再 会
今回のソウル行は完全な社員旅行なわけだが、フリータイムはもちろん山友達との再会に利用する。
出発前、お世話になっている申さんに電話を入れてみると、その週は出張で来日中だという。
あちゃ~と思っていると、「大滝が韓国に来るなら帰国早める」とおっしゃる。
私はそこまでの人間ではないわけで、電話口で再会を躊躇していると、
「せっかくですから、会いましょうよ。」という申さんの声に背中を押され、ソウルでの再会を約束。
ソウル到着二日目の夜。
会社のみんなは何やら名物らしいカニ料理を求めてソウルの街中に消え、私は単独行動をとらせてもらう。
待ち合わせは私の滞在ホテル前。
ソウルの南、水原(スウォン)から来るはずの申さん、いつものコンパクトカーで来るのかと思いきや、なんとタクシーで到着。
え~スウォンからタクシーっていくらかかるの~!
とビックリしていると、タクシーの運転席から降りてきたのは、インスボンで申さん、私と一緒に登った高所クライマーのユーさん。
申さん、そしてユーさんと、久しぶりの再会。
時間は遅いけれど、どこか行きたい所ありますか?と聞かれたので遠慮無く清渓川(チョンゲチョン)、そして韓国ブランドの登山用品店に行きたいと答える。
すっかり日が暮れた夜の清渓川をちょっと見学し、それからユーさんに連れられて登山用品店が連なる東大門の通りへ行く。
それから、道の中央に屋台がずらーっと並ぶことで知られる広蔵市場に直行。
日本人観光客は南大門、東大門に集中するのだろう、広蔵市場は日本語表記も少なく、韓国に来た実感が沸く。人混みの中、申さん、ユーさんに連れられ、細い路地の食堂へ。
この狭さ、この人の多さ、火事で焼ける前の新宿「しょんべん横町」を思い出す。
日本では食べられない、ユッケとユッケビビンバを御馳走になる。
酒は、韓国では「とりあえずビール」などという準備運動は無い。最初から焼酎をストレートで飲むのが韓国式。
申さんは店のおばちゃんが持ってきた焼酎の瓶を振り、瓶の底をポンと肘で叩く。
私の熱い視線に気が付いたのか、申さんいわく、
「あ、これは焼酎のコマーシャルでやってるんです。」
そして焼酎瓶に貼ってある女性モデルのシールを丁寧にはがし、焼酎で濡らして、
私のグラスの底に貼って差し出してくれた。
ユーさん曰く(高所クライマーで遠征経験のあるユーさんとは英語で話す)、
「She is korean sexy singer.」
sexy が気になったのでyoutubeで探すと、なるほど、焼酎の瓶振ってますね。
sexy singerは、韓国芸能界で登山好きとして有名なイ・ヒョリ。
ここで飯をすませ、再び広蔵市場の大通りへ。
タクシー運転業務のあるユーさんとはここでお別れ。
引き続き、広蔵市場名物の屋台村で申さんと飲むことにする。
スンデ。豚の腸に豚の血、餅米を入れて蒸したもの。こってりしていて旨い。
申さんは大きな山岳団体の役職を離れ、クライミングのインストラクターの資格を取得した。
韓国でのクライミング・インストラクターの資格は2種類あり、クライミングのナショナルチームに関わるような高度な指導者、健康維持など生活密着型・レクレーションとしてのクライミングをフォローする指導者があるらしいのだが、申さんはどちらも取得したという。
本人曰く、「運動生理学などを学びたかった」とのこと。
私がかつて放送大学大学院で学んだような内容らしいが、マークシート試験で済む放大の試験とは異なり、申さんは一回りも年齢が若い体育系大学の学生らにまじり、口頭試問も突破して資格を取得したという。控えめな物言いの申さんが「とても大変でした」というからには、相当過酷な取得過程なのだろう。
申さんがどこかに電話をかけている。
久しぶりにソウルに来たので、後輩を呼んだという。
5.14を目指し、二ヶ月スペインに遠征していたクライマーらしい。
少し遅れて、申さんの後輩到着。
5.14目指すだけあって精悍な顔つきの彼は、残念ながらスペインでの二ヶ月間、5.14を登ることができなかったのだという。韓国の山岳雑誌・月刊「山」の表紙を飾ったこともあるそうだ。
広蔵市場から、少し離れたドイツビール専門店に3人で移動。
ここでビールを飲みながら、クライミング話。
寡黙な彼の話は、申さんが時折通訳してくれる。40歳前に5.14は登りたい。今年こそは必ず登る、とはにかんだような表情をあまり変えず、淡々と語る。
真摯に日本でクライミングをやっている方には申し訳ないが、私にとって韓国のクライミングといえば「キム・ジャインちゃんかわゆい」くらいの知識しかない。なぜ遠征先にスペインを選んだのか尋ねたところ、韓国国内の高難度グレードの岩場を登ってもなかなか認めてもらえない、グレードが確立している海外の岩場に照準をあてたらしい。
申さんも後輩と積もる話があるだろう、二人の邪魔をせず、私はビールのグラスをあけた。
5.14を目指す彼に「ファイテン」と言葉をかけ、別れる。
申さんとタクシーを拾い、私の宿があるイテウォン(梨泰院)に帰る。
タクシーの中で、しきりに申さんは「もっと彼を支援できれば良かったんですが」と語る。大きな山岳組織の中で、やりたい事、やり残した事があったのだろうか。申さんの言葉に、後進の指導という切実な問題を、自分の身に置き換えて考えてみる。
私の宿のある街、イテウォンは各国大使館や米軍基地があることから、非常に外国人が多い街だ。
街の中心部は、夜になれば外国人の多い歓楽街となる。
アメリカンバーで申さんともう一杯ひっかけることにする。
やかましいアメリカンロック、蔓延するタバコの煙、煙の向こうにビリヤード台があり、白人のおっさんと、胸を強調するピチピチTシャツ着た韓国人のおねえさんが勝負している。
そんなバーの片隅で、申さんとまたまたビールを飲み、昔話。
「お互い白髪増えましたねー」というおっさん話から、雪岳山一緒に登った時もビール飲んでましたね、というバカ話まで。それから申さんが初めて日本を訪れたときのエピソード。
週末の夜、ソウルのタクシーは大忙しだ。
遠いスウォンまで申さんを運んでくれるタクシーはなかなか見つからなかった。
日付が変わる頃、十数台にシカトされた末、ようやくタクシーをつかまえ、申さんとお別れ。
申さんを送ってきてくれたユーさんは、タクシードライバーをしながら今度はアラスカの山を目指している。
申さんの後輩氏は、建設関係の仕事をしながら今年こそ5.14を登る、と真剣なまなざしで語っていた。
そして申さんは、相変わらず日本出張が多い企業で要職にありながら、コンペ開催などにたずさわり、後進の指導に力を入れている。
私が出会ったクライマーたちは、プロ・アマというカテゴライズなど関係なく、人生の一部としてクライミングを続け、目標に向けて邁進している。
山に登らずして、得るものの多い出会いだった。
山に登らずして、とはいうものの、申さんからは「今度はシューズにハーネス持って、韓国来て下さいね」と4回くらい言われた(笑)。もちろん、韓国で登りたい山のめどはつけてある。また近いうちに、この熱いクライマー達が住む国を訪れることになろう。
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