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韓国の新アウトドアブランド『The Door』

韓国で新たなアウトドアブランドが今春誕生します。
それが『The Door』。
アウトドアウェアの「価格バブル」がささやかれる韓国ですが、その経営方針に注目です。

清渓山(チョンゲサン)登るのにヒマラヤ用登山服はなぜ? by 中央日報 韓国語版2012.3.5

以下記事引用開始
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清渓山(チョンゲサン)登るのにヒマラヤ用登山服はなぜ?
アウトドア ブランド‘The Door’キム・チャンス F&F代表

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今月中旬、ソウル・駅三洞(ヨクサムドン)のオフィスで製品を紹介する、新アウトドアブランド‘The Door’をリリースするキム・チャンスF&F代表[キム・ソンニョン記者]

「半日で登れる清渓山(チョンゲサン 訳者注:ソウルと京機道の境界に位置する標高618m、ハイキングで人気の高い山)に行くのに、ヒマラヤ登山用のウェアを着る必要があるのか。 不必要な機能を省いた合理的な価格帯のアウトドア新製品を発表する。」

 今月中旬、新しくアウトドア市場に参入するアパレルメーカーF&Fのキム・チャンス(52)代表の言葉だ。 リリースするブランドは「The Door」。
 きたる15日、ソウル、ノンヒョンドンに第1号直営店を出店するのを皮切りに、年末まで全国に40店舗を展開する計画だ。 ウェアと靴だけでなく、キャンプ・ピクニック・サイクリング・釣りなど、大部分のアウトドア活動と関連した製品を販売する。

 キム代表は 「さらにThe Doorが追求するのは、合理的な価格と自然調和的なデザイン」 「機能は自然とふれあうのに不都合がない程度に盛り込む」と繰り返し強調した。
 同時にこのような例をあげた。

 「例えばアウトドアの必須素材のように言われているゴアテックスは使用しない。 これだけでも原価を30~40%抑えることが出来る。 あえてゴアテックスを使わなくても、国内で自然を楽しむのに必要な程度の防風・防水(撥水)・保温性を整えた製品を作るのに何ら問題はない。」

 「私たちの自然環境は、高機能性アウトドア用品が必要な程、厳しくもない」と付け加えた。 西欧人は登山をするために遠くから車を運転し、何日もの間にわたって過酷な地形と戦うが、私たちの多くの人々は緩やかに山や川を楽しむことができるということだ。 キム代表は引き続き、
 「西欧人は自然を征服の対象として見たきたために、最高の機能を備えたアウトドアギアが必要だ。だが、自然を友として共存してきた私たちにとっては、自然と調和するアウトドア製品がふさわしい」と語った。

 それでも国内において高価格・高機能性のアウトドアウェアが大勢を占めていることに対しては、「海外ブランドが国内市場をリードしてきたために広がることになったということ」と診断している。

 F&Fは他のアウトドアブランドとは異なり、有名芸能人をモデルに採用しないことにした。キム代表は、
 「有名芸能人を用いると、マーケティング費用がさらにかかり、それだけ製品価格が高くなる。結局は高額のマーケティング費を消費者が支払うことになる」と語る。 The Doorはその代わりキャンプ・登山・サイクリングを楽しむ家族や愛好家をモデルとして前面に出す計画だ。 このような形のマーケティングを通じて「家族や友人同士キャンプをしながら、音楽を聞いて料理を楽しむような新しいアウトドア文化を作るのに力を注ぐ」という。

 F&Fはイタリア ファッション業者ベネトン、米国プロ野球メジャーリーグの衣類ブランドのMLBなどの国内版権を持っている。 また「バニラ・ビ(banila b)」という女性服と化粧品ブランドを持っている。
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以上引用おわり

 身近な自然を楽しむのに、オーバースペックなアウトドアウェアは必要ない、という姿勢。
 もろに名指しでゴアテックスなど必要ないとする姿勢が注目されます。

 私自身は汗っかきなもので、積雪期はホグロフスのウェアを使用していますが、結局は脇の下のジッパー全開で行動することが多いです。ゴアテックスの費用対効果って、私は正直疑問に思ってますね。時折、昔の冬山用ナイロンヤッケで脇の下にベンチレーター付いた、安価な冬山ヤッケどっかで製造販売してくれないかな、なんて思うときがあります。
 韓国は大陸性の気候だからゴアなんて要らないと言えるのでは、と思う方もいるかもしれませんが、日本の東京とソウルを比較すると次の通り。

 東京の年間降水量・・・1466.7mm 年平均湿度62%
 ソウルの年間降水量・・・1343.2mm 年平均湿度64%
 ただし冬季は大陸性気候のため、ソウルは降水量も少なく乾燥しています。

 この記事でもっとも注目したのが、次の箇所ですね。

「有名芸能人を用いると、マーケティング費用がさらにかかり、それだけ製品価格が高くなる。結局は高額のマーケティング費を消費者が支払うことになる」

 私自身、韓国のアウトドアメーカー・輸入代理店が広告で有名芸能人を用いているのをみて、それがアウトドアや登山の社会的認知度を表す、と単純に考えていました。
 韓国のアパレル関係者自らがそういった広告戦略に疑問を持ち、コストダウンのために芸能人など使わない、と宣言している動きには、あらためて考えさせられます。

 このキム・チャンス氏率いるF&Fグループはベネトン・コリアなどを運営、既に海外の有名ブランドを相手に展開してきた実績がある企業であり、それなりの展望を持ってアウトドア業界に参入してきたものでしよう。
 F&Fグループのこのような動きに、韓国ファッション協会KFAもThe Doorの登場を興味深く取り上げており、次のような韓国国内におけるアウトドアブランドの「立ち位置図」を掲載しています。
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コンセプトと販売価格の相関図(韓国ファッション協会記事より引用)

 高機能・高価格のウェアが次々と発売される一方、激しい値引き競争が展開される韓国でThe Doorの存在が注目されます。

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追悼 ニサル・フセイン(Nisar Hussain)

 ガッシャブルム1峰冬季登頂を目指し、行方不明となった国際隊の三名は、ヘリ捜索の結果も何も発見できず、生存は絶望、捜索打ち切りが決定しました。

 三名とも素晴らしいクライマーでしたが、当ブログでは西欧偏重の日本の山岳メディアが光をあてないアジア、パキスタンのクライマーNisar Hussain氏について、パキスタンのDAWN.comの記事から引用します。
Nisa
ガッシャブルム1峰冬季登攀中のニサル・フセイン氏近影(Photo by Álex Txikon)

Lost before climbing to fame by DAWN.com2012.3.18
以下記事引用開始
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Nisar1
 フセインにとって最も実現したかったことは、エベレスト登頂でした。百万のきらめく星のような、遙かな夢を彼は抱いていました。

 フセインは、オーストリアのゲルフリート・ゲシェル、スイスのセドリック・ハーレンと共にガッシャブルムに遠征、消息を絶ち、死亡したものと推定されています。
 フセインにとって今回の登山は、一般的なポーターとしてではなく、平等な「チーム・メンバー」として参加した登山でした。2003年以来の友人であったゲシェルは、フセインの今後のネパール遠征に協力すると約束していました。 「神に見捨てられた土地」でもっとも天候の厳しい季節にガッシャブルムを目指し、ゲシェルの登山隊に参加しました。

 冬季初登頂を果たしたポーランド隊が三人を目撃しましたが、その後悲劇に終わりました。時速150kmに達する強風、マイナス40度以下の悪天で生存は不可能と思われます。3月9日、頂上直下の約250m地点で三人が目撃されたのが最後となりました。捜索隊は3月14日、ゲシェルの親族の申し入れで捜索中止を決定しました。

 フセインの業績を知るパキスタン人は、多くはありません。
 1980年7月16日生まれのフセインは、サドパラ(Sadpara パキスタンでの遠征登山において、強力なポーターを輩出したことで知られるスカルド地方の村)の出身です。
 山羊やヤクの遊牧で生計をたてる両親を助けるため、彼は高校卒業後、父親の手伝いを始めました。山岳ガイド、そして高所ポーター(HAP)を始め、すぐに彼は世界でも著名な登山者たちと登るようになりました。

「乏しい英語で私たちと登山隊の成功を実現しようと彼がいかに努力していたか、覚えています。彼がクライミングに関して大きな夢を抱いていたこと、その情熱がよくわかりました。登山について議論するときは彼の眼はギラギラとしていましたが、それ以上に、彼の情熱とサポートは私たちを助けてくれたのです。彼の死は非常に悲しい出来事です。フセインが真の英雄として記憶されることを願います。彼の魂の安らかなることを。」サラ・K(フセインがガイドした登山隊のメンバー、ドイツ在住パキスタン人)はコメントしました。

 フセインにとって最初の8000m峰であるガッシャブルム2峰に登頂した、大切な日。
 フセインのウェブサイトの記述が、何を感じていたかを表しています。

「1999年には、私はイ・サンベ氏率いる、G-II(8,035m)韓国隊に雇われました。私にとって初めての8000m峰でした。少年に見えたのでしょう、韓国人は私がシア・カンリに登頂したことが信じられないようでした。
 登山活動中のある時、彼らは議論していました。私が若すぎて経験が乏しいとみえたのでしょう、ベースキャンプに戻され、登山の技量についてテストを受けました。彼らは満足し、私に謝罪してくれました。」

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2008年、パキスタン山岳会にてナンガパルバットの登頂証明書を受け取るニサル・フセイン(写真:パキスタン山岳会提供)

 それ以来、フセインは大きく成長しました。
 彼は酸素ボンベを使用せずパキスタンの8000m峰全てに登頂した三名のパキスタン人のうちの1人となりました(ラジャブ・シャー、ハサン・サドパラに続く三人目)

 パキスタン山岳会の元会長であり登山家であるナジール・サビールは悲しみを次のように表現します。
「彼はスリムなアスリートでした。素晴らしいクライマーの特徴だが、彼を光らせたのは、その行動と情熱です。謙虚で前向きな姿勢がそれを支えていました。登頂に成功し、登り続けることには危険が伴います。そしてその危険が何かを理解していました。」

 生存の望みに関して質問した際、サビールはその高々度で生存は絶望的であること、過去数日の悪天がさらに可能性を薄くしていることに言及しました。

 フセインと同じ村に住むハサン・サドパラ(パキスタン人としてエベレスト登頂を果たした二人目のクライマー)は、今回の捜索隊のメンバーでした。
「若い命が失われたことを、表現する言葉がありません。私たちは同じ村の出身ですし、3つの8000m峰で登頂を共にしました。最初は2004年、一緒にK2に登頂しました。そのときはK2初登頂記念の年でした。今思い返せば、フセインがいかに公的な支援無しに達成したか痛感しています」

 サドパラは2006年にガッシャブルム1峰、2峰で登山を共にし、2008年にはナンガパルバットで登頂を共にしました。

「サドパラ村は携帯電話の圏外にあります。彼の家族に連絡をとるのに時間がかかりました。家族、特にハイポーターとして多くの遠征を共にした彼の兄弟たちは取り乱していました。」

 フセインにとって、クライミングは情熱以上のものです。それは生計をたてることを意味するのです。クライミングによって、家族を養ってきました。ハイポーター、そしてガイドとして、彼は、家族を養うために生命を危険にさらしてきました。
 彼の場合、妻、3人の幼い子供、そして親類を養っていました。
 不運にも、その業績はパキスタン人に知られていないままです。しかし彼はポジティブな人生を歩んできました。

「生命をこれほど危険にさらすスポーツはありません。クライマーは、これほどの危険があることを知りながらもまた戻ってくるでしょう。
 来たるべき時には、ガッシャブルム1峰はさらに冬季登頂が行われるでしょう。
 偉大なる山々に敬意を払うクライマー達と頂上で出会うとき、フセインの魂も喜ぶことでしょう。」
ソハイル・サディク(トレッカー)
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以上引用おわり

Neueroutebisgratwww
ニサル・フセインらが試みた冬季ガッシャブルム1峰の新ルート
(Photo by Gerfried Göschl website)

 ネパールのシェルパ族の歴史をかえりみればおわかりのように、パキスタンの「ハイポーター」と呼ばれる人々が、従来のような他者-すなわち先進国からやってくる金持ちの登山家たち-のためではなく、己自身のために登山を行う。
 パキスタンにおける先駆者は、記事中でもコメントしているナジール・サビール氏です。
 記事にもあるように、彼らパキスタン、カラコルム山麓の人々にとっては、登山が生計に直結しているという現実もあります。上記記事の原文では、

For Hussain, climbing was more than a passion. It meant sustenance. It put meals on his table; it allowed him to provide for his family.

と表記されています。

 記事を読んでいて思うのは、ニサル・フセインにとって、生活と名声だけが、彼を8000m峰に駆り立てたのだろうか、ということです。
 カラコルムのハイポーター、ネパールのシェルパにとっては、困難な登頂を果たせばそれが「経歴」となり、さらに高い収入を得られるステップであることは事実です。
 しかし、それだけの理由でガッシャブルムの冬季登頂、しかも新ルートに挑むものだろうか。
 私はニサル・フセイン氏と直接の面識はありませんので、ここで真意を測ることはできません。
 さらにネパールの8000m峰を目指していたという彼は、登山隊でギャラを得るだけではない、クライミングに取り憑かれた一人の自立したクライマーではなかったのか、と私は思うのです。

 現時点でいえることは、ニサル・フセインというクライマーが亡くなったことはパキスタン登山界において重大な損失であったということ。
 そして近い将来、パキスタン・カラコルム山麓に住む人々の中から、自分たちの祖国の山々に困難なルートを拓くクライマー、遠い外国からやってきたクライマーではなく、ニサル・フセインに続く地元出身の強力なクライマーが必ず現れるであろう、ということです。

 ガッシャブルム1峰に逝ける魂の安らかならんことを。

参考サイト:Nisar Hussainオフィシャルサイト

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【映画】ナバロンの要塞

ガイド仲間の会合で、結構ムカッとくるやりとりもあり、

「あーやっぱ出張疲れだなこれ。」

なもんで、気分転換の名目で映画館直行。
本日は、
Navalone

昔テレビ東京の夕方枠で、ズタズタにカットされたやつを見て以来でしたが、大スクリーンでみる『ナバロンの要塞』は良かったですな。

主人公のグレゴリー・ペックは第二次世界大戦前の世界的な登山家キース・マロリーという設定なのですが、
Gre
打ち込んだハーケンにA0しまくりでドイツ軍がウヨウヨいるナバロン島の岩壁を夜間の雨天下に登攀、潜入します。

 まあ今さらナバロンの要塞のストーリーを説明するのも面倒ですが、現代のアメリカ映画みたいにミジンコアメーバ並みの単細胞的な勧善懲悪アクションではないところが魅力ですね。
 敵の要塞に忍び込む特殊部隊として、一癖も二癖もある連中という設定には一応なってはいますが、メンバーそれぞれ人間らしい「弱さ」を抱えた設定がこの映画を単なるアクション物に終わらせていないわけです。
 アリステア・マクリーンの原作も読んではいますが、映像化してさらに素晴らしい結果となっている数少ない映画でしょう。

 この映画に思い入れがあるのは、
Daf
 映画の終盤、生還した二人(海に飛び込んで引き上げられた)が、防寒のために着用していたのがダッフルコート。
 ダッフルコートといえば、高校受験の中学生とか、山形ではジャージ姿の女子中学生が着込んでいる姿をよくみかけますが、もともとはイギリス海軍の軍服です。昔この映画に影響されて、一着買いました。今でも実家のクローゼットに吊されてるかな。

 安物テレビの小さい画面より、スクリーンでみてこそわかる映画の良さを感じた時間でした。

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劇画『Lodowi wojownicy』(氷の戦士)

 先日ガッシャブルム冬季登頂に成功したポーランド隊ですが、8000m峰の冬季登頂の先駆者といえば、1980年のポーランド冬季エベレスト隊で活躍したアンジェイ・ザワダにクシストフ・ビエリツキ。

 この1980年のエベレスト冬季登頂がポーランドで劇画となりました。
Pol

しかも、内容はこちらのサイトで、英語版で全ページ閲覧可能です。

The Ice Warriors by Instytut Adama Mickiewicza cultule.pol

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 画風は谷口ジローにはおよびませぬが、隊の結成から登頂・帰国に至るまでの簡潔なストーリーでエベレスト冬季初登の模様が描かれています。

 画風がラフなわりに、冬季登山企画時の登山隊ミーティングで、登山活動が年末年始にかかることに対して
 「家族と離れてクリスマス過ごすなんて初めてだな。子供になんて説明すればいいんだ?」
 「ところで冬季登山の許可はおりるのか?」
 などの生々しい会話が描かれます。
 この劇画はクシストフ・ビエリツキの日記をもとに制作されたそうです。

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Scrubba Portable Washing Machine

毎回あやしいすばらしいアウトドアギアを期待している皆様、
Takata
今回もすばらしい製品をご紹介いたします。

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Scrubba Portable Washing Machine

旅先やアウトドアで使える、「世界最小の洗濯機」Scrubbaです。
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コーラ缶ほどのポーチで、

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重量は142g。

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内部はこのように、洗濯板のような突起が付いています。

オーストラリアでデザインされたこの「洗濯袋」、使用法は袋に洗濯物、水2~3リットル、洗剤数滴をたらし、中の空気を抜いて袋をパックします。
それから袋をしごいたりして、中で洗剤と洗濯物、そして突起がぶつかり洗濯されるという仕組み。
紹介動画はこちら↓動画開始1;30から実際の使用光景が放映されます。

旅先での洗濯って、結構好きです。いかにも長い旅してるって感じするんですよね。
(あ、会社の出張生活での洗濯はもう飽きた)
アジアの片田舎を旅行していると、そうそうコインランドリーなんかあるわけではないので・・・
開発されたオーストラリアでは、4月から発売予定。生産開始はこれからとのこと。

参考サイト:The Scrubba Wash Bag - Travel clean, light and free by indiegogo.com

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ある日突然、自然公園指導員。

金沢から帰ってみると、環境省から分厚い大型封筒が届いていた。

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今シーズンから、自然公園指導員やれという通知。(無報酬のボラです)

自然公園指導員って、高山植物つみ取ってるババアとかデジカメかかえて道外れて草原に踏み入るジジイとかを

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ハリー・キャラハンみたいにぶちのめしたり、

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飛葉ちゃんみたいに蜂の巣にしたり、

Naka
仕事人みたいに斬り捨てたりはできないらしい。

任務はあくまでも、「指導と助言」。

でも最近、山で注意すると逆ギレするキチガイとかいるんだよね(経験者語る)
おだやかーにやんわりと、大人の対応しながら、勤めたいと思います。

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【速報】ピオレドール2012受賞者は

今年度、Piolets d'Or 2012の受賞者は、

マーク・リッチー、スティーブ・スウェンソン、フレディ・ウィルキンソンらによるサセルカンリⅡ峰(7518m)

ネイツ・マルチッチ、ルカ・ストラザーらによるK7 西峰 (6,615m)

に決定の模様。

審査員からの special mention (特別賞)として、先日不慮の事故により亡くなったノルウェーのBjorn-Evind Artunらによるトーレエッガー冬季登攀も選ばれました。

また生涯功労賞は正式に「ワルテル・ボナッティ賞」と命名され、先にお伝えしたとおり、ロベール・パラゴが受賞しています。

参考サイト:Piolets d'Or 2012オフィシャルサイト

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さよなら、金沢。

一週間、現場撤収作業のためバタバタした生活。
二ヶ月を過ごした金沢に別れを告げ、暴風と吹雪の中、山形に帰郷。

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水の街、金沢

金沢は水の街だ。
正確には、水路が縦横無尽に配備された街である。

金沢に赴任してまもなく、交通量も多い県道脇に、水門設備が目に付いた。
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「鞍月用水」の水門管理棟である。
ここ鞍月は、もともと軟弱な湿地帯で、戦前はクリーク(水路)が発達、舟で行き来していた土地である。

遙か昔、木曽義仲の軍勢が戦(いくさ)をしていた頃のエピソードとして、あまりの軟弱地盤、湿地のため、軍勢は戦う以前に自分の足場を確保して歩くのがやっとの有様、どこからか持ち出してきた戸板を敷き並べてようやく歩くことが出来た、などと語られている。

今は画像のように、金沢駅へと続く非常に交通量の多い県道が敷かれ、湿地帯の片鱗もうかがえない、ビルやマンションが立ち並んでいる。

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用水路をたどって歩く。
水の流れは民家に沿い、人々の生活の中にある。

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やがて長町、通称「武家屋敷」に続く。
石垣の下には用水路の水を取り入れる取水口が見える。


さて、私が住んでいたのは、金沢市街でも西の方、西金沢駅の近くだ。
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この西金沢駅周辺には、泉、西泉、米泉、増泉など、「泉」の付いた地名が並ぶ。
郷土出版物をひもとくと、「泉」という地名の由来は、かつて「布さらし」が行われるほどの清流が流れていた名残、と記述した本がいくつかあるが、実際はそうではないらしい。
平成8年に金沢市が発行した『金沢のわき水 調査報告書』によれば、地名の由来はあちこちに泉があったからではなく、まばらに沸いていてその貴重さゆえに「泉」と呼ばれていた、と地元での聞き取り調査結果を掲載している。
 地形学的には「泉野旧扇状地」の末端部に該当し、湧水が存在してもおかしくはない。
 事実、昭和20年代までは自噴井があちこちにあったのだか、昭和29年頃に自噴が止まり、同時に簡易水道が普及し始めたこともあり、湧水や井戸も急速にかえりみられなくなったようだ。

 前述の金沢市の報告書をもとに、近所の湧水があると思われる場所を歩いてみたが、湧水地を見つけることはできなかった。
 
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画像は西金沢を流れる伏見川である。
私が住むウィークリーマンションはこの川のそばにあり、毎朝、出勤前はこの川と彼方の倉ヶ岳を眺めるのが日課だった。
現在は殺風景な堤防で囲まれた伏見川だが、かつては桜並木があり、兼六園と人気を二分するほどの人出があったという。(上流部にいけば桜並木はまだ残っている)
洪水対策の護岸工事のため、西泉周辺の桜の木は全て伐採されてしまった。
人々の安全な暮らしと引き替えに、桜の木は切られていったのだ。

金沢での暮らしが終わる。
山形に発つ前日、伏見川のほとりを歩くと、ホトケノザ、フキノトウが成長している。
まだ雨と雪が交互に続く悪天。
私が山形に戻る頃、春を告げる草花がまた少しずつ堤防に芽生えることだろう。

参考文献:金沢市 編著『金沢のわき水 調査報告書』,笹倉信行著『金沢用水散歩』,高室信一著 『金沢・町物語』,金沢市鞍月土地区画整理組合編著『鞍月逍遥』

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寺喜屋

3月上旬の某日、夜。
ウィークリーマンションは浴室が乾燥室を兼ねている。
入浴後、洗濯機に放り込んでいた洗濯物を取り込み、浴室で干すのが日課。

作業着であるツナギを取り出してみると、ポケット部分が糊付けしたようにカピカピになっている。
愛用しているのど飴、ヴィックスドロップをポケットにいれたまま洗濯しちゃったのだ。
これで2回目。
あー、やっぱり疲れている。
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おねえさん、ぼくと文通しませんか?

気分転換に、独りで金沢の繁華街、片町へ。
静かな夕食と郷土料理を求め、寺喜屋を訪れる。

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寺喜屋はもともと魚屋として開業したのだが、料理の方が評判がよく金沢では知られた料理屋である。
といっても、料亭のような敷居の高さはなく、独りでもふらっと入れるところが魅力だ。
カウンターの台の上には、魚やジャガイモの煮物が盛られた大皿が並んでいる。
よりどりみどり、ここから食べたいものを選べるのだ。
本日のチョイスは、
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ハタハタの煮物、ジャガイモの煮物、軽くビール。
そして、
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金沢を代表する郷土料理、治部煮を初体験。
味付けも濃く、これまた金沢名物の「すだれ麩」が山形でよく食べる「焼き麩」とは異なり身が詰まっていて美味しゅうございました。

しかし、本日の大ヒットはなんといっても「ジャガイモの煮物」。
これが
Logo
でした。

カウンター席でビール飲みながら、この激ウマじゃがいもを喰う。
隣は公務員の二人組らしい。
なにやら組織論を交わしながら、みそ汁と刺身で夕食をとっている。
寺喜屋のおかみさんとは顔なじみらしい。
おかみさんいわく、
「なんかこのあいだから、店の前の交差点、信号機の音楽が流れ始めて、これが夜も続くのよ。これって流す時間帯とか事前連絡とかなにもなしなのよ。こういうのって警察に言えばいいの?」
と世間話。
よそ者で独りでメシ喰ってる私にも、
「ちょっとこの音、夜まで続くと気になるわよねえ」
と同意を求められる(笑)

こういう雰囲気は、繁華街の居酒屋や笑顔0円のジャンクフード店では得られない。
美味しくて、落ち着いた夕食にありついた夜。

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Imgp0116
犀川大橋、画像中央、こじんまりした日本家屋が寺喜屋。
犀川の水面に街の灯が光る。

寺喜屋前のゆるやかな斜面、これを「蛤坂」と呼ぶ。
江戸時代、大火にみまわれたことから開削された坂道。
ここから、火が通ると口を開くハマグリにひっかけて命名されたという。
なんとも、日本人いや金沢人の、ブラックユーモア全開である。

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ふるさとは遠きにありて思ふもの

ふるさとは遠きにありて思ふもの (室生犀星)

かつて現役学生時代、共に8000m峰に赴いた三人組。
今。
8000m14座を目指す登山家、8000m峰にクライアントを導き活躍中の国際ガイド、そして下っ端土木作業員の私。

国際ガイドとして活躍中の平岡君のブログを拝読して、はっとさせられた。

蔵王は、すごいです。山は雄大だし、雪は軽いし、キャットも使えるし、温泉も良いし、良いことばっかりです。

彼がお世辞を言うような人間でないことはよく知っている。
なにより、クライマーとしてガイドとして、日本国内はもちろん、世界の山々を登ってきた彼が蔵王を「雄大」と形容していることに考えさせられた。

地元に住んでいる私はガイドを名乗りながら、実は蔵王の真の魅力に気が付いていないのではないか?

山形に戻ったら、もっと蔵王に通ってみよう。

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卯辰山(うたつやま 141m)から東山へ

 卯辰山。
 標高141m、山というよりは丘陵に近い。
 金沢市の資料を読み進むうちに、金沢市民の山としてぜひ登っておきたい、と思った。

 金沢城が一望できることから、藩政時代は一般市民の登山は禁止されていた。
 1858年、約2000人の町人が卯辰山に登り、二日間にわたり金沢城に向かい「ひもじいわいやー」「米くれー」と叫んだ『安政の泣き一揆』が知られる。金沢城までは直線距離で約1.7km、人々の叫びは城内の重臣や殿様にも聞こえたといわれる。
 翌日、加賀藩は米を放出したものの、一揆の首謀者7名は処罰・処刑された。

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浅野川大橋から望む、浅野川と卯辰山

 早朝、金沢市中心部から卯辰山めざして歩き出す。
 卯辰山公園線をたどり、勾配のある車道を登っていく。
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 雨上がり、もやのかかった道を歩き続ける。
 
 卯辰山は石碑の多い山としても知られる。
 石碑や展望台を巡る遊歩道が網の目のように続き、行き止まりの空き地もあるため、幾度か迷いながら、三角点のある「月見台」をめざす。
 道中、「野草園」や花の名前を記した掲示板があるのだが、残念ながら花の季節にはまだほど遠い。
 こんなときは、
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 雨に濡れた苔もまた良し。

 歩き始めて身体が温まる頃、
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三角点に到着。
 もやと立木で視界はまったく効かないが、散歩やジョギングの方々とすれ違う。親しまれている証左であろう。

 卯辰山の三角点を訪れた後は、登ってきた方向とは反対、古い町屋で知られる東山方面に降りる。
 訪れたい寺が二つある。
 まずは曹洞宗・龍国寺
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 曇り空の朝、薄暗い鳥居が続く。
 ここは寺でありながら、祀られているのは稲荷大明神なのだ。
 階段を登り詰めると、
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お稲荷様が待っている。
 寺と神社が区別されている現代より前、明治の神仏分離令以前の姿を遺す寺なのだ。
 境内では1920年(大正9年)に友禅染の創始者・宮崎友禅の墓とみられる石碑が発見されており、参道に続く鳥居も染色業関係者の寄進によるものである。

 龍国寺に続き、すぐそばの真成寺に向かう。
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この寺に祀られているのは鬼子母神。安産祈願や人形供養の寺として知られる。
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 この寺では、江戸時代から安産・子宝に恵まれるよう「柄杓(ひしゃく)」を奉納することで知られる。
 古来、武家や商家では女性にとって「家を守る」→「男児を産む」という重圧があったことも背景にある。

 多くのガイドブックには安産・子育て祈願の寺として記される真成寺。
 その裏返しとして、妊娠を望まない女性たちも存在する。
 そういった女性は、柄杓の底を抜いて奉納したという。柄杓の「底を抜く」→「流れる」につながる意味だ。
 昔、卯辰山山麓を流れる浅野川界隈には職人など収入不安定な家が多く、子を養う余裕が無いケース、そして戦前は金沢の街に多く存在した「花街の女性たち」の参詣が目立っていたという。
 寺の本堂に入ってみる。
 薄暗い本堂の中に、奉納された沢山の「よだれかけ」、そして沢山の「柄杓」が積み上げてあった。

 私が見る限り、底の無い柄杓は置かれていなかった。
 (本堂に奉納されている品は最近のものであり、古来の奉納物は国指定重要有形民俗文化財として保管されている)

 底のある柄杓も、底の無い柄杓も、それは男には理解しえない女性の願いがこめられているのだろう。
 薄暗い本堂を出て帰ろうとした時、来たときには気が付かなかった梅の花が目に付いた。
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 まだ蕾だらけの枝で、一つだけ咲いていた梅の花。
 金沢にも春が来る。

参考文献:北國新聞社編集局編著「おとこ川おんな川」

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BIRD MARKER

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薄い金属シートから作られた小鳥。

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商品名『BIRD MARKER』、しおりです。
金沢21世紀美術館で購入。

デザインはスウェーデンのフン・ミン(HUNG-MING)。
モチーフとなった小鳥や商品の詳細についてはこちら参照↓

有限会社トリコ Bird Marker

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3月17日、雨のち祝杯。

土曜日。
朝から激しい雨ながら、雨と泥にまみれ現場仕事。

今日も仕事は終わる。
いつもは激安スーパーの総菜ですが、今宵は部屋で
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寿司だ!!(特売のパック寿司だけど)

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小龍包だ!!(チルド食品のやつだけど)

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祝杯だ!!

・・・今日は息子の幼稚園卒園式の日。
山形から遠く離れた金沢で、FMラジオから流れる馬頭琴の曲『草原音詩』を聴きながら独りでお祝い。

ふりかえれば、

今日は特別な日。

今日は特別な日パート2

三年前、息子の幼稚園入園式の日も、北九州で独りお祝いしてました。
ま、これも「さすらいの土木作業員」の宿命でござんす。

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冬季ガッシャブルム国際チームの3名、消息絶つ

 ガッシャブルム1峰冬季登頂を果たしたポーランド隊に関しては既報のとおり。登頂者2名も無事ベースに下山した模様。
 同時に南面新ルートから頂上アタックをかけたGerfried Goschl(オーストリア)、Cedric Hahlen(スイス)、Nisar Hussain(パキスタン)。
 彼ら3名については、登頂を果たしたポーランド隊の二人が頂上まで450mまで迫っている三名を目撃、その後の消息が途絶え、国際隊のメンバーで凍傷により登頂を断念したバスクのAlex TxikonがBCで様子を見守っている状態でした。
 当初は衛星電話(スラーヤ)のバッテリー切れの可能性が伝えられていましたが、36時間経過した時点で捜索ヘリの要請がなされましたが、現地は悪天候のためヘリも天候待ちの状況。

 当ブログでも推移を見守っていましたが、パキスタンのメディアが『missing』として報道しましたので、以下に関連報道サイトを転載します。

Preocupación en el G1 por los compañeros de Álex Txikon by Desnivel 2012.3.10

Polish, Pakistani mountaineers missing by pakistanobserver2012.3.12

Botched expedition: Mystery shrouds fate of missing climbers in Skardu by The Express Tribune2012.3.12

参考サイト: Alex Txikonのブログ 

三名の無事を祈ります。

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白山比咩(しらやまひめ)神社

奥獅子吼山から下山。
本日のもうひとつの目的、白山比咩(しらやまひめ)神社に徒歩で向かう。

参考サイト:北陸鎮護の大社 白山本宮・加賀一ノ宮 白山比咩神社 公式サイト

ここは日本全国に三千はあるといわれる白山信仰の総本宮なのである。
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下山直後の汗くさい格好のまま、家族の健康と安全、ガイド仲間の安全、日本全国・山に登る方々の安全、そして東日本大震災の復興と、もりだくさんの祈願。

ちなみにこの神社、江原ナントカいう占い師もオススメのパワースポットらしい。

 せっかく来た記念と申しましょうか、今年の登山シーズンの安全祈願にとお守りを買おうかなと社務所を訪れたところ・・・

 おおっ!
 山ガールだか山・元ガールだかにオススメできる一品を発見!!

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白山の花守(初穂料500円也)
種類は、クロユリ、ハクサンシャクナゲ、ハクサンコザクラ、ハクサンフウロ、イワカガミ、イワギキョウの6種。
このお守り企画した人って、登山者のハートを巧く突いてるなー。

かくいう私、月山ガイドをやっているのでやっぱりクロユリだろと心ひかれつつ、いや、せっかく白山の麓にきているのだからやっぱ白山の名がついた花がいいだろ、と迷いに迷い、
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ハクサンコザクラを買い求める。今年ザックにつけておこうっと。

参拝を終え、さあバス停に行こうという途中、
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甘い誘惑が!

参考サイト:いっぷく処 おはぎ屋 公式サイト

先週一週間、もう馬のごとく働いたし(自己申告)、山にも登ったし、疲れとるのは甘いモノだよなっ。
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草餅ぜんざい(450円也)

「ぜんざい」と「しるこ」の違いって未だに覚えてないのですが、ここのぜんざいはびっくりするくらいサラサラな汁のぜんざい。下山直後の水分補給にちょうどいいくらいでした。甘みの強い汁に、椀の底にはちゃんと小豆がいっぱい沈んでいます。草餅も香りが強くてGOOD。
雪山から下山して、汗かいて冷えた身体にサイコーなぜんざいでした。

甘いモノも喰ったし、明日からまた現場作業の日々です。

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鶴来という街

白山市鶴来地区(旧・鶴来町)は魅力のある街である。
人口2万人の小さな地区ではあるが、奥獅子吼山に行く前に、その地理的位置、歴史に惹かれていた。

鶴来は地理的には手取川扇状地の扇頂、一番高い位置に街がある。
谷口集落ともいわれるが、その位置から、白山山麓の山の経済圏と、手取川扇状地・すなわち金沢平野の経済圏との接点として成り立った。「一」と「六」の付く日には市が開かれ、物流の拠点となったのである。

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奥獅子吼山の稜線からの眺め。
画像中央、鉄塔の左にひろがるのが鶴来地区。
手取川が山々から扇状地を形成し、金沢平野へとひろがっていく様子がわかる。
手取川扇状地の末端、扇端は日本海に没している。

 私の住む山形では山形盆地をはじめ、各地に大小様々な扇状地形がひろがり、扇央には果樹、そして水に富む扇端では稲作、山形市などは扇状地全体が市街地として発展してきた。
 扇状地の扇頂だけが山村と平野の交易の拠点として栄えた鶴来という街は、私にとっては興味深い街である。

 入山・下山時にバスで街の中心部を通るのだが、古い民家・商家も現在まで残っており、往事の雰囲気をそのまま伝えている。
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 これは神社ではなく、北陸鉄道石川線の加賀一の宮駅。
 2009年に鶴来~加賀一の宮間の路線が廃止となり、駅も閉鎖されたものである。
 ちなみに私が資料でみた昭和15年の駅の建物そのまんま。
 時間が止まったような駅舎の前で、私は帰りのバスを待った。

参考文献:鶴来青年クラブ編著『つるぎの歴史』、石川県高等学校野外調査研究会編著『地形図にみる石川 加賀編』

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奥獅子吼山(928m)

 低気圧が来る前の、わずかな晴れ間を狙って白山市(旧・鶴来町)にある奥獅子吼(おくししく)山に登る。
 北陸鉄道石川線とバスを乗り継ぎ、登山口である石川県林業試験場に到着。
 数々のガイドブックでも「とりつきがわかりにくいため下山路にした方がよい」とあるように、林業試験場からの登山ルートは明確な登山口の表示も無く、さらに残雪が夏道をわかりにくくしている。
 幸い、ここ最近の陽気で雪解けが進み、登り進むと夏道が露出していた。夏道が出ているのはいいのだが、中途半端に残雪が急斜面に残っている。確実にキックステップを決めながら登る。

 奥獅子吼(おくししく)とは、なんとも凄味のあるネーミングだ。
 もともとは、白山を開山したと伝えられる泰澄大師や修験道の行者が泊まった場所、すなわち「止宿(ししゅく)」、また泰澄大師が四カ所で野宿していることからの「四宿」などから語呂合わせで「ししく」→「獅子吼」になったといわれる。(参考文献:鶴来青年クラブ編著『つるぎの歴史』)

 本日の雪の状態は最悪だ。
 表面は少し堅いものの、足を踏み入れると緩いザラメ雪。
 ワカンを装着しても結構ぬかる。
 景観の良い高圧線の鉄塔のところまできた。
 奥獅子吼山の登山ルートには高圧線の鉄塔が建っており、良い目印になっている。
 ここで一息いれていると、後続のパーティーがやってきた。挨拶を交わし、私はすぐに出発。
 前回の奥医王山に対し、今日の奥獅子吼山は私が頂上に一番乗りしたい。人のトレースを追うより自分でトレースをつけたい。

 とはいえ、今日は午後から天気が崩れるのは、天気図の気圧配置から明らかだ。
 それまで雲一つ無い快晴だった空が、稜線にでたところで薄曇りになってきた。今日の登山はスピードが安全に直結する。空の様子から天候が崩れるのは間近と判断、少しでも速く登るため、うっすらみえる踏み跡をたどり、足が沈むのを防ぐ。

 稜線の木々に白い花が咲いている。
 こんな時期に?
 よくよく見れば、
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吹き付けられた氷が溶け落ちそうになりながらも、枝にまだ張り付いていたのだ。
 ここのところの陽気と、そしてまだ山の上は春まだ浅いことを感じさせられる。

 林業試験場を出てちょうど3時間、奥獅子吼山の頂上直下にたどりついた。
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 頂上は広く平坦な雪原のようだが、白い頂上を前にした高揚感を久々に味わう。
 
 彼方には、うっすらと白山がそびえていた。
 美しいのを通り越して、神々しい。
 それは理屈ではない。
 山岳信仰の対象として日本全国に白山信仰が生まれたのもうなずける。
 あえてデジカメは向けず、白山の姿を目に焼き付ける。

 さて本日の頂上ランチは、
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 加賀生麩 麩金(ふうかね)の、野菜コンソメスープ最中 「翠(みどり)」。
 最中(もなか)の中に、加賀麩と野菜スープが入ってるのだ。
 椀に入れ、お湯をかけて最中を崩し、中の具とスープを混ぜて食べます。

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 北陸の雪山を眺めながらスープタイム。
 それからコンビニのパンで腹を満たし、すぐに下山。
 奥獅子吼山は、私にとって白山の美しさを教えてくれた山でした。

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震災から一年

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【速報】ポーランド隊、ガッシャブルム1峰冬季登頂成功

 現地時間3月8日午前8時30分、ファイナルキャンプC3から8時間かけて、遂にポーランド隊がガッシャブルム1峰の冬季登頂に成功した模様です。
 登頂隊員はアダム・ビエリツキ(Adam Bielecki)とヤヌシュ・ゴラブ(Janusz Gołąb)の2名。
 2012年1月21日にベースキャンプを設営してから49日目でした。
 途中、時速80~120kmと報告されている烈風と積雪のため頂上アタックを中止、強風で何度もテントを修理しながら粘りに粘ったポーランドの岳人の、素晴らしい成果です。
 この登山隊はアルトゥール・ハイゼル(Artur Hajzer アンナプルナ冬季初登)氏が隊長を務め、2010~2015年の長期計画でカラコルム冬季登山を目指すポーランド山岳会が派遣、ブロニスワフ大統領が後援という大がかりなプロジェクト。

 なお南面で登山活動中の国際隊、Gerfried Goschl(オーストリア)、Cedric Hahlen(スイス)、Nisar Hussain(パキスタン)のパーティーも同日に頂上を目指している模様です。

参考記事: GASHERBRUM I ZDOBYTY!! by Polski Związek Alpinizmu

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【続報】ポーランド冬季G1隊、再度トライ

 時速80~100kmと報告されている烈風の中、驚異的なねばりをみせている冬季G1登頂を狙うポーランド隊の続報です。
 3月6日現在の情報では、3月8、9日を頂上アタックのチャンスとしてC2をすっとばしてC1からC3(ファイナルキャンプ)への登高をめざしています。
 おそらく数日中に、登山隊の成否がはっきりすると思われます。
 その成否にかかわらず、ここまでの登山活動自体がポーランドのアルピニズムを体現していると言ってもいいでしょう。

参考記事
Gasherbrum I - relacja z 06.03.2012 by Polski Związek Alpinizmu

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ヘテ製菓の就職面接は、

 当ブログを始めたばかりの頃、富士山頂で採用面接をしていた企業を取り上げましたが・・・

Hete
 たぶん主婦の皆様ごぞんじ『カロリーバランス』を製造している韓国・ヘテ製菓の採用面接も凄いみたいです。

 SPCグループ、クラウンおよびヘテ製菓 by 大邱(テグ)新聞2012.2.23
(筆者注:ヘテ製菓は2005年クラウン製菓に買収されているため社名併記となっている)

以下引用開始
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▲クラウン・ヘテ製菓=読書討論面接、登山面接

 読書討論面接はクラウン・ヘテ製菓で開かれる多様な読書コミュニティの長所を導入したものである。
(中略)

 登山面接は、毎週土曜日ごとに登山をしながら健康を守る三峰法 (同じ山を3回以上登頂して、最低1千m以上を登山する) だけでなく、ヘテ製菓買収当時、労組の反発を正面から突破したユン・ヨンダル会長独特のスキンシップ強化および意思疎通経営手法を、新入社員選抜に適用したものだ。

 実際にクラウン・ヘテ製菓は毎週登山をしていて、登山集会を支援する専門担当職員までいる。 この登山面接を通じて、応募者のチャレンジ精神を評価する。

 登山面接では基本体力と性格を同時に評価するため、4.5kmの距離を50分以内に踏破する。それだけでなく、登頂後、グループ別に自分の長所自慢等を通じて、合格者を選抜することになる。
 したがって基本体力と性格を同時評価するために、引率者との対話を通じて評価することになる。

 ただし、登山過程ですべての応募者を対象に評価するのが難しい部分があり、休まず時間短縮を登山目標において、時間の短縮に集中すれば良い。
 また、性格の評価が一緒に行われるということを念頭において、必ず余裕がある姿と明るい印象(表情)を維持した方が良い。

 そして登山面接では、登山ウェアとリュックサック、登山靴などに対する事前準備は必須といえる。
 (助言:要人PR研究所 ユン・ホサン所長)
------------------------------------------
以上引用おわり

・・・ヘテ製菓って、中途採用とかしてないのかな(←ここオフレコな。)

参考サイト:ヘテパシフィック株式会社(日本のヘテ貿易会社)

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独り暮らし

Saw2
ちゃちゃっと縫い物してくれる年上の素敵なお姉様いないかな~
                                                                                                                                                 

そして現実
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 作業着の破れたポケットを独り静かに縫いつける、日曜の夜。
 明日からまた現場作業の日々です。


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金沢食べ物日記 おにぎりと蕪寿司

◎とろろ昆布おにぎり

 現場仕事の帰り、小腹が空いたので時折コンビニを訪れる。
 金沢に来てふと気が付いたのは、コンビニでもスーパーでも、とろろ昆布で包んだおにぎりが売っていること。Imgp0030
 北陸三県(富山、石川、福井)は昆布の消費量が特に多く、富山は昆布の年間購入金額が全国一。
 歴史的には、北前船の寄港地で昆布料理が郷土食として根付いた結果といわれる。
 金沢のローカル自然雑誌『自然人』No31・2011年冬号でも、こんなくだりがある。
『金沢に住み始めてすぐの頃、学友がとろろ昆布でくるんだおにぎりを包みから取り出した時は心底おどろきました。』(環境カウンセラー青海万里子執筆 旬産食で「昆布」を味わおう)
 コンビニおにぎりとはいえ、とろろ昆布の甘みと塩気がマッチして美味しいです。
 私にとって、現場作業帰りの補食の定番になりつつあります。
 
◎かぶら寿司
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 金沢に関する書籍を調べてたいてい取り上げられているのが、この『かぶら寿司』。
 たまたま営業時間内に金沢駅の土産物屋を訪れる機会があり、ここで購入。
 ブリを蕪で挟み、たっぷりの麹で漬けた「なれ寿司」の一種である。
 アジア各地でヘンテコなモノを喰ってきた私、実は「なれ寿司」は今回のかぶら寿司が初めて。
 もっと酸味が効いてるのかと思いきや、中身のブリは「スモークサーモンのもっとコクがあるような味わい」になっていて大変美味でした。「名物にうまいモノなし」の迷言を打ち破る土産物ですな。

 金沢市史などの資料では、このかぶら寿司、江戸時代の昔は中流家庭の正月料理でそこそこ生活に余裕のある人々の食べ物だったようですが、現代では各家庭で作られているポピュラーな食品。
 意外にも、このかぶら寿司が市販されるようになったのは最近であって、1970年代前半の書籍には「この蕪鮨は沢山作って一般に売り出すことが出来ないものの一つで、それで駅でも名店街でも売っていない」と記述されている。(陶智子著『加賀百万石の味文化』より)
 食の大量生産・機械化を批判する人は多いが、その土地の郷土食をよそ者がこうして食べられる機会を得られることは、ありがたいことである。

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金沢食べ物日記 たら子付け

 『母は大きい俎の上で、包丁さばきも鮮やかにそして素早く、鱈を料理する。二匹の鱈のお腹には真子と白子がはいっている。(中略)真子の煮たものをほぐしほんの少量のおつゆをまぜて、そぎ身のお刺身をまぶしつける。これを金沢ではこつけといい、淡泊ななかにも甘みの多いお刺身は、鯛と同じほどに美味である。
 室生朝子著『父犀星の贈りもの』

 という描写を読んだ翌日、激安スーパーで、
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 たら「子つけ」を発見。速攻で購入。

 たらの「子漬け」という名称で、山形にも料理はあるが、それは鱈の卵を甘辛く煮た料理。
 この「子つけ」という刺身に鱈の卵をまぶす金沢独特の料理法は、加賀藩の料理頭取を務めた舟木伝内が享保十四年に記した料理本『料理無言抄』にも掲載されている。(参考文献:陶智子著『加賀百万石の味文化』)
 山形では鱈といえば寒鱈汁、棒鱈煮であり、寒鱈汁が最高だと私個人は思っていましたが、ここはさすが加賀百万石、たらの「子つけ」も美味しく食べました。鱈の刺身のさっぱり感と鱈子のこってり感が巧く同居しています。

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Banff Bad Mountain Film Festival

ついに
         ∧∧
キタ━━━\( ゚∀゚)/━━━!!!!!
       ~(O  )
          U

 スペインのDesnivel掲載記事ですが、世界の山岳映画の『最悪』シーンを、ななんと、あの登山・アウトドア関係者から崇拝されている(冷笑)バンフ・マウンテンフェスをパロってとりまとめています。
 いいなあ。
 西洋人のこういうノリは好きだなあ。

Las ‘peores’ escenas de escalada en películas de montaña by Desnival 2012.3.1

記事引用開始
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"最悪"山岳映画のクライミング場面
 バンフ国際映画祭は、毎年、山に関連した最高の映画やドキュメンタリーを公開しています。
 しかし、最も馬鹿馬鹿しい、こっけいな、または脳内クライミングシーンで映画を再構成してみましょう。
 ここにはクリント·イーストウッド、トム·クルーズ、バッグス·バニー、ミスタースポックやカーク船長、モンティ·パイソンも登場します。素晴らしい。
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ではみなさんお待ちかねの動画はこちら↓
山屋なら絶対知ってる"最悪"映画の数々が、あのバンフフェスでおなじみの音楽をバックによみがえります。

ちなみにおじさんにとっては、動画開始2;08のチョモランマのルート図が凄い風刺が効いててサイコーでした。

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仙台市役所という『愚』

 東日本大震災で『経済効果』の名の下に中国からパンダを借用する仙台市のキチガイぶりはバカバカしいのでブログ記事にする気もなかったのですが、

仙台市:昨秋来訪のダライ・ラマの要請に面会断る パンダ貸し出しに配慮か by 毎日新聞2012.2.23
以下記事引用開始
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 仙台市が、昨年11月に同市入りしたノーベル平和賞受賞者でチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世から要請された奧山恵美子市長との面会を断っていたことが、22日の市議会本会議で明らかになった。
 ダライ・ラマは東日本大震災の犠牲者慰霊のために仙台市や石巻市に入った。石巻市での法要には、同市の亀山紘市長が参加し、謝辞を述べた。
 仙台市の高橋一典市民局長は22日の市議会で、要請があったことを認め「先方の日程が過密で、調整ができなかった」と述べた。市幹部によると、奧山市長に面会要請に対する判断を求める前に、担当者が断ったという。
 ダライ・ラマは「チベットは中国の領土」と主張する中国から批判されている。市は中国にジャイアントパンダ貸し出しを要請しており、対中関係に配慮した可能性もある。【平元英治】
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※強調文字は筆者による

 ちなみに、ダライ・ラマ法王はじめチベット亡命政府、在日チベットの人々がいかに東日本大震災に心を砕いているか、義捐金という形でふりかえっても、おわかりでしょう。

東日本大震災へのお見舞いメッセージと対応についてのご報告 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

 まあ、これが東北の中心都市を自負する仙台市テイストですね。(棒読み)

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アイダーの雨具のCM

 このネタ、韓国のみならず台湾のメディアでも報道されていたので知りましたが。
 韓国『少女時代』のユナが出演する、アイダーの雨具のCMが刺激的でございますです。

 イ·ミンホ、ユナ、激しい抱擁で女心攻略 "ビジュアルカップル登板" by TVreport 2012.2.28
以下記事引用開始
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Ei
TVリポート ソ・ミヨン記者

俳優イ·ミンホと少女時代のユナが豪雨の中の抱擁で目を引いている。
イ·ミンホとユナが出演する、3月から放送されるアウトドアブランドのTV CFスチールが公開された。
写真中のイ·ミンホとユナは、岩に囲まれたビーチで豪雨に遭い、お互いを力いっぱい抱き締めている。
特にイ·ミンホは、孤独に雨に降られ、悲しい顔と切ない目つきで女心をひきつけている。ユナもイ·ミンホの懐に抱かれ、切ない感情を完璧に表現した。
これを見た視聴者からは、「ビジュアル最高のカップルですね~」「かっこいい~」など、さまざまな反応を示している。
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以上引用おわり

で、これがそのテレビCMです↓

ああ~
ユナとイ・ミンホは ど う で も い い か ら 、
アイダー製品よ日本に帰ってきてくれ~

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