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水の街、金沢

金沢は水の街だ。
正確には、水路が縦横無尽に配備された街である。

金沢に赴任してまもなく、交通量も多い県道脇に、水門設備が目に付いた。
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「鞍月用水」の水門管理棟である。
ここ鞍月は、もともと軟弱な湿地帯で、戦前はクリーク(水路)が発達、舟で行き来していた土地である。

遙か昔、木曽義仲の軍勢が戦(いくさ)をしていた頃のエピソードとして、あまりの軟弱地盤、湿地のため、軍勢は戦う以前に自分の足場を確保して歩くのがやっとの有様、どこからか持ち出してきた戸板を敷き並べてようやく歩くことが出来た、などと語られている。

今は画像のように、金沢駅へと続く非常に交通量の多い県道が敷かれ、湿地帯の片鱗もうかがえない、ビルやマンションが立ち並んでいる。

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用水路をたどって歩く。
水の流れは民家に沿い、人々の生活の中にある。

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やがて長町、通称「武家屋敷」に続く。
石垣の下には用水路の水を取り入れる取水口が見える。


さて、私が住んでいたのは、金沢市街でも西の方、西金沢駅の近くだ。
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この西金沢駅周辺には、泉、西泉、米泉、増泉など、「泉」の付いた地名が並ぶ。
郷土出版物をひもとくと、「泉」という地名の由来は、かつて「布さらし」が行われるほどの清流が流れていた名残、と記述した本がいくつかあるが、実際はそうではないらしい。
平成8年に金沢市が発行した『金沢のわき水 調査報告書』によれば、地名の由来はあちこちに泉があったからではなく、まばらに沸いていてその貴重さゆえに「泉」と呼ばれていた、と地元での聞き取り調査結果を掲載している。
 地形学的には「泉野旧扇状地」の末端部に該当し、湧水が存在してもおかしくはない。
 事実、昭和20年代までは自噴井があちこちにあったのだか、昭和29年頃に自噴が止まり、同時に簡易水道が普及し始めたこともあり、湧水や井戸も急速にかえりみられなくなったようだ。

 前述の金沢市の報告書をもとに、近所の湧水があると思われる場所を歩いてみたが、湧水地を見つけることはできなかった。
 
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画像は西金沢を流れる伏見川である。
私が住むウィークリーマンションはこの川のそばにあり、毎朝、出勤前はこの川と彼方の倉ヶ岳を眺めるのが日課だった。
現在は殺風景な堤防で囲まれた伏見川だが、かつては桜並木があり、兼六園と人気を二分するほどの人出があったという。(上流部にいけば桜並木はまだ残っている)
洪水対策の護岸工事のため、西泉周辺の桜の木は全て伐採されてしまった。
人々の安全な暮らしと引き替えに、桜の木は切られていったのだ。

金沢での暮らしが終わる。
山形に発つ前日、伏見川のほとりを歩くと、ホトケノザ、フキノトウが成長している。
まだ雨と雪が交互に続く悪天。
私が山形に戻る頃、春を告げる草花がまた少しずつ堤防に芽生えることだろう。

参考文献:金沢市 編著『金沢のわき水 調査報告書』,笹倉信行著『金沢用水散歩』,高室信一著 『金沢・町物語』,金沢市鞍月土地区画整理組合編著『鞍月逍遥』

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