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輝ける大島亮吉

韓国の月刊『MOUNTAIN』2012年4月号は「山書」特集。
この特集では、韓国登山界の重鎮キム・ヨンド氏が、日本人・大島亮吉の著書を巡る思い出という形で、登山者にとって山書とは何か?を訴えています。
Osima
大島亮吉(1899-1928)

私は本で山と出会った by 月刊MOUNTAIN 2012年4月号
以下記事引用開始
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私は本で山と出会った
文 キム・ヨンド 韓国山書会顧問

 西洋に「書斎登山家」という言葉がある。山に行かずして書斎で本や地図を見、山のすべてを知ろうとする人を指す。
 この言葉に対して私の考えは違う。山に通いつめていた人が怪我を負ったり、老いて山へ行くことができなくなり、本を読んで過ごす登山家となるのだ。

 そんな意味では、今の私自身も「書斎登山家」ではないかと思う。山に一生通って楽しもうと思ったが、歳月が恨めしい。
 今は遠く智異山縦走や雪岳山西北稜を再び登りようもない。結局は山書を友にするしかない。幸い、書斎には私が集めた本と自分が書いた山の本などがあり、時々それらを開いてみて、登山や他の世界があり、自ら幸福を感じる。

 私はたまに人から「いつから山に登るようになったのか」という質問を受ける。答える度に、私の回答に人々は不思議そうな顔をする。私は山を本で初めて知った。本を読んで山が分かるようになったという話ではなくて、「山」という本と出会ったというエピソードだ。

  私は幼い頃から人並みはずれて本が好きだった。それも年齢にはふさわしくない様々な本を楽しんで読んでいた。ある日偶然に、「山」という本が目についた。その頃の私は勉強することなど考えず、学校から帰って来ればすぐ市内をぶらついていた。日帝末期の新刊書店には本らしい本もなく、結局は古書店を歩き回りながら気に入る本を捜していた。中学の時、私は哲学や思想そして文学に関する本を読み一人で楽しんでいた。時代が時代なので、本はどれも日本の本だった。

 そんなある日、私はとても素敵な本に会った。それは菊判の大きさに黒いクロス洋本でその頃としては珍しい装丁だったが、問題は 「山」という見慣れない題名だった。しかしその本がとても気に入ったので本箱から取り出し、何の本なのか広げてみた。本の第一印象と手触りは素晴らしいのに、目次を読んだら全然わからない世界である。高山の雪崩の話だったり、山スキーに関する文等、一体何が何だか分からない。その中に目に入って来たものがあった。'山荘' 'たき火' '夢'という山の文章だった. 行ったこともやったこともなくても、その雰囲気は分かるような気がして、とても関心をひかれた。好奇心の強い中学時代のことだ。
 
 その「山」の思い出を続けよう。「山の夜に焚火の焔(ほのお)がえがく人体のシルウェット。それはレンブランテクス の力強い明暗の筆触。」「望むことは山の歌だ」「自然はお前と私の心を引き継ぐ」こんな文章が徐々に私の心を掘り下げていった。ところが「ベルクシュタイガーは誰も山奥に自分のハイマートを持っている」と言う文は何のことだかわからない。格好よい文章みたいなのに・・・・。 私は高価にもかかわらずこの本を買い、家に持ち帰った。その本らしい本は、見たこともない日本の大島亮吉という人物の本だった。彼は29歳という若くして日本アルプスを登山中に墜落死した。後でわかったことだが、日本山岳界の先駆者で早くから不世出の登山家で知られており、この本は彼が遭難した後に友人が編集した遺作であった。
 私は哲学や思想そして文学作品の中に風変わりな大島の「山」を加えて満足していた。中学を出て 38度線を越した. そしてソウルで大学に通って安国洞の古書店~その頃ソウルには古書店が多かった~で偶然にこの本とまた会った. 当時の私は苦学していたし、いつも懐事情が心配だったが、故郷に残して来た本への未練に負けて無理してまた買い求めた。今度は6・25戦乱(訳者注・朝鮮戦争のこと)が起きて清凉里の大学寮を離れることになり、この本は再び私の手元から離れた。そして歳月が過ぎ、山岳界と関わるようになり、私の書斎には山書が増え始めた.

 ある日、日本で買った雑誌を読んでいたら大島亮吉の全集が出たという情報を知り、その全集5冊を買った。 それは「山」という単行本をこれ以上手に入れることができなかったからだ。 幼くて内容も知らず初めて会ったその本は、まるで昔の恋人みたいで忘れることができず、時々思い出したりしていた。

 ところが驚きべき出来事があった。私の岳友であるビョン・ギテさんがまさにこの本を持っていたのだ。 彼は広く知られた書誌学の古書や珍本をたくさん所有していたが, その中に 「山」まで持っていたとは知らなかった。ビョン・ギテさんは日本山岳会が創立70周年記念事業として復刻した本をすべて持っていた。 覆刻本は初版本とまったく同じだ。 それで私は彼に、その本を私が手元に置きたい、その代わり私が死んだら私の山書を全部持っていってください、冗談めいて話したことがある。

「本とは何か?特に山書は登山者にとって何なのか?」私は常に思う。 こんな話を公の席で何回もした事がある。 「人は山へ行く人と行かない人に分けられる。 山へ行く人は山書を読む人と読まない人に分けられ、山書を読む人は文章を書く人と書かない人に分けられる」と。
 もちろん格言でもなければ有名人の言葉でもない。 つまらない私自身の言葉だ。私はこの言葉をためらわずにいつでもどこでも発言する。
 私にとって人生とは、知識と体験の蓄積する過程と考えている。これによって人間は他の動物たちと区別される。登山者の場合はどうだかわからない。 私は山書を知らない登山者を想像することが出来ない。 彼の山行がいくら派手でも、それはうわべだけだ。 この世の中にはうわべだけは盛んで派手な人間がいかに多いことか。 そんな人生は、内実が貧困で寂しいものである。

 私は「山」に出てくる言葉で「ベルグスタイガー」「ハイマート」の意味を後年、大学でドイツ語を学び、初めてそれが「登山家」「故郷」という意味がわかり、どんなに嬉しかったことだろう。そしてエベレストとグリーンランドに行き、帰ってきた後には先進国の山書を韓国語に訳す一方、私自身の本を書くようになった。 その動機は幼くて山も知らないのに出会った「山」一冊から始まったと私は回想する。 大学では西洋哲学を勉強したが、そちらの本は今も読みながら、結局は文章には1行も使った事がない。 山岳界に身を置きはじめ専攻が哲学から登山に変わった。 そして今は韓国山書会の顧問として、会員と山書で結ばれた私の人生に大きな矜持とやりがいを感じている。

 登山者として本をたくさん持っているということは当たり前の事であって、決して自慢の種ではない。 そして本をたくさん読むことはすごいことでもない。 山書が自分の生活の中に溶け込み、山行に反映する時、私たちは本当に素敵な登山者になるのだと考える。メスナーの文章の中で、チョゴリザでヘルマン・ブールを考える場面がある。優れた登山家でありながら、登山ではそのように先駆者のことを考え、先駆者の登山意識と行為を忘れないでいるという点に、私はアルピニストとしての姿を新たに検証することになる。

 世の中では人生の質が問われているのに、人々が生活の質に関心を持つことを不思議に思う。「山」を身近に置いてからも、山が分からないとすれば, 遠くから山を尋ねていくのが人間である。
 山書を読む読まないはその人の自由だ。 しかし本を読む人生とそうではない人生とは、何をもってしても埋めることができない溝が広がっていく。
 山書との出会いは、登山者の運命なのだ。
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以上引用おわり

Mo201204

 左画像は月刊MOUNTAIN2012年4月号表紙を飾る、山書を手にするキム・ヨンド氏。
 私がキム・ヨンド氏の文章や評論を好むのは、貴重な韓国登山史の証言者というだけではない。
 先年、韓国のある冒険家が「史上初」とふれまわってグリーンランド犬ぞり縦断を企画・実行した際、韓国メディアにおいてキム・ヨンド氏は「グリーンランド縦断はすでに日本の植村直己が達成している」ことを指摘したことでもおわかりのように、過去の歴史から日本を嫌う風潮がある韓国の登山界において、日本が与えた影響をありのままに認め、広い視野で登山界をみつめている姿勢にある。

 そのキム・ヨンド氏の広い視野と深い造詣の根元に、大島亮吉の存在がいたという告白。
 第二次大戦の混乱期、朝鮮戦争と二度の戦乱を超え、それでもなお大島亮吉の著書を愛する姿勢。
 山書に対する真摯な姿勢に、ネット注文で自由に世界各地の書籍を手にすることのできる私たちが学ぶことは多いはずである。

過去のキム・ヨンド氏に関する記事
『岳人備忘録』が韓国人に与えた衝撃 by 当ブログ2011.02.26

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