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「夢があるから、山に行く」 ダリア・ヤーシナの記憶

2012年5月17日、ロシア・ニジニ・ノヴゴロド出身のダリア・ヤーシナは北米大陸最高峰デナリの頂上に到達。
彼女はロシア人女性初となるデナリ単独登頂を果たしました。

D2
ダリア・ヤーシナ近影

 このニュースはロシアのクライミングサイトを賑わせ、一部には入山者の多いデナリでの単独登頂の価値を問うコメントもありましたが、そのほとんどは祝福のコメントの嵐でした。

 それからわずか3ヶ月後の8月7日、ダリア・ヤーシナは天山・ポベーダ峰7000mの稜線で雪庇の崩壊により墜死しました。
 享年27歳。

 強靱な体力に裏付けられた彼女の足跡はデナリ単独登頂の報道から注目しておりましたが、残念ながら今夏の遭難死、その動向は西側諸国のクライミングサイトにはほとんど出ておらず、中央ヨーロッパ諸国でのみ報道されていたため、邦訳に時間をかけておりました。
 デナリ単独登頂後の地元メディアのインタビュー記事の抄訳を以下に記載します。

Я хожу в горы за мечтами by Vremyan.ru 2012.6.25
(私は夢のために登る)
以下記事引用開始
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 ニジニ・ノヴゴロドのアスリート、ダリア・ヤーシナは、北米大陸最高峰マッキンリー(デナリ)のロシア女性初の単独登頂を果たしました。
 北米大陸最高峰に登ることは、その過酷な気象条件からエベレスト登頂にも匹敵します。統計では平均的な登山者は18.6日かけて登山しますが、彼女は7日間(登高6日、下山1日)かけて登り、パークレンジャーからも強力なクライマーと言われました。

マッキンリーの単独登頂は、ルートなどからみても、レベルとしてはヒロイックな行為なんでしょうか?

 単独登山では自分自身を信頼すること、自分の身体と精神を見つめることになります。これは良い経験であり、素晴らしいトレーニングです。一方、単独登山ではミスがあってはなりません。より多くの準備とトレーニングが必要になります。
 私が選んだ ウエストバットレスと呼ばれる登山ルートは、マッキンリーではクラシックなルートです。その主な部分はヒドンクレバスのある氷河で覆われています。雪と氷のルートでそれほどテクニカルなルートではありません。単独で登るには最も賢明に思えました。

マッキンリー単独登頂を思いついたのは?

 その山に非常に感動したからです。私の夢はアラスカの荒々しい、美しい世界を訪れることでした。でも単独登頂はたまたまそうなったということです。
 4月に私はニューヨークで開催されたウルトラマラソンに参加しました。今年は約600kmを走破して、女性で3位になることができました。レースの後、準備期間は多くありませんが残った時間を登山に費やすことに決めたんです。パートナーを見つけるのが難しいので単独登頂を決意しました。

(中略)

山はあなたに何をもたらしましたか?

 明るくなりましたね。私にとって登山は、初めは学校や仕事の合間の趣味でした。4年前から仕事と登山を結びつけることができました。山岳ガイドになり、最も大きな発見であり達成感は、「喜び」です。人々を頂に導く喜び。初めてこの喜びを得られたときは、泣いてしまいました。

あなたはさらに高い所を目指しているのでしょうか?

 とても高所登山には惹かれています。夢は8000m峰です。
 近い将来としては、6月23日からモスクワからのクライマーをアララト山に連れて行きます。彼女は脳性麻痺を負っています。ロシアでは、彼女のような存在はほとんど無力と考えられてますが、非常に強くて経験豊富なクライマーです。私たちにとっては難しい仕事になりますが、うまくいけば、彼女はアララト山(5137メートル)に登頂する初の脳性麻痺の女性になるでしょう。
 それから私はレーニン峰に向かい、次にポベーダ峰に登るつもりです。

クライマーとは、どんな人々ですか?

 強くて勇敢な、偉大、開かれた心を持っています。

あなたを刺激するのは、どんな人々ですか?

 多くの人に出会いました。私が出会った人はそれぞれ違いますけれど、すべて刺激を受けています。
さきほど言った脳性麻痺の彼女は信じられない強さと希望を持ち、私がどれほど励まされたことか。友人のクロードはインスリン依存性の糖尿病患者ですが、彼の夢はセブンサミットです。彼は自分の限界に挑み、夢を実現させています。私は常に励まされていました。

人は言います。「山に高速道路ができれば、行く必要もないだろう」。なぜ山に向かうのですか?

 以前の私もそう思っていました。少し前までは、エルブルースは私にとって遙かに高い山でしたが、今では走って登る山です。人々の登山をガイドする過程で、ウルトラマラソンで、私は素晴らしい人々と出会えました。私はたぶん、山に登り続けます。夢のために。

エレナ・グレフスカヤ記者
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ダリア・ヤーシナは1984年9月29日生まれ。
デニス・ウルブコも名前を連ねる山岳ガイド会社に籍をおき、特に障害者登山に力を入れていました。
脳性麻痺の女性をキリマンジャロに、糖尿病の男性をアコンカグアにガイドした経験を持ちます。
普段からウルトラマラソンに親しみ、その強靱な体力はパミールのレーニン峰の最速登頂記録(8時間30分)保持者であることからも伺えます。
その経歴は、コミュニズム峰(7495m単独登頂)、コルジェネフスカヤ峰(7150m)、ハンテングリ、ムスターグアタ(単独登頂)、オホスデルサラド(6880m)、アマ・ダブラム(6812m)の他、ガイド山行でヒマラヤ、ニューギニア、アフリカ各地に足跡を残していました。
今回事故に遭ったポベーダ峰に成功していれば、スノーレパード(旧ソ連の7000m峰5座に登頂した者に贈られる賞)の栄誉を手にするはずでした。

ロシアのクライミングサイトにアップされた、彼女のデナリ単独登頂の記録を少し紹介しましょう。
画像キャプションはダリア自身による手記からの引用です。

P1_2
『マッキンリー、アラスカの山、北米大陸最高峰、巨大で雪に覆われた山。山がまだロシア領であった頃、先住民であるインディアンのアサバスカ族は、「偉大なもの」という意味で「デナリ」と呼んだ。国立公園のほぼ中央にそびえ、標高6194m。地球上で最北の北極圏の位置しています。
 この山に出会えて幸運でした。私の登頂ルートは「ウエストバットレス」、マッキンリー頂上までルートとしてはクラシックなルートです。ルートの大部分はヒドンクレバスのある氷河で覆われた雪と氷のルート。斜度は40~45度、登山中の気温は-35~-40℃まで低下します。女性初の単独登頂のためには、このルートが最も賢明に思えました。』

P4_2
『氷河へのフライトは5月12日に予定されています。入山3日前から天候が荒れ、フライトがありませんでした。新しい友人であるパイロット、犬、そして子供達、素敵な人々が私を見送ってくれます。もう私の家族同様です。』

P12

P27


 ウルトラマラソンにも親しみ、世界各地の高峰を駆けめぐったダリア・ヤーシナはあまりにも早すぎる死を迎えました。障害者をはじめ多くの人々をガイドする喜びも知っていた彼女、素晴らしい個性は天山山脈の高峰に消えてしまいましたが、彼女の意思(遺志ではない)を受け継ぐ者が現れることを願ってやみません。

※コメント欄にて御指摘をいただき、当初の記事で書いた名前「ヤシン」から「ヤーシナ」に修正いたしました。

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コメント

はじめまして

いつも有益な記事をありがとうございます。
久しく以前から拝見しておりますが、はじめてコメントさせていただきます。

私は今夏ポベーダに遠征しておりまして、彼女にはC3で会いました。パートナーのサーシャを除けば、彼女に会った最期の人間かもしれません。

私はディーキー峠のテントからC3を目指していたのですが、私が先頭でラッセルしていたとはいえ、ダーシャがC1から凄い速度で上がってきた事が印象に残っています。後で知ったことですが、彼女はレーニン峰速登競争の女性チャンピオンでもあったのですね。

大学山岳部や社会人山岳会でやってきた人々にとっては、身近な人の死にはある程度慣れているのかもしれませんが、私は
ほとんど単独でやってきたもので、彼女の死をBCでしったときの衝撃は、なんというか鮮烈なものでした。

あらためて、ダーシャとポベーダに逝った全てのクライマーとに哀悼の意を表します。彼女のインタビューを紹介してくださってありがとうございました。

ついでながら、ヤーシンは男性形ですので、女性形のヤーシナが正しいかと存じます。

投稿: スノーボール同志 | 2012.11.03 09:48

re:スノーボール同志 様
 コメントありがとうございます。
 今夏ポベーダに遠征されていたとのこと、お疲れ様でした。私にとってもあこがれの山ですので大変うらやましい・・・

 登山中、実際にダーシャとお会いし、実際にBCで彼女の事故をお聞きしたとのこと。

<<身近な人の死にはある程度慣れているのかもしれませんが、
 私自身、遠征登山でスノーボール同志様と似た状況で事故と人の死を経験しておりますので、その経験からもご心境お察し致します。

 山の世界には、人の死に慣れていらっしゃる方や自慢げに話す方もいらっしゃいますが・・・
 少なくとも私は「慣れ」は感じません。ほんの少し挨拶を交わした方でも後日亡くなったと知った時、そこにあるのは「喪失感」ですね。

 当ブログではあまり事故は取り上げたくないのですが、彼女の存在はネット情報に埋もれたままではあまりに惜しいと思い、とりあげてみました。
 こちらこそコメントいただき、ありがとうございます。

 重ねて、人名についての御指摘感謝します。早速修正させていただきました。

投稿: 聖母峰 | 2012.11.03 15:06

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