続けていきたいと思います。


 あー、堅苦しい事書いたので近況報告。
Cyu
 冬休み、やっとこインフルの予防注射打ってもらったよー。
 皆様、どうぞ健康には気を付けて、良い年末をお過ごしください。

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切断された十字架 山にとって、宗教は何なのか?

山岳国スイスで、無神論者の山岳ガイドが山頂の十字架を破壊する、という事件が起きました。

 この事件は昨年春に発覚、今秋ロシアのクライミングサイトにて、スイス在住ロシア人向けメディアの記事を読み知りました。
 後述しますが、山頂の地権を神社が所有する月山の山岳ガイドとして、この事件はずっと気になっておりました。
 私はこの十字架破壊事件は「自然」と「人」との関係に関わる重大な事件だと感じたのですが、英語圏メディアに拡散することもなく、仏語・独語圏メディアの中で収束してしまったようです。
 時間は経過しましたが、あらためてここに紹介します。

P1
山頂の十字架を破壊し逮捕されたスイスの山岳ガイドPatrick Bussard (パトリック・バサール)

P2
2009年秋に破壊されたVanil Noir山の十字架

P3
2010年2月に破壊・切断されたMerlas山の十字架

Швейцарский альпинист разрушает кресты by nashagazeta.ch2011.10.19
(スイスのクライマー、十字架を破壊)

 去る2009年10月、スイスのVanil Noir(2389m) の十字架が破壊され、さらに2010年2月にはMerlas山頂の十字架が切断・破壊されているのが発見されました。
 犯行推定時間が夜間の山中であることから、現地地形・登山に慣れた者の犯行と考えられていましたが、地元警察はスイスの山岳ガイド、Patrick Bussard(パトリック・バサール) 48歳を逮捕しました。
 スイスのジュネーブで生まれ育ち、五年前に事件の舞台となったグリュイエールに移り住んだ彼は、歴史上の紛争・虐殺に宗教が深く関わっていると考える無神論者でした。

 あるフランスのメディアにパトリック・バサールの拘束前のインタビュー記事があったのですが、残念ながら現在リンク切れ・削除されて読めません。
 保存しておいた粗訳のテキストから、パトリック・バサールの発言要旨を以下に記載します。
----------------------------
A=パトリック、Q=インタビュアー

A.私はその行為におよぶ前に、長い時間をかけて考えました。私は象徴としての十字架について議論を投げかけたかったのです。
 十字架は磔、死、キリストの苦痛を表し、私は好きではありません。十字架の破壊という行為によって私はタブーを破り、人々に議論を促したかったのです。
 人々が考える愛と平和とは裏腹に、宗教が数多くの問題の原点でもあることも認めるべきです。

Q.しかし、あなたが冒涜した十字架は、人々の障害とはなっていませんが?

A.教会は、私の考えでは「自由の場所」でなければならない山頂に十字架を立てています。人々は、この十字架がそこに立つ理由があるかどうか、考えなければなりません。
私は教会やローマ法王を尊敬しています。今はカトリック教会に退会を求めました。

Q.議論をうながすためには、十字架をノコギリで切る以外にも方法があると思いますが?

A.今日、私がうけたインタビューの回数を思えば、私は議論をうながすことに成功したと思っています。

Q.あなたは自分の行為を悔いていますか?

A.いいえ、全く。ただ、私が傷つけた、もしくは悲しませた全ての人々には、謝罪します。 人々を傷つけ悲しませることが目的ではありません。
-------------------------------------------------

 事件後、当然地元の信仰厚い人々を中心に怒りの声が沸きましたが、問題となったのは、損害賠償を請求するとして金額はどれほどになるのか?請求権は誰になるのか?ということ。
 新聞記事では、検察は十字架の修理に要した2000フラン、作業員20名の人件費を計上しています。
 また逮捕されたパトリック・バサールは、前科もないことから執行猶予付きの判決が予想されています。
 地元グリュイエール山岳会はパトリック・バサールの除名を検討、報道では「山岳ガイド」と報道されていますが、スイスの山岳ガイド組織の対応については不明です。
 上記記事にあるように、十字架破壊という行為に及んだパトリック・バサールは自らの行為に関して全く「悪意」を認めておらず、確信犯として、むしろ人々に議論をうながすことに成功したと考えているようです。

 この記事を知る前、たまたま私は当ブログで次のような記事を掲載しました。
 
月山とカネの、切っても切れない関係。2011.8.15

 神社が地権を所有する月山頂上について、歴史上、古くから月山参拝では拝観料の他、様々にお金がかかっていたこと、神社拝観料には今年は『卯歳御縁年』だから絵はがき・お守りもついてますよ~と軽い気持ちで書いた記事でした。
 この記事に対し、ツイッターで「古くから(神社が)あるというだけで金を取るというのは納得できない」という意見を表明された方がいらっしゃいました。
 誤解なきよう書いておきますが、当ブログ記事に関して、賛同だけでなく批判コメントを寄せていただくのもありがたいことです。私にとって気が付かない・考えがおよばない、様々な意見に触れることができるわけですから。
 先のツイッターの書き込みを拝読し、山の宗教施設に対しては様々な考え方があると改めて考えさせられた次第です。

 さて話題はパトリック・バサールの行為に戻りますが、この事件を知り頭に思い浮かんだのは、当ブログの記事の中でも多くの方からアクセスいただいた、奈良県・大峰山の女人禁制問題でした。

当ブログの関連記事
 それでも彼女らに大峰山の女人禁制を解く資格はない。2011.6.29
 
 パトリック・バサールも、先の女人禁制問題で地元の禁を破り強引に入山した女性グループも、根は同じではないでしようか?
 議論を促す、という一見「対話」を標榜しながら、その実態は「暴力」に等しい強引な方法を実行する人々。

 この問題は、山の頂に代表される「自然は誰のものなのか?」それは人と自然の関係に関わる問題なのだと思います。
 まともな(あえて「まともな」と表記しますが)人であれば、議論を呼び起こすのに十字架をノコギリで切断し、破壊するという手法はとらないでしょう。
 まともな女性であれば、地元の人々が古来から敬い守っている慣習を 黙 っ て 破り入山などしないでしょう。

 パトリック・バサール氏にとって山頂の十字架は死と苦痛の象徴であり、破壊は「議論を促す一歩」でした。
 しかし私には、切り倒され破壊された十字架は「対話の否定」の象徴にしか見えません。

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WITH BEAUTY BEFORE ME

Jose Joseph Cornell著 『WITH BEAUTY BEFORE ME』を読む。
 著者のJoseph Cornell氏はご存じ、ネーチャーゲームの発案者で著名な野外教育指導者。
 この本は70ページ程のポケットサイズで、サブタイトルに「An Inspiration Guide for Nature Walks」とあるように、自然に造詣の深い各界著名人の名言集といった本である。

 そもそも本のタイトル「WITH BEAUTY BEFORE ME」、目前の(自然の)美しさと共に、は元々アメリカの先住民族・ナバホ族の祈りの言葉。
 この本には著者のジョセフ・コーネルはじめ、ヘレン・ケラー、アインシュタイン、シュバイツアー、ジョン・ミュアらの言葉が収められている。
 アジアからはガンジー、李白、老子、そして日本から只一人、Tanaka Shozo(田中正造)の言葉が、静かな川面のモノクロ写真とともに掲載されている。
 田中正造の名言といえば、「真の文明は、山を荒らさず・・・」という言葉が有名だが、同書で取りあげられているのは、次の言葉である。

The care of rivers is not a question of rivers, but of the human heart.』 (治水は河川の上にあらず、人心の上にあり)

 私個人が惹かれた言葉は、ヘレン・ケラーによる次の言葉。

The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched. They must be felt with the heart.

 山岳ガイドのライセンスをいただいて来年で10年め。
 ガイドとしての資質も能力もさほど伸びていないという挫折感と焦りがある中、もう一度、自分が何をやりたかったのか考え直してみたいと思うこの頃。
 ガイドを目指す直前、試行錯誤していた時期にネイチャーゲームの思想とその創始者Joseph Cornell氏には影響を受けましたが、今この本と出会ったのも何か意味のあることなのだろう、と思いながら読んだ。

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設備投資

25日、朝。
子供達はサンタさんのプレゼントで狂喜乱舞している。
そして私には、このような↓
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サンタ様が現れてくれないので、大雪の中、マウンテンゴリラに行く。

長年愛用していたアイダーのパンツがかなり傷んできたので、ついに無雪期用のパンツを新規購入。
もう店内は冬物ギア一色だというのに、店主・誉田さんの奥様に無理お願いして既に段ボール箱にしまい込んでいた春夏もののパンツを出してもらう。
で、買ったのは、
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ファイントラック社のストームゴージュ、試着して一発で購入決定。
それからアークテリクスのインナーシャツも購入。
買い物後は、ネットでは伺えないアウトドア業界の話題を勉強も兼ねて誉田さんと立ち話。

来シーズンもバリバリ東北の山を歩きたいと思います。

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乳幼児の高所滞在にご注意。

 子供、特に乳幼児の高度障害に関する情報は非常に限られ、経験談程度しか聞いたことがありませんが、このたびフランスのANPDE(看護師と医学生の全国協会)が注目すべきアドバイスを公表、フランスのクライミングサイト Kairn.comにも転載されました。

 医療と福祉に関するフランスのサイト「Doctissimo.fr」に掲載された記事によれば、
 『0歳児は標高1500mを、3歳までは標高1800mを超えるべきではない』とのこと。

Emmener bebe a la montagne : les conseils pour un sejour reussi by Doctissimo.fr2011.12.21

 以下記事引用開始
------------------------------------------------

 乳幼児と山岳地に滞在する場合は、このアドバイスに留意してください。
 山岳地では、生物は血液中の酸素供給量を増やすために高所順応しなければなりません。
 乳幼児の場合、この高所順応は徐々に適応する必要があります。
 このような理由から、三歳未満の子供は、ミディ針峰などの高速ケーブルカーは鼓膜損傷や耳炎のおそれがあるため搭乗禁止となっています。(セバスチャン・コルソン、ANPDE代表)

 あなたの子供に持病があるならば、山岳地に出かける前に小児科医の意見を求めるべきです。山岳地の清浄な空気が喘息を患う子供達に効果的であれば、それは治療をうけることと同様です。

 山岳地での滞在が効果的であるように、乳幼児のために保温効果のあるウェアを用意しなければなりません。
  レオタード、長袖のセーター、タイツ、ソックス、スカーフ、ミトン、帽子よりはむしろフード付きウェアが望ましいです。スキンクリームと日焼け止めクリームも使い、乳幼児の皮膚も保護するように気配りしてください。そして飲料水も十分に。

 乳幼児の耐寒能力は、大人ほど高くはありません。 11時から15時の間、日差しの穏やかな時間帯に散歩をさせてあげてください。
 サングラスは乳幼児の目を保護するために必要不可欠です。紫外線は標高の高い場所、雪による反射により強いため、サングラスで乳幼児の眼を保護し、雪盲を帽子するために不可欠です。

 散歩から戻ったら、冷えた体を温めるためにもスピーディーな着替えが必要です。部屋は乳幼児の寝室と同じ、温度は19度に保っておきましょう。

 以上のアドバイスを守るため、山岳地での滞在中は乳幼児の面倒をみるためにベストを尽くすようにしましょう。
------------------------------------------------
以上引用おわり

 なお、この記事の発信元であるANPDEのサイトでは、下記のようなPDFファイルで乳幼児の山岳地(高所)滞在に関する注意点を公表しています。(フランス語、PDFファイル)

Les premiers flocons de bébé : quelques conseils de l’ANPDE
pour des souvenirs enchanteurs… by ANPDE 2011.12.19

 冒頭の具体的な数字、『0歳児は標高1500mを、3歳までは標高1800mを超えるべきではない』については、あくまで学説の一つとしてとらえるべきでしょうが、最近は日本でも乳幼児を連れての北アルプス登山、富士山登山が見受けられますね。保温や紫外線への対処は、十分すぎるくらい気を付けるべきでしょう。

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Simple cake & 南相馬市立図書館 & 松月堂

南相馬まで来て、ただでは帰らん!
というわけで、本日のボラ活動解散後、ボランティアセンターから南相馬のケーキ屋さん、Simple cake に直行。
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小さなケーキ屋さん(隣に駐車場有り)だが、喫茶もやっている。
本日は、
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フルーツクレープを購入。
同店でもっともリピート率が高い菓子とのこと。
中はクリームと共にバナナ、桃、パインが詰まっている。
せっかく福島のお店なのだから、シロップ漬の果物では・・・というのは、コスト的にも季節的にも無理な注文ですな。
走る車中で美味しく食べ、南相馬市立中央図書館にGO!

南相馬市立中央図書館は、原ノ町駅前にある新築されたばかりの図書館。
この図書館の特徴は、「としょかんのTOMO」という組織が施設の設立に関わっていることだ。
ロビーには「今日のチラシ」なんて箱があり、新聞と共に配布されている広告が閲覧できるようになっており、かなり市民・生活密着型の施設であることが感じられる。
ここで南相馬の郷土資料を閲覧。
あちこちに閲覧用の机が配置してあり、調べ物をする訪問者への配慮が感じられる。
福島関連の山の図書・ガイドブックはたいてい奥田博さんが関わっているのだが、ここでは貴重ないわき地方の山のガイドブックを閲覧。
さらに他の図書館ではみられない、日本全国都道府県のパンフレットを収めた書棚を発見。
しかも持ち帰りOKとある。
おおーすげー豪儀だ、こういうのってガイドにとっては便利だよなぁ・・・と引き出しを引いてみると、空っぽの引き出しが多い_| ̄|●il|l
ただし、書棚の上には全都道府県のパンフを収めたファイルが陳列してあり、こちらは持ち帰り禁止だが閲覧OK。
徳州会病院で主催した緊急シンポジウム『福島原発事故に対する健康・心理への影響及びコミニュケーション問題について』のDVDを無料配布しており、ありがたくいただいて帰る。

南相馬の中心街を離れ、国道6号沿いにある大手の和菓子屋 松月堂 に突入~

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店内に入ると、あれ、ここ和菓子屋じゃね?!と思うくらい強烈なバターの香り。
店内の片側は釜出しシュークリームのコーナーになっており、かなり人気らしく、ショーケースはもう空っぽ。
ここでは、
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今まで喰った経験の無い「桜」タレの団子、焼き餅パイ、そして同店名物の「流れ山まんじゅう」を購入。
山形までの長いドライブのお供である。桃太郎だってキビダンゴ携帯してただろ?
ちなみに「桜」団子はフツーの桜餅の味。
焼き餅パイは、中に入っている薄い大福とパリパリしたパイ皮が良い感じ。
流れ山まんじゅうは普通のまんじゅうと思いきや、なかなか香ばしい皮がGood。

こうして甘い物堪能しながら、猛吹雪の高速道、蔵王連峰越えに向かう夜でした。

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洗浄のメリークリスマス

 国道6号線。
 県境を越え、宮城から福島に入ったところで夜明けを迎えた。
 南相馬市に入ったところで、まぶしい日輪に照らされる。

 国道沿いには、ざっと数えて十隻以上の漁船が、まだ耕作地のあちこちに横たわっていた。
 もう、あの日から9ヶ月が経つというのに。

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 南相馬市・原町区の福祉会館(ボランティアセンター)で災害ボランティアの手続きを行う。
 本日の目的は、津波による流出・遺失物の洗浄作業。

 洗浄作業を志願する理由は、当ブログで度々記述してきたが、陸前高田を訪れた時期にさかのぼる。
 仮設住宅のインフラ整備のため、一刻を争う緊急度で私たちは成果を出さなければならなかった。
 自衛隊・警視庁の方々により行方不明者の捜索が行われているその場で寝泊まりし、作業をする。
 周囲や足下にはおびただしい数の遺失物・流出物が残されていた。
 写真、印鑑、書類、教科書・・・
 生き残った人々のための現場作業と割り切り、地面に散らばっているそれら流出物に心を配ることもできず、私たちは作業を進めなければならなかった。

 だが、と思う。
 月日が経ち、生き残った人々の証言をメディアで見聞きするにつれて、「残された物」の大切さを知ることになる。
 日に日に縮小されるボランティア活動の中で、南相馬の原町区で続けられている『流出物の洗浄』作業に私が関心を持ったのは、当然の成り行きだった。

 誤解されたくないので重ねて強調しておくが、私はボランティア活動に対して崇高な使命感など持ち合わせていない。人のために、などというお人好しでもなければ善人でもない。
 ただ、「あとでああやっておけば良かった」と後悔したくないだけである。

 本日集まったボランティア希望者は18名。
 ボランティアセンターでは、私を含め原町区での活動が初めての者はオリエンテーションで一般的な注意事項を聞く。
 南相馬特有の事情として、原発に近いこと、まだ状況が不安定で不測の事態もありうること、ボランティア保険は放射能による災害には無効であることを明確に説明を受ける。
 遺失物の洗浄作業では、写真の洗浄などで感情移入してしまう女性もいたとのこと。また遺失物という性格上、プライバシー厳守、写真撮影は厳禁を言い渡される。
 センターから徒歩で5分ほど、流出物洗浄の施設に移動。

 殺風景な大きい室内に、写真現像の暗室のようにロープが張り巡らされ、たくさんの洗濯ばさみ。
 そこには前回まで洗浄された流出物が干してある。
 大きなテーブルを18名で囲んで座る。
 配られたのは、室町時代の古文書ですか?と思われるほどボロボロになった文書の束。
 津波から9ヶ月。
 捜索隊が「これは貴重品ではないか」と収集した文書や貴重品、雑貨などがここに集められている。
 微細な粉塵が舞うため、全員帽子・防塵マスク、手には薄手のゴム手袋着用。
 水でふやけ、泥・カビがこびりついた文書を慎重に剥がし、9ヶ月経過した泥・カビを、ナイフ、ヘラ、歯ブラシ、スポンジでこすり、こそぎ落としていく。
 
 臨席の人と分厚いファイルを分割し、分担して作業にとりかかる。
 最初に紙と紙の間から出てきたのは、手紙だった。
 十代の女の子が書いたものらしい。若い女の子特有の可愛らしい文字で、友人に宛てたものらしい。
 これを書いた子は生きているのか、亡くなっているのか。
 自己紹介の、今風にいう「プロフ」の用紙らしい「将来の夢は?」などと書かれた文字に胸をうたれる。
 プライバシー保護の事もあり、便せんの表は泥に汚れていないことを確認して、すぐに封筒に戻す。
 
 最初の仕事は、この封筒にこびりついた泥落とし。

 オリエンテーションで「感情移入しないように」と言われてはいたものの、手紙はどうしても差出人・受取人の事が頭をよぎり、精神的に参ってしまう。写真ならば、今の私には耐えられなかっただろう。(幸い、流出物として収集された写真は洗浄が終了していた)
 最初の休憩。

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 集中して流出物と泥、刃物を見つめていたためだろう、無性に青空と雲が眺めたかった。
 (作業中は撮影厳禁のため、休憩時に建物外から撮影した南相馬市の空)

 手紙を終え、続けて農家の関係書類。すごい分厚い泥と格闘。
 こうして午前中が終わる。

 いわゆる災害ボランティアの「泥だし」「瓦礫片づけ」とは異なり、ストーブの焚かれた室内でイスに座り、ひたすら道具を持った指先を動かしているだけなのだが、精神的に疲労する。
 引きこもるのもどうかと思い、福祉会館の和室で他のメンバーと同席して昼食をとる。
 とくに会話もせず喰い終わり、自分の車に戻った。
 少し独りで休みたかった。
 被災地に持って行った「リラックス用」MP3プレイヤーを聴く。
 中身は、

 Vivaldi 調和の幻想
 ザ・ ローズ ( The Rose ) ベッド・ミドラー
 インスピレーション ジプシーキングス(鬼平犯科帳エンディング)
 仮面ライダー響鬼オープニングテーマ「輝」
 仮面ライダー クウガ オープニングテーマ
 海のトリトン オープニングテーマ
 
 ひととおり聴き終わったところで眠りかけ、昼休みが終わる。
 午後は引き続き、ひたすら分厚くこびりついた泥と格闘。
 何度も何度もナイフで泥を慎重にこすり落とす。
 力を入れすぎると紙が破れてしまう。力を入れないと、泥がとれない。
 もうボロボロになった紙の縁を指で曲げ、少しずつ力を加えながら剥がしていく。
 剥がしていった紙に付着した泥・カビをナイフやスポンジでこすり、落としていく。

 これらの工程を幾度繰り返しただろう。
 本日のメンバーは東京や埼玉、札幌からいらっしゃった男性グループ、地元の女子高生仲良し2人組、地元の男性の方々など。
 時間の経過と共にうち解け、作業が単調なこともあって午後はおしゃべりにも花が咲く。
 そんな中、私は無言でひたすら泥おとし。別に無愛想をきどった訳ではなく、極薄く、しかも硬い泥がびっしりと文書に張り付いていたのに手こずっていたのだ。
 15時半、片づけ開始。
 私が手がけた泥だらけのファイルは中途までの作業になってしまったため、この日リーダーを務めていたキュートな女性Kさんに引き渡し、引き継ぎ。

 作業場には、多くの洗浄済み流出物が保管されてあった。
 それらは後で流出物展示場に移設・展示されることになる。
 今日の私の成果は、手紙数通とファイル半分の泥はぎ。
 陸前高田で流出物を置き去りにせざるをえなかった、贖罪?それにしては成果は微々たるものだが、今の私にできることは、これだけだった。

 皆でボランティアセンターに戻り、解散。
 帰路、国道6号線を戻って宮城に向かう。
 
 『浜通りの人間が、中通りや会津に移り住んで、そんなうまくいくか?いかねえべさ。』
 今日耳にした、地元の方の言葉だ。
 同じ福島でも、浜通り(いわき・相馬など海側の街)・中通り(福島・郡山・須賀川・白河など)・会津では生活文化も、何より気候も大きく違う。
 何も知らない左翼系反原発のクルクルパーがツイッターで「移住」を声高に叫んでいるが、地元の人間にとって、生まれ育った土地への愛着・執着は強いものなのだ。

 国道脇に、ときおりヘッドライトで照らされる仮設住宅への案内看板。
 夜の暗闇は、国道沿いに横たわっているはずの多数の漁船を隠していた。
 人々の心よりも早く、街並みの風景は復興に向かっていく。

Xmass
 残された人々、そして当ブログをご覧の皆様、良きクリスマスが訪れますように。

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村の名前は、

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鮭 川 村 です。
(山形県 鮭川村にて撮影)


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初冬日記

11月某日
 山形で有名な岩場が見える山奥でしばらくお仕事。
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 すぐそばに湿地帯。
 蒲の穂がたくさん生えている。

 今年は縁あって野草・雑草の類についていろいろ調べていたが、「蒲の穂」に生える「綿」は江戸時代には布団の綿の代用として利用されていたらしい。
 先人の知恵には、頭が下がる想い。

11月某日
 冬近し。
 平地よりも標高が高い現場は、
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 初氷も早かった。

11月某日
 私が勤務する現場作業部隊が詰める工場は、大型車両が毎日通過する。
 ふと気が付くと、
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 舗装された駐車場には、クルミの殻がたくさん落ちている。
 ここは工業団地で、クルミの木など生えていない。
 
 カラスの仕業である。
 不定期に車両が通る道路よりも確実に、しかも大型車両が通る工場敷地を狙ってクルミの実を落としたものであろう。
 カラスの知能の高さについては人間に次ぐ、という説も最近見聞きしたが、なるほどと思われる。

12月某日
 テュリャテュリャテュリャテュリャリャ~
 月曜日は現場に出かけ~
 火曜日は現場に出かけ~
 水曜日は現場に出かけ~
 木曜日は現場に出かけ~
 金曜日は現場に出かけ~
 土曜日は現場に出かけ~
 日曜日も工場に出かけ~
 友達よこれが私の一週間の仕事です~

12月某日
 土曜日夜、中学の同窓会幹事の忘年会。
 職場の飲み会だと『コナン・ザ・グレート』みたいな飲み会になるのだが、今夜は元剣道部・元陸上部のスレンダーな奥様2人をお迎えして
Praty
こんな感じの飲み会(イメージ)

 話題は子供の受験、教育、育児。
 それから同い年の仲間が病気だ、車ではねられた・・・
 時折、
『ヨーロッパ某国の○○山の△△壁、ボーナスちょろまかして行きてぇなあ~』 
 と、考えている自分が、凄く幼く感じてしまう瞬間がある。
 しかし会社も山も関係なく、家庭の話ができる飲み会も、私にとっては貴重な機会。

12月某日
Friends 【以下の文章にはネタバレが含まれます】
やりたいこと・やらねばならないことが多々あるにもかかわらず、やむをえず、しかたなく、息子と娘を映画『フレンズ もののけ島のナキ』に連れて行く。
 山形県高畠町出身の浜田広介作『泣いた赤おに』を原案とした映画。
 私は小学生の頃から、「児童文学」というやつが大っ嫌いだった。
 なぜ勧善懲悪ではいけないのか?
 なぜ主人公をいじめた奴に救いの手を、理解をしなければいけないのか?
 まだ人生の「じ」も知らない私は、児童文学の「ぬるい」ストーリーが大嫌いだったのだ。小学生の頃からエラリー・クイーンを読み、大藪春彦読んでいたからこんなに歪んだ性格になったんですね、はいはい。

 今この歳になって、子供を連れて映画『フレンズ もののけ島のナキ』を観て、あらためて浜田広介のストーリーテラーとしての才能に感銘を受ける。
 姿が醜い = 悪の化身、心も醜い、というのはヨーロッパの古典童話によくみられる固定観念だ。この点については、左翼売国奴でありながら本多勝一氏が的確な批評を書いている。
 童話では常に悪役とされた鬼を優しい存在として描き、人間と鬼との対立・融和を描いた点では、最近になってやたらと環境問題・原発問題で左翼論者にちょくちょく引用されている宮崎ナントカいう爺さんよりも先取りしているわけである。

 息子は楽しいキャラクターがスクリーンを縦横無尽に暴れる姿に見とれていたようだが、私は「泣いた赤おに」の話を知っているだけに、青鬼役の「グンジョー」が暴れる場面では涙が止まらなかった。いや最近歳ですぐ泣くんです。
 児童文学嫌いな私にとってさらに嫌いだったのが、この『泣いた赤おに』。
 最後、なぜ赤鬼をひきたてて青鬼は去らなければならなかったのか。
 幼いながらに悲惨だと思ったストーリーはもうトラウマにすらなって、二度と読むことはなかった。あの伝説のSF児童文学『ぼくのまっかな丸木舟』なみのトラウマである。
 だが今回の映画は、ストーリーは原作をなぞりながら、救いのある終わり方を迎える。
 エンドロールではMISIAが歌うクラシックな名曲「Smile」が流れる。バックコーラスは、石巻、仙台の子供達によるコーラス。
 そう、これは子供向けではけっしてなく、大人が観ても十分鑑賞に値する作品なのである。最近やたらと左翼のクルクルパーに好まれているスタジオジブリが鼻につく方、ぜひおすすめ。
 
 映画がおわり、館内の照明が照らされ、皆が帰り始める、
 前席には、髪の毛がめっちゃ茶色いコンビニ前にウンコ座りしているような男女のグループがいたのだが、女の子の方がいつまでもうつぶせになっている。泣いていて涙が止まらず、席を立てない様子だった。
 そんな映画である。

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ネパール女性クライマーが語る社会・男・セックス。

好色エロ爺クライマーの皆様こんにちわ。

やっぱネパールで入手できるエロ本つったら、インドから輸入の「Debonair」ですよね(遠い目)

あれ?
今はなにやらHimalmediaというネパールの出版社から、「WAVE」という国産のエロ・・もとい、男性雑誌が出版されているそうな。
Himalmediaのウェブサイトでは「青年向け雑誌」と紹介されてるけど・・・

W_2
表紙はどうみても男性雑誌でまんがな。

 で、ネパール通の山岳ジャーナリスト柏澄子さんも目を通すことはないであろう、ネパール国産 男 性 雑 誌 WAVEに、エベレスト登頂を果たしたネパール女性クライマーの座談会が掲載されました。

Women on top by WAVE2011年12月号

以下記事引用開始
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頂上の女性達

P1_2
 シャイリー・バスネット Shailee Basnet(コーディネーター) ビジネス情報システムとジャーナリズムを大学院で専攻、現在はHimalmediaのレポーターを務めています。彼女は普段の仕事の世界とは大きく異なる、登山とクライミングの肉体的・精神的にもチャレンジングな世界に興味を抱きました。

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 ニムドマ Nimdoma シェルパは、まだ高校在学中でありながら、エベレストに最年少登頂を果たした女性です。小柄な体にもかかわらず、登山の基本訓練コースで誰もが感心した素晴らしいクライマーです。彼女は個人の前面にある彼女自身の闘争がありました。彼女は第十学年の時に父親が亡くなりましたがそれでも勉学に励み、彼女は家族の中で初めて学校の卒業証書を受けました。しかし、彼女は周囲の女の子とは異なる運命をたどることを知っていました。サガルマータ女性登山隊を知ったとき、これが自分が待ち望んでいたものと感じたのです。彼女は2008年5月22日、17歳で世界の頂点に足跡を残しました。彼女はスポーツクライミングのナショナルチャンピオンでもあります。

P3
 マヤ・グルン マヤは、内戦で傷ついた子供時代を送りました。マヤは4年間にわたりボーリングのナショナルチャンピオンとして君臨し、様々な分野で自分を試してみましたが、実際には何もマヤを満足させることはありませんでした。彼女がエベレストに登るため、登山の基本訓練コースに参加するまでは。
 彼女はついに夢を果たし、28歳でグルン族として最初の女性登頂者となりました。さらに2008年10月10日には彼女の長年の夢として、スカイダイビングでエベレストに戻ってきました。マヤはコーディネーターとしてマナスル清掃登山隊を率い、またカラパタールで開催されたネパール政府の閣議に際しては会場のマネージャーを務めました。

P4
 プジャン・アルチャヤ  プジャンはドルカの人権活動家として働いていました。彼女は早くからスポーツに情熱を示し、彼女の村には女性の相手がおらず、男性とプレイしていました。熟練したバレーボール選手とマラソンランナーであるプジャン、25歳は、地区レベルでの競技会でいくつもの賞を受賞しています。しかし、それはヒマラヤ山麓・ロールワリンで育った彼女にとっては満足のゆくものではありませんでした。女性のアウトドアリーダー・トレーニングコースを修了し、2003年に最初の登山を経験しました。そして2008年5月22日にエベレスト登頂を果たします。彼女は同年10月17日にエベレスト山域でスカイダイビングを果たし、カラパタールで開催されたネパール政府の閣僚会議では会場のマネージャーとして関わりました。

P5
 ペマ・ディッキー・シェルパ 22歳のペマは、ドラカからカトマンズに移住して苦労を重ねた両親の下に生まれた三女の中の一人です。エベレスト遠征に参加する二年前、ゴサインクンドのトレッキングアシスタントの機会があり、さらに多くの登山経験を積み重ねたいと願っていました。彼女はチョモランマの頂上に立った時、その長年の夢を果たしました。彼女は教育を信仰し、教師になることを夢見てします。登山隊は自分の夢を信じるような大きな動機づけとなり、登山期間中に学んだ経験を共有し、様々な分野で教育同様の効果を果たしています。このプログラムによって、彼女の子供時代の夢は現実のものとなりました。

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 チュヌ・シュレスタ  カトマンズの貧しい家庭に生まれ、6年生になった時、家計を助けるために働き始めました。その苦しい家計にもかかわらず、彼女は高校を卒業、芸術の学士号を目指して勉強中です。彼女は2005年にSusmita Maskey(訳者注 United Nations World Food Program 国連世界食糧計画の職員で、数々のネパールヒマラヤ遠征を企画、登頂)の頂上の試みについて聞いたとき、彼女は彼女の家族を支援する可能性に触発されました。ネパール女性サガルマタ登山隊で彼女はアウトドアへの情熱を育み、27歳でエベレスト登頂を果たしました。

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 アシャ・クマリ・シン - 24歳の学生、アシャはマホッタン郡Meghrail、ダヌワル村出身。彼女は古くからの家父長制社会に生まれ、彼女の祖母は姉妹の中で彼女が最も醜い、誰とも結婚できず面倒もみてもらえないだろう、というのが彼女が教育を受けられた唯一の理由です。しかしアシャはテライ平原に生まれ、いつも高い山に興味がありました。彼女は高校進学のためカトマンズに移り、2004年にアンナプルナで開催された女性アウトドアリーダー・トレーニングコースに参加する機会を得た。彼女が登山を始めた背景には、慣習と否定論者への挑戦があるのです。

 対談が進むにつれ話題になるのは、現実としてエベレストのサミッターのほとんどは男性であるということです。多くのネパール人男性が登頂し、いくつもの世界記録を樹立しました。2006年まで、エベレスト登頂に成功したネパール人女性はわずか7名でした。
 10名の勇敢なネパール人女性の登山隊は、その驚異的な標高のために危険な山に挑戦を決めました。勇敢な彼女たちは自分たちの生命を危険にさらすにもかかわらず、2008年5月25日にエベレスト頂上にネパール国旗を立て、不屈の精神が報われたのです。

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 WAVE誌は、彼女たちに大胆なインタビューを試みました。

 エベレスト登山の背景にある、あなたがたの登山の主な理由は何ですか?

シャイリー:在学中、私はスポーツと無縁で非常に内向的で、自分の殻にこもっていました。後にジャーナリストとして働いていたときに、メディアを通じてエベレスト女性隊が計画されていることを知りました。すぐに世界最高峰を登る挑戦の時がきたと決断しました。

アシャ:テライ平原出身にもかかわらず、私はいつも山に登ることを夢みていました。それが実現不可能な夢だと思っていました。しかし女性隊の結成を知り、すぐにチームに加わったんです。

チュヌ:私は皆がアドベンチャースポーツについて知っている典型的なネワール族としてカトマンズで生まれました。雄大な山々に惹かれていた私はチャンスをねらっていましたが、世界の頂上をめざす初のネパール人女性隊結成を知り、その機会が来たと思いました。

ニムドマ:ずっとアドベンチャースポーツに恋こがれていしまた。それがクライミング、バンジージャンプ、キャニオニング、トレッキングに出かける理由です。しかし最終的には私はエベレストに登りたいと考えていました。初の女性エベレスト隊を知ったとき、もうそんな機会は二度と巡ってこないと知ってました。

 難しすぎるとか、あきらめようとか、感じたことはありますか?

シャイリー:特に紹介したいエピソードがあります。ベースキャンプ滞在中、ちょっとしたことで私は自分を蔑んでみていて、周囲の誰とも仲が良いとは思いませんでした。でもみんなが私のテントにやってきました。最後には冗談を言いあい、笑い、その時に苦労したこと全部が忘れられました。それは私にとって、強く楽しく、愛される女性は孤独で落胆したままではいられないとわかった瞬間です。

アーシャ:周囲には9人の強くて優秀な女の子たちがいて、すべての障害について考えあう時間がありました。
チュヌ:チームとして、私たちが困難な事態にもお互いを思いやっていましたので、そのようなネガティブな考えを持つことはなかったです。私たちは強すぎたので、どんな種類の問題にでも立ち向かうことができました。

 世界最高峰の頂はどんな感じ?

シャイリー:頂上に到達してから、私は自分の足を見ました。私がそれまでたどった人生をふりかえりました。その幸福感、喜びを表現するには、私のくちびるでは小さすぎるとも思いました。

アーシャ:エベレストは、地球上で最も背の高い人物であるかのように感じました。有頂天になって仲間達とダンスしていました。

チュヌ:私は頂上アタック隊の最後尾にいたので、とてもナーバスになり緊張していました。突然に頂上に到達し、そこでは「神」に近いような存在を身近に感じました。その感覚は、簡単に言葉では言い表せません。いつか、私の孫に伝えたい、天国といった感覚です。

ニムドマ:私は連続テレビドラマでみたような場面を感じていました。「ここは天国に違いない!」と自分に言い聞かせました。

 女性として私たちは、男性にときおり差別的な扱いを受けるのですが、女性の能力に常に懐疑的な男に対して、何か言いたいですか?

アシャ:一部の人々は私が山iを登る約ので懐疑的でした。バカとか、愚かとか、駄目とか。でも私は結果が全て答えてくれると考えていますので、それらの愚問に答える必要は感じません。

チュヌ:性的差別はどこにでも、農村、都市、私たちの地域や我々自身の家にもあふれています。その男たち(彼らは進歩的な女性を見たくない)に言いたいです。あなたの生活は女性の存在なしに成り立ちますか?と。

ニムドマ:女性が望むことをさせてください、この国が繁栄するのを見たければ、それを応援してくださいとお願いしたいです。

 エベレスト登頂は簡単なことではありません。エベレストの次は何ですか?あなたが達成したいことはありますか?

シャイリー: チームとして、より多くの山々に登りたいですね。それとは別個に、私は漫才についての執筆も続けたいと思っています。(訳者注 ネパールでは社会風刺の漫談・漫才が人気がある)

アーシャ:私は登山インストラクターになりたくて、それを目指して働いています。他には修士号を得て、社会福祉事業を立ち上げたいですね。

チュヌ:今、姉の仕事の手伝いをしています。私は山に登るのと同じくらい刺激的な事をするのが大好きです。

ニムドマ:現在、私はトレッキングガイドとして働き、クライミングも続けています。将来、アドベンチャースポーツでの私を見てください。

 あなたが一般のネパール人男性についての嫌いな三つのことを挙げてください。

シャイリー:私はネパールの男性を愛してます。本当に愛らしいと思いますよ。(笑)

アーシャ:飲み過ぎて、妻を殴る権利があると思う連中には悩まされます。公的な場所に唾を吐き、あたかも所有者であるかのように、公共交通機関で大きな態度をとる人が嫌いです。

チュヌ:女性を上から下まで眺め回す男とか、混雑した場所でさわってくる男とか。ののしったりするのがかっこいいと思ってる男が嫌いです。

ニムドマ:男性の支配的な行動が大嫌いです。公共交通機関で威張っている男も大嫌い。

 シャイリーを除いて、あなた方は未婚です。男の魅力として3つの資質は何ですか?

アシャ:謙虚で教養があり、知的なこと。

チュヌ:、支えてくれて、励ましてくれて、ルックスがいいこと。

ニムドマ:ユーモアがあって、背が高くて、愛情があること

 あなたが今、片思いしているのはどんな男?

シャイリー:Hari Bansha Acharyaさん(訳者注 ネパールの人気男優・コメディアン)は、愛すると共に尊敬しています。彼はスクリーンの中と外、両方でとても魅力的な人だと思います。

アーシャ:私はアクション俳優が好みです。ジャッキー・チェンは私のお気に入りで、Nima Rumba(訳者注 ネパールの人気アイドル歌手)も好きです。彼のホットでルックスのいいところに惹かれています。

チュヌ:私はシャールクカーン(訳者注 インドの映画スター)の信者です。

ニムドマ:私はラジュラマ(訳者注 ネパールの歌手)がすてきです。ミンマ・シェルパも好きなんですが、彼はもう結婚してますね。

 あなた方がエベレスト登頂に成功した後、男たちはあなたを違う風に見ていましたか?

シャイリー: そうですね。以前よりは私たちを尊敬してくれて、私たちの話も聞いてくれますね。

アシャ: 一部の男性は私たちを恐れて無関心を装ってたりしますね。

 婚前交渉について、あなたの見解はいかがですか?

シャイリー:お互いが安全にそれを行い、その結果にも準備ができているならば、私はOKだと思っています。その結果についてではなく、セックスすることについて話すことに、人々が興味を持っていることは残念です。

アシャ:精神的にも身体的にも、それが安全であるならば、結婚前のセックスは大きな問題ではないと思います。しかし常に妊娠、HIV/エイズとSTD(性感染症)について慎重でなければなりません。

チュヌ:お互いパートナー同士が準備ができている場合、誰かにとやかく言われる理由はありません。自分や相手に影響を及ぼさなければ、精神的に望むことをする自由があるはずです。

※他の3人のチームメンバーは、ネパールでの遠征登山やツアーに参加中です。
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以上引用終わり

 この記事でおわかりのように、
 ネパールの子供達は眼が輝いている!
 とか、
 ネパールの若者は勤勉だ!
 とか、
 やたらと持ち上げる、カネとヒマもてあましてネパールトレッキングに入れ込んでいる日本の爺がいますが、若者なんてネパールも日本も、どこの国も考えることいっしょだっつーの。
 好きな芸能人の話題とか、背が高くてユーモアのセンスがある男がいいとか・・・

 今年は日本のフツーのOLさんがお金を貯めて公募隊に参加してエベレスト登頂、が話題になりましたね。
 このWAVE誌インタビュー記事に取りあげられているネパール女性サミッターたちは、いわゆるシェルパ族だけではなく、フツーのネパール女性も含まれているところに大きな意味があります。

 それは、ネパールの若い女性たちにとって自分の夢とは、自分自身の生き方だけではなくネパール社会の古い慣習・男女差別といった社会構造と真っ正面に向かい合わなければならない、そしてエベレスト登頂がその手段の一つでもあることを示しています。

 日本ではあいかわらず池田常道老人に洗脳されて、ヒマラヤ登山は少人数の貧乏登山が一番エラいと思いこんでいる輩が多いようですが、公募登山や大人数のイベント登山によって、ネパールでは社会の荒波に向かう女性たちを輩出している、という点にも注目すべきでしょう。

 ちなみにこの記事に出てくるニムドマ・シェルパは以前に当ブログ下記記事でもとりあげています。

 学校給食とエベレスト・サミッターの素敵な関係 2009年9月15日

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郡山へ 【除染ボランティア体験記】12/13追記

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 福島に除染ボランティアに行く。
 今秋に決意していたことだった。
 
 東日本大震災後。
 山形・天童でモンベル義援隊の手伝い、宮城・岩沼で災害ボラ、岩手・陸前高田で仮設住宅のインフラ整備工事に従事。
 大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の三県すべてで活動したいと思っていた。

 夏も終わる頃、高校山岳部の先輩達と飲んだ。
 郡山在住の先輩は、マスコミに勤めている。
 震災では様々に想うところがあるらしい。
 詳細は語ってくれなかった(語ることができなかった)のだが、原発事故現場近くにいた者として、また放射線量の高い郡山に住む者として、悔やむこと、悔しいことがあるのだ・・・
 二軒目、ウイスキー専門のバーで、私は潮の香りが特徴のラフロイグをストレートで飲みながら、先輩の心に残る震災の傷跡を、うなずきながら聴くだけだった。

 秋も半ば。
 東北のヒマラヤ登山の研究会『北日本海外登山研究会』のお誘いハガキが来た。
 差出人は、私が尊敬する郡山在住の登山家である。
 日程があわず、お断りのメールを送ったところ、丁寧な返信メールを頂戴した。
 メールを拝読して、思わずマウスを握る手が止まった。
 『農業での作物が疑心暗鬼の中、食しております。』

 氏は古くから日本ヒマラヤ協会の遠征登山で活躍されたベテランのヒマラヤニストである。山だけでなく、ネパールやチベットの人々の暮らし・文化にも精通されている。
 世界の自然や文化を愛してきた氏が、自分の故郷・郡山で、疑心暗鬼で農作物を食べざるを得ないという言葉。その心痛は察するにあまりある。

 郡山在住の知人たちの苦悩に接し、福島へ、原発事故関連で何かアクションを起こしたいと決めた。
 それが除染ボランティアである。

 放射線というリスクに直面することに、ためらいは無い。
 リストラ寸前不良社員とはいえ、東京築地の移転予定先である某所やその他おおっぴらに書けない場所で、土壌汚染の現場で働いてきた。
 除染活動にボランティアが携わることに、かなり強い反発・批判がネット上に存在する。とくに郡山の除染に関しては、ボランティア反対のコピペがあちこちに蔓延しているようだ。
 だが自分の行動を決めるのは、自分の価値観による。
 
 秋、ネット環境の無くパソコンが使えない旅館に泊まり込みで出張生活が始まった。
 夜、相部屋で皆が寝静まった頃、携帯の小さい画面でネットにアクセスし、情報収集を続けた。
 初めは福島県が募集する除染ボランティアの存在を知った。社会福祉協議会にも問い合わせ、空き日程を確認、申し込みメールを送ったが何の音沙汰もない。
 しばらく日にちが経ってから、福島県のウェブサイトに「定員一杯、年内の募集はなし」のページが現れた。
 申し込み用のメールアドレスを公表しておきながら、メールを送ると何の反応も無く募集打ち切りという対応に疑問を感じ、他の受け入れ先を探す。
 そこで出会ったのが、市民団体「ふくしま除染委員会」滝田さんのブログ うつくしまふくしまクリーンアップ!である。

 あいかわらず土日が仕事で潰れる日が続いたが、12月11日の休みを確保、「ふくしま除染委員会」の滝田さんにコンタクトをとり、参加の意思を伝える。
 11日朝、郡山市内の滝田さん実家に集合。
 集まったメンバーは20名。
 二手に分かれ、一班は滝田さん宅付近で高圧噴射機の取り扱い実習を兼ねた除染、もう一班は農家の除染活動に別れることになった。私は後者を希望。

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配られた身分証。別紙に除染活動での許容被爆量計算式が掲載されている。

 滝田さん実家から車でしばらく移動した郡山市某所の農家が、本日の活動場所。
 ケルヒャーの高圧噴射機で舗装面を洗浄する班、セシウムが溜まりやすい落ち葉回収班、建物周辺の地面の剥ぎ取り班に分かれる。
 私は汚れ役の地面剥ぎ取り班を選ぶ。

 数時間前までは見知らぬ他人だった者同士が、今、共同作業に励む。
 ふくしま除染委員会を主宰する滝田さんはいかにも実直な感じの方、そして滝田さんの補佐役の大越さんは軽妙な語り口でムードメーカーを果たす。絶妙なコンビである。
 そんな方々同士で作業するため、除染ボラといっても悲壮感は無い。

 さて私が担当したのは、農家の作業小屋と石垣の間の狭い地面。
 その狭いスペースでクワやスコップを用いて地面を剥ぎ取る。
 剥ぎ取った土・石は土嚢袋に詰め込んでいく。
 そこは屋根の雨といから雨水が落ちる場所。
 すなわち、セシウム等放射性物質が多量に含まれる所である。
 作業前、滝田さんが線量計を持って放射線量をチェックしていくのだが、私がいる目の前の水路が高い値を示し、「気を付けてくださいね」と言われる。そこにスコップとクワを持って突っ込む。

 ひととおり剥ぎ取り作業が済んだと想われる頃、大越さんが線量計を地面にかざし、線量チェック。
 作業前は2~3μSvを示していた地面が、深く剥ぎ取った所では0コンマ未満の値を示す。
 薄く剥ぎ取ったところでは、まだ1.0μSv以上の値を示す。
 1.0未満になるまで、再び地面を削っていく。
 そんな作業を繰り返す。

 土を剥ぎ取る。
 だが放射性物質が染みこんだ土・水は容易に取り去ることはできない。
 大越さんの持つ線量計の数値は、あっというまに1μSvを超える。

 重ねていうが、私は除染ボランティア参加にためらいは無い。
 だが、目の前で数値が上昇する線量計を実際に目にして、初めて不安を覚えた。
 今、俺が相手にしている物質は何なのか?
 幾つもの土壌汚染の現場をそれなりに経験してきた自分なのに?
 理由はわかっていた。
 目に見えない放射線、目前の土に含まれるのか?水に含まれるのか?落ち葉なのか?
 だが気にしても仕方ない。 
 今までの経験を生かして、慎重に作業を進める。

 昼。
 まとめて買ってきてもらったコンビニ弁当を皆で食う。
 場所は農家の居間におじゃまさせてもらう。

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 嗚呼、福島の漬け物、ポテトサラダ、野菜サラダ、具沢山の豚汁をご馳走になる。
 デザート代わりに出された梅の実の焼酎漬(2年物)が美味でした。
 昼食の間の話題は、すべて放射線量や測定機器の話題。
 なにより、地元福島の皆さんは凄い勉強量であることが伺えた。

 午後もひたすら地面の剥ぎ取り・落ち葉の回収作業。
 本日は天候は小雨、日没前の4時前に作業終了。作業後の線量チェックに時間がかかり、現場退出は17時頃となった。日没後は一気に冷える。

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 作業後、道具の洗浄。

 本日の成果

 高圧噴射機による洗浄箇所
  洗浄前9000Bq/m2(平米) → 洗浄後5500Bq/m2

落ち葉・表土採取
  地点A 作業前5μSv → 作業後1.5μSv
  地点B 作業前2.3μSv → 作業後0.7μSv

 作業従事者(私)の推定被曝量
  午前中0.8μSv × 2h + 0.6μSv × 2h = 2.8μSv(移動に伴う被曝および内部被曝は含まず)

 もうすっかり暗くなり、作業現場から私の車を駐車している滝田さんの実家まで、滝田さんの車に便乗する。
 ふとしたことから山形の話題になる。
 滝田さんの御親族で山形県内に避難されている方がいらっしゃるという。
 そんな状況下で、郡山に居続け、除染活動を展開する滝田さん。
 当ブログにコメントを寄せてくださるドイツ在住のpfaelzerwein様の言葉、
 「離れること無しに留まることを選択した人たちを忘れてはいけません」
 その言葉の意味を、あらためて考えさせられる。

 滝田さん実家に戻り、解散。
 私は自分の車に乗り込み、東北自動車道で山形に戻る。

 郡山から高速道経由で、車で2時間。自宅に戻る。
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 うちの小坊主は、もう布団の中で寝ていた。
 
 2011年12月現在、山形県内には福島から約13000人が避難している。
 家族と別れ、旦那は福島に残り、母子が山形に避難しているケースが多いと聞く。
 車でわずか2時間の距離を、放射線という見えない存在が人々を分かつ。

 自分の家、子供達の寝顔を眺め、何気ない「普通」の「日常」がいかに幸せなものか。
 今回の大震災で、いかに多くの人々がそのことを気づかされたことだろう。
 除染ボランティアから帰った夜。
 同じ屋根の下で子供の寝顔が見られるという「日常」のありがたさを、私も思い知ることになる。

 
 最後に、「ふくしま除染委員会」滝田様、スタッフの皆様、常連メンバーの皆様、12月11日にご一緒した皆様、お疲れ様、そしてありがとうございました。

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2011年12月13日 追記
 今回の作業に取材を兼ねて参加された酒井様による記事が掲載されました。

 除染作業 高い障壁 by 読売新聞 群馬版 2011年12月13日

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Uruca (7º VIIIc E4)

 このアニメーションはブラジル出身のerick grigorovskiによって2008年に制作され、翌年には日本でも某クライミングビデオ専門サイトで紹介されていました。
 今回初めて拝見したのですが、わずか8分間のショートストーリーに、クライミングそしてクライマーの心情がよく表されていると強く感じましたので、ここで紹介します。

Uruca (7º VIIIc E4) from Erick Grigorovski on Vimeo.

 この短編アニメーションは、山岳映画祭関係だけでも、

 第5回シェフィールド・アドベンチャーフィルムフェスティバル ベストショートフィルム
 第9回バンクーバー国際山岳映画祭 クライミングベストフィルム
 第8回国際山岳映画祭 ベストピクチャー・ベストディレクター
 ブラジル・アドベンチャー・ツーリズム映画祭 ベストディレクター
 
 など数々の賞に輝き、山岳映画祭以外の祭典でも多数出品されています。
 それだけ、世界中の多くのクライマーの心を捉えたのでしょう。

 タイトルの「Uruca」はブラジル、リオデジャネイロにある岩場 Sugar Loafでも困難とされるルートの名前。
 ストーリーはアニメーターであるerick grigorovskiの友人から聞いたエピソードが原案になっているそうです。

 ちなみに私は大昔、合宿で登った滝谷・クラック尾根でセミになった(えーえー、どうせわたしゃクライミングは嫌いでへたくそですよ~)自分を思い出しましたヽ(´▽`)/

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テレビCMに見る、韓国社会における『アウトドア』普及度

本日は早く帰宅できたのでブログ更新。

 2005年から韓国国内の消費者を対象に、テレビCMとCMモデルの調査を続けている韓国CM戦略研究所の調査結果が発表されました。

 ブラックヤク チョ・インソンのヒマラヤCM好感度第1位 by アジア経済2010.12.6

 以下記事引用開始
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 韓国CM戦略研究所が11月に調査したアウトドアブランド広告において、ブラックヤクがもっとも高い好感度を示し、「チョ・インソン」効果を立証した。
 次にビッグバンがモデルとして登場したノースフェイス、イ・ミンジョンとイ・スンギが登場したコーロンスポーツが続いた。

 9月 1日に初めて公開されたブラックヤクTVCMは、「オリジナルを捜し求めてヒマラヤを訪れたチョ・インソン」というコンセプトを示すため、チョ・インソンも都会的なハンサムなイメージを捨て、自然人そのままの姿をよく見せてくれたという評価を受けている。

 ヒマラヤの標高3400m以上の場所でのみ見られるというブラックヤクとの遭遇、険しい谷の川に入り、壊れた丸木橋を修理する場面など撮影しにくいシーンにもかかわらず、チョ・インソンは直接冷たいヒマラヤ山中の沢に入って行くなど撮影意志を燃やしながら、実感の出る映像を完成させた。

『私を捨てた瞬間、ヒマラヤに会った。私を越えた瞬間、ブラックヤクになった。』
と言うナレーションも、チョ・インソンが直接に感動を与えた。

 パク・ヨンハク ブラックヤクマーケティング本部理事は「チョ・インソンによる積極的なロケのおかげで、ヒマラヤンオリジナルというブランド、アイデンティティーをさらにリアルに表現でき、消費者たちに一番好感度の高い広告として選ばれたようだ」 と、直接ヒマラヤで撮影した情熱がCMを視る方々に感動として伝わることを期待すると語った。

 今回、広告好感度の調査を行った韓国CM戦略研究所は、2005年から毎月 1200人の消費者を対象に、もっとも好むTVCM及び広告モデルに対する調査を実施している。

アジア経済 パク・ソヨン記者
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 さて、テキストファイルだけではピンとこない方、韓流に狂ってる中高年女性登山者の皆様方のため、以下に韓国アウトドアメーカーCM動画、ベスト3を掲載します。

好感度第1位 ブラックヤク(出演 チョ・インソン)

好感度第2位 ノースフェイス(出演 ビッグバン)

好感度第3位 コーロンスポーツ(出演 イ・ミンジョン、イ・スンギ)

当ブログでは韓国のアウトドアメーカー広告に関する記事としては、既に次のような記事を掲載しています。

モンベル・コリアの露骨な宣伝戦略 2011.1.21

 個人的な経験としては、韓国の登山学校に通うためソウルに滞在中、宿でテレビを見ていたらテレビショッピングでトレッキングシューズを通信販売していたのを視てビックリしたものでした。
 上記に掲載した動画のように、韓国では売れっ子俳優・タレントがアウトドアメーカーのテレビCMに出演、韓国社会における登山・アウトドアの認知度などと、くどくど細かい説明はもはや不要でしょう。
 見方を変えれば、企業にこれだけの宣伝戦略を促すほどの市場が韓国には存在するということです。

 ブラックヤクのCM、ネパールトレッキングを舞台に、テーマはあくまでも自然の中で自分を見つめるという内省的なテーマに、日本人ながら私も好感を持ちますね。
 俳優やタレントのカッコ良さよりも、自然の中で「人間」を引き立てる。
 そんなアウトドアメーカーのテレビCMが日本のテレビに登場するのは、中高年やら山ザルやらがブームと言われている割には、どれほど先になるのでしょうか。

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ピオレドール・ロシア&スチール・エンジェル、そしてクリスタルピーク受賞者たち

続けてロシアネタ。

 先の『クリスタルピーク』の他に、ロシア山岳連盟が主宰するアワードが『ピオレドール・ロシア』、そして優れたクライミングを展開した女性に贈られる『Steel Angel』(鋼の天使)。

 ピオレドール・ロシアは皆様おなじみのピオレドール同様、金色のピッケルですが、『Steel Angel』はアックスのピックに天使の輪を組み合わせた洒落たデザインのトロフィー。
Sa

 これらの賞にノミネートされたクライミングから紹介します。
 先日紹介したクリスタルピークとかぶっていますので、画像は割愛。

◎ピオレドール・ロシアにノミネートされたクライミング
  1. ラトックIII峰, 6940 m,パキスタン
2. シャークス・トゥース, 1555 m, グリーンランド
3. トランゴ・ネームレスタワー, 6251 m, パキスタン
4. ウシュバ南峰南西壁, 4710 m, グルジア
5. グレート・トランゴ, 6286 m, パキスタン
6. Grossvenor, 6376 m, 中国

6.のGrossvenorは、かのGIRIGIRI BOYSも狙って果たせなかったエドガー東壁にトライしたロシアチームが、やはり悪天に阻まれ、転進したものです。

◎スチール・エンジェルにノミネートされたクライミング
 こちらは画像付きで紹介します。

1. ナタリヤ・プリレプスカヤ、マリナ・ネチャーエフによるアサン西壁ポゴレロフ・ルート 6A
Pp1

2.マリア・ヒティリコバによるガッシャブルム1、2峰連続登山
Pp2

3.スヴェトラーナ・スマキーナ、アナスタシア・コヴァレバ、ダリア・トポルコバによるアサン西壁ポゴレロフルート 6A
Pp3

4.マリナ・コプティバ、アンナ・ヤシンスカヤ、ガリーナ・シビトークによるグレートトランゴ「パラレルワールド」初登
※画像は割愛

そして二つの賞の結果は・・・
Pr

 2011年ピオレドール・ロシアは、グレートトランゴ「パラレルワールド」開拓初登を果たしたマリナ、アンナ、ガリーナに決定。同賞初の女性受賞者です。
 2011年スチール・エンジェルは、アサン西壁のナタリヤ、マリナ組。
 オーディエンス賞(一般からの投票による)は、グリーンランドのシャークス・トゥースを登ったアレクサンダー・ルチキンとミハイル・ミハイロフが受賞しました。

 一方、先に紹介した2011年クリスタルピーク。
 デニス・ウルブコによる一連の素晴らしい冬季登頂、アルパインクライミングが選ばれるのではないかと当ブログをご覧の方は予想されたかもしれません。
 今年選ばれたのは、GⅡ冬季登頂やトランゴのビッグウォールクライミングをおさえて、未踏の冬季パミールを踏破したソ連将校峰・革命峰を登ったセルゲイ・ロマネンコらに決定しました。
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 おそらくロクソノ誌では紹介されない記録ですので、動画をどうぞ↓

 例年のような、ビッグウォールにウエイトを置いた選定ではなく、未踏、そして水平と垂直の冒険に賞が与えられたのは、個人的に嬉しい気がします。

 さて、先のクリスタルピークと併せ「賞が乱立してるのではないか?」と思う方、実はロシアのネット上でも、受賞者の選定方法や基準にかなり疑問の声があがっています。
 特に今年はグレートトランゴを登ったマリナ・コプティバらがピオレドール・ロシアのみにとどまったこと、これに対してクリスタルピークやスチール・エンジェルに対する審査基準に対して特に風当たりが強いようです。

 そのせいでしょうか、先にリンクしたロシア山岳連盟のニュースサイトでは、わざわざ審査員直筆による採点表の画像が掲載されています。

 乱立する賞そのものについては、やはり審査基準が厳しく問われることになるでしょう。
 しかし登山やクライミングに対する価値観は唯一ではないわけで(このあたり頭の固い糞爺クライマーが日本には多すぎるようですが)、ロシアの登山・クライミング関係者がこれらのアワードをどのように発展させるのか、もしくは衰退させるのか、あと何年かは興味深く見届けたいと思います。

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妻よ君にだけは

映画『北壁に舞う』主題歌、『妻よ君にだけは』 唄・町田義人

 映画『K2 白き氷河の果てに』で上条恒彦が歌った挿入歌(うちの山岳部のOBに評判がいい)を探しているうちにたまたま見つけました。
 長谷川恒男氏にはさほど思い入れもありませんし、映画『北壁に舞う』もあまり印象に残ってないのですが、歌詞はさすが阿久悠氏ですね。山やってる人ならぐっとくると思います。
 

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ロシア・クリスタルピーク2011

 ロシアおよび旧ソ連圏のクライマーらによる素晴らしいクライミングを選定するアワード『クリスタルピーク』。
 2011年にノミネートされたのは、以下に掲載するクライミングです。

 過去にノミネートされたクライミングを振り返りますと、圧倒的にビッグウォールクライミングが多く、ロシア人クライマーの価値観の一端が垣間見えるようですが、今年2011年にノミネートされたクライミングの特徴は、いわゆるスーパーアルパイン、遠征登山が多いことが特徴です。
 以下、2011年にクリスタルピークにノミネートされたクライミングの数々です。
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1.トランゴ・ネームレスタワー「No fear」初登 ビクター・ボロディン、ドミトリー・ゴロフチェンコ、セルゲイ・ニーロフ、アレクサンダー・ユーリキン 6B、 約1000m
P1
 
2.ハン・テングリ南東稜 ウラジミール・ペリスキー、アレクセイ・イワノフ 5A
P2

3.アクスウ北壁 フリー化 セルゲイ・ネフェドフ、アンドレイ・ネフェドフ 1500m 7B
P3

4.ポベーダ北壁 ゲンナジ・デュロフ、デニス・ウルブコ 6B M5
P4

5.シャークス・トゥース(グリーンランド) アレクサンダー・ルチキン、ミハイル・ミハイロフ 1200m 6A A2
P5

6.ソ連将校峰(6233m, 3B)、革命峰(6940m, 3B~5A)冬季初登 (中央パミール) セルゲイ・ロマネンコ、ミカエル・アラバジ、ドミトリィー・プロフィ、イゴール・バヨネット
P6

7.K2北西稜ジャパニーズルート 国際隊として Maxut Zhumayev、Vassily Pivtsovらが参加、オーストリアのガリンダ・カルテンブルナーとダレク・ザルスキーが登頂
P7

8.ウシュバ南峰 南西壁 ED、VI +、5C、A3 A. Moshnikov(1986)ルートの第2登、冬季初登
P8

9.ガッシャブルム2峰冬季初登 シモーネ・モロー、デニス・ウルブコ、コリー・リチャーズ
P9

10.プルジェワルスキー西壁 デニス・ウルブコ、ボリス・デデシュコ 6A
P11

11.グレート・トランゴ北西壁「パラレルワールド」 初登(VI +、7b、A3)2000m マリナ・コプティバ、ガリーナ・シビトーク、アンナ・ヤシンスカヤ
P12

12.ラトックⅢ峰南西壁ロシアンルート アレクサンダー・オディントフ、エフゲニー・ドミトリエンコ、アレクセイ・ルチンスキー、イヴァン・レイン
P13
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 この『クリスタルピーク』アワードはロシアの山岳雑誌が主宰していますが、今年はアディダスがメインスポンサーとして金銭的に支援しています。5.10の買収といい、クライミング関連に力を注いでるんでしょうか?

過去の『クリスタルピーク』に関する当ブログの記事

ロシア・クリスタルピーク2010

ロシア・『クリスタルピーク2008』

※2009年は面倒くさかったので書いてません(^-^;

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