清渓川(チョンゲチョン) 新生「河川」の現実
先の社員旅行で訪れたソウルで、知人との再会とともに狙っていたのが、ソウル中心部を流れる清渓川(チョンゲチョン)の視察。
清渓川は1950年代から暗渠化がほどこされ、韓国の経済成長にともない1970年代には高架の高速道路の下を流れるドブ川と化した。メタンガスが発生するほどに水質は悪化、現実に爆発事故が起こり、当時の在韓米軍は清渓川を渡る橋を通過しないよう指示を出していたほどである。
2002年。
ソウル市長選挙において2人の有力候補が登場した。
清渓川「復元事業」は必然であり、それがソウル都心の経済発展につながると主張するイ・ミョンバク。
復元事業で高速道路を撤去すれば流通および周辺地域での経済損失が大であり、復元事業の予算を教育・育児・他の汚染問題に配分すべきと主張するキム・ミンソク。
そして市民はイ・ミョンバク、後の韓国大統領であるその人を選んだ。
清渓川「復元」事業の最大の特徴は、既存の高速道路を撤去して新たな親水河川公園が開発されたという点にある。
左より施工前の清渓川高速道、施工中、そして右側画像が施工後の清渓川
逸話はさておき、私が今回実際に目にした清渓川の様子を紹介したい。
清渓川は延長6km、その設計思想において上流から「歴史・文化空間」、「遊び・教育空間」、「自然・生態空間」の3パートに分けられる。
今回は社員旅行の明洞フリータイムを利用して、上流部の「歴史・文化空間」を歩いてみた。
清渓川の「源流部」。
本来の清渓川は季節により水無川となる河川であったが、親水公園として日量12万トンの水が流下するよう設計されている。
水源は漢江(ハンガン)の水を清渓川専用の浄水場からポンプアップして流下する9万8千トン、さらにソウル市内を走る地下鉄駅の湧水2万2千トンによってまかなわれている。
湾曲した8種類の石を組み合わせた「八石潭」。
朝鮮半島統一を祈願して南北合わせた8地域をモチーフにした空間である。
植生については後述するが、清渓川上流部は高層ビルも多く日照不良のため草木は少なく完全な水路状である。
橋桁脇を通るトンネルに設けられた光源。
壁に斜線の切り込みを入れ、その中に照明を埋め込んだデザイン。
この清渓川「復元」に関しては、特に日本のダム反対派など自然保護関係者に大きな関心を呼び起こしたが、誤解されている点もある。
それは清渓川は、古くから人の手が加えられてマネジメントされてきた河川ということだ。
清渓川の本質を知るためにはソウルという都市の成り立ちから理解する必要があるのだが、ここでは詳細は省く。
ソウルはもともと人口約10万人を収容できる都市として14世紀末に建設された計画都市である。そこに無秩序に人口流入が続き、清渓川沿いは貧民層の居住地となり、都市の排水溝としての役割を果たしてきた。1411年には既に河川改修が行われた記録があり、1760年には全面的な浚渫作業が、河川沿いの家屋の多くを撤去して実施された。
上記画像の「庚辰」とはその1760年を指す。「庚辰地平」とあり下のラインが示しているのは、当時浚渫された河床位置である。
広通橋の橋脚に残る神将の彫刻。
石橋として広通橋を建立した当時の権力者が、王位継承を争ったライバルの墓陵の石材を流用し、人々の足で踏まれるようにした、と言い伝えられている。
今回写真に納めることは出来なかったが、故意に逆さに積み上げた神将の石材もある。
権力者達の人間関係がかいま見える場所でもある。
再生された清渓川は、周辺の地下水との涵養・供給が全く無い、完全な水路である。
そのような河川で生態系はどうなっているのか?
上流部では意外にも多くの魚影がみられた。資料ではフナ・ハヤが生息、産卵場所にも配慮されているという。
同じく清渓川上流部に生えるネコヤナギ。
設計・建設段階において、ツルヨシ、オギ、ネコヤナギが大量に植栽された。
河川中に設置されたネット。植生保持を目的としたものと思われる。
実際に清渓川のほとりを歩いて気が付くことだが、河床の段差から生じる水の流れの音は、適度に車の騒音を消してくれる。
前述のように清渓川は完全に密閉された水路であるため、水辺に降りるには階段を利用する。
洪水時を想定してステップ間に空間が設けられているが、設置当初はここから女性のスカートが覗かれるとして問題視され、踏み板の配置に改良が加えられたという。
◎清渓川の問題点
日本のマスコミや「公共事業憎し」一色の盲信的な自然保護団体関係者からは大歓迎された清渓川の再開発事業であるが、問題点もある。
それは河川の水質が不安定なことだ。
画像の滝のような施設は、正式名称「ウォーター・スクリーン」である。毎時500トンの水が流されている。
この施設の設置目的は、下水道からの「悪臭防止」だ。
私がこの付近にさしかかると、悪臭とまではいわないが、デパートで清掃したばかりのトイレのような、少々鼻を突く臭いがする。
洪水発生時には、ここから排水が排出される仕組みになっている。
ソウル市内の下水道はその約9割が「合流方式」、すなわち単一の管路で汚水と雨水を流す方式がとられている。イニシャルコストが低いというメリットがある反面、局地的な豪雨など大量の雨水が流入した場合、水質処理されていない汚水が他の水系に流出する欠点がある。
(ちなみに日本では昭和40年代以降、汚水と雨水は別に流す分流方式が採用されている)
再開発された清渓川の地下には、これら汚水対策として周辺地域の計画時間最大汚水量の三倍(具体的には日量195万トン)を処理できる暗渠が埋設されている。
しかし下水管系統に問題があるとされ、昨年(2011年)、当局の水質検査で清渓川において水質基準の20~50倍を超す大腸菌群が検出され、市議会で問題となった。
今回私が訪れたのは清渓川でも都心に位置する上流部である。特に植生に富む下流の「自然・生態空間」は残念ながら見学できなかったが、貧弱な植生と生態系から、まだ自然河川と呼ぶにはほど遠いという評価もある。
私は土木作業員なので、むしろ公共事業の一例として非常に興味深く清渓川を拝見した。
この再開発にあたっては、当時の清渓川沿いで商売していた1000軒以上といわれる露天商や事業者の大反対にあうこととなる。
これに対してイ・ミョンバク率いる行政側は東大門の陸上競技場・サッカー場をまるまる駐車場・商業スペースとして提供するという「離れ業」を実行した。さらに地権者対応チームを一日に何度も清渓川に巡回させ、地権者と顔見知りになり説得を進め、再開発地でのシャトルバス運行、金融支援、果ては事業者の子供への奨学金など細かい対応で再開発事業を進めていく。
この再開発に対してはイ・ミョンバクの政争の道具に利用されたとの批判もあるが、そういった方には休日の清渓川を実際に見ていただきたい。多くの家族連れや人々が憩う姿に、親水公園としての存在を否定することはできないはずである。
現実として数々の問題点を抱える再開発ではあるが、多くの人々が水に親しむ光景に、「公共の利益」とはなにか、を考えさせられる。
日本から韓国を訪れるクライマー、登山者は年々増えている。
インスボン登って焼き肉喰って、買い物楽しんで帰国するのもおおいに結構だ。
もし時間に少し余裕があれば、明洞からほど近い清渓川もぜひ訪れて欲しい。
山という自然を愛する人であれば、暗渠の中から新生した河川もぜひ見ていただきたい。
それが無機質な人工河川と見えるか、これから生まれ変わる再生の河川とみえるかは人それぞれであろう。
高速道路の撤去そして河川の整備という、日本には未だ無い人と自然との関わりの形態として、注目すべきモデルケースであると私は思う。
参考文献
都市史研究会 編著 「年報都市史研究9」 山川出版社
朴 賛弼 著 「ソウル清渓川 再生 歴史と環境都市への挑戦」 鹿島出版会
谷口真人・吉越昭久・金子慎治編著 「アジアの都市と水環境」 古今書院
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