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郡山へ 【除染ボランティア体験記】12/13追記

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 福島に除染ボランティアに行く。
 今秋に決意していたことだった。
 
 東日本大震災後。
 山形・天童でモンベル義援隊の手伝い、宮城・岩沼で災害ボラ、岩手・陸前高田で仮設住宅のインフラ整備工事に従事。
 大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の三県すべてで活動したいと思っていた。

 夏も終わる頃、高校山岳部の先輩達と飲んだ。
 郡山在住の先輩は、マスコミに勤めている。
 震災では様々に想うところがあるらしい。
 詳細は語ってくれなかった(語ることができなかった)のだが、原発事故現場近くにいた者として、また放射線量の高い郡山に住む者として、悔やむこと、悔しいことがあるのだ・・・
 二軒目、ウイスキー専門のバーで、私は潮の香りが特徴のラフロイグをストレートで飲みながら、先輩の心に残る震災の傷跡を、うなずきながら聴くだけだった。

 秋も半ば。
 東北のヒマラヤ登山の研究会『北日本海外登山研究会』のお誘いハガキが来た。
 差出人は、私が尊敬する郡山在住の登山家である。
 日程があわず、お断りのメールを送ったところ、丁寧な返信メールを頂戴した。
 メールを拝読して、思わずマウスを握る手が止まった。
 『農業での作物が疑心暗鬼の中、食しております。』

 氏は古くから日本ヒマラヤ協会の遠征登山で活躍されたベテランのヒマラヤニストである。山だけでなく、ネパールやチベットの人々の暮らし・文化にも精通されている。
 世界の自然や文化を愛してきた氏が、自分の故郷・郡山で、疑心暗鬼で農作物を食べざるを得ないという言葉。その心痛は察するにあまりある。

 郡山在住の知人たちの苦悩に接し、福島へ、原発事故関連で何かアクションを起こしたいと決めた。
 それが除染ボランティアである。

 放射線というリスクに直面することに、ためらいは無い。
 リストラ寸前不良社員とはいえ、東京築地の移転予定先である某所やその他おおっぴらに書けない場所で、土壌汚染の現場で働いてきた。
 除染活動にボランティアが携わることに、かなり強い反発・批判がネット上に存在する。とくに郡山の除染に関しては、ボランティア反対のコピペがあちこちに蔓延しているようだ。
 だが自分の行動を決めるのは、自分の価値観による。
 
 秋、ネット環境の無くパソコンが使えない旅館に泊まり込みで出張生活が始まった。
 夜、相部屋で皆が寝静まった頃、携帯の小さい画面でネットにアクセスし、情報収集を続けた。
 初めは福島県が募集する除染ボランティアの存在を知った。社会福祉協議会にも問い合わせ、空き日程を確認、申し込みメールを送ったが何の音沙汰もない。
 しばらく日にちが経ってから、福島県のウェブサイトに「定員一杯、年内の募集はなし」のページが現れた。
 申し込み用のメールアドレスを公表しておきながら、メールを送ると何の反応も無く募集打ち切りという対応に疑問を感じ、他の受け入れ先を探す。
 そこで出会ったのが、市民団体「ふくしま除染委員会」滝田さんのブログ うつくしまふくしまクリーンアップ!である。

 あいかわらず土日が仕事で潰れる日が続いたが、12月11日の休みを確保、「ふくしま除染委員会」の滝田さんにコンタクトをとり、参加の意思を伝える。
 11日朝、郡山市内の滝田さん実家に集合。
 集まったメンバーは20名。
 二手に分かれ、一班は滝田さん宅付近で高圧噴射機の取り扱い実習を兼ねた除染、もう一班は農家の除染活動に別れることになった。私は後者を希望。

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配られた身分証。別紙に除染活動での許容被爆量計算式が掲載されている。

 滝田さん実家から車でしばらく移動した郡山市某所の農家が、本日の活動場所。
 ケルヒャーの高圧噴射機で舗装面を洗浄する班、セシウムが溜まりやすい落ち葉回収班、建物周辺の地面の剥ぎ取り班に分かれる。
 私は汚れ役の地面剥ぎ取り班を選ぶ。

 数時間前までは見知らぬ他人だった者同士が、今、共同作業に励む。
 ふくしま除染委員会を主宰する滝田さんはいかにも実直な感じの方、そして滝田さんの補佐役の大越さんは軽妙な語り口でムードメーカーを果たす。絶妙なコンビである。
 そんな方々同士で作業するため、除染ボラといっても悲壮感は無い。

 さて私が担当したのは、農家の作業小屋と石垣の間の狭い地面。
 その狭いスペースでクワやスコップを用いて地面を剥ぎ取る。
 剥ぎ取った土・石は土嚢袋に詰め込んでいく。
 そこは屋根の雨といから雨水が落ちる場所。
 すなわち、セシウム等放射性物質が多量に含まれる所である。
 作業前、滝田さんが線量計を持って放射線量をチェックしていくのだが、私がいる目の前の水路が高い値を示し、「気を付けてくださいね」と言われる。そこにスコップとクワを持って突っ込む。

 ひととおり剥ぎ取り作業が済んだと想われる頃、大越さんが線量計を地面にかざし、線量チェック。
 作業前は2~3μSvを示していた地面が、深く剥ぎ取った所では0コンマ未満の値を示す。
 薄く剥ぎ取ったところでは、まだ1.0μSv以上の値を示す。
 1.0未満になるまで、再び地面を削っていく。
 そんな作業を繰り返す。

 土を剥ぎ取る。
 だが放射性物質が染みこんだ土・水は容易に取り去ることはできない。
 大越さんの持つ線量計の数値は、あっというまに1μSvを超える。

 重ねていうが、私は除染ボランティア参加にためらいは無い。
 だが、目の前で数値が上昇する線量計を実際に目にして、初めて不安を覚えた。
 今、俺が相手にしている物質は何なのか?
 幾つもの土壌汚染の現場をそれなりに経験してきた自分なのに?
 理由はわかっていた。
 目に見えない放射線、目前の土に含まれるのか?水に含まれるのか?落ち葉なのか?
 だが気にしても仕方ない。 
 今までの経験を生かして、慎重に作業を進める。

 昼。
 まとめて買ってきてもらったコンビニ弁当を皆で食う。
 場所は農家の居間におじゃまさせてもらう。

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 嗚呼、福島の漬け物、ポテトサラダ、野菜サラダ、具沢山の豚汁をご馳走になる。
 デザート代わりに出された梅の実の焼酎漬(2年物)が美味でした。
 昼食の間の話題は、すべて放射線量や測定機器の話題。
 なにより、地元福島の皆さんは凄い勉強量であることが伺えた。

 午後もひたすら地面の剥ぎ取り・落ち葉の回収作業。
 本日は天候は小雨、日没前の4時前に作業終了。作業後の線量チェックに時間がかかり、現場退出は17時頃となった。日没後は一気に冷える。

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 作業後、道具の洗浄。

 本日の成果

 高圧噴射機による洗浄箇所
  洗浄前9000Bq/m2(平米) → 洗浄後5500Bq/m2

落ち葉・表土採取
  地点A 作業前5μSv → 作業後1.5μSv
  地点B 作業前2.3μSv → 作業後0.7μSv

 作業従事者(私)の推定被曝量
  午前中0.8μSv × 2h + 0.6μSv × 2h = 2.8μSv(移動に伴う被曝および内部被曝は含まず)

 もうすっかり暗くなり、作業現場から私の車を駐車している滝田さんの実家まで、滝田さんの車に便乗する。
 ふとしたことから山形の話題になる。
 滝田さんの御親族で山形県内に避難されている方がいらっしゃるという。
 そんな状況下で、郡山に居続け、除染活動を展開する滝田さん。
 当ブログにコメントを寄せてくださるドイツ在住のpfaelzerwein様の言葉、
 「離れること無しに留まることを選択した人たちを忘れてはいけません」
 その言葉の意味を、あらためて考えさせられる。

 滝田さん実家に戻り、解散。
 私は自分の車に乗り込み、東北自動車道で山形に戻る。

 郡山から高速道経由で、車で2時間。自宅に戻る。
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 うちの小坊主は、もう布団の中で寝ていた。
 
 2011年12月現在、山形県内には福島から約13000人が避難している。
 家族と別れ、旦那は福島に残り、母子が山形に避難しているケースが多いと聞く。
 車でわずか2時間の距離を、放射線という見えない存在が人々を分かつ。

 自分の家、子供達の寝顔を眺め、何気ない「普通」の「日常」がいかに幸せなものか。
 今回の大震災で、いかに多くの人々がそのことを気づかされたことだろう。
 除染ボランティアから帰った夜。
 同じ屋根の下で子供の寝顔が見られるという「日常」のありがたさを、私も思い知ることになる。

 
 最後に、「ふくしま除染委員会」滝田様、スタッフの皆様、常連メンバーの皆様、12月11日にご一緒した皆様、お疲れ様、そしてありがとうございました。

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2011年12月13日 追記
 今回の作業に取材を兼ねて参加された酒井様による記事が掲載されました。

 除染作業 高い障壁 by 読売新聞 群馬版 2011年12月13日

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東日本大震災」カテゴリの記事

コメント

どうもご苦労様でした。家に帰られてほっとされたことでしょう。阪神大震災のときでさえ、谷も何も無い大阪と神戸の間では大きな意識の差が生じたと聞きました。今回は偶々山を隔てて大きな汚染の差が生じましたが、一方にとっては全くの幸運でしかなかったのです。

「薄く剥ぎ取ったところでは、まだ1.0μSv以上の値」 - 時期によっても、場所によっても、土壌の質によっても異なるでしょうが、深さ五センチぐらいが目安でしょうか?

こうして苦悩の現実が伝えられるだけでも大きな支援になると思います。

投稿: pfaelzerwein | 2011.12.12 12:55

re:pfaelzerwein様

<<どうもご苦労様でした。家に帰られてほっとされたことでしょう。

 ありがとうございます。
 それまで経験した「被災地」と異なり、何も変わらない普通の街での活動でした。
 記事には書きませんでしたが、この日は郡山市の町内会でも一斉に除染作業が行われた日でした。
 暗い雨の朝、街のあちこちでビニール合羽姿の人々が高圧噴射機を道路に向けている光景は、よそ者の私にも福島の現実を知らされる光景でした。

<<深さ五センチぐらいが目安でしょうか?

 特に掘る深さは決まっておらず、今回の作業では1.0μSv未満の値を目標に、線量計で確認を重ねながら掘削作業を繰り返しました。
 セシウムが沈着しやすい雨水が集中する軒下などは、最初から20cm位をめどに深く土を除去していきました。
 ご存じかもしれませんが、現在問題でもあり批判の対象となっているのは、こうした除去した土の保管場所・処理施設が全くめどがたっていないことです。今回の作業依頼者は農家で比較的広い土地があり、除去した土の保管が可能だったのですが・・・。

<<こうして苦悩の現実が伝えられるだけでも大きな支援になると思います。

 大変恐縮です。
 ネット上では除染活動に対して非常に多くの批判が見受けられますが、それらの批判と異なり、除染活動を必要とする地元の方々の声、感情を私自身も知ることができました。
 賛否の議論は続くでしょうが、除染という行為が今後も必要とされると思います。

 さらに問題を複雑にするのが「東北の冬」でして、路面凍結の恐れがある冬季は、水による洗浄もできなくなり、今回お世話になった「ふくしま除染委員会」の活動も12月中旬で一端終了、来春以降は状況をみて活動再開と聞いております。相当の長期化を、覚悟しています。

<<一方にとっては全くの幸運でしかなかったのです。
 そうなんですね。
 私の住む山形は奥羽山脈のおかげで汚染が食い止められた形になっています。東北自動車道を走りながら、「運」ということについて考えさせられました。

 その「運」を無駄に使い果たすのか、生かすのか・・・今後も自身に問い続けなければならないようです。

投稿: 聖母峰 | 2011.12.13 23:22

聖母峰様、除染作業お疲れさまです。

私が勤める東京の学校でも僅かな放射線量に過剰反応する方たちからの要望により除染作業が話題になりました。

素朴な疑問なのですが、高圧洗浄に使われた排水は洗浄した放射能を抱えてどこに流れていくのでしょうかね。下水処理場に放射能を除去するフィルターがあるのかな。

それと、今も福島第一原発から放射能が漏れているとしたら、いくら除染しても、雨風が吹くたびに何度も汚染されるのではと思ってしまいます。

あるいは洗浄に使われた水が流れ込んだ海から上がった水蒸気が雨となって循環するのではないかとか。

除染って、目の前から取り除くことであって、一旦放出されてしまった放射線をなくすことではないんですよね。

被災地の近くで本当に高い線量を記録している場所はそれどころではないのだと思いますが、東京あたりで僅かな放射線量に騒いで除染だというのがなんか引っかかってしまいます。

投稿: BOKUWAKUMA | 2011.12.14 16:18

re:BOKUWAKUMA様
 コメントありがとうございます。

 親御さんから学生を預かり学校をマネジメントする立場では、原発事故に伴う一連の放射線問題も、かなり悩ましいのではとお察し致します。

<<素朴な疑問なのですが、
 ご質問の件ですが、都市部では下水施設、下水施設から離れた農村などでは近傍の河川に流出することになるでしょう。
 この点は、除染に批判的な方々から槍玉にあがっている訳ですが。
 既存の下水処理施設には放射線を除去する設備も機能も無いと思われます。汚泥として撤去・処理することになると思います。

<<いくら除染しても、雨風が吹くたびに

<<除染って、目の前から取り除くことであって、

 ご指摘のとおりです。
 今回作業させていただいた家の方も、今回の除染が全てではなく、幾度か回数を重ねて、という事を仰っていました。
 「除染は移染である」という批判もネット上で見受けられますが、私もそのとおりだと思います。
 福島の幼稚園では、放射線量を考慮して外遊びに時間制限が設けられている事態になっています。これらの現状を考えれば、「移染」でさえもやむをえない、と私は考えています。

<<東京あたりで僅かな放射線量に騒いで除染だというのがなんか引っかかってしまいます。

 私も土壌汚染の調査などに関わり、発ガン性物質などを含む土地で仕事をしてまいりましたが、そんな自分でも場所によって上昇する線量計の数値に正直、不安を覚えたのも事実です。
 今後、決して低くはない放射線量と共存していかなければならない現実があるのですが、なかなかそういった事を受け入れられない方もおられるでしょう。

 今回ボランティア作業に参加して、あらためて私自身の放射線に対する知識不足も思い知ったのですが、情報の選択と冷静な判断も問われるのだな、と感じています。

投稿: 聖母峰 | 2011.12.14 22:44

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