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卯辰山(うたつやま 141m)から東山へ

 卯辰山。
 標高141m、山というよりは丘陵に近い。
 金沢市の資料を読み進むうちに、金沢市民の山としてぜひ登っておきたい、と思った。

 金沢城が一望できることから、藩政時代は一般市民の登山は禁止されていた。
 1858年、約2000人の町人が卯辰山に登り、二日間にわたり金沢城に向かい「ひもじいわいやー」「米くれー」と叫んだ『安政の泣き一揆』が知られる。金沢城までは直線距離で約1.7km、人々の叫びは城内の重臣や殿様にも聞こえたといわれる。
 翌日、加賀藩は米を放出したものの、一揆の首謀者7名は処罰・処刑された。

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浅野川大橋から望む、浅野川と卯辰山

 早朝、金沢市中心部から卯辰山めざして歩き出す。
 卯辰山公園線をたどり、勾配のある車道を登っていく。
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 雨上がり、もやのかかった道を歩き続ける。
 
 卯辰山は石碑の多い山としても知られる。
 石碑や展望台を巡る遊歩道が網の目のように続き、行き止まりの空き地もあるため、幾度か迷いながら、三角点のある「月見台」をめざす。
 道中、「野草園」や花の名前を記した掲示板があるのだが、残念ながら花の季節にはまだほど遠い。
 こんなときは、
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 雨に濡れた苔もまた良し。

 歩き始めて身体が温まる頃、
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三角点に到着。
 もやと立木で視界はまったく効かないが、散歩やジョギングの方々とすれ違う。親しまれている証左であろう。

 卯辰山の三角点を訪れた後は、登ってきた方向とは反対、古い町屋で知られる東山方面に降りる。
 訪れたい寺が二つある。
 まずは曹洞宗・龍国寺
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 曇り空の朝、薄暗い鳥居が続く。
 ここは寺でありながら、祀られているのは稲荷大明神なのだ。
 階段を登り詰めると、
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お稲荷様が待っている。
 寺と神社が区別されている現代より前、明治の神仏分離令以前の姿を遺す寺なのだ。
 境内では1920年(大正9年)に友禅染の創始者・宮崎友禅の墓とみられる石碑が発見されており、参道に続く鳥居も染色業関係者の寄進によるものである。

 龍国寺に続き、すぐそばの真成寺に向かう。
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この寺に祀られているのは鬼子母神。安産祈願や人形供養の寺として知られる。
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 この寺では、江戸時代から安産・子宝に恵まれるよう「柄杓(ひしゃく)」を奉納することで知られる。
 古来、武家や商家では女性にとって「家を守る」→「男児を産む」という重圧があったことも背景にある。

 多くのガイドブックには安産・子育て祈願の寺として記される真成寺。
 その裏返しとして、妊娠を望まない女性たちも存在する。
 そういった女性は、柄杓の底を抜いて奉納したという。柄杓の「底を抜く」→「流れる」につながる意味だ。
 昔、卯辰山山麓を流れる浅野川界隈には職人など収入不安定な家が多く、子を養う余裕が無いケース、そして戦前は金沢の街に多く存在した「花街の女性たち」の参詣が目立っていたという。
 寺の本堂に入ってみる。
 薄暗い本堂の中に、奉納された沢山の「よだれかけ」、そして沢山の「柄杓」が積み上げてあった。

 私が見る限り、底の無い柄杓は置かれていなかった。
 (本堂に奉納されている品は最近のものであり、古来の奉納物は国指定重要有形民俗文化財として保管されている)

 底のある柄杓も、底の無い柄杓も、それは男には理解しえない女性の願いがこめられているのだろう。
 薄暗い本堂を出て帰ろうとした時、来たときには気が付かなかった梅の花が目に付いた。
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 まだ蕾だらけの枝で、一つだけ咲いていた梅の花。
 金沢にも春が来る。

参考文献:北國新聞社編集局編著「おとこ川おんな川」

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