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切断された十字架 山にとって、宗教は何なのか?

山岳国スイスで、無神論者の山岳ガイドが山頂の十字架を破壊する、という事件が起きました。

 この事件は昨年春に発覚、今秋ロシアのクライミングサイトにて、スイス在住ロシア人向けメディアの記事を読み知りました。
 後述しますが、山頂の地権を神社が所有する月山の山岳ガイドとして、この事件はずっと気になっておりました。
 私はこの十字架破壊事件は「自然」と「人」との関係に関わる重大な事件だと感じたのですが、英語圏メディアに拡散することもなく、仏語・独語圏メディアの中で収束してしまったようです。
 時間は経過しましたが、あらためてここに紹介します。

P1
山頂の十字架を破壊し逮捕されたスイスの山岳ガイドPatrick Bussard (パトリック・バサール)

P2
2009年秋に破壊されたVanil Noir山の十字架

P3
2010年2月に破壊・切断されたMerlas山の十字架

Швейцарский альпинист разрушает кресты by nashagazeta.ch2011.10.19
(スイスのクライマー、十字架を破壊)

 去る2009年10月、スイスのVanil Noir(2389m) の十字架が破壊され、さらに2010年2月にはMerlas山頂の十字架が切断・破壊されているのが発見されました。
 犯行推定時間が夜間の山中であることから、現地地形・登山に慣れた者の犯行と考えられていましたが、地元警察はスイスの山岳ガイド、Patrick Bussard(パトリック・バサール) 48歳を逮捕しました。
 スイスのジュネーブで生まれ育ち、五年前に事件の舞台となったグリュイエールに移り住んだ彼は、歴史上の紛争・虐殺に宗教が深く関わっていると考える無神論者でした。

 あるフランスのメディアにパトリック・バサールの拘束前のインタビュー記事があったのですが、残念ながら現在リンク切れ・削除されて読めません。
 保存しておいた粗訳のテキストから、パトリック・バサールの発言要旨を以下に記載します。
----------------------------
A=パトリック、Q=インタビュアー

A.私はその行為におよぶ前に、長い時間をかけて考えました。私は象徴としての十字架について議論を投げかけたかったのです。
 十字架は磔、死、キリストの苦痛を表し、私は好きではありません。十字架の破壊という行為によって私はタブーを破り、人々に議論を促したかったのです。
 人々が考える愛と平和とは裏腹に、宗教が数多くの問題の原点でもあることも認めるべきです。

Q.しかし、あなたが冒涜した十字架は、人々の障害とはなっていませんが?

A.教会は、私の考えでは「自由の場所」でなければならない山頂に十字架を立てています。人々は、この十字架がそこに立つ理由があるかどうか、考えなければなりません。
私は教会やローマ法王を尊敬しています。今はカトリック教会に退会を求めました。

Q.議論をうながすためには、十字架をノコギリで切る以外にも方法があると思いますが?

A.今日、私がうけたインタビューの回数を思えば、私は議論をうながすことに成功したと思っています。

Q.あなたは自分の行為を悔いていますか?

A.いいえ、全く。ただ、私が傷つけた、もしくは悲しませた全ての人々には、謝罪します。 人々を傷つけ悲しませることが目的ではありません。
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 事件後、当然地元の信仰厚い人々を中心に怒りの声が沸きましたが、問題となったのは、損害賠償を請求するとして金額はどれほどになるのか?請求権は誰になるのか?ということ。
 新聞記事では、検察は十字架の修理に要した2000フラン、作業員20名の人件費を計上しています。
 また逮捕されたパトリック・バサールは、前科もないことから執行猶予付きの判決が予想されています。
 地元グリュイエール山岳会はパトリック・バサールの除名を検討、報道では「山岳ガイド」と報道されていますが、スイスの山岳ガイド組織の対応については不明です。
 上記記事にあるように、十字架破壊という行為に及んだパトリック・バサールは自らの行為に関して全く「悪意」を認めておらず、確信犯として、むしろ人々に議論をうながすことに成功したと考えているようです。

 この記事を知る前、たまたま私は当ブログで次のような記事を掲載しました。
 
月山とカネの、切っても切れない関係。2011.8.15

 神社が地権を所有する月山頂上について、歴史上、古くから月山参拝では拝観料の他、様々にお金がかかっていたこと、神社拝観料には今年は『卯歳御縁年』だから絵はがき・お守りもついてますよ~と軽い気持ちで書いた記事でした。
 この記事に対し、ツイッターで「古くから(神社が)あるというだけで金を取るというのは納得できない」という意見を表明された方がいらっしゃいました。
 誤解なきよう書いておきますが、当ブログ記事に関して、賛同だけでなく批判コメントを寄せていただくのもありがたいことです。私にとって気が付かない・考えがおよばない、様々な意見に触れることができるわけですから。
 先のツイッターの書き込みを拝読し、山の宗教施設に対しては様々な考え方があると改めて考えさせられた次第です。

 さて話題はパトリック・バサールの行為に戻りますが、この事件を知り頭に思い浮かんだのは、当ブログの記事の中でも多くの方からアクセスいただいた、奈良県・大峰山の女人禁制問題でした。

当ブログの関連記事
 それでも彼女らに大峰山の女人禁制を解く資格はない。2011.6.29
 
 パトリック・バサールも、先の女人禁制問題で地元の禁を破り強引に入山した女性グループも、根は同じではないでしようか?
 議論を促す、という一見「対話」を標榜しながら、その実態は「暴力」に等しい強引な方法を実行する人々。

 この問題は、山の頂に代表される「自然は誰のものなのか?」それは人と自然の関係に関わる問題なのだと思います。
 まともな(あえて「まともな」と表記しますが)人であれば、議論を呼び起こすのに十字架をノコギリで切断し、破壊するという手法はとらないでしょう。
 まともな女性であれば、地元の人々が古来から敬い守っている慣習を 黙 っ て 破り入山などしないでしょう。

 パトリック・バサール氏にとって山頂の十字架は死と苦痛の象徴であり、破壊は「議論を促す一歩」でした。
 しかし私には、切り倒され破壊された十字架は「対話の否定」の象徴にしか見えません。

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